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2011年7月31日 (日)

引っ越し効果続かず…。

4月末に引越し、それまであまりにもぐだぐだだらだらだったのが、少し改善されたように思っていました。
しかし、まあ、部屋の散らかり具合に関してはそう悪化していないというか、比較的維持しているものの、私の休日および帰宅後の生活は、半計画的寝落ちがなくなったこと以外は結局ほぼ元に戻ってしまいました…。

幸か不幸か夏休み中は普段より少し早い時間からレッスンがある日が少なからずあるので、これを機に再びもう少ししゃきしゃきした暮らしをしたいものだと思います。

今日は完全オフだったので、ちょっとどうでもいいオフの話題。
保護者の方でしておられる方はほとんどおられないかもしれませんが、ツイッターをしていますと、それ向けの「診断メーカー」というのがあって、まあ、かなりくだらないとか、くすっと笑えるとかの、さまざまなお遊びの診断ができます。

で、今日見つけた「あなたの三つの悪いところったー 」。
診断には本名を入れてもツイッターのハンドルを入れても、何を入れても構いませんし、診断結果もその都度違うみたいなのですが、今日私がやった結果がこれ……。

悪いところ 「 自 分 勝 手 す ぎ 」「 だ ら だ ら し す ぎ 」「 何 事 も 考 え す ぎ 」

……。
なんか見られた?特に2つ目……。(汗)

この診断メーカー、時々痛いところをつかれるもので、どきっとします。

さて、明日から8月。
明日もレッスンはお休みですが、ちょっと出勤して仕事する予定です。

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2011年7月30日 (土)

なんとか今週は終了。

今週は火曜以降、通常の1.5倍ぐらいの忙しさ、いや、もしかするとほぼ倍ぐらいの忙しさだったかもしれません。
夏休みに入って予定変更が相次ぎ、調整したかと思えばまたご連絡が…という状態で、結局週末にようやくほぼご連絡も一区切りついたのかな?という感じです。

ご連絡をお待たせしたままの方には明日以降ご連絡を差し上げる予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

それにしても、もう7月も終わってしまいますね。
明後日からは8月。
長い長いと思っていても、きっとあっという間に夏休みは過ぎていくのでしょう。
この1週間でもかなりハードでしたので、まずは10日まで健康管理に気をつけて、しっかり乗り切りたいと思います。

教室は11日から15日までがお休みになります。
後は月末28日から31日も通常レッスンはお休みの予定です。

今日は人数は少なめだったものの、色々予定変更があって、10時20分から17時45分ごろまで休憩5分(お昼ご飯の時間)というなかなかハードなレッスンになってしまいまして、手短な更新で失礼します。

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2011年7月29日 (金)

覚書の代わりに

今日のレッスンでのこと。
私も小数同士の掛け算や割り算は面倒で基本的に「キライ」なので(特に中学以降は小数より分数が中心になるので尚更、小数でやらんでもいいやん…という気持ちになりますし…。)、子ども達がそれを嫌がっても大いに共感はできます。

なので、ワークブックびっしりと計算問題があっても、私もそんなにやりたくないし…と、何問かピックアップして、それを間違えずに解けばほかはやらなくてもいいよなんてこともします。

で、今日のあるレッスンで普段も結構問題の好き嫌いがはっきりしている女の子が小数の割り算をもうほんと~~~~にのらりくらりと、1問解きかけでも「はぁ~、やる気にならへん…」という感じで、問題数を減らしているにも関わらず、恐ろしくのろのろだらだら…。

やり方がわかっていないわけではなさそうだったので、ある程度のところで一旦気分を変えさせる方がいいかなと、平行四辺形の面積の単元に進みました。

ほんのさっきまでのらりくらり、「眠くなってきた」だの、「あ~、やる気でえへん」だの言っていたのに、図形が好きな彼女はいきなりスイスイ問題を解き始めました。

そして、その問題の中にも小数をかけたり小数で割ったりしなければならない問題が混ざっていたのですが、ひと言もぶーたれることなく、スラスラと問題を片付けていきました。
そして、私が言う前に本人が

「こういう問題やったら小数の計算でもいやじゃなくってできるのに。」

と。

確かにそうなのです。小数の計算が何問か出てきていたのに、その間一切彼女は文句を言いませんでしたし、きちんと正解していました。

私もどちらかとういとそういう子どもだった気がしますが、ずらりと単純計算ばかりが並んでいるのを見ても、全然興味をそそられないというか、何にも楽しさを感じられないというか、そういう子は一定割合いるんだろうと思います。

彼女はこうも言っていました。

「だって、計算ばっかりしてもなんにも面白くないやん。それ計算して何かになるんやったら楽しいけど。」

彼女が言いたいのは、恐らく、計算することで面積が求められるとか、長さが求められるとか、自分が何を求めるために計算をしているのかそれがはっきりしているなら楽しく感じられるということなのだと思います。
そして、それは私も同じ気持ちです。

小数計算は、できればそれが単純計算だろうと、文章題を解くために必要な計算だろうと、「できる」ということでは同じなのではないかと。
もちろん、単純計算だと一切やる気にならないというのは学校などでは色々不都合が出てくるかもしれませんが、最低限のことは我慢してやれるのであれば、単純計算が嫌な子に小数などの計算をさせたければ、文章題の中にそういう数を入れていけばいいのかもしれないなと、そうすればもっとイメージできる子たちも増えるかもしれないなと、今日のレッスンでそんなことを思いました。

最近は何でもすぐ忘れてしまうので、自分の覚書の代わりに書かせて頂きました。

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2011年7月28日 (木)

今日の出来事

今日のあるレッスンでのこと。
結構算数のセンスを感じる、4年生の男の子とレッスンをしていたのですが、彼とは数ヶ月前に分数についての学習を終え、その際には折り紙を折って切ったり、分度器で角度を測って円を分けたり、図に色を塗ったりと色々なことをして、分数を体感し、その後いくつかの単元の学習を経て、分数の割り算が出てきました。

普段のその子の様子からすると、この程度ならすぐ答えてくれるだろうと、「3分の1÷2」の答えを尋ねてみました。
しかし、意外なことに全くちんぷんかんぷんのことを言うので、円を描いて4分の1に分け、その1つに色を塗ってから、「これを2で割ったらどうなるん?」と尋ねると、その図の半分に線を引きました。

何度も繰り返しになりますが、「普段のその子」なら、その図を見れば当然、それが円の8分の1になっていることにすぐ気付くだろうと思っていたのに、なぜか答えは更に混迷を極めました…。

初めは「2分の1!」と答えたので、それはまあ、4分の1を「半分にした」ということで言っているのだろうと思い、再度問い直したのですが、挙句2分の2だの5分の2だのと、ますます訳がわからなくなっていくではありませんか。

一体どうしたんだ?何か変なスイッチが入っているのか??と思いながら、どう考えても「5分の2」ではないということを目で見てわからせようと、別の円を描いて「これ5分の1に分けて」と言いました。

すると!!!!!

何を思ったか、円に対して横向きに線を4本引いて5つに切り分けるではありませんか!

(えええええええええ!!なんで!?以前やったときスラスラやってたやん????)

