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2011年11月30日 (水)

驚きの成長ぶり。

1年生の頃から長く通い続けてくれて、6年になる前にいよいよ受験塾へ専念することになってお別れした子が、年内に数回だけまた顔を見せてくれることになりました。
入試が近づいているのに、どうも最近不調で、得意だった算数に自信をなくしつつあるとのことだったので、とりあえずおうちの方とお話し、志望の学校の過去問をまず50分集中して解いてもらった後、どんな状態かを見て、その後解答解説をするということにさせて頂くことにしました。

しかし、それだけの時間、完全にマンツーマンで時間を取るのはその子の塾との兼ね合いからも、私の通常のレッスン予定からも難しく、人数が少なく、割と静かな子たちの時間に同席してもらい、私が横でその子たちとレッスンをしている間に問題を解いてもらうことにしました。

ただ、うちに来てくれていた頃のその子は、頭はいいのですが色々なものに気持ちが行ってしまい、じっと集中し続けることがあまり得意ではありませんでした。
少し難しかったり、考える気にならないと、プリントや問題集に絵を描いているような子でもあったので、果たして50分集中して、それも試験会場とかではなく、私が横でほかの子にあれこれ言っている状態でもやれるんだろうかと、正直不安に思っていました。

やってきたその子はつい先週も来たかのような、いつも通りの様子で話しかけ、席に着き、問題に取り組み始めたのですが、時々様子を伺うと、ずっと黙々と問題を解いているようです。ちらりと見える問題用紙にもたくさんの書き込みが見えるものの、決して落書きなどはしていなさそうです。
すごい集中だなぁと思っていたのですが、たまたま私はほかのレッスンの子たちと話していて話が少し横道にそれたとき、突然ぱっとこちらを向いて「それって死語って言うんだよ!」と言ったかと思うと、また問題に戻って行きました。
話が聞こえていて、ピンポイントでツッコミだけ入れて、更にまた集中に戻れるとは、もう本当にびっくり。
結局50分間はもちろん、その後もしっかり集中して、90分近くその状態を保ったまま1回目のレッスンを終えました。

すごい成長だなぁとしみじみ感心してしまいました。
小さい頃は人見知りが強く、こだわりもあって、ちょっとへそを曲げるともう問題を一切やらなくなってしまうようなところもある子だったので、立派に成長した姿を見てなんだか嬉しくなりました。

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2011年11月29日 (火)

気にしてたのかな。

うちに来てくれるようになってしばらくは、当初算数に対してかなり苦手意識ができてしまったというお話だったにも関わらず、レッスンしてみると全くそんなことは感じられず、順調にレッスンが進んできた子がいます。

しかし、高学年になり、教科書改訂もあり、きっと学校での授業の進度も早くなっているんだろうと思いますので、そのせいなのか、最近は宿題も全部はできておらず、また、やってきたところもミスが目立つようになっていました。
そして、レッスンをしていても、以前と比べて反応が鈍く、考えているのかわからないのかの意思表示も全くというほどしてくれなくなり、正直なところここひと月ほどは、どうしたらいいのかなぁと少し悩んでもいました。

わかっていないものを無理に教え込んで進めることはできませんし、かといって、きちんと宿題をやってきてくれないと学校の授業に追い越されてしまいます。
また、うちのレッスンは基本的に週1回しかありませんから、レッスンでやった後宿題をせずに過ごし、前日や当日にやろうとすれば、忘れてしまっているということもあるだろうと思います。
ですから、高学年の子で宿題の出来が芳しくない子たちには前日や当日にまとめてやらないよう話もするのですが、またこれがなかなか難しいようで…。

そして、今週のレッスンで、最近今一つ調子が上がらないその子は、持ってきた宿題を見ても、2週前の宿題でわからなかったところを前回一緒にやり、1問だけ途中までやった状態で続きを家でやってきてと言って付箋も貼っておいたのに、そこには全く手をつけていないのを見つけて、なんだか悲しくなり、続きの宿題を見ていっても、2、3週ずっとその指摘を受けて直し続けている約分忘れをいくつもしており、ミスもぽろぽろ。
いきなりなんだかがっかりな気分になったものの、まあ少しでもやるしかないなとレッスンを進めていきました。

すると、宿題の出来はともかくとして、レッスン中の反応はここひと月かふた月の間では一番よかったかもという感じで、久しぶりに直しもほぼ済み、新しい単元にも進むことができました。

レッスンが済んで、その子を見て、何気なく「今日はちょっとすっきりしたね」と声をかけたところ、嬉しそうににっこり笑って、こくりとうなずきました。
その姿を見て、そうか、この子自身このところずっと調子が出なくてもやもやしてたのかもなぁと気づきました。

これでスランプ脱却してくれたのならよいのですが。
次回も楽しみにしておくことにします。

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2011年11月28日 (月)

それにしてもすごいな…。

私は中学受験を経験していませんし、塾講師時代も教室を始めてからも、中学受験指導というものにはほぼ縁がないまま来ていますが、うちに通う以外に受験塾やご家庭で勉強をして、受験算数についてだけ、できる範囲で…というようなご希望を頂き、中学入試系の問題を解く機会が時々あります。

去年の春からは、中堅校を目指す女の子さんの算数を一緒にということではさせて頂いているのですが、今回このあたりの女子校としては結構難易度の高い、特に算数は、これ女子校の問題なの?と思ってしまうような問題を出す学校の過去問を解かねばならなくなりました。

その中に、立体に関する問題があり、こういう問題を女子校で出した場合、どれだけの子が具体的にイメージして解くことができるんだろう?と思ってしまいました。
私はやはり昔から空間図形は決して得意とは言えず、具体物を使って実際に確かめたりしながらやってきたので、見たことのあるものやその応用程度であれば何とか想像したりできますが、その学校は空間認知が得意な女の子がほしいということなのか(それだと脳の仕組みが男性寄りということになるんだと思いますが)、それは捨ててもいいということなのか、そのあたりの意図が今一つわからないなぁと。

ある問題を考えていて、どうしても答えが合わないので、どこで勘違いしているのか確かめるために結局方眼紙で模型を作り、それを使って実際同じようにやって確かめてみたのですが(それはつまらない勘違いをしていて、途中まではイメージしたので合っていたのですが)、それを見ながら、こんなの実際見たことある子なんてまずいないよなぁとも感じました。

絶対とは言いませんが、うちのスーパー中3女子も間違えるのではと思ったりします。
覚えていたら今度やってみてもらおうかと思いますが、そんな難しい問題を解かないと受験には合格できないのだとしたら、やはり小5や小6でそのための勉強をするというのは、本人にその学校に行きたいという強い気持ちがない限り、その負担は想像を遥かに超えるものなのかもしれないなぁと思ったりします。

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2011年11月27日 (日)

二兎追うものは…。

今日はお休みでした。
お休みにしては多少生産的活動もしたような気がしますが、最近の自分の物忘れのひどさは本当にちょっと心配になるほどです。

ただ、自分でもそれがいけないんだろうと思うことのひとつに(多分原因は色々複合的なんだと思いますが)、色々な頃を後回しにして、しなくては!と思うことがたくさんあり過ぎて、ぽろぽろとこぼしていっているのではという気がするのです。

例えば、仕事を取ってみても、教材発注しなくちゃな、明日の準備もしなきゃ、あ、あの子の分の予習もしなきゃ、そういえば、メールのお返事返さなきゃいけないのがあったな・・・・・・といった具合に、しなくてはと思うことが次々に頭をよぎり、どれもしなくてはいけないものの、どれも緊急ではなかったりすると、結局急ぎのことだけしてほかは持ち越し。
持ち越すものだから、ずっと頭の隅に残っていて、何かの拍子に思い出すのですが、色々あるのですぐ忘れ、別の何かをしているときにふと思い出すというような…。

きっと、しなくては!と思いついたことをまず片付けられるようになれば、もう少し色々なことが捗るような気がしますし、この物忘れのひどさを嘆くことも少しは減らせるのではなかろうかと思ったりします。

そんなことを思いながらも、結局今日も、最終の冬物の衣替えをしなくちゃ、11月も終わるから帳簿の入力もしなきゃ、読まなきゃいけない本もあるんよね、そういえば年賀状もそろそろどうにかしなきゃ、持って帰ってきてるワークの予習もだ、あ、あれコピーしに行かなきゃいけないんだった、パソコンの掃除もしなきゃなのよね、モニタも買い替えたのに2週間近く箱のまま置きっぱなしだし、あ!明日資源回収なのか、え?もうこんな時間?……とそんな感じで結局今日やろうと思っていたことのうち3つぐらいしか手をつけないうちに今日が終わってしまいました…。

