「わかる」の違い
今更のような気もしますが、今日のあるレッスンでふと、ああ、同じように「自分で理解してできるようになる」ということにも違いがあるんだなと、改めて思ったことがあります。
今日思ったのは同じ分母分数の足し算でした。
教室の子達とは分数の学習の際、大きさのイメージから入りますので、3分の1+3分の1といえば3分の1が2個で3分の2とほとんどの子が問題なくクリアできます。
うっかり6分の2と答えるようなことがあっても、図を描かせたり、3分の1の大きさのものを見せたりすると、よほどのことがない限り答えに気付きます。
この場合、3分の1と3分の1を合わせたら3分の2になるというのは、単に分数の足し算の式に書かれた数字を、分母は足さない、分子は足す…というような理解をしたわけではなく、量としてイメージできているわけです。
同分母の段階で大きさや量としてイメージができていれば、引き算になっても、異分母になっても、このぐらいの大きさになるから…という考え方は可能です。
一方で、例えばですが、説明はせず、3分の1+3分の1=3分の2、5分の2+5分の1=5分の3…のように、何問か式と答えを書いて子どもに与え、問題を解かせる方法もあるだろうと思います。
早い子なら2、3問でどう計算すればよいかに気づくでしょうし、遅い子でも更に問題と答えを何問か書いて見せていけば、そのうち気づく子がほとんどなのではないかと思います。
この場合もやり方を教えたわけではありませんから、子ども自身が気づいてできるようになったとは言えるのだろうと思うのですが、これだと計算方法には気づいても、量として捉えられていない可能性があるわけです。
子ども自身が考えて「わかる」ということにもこんな違いがあるのだなと、改めて感じました。
そして、極力前者の「わかる」を子ども達にはしていってもらえたらなとも感じました。
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