心の中で叫びつつ、「分数ってそんな分け方してよかったん?みんな同じ大きさに分けなあかんかったん違うん?」と言っても反応が鈍い。
とても大事なところでもあるので、本当にわからなくなっているのであれば、分数の最初に戻ってやり直さねばならないかも…と思いつつ、もしかしたら何かおかしくなっているだけかもしれないので(普段できることが突然すぽっとどこかにはまりこんで一時的にできなくなるという子どもは結構多いので)、一旦そのプリントを保留にしてほかの学習をしました。

それは比較的順調に進み、今日のレッスンも終盤に近づいたので、調子も戻ったようだしと、もう一度だけ4分の1を半分に切った絵を見せて、それが何分のいくつなのか尋ねてみました。
しかし、やはり反応は鈍いまま…。分数の大きさ自体がわからなくなっているのか?ということが気になったので、2分の1から順に描いてみてもらおうとしたところ、2分の1はすんなり描いたものの、3分の1でまた変な切り方をしようとする。その瞬間私が

「なあ、ケーキとかピザとかそんな切り方するか?そんな風に切ったん見たことある?」

と、半ばヤケになってつっこんだ瞬間、彼の表情が「へ?」という表情に変わり、次の瞬間彼の口から出た言葉は

「え?ケーキとかピザとかみたいに切ればいいん?それやったら…」

と、すいすい3分の1も5分の1も切っていくではありませんか!
しかし、3分の1を3つに分けてと言ったところ、またしても、非常に器用な(あんな分け方を見たのは初めてでしたが)3分の1の大きさのおうぎ形を三角形を重心で三等分するような(わかって頂けますかね?)切り方にするではありませんか!

ええええええええ??????

「だから、ピザとかそんな風に切るん?そんな切り方見たことないわ。」

もう一度言うと、「え?ピザみたいでいいん?」と再び…。

その後は一切おかしなことをするもなく図を描くことができ、最初に完全に止まってしまった問題も最終的には解き終えることができました。

多分「方式」と言いたかったのだと思いますが、レッスンが終わったとき、「よし、分数はピザ方程式でやればいいんやな!」と彼。(笑)

折り紙やらで実感して理解していると思っていたのですが、彼にとっては具象と抽象のつなぎ目がまだしっかりつながっていない状態だったのでしょうね。
新しい発見でした。

これまで、子どもによっては数字だと解けないのにそれをお金に置き換えるとスラスラ解いてしまうような子もいましたし、子どもによってイメージしやすいものとしづらいものがあるということなのですね。

今日の彼のお蔭でまた一つ経験が増えました。感謝感謝。
それにしても、あの反応は本当に面白かったな~。

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2011年7月27日 (水)

今日は暑かったですね。

まあ、夏なので暑いのは当然なのでしょうけれど、夏休みに入り、ここ数日また夏らしい暑さになっていますね。
教室にくる子ども達もプールがあったり、お休みになってお出かけしていたりで、日増しに黒さが際立ってきています。

もちろん、暑さや遊び疲れなどで眠そうな子もいるにはいますが、やはり学校がお休みになるとみんな疲れていないんだなと感じることが多いように感じます。
むしろ、今週に入り8月前半からお盆にかけてのお休みの振替などのために連日通常より2コマとかレッスンが増えていることもあって、私の方が体力がもつかどうか…。

幸いこの2日は無事乗り切れましたが、今週はまだあと3日。
なるべく早寝を心がけようとしているのですが、普段夜更かし癖がついているため、お布団に入ってもすぐには寝られず…。

そういえば、今日のレッスン中、2年生の子達が歳を尋ねてきたので、例によって「80歳」とか「10歳」とか適当に言ってみたところ、それが嘘だということはわかるようなのですが、なぜか「41歳?」と尋ねてきたあとに、「23歳?」と…。

う~ん、まあ、そう言えば自分が小学生の頃、確か6年ぐらいでも大人の年齢ってイマイチよくわからなかった気がするなぁと思いますが、41歳と23歳じゃほぼ親子ぐらいの開きがあるわけで…。(苦笑)

結局真実は明かさぬままでしたが、独立前に勤めていた塾で受け持っていた中学生たちも結局全然私の年齢はわかっていませんでしたね、そういえば。
あまりにもしつこく聞いてくる子たちが何人もいたので、受験が終わって聞きに来たら教えてあげると適当なことを言ったら、何人か本当に聞きにきて、めちゃくちゃびっくりされました、そのとき。(笑)

実際の年齢を知ったら、もっと年齢にふさわしい格好をしろと注意を受けそうなので、とりあえず今後も内緒の方向で…。

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2011年7月26日 (火)

いきなりなかなかハードな1日でした

夏休みのスケジュール、ようやく決まりかけては変更のご希望を頂いてが続き、今日をもってもまだ若干確定できなかったところがあるのですが、とりあえず、9割強は決まったかなというところ。

来週やお盆前にお休みされる方が多いこともあり、今週は特に振替に頭をひねり、結局どうにもならずに今日は12時から19時半までほぼ休憩なしでレッスンとなりました。

週明けだったのでレッスン自体は体力は持ったものの、その後もまだ調整やご連絡、明日の準備などがあり、結局あっという間に23時前…。
今日もまたお電話差し上げられなかった方がおられ、反省しております…。

最近物忘れが激しいのと、口頭だと聞き違いや控え忘れなどが出るかもという不安もあって、メールアドレスを伺っている方は日程連絡を主にメールでさせて頂いています。
電話の方が早いのでは?と思ったりもしますが、通常との変更があまりにも多いとどなたになんて言ったっけ?となってしまう危険がかなりあるもので、まどろっこしいかもしれませんが、メール中心でご連絡をさせて頂いています。
申し訳ありません。

帰宅して食事をしたらあっという間に1時前。(実は既に日付は変わっています…。)
明日も結構濃い1日になりそうですので、今日は早目に休もうと思います。

ここ数日まともにブログが書けておらず申し訳ありません。
今週を過ぎたら少し落ち着くはずなのですが…。(多分。)

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2011年7月25日 (月)

ようやく大詰めですが…。

今日こそ完了させようと思ったのですが、手をつけ始めたのが遅かったので、ご連絡差し上げているうちにお電話するには遅いという時間帯になってしまい、メールアドレスを伺っている方はメールでご連絡を差し上げたりもしていますが、お返事待ちの方が何方か。

そのお返事を頂かないとご連絡が差し上げられない方もおられるため、今日のところは9割がたというところまでになってしまいました。

夏休みですから例年ある程度覚悟はしているのですが、今回はアンケートにご記入頂いていた以外にここ数日内にパタパタと変更のご依頼が入ったりして、これで決まったかと思ったところを再び調整ということが続いています。

イレギュラーでレッスンをお受けする予定の方でご連絡を差し上げねばならない方にまだご連絡が差し上げられず、本当に申し訳ありません。

しかし、どうしたことか、今週は明日6コマ、木曜5コマと、いきなり少し長丁場になります。
これを機にちょっと真剣に生活サイクルを改善したいと思います。結果やいかに…。

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2011年7月24日 (日)

7月もあと1週間ほどになりましたね。

ホントに早いですね…。
自分がなんでもぐずぐずしてしまうので余計そう感じるのでしょうけど、あっという間に7月も下旬。子ども達は夏休みがスタートしてしまいましたね。

仕事もしなければならないのですが、今日はちらっとテレビで世界水泳を見ていました。
つい先日までなでしこで盛り上がっていて、お次は世界水泳かぁと思ったのですが、第一線で活動を再開された北島選手が決勝進出を決めた姿を見ながら、なでしこにしろ、北島選手にしろ、第一線で真剣にやっている人たちの顔は本当に美しいなぁと思いました。

ただ、例えばサッカーなら、1試合90分あるわけですが、水泳のメダルはほんの数分、短いものであれば1分ほどの間に結果が決まってしまうんですよね。
それを思ったら、陸上競技の短距離などであれば数秒で決まってしまう。
でも、選手たちはその一瞬のために日々想像も及ばないほどの努力をしておられたりするんですよね。