う~ん、重症…。
まあ、これを自覚したので、思いついたことはなるべく順に片付けていくということを少しずつでも心がけてみようと思います。

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2011年11月26日 (土)

今日は変な日

時々そういう日があるのですが、今日はやたらと、それも真面目な女の子たちが何人も「なんだか変」でした。
朝からいきなり、普段とてもよくできて、計算ミスもあまりない3年生の女の子が繰り上がりのない簡単な足し算を二度やって二度ともなぜか繰り上がった答えになっていたり、やはり真面目な2年生の女の子は43mと4123mがなぜか43mの方が長いと答えていたり。

かと思えば、別の時間にも、140の半分がわからないという2年生の女の子に「100の半分は?」「50!」「40の半分は?」「20」「うん、そうよ。だから?」「520?」「え?50と20なんでしょ?」「うん、ごじゅうにじゅう?」「・・・・・・。」
別の5年生さんは、計算して、計算用紙にしっかり「80.5」と書いてあるのに、答えの欄に「70.5点」と書いてあり、どうやって計算したのか尋ねようとふと計算用紙に目をやると「80.5」の数字が目に入ったため「これは?」と尋ねると、「え?あ?ああ、80.5だっけ?」とか…。

そしてとどめは6年生の女の子が1200円使って、別の子から500円もらったらいくら使ったことになるかに「1700円」と答え、さんざんやりとりした末、700円とわかり、あとは大丈夫かと思えば、どうしたことか、700から10を引くところをなぜか190を引いて510円という答えに辿り着いたり…。

それも、その子たちはみんな普段から真面目な子たちで、今日も決してふざけて間違っているわけではなく、なのに、どうしてこんなにみんな次々におかしいんだ?今日は教室に何か変な空気があるんじゃないかと不安になるほどでした。(苦笑)

そんなこんなで今日はたくさんびっくりし、たくさん笑いましたが、今週も無事終了。
来週はもう12月に入るんですねぇ。ああ…考えると怖い…。

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2011年11月25日 (金)

見ていないふり

自信がないときなどに私やお手伝いの先生の顔をちらちら見て、合っているのかどうか探ろうとする子は少なくありません。
もちろん、ストレートに「合ってる?」と聞いてくる子もいますし、目が合った状態で探りを入れてくる(?)ような場合もその子の性格などに応じて、助けが必要であれば助けますが、大抵は「さあ、どうやろ?」とか「合ってても合ってなくても自信がないうちは答えへんよ」とか、そんな答えを返すことになります。

ただ、時々、ほかの子の方を向いていたり、机の位置が私の右手側や左手側にいる子などの場合、自信がないときなどにちらちらこちらを見ているのを感じることがありますが、その場合、どう対応するかはその時の状況によって変わってきます。

今日のレッスンで、最近徐々に考えることができるようになってきたと感じる女の子が文章問題を考えていたときのことです。
「67円はあとなん円で100円になりますか?」という問題で、この問題の場合、少なくない子が「67+33=100」というような式を書いてしまったり、式をどう書いていいか迷ってしまったりするので、さて、この子はどうするんだろうと、目の端で様子を見ていました。

すると、最初は「67+100」と書いて私の様子を見ているのが目の端でわかったので、声をかけるかどうか一瞬迷ったものの、少し様子を見ることにしました。もし「167円」と書いてしまったら、そのときに声をかけることにしようと。

すると、私が見ていないことを確かめて(見ているわけですが)、少し考え込み、式を消して次に「67-100」と書き直しました。
あれれれれ?という感じですが、さて、この式でどう計算をするかなと、まだ黙って目の端で様子を見ていました。
すると、またしばらく考え込んで式を消し、再び「67+100」へ。

ちなみに、まだ100までの数のたす引くしかしていないため、この答えをどう書くのかもう少し様子を見ていました。
すると一度は「707」と書いて(彼女なりにすごく考えたのでしょう。それにしてもすごい答えですが…。)、やっぱり何かおかしいと思ったようで、その式を消しました。

「ねえ、あと何円で100円になるかお答えはわかる?」

ようやくそう声をかけると、「43円」と答えました。これは単に繰り下がりを勘違いした答えですから、彼女の頭の中でやっていることは合っているわけです。

「考えてることは合ってるよ。じゃあ、そうなる式を書いて。」

そういうと、少し考えてから「100-67」と書き、更に少し考えてから「33」という答えが出ました。

例えば、最初に「67+100」と書いた時点ですぐ、「答えは100円より多いの?少ないの?」などを声をかけることはもちろん可能です。
ただ、その段階で声をかけると、自分の書いた式が間違っているんだなということには自動的に気づくことになります。
状況にもよりますが、まだ足し算と引き算しか知らない段階の子であれば、足し算の式が違うなら引き算なんだなと、問題をよく理解していなくても答えに辿り着いてしまう場合が出てきてしまいます。

せっかく最近少しずつじっくり考えることに慣れつつある彼女なので、今回は敢えて彼女が試行錯誤できる限りしてみてもらい、最後には少し手助けしたものの、きちんと答えに辿り着くことができました。

見ているけれど見ていないふり。
場合によってはとても有効だと思っています。

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2011年11月24日 (木)

やっとこれから面白くなる。

小さい頃からプリント反復学習の教室に通い、その後中学受験塾にというコースをたどっている4年生さんが、縁あって少し前から通ってくれています。
こういうパターンの子の場合、単純計算は速いですし、教わってその通りにやることにもかなり慣れています。
ただ、学年が上がってくると、そして、難しい学校を目指すほど、その勉強の仕方では限界が来る場合が多いのも否定しがたいところです。

うちに来てくれることになったきっかけは、習ったことが思うように定着しないということでご相談を受けたのがきっかけでしたが、まあ、そんなのは当たり前のことで、教えられたことはほとんど誰でもすぐ忘れるものですし、それでも忘れないようにしようと思えば、忘れなくなるまで反復するなりして記憶を定着させるしかないわけです。
しかし、受験塾などでは大抵進度も速いですから、日々の授業や宿題をこなすので精一杯で前に習ったことを繰り返す時間が取れない場合が多いのではないかと思います。
その結果、習ったことがポロポロとこぼれていくとしても、それは全く不思議なことではありません。

教室の子たちは平均して算数ができる子が多いわけですが(もちろん苦手な子もいますが)、それは公式ややり方を極力教えず、自ら気づく、発見する、そういうことを通じて、ただ教わったよりは遥かにしっかりと記憶に刻まれるからだとも言えると思います。

やり方を習ってしまったことを後付けで深く考えさせようとしても、それはほとんどの場合が困難ですから、塾などを経てうちに来てくれた子達の場合は、じっくり考えさせるよう仕向けるのには、まだその子が習ったことがないところ、習ったもののかなり記憶があやふやなところをやらせるしかなくなってきます。

その子の場合、おうちの方とのお話で、受験塾と掛けもちするということになっていますので、塾の進度が次々に進んでいきます。
ただ、どこかぽこっと抜けているところがあった場合はそこのフォローも必要ですから、とにかく、習っているはずのところからやり始め、いきなり応用問題をやってみてもらい、出来ればすぐ次へという形で進めてきました。
これまではほぼ全て「やったことある!」という反応だったので、早く初めてやるところに進みたいわと本人にも言い続けてきました。
そして、今週のレッスンでようやく、多少はやったことがあるらしいものの、限りなく記憶があやふやで、応用問題は全く手が出なかった単元にぶつかりました。

本人は戸惑って、焦っていましたが、私は嬉しくて「こんなのは習ってない?やったことないんやね?」とちょっとウキウキ尋ねてしまいました。
今日はその単元に辿り着いたのが今日の終盤だったので、今日はまだほとんどやれなかったのですが、ようやくぼちぼちまだほとんど何もやり方を知らないところをこの子とやれるのかと思うと嬉しくてなりません。

真面目な子なので、どのぐらいで変化が見えてくるか、どれだけ頭の中に「汗をかかせられるか」、やっと面白くなってきました。

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2011年11月23日 (水)

成長なのかな?

