子ども達とレッスンをしていると、中には見ていて驚くぐらい、一体なんでそんなにすぐわかるの?頭の中どうなってるの?と思うような抜群のセンスを持っている子がいる一方で、一所懸命なのは伝わってくるのに、イメージすることがとても大変そうな子、数式と数量が全くというほどリンクしない子もいます。
今日のあるレッスンでも、ただ計算するであるとか、既にやり方を知っていることをやるであるとかなら、嬉々として取り組むのですが、じっくり考えればわかるはずのことでも、じっくり考えるより先に適当に式を書いて計算してみて、こちらの反応を伺う子達のことがとても気になりました。
小さい頃からうちの教室に来て、じっくり考えるということが当たり前になっている子達にはあまり見られないのですが、機械的反復をする教室やパターンを教え込むような塾などに通っていた子、掛け持ちしている子などにはしばしばその傾向が見られます。
もちろん、そういうところに通っていなくても、中にはそういうタイプの子もいますので、一概には言えませんが、いずれにしてもそういう子達を見ているとちょっと心配になります。
今日のレッスンでのひとりの子は与えられた式の□に当てはまる数を求める問題の中で 「26×8+8×19=(26+19)×□」の問題で行き詰りました。
分配法則、結合法則というものをパターンとして教えることはしていないので、基本的にどの子にも式の意味を考えてもらいますし、今日のその問題をやるまでに既に言葉は知らないものの、結合法則と分配法則を使うような計算はしてきていました。
しかし、その子は初め、□に「64」と書きました。「足したものが64回にもなるの?」とだけ声をかけたところ、さっさと消して、今度は「16」に書き直しました。
それでも私がすぐにマルをしないので、またその数を消し、「8」と書き変えました。
しかし、その問題の場合、普通に考えて、間違えるにしても16か64しかないでしょうから、8、16、64と全て書いたその子は少なくともこの式の意味を全く理解していないのでしょうし、当然この計算の答えがどのぐらいの数になるかということには思い及んでいないのは間違いないでしょう。
「64じゃないから16にして、それでもマルにならなかったから8にして、それでマルになってもホントにわかってなかったら意味ないよね?」
そう言っても、なんとか考えようという風にはならず、じっとしているだけで、ならほんの少しでも何か感じてもらえるよう、計算している途中で気が付いたら全部は計算しなくてもいいからと伝えて、どの数のときに答えが同じになるか計算をしてもらうことにしました。
ただ、算数が得意な子、数量感覚が伴っている子であれば、もしくは、そうでなくても式の意味を考えることが習慣づいている子であれば、26が8回と8が19回、もう少しつっこんで8が19回は19が8回でも同じ答えだから…と考えられれば(もしくは、掛け算の学習のときにドットを並べていくので、ドットをイメージしてその縦横を意識できれば)、26と19を合わせたものが64回もあるはずがないことには気づくはずです。
もちろん、ちゃんとイメージできる子は苦もなく8という答えを書くことができるでしょう。
もうひとりの子は73×21を筆算までしているのに、答えが300にも満たない数になっていて、それでもそれがおかしいと全く気付いていない様子。
「73は10回でも730になるのに、21回でそんなに少ない数のはずないよね?」と声をかけてもあまり実感がわいていない表情です。
どちらの子も真面目に取り組んでいるだけに、余計もどかしくなってしまうのですが、本人がじっくり考えてわかったときの快感を積み重ね、それが大事なことなんだと実感しない限り、外からの働きかけでじっくり考えさせることには限界があるようにも思います。(もちろん、私がまだまだ力不足だということもあるのですが…。)
今はまだ低学年だから学校などで困ることはないと思いますが、長い目で見たらその算数の勉強の仕方はあまり役に立たなくなるときが来るはずなので、なんとか今のうちにぐっと変わってくれたらなと願わずにいられません。
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