それを考えたら、本当にすごいなぁと。

もちろん、一流のスポーツ選手と比べること自体おこがましいわけですが、明日がある、まだ時間があると、何でも先に先に延ばしてしまう自分を反省しました。(まあ、反省してもそう簡単に変わらないところが最大の問題ですが…。)

明日で7月は残り1週間。
ああ、今月もダメダメだったなぁと思わないでいいよう、少しはがんばらねば。

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2011年7月23日 (土)

再び申し訳ありません。

今日こそは来週以降の夏休みのレッスンの予定を決めるつもりだったのですが、どこかが変更になるとほかの方のご都合も伺わねばならなくなったり、もたもた調整していてご連絡が遅くなってしまったため、既に予定を入れてしまわれた方がおられたりで、今日もまだお返事待ちの方が何方がおられ、決めきれませんでした。

予定が決まり次第ご連絡を差し上げることになっている皆さまにも本当に申し訳なく思っております。
夏休みに入った上に土日なもので、明日中にお返事を頂けるかどうかもやや微妙でして、また、休日にご連絡を差し上げるのも躊躇われますもので、大変恐縮ですが、まだご連絡を差し上げられていない皆さまには週明け月曜には極力ご連絡を差し上げたいと思っております。

週明け、火曜、水曜のレッスンのレッスン予定の皆さまにはひとまずご連絡が完了しているかと思いますが、よろしくご確認くださいませ。

今の様子ですと、夏休み中は普段よりレッスン数が増えそうなため、日、月はできればレッスンをお受けせずに休息と事務仕事の日とさせて頂きたいと思っております。(気持ちはいつまでも若いつもりでも、残念ながら体力の低下は否めず、暑い夏を無事乗り切るためにもご理解頂けましたら幸いです。もちろん、日、月は一切お受けしないということではございませんので、それ以外の曜日でどうしても都合が合わない場合などはご相談ください。)

2日続けて事務的な内容で恐縮ですが、今日はこれにて。

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2011年7月22日 (金)

申し訳ありません。

ぐずぐずしていた自分がいけないのですが、夏休みのレッスン予定がまだ詰め切れず、今日もレッスン後ない知恵を絞りつつ、何件かご連絡を入れさせて頂いたりしていたら、あっという間に23時前になっていまして、土曜は朝から長丁場のレッスンのため、途中で切り上げて帰ってきました。

ひとまず週明け火曜、水曜の皆さんまではご連絡を差し上げた状態だと思うのですが、連絡を差し上げなければならないのに、まだご連絡差し上げられていない方にはなるべく明日、ご連絡を入れさせて頂くように致します。

通常通りのレッスンをご希望頂いた方は、欠席振替などのご希望がない場合はご連絡を差し上げておりませんので、何とぞご容赦ください。

今日はこれにて…。

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2011年7月21日 (木)

小数の利用の問題で

子ども達とレッスンをしていると、ほとんどの子が掛け算をすれば答えは大きくなると思っており、同様に割り算をすれば答えが小さくなると思っています。

もちろんそれは整数の範囲では正しいことで、まずはそれを理解していることを評価していいと思うのですが、だからこそ余計に、小数倍や分数倍、小数や分数での割り算というものがイメージしづらくなるのだろうとも思います。
特に「小数倍」の『倍』という響きが、数が大きくなると思わせるように感じます。

今日、通ってくれるようになってまだ1年足らずの5年生の子が小数の問題を考えていました。
公園があり、公園の0.75倍が池であるという問題の答えで、池が公園より広くなっていました。
もう一度問題に戻らせて、公園と池はどちらが広いか尋ねたところ、最初は反応が鈍く、もしかしてわかっていないのかな?と、適当に長方形を描いて、「公園がこの広さだったら、その0.75倍ってどのぐらい?」と尋ねてみました。

それでもやはり反応が鈍かったので、「0.5倍は?」と尋ねると、それにはすぐに長方形の半分あたりを区切るしぐさをしてみせました。

「そうやんね?それが0.5倍やったら、0.75倍もわかるやんね?じゃあ、その答えおかしくない?」

そういうと、今度は正しい式を書いて答えを導いてくれました。

この子に限らず、小数や分数の場合、掛けるのか割るのかに迷う子は少なくありません。
それはやはりイメージがしづらいからだろうと思います。

もちろん、イメージできなくても、1未満の数を掛ければ答えはもとの数より小さくなるし、割れば大きくなるということは覚えて使うことはできます。
実際のところ、少なくない小学生、中学生たちがそうしているのだろうとも思います。

以前にも書いたかもしれませんが、例えば、0.3mの針金の重さが45gであれば、1mの重さは…というような場合、45÷0.3をすれば「1あたり」の答えが出てくるということは理解はできたとしても、イメージするのは難しいのではないでしょうか。

教室の子ども達を見ていても、例えば、0.3mにあたる線分を描いて、1mはどうすれば求められるかなと自分なりに考える場合、ほとんどの子がまず3で割って、それを10倍します。
0.1mの重さを出して、それを10個集めれば1mの重さになるというのは、図を見てもイメージしやすいわけです。

また、場合によっては、0.3mが45gなら3mは何gか尋ねてみることもあります。
3mは450gと答えられれば、それを3で割ればいいということにはすぐ気付くようです。

分数倍や分数の割り算で解くような問題も、図を描いて考える子達はほとんどが割ってから掛けるとか掛けてから割るとか、いきなり分数を掛けたり割ったりするのではなく、整数で2段階の計算をします。

イメージしながら考える場合、自然とそういう考えになるんだろうと思います。

もちろん、指導する側の考え方は色々だと思いますし、子どもによってはどうしてもイメージができないというような子もいるでしょうから、そういう場合はテクニックとして覚えて使うというのも一つの方法だろうとは思いますが、その計算をしたら何が求められているのかピンとこないままに答えだけが出せるというのは、長い目で見てあまり役には立たないのではないだろうかと私は思っています。

子どもが間違った場合、直接的に「これは掛け算でしょ!」などのように直接的に言ってしまうと、その子の力にはなりません。
また「1より小さい数を掛けたら小さくなるんでしょ?」のように、先のよりは多少は遠まわしになってはいるものの、何をすればよいか言ってしまうアドバイスもやはりあまりよいとは言えないだろうと思います。

文章題などで明らかに間違った答えを書いている場合、図示できるものは図示をして、答えがそれに対してどのぐらいになるのかを尋ねてみるなど、子どもが考えられているのか、問題を正しく理解しているのかを確認することから始めるのがよいのではないかと思います。もちろん、これは小数倍の問題に限ったことではありませんが。

イマイチうまくまとまりませんが、今日はこの辺で…。(スミマセン…。)

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2011年7月20日 (水)

伝えたいこと(9)

少し日が空きました。
そして、書きたいこともいくつかの方向に分かれています。(まあ、特に書かせて頂きたかったことはほぼ書かせて頂きましたが。)

今日は、これまでとは少しだけ違った方向で。

もうひと昔ほど前になるでしょうか、「話を聞かない男 地図を読めない女」という本がベストセラーになったかと思います。
その後、「男脳・女脳」という言葉がある程度広く知られるようになり、また、脳科学の研究も進んで、それまでは知られていなかったことも知ることができるようになったりもしました。

「話を聞かない…」の本を読んだとき、その中に自分の脳がどちら寄りかを判定するテストのようなものがついていたのですが、そのときの私は見事にニュートラルゾーン。
男でもなく女でもなくの位置だったように思います。