年長の頃から通ってくれていて、もう4年になっている子がいます。
算数のセンスは感じるものの、コンディションに波があり、また、雰囲気で難しいと感じると問題をちゃんと読む前にばしゃんとシャッターを下ろしてしまうようなところもあり、泣きそうな悲しい顔になると、こちらが何を言っても耳に入らなくなり…。

私は直接やり方を教えることはまずありませんし、ヒントを出す場合にも遠いところから最低限のヒントを出すところから始まるというのは長い付き合いなんだから、そろそろわかってもいいのでは?と思うのですが、コンディションによってはそれも全く通用せず、助け船を出しているのに全くそれを無視してどんどん深みにはまっていくようなことがある、そんなタイプの子です。

で、少し前のレッスンで、その日は途中からコンディションが芳しくなくなってきていたのですが、これもまたどの子にも必ず意識してもらうよう、そこのところは譲ったことがない、掛け算の立式を逆にしていて、「答えは合ってるけど、その式にはマルはできへんよ」と言ったところ(例えば、牛が3頭いて足の数は全部で何本かという場合、3×4ではなく4×3と(4本が3回分)いうように、問われているものを求めるには問われている単位のものをどうするかという意識を持ってもらうようにすると、割り算などが入ってきても式を立てるときの間違いがかなり減らせますので。彼がやっていたのはもう少し複雑な問題ではありますが。)、その日は全く話が通じず、言い方を変えて何度もかなりのヒントを出しているのに受け付けず、かなり長い時間かかってようやく正しい式に書き直したものの、突然泣き出して、帰りにお家の方に辞めると言いだしたそうです。

しかし、次からはまた何もなかったように来てくれて、おまけに、ある日のレッスンで同じような式を立てることになったとき、さらっと「あ、これ気をつけな、またこの前みたいなことになる」と言って、きちんと正しい式を書き、その後もレッスンが何回かあったのですが、ずっといい感じで取り組んでくれています。(不調の波が来ていません。)

怒ったわけでも怒鳴ったわけでもないのに泣き出されて、正直びっくりしたのですが、彼の中で何か変化のきっかけになったのでしょうか。
もともとセンスはある子だけに、これで安定感が出てくると更に大きく伸びるかもと、ちょっと楽しみです。

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2011年11月22日 (火)

気をつけなくちゃと思うのですが…。

レッスンをしていて、楽しそうに取り組んでくれる子はもちろん見ていて嬉しくなりますし、え~、嫌や~だの何だのとぶ~たれながら取り組むような元気な(?)子も対応可能なのですが、こちらが全く怒っているわけでもなく、穏やかに普通に対応しているのに、何も答えてくれなかったり、消え入りそうな声でしか答えてくれなかったりする子が何人かいます。

それも、レッスンを離れれば大きな声で元気にしゃべっていたりするのに、どうしてなのか、もう1年、2年と一緒にレッスンをしている子たちの中に何人かそういう子達がいるのです。

まあ、直接その子たちに対して「怖い私」にならなくても、一緒にレッスンしている子に対して「超怖い私」になっているのを見たとかであれば、まだなんとか、ああ、そのことで何か怖がってるのかな?と思えたりもするのですが、私が気になっているその子たちはとりあえずお家の方のお話では私のことを嫌っているとかおびえているとかではどうやらないようなのです。

それなのに、いくら聞いても答えてくれなかったり、聞こえないような声でしか(それもお母さんや姉妹としゃべるときには元気な大きな声が出ているのに)答えてくれなかったりすると、とても悲しい気持ちになって、なんでよ…とだんだんやり切れなくなってきて、しまいにはちょっと強く言ってしまったりするのです…。(もちろん、その日のレッスンで、色々声をかけたり、待てる限り待ったりして、かなりの時間が経過しての話ですが。)

強く言ってもその子たちが大きな声を出してくれるわけではなく、むしろもっとしゃべってくれなくなるかもしれないのに、どうしてそこまでしゃべってくれないのかわからず、ついつい何回かに1回、同じようなことを繰り返してしまいます…。

ひとりの子は幼稚園の頃から幼稚園の先生にもそういうようなことを言われていたそうで、お家の方も気にしておられるだけに、どうしてなんだろう?と理由を知りたいと思うのですが、まだつき止められず…。

そんな状態になるといつも思うのは、この子たちの頭の中が見えたらいいのにってことなんですがね…。
はぁ~、もっと忍耐強くならなければいけませんね…。

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2011年11月21日 (月)

決められない性格…。

今日も仕事には何にも関係のない話題ですみません。

以前に書いたことがあるのではと思いますが、私のうちには未だ小さなブラウン管テレビが1台あるだけで、買い替えようと思いながらもずるずる先に先に延びています。

数年前からほとんどテレビを見なくなり、1週間に一度もテレビをつけないことも珍しくなくなりました。
阪神淡路の震災後、実家にあったテレビをとりあえず持っていきなさいと持たされて、壊れたら買おうと思いつつ、ちっとも壊れない。
こうなったら地デジ完全移行で映らなくなるのを見届けて!と思ったのに、引っ越した先がケーブルテレビで、何もせずにデジアナ変換で見られるようになってしまい…。

実はもう1年近く前から家電店を覗いたり、週末に家電店のチラシを見たりを繰り返しているのですが、とにかく、色々あり過ぎるんですよね…。
選択肢が3つぐらいしかなければ、せめて5つぐらいまでなら、見た目やら値段やらで決められる気がするのですが、とにかく選択肢が多い!
仮にサイズを決めたとしても、色々な機能の違いがあり、更に同じような機能でもメーカーによって値段の差があったり、省エネ度合いに差があったり…。

というわけで、見に行けども行けども決め切れず今に至っています。
今日は街に出る用があったので、今日こそは!と家電店に足を運び、多少つっこんで詳しい説明まで聞いたのですが、結局えいっ!と思うところまで行けず、「近いうちにまた来ます」と言ってお店をあとにしてしまいました…。

よくあるんです。ものがあり過ぎるとかえって1つに決められず、結局何も買えなくなってしまうようなこと…。
皆さんはそんなことないんですかね?
それこそ、テレビに限らず、この時期書店に行くとすごい数の年賀状ソフトの本が並んでいるわけですが、あんなにいっぱいあってどうするんだ?と思ってしまいます…。5つぐらいにしぼってくれないか?と。(苦笑)

私のうちのテレビが新しくなるのはいつのことでしょう…。

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2011年11月20日 (日)

知らなかった…。(休日の話題)

私は女にしては甘いものには目がないとか、ケーキバイキングでわくわくするとかいうほどのことがありません。
甘いものが嫌いなわけではなくて、そんなにたくさんはいらないというだけですが、無精な性格も手伝って、自分でお菓子の類を作ることはほとんどないまま長年過ごしてきました。

しかし、先月、親知らずでえらい目に遭い、結構な期間、柔らかいものしか食べられなかったため、その間普段はそんなに食べない蒸しパンやらパウンドケーキやらを食べることもあり、蒸しパンぐらいなら作れるよね?と思ったのがきっかけで、パウンドケーキってケーキの中じゃかなり簡単なんじゃなかったっけ?と思い至りました。

まあ、すぐ飽きるんだろうと思いますが、ちょっと作ってみようかなとレシピを見てびっくり!!
普段そんなこと思いもせず口にしていたのですが、なんだか恐ろしくなってしまいました。

パウンドケーキ、粉とほぼ同量のお砂糖、バター、卵を使うんですね。
あ、そういえば、記憶違いかもしれませんが、昔々読んだ何かの本に、それらの材料を同じ分量ずつ合わせるってことがケーキの名前の由来だと読んだことがあったような…。(完全に忘れていました…。)

バター100gとかお砂糖100gとかで1本のパウンドケーキが出来上がっているだなんて…。
もちろん、市販のものは分量が違ったりもするのかもしれませんが、おおよそはそんな感じなのだろうと思うと、軽い気持ちで食べている一切れはお砂糖とバターのかたまりのようなものなんだなと…。
これを知ってしまうと、これからちょっと躊躇ってしまいそうです。

私が知らな過ぎるのでしょうけれど、ケーキに限らず、食べるものを一度自分で作ってみると、気付くことが色々あるんでしょうね。
野菜嫌いの子どもが自分で料理したらお野菜が食べられるようになったなんて話も聞きますし、手間をかけることはきっと体によいことなんですよね。(反省します…。)

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2011年11月19日 (土)

頭の中が見えるよう。

私自身は学生時代、展開図やら空間図形系の問題が全般に苦手でした。
教室を始めて、具体物を使いながら子ども達とあれこれレッスンしている間に、以前に比べればできるようになったことが増えましたが、それでも決して得意とは言えません。

