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2012年9月25日 (火)

書かせることの大切さ

私の教室では主に算数・数学に関わる学習をしていますが、もちろんそれを専門で指導するというわけではありませんが、通ってくれている子の書いた作文を読ませてもらい、簡単に添削や助言をする機会がありました。
そして、その子の作文を見せてもらいながら、色んなことを感じ、考えました。

自分が子どもの頃は作文を苦にしたことがなかったのですが、作文の書き方をきちんと指導してもらった記憶は特にありません。
あの頃、自分ではうまく書けたと思っていた文章も、もしかしたら主語述語がねじれていたり、指示語の使い方がおかしかったり、ひとりよがりになっていたりということがあったのかもしれません。

ただ、思い返せば、自分が小学生だった頃、毎年だったかどうかははっきり覚えていませんが、日記を書いて担任に提出したら、担任が何かひと言書いてくれたり、うまく書けたものは終わりの会などで読ませたりというようなことがあったような気がします。
そして、時々、「何が楽しかったの?」とか「どんなことをして遊んだの?」とか、文章をもっと肉付けするよう促すひと言が書かれていたりした記憶があります。
今となっては、それが担任の指導だったのか、そこまで考えず書いておられたのかはわかりませんが、毎日短くても文章を書き、それを先生に見てもらって、時には指導を受ける、そんな経験がもしかするとその後に活きてきたのかもしれません。

国語が苦手な子であれば、短くてもいいのでなるべく毎日日記など、短い文章を書くというのは大切な学びになるかもしれません。
人に見せるために書くので厳密には「日記」ではなく、創作が入っていても構わないと思いますが、実際に文章を書いて、それを見てもらうことで、主語述語がきちんとつながっているかや自分が使った指示語はほかの人が読んでも意味が通じるかなど、単に読解問題などに取り組むよりも、より具体的で理解しやすい学びができるように思います。

きちんとした作文指導となると大変ですが、短い文を書かせて、主語述語のつながりが正しいかどうかや接続語や修飾語の使い方は合っているか、言葉の使い方の間違いはないか(子どもによっては関西弁や国語的には正しいとは言えない話し言葉を正しい言葉だと思っているような場合も少なからずありますので)などはおうちの方が見てあげることもできるのではないかと思います。

この際、原稿用紙の正しい使い方、行がえの仕方など細かく指導しようとすると、子どもも面倒になって、書くことを嫌がるようになるかもしれませんので、そのあたりはよほどおかしくなければOKしてもいいのではと思います。

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