あの本を読んだとき、へぇ~と思ったことは色々あったのですが、「男脳」の持ち主は同時に複数のことを行うのが苦手であったり、「女脳」の持ち主は空間認知の能力が弱かったり(だから、地図は進行方向に向きを変えないとうまく見られないとか…)などということが印象に残りました。

実際、私は地図を見るとき、進行方向に向けないと見づらいですし、空間認知の能力もあまり高くない自覚があります。

中学生の頃、立方体の切断の問題で、断面がどんな形になるかがどうにもイメージできず、それは塾講師になってもそう改善されることはありませんでした。
ただ、想像できないものはわからないのだし、私のように想像できない子も少なからずいたので、授業などの際は発泡スチロールなどを実際に切って見せたり、事前に自分で何かを切って確かめたりということをしていました。

展開図の問題も苦手で、組み立てたらどの面がどの位置にくるか、どの辺がどの辺とくっつくかなど、いつも苦労していました。

子ども達が取り組むプリントの中に、立方体の積み木を色々な形に積んだ図を見て、積み木が全部でいくつ使われているかを考える問題が最初の頃に頻繁に出てくるのですが、教室を始める前、事前に全てひと通り解いてみようとしたとき、私自身、全体を見て数を捉えるのは困難で、ひとつひとつ数えていました。

その頃には社会に出てから随分と歳月も経っていましたから、脳の発達という面から考えると、そんな頃からいくら努力しても、そうそう成果は出ないと考えられているだろうと思いますし、私も期待はしていませんでした。

しかし、何度も何度もそんなプリントに取り組み、実際に積み木を積んだりもしていくうちに、いつの間にか初めの頃とは比べ物にならないほど(もちろん、得意な子達にはまだ追いつけませんが)速く数がつかめるようになってきました。
更に、立方体の展開図などの問題も、初めの頃に比べると随分イメージできるようにもなりました。

こんな年齢からやり始めてもこの程度は改善されるんだなということに少し新鮮な驚きを感じながら、教室の子ども達を見ていました。

すると、やはり一般的に男の子に比べて女の子の方がそういう類の問題は苦手とするようではあります。(もちろん、脳のつくりに関係しているようですから、性別とは必ずしも一致するわけではなく、男の子でも空間認知が苦手な子もいますし、女の子でもそういうのが得意な子もいますが。)

ただ、小さい頃からそういうものに慣れ親しんでいるからか、女の子だから極端に弱いというような子にはこれまで出会っていません。
むしろ、恐らくですが、ほとんどの女の子が女の子としては平均以上にできる子が多いのではと感じています。

その昔、まだ塾講師だった頃、ある男性講師が空間図形などを実際に見せるのは意味がないとおっしゃっていました。
また、空間認知系の問題はできる子はできるけど、できない子はできないとどこか諦めてかかっているような先生も少なからずおられました。

自分のことを振り返っても、それが苦手だからといっても、ではどんなことをすればいいかを教えてくださった方はおられませんでしたから、苦手なまま大人になったわけです。

ただ、今はその能力も意識すればある程度まで伸ばすことが可能なのだと考えています。
すっかり大人になってしまった後の自分でさえある程度能力を伸ばすことができたわけですし、教室の子達を見ている限り、小さい頃から意識的に働きかければ、さほど苦手にならずに、場合によってはかなり得意になれるのではと思います。

計算中心の問題に関してはドリルや一般の問題集など、いくらでも簡単に問題を手に入れることができますし、簡単に子どもに与えることもできます。
しかし、空間認知となると、そういうのが好きな子であれば小さい頃にレゴやプラモデルなどでたくさん遊んだりということもあるでしょうけれど、女の子に積極的にそういうもの買い与えるご家庭はそう多くないかもしれませんし、仮に買い与えてもさほど興味を示さないかもしれません。(そういうものが好きな子は多分空間認知もある程度できるのではないかと思いますし。)

そうなると、放っておくと苦手な子は苦手なまま成長し、いざそういう学習に直面したとき、全くイメージできずにお手上げになってしまうということもあり得るだろうと思います。

勉強の多くは、それができないからと言って実生活ではさほど困ることはないかもしれませんが、空間認知に関しては、得意であるに越したことはないような気がします。

何年か前、昔から親しくしている友人が買ったばかりの靴を箱から出して見せてくれた後、それを箱にどう戻したらいいかわからず苦労している姿に驚きました。
彼女は英語などが堪能で大学を出た後外資系の会社などでもバリバリ働いているような人なのです。
でも、どうやら空間把握がすごく苦手だったようで、私が難なく靴を箱に戻すと、尊敬のまなざしで見られました。

また、以前テレビで一定の空間に一定量の荷物を納めさせる実験をしていて、何人かの女性に、どういう順でどこに何を入れればいいかを考えながらものをしまわせていったのですが、真剣にやっておられるようなのに、え?それをそこにってのはあり得ないのでは?というようなところに配置し、納まりきらなくなったり、なんとか入ったと思ったらガラガラと崩れてきたりというような番組を見たことがあります。

ほかにも、スーパーなどで買い物をしたとき、どう考えてもそんな大きな袋でなくてもいいのでは?と思うのに全くサイズの合わない袋を出してくる店員さんも時々おられます。

要するに、それらの能力も空間認知の能力に関連しているはずで、そう考えれば、ある面では難しい計算問題が解けるよりずっと重要な能力なのかもしれません。

そして、その能力はある程度までなら伸ばすことが可能なのではないかと考えています。

小さい頃から先ほど挙げたレゴやプラモデル、積み木などで立体を作って遊ぶであるとか、箱を組み立てたり切り開いてみるであるとか、お豆腐やお野菜などを切るときに意識的に断面を見せてみるとか、そういう経験の場を増やしてあげることで、苦手な子でもある程度イメージできるようになってくるだろうと思います。

一概には言えませんが、数学の先生はそういう能力が高い方である場合が多く、苦労せずにイメージできる方にとっては、「イメージできないことが理解できない」という場合もあろうかと思います。
そうなると、先生の側ももともとできたことについて、できない子がどうすればできるようになるのかは思いつかないということがないとは言えません。
それは先生が悪いわけではなく、自分は当たり前にできたことですから、人に教えるのが難しいとしても不思議なことではないでしょう。

得意な子は苦もなく頭の中で展開図を組み立てたり切り開いたりできるようで、それは見ていて羨ましいなぁと思いますが、そうでない場合、早目にそういう機会を増やしてあげることで苦手意識を持たずに済む場合もあると思います。
特に何か立体を組み立てたりすることにあまり興味がなさそうな子などには、周囲の大人の方が意識して与えてあげるといいかもしれません。(もちろん、興味がなければ与えても取り組まないかもしれませんので、その場合は必要になったとき、具体物を使って何度も実際に目で見て確かめる経験をすると、ある程度までは理解できるようになるのではないかと思います。)

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2011年7月19日 (火)

申し訳ありません。

今日はせねばならないことがありながら、日中はついなでしこの記者会見を見てしまったりして、すべきことが終わらず、そこに台風も来て、電話連絡を入れたりとかも重なり…。

そして今日は中学生のレッスンがあり、終わった後に何件かご連絡を入れねばならないところがあり、あっという間に23時半。
危うく帰宅したら日付が変わるところでした。

なんとか今日中に帰宅はしたものの、今から考えて真面目に記事を書くだけのパワーは残っておらず…。
先日来書いている記事、もう少し書きたいことがあるのですが、今日は形式的な更新でご容赦を。