教室の子ども達を見ていても、やはり、女の子は概ね苦手、男の子は概ね得意ということが多い分野のように思います。
ただ、もちろん、男の子でも苦手な子もいれば、女の子でも得意な子もいます。
以前も書きましたが、もう随分前にかなり流行った「男脳・女脳」という分類で言えば、男脳の方が空間認知が得意で、ただ、性別が男でも脳が女脳出会ったり、その逆であったりということがあるようですから、そういう専門の何かで調べれば、空間図形が得意な子たちの頭の中には何か共通点が見いだせるのかもしれませんね。

まあ、それはわかろうがわかるまいが、ああ、この子はこれが得意なんだなとか、その逆とかは子どもの様子を見ていればわかります。
そして、今日のレッスンで1年生の女の子が立方体の展開図が描かれたプリントを見ながら、どの頂点がどの頂点とくっつくかやどの辺はどの辺と重なるかやを考えていました。
その子の表情を見ていると、見えないはずのその子の頭の中が見えてくるような気分になりました。
じっくりと頭の中で展開図が組み立てられているらしいことがこちらに伝わってくるのです。そして、次々に問題をクリアしていく姿を見ながら、ああ、この子は女の子だけどこういう問題が得意なんだなぁと羨ましく見ていました。

教室の子たちの中には何人も、そのひらめき、絶対かなわない!とか、その暗算能力絶対負けてる…とか、すごい子が何人もいますが、今日の1年生の女の子と展開図の組み立ての問題などをやったら、かなわないかもしれないなぁと思うほど早くて正確でした。

みんなどんどんすごくなるなぁ。子どもって本当にすごいなぁ。
何年やっても、何度も何度もそんな気持ちになります。

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2011年11月18日 (金)

ゆっくりだけど着実に

春から一緒にレッスンしている1年生さん。一所懸命ではあるものの、数の感覚は身につくのに少し時間がかかるタイプなのかなという感じの子で、10までの数ぐらいの間はとても楽しそうにしていたものの、20まで、100までとなってくるとだんだんと難しい顔をしていることが増え、更に、100までの数のたすひくになると、へ?と思うような、どう考えたのか想像もつかない答えが出てくることがあったりもして、少し心配になることもありました。

実際、点つなぎなどをしてもかなり時間がかかっていましたし、なるべく1つ1つ指を折って数えないようにといっても、どうしてもそうしてしまうようなところもありました。
もちろん今もその傾向は残っていて、決してスラスラとまではいかないのですが、回を追うごとに、少しずつ確実さが増してきて、これまでは何度も間違えていたのが何問も続けて正解を出せるようになり、2段階に分けて考えるため、途中の数を書かなければ解くことが難しかったのに、それを書かなくてもかなり頭の中で考えられるようになってきました。
問題に向き合っているときの表情も随分しっかりしてきて、かなり集中できているなと感じることも増えてきました。

ペースはゆっくりながら、100までの足し算、引き算はほぼ確実にできるようになってきて、文章問題でも、合わせるのかのけるのか、間違うことがなくなってきました。

ひとつ面白かったのは、2つの数を合わせなければならない文章題で、間違えて式は引き算の式を書いてしまっているのに、答えはきちんと足し算になっていたものがあり、それを見たとき、問題文がちゃんとイメージできたんだなと、かえって少し嬉しくさえ感じました。(もちろん式は直してもらいましたが。)

1年生の11月に100までの足し算、引き算が文章問題までできるようになったと考えると、小学校の勉強で考えれば十分よくできているわけですから、慌てなくてもいいんだなとその子を見ながら再確認しました。

もちろん、今年度から小学校での学習内容のボリュームがかなり増えましたから、週1回1時間だけのレッスンだと、中学年や高学年になってから来てくれるようになった子たちはどこまでじっくり時間をかけられるか、そのあたりが悩ましいところもありますが、じっくり考えられるようになることはこの先の長い長い人生を考えると、やはりすごく大切で大きな力になるように思います。

これからも、できる限りじっくり、1人1人の子のペースで進んでいけたらなと思います。

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2011年11月17日 (木)

2週連続。

先週、これまでレッスンしてきた中でも一番集中していたのでは?一番よくできたのでは?という子が数人いたのですが、その子たち、みんな今週のレッスンでも好調を維持していました。

特に2人は顔つきまでこれまでと明らかに違う、見てすぐやる気なのがわかる、頭が働いているのがわかる、そんな顔つきになっていて、本当にびっくり。
おかげでとても楽しく、気持ちよくレッスンを進めることができました。

それに、今日は手伝って頂いている先生が風邪をひかれたとのことで、少しでもいらして頂く時間を短くしようと、小学生の最初のレッスンはひとりで見ることにしました。
人数は3人なので問題ないのですが、そのうち2人がかなり個性派でまだ小さいので、不調の日だと絶対私一人ではフォローしきれないのです。
ただ、最近成長してきたようにも感じていたのと、今日の学習内容ならなんとかなるかなと思ったのとで、レッスンの初めに「今日は○○先生、風邪でお休みだから、協力してね」と言ったところ、2人ともいつになく静かに真面目にやってくれたんですよね。
内心(そんなにできるんやん!)と思いましたが、まあ、こうして協力してくれているわけですから、そこはつっこまずにレッスンの最後に褒めるだけにとどめました。

さて、明日も気持ちよく楽しくレッスンできますように。

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2011年11月16日 (水)

子どもの面白い癖

実は、もう長年、レッスンが終わって掃除をしながら、「ああ、またや…」と思い続けてきたことがあります。
とても些細なことなのですが、なんだか面白いなぁと。

うちの教室は椅子に座布団をつけてあるのですが、その座布団はひもでくくりつけるタイプのもので、左右をしっかり蝶結びにしてあります。
しかし、1日のレッスンが済んで掃除をし始めると、少なくとも2日に1回かそれ以上の頻度で、その蝶結びがほどけてだらんとなっているのです。

初めの頃はなんでほどけるんだろう?と思っていたのですが、どうやらレッスン中、無意識なのか意識的なのかわかりませんが、椅子の後ろに手を伸ばし、ひもを引っ張っている子たちが何人もいるということなのだろうと思います。(その瞬間を目撃したのが実はまだ一度しかありません…。)

レッスン中はじっくり考えているときなど、様子を見ながらそのままにしておくことは少なくありませんので、その間、手は字を書くでもなく手持無沙汰になっていることがあるだろうとは思います。
また、ほどけている椅子は大抵の場合男の子が使っていた椅子なので、やや落ち着きのない子がごそごそするついでに手が椅子の後ろに出て、そのままひもを引っ張って…ということなのかもしれません。

ごく限られた子が癖としてやっているなら、そんなに気にならないようにも思うのですが、この頻度を考えると、どう見ても1人や2人の子ではなさそうです。
ひもがあって、蝶結びになっていたら引っ張ってしまうというのは、子どもにはありがちなのでしょうか?
皆さんは、そんなことお感じになられたことありますか?

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2011年11月15日 (火)

どうしてなんだろう。

恥ずかしながら、私は本当に物知らずの常識なしで、政治にも経済にも地理にも歴史にも疎く、こんなことじゃダメだよなと思うものの、興味の持てないことはなかなか勉強しようという気にもなれず…。
おまけにここ数年はほとんどテレビも見なくなってしまい、新聞もほんのちらっと眺めるだけ。
普段のニュースはインターネットから。新たに増える知識は興味のある分野のみ。
最近物忘れがひどいのは、そんな偏った、興味のあることだけしか知ろうとしていない、そんなことも原因の一つなのかもしれません。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、今日久しぶりにある方とお話をしました。
その方が住んでおられるのは、今もまだ放射能汚染の不安が消えない地域です。
震災から長い長い月日が過ぎたというのに、原発の問題はまだ解決しておらず、不安な日々を過ごしておられる。
でも、時が経つにつれ、だんだん報道も少なくなり、特に私のようにテレビも見ない人間は、もうそろそろ収束したのかなぐらいに思ってしまっていました。
そんな自分がなんとも申し訳なく、複雑な気持ちになりながら、ひとしきりお話をし、何にもできない自分が情けなくなり…。

ただ、ぼんやりと思うのは、どうして人間は原子力発電を利用し始めてしまったのだろうということ。
もちろん、事故の危険の確率論みたいなことと経済性、環境への影響など色々な意見は目にしました。メリットもデメリットもあり、「事故さえ起きなければ」多くのメリットがあるということもおおよそはわかりました。

でも、使用済み核燃料など、放射性廃棄物を安全に処理する方法は見つからないままに世界の色々な国で原子力発電が利用され始めたのはなぜなのでしょう?
放射能がとても危険だということは分かっていたはずですから、危険なものをどう処理するか決まらないまま、どうして見切り発車のように稼働し始めたのでしょう?

解毒方法がわからないのに毒を飲むなんてこと、死ぬ気じゃなければしないはず。
それなのに、どうしてとりあえずどこかに埋めて…とか、よその国に引き取ってもらって…とか、そんな処理方法しかない段階で原発は使われ始めたのでしょう?

もちろん、きっと複雑な色々な事情があるんだろうとは思います。
でも、人の命、それも多くの人の命にかかわることであるはずなのに。そう思うと、やはり、どうしてなんだろうと思わずにはいられません。

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2011年11月14日 (月)

ちょっと考えさせられた

いいカッコしてもしょうがないので、私のぐーたらっぷり、無精っぷりはこれまでにもさんざんブログで告白(?)してきましたが、今日、N○Kでサッカー日本代表の本田選手のドキュメンタリーがあり、それを見ていて感じたことがあります。

まず、とても驚いたのが、今では日本代表には欠かせない存在となっている本田選手も、中学生の頃は足も遅く、全然ぱっとした選手ではなかったということ。
チームメイト達とグラウンドを走っていても、いつもビリだったというほどの足の遅さで、ガンバのユースチームでも上のチームに上がることが叶わず、高校から大阪を離れサッカーの名門校へ進んだと。

その高校でサッカーの練習はもちろんのこと、陸上部の友人に走り方を教わり、早朝練習の更に前に毎朝ランニングを続けたというエピソードなども紹介されていました。
そんな地道な努力の積み重ねが今につながっているのかと思うと、ちょっと感動してしまいました。

日本代表に選ばれるような選手の多くは小さい頃から既に頭角を現して…という感じだと思うのですが(もちろん、そうでない人もいるでしょうけど)、昔のチームメイトにすごい選手になんてなれないと思っていたと言われるぐらいのところから、努力を重ねてそこまで昇り、更にまだまだ高みを目指していることが、本当に素晴らしいなと。

長友選手でもそうですが、本田選手も、目標が「世界一」。長友選手は「世界一のサイドバック」ですが、本田選手は「世界一のサッカー選手」と、更に高い目標を掲げている。
その高い、不可能にも思えるような目標を大真面目に掲げ、そこに到達できるかどうかはわからなくても、ひたすらにそこを目指して努力しているんだなと。

そして、何より感じたのは、その高い目標を掲げ、いつかそれを達成してやるという強い気持ちを持っているからこそ、何度挫折しても、何度壁にぶつかっても、立ち上がって前進していけるんだろうなと。

私なんて、特に目標らしい目標もなく、日々漫然と過ごしてしまっているわけで、何か大きな目標があれば、きっともっと真剣に努力するんだろうなと、ちょっとそんなことを考えました。

今日の番組の中で何度も「信じる力」という言葉を使っていましたが、周囲の人間はもしかしたらバカにするかもしれないような大きな目標を堂々と語り、それを実現させるべく努力する。自分だけは必ずそれが実現できると信じることができれば、いつかそれは本当に実現する。そういうことなのかなと。

いきなり大きな目標を持つことはできそうにありませんが、どこを目指したいのか、何を成し遂げたいのか、ちょっと考えてみようと思いました。

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2011年11月13日 (日)

理解する過程

先日から3けた同士の足し算をやり始めた1年生くん。
2けた同士は足し算も引き算も割とスラスラできるようになり、数の感覚もある程度身についている雰囲気でしたが、3けた同士の足し算になると急ブレーキ。見ていてもはっきり分かるぐらい面倒そうです。

もちろん、2けた同士はスムーズにいっても3けた同士になると急にイメージしづらくなるということはほとんどの子に見られることで、別に珍しいことではありませんし、実際、大人でも例えば500と言われて500個の玉やおはじきを思い浮かべるかというとそういうわけではなく、例えばお金などのイメージであったり、経験上量の感覚はなくても計算だけはできたりという感じだろうと思います。

ですから、別に無理はさせないのですが、これまでのレッスンを見てきた限り、この子なら理解できるんじゃないかなと思ったもので、前回かなりぐだぐだな感じで終了し、おうちでも3けた同士の足し算に関してはあまり捗らなかったとの報告を受けた上で、再度考えてみてもらうことにしました。

それぞれの百の位を指さして、「百のところを合わせたらどうなる?」と尋ね、「お隣(十の位)も見て、○百のままか△百になるか(1繰り上がるかどうかということ)わかる?」と、そんなやりとりをしながら、何問か一緒に考えていきました。(考えたのは本人ですが。)

最初は難しそうな表情をしていたのですが、3問、4問とやるうち、「あ!そういうこと?!」と何か気がついたようで、「こっちが10になったら1増えるんや!」と言ったあと、「そう?」と私の顔を見て、「どうかな。次もやってみてくれる?」というと、明らかにそれまでの表情とは変わり、問題に挑んで行くような顔になり、1問、また1問と正解を続けるうち、だんだんと楽しそうな表情に変わっていくのがわかりました。

3けた同士の足し算をほとんど間違わずに上の位から考えられるようになったところで、4けた同士の足し算のプリントを出し、「おんなじようにやってみて」というと、「え?おんなじなん?」と言った後、すっとプリントに向き合い、次々と正解を出していきます。
3けたと4ケタの足し算も、最初にほんのひと言声をかけただけで、あとは見ているだけでしっかりクリア。
解き終える頃にはすっかり自信に満ちた表情になっていました。

子ども達を見ていると、たとえ難しい問題でも、しっかり理解して自信が持てると、楽しそうにやり始めます。
もう1問やってみてとか、やる問題の数を増やしても嫌がることもなく、時には子どもの方から全部やりたがったりもします。

難しくてよくわからないというもやもやの状態や、ぼんやり分かった状態で次へ次へと進むから、子ども達の表情がだんだん曇っていくのではないかという気がします。
少なくとも、教室の子ども達を見ていると、たとえ難しい問題でも、しっかり向き合って、ああちゃんと理解したなという表情を見届けて次へ進んで行けば、算数は楽しいものだと思ったままかなり先まで進んで行けるのではないかと思っています。(もちろん、個人の能力差や好き嫌いもありますから、みんなに言えることではありませんが。)

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2011年11月12日 (土)

すみません

今週も無事終了しました。
今日は仕事の後同級生らとご飯を食べに行ったら、そこまで食べたつもりはなかったのですが、食べ過ぎで苦し過ぎ…。

全てお腹に血液が集中している感じで頭が働かず…。
明日にでもまた書かせて頂きます。
本日はこれにて。

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2011年11月11日 (金)

奇想天外

今日はこれを書かずにはいられまい…。

彼女に会ったことのある方は、ああ、彼女ならあり得る…と思われるかもしれませんが、うちの超個性派中学生の今日の会話。
彼女が痩せてないのに、みんなから痩せたと言われるという話から、お年頃(?)ということもあり、胸は成長しているのだという話へ。
そして、次に彼女の口から出てきたのは

「なあ、体重量ったら、胸の重さも入るんかなぁ?」

は??

一瞬目が点になりつつ、「入るに決まってるやん!」とつっこんだ次の瞬間

「え、そうなん?じゃあ、脳みそ(の重さ)は?」

むぅぅぅ。なんて斬新な発想。
彼女は色々家の手伝いもしているので、「なあ、なんかの材料とか秤で量ったことない?」と尋ねました。
すると「ああ、あるで」と言うので、「それは秤に載せたもの全体の重さやろ?」というと「うん、そうやろなぁ」と。
「ほな、体重計で量っても、体重計に乗ってるもの全体の重さやろ?どうやって胸とか脳みその重さだけのけて量れるねん?」と言ったのですが、最終の彼女の反応は

「ああ、ふ~ん、そうか。脳みそとかは入らんのかと思とった。体の重さ、脂肪の重さとかだけ量れたらええのにな。」

ホント面白過ぎるよ。
受験には体重計の問題出ないと思うからいいけど…。(汗)

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2011年11月10日 (木)

今日は不思議な日

かなり個性派で完全な天才肌(賢いときとそうでないときの落差がかなり激しいという…)の彼は今日のレッスンでほぼ1時間中、とても賢い顔で、前回までわ~わ~ぎゃ~ぎゃ~言って苦労していたより更に難しい問題を、ほぼ全く何の手助けも必要とせずに、落ち着いて次々と解いて行ってくれました。

前回までとのあまりの変化に、お家で特訓でもしたんだろうか?と思ったのですが、いらしてお母さまに伺っても、そんなことはないとのこと。
よくわからないものの、よくできたね、すごかったねと1時間が終了。

そして、別の時間。こちらは高学年の彼。この子は落ち着いて考えれば十分力があるのに、なぜか焦って間違い、それが続くとイライラし始めるという悪循環に陥ることが少なくありません。
しかし、今日は来てくれたときから表情が穏やかで、宿題も殆ど間違いがなく、直しも早々に終わって新しい単元に進み、そこもスラスラできたため、もうひとつの単元にも進みました。

同じ時間の妹ちゃんは、もともと落ち着いているのですが、まだ幼いので、難しかったり疲れてくると、だらっとしたり、明らかに嫌そうにしたりということがあります。
もちろん幼い子なので難しければ無理はしませんし、わかりやすい方法を提示したり、次回以降に回したりするわけですが、今日は何をしてもスイスイとすごいペースで進んでいきます。
レッスンの終盤になってようやく少し疲れたのか、迷路の問題で何度かやり直しはしたものの、予定していた倍近くのことをスラスラと終えてくれました。

普段レッスンをしていると、最初の子たちが調子がいいとその後の子も調子がいいことが多かったり、逆もしかりだったりするのですが、今日は本当に特にその3人はこれまでずっとレッスンしてきた中でも一番よくできたんじゃない?というぐらい、驚くほどよく頭が働いていました。

もちろんすごく嬉しいことですが、なんだったんでしょうね。
今日は不思議な日でした。(もちろん、こんな日はいくらあっても大歓迎ですが。)

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2011年11月 9日 (水)

可哀想だけど・・・

小さい頃からプリント反復学習の教室に行き、その後大手の進学塾に移った3年生の子が少し前から通ってきてくれています。
保護者の方に、掛け持ちだと効果が上がらない可能性があることもお話し、その上週1回1時間とはいえ負担が増えるのはどうなのかということもお話したのですが、とりあえずしばらく通わせてみたいとのお話で、本人も通いたいと言ってくれたので、通ってもらうことになりました。

体験のときにも感じましたし、保護者の方のお話からも、頭のいい子、反応のいい子なのは間違いなさそうです。
しかし、小さい頃から大量反復で学習をし、そのまま進学塾というコースですから、心配もしていました。
そして、多分頭のいい子なのでその程度で済んでいるんだろうなと思うものの、やはり「じっくり考える」ということがなかなか難しそうであるということがレッスンを重ねるたび明らかになってきています。

まあ、彼に限らず、特に男の子の場合、思いつきで適当に答えを言ってみて反応を見るということは珍しいことではありませんから、そういうことをしているうちは当然一切ヒントは与えず、仮に正解を言っていても正解だとも言わず(適当に言っている場合、私の表情を見て、無表情でいたら合っている答えを消して別の答えに書き直してみるなんていうこともしばしばありますので。)、本人が真剣に考え始めるまでその駆け引きを続けます。

上述の彼も、問題を読んだらその次の瞬間には答えを書いているということも珍しくないのですが、違うと言われたらまた別の答え、それでも丸をもらえなかったらまた別の答えと、明らかにろくに考えもせず次々思いつくまま答えを書いている状態になることがしばしばあります。

テストであれば一度しか答えることができないはずなのに、彼は何度書き直してもお構いなし。丸になればそれで次へ行けるという感じです。
それは少なからず、大量反復学習の影響だと思うので、彼が悪いわけではなく、だからこそ可哀想なのですが、ここで彼との根競べをしなければ、ここに来てもらう意味がありません。

今日も、四捨五入の問題を考えてもらうことになり、既に塾で習ったという「四捨五入」ってのはどういうことか説明してもらいました。彼の説明は習った通りなのであろう「4までは捨てて5からは切り上げる」というものでした。
もちろんその通りなのですが、ではなぜ4までを捨てて5からは切り上げるのか、どうしてそう決めたのか聞くとすんなりと答えは出てきません。
あれこれ考えて、どうにかようやく説明がついた後で問題にとりかかってもらったのですが、四捨五入して76000になる一番小さい数と一番大きい数を答えるという問題をやってみてもらったところ(塾で習ったのであれば、当然そんな問題は既習だと思うのですが)、もう見事なまでにめちゃくちゃ。
何度か書き直して一番大きな方は答えに辿り着いたものの、一番小さい数の正解に辿り着くまで10分以上やりとりがあったのではないかと思います。

彼が何か答えを適当に書くたび、「それより1小さかったら76000にならへんのやね?」と尋ねると反射的に「なる」と答え、また別の答えを書くのですが、「自分が書いた答えより1小さくしてももうならへんって確かめてから(ちゃんとした答えを)書いてくれる?」と言っているのに、結局その1問を十数回書き直しました。

多分、これまで勉強でこんなに考えることを求められた経験がほとんどないのでしょう。
そして、何より可哀想なのは、じっくり考えた末に解けたときの快感を味わったことすらないのではないかと思うことです。
本人にもその話はしたのですが、よく考えれば、うちの教室にはほとんどいないというだけで、学校や他の塾などではむしろそれが圧倒的多数なのかもしれません。(私自身も昔はそうだったわけですから…。)

どのぐらいの時間で変化が見えるのか、変化が見えるまで、彼が投げ出さずに通ってくれるのか、掛け持ちで進学塾が一層忙しくなればそれで通えなくなるでしょうから、少しでも早く、何か変化が見え始めるといいのですが…。

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2011年11月 8日 (火)

初めはまどろっこしく見えるとしても。

このところ、高校数学(といっても数学Ⅰのみですが)の予習を随分長らくサボったままで、一緒に勉強している中3女子がじわじわ追いついてきているため、いい加減先に進んでおかないと、私が理解できない可能性もあるし…と、久しぶりに余弦定理の続きをやり始めました。

とりあえず、今使っている数学Ⅰのワークブック15章中12章までは、もちろん全くスラスラとは程遠い状態ながら、どうにか意味を理解しつつ、進んでくることができました。
小さい頃から通ってくれている子ですから、尚更、やり方だけ教えて解けても納得しないはずですし、先取りしているのに、やり方だけ理解してもほとんど何の役にも立たないわけですから、私自身が理解し、必要な場合は説明できる状態でなければならないわけです。

一応彼女には、私が理解できなくなったら高校数学はそれ以上進められないかもしれないけどごめんねと言ってあるのですが、とりあえずこの様子だと数学Ⅰはなんとかなるかなという気が少ししてきました。
ただ、年明けにはさすがに入試対策っぽいこともしていかねばと思いますので、卒業までに数学Ⅰが終われるかどうかというところかと思いますが。

さて、前置きがダラダラと長くなりました。
今日は教室の子どものことというよりは、私自身が身を持って感じることなのですが、この数学Ⅰ、高校のときには多分今の1割も「意味」を理解していなかったなぁと思うのです。

そして、高校時代に習ったことなどほぼ全て忘れ切っている状態で、おまけに物忘れもひどくなり、脳は衰える一方の今になって、少なくともこれまで長年、算数と中学数学にしか触れずにきた訳ですから、高校数学に関しては新たな知識が増えたわけでもなんでもないのに、図を描いたりしながら、公式などは最低限しか使わなくても、ある程度答えに辿り着くことができているのです。(何度も言いますが、全く「スラスラ」ではありませんが…。)

多分、高校時代の私が見たら、「なんでそんな面倒なことしてるの?公式に当てはめたら解けるやん?」とでも言うのではないかと思います。
ただ、そんな勉強の仕方を続けていたから、数学の楽しさのようなものはほとんど感じることができませんでしたし、何も生きた力にはならなかったように思います。

小さな子ども達と、じっくり考えるということを常に意識してレッスンを続け、どうしてだろう?とあれこれ考えることが習慣になった結果、高校で学ぶ二次関数や三角比についても、少なくともあの頃よりは遥かに問題の意味を理解できるようになったと感じるのです。

中3の彼女は、少なくとも算数、数学に関しては、小1のときからずっと、そういう勉強をしてきたわけですから、高校数学をやらせてみても、もちろん応用問題(大学入試問題なども出てきています)で時々ヒントや説明を要することはあるものの、かなりの部分を自力で解いて10章までを終えました。
相変わらず公式などの覚えることは最低限ですし、ちょこちょこ手を動かして図を描いたりしながら、きちんと意味を考えて解き進んでいるのが伝わってきます。

小学生の頃、恐らく一般的な塾やプリント反復形式の教室などに行っていたら、もしかすると計算などはもっと早く上の学年のことまで進んでいたかもしれません。
特に1年目はゆっくりゆっくり時間をかけて、おうちの方からすれば、1回のレッスンで今日はこれだけしかできなかったの?と思われたこともあったのではないかと思います。

彼女の限らず、教室の子達のほとんどが、じっくり考えることに慣れるまで、それが当たり前になるまでは、もしかすると一般的なペースより遅いぐらいのペースで進むこともあります。
大人の方が見ておられたら、そんなのやり方教えたらすぐ解けるのに…と思われるようなことも多々あります。

見ようによっては明らかにまどろっこしくて、すごく回り道をしているように見えるだろうとも思います。
ただ、それを積み重ねてゆけば、だんだんと考えるスピードも速くなり、その上、意味を理解しながら進んでいる分、学年が上がって応用問題などが増えるにつれ、どんどん力を発揮していくようになることが少なくないわけです。

実際彼女は(もちろん、彼女はかなりよくできるので、みんなが彼女のようになるとは言いませんが)小さい頃からじっくり考えて学んできた結果、高校数学でさえ、ほんの僅かな手助けだけでしっかり進んで行くことができているわけです。
そして、それは彼女の場合だけでなく、数学の問題の意味をろくに考えずに学んできた私がこんな歳になってからでさえ、考えればわかることってたくさんあるんだなと、高校数学に対して感じているわけです。

せめて中学生か高校生のときそれに気付いていたら、理系数学にも挫折せず理系に進むこともできたかもしれません。(もちろん、そんな仮定はしてもムダなのですが。)

小さいうちに徹底的にじっくり、ゆっくり、本当に本人が理解して進むということを心がけていくことが、たとえそれがどんなにまどろっこしく見えても、結果的にとても大きなアドバンテージになるのだと、改めて強く感じます。

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2011年11月 7日 (月)

久々の大量買い

ここ何ヶ月か、大人向けの本だけでなく、子ども向けの本も本棚がいっぱいで増やしてあげられずにいました。
実際のところ、子ども達が借りて帰っている本が全て戻ってきたら、既に本棚に収まりきらないところまで至っていましたし、それもあって、どうにかしたいなぁと思って数ヶ月経ってしまいました。

ですが、先日本棚を新調し、多少余裕ができたのと、大人向けの本は今回見直してみて、手放そうかなと思うものも多少あったのとで、今日は書店で久しぶりにゆっくり児童書関係を物色しました。

大人向けの本はネット書店でもある程度頼めるのですが、児童書はやはり書店でじかに見た方がわかりやすいのと、大型書店でないとあまりたくさん置いていないのとで、どうしても後回しになりがちなのです。
そして、以前は低学年が中心だった教室も高学年の子達がある程度通い続けてくれるようになり、幼児や低学年向けの本は結構あるのに、本を読むのが好きな高学年の子達にはかなりさびしい選択肢しかないのも気になっていました。

というわけで、今回は子ども向けの文庫本を6冊、その他にも6冊の12冊をピックアップ。
大人向けの本も5冊買ったので、すごい荷物になりました。(汗)

さすがに今日はこのぐらいにしておこうと引きあげてきましたが、さて、子ども達の反応やいかに。
子ども達って、みんながみんなとは言いませんが、新しいものによく気付くんですよね。
小さなことでいえば、新しい種類の飴が入っていると、明らかに嫌いな味のものでなければとりあえずそれを取ってみますし、新しい本が入っているのにすぐ気付く子も何人もいます。
明日からの1週間、どのぐらいの子達が気付いて、12冊中何冊が借りられていくか、ちょっと楽しみです。

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2011年11月 6日 (日)

今更ながら…。(休日の話題)

この数ヶ月、相変わらず高校の同級生達と盛り上がりを見せているFacebookですが、同級生の中に数人、かなりのアニメ好き、マンガ好きがいて、まあ、お子さんがいるとかの加減もあるのでしょうけど、先日一部の子達が好きなマンガは何かということでコメントをあれこれ書き込んでいました。

で、その中に、かなり話題になり、映画化もされた(私はマンガも映画も見ていないのですが…)「のだめカン○ービレ」が面白いと書いた子が。
すると、それに賛同、共感するコメントがいくつもつき、そこに迂闊にも「読んだことない」と言ったもので、親切な友人が「貸してあげる」と。別の友人にも「読むべき」と勧められ、断りそびれたため、全25巻をまとめて借りることに。

今日のお昼にランチの約束をして、そのときに受け取ったのですが、ながらくマンガは読んでいませんでしたし、一番最近読んだのは絵は全く好みではないというか、むしろかなりきつかったのですが、ストーリーに興味があって教室に置くことにした「ドラ○ン桜」ぐらい。
今更少女漫画を読んで面白いと思えるんだろうかとやや不安を感じていました。

でも、友人たちがそこまで勧めてくれるんならととりあえず帰宅後1冊読み始めたところ、止まらなくなり、本当は日中買い物に出るつもりだったのに、実家に行くまでひたすら読み続け、実家から帰ってきても更に読み続け、借りたその日のうちに25巻読破してしまいました…。(汗)

以前、たまたま1冊読んだら、あさのあつこさんの「バッテリー」にすっかりはまってしまって、文庫本で買い揃えたのですが、あのときのようなはまりっぷりでした。
音楽の知識は全くというほどないのですが、それでも十分楽しめました。(それに1日費やしてよかったのかどうかは分かりませんが…。)

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2011年11月 5日 (土)

気付いてもらえて嬉しいな~。

整理整頓は決して得意ではありませんし、教室もご存知の通りかなりこじんまりとしていますので、どうも雑然とした感は否めないのですが、それでも一応、棚ひとつ、机ひとつを選ぶにもこだわれる範囲でこだわって揃えてきまして(もちろん、甲斐性の問題もありますから、こだわるにも限りがあるわけですが…)、狭いながらも何をどう配置すれば収まるか、多少なりともすっきりするか、あれこれない知恵を絞っています。

で、先日の本棚の件ですが、なかなか重い腰が上がらなかったのは、もちろん無精者だというのが最大の理由ではあるものの、玄関の限られたスペースでできるだけ圧迫感を感じないよう、更に、今置いてあるものは傘立てにしろ、スリッパラックにしろ、きちんと収まる上に、電気のスイッチだのインターホンの受話器だのブレーカーだのとあらゆる制限を考慮して…と、結構難易度が高かったのです。

おまけに、ホームセンター2軒を覗いても希望に合うようなものは見つからず、ネットでかなりあれこれ検索して、思うようなものが見つからないのに数時間経っていて断念…というようなことも何度か繰り返しました。

ですから、今回、あれこれ悩んだ末に、あ!もしかしてこうすればいいのでは!?とサイズを測り配置を考えて、あ、これならいける!と結構自分では密かに満足していたのです。(多少玄関の圧迫感は増してしまいましたが…。)

でも、それはあくまでもあれこれ知恵を絞って苦労した自分だからこその満足感で、置いてある本棚もろもろを見ても、そこまで気付いてくださる方はいないだろうし、そもそも、そんなことは考えてもいませんでした。

それなのに、今週のあるレッスンで、ひとりの保護者の方がサイズや配置の妙に気付いてくださって、「あ、ホント、これもここまでじゃないとダメなんですね。」「はぁ~~、そうですね、これも…」と、あちこち気付いてしみじみ感心してくださいました。

おまけに、教室にある棚やらなんやら、組立てが必要なものは全て自分で組み立てたと知ると、ひときわ驚いてくださいました。(笑)

大きな家具でもひとりで組み立ててしまえることがいいのかどかは非常に微妙なところではありますが、自分なりにこだわって、知恵を絞ったことにこうして気付いて感心してもらえるのって嬉しいもんだなぁとしみじみ感じました。

そして、面白いなと思うのは、本棚が1つ新しくなったのと本の配置が多少変わった以外は、まだほとんど新しい本は増えていないのですが、配置が変わったというだけで、じっくり本棚の本を眺めている姿が保護者の方も子ども達も、いつもより明らかに多く、小さなことでも何か変わると新鮮に感じるものなのかもしれないなと、そんなことも改めて感じました。

しばらく子ども向けの本はほとんど増やしてあげられていなかったので、明日か明後日に書店に行って児童書をゆっくり見てみようと思っています。

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2011年11月 4日 (金)

