うまくいえないのですが…。
少し前から、まだ1年生の初め頃から学校に行くことができなくなったままに数年を過ごしている子と一緒にレッスンをさせてもらっています。
1年生の早い時期から学校に行っていないので、恐らくおうちの方以外から勉強を教わるという経験はほぼない状態で来てくれたのですが、その子とレッスンをしていると、毎回本当に色々なことを感じ、考えるのです。
足し算・引き算もきちんと学んだことがなかったその子と本当に算数の最初から一緒に学び始めたのですが、その子にとっての学びは、テストがあるわけでもなく、成績をつけられるわけでもなく、また、他者と比べられるわけでもないわけですから、本当に純粋に「知らなかったことを知る」ということであったり、「できなかったことができるようになる」ということであったりするわけです。
一般的な学年配当なども、既にそれに沿って進めることはできませんし、恐らく本人は何年生ならどういうことを習うということもはっきりと知らないでしょうから、とにかく本当に真っ白に近い状態から、一緒に学び、10までの足し算・引き算ができるようになり、100までの足し算・引き算ができるようになり、時計が読めるようになり…と、その子のペースでコツコツと慌てることなく進んでいます。
速く考えるよう急かされることを経験したことがないというのもあるのだと思いますが、難しいときには難しそうな顔をし、わかったときには本当に晴れやかな顔をし、考えているときは穏やかな美しい顔をし、その子のペースでゆるやかに考えている姿は、見ていてなんだかとても幸せな気持ちになることが多いのです。
そして、今回のレッスンの途中、平均的な子でも難しいと感じることが多い問題を一緒に考えていたときのこと。
その子が「なんか頭がくらくらしてきた。」と、その割に穏やかな口調でそう言ったのです。
難しい問題を考えていると、イライラする子やわからなくて泣き出してしまう子などはいますが、その子はきっと、自分なりに一所懸命考えて、頭を精一杯使って、それでもよくわからなくて、そのうち頭が「くらくら」していると感じたのではないかと思います。
それを聞いたとき、うまくいえないのですが、もう本当にその子が可愛くて、でも、なんだかとても「正しい」学びをしているような気がして、年齢を考えると学年配当からは遥かに遅れていますし、その子の事情からしても、どこまでのことを理解してくれるのかはわからないにも関わらず、こういう学び方が本来あるべき姿なのかもしれないと、なんだかそんなことを思いました。
もちろん、正しい学びとかあるべき姿とか言っても、人はみんなそれぞれ違いますし、正しいということ自体明確な基準があるわけでもないので、抽象的になってしまうのですが、なんだかとてもとても大事な宝物のような時間を共有させてもらっているような、そんな気持ちになるのです。
これからも、その子が学びたいと思う限り、私も精一杯サポートしたいなと思っています。
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