自分でも面倒な性質だなと思うのですが、昔から「ずるい」ということに対して、どうしても寛容になれないところがあります。
もちろん、「ずるい」と言っても色々ありますから、さほど気にならないこともあるのだとは思うのですが、子ども達とレッスンをしていても、普通の大人ならここまで腹立たしく、悲しくなりはしないのではないかなと思うことがあります。
例えば、教室ではレッスンの終わりに飴を取ってよいことになっているのですが、ひとり2つまでと決まっていて、中には取らない子もいますが、大抵の子が1つか2つ結構喜んで取っていきます。
ほしい飴が何種類かあるときなどに「3つ取ったらダメ?」と聞く子もいますが、教室を始めて以来ずっと、そこは「2つまで」ということでお約束にしています。
しかし、時々こっそり3個以上取っている子がいるようで、ただ、レッスンの終わりの時間は次のレッスンの始まりの時間でもあるため、一人ひとりが飴を取るところを常に見ていることもできません。
過去に、別の子がその現場を何度も目撃していたようで、「飴って2つじゃないん?」とその子が帰ったあとに尋ねてきて、不正(?)が発覚。しばらくの間飴禁止になったこともありましたし、先日はどうも動きがアヤシイと思った子がいたので、次の週に様子を見ていたら、やはり3つか4つ握っていたようで、そのときは「2つまでよ。もしかして知らなかった?」と声をかけたのですが、残念ながら、その子は2つだということは知っているはずでした。
その出来事でその日1日ずっと悲しい気分で過ごすことになってしまいました・・・。
そして、このたび、宿題の不正(?)を見つけてしまいました。
過去には国語の問題集の記述の答えを丸写しして、指摘されてしどろもどろになった子もいましたが、今回はそれとは違いました。
このところずっと、宿題のページに貼ったはずの付箋の枚数がおかしいものの、尋ねると知らないと答えるので、何かの拍子に外れてしまうこともあるしなと、それ以上は追求せずにいた子がいまして、気になっていたので、前回は付箋が外れたらわかるようにして渡しました。
しかし、貼ってある付箋を何枚か外した上、やるところに赤鉛筆でマルをつけていたのを消しゴムで消し(赤鉛筆なので跡が残っていましたが。)、付箋が外れてもわかるようにつけていたマーカーの線まで消して普通に持ってきたのです・・・。
残念ながら、付箋が取れているだけなら知らぬ間に外れたとも言えたでしょうけれど、赤鉛筆やマーカーが勝手に消えることはありません。
しかし、頭ごなしに叱り付けるのはと思い、「ちょっとびっくりするようなことが起きてるんやけど、心当たりない?」と冷静な声で尋ねてみたのですが、真顔で「え?知らん。」と。
「宿題の付箋もっと貼ってあったんやけど。」と言ってもまだ知らないと。
そこで、消されてしまったページを開いて、「ここもここも宿題やったんやけど、なんで赤鉛筆もマーカーも消えてるんかな?お兄ちゃんかお母さんが消したんかな?」と。それでも「さあ、わからん。」と。
まあ、考えようによっては赤鉛筆を消すという、大人にはバレバレの行為をしてしまった上、それを見つけられ、予想もしていなかったことに内心ドキドキしていたのかもしれませんが、結局最後まで消したことを認めるでもなく、謝るでもなく・・・。
「あったの知らんかったんなら、今すぐやってちょうだい。」とつき返し、1時間中、その子とは険悪モードでのレッスンになりました。
勉強ができないということはもちろん怒るようなことではありませんし、「宿題をやるのを忘れた、ゴメンナサイ!」とかいう場合も多少は叱るものの腹は立ちません。
ただ、ズルをするというのがどうしても黙っていられないのです・・・。
もう少し寛容になるべきなんだろうと思う一方で、ズルをしても心が痛まないような人には絶対なってほしくないという思いは譲れませんし、また、最初は小さなズルでも、それが積み重なって、そのうち自分がキライになってしまうなんてことにもなってほしくないのです。
相手が大人なら、そんな大人とは付き合わないということで済むのかもしれませんが、これからまだまだどんな人生が待っているかわからない未来ある子ども達には、真っ直ぐ、それこそ「お天道様に恥じないような」人になってほしいなと。
まあ、もちろん、私もそんなことを胸を張って言えるような立派な人間ではないのですが・・・。
ホント面倒な性質だなぁと思います・・・。
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