変化の兆しか。

昨日今日のレッスンで数人、あれ?これって変化の兆し?と思わせてくれる子達がいました。

それぞれ、数や算数全般について苦手であったり、かなり苦労していたりということでここに来てくれるようになった子達で、これまで、まだ1~3ヶ月程度一緒にレッスンをしてきた子達なのですが、それぞれに、あれ?反応速くなった?とか、あれ?いつの間にそんなにスラスラ答えが出るようになったの?とか、あんなに苦労していた点つなぎがそんなにきれいに書けるようになったんだ!?とか。

ひとりの子はこれまではレッスンをしていても反応が鈍く、目もどこかうつろだったのですが、今回のレッスンでは目に力があり、これまでのその子からすると今日はこんな感じかなぁと予想していたより遥かにスムーズに、量的にもそれなりの量をクリアしていってくれました。

ひとりの子は数に関してしんどい状態だと伺った上で来てもらうようになった子で、これまでのレッスンを通じて、確かに、簡単に数えられる範囲を超えるとかなり時間がかかるようになり、数えているため間違いも少なくないという感じでした。
この子に関しては数(目もりを見て数えたり、数を感じ取るということ)が苦手なのかもしれないと思ったりしているところで、まだもう少しじっくり見ていきたいなという感じなのですが、最初から「じっくり考える」ということはとてもよくできていたので、苦手な面を得意な面で補っていければと思っていました。

しかし、先日から2回ほど一緒に掛け算のレッスンをし、学校でも掛け算が始まったようですが、今回、まだ学校ではやり終えていないし暗唱まではいっていないらしい段の問題でも(教室ではどの子にも暗唱はさせていないので、覚えていないところは足したりのけたりしつつ考えていくしかないはずなのです)、え?もしかして全部覚えた?と思うぐらいの速さで解けるようになっていたりして(覚えたての頃は×1から順に暗唱していく子も少なくないので、×8や×9になると、暗唱で答えを出すにもそれなりの時間がかかったりしますよね。でも、どう考えてもそれより速いぐらいのペースだったのです。)、ホントにびっくり。

まあ、いつも言うように、小さい子達なので、その日のコンディションなどによっても、あれ?今日はどうしたの?と思うような日もありますから、これで一気にぐっと変化してくれるかどうかはわかりません。

ただ、これが小さな変化の兆しだったらいいなぁと思っています。

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2011年11月 3日 (木)

うれしいけどびっくり。

つい先日、高学年の男の子が体験に来てくれました。
男の子にしてはとても落ち着いた、ゆったりした空気を感じさせる子で、ゴソゴソ落ち着かなかったり、人のやっていることがやたらと気になったり、話を聞いてくれなかったりという「男の子にありがち」なタイプと随分違っていて、こちらもゆったりモードで体験レッスンをさせてもらえました。

そのせいもあったのかもしれませんが、その後、お母さまがくださったメールで、彼が面白い感想を言っていたと教えてくださいました。

「教室の空気がよかった」

彼はそんな感想を言ってくれたそうです。
もちろん、うちの教室に空気清浄機を入れてるとか、アロマをたいているとか、そういうことはありませんので、感覚的なものなのだと思いますが、まさか小学生の男の子がそんな感想を持つとは思ってもみなかったので、まずはびっくりしました。
でも、それは私にとってとてもとても嬉しい褒め言葉でもあります。

本当にちっちゃな教室で、もので溢れかえりそうになっているので、居心地が悪いとか、狭苦しいとか思われても仕方がないのです。
それでも時々、なんか落ち着くとか、言葉にはしなくてもレッスン後なかなか帰ろうとしなかったりとか、そういうことがあると、なんだか嬉しいなぁと思っていました。

今回、そんな風に言葉にしてもらえたこと、とても幸せです。
ただまぁ、次にレッスンに来てくれたとき、前の時間の子達に「超コワイ」モードの私だったのをしっかりと目撃されましたから、彼の感想は早々に塗り替えられているかもしれませんが。(汗)

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2011年11月 2日 (水)

また新たな発見

昨日、1年生の子とレッスンをしていたときのこと、多分その子にとっては初めて見るであろう「線分図」の問題で、線分全体がいくつ、右側がいくつなら左側は?というような感じの図(分かって頂けますかね?)で□を埋めていくような問題が出てきました。

これまで1年生の子とそれをやるときは、線に数が書かれていてもほとんどの子がすんなりとは意味がわからないので、その図に描かれた分のドットを並べて見せ、それを使いながら1問、2問を一緒にやってみると、ほとんどの場合はその図をどう見ればいいか理解してくれて、そこからはひとりで解いていってくれるという感じになります。

中にはそれでもなかなか意味がピンとこない様子の子もいて、その場合は一旦保留にして、また別の日にやってみるなどもして、結果的にこれまでどの子もちゃんとクリアしていってくれました。

さて、昨日の子。
初めは全体が12で左側が6という問題。ドットを見て、右側が6であることは理解できました。
次も、ドットを並べて見せ、考えてもらうとなんとかできました。
3問、4問と進んだとき、線分図の数が多少複雑になって混乱したようだったので、一旦頭をスッキリさせようと、プリントの別の問題を先にやってもらうことにしました。

それは全体が18で右側が8。ほんの今まで苦戦していたというのに、見た瞬間に「10」と書き入れました。
そこで、もう1問、全体が19で右側が12というものを考えてもらおうとしたのですが、全くちんぷんかんぷんの様子。
更にもう1問、右と左の数が1けた同士になるものをやってもらうと、やはりそれはぱっと答えが。

ということは、十を超えた数と1桁の数に分かれる場合に何か小難しく感じているということなのかな?と。(因みに、この子は既に100までの足し算、引き算をやっている子なので、20までの数の足す引くは十分できるようになっています。)

別の紙に線を引き、全体を19と書いて、右を9と書いた後、左を尋ねると「10!」と即答。
同じく19を書いて、右を10と書いた後、左を尋ねると「9!」とやはり即答。
そこで同じようにして右を11と書いた途端、無言。

やはりそこだということはわかったのですが、どうしてそこで急激にここまでハードルが上がってしまうのかは今ひとつ分からず…。

イメージができていないのかと思い、「クラスのお友達が19人一列に並んでるんよ。男の子が12人並んでたら女の子は何人並んでるの?」と尋ねると、頭で想像しようとしているのはわかったのですが、結局答えには辿り着かず。

19個の○を描いて見せて、19人並んでるうち12人が男の子だったら女の子は?と尋ねると、その図を○をじっと見つめながら(数えていたのだと思いますが)、それでもやや自信なさげに「7人?」と。
「そうよ。そういうことなんやけど。」と言ったものの、「ああ!」という反応は返ってこず。

時間も結構終盤近かったので、単に頭を使い過ぎておかしくなっているという可能性もあるなと、今日のところはそこでそのプリントは預かりました。

しかし、100までの計算を考えられるようになっており、20までの数はかなりすんなり足したり引いたりできるようになっていたのに、19を12と7に分けるのはこんなにも難しいことなんだなと今日は改めて発見。
次回のレッスンでその子の反応がどうなるか、気をつけて見ておきたいと思います。

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2011年11月 1日 (火)

今日から11月。

早いですね。今年ももう残すところ2ヶ月となってしまいました。

今日は来る子達が新しい本棚に気付くか、なんというか、ちょっと気になりつつ、まずは自分が教室に入るときに玄関を狭く感じないかどうか、ちょっとドキドキしながらドアを開けました。

多少の圧迫感はあるものの、さほど狭さを感じなかったので、とりあえず大丈夫かなと思い、子ども達の到着を待っていました。

結果。1つ目のレッスンの子達は何も言わず。(気付いたのかどうかは不明。)
2つ目のレッスンの子はひとりの男の子が本を返そうとして「あ、本棚、場所変わった」と。
そして、お迎えにいらした保護者の方がキョロキョロされていたのでお声をかけると、「そうですよね、変わりましたよね」と。
その後も気付いた子もいましたが、何も言わなかった子も。

ということは、とりあえず玄関から入ってくる際に、玄関狭くなったなぁとかいう感覚はなかったということなのかなと。
それならよかったのですが。

最後のレッスンの中3生が帰るときに気付き、「なんか図書館みたいになってる」とよくわからない感想を述べたのが、もう少しどういう意味か尋ねるんだった…と今頃後悔。(笑)

さて、明日の子達はどんな反応を見せるでしょう。

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