台風はなぜか今多少風があるかなという程度でなりを潜めていますが、明日はどうなるでしょう。
小学校の子達はもう今日あゆみ(通知表)をもらってきたようですね。
もし明日警報が出なかったら、妙な感じですね。何しに学校に?という感じで。

明日こそはご連絡差し上げねばならない方皆さんへの連絡を終わらせたいと思います。
本日はこれにて。

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2011年7月18日 (月)

今日はこれしかないでしょう。

ライブでご覧になっていた方はどのぐらいおられるかわかりませんが、NHKBSでは今日の間に2回も再放送があったようですし、民放でもハイライトなどで何度も映像が流れていたので、皆さんご存知だと思いますが、今日はこれしかないでしょう。

本当は仮眠をして観戦し、その後もう少し寝て今日は仕事をしようと思っていたのですが、なんだかんだ仮眠をしそびれ、そのまま試合開始。
延長になるわ、終わったら表彰式など続きを見たくて寝られないわ…。

というわけで、今日もろくに仕事になりませんでしたが、史上初のサッカー世界一ですもんね。まあいいかと。

なんというか、本当に神様が味方してくれたというか、あれだけ攻められたのに90分では1-1のドロー。
延長に入ってもアメリカにはもう1点取られただけで、とはいっても、もうさすがに無理なのか?と思った後半終了数分前の澤選手の同点ゴール。
もう奇跡としかいえないような展開で、PKに突入。

本当に本当に素晴らしかったですね。
ネットで見かけただけなのですが、アメリカの女子サッカー人口は300万人とか500万人とかに対して、日本は2万数千人とか3万人とかいうレベルだそうです。
競技人口がアメリカの100分の1。

その他の出場国を見ても、体格的に圧倒的に小さくて、そんな彼女たちが本当にひとつになって優勝を勝ち取ったんだなぁと、試合でも涙、その後のニュースなどを見ても涙。
今日は本当によく泣きました。

それにしても、日本サッカーが世界一になるだなんて、本当にすごい。

以前、アジアカップのかなりカッコイイハイライト動画をUPしてくださった方が、もうなでしこのハイライト動画をUPしてくださっていました。
これまたカッコイイ!

よろしければどうぞご覧ください。
ああ、感涙。

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2011年7月17日 (日)

夏バテ?そんなはずないんだけど…。

今日は明け方にコパアメリカのアルゼンチン戦があったので、寝るのが遅くなったものの4時頃からとりあえず3時間ちょっと仮眠して観戦しようと思っていたのですが、アラームをセットし忘れていたようで、目覚めたら8時過ぎ。でも、後半は全部、そして延長戦も見られたので、ちょうどよかったぐらいで。

終わってもう少し寝ようと。ただ、観戦中からしきりに左目の奥辺りに鈍い鈍痛があり、寝たら治るかなと思ったのですが、お昼前に一度目覚めたときにも全く治まらず、むしろ悪化…。
迷ったのですが、何もする気になれず、気持ち悪くもなってきたので、以前頭痛でお医者に行ったとき、我慢しすぎず薬を飲むように言われたなと薬を飲んで再度横に。

そしたらしっかり寝入っていて、一度目覚めたもののまたそのまま夢の世界へ。
次に目覚めたら18時でした!!!(汗)
こんなに寝たのは何年ぶりというか、十数年ぶりとかいう話かもしれないぐらい久しぶりでした。

幸い目覚めたら目の奥の痛みは治まっていましたが、食欲はなし。
晩に実家に行っても普段の半分も食べられませんでしたが、とりあえず体調は復活傾向。
これまでの人生で「夏バテだ~」と思ったことがないのですが(鈍いだけかもしれませんが)、これは夏バテなんでしょうか?う~ん。

まだ夏は始まったばかり。というか、正確には長い長い夏休みはまだ始まってもいないわけで、体調管理に気をつけねばと思います。

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2011年7月16日 (土)

夏休みまでカウントダウン。

夏休みのレッスンの予定を決めねばならないというのに(といっても、夏期講習などがあるわけではなく、お休みされる方やお時間変更のご希望がある方の調整などをするという感じですが)、結局バタバタと週末になってしまいました。

世の中は今日から多くの方が3連休だったのですね。
週明け火曜には予定をご案内できるよう、日月でホントにがんばって決めねば!(反省)

それにしても、あっという間に7月も折り返しましたね。
あと1週間もしないうちに、子ども達は夏休み。
暑さに負けないよう、私もがんばらねば。

ところで、今日は珍しくスカートをはいていたのですが、中学生の子に「どうしたん?どっか行くん?」とまた言われてしまいました…。
と言っても、上はVネックのTシャツ、下もポンチ素材のカジュアルなスカートに薄手のレギンスを履いてたので、全く「お出かけ着」ではなかったんですけど…。

ジャケットを着たり、スカートをはいたりするだけで、ほぼ確実に「どうしたん?」とか「何かあるん?」とか「どっか行くん?」とか言われてしまう私って…。(苦笑)

明日の朝にはコパアメリカのアルゼンチン戦、明後日の明け方にはなでしこジャパンの決勝。
これを観戦して2日が終わってしまわないよう気をつけます…。

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2011年7月15日 (金)

伝えたいこと(8)

公式に限らず、自分の頭で考えてみる前に説明をされてしまうということでどういうことが起きるかというお話を少し。

もちろん、みんながみんなそうなるとは言いませんが、教室を始めてから自分自身が気づいたことを、保護者の方や友人などに話してみると、大抵同じようなことをおっしゃるので、多くの場合に共通するのではと思いますので、少し書かせて頂こうと思います。

前回、速さの公式は覚えさせなくてもほとんどの子が問題を解くことができるということを書かせて頂きましたが、自分の子どもの頃を振り返ると、塾に行ったことも家庭教師などを頼んだこともなく、おまけにあれこれ言われるのが嫌で物心ついて以降親や兄に勉強を教わった記憶もないため、私にとって勉強を教えてもらう場といえば学校に限定されていました。

小さい頃は授業中、教科書を勝手に読んで先に問題を解いていたようなこともあった気がしますが、基本的には先生のいうことをよく聞いてその場で理解に努めるタイプだったので、教科書に書かれていること、先生がおっしゃったことはなるべく忠実に聞いて覚えようとしていたような気がします。(特に小学生の頃は。)

もしかしたら、導入の段階では先生も何か工夫をしてくださったりしていたのかもしれませんが、例えば、異分母分数の大きさ比べなどの問題の場合、以前の私は条件反射的に通分をしていたような気がします。

そして、教室に通ってくれている子の保護者の方も時々、通分を習っていない段階で出てくる分数の大きさ比べのプリントをご覧になって「これ、通分しないでどうやって解くんですか?」とおっしゃいます。

少なくない大人にとって、大きさ比べをするには通分をするということが刷り込まれているのではないかと思います。
しかし、教室の子ども達と分数の学習をする際、折り紙や紙テープ、円形の色紙などで分数を折ったり切ったりして実感するところから入るのですが、そういう切り口で分数に入っていくと、通分を知らなくても大抵の大きさ比べは可能になります。

もちろん、差がごく僅かの場合などは最終的には通分するなり、割り算をして小数で表してみるなりする必要があるわけですが、まず大きさをイメージするということを子ども達と共にするようになってから、高学年向けのワークや中学生のワークなどに出てくる大小比較の問題を見ると、実は結構「は?何をこんな問題出してるん?比べるまでもないやん!」とツッコミを入れたくなるような問題も少なからずあることに気付きます。

また、異分母分数の計算でも、大きさのイメージがあると、通分をしなくても足し算や引き算の答えがパッと浮かんだり、割り算の場合でも問題によってはすぐに答えがわかる場合があります。

簡単な例でいえば、3分の1と6分の1を足したら2分の1になるというのは、大きさがイメージできる子にとっては説明するまでもないようなことだったりするわけです。

同様に、大きさのイメージがあれば、分数÷整数の割り算はやはり問題によっては何の説明もなく解くことができるようになります。

こちらも簡単な例でいえば、7分の4÷4であれば、7分の1が4つあるのを4つに分けるから7分の1、3分の1÷2であれば、3分の1の大きさを半分にするから6分の1…といった具合に、大きさがしっかりイメージできる子にとってはその辺りはほとんど説明すらいりません。

イメージだけでは解きづらいものになってきて初めて、必要であれば手助けをする。そういう流れで進めていくことで、その子にとって本当に必要な、知りたいことだけ教えてもらえるわけですし、そうなるとそれに関してはしっかり聞こうという気持ちにもなりやすいでしょう。
数量感覚の優れている子であれば、手助けしなくてもどうすれば解けるのか、それまでの問題を見ながら発見してしまう場合もあるわけで、そんなときは「すごいね~!」ということになる。
教える側も楽だし、子どもも楽。
そんなことが多くの子に対して実際に可能なのです。

また、もし仮に自分で解き方を発見できないような場合でも、説明を受ける前にまず自分の頭で考えてみるということをしているかしていないかで、その後の説明を聞く姿勢が随分変わってくるだろうと思うのです。

これまで子ども達を見てきた限りでは、塾や通信教材などでやり方を教わっての先取り学習をするというのは、少なくとも算数に関してはさほど大きな効果は得られないのではないかと思います。

先にやってみる余裕があるのであれば、やり方を何も知らない状態で、まず自分なりに問題と向き合ってみる。どうすれば解けそうかあれこれ頭をひねってみる。そういうことの方が遥かに有効なはずです。

ちょっとした例を挙げてみますと、先日、2年生の子が考えていたクイズめかした問題の中に、クッキーを兄弟3人で同じ数ずつ分けたら、ぴったり分けられた、その数はいくつかという問題があり、22個、32個、42個、52個…のような数が選択肢として挙げられていました。

2年生ですから、まだ割り算は知りません。早い子であれば先取りでそこまでやっている子もいるかもしれませんが、その問題を考えていた子はまだ全く割り算をしたことがない段階でした。

では、どうやって考えるでしょう?大人はついつい、「割り算習ってないのにできないんじゃない?」と思ってしまいがちですが、知らなくても解くことはできます。

子どもによって考え方は違うかもしれませんが、3人に1つずつ○を描くなりして配って行き、ぴったり同じ数ずつになるものを探す方法もあるでしょうし、例えば、5個ずつとか10個ずつ先に配って、残りを1つずつ配るということもできるでしょう。
例えば「32個」はそれぞれに10個ずつ配ったらあと2個しか残りませんから、3人で同じには分けられないと気づくことは十分可能です。

実際、その子もじっくり考えて一度で正解を選んでいました。

そういう経験をした子がその後割り算を習ったら、こうやって考えたら楽なんだなと思うかもしれませんし、何も言わなくても工夫して答えを出す方法を発見するかもしれません。

(ちょっとまとめのないままですみません。ひとまずこの辺りで。)

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2011年7月14日 (木)

なでしこ、素晴らしい!

すみません。
先日来書いているシリーズや、ここ数日の間にあったことなどで書きたいことはいくつもあるのですが、ここ数日日中の時間の使い方は相変わらず下手で、出勤してしまうと、なぜか連日あっという間にすっかり遅い時間になっていまして…。

というわけで、今日も先ほど帰宅したものの、まだ着替えも食事もしておらず、落ち着いた頃には日付が変わっているだろうと思われますので、ひとまず簡単に更新を。

今日の早朝になでしこジャパンの準決勝がありましたね。
さすがにあの時間にライブでご覧になった方はほとんどおられないだろうと思うのですが、私は昨日は早く帰って一旦仮眠する予定が仕事が押して、結局仮眠らしい仮眠もできぬままにキックオフ。

前半開始10分で先制されたもんですから、ハラハラしながらテレビの前を離れられず。
同点に追いつくも、追加点が取れないし、もしこれでまた延長戦になったりしたら、先日のドイツ戦の120分がこたえてくるのでは…と心配でもあって、結局釘付け。

終わっても勝利インタビューなどを見たくてすぐには眠れず、7時過ぎにようやく仮眠に入ったため、今日の午前中は全く何もできませんでした…。(汗)

でも、すごいですよね、なでしこ、決勝進出ですよ。

正直なところ、女子サッカーにはあまり関心がなかったのですが(以前も何かの大会のときは見た記憶はありますが、放送自体限られているのでなかなか見られる機会もなく…。)、今回は各国がなでしこを絶賛しているようだったのと、ネットで観戦できることを発見していたのとではまり、「女子のバルサ」とまで言われた見事なパスサッカーを今朝は余すところなく堪能しました。

何がすごいって、そういえば、数年前、フェンシングの銀メダリストの方がフリーターだということで話題になり、その後無事(?)森永に就職され、活動が続けられることになったようでしたが、なでしこのメンバーのほとんどがサッカーでは生活できていないという事実。

男子の代表はみんなJリーグや海外のプロリーグで、サッカーで生活している人(もしくは、それプラスアルファーの収入がある人)しかいないのに、なでしこは日本代表メンバーだというのに、アルバイトやらをしている人が少なくなく、先日読んだニュース記事では、キャプテンの澤さんでさえ、現在はプロとしてサッカーに打ち込める環境にはあるようですが、お給料は月額10万とかそんなことが書かれていました。

というか…月給10万って、「生活できる」レベルではないですよね?その状況ですら、日本国内では恵まれているとほうなのだというのですから…。
そんな環境でサッカーに打ち込んで、世界の強豪たちと互角以上に戦い、決勝まで辿り着いた彼女たちは本当に本当に素晴らしいと思います。

決勝は18日朝3時45分だったかな…。またこんな時間なわけですが、見ずにはいられません。
がんばれなでしこ!

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2011年7月13日 (水)

伝えたいこと(7) 

少し話題を変えます。
「教えないこと」がいかに重要かということに関するお話です。

塾講師時代、受け持った子どももそれ以外の子どもも、かなり多くの子が苦手とする単元に「速さ」と「割合」がありました。

講師によっては「はじき」や「みはじ」などといって、速さの公式の覚え方を教える方がいたりもしましたが、とにかく、それらの単元は苦手な子が多いトップ2なのではと思えるほどでした。

しかし、あの単元がそこまで苦手になってしまうひとつの大きな原因は、指導する側が公式として3つの式を教えてしまうことにあるのではないかと、今は考えています。

というのも、教室を始めてから、その単元が特に苦手というような子に出会ったことがないからというのがひとつの理由です。
教室の子達とも、高学年でも通ってくれている子たちとはその単元を一緒に勉強することになりますが、特に速さの問題では、敢えて公式には一切触れず、ただ問題を見せて、「できると思うからやってみて」というと、まあほぼ例外なく解いてくれます。

高学年でなくても、30分で5キロ進むと、2時間ではどれだけ進むことができるかなどの問題は、こちらが何も言わなくてもほとんどの子が解けますし、算数が苦手な子などでも、30分でこのぐらい歩くというのだけを線分などで示してあげれば、大抵はその線を延長していって答えを導き出すことができます。

時速を分速に直すなどの換算も、何も言わない方が混乱しないように感じます。

もちろん、それまでの学習をじっくり考えながら進めてきた子達であればということなのかもしれませんが。

割合に関しても、割合というものがどういうものなのかという説明などは必要だと思いますが、例の「もとになる数」「くらべる数」「割合」の3つをどうすればどれが求められるかという公式は教える必要はないように感じています。
というか、教えなければじっくり考えて答えを導くことができる場合が多いように感じます。

数年前に実際にあったことなのですが、教室で一緒に割合の学習をした子がその後学校で割合の学習をしたのですが、学校で学習して少し経った頃に、教室でのレッスンの際、復習で割合の問題が出てきました。

そのときその子が言いました。

「公式忘れたから解かれへん!」

その発言に少し驚きつつ、まだ何も考えていないのは明らかだったので

「ほんまに解かれへんねんね?まだ問題ろくに見てへんでしょ。ちょっとは考えてみたら?ほんまに解かれへん?」

そう言うと、少し真剣な顔になって問題を読み始め、「ああ、解けるわ」と言ってあっさり解いてしまいました。

冗談のように思われるかもしれませんが、多くの子ども達は教えられて覚えろと言われたものは忘れたらもう解けないと思ってしまうのです。
しかし、実際にはそうではないことがたくさんあります。そもそも、覚える必要がないものまで公式として覚えさせようとすることで、かえって子ども達は混乱し、難しく感じてしまうということが少なからずあるように思います。

仮に公式を教えるにしても、教えなければ特に混乱することもない教室の子達を見ていると、塾や学校などでの公式を教えるタイミングや教え方を見直してみることも必要なのではと思えます。(多分もう少し続きます。)

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2011年7月12日 (火)

すみません!

先日から書かせて頂いている内容について、続きを書きかけているのですが、今日は中学生のレッスンがあった後、珍しく2件電話が重なり、それぞれに長くなってしまったもので、既に23時半になっておりまして、まだこれから帰宅して食事ということもあり、続きはまた明日にでもUPさせて頂きます。

今日のレッスンでは、5年の春から来てくれた、その頃は算数がとてもとても苦手だった彼女が、問題を解いていて「あれ?なんかすごい数になった。時間が3分の40って・・・。どうしよう。」というのを聞いて、なんだか少し嬉しく、頼もしく思いました。

まあ、その問題は中学入試系の問題で、行きは3分の40で帰りが3分の80、結局40分という答えになる問題ではあったのですが、解きながら、分がこんな変な数になるのかな?というところにまで意識が行くようになってくれたことが(それも、既に高学年で、算数が最も苦手な教科だった彼女が。)なんだかとても嬉しかったのです。

では、今日は短いですが、これにて。

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2011年7月11日 (月)

伝えたいこと(6)

機械的な大量反復学習についてこういうことを書くと、恐らく反論もあるだろうと思います。
実際、これまで読んできた色々な著書の中に、例えば、算数オリンピックで好成績を収める子達の多くが小さい頃からそういう学習をしていたなどと書いてあるものも読みました。

初めてそれを読んだときには、ああいう学習をしている子ども達の割合がかなり高いのだから、結果的に算数オリンピックで優れた成績を収める子がいても、割合的に考えれば極僅かな例外に過ぎないのだろうと考えました。

しかし、その後少しだけその考えが変わりました。
もちろん、割合的には極僅かということは変わりません。
ただ、教室に来てくれている子達を見ていても、やはりもともと数のセンスや図形のセンスが明らかに優れていると感じる子が何人かいます。
そういう子達は多少骨のある問題でも、驚くほどすいすい軽がると解いてしまったりもするのです。

そういうタイプの子の場合、例えば単純計算ばかりのプリントをやっていても、恐らく頭の中で何らかのイメージ操作ができているのだろうと考えます。
機械的な反復による暗記のような勉強ではなく、ただの計算式でしかないプリントから自然と何かイメージができるのではないかと。

例えば、こつこつ真面目に努力してようやく1学年、2学年先の内容に進むのが精一杯というタイプの子や、それすらもキビシイという子の多くは、あの形式の学習を続けることに大きなリスクを伴うのではないかと考えています。

しかし、さほど苦労することなく軽々と何学年も先まで進んでいけるような子は、あの方法で学習を続けても、特に悪い影響が出ることはなく、そういう子たちが算数オリンピックで優秀な成績を収めているのではないだろうかと。
当然、そういう子達は機械的反復ではない学習でも、その子のペースで学習を進めていけば、どんどん力を伸ばすに違いありません。

ですから、小さいうちにお子さんに機械的な大量反復学習をさせようとお考えの場合、(もしくは既にさせておられる場合)、お子さんの様子をしっかり見ていてあげてほしいのです。

計算はできているけれど、文章題になると手が止まる、もしくは、あり得ないような答えを平気で書く、そういう場合は既に心配な状態です。
また、文章題を読んで、考える前に「これ、足すの?引くの?」などと聞いてくるようであれば、やはりそれも心配な状態にあるのではと気をつけて頂くほうがよいと思います。

もちろん、集中して考えるのはくたびれることでもありますから、長時間集中が必要な問題をさせ続けるのは不可能ですし、また、家ではなかなか集中できないというお子さんも多いと思いますので、単に家では考えるのが面倒でとりあえず答えてもらえればラッキーというぐらいのつもりで何算をすればいいのか聞いているということもあるかもしれません。

それであればさほど心配しなくていいとおもいます。
例えば、そう尋ねてきたときに教えなければ、しぶしぶ考え始めるというのなら問題ないでしょうし、問題数が多い場合などにそのうちの数問だけにしぼるから真剣に考えるように促したりするとちゃんと考えようとするのであれは、やはり心配いらないでしょう。

ただ、教えなければ全く手が止まってしまう、もしくは、適当に計算してみて違うといわれたらまた別の計算をしてみるというような状況になる場合は、これまでの学習について、それがその子に合っているのかどうか振り返って考えてみる必要があるかもしれません。

例えば、文章題ひとつとってみても、ちゃんと考えている子、イメージが浮かぶ子たちは、しばしば文章題そのものにツッコミを入れたり、笑い出したりすることがあります。

とんぼを32匹捕まえたのに、かごに入れるときに逃がしてしまって8匹しかいない、逃げたのは何匹か・・・というような問題であれば、「逃がしすぎや!」というツッコミであったり、正しく求めたはずの鉛筆1本の値段が250円なんて答えになったら、「うわ、高っ!」とびっくりしたり。

それに対して、何のイメージもできぬまま、数字を操作しているだけの子達は、しばしばあり得ないような答えを書いても、それがおかしいということにすら気づかないことも珍しくありません。

生徒の人数分より多い椅子の数を用意することになったり、県の人口が10人にも満たない人数だったり、明らかにおかしいのに気づかない。
その時点でこちらがそのことを指摘すると「ああ!」という子はまだマシで、深刻な状況になると、何がおかしいのかさえわからない様子の子もいなくはありません。(たまたまかもしれませんが、これまで出会ったそういう状態の子は例外なく、大量反復などの先取り学習をしてきていた子達でした。そして、たまたまというにはあまりにも似た症状を呈している場合が多かったというのも事実です。)

機械的な大量反復学習を幼いうちからさせることのリスクをひとりでも多くの方に知っておいて頂けたらと思います。(もちろん、上述のように、中には悪影響の出ない子もいるだろうと思いますが。)

(続きます。)

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2011年7月10日 (日)

先週のレッスンで

先週は久々にちょっと真面目に長くなる話を書き始めてしまったため、ぐだぐだのど~でもいいような話題とか、日常の子ども達のこととかを書く機会がなかったのですが、今日は日曜なので一旦休止して、先週のレッスンでの子ども達のことを少しばかり。(といっても、物忘れは相変わらず激しいので、既に忘れてしまっていることもある気がしますが…。)

ある幼児さんとのレッスンのときのこと。
その子は私の目から見ると十分よくできていると思うのですが、上のお子さんとの比較であったり色々で、おうちの方はいつもどこか心配しながら、ハラハラしながらレッスンをご覧になっているようなところがあります。
そんなに心配なさらなくてもと思うものの、そこはやはり親心。私には想像しきれないところもあるのだろうと思います。

で、先週のその子とのレッスンのときのこと。
10までのたすひくは随分スラスラできるようになったので、20までの数に進みました。
ただ、予告はしていなかったので、お母さまからしても、突然10を超える数に進んだため、一体どうなることかと不安に思っておられたのかもしれません。

教具を見せた際、初めはほんの少し戸惑うようなところもあったものの、その子は予想以上にすんなりと10を超える数を理解し、20までのたし算もじっくり考えて、教具を思い浮かべながら答えてくれました。

初回にしては上出来でしたが、普段のその子からすると、私にとってはそんなに驚くほどのことではありませんでした。
でも、きっとお母さまはきっと思っておられた以上にすんなりとその子が10を超える数に対応できたことに驚かれたのか、嬉しく思われたのか、多少大袈裟にその子のことを褒められました。

「すご~~い!○○、天才~!」

すると、その瞬間、すご~~く居心地悪そうにもじもじしながら、椅子から立ち上がって、でも、すごく嬉しそうな顔で

「も~!そんなこと言うのやめて!いつもそんなこと言わないでしょ!」

とお母さまの腕をぺちぺち叩いています。

確かに、そこまでお母さまが褒められたのは珍しかったのですが、お母さんに褒められるとこんなにも嬉しそうにするんだなぁとしみじみ。
だって、私はしょっちゅう「すごいねぇ」「よくできるねぇ」と褒めているのですが、「そんなこと言わないで!」と言われたことはありませんから。(笑)

そのときのその子のしぐさや表情があまりにもかわいくって、できることなら写真に撮っておきたいほどでした。

親子で手放しに褒めるのは照れ臭いとかもおありかもしれませんが、大好きなお父さん、お母さんに褒められたら、多分子どもはめちゃくちゃ嬉しいんだろうなぁと思います。
勉強に限らず、何かが上手にできたときや約束事をしっかり守れたときなど、褒めるチャンスを見つけてときには思いっきり褒めてあげてもらえたらと思います。(そんなこと私が言わなくてもしっかり褒めておられる保護者の方もたくさんおられるかと思いますが。)

そして、別の日のレッスンでは、前の週にお熱でお休みしていた1年生さんとのレッスンがあったのですが、その子はなぜか年長さんのときにはできていたことが1年生になってどうもすんなり行かなくなっていて、妹が生まれたり、学校生活にまだ慣れなかったり、何かそういうことが影響しているのかなと少し気になっていました。

しかし、今回のレッスンでは、ここしばらくの間、自信なげに不安そうに問題に取り組んでいたその子の表情がなんだか少しお姉さんの表情になり、自信を漂わせながら問題に向き合ってくれていました。
私が何かしたわけではありませんから、何かその子の中で変化があったのでしょう。
スピードこそまだありませんが、この前までとは別人と言っていいほど、落ち着いて問題を解いていくその姿を、美しいなぁと思って見ていました。

また別の日には、レッスン中、本当の本当に私は一切何も怒っておらず、周囲の子も一体なぜ突然?とびっくりしたのですが、4年生の男の子がレッスン中、私が普通に問題に関して話しかけていたところ、目に涙をいっぱいためて必死で泣くのを堪えていました。

え?なんで??とびっくりして、「なんで泣くの?何にも言ってないやん?」と言うと、隣にいた友達も側にいた別の男の子も、「どないしてん?なんでや?!」と声をかけ、小さい頃からの友達である子は泣いた理由がわからないながらも、必死で慰めようとしていました。

そもそも、慰めている方の子は、レッスン中しばしば話を聞かず、問題を読まず、ひとりで勝手に「難しい…」と煮詰まって泣きそうになり、そのたび「ちゃんと問題を読んで」だの「ちゃんと聞いて!」だのと言われているような子なので、私が

「私何にも言ってへんのに、こんなんで泣いとったら、俺(友達のこと)なんか毎時間泣いとかなあかんやんねぇ?」

とその子に振ると

「ほんまやで!なんでお前が泣くねん!」

と。
まあ、この子の場合、注意しても、怒ってもすぐけろっとするのがいいところでもあり、困ったところでもあり。(笑)
でも、予想外に泣き出した友達を必死で慰めて励まそうとする姿はなんとも素敵でした。

さて、日曜は明け方のなでしこジャパンの準々決勝を見たため、いつもに増してぐだぐだで過ごしてしまいましたが、明日はまともに過ごしたいと思います。

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2011年7月 9日 (土)

伝えたいこと(5)

少し話が横道に逸れますが、大量反復系の教室に通っていた子たちにしばしば同じような傾向が見られるというお話を少しさせて頂きます。
このことも教室を始めるまでは全く知らなかったことですが、あの学習法にはそういう危険が伴うのだと知って以降、何人もそういう症状を見せるお子さん達に出会いました。

最初に出会ったのは、教室を始めて間もない頃来てくれた4年生の女の子でした。
彼女は就学前からそういう教室に通い、4年生にして既に方程式あたりまで進んでいたそうです。
それが、1学期の懇談で「算数ができません」と言われて、おうちの方はもうびっくり!まさかそんなことは!と思ったそうですが、友人を介して教室を訪ねてきてくれました。

確かに単純計算ならできるのですが、それ以外はほとんどお手上げ。
何より驚いたのが、図形の模写をしてもらったところ、立方体の絵が描けないのです。
少し手助けをして、少しつぶれてはいるもののどうにかこうにか立方体1個の図は模写できたのですが、4つが重なっている図は何度描いてもとうとう形になりませんでした。

そんな状態の子を目の当たりにしたのはそのときが初めてだったので、なぜお手本がそこにあるのに、それを真似ることができないんだろう?と理解できませんでした。
しかし、そればかり練習するわけにもいかず、体験後通ってくれることになった彼女と、計算ではなく、図形パズルや点つなぎなども含めた、いわゆる能力開発系、思考力系の教材を中心にレッスンをさせてもらいました。

週1回1時間のレッスンがひと月半ほど過ぎたある日、また図形模写のプリントが出てきました。
あれ以降一度も図形の模写を練習したことはなく、あのときから変わったことといえば、長年通っていたその教室をやめたということと、うちで頭を使って考える類の問題を中心に取り組んだということだけだったのですが、まだ多少いびつながら、4つあったお手本全てを少しの描き直し程度で全て描き上げることができました。
正直なところ、私にとっても大きな驚きでした。

そして、2学期が終わりに近づいた懇談で、おうちの方は担任の先生から言われたそうです。

「何もかもよくなりました。」

算数だけにとどまらず、ほかの教科や、友人との関係などにおいてまで担任が見ていて気づくほど大きな変化が見られたそうです。

おうちの方も今度は嬉しい方にびっくりされたