やはり進化したみたい。
先日ブログに書きましたが、通ってくれるようになって1年以上、なかなかじっくり考えようとせず、私やお手伝いの先生の顔を伺ったり、解答を覗き見しようとしたりして怒られたりしていた子が、そういえば最近変わってきたような気がするなと思っていましたが、どうやらこれは本物の予感がします。
前回のレッスンで、え?あれれ?と思うような反応を見せるときもあり、やはり子どもは一進一退なのかなと思ったりしていましたが、今回のレッスンで、これまでその問題に取り組んだ子たちの多くがかなりあれこれ考え、それでもどう考えていいやらからず多少の手助けをしたことも少なくない問題がいくつか出てきたのですが、前回のレッスンで苦労したことも1週間経って何らかの形で昇華されたのか、正直なところ、内心(え?!ノーヒントで解けたん?!)とかなり驚いてしまったほどで、ただ、それを言うとその子の能力を低く見ていたことになってしまいそうで、その場では言葉にせず、そのかわり、目を見開いてうんうんと頷き、いつもよりぐるぐるのマルをつけたりしました。
とにかく1時間の間中ずっとかなり集中して考え、大半を自力で答えに辿り着き、更には量も結構たくさんやり遂げて、恐らく本人もかなり満足したのでしょう。
終わって帰るとき、「よくやったね。」と声をかけると、嬉しそうな顔で元気いっぱいに「さようなら!」と挨拶して帰っていってくれました。
低学年から高学年に上がるその前に調子を上げ始め、この分だといい感じで高学年のスタートを切れそうです。
教室を始める際お世話になった先生が、例えば小さい子が掛け算ができるということを友達に自慢したりすることがあるけれど、それは本当の能力がついている姿ではないのだというようなことを言ってらしたのですが、どういうことかというと、人はできて当然と思っていることについてはわざわざ自慢などしないのだと。
言われてみれば確かに、例えば、大人になって掛け算ができることを自慢する人はまずいないでしょうし、中学校の英語の教科書が読めることを自慢する人も恐らくいないでしょう。
それはできて当然だからしないのであって、仮に自慢などしたら、周囲から呆れられるかもしれません。
つまり、子どもであっても、自分がしていることが当たり前のことだと思っていれば、それをわざわざ同年代の子に自慢しようなどという考えにならないものなのだと言われればそうなのかもしれないと思うのです。
そして実際、子ども達を見ていると、周囲の大人の反応をうかがいながら問題を解いている段階の子や、計算だけ先取りしてできるようになっているような子はしばしば自分ができる何かをことあるごとに「私○○できる!」とか「ぼく、もう□□できる!」とか言うのです。
ですが、算数が得意な子、算数が好きな子は「やった!できた!!」というような感じで喜ぶことはあっても、他者に向けて自分はこれができるのだと自慢する姿を見た記憶がほとんどありません。
で、上述のその子は以前はしばしば何かにつけ自慢していたのですが、そういえばここしばらく、そういうことを言うのを聞いたこともなく、明らかに顔つきが穏やかになったように感じるのです。
もう何週にも渡って感じていることですので、どうやらこれはいよいよ本物なのではと、とても嬉しく感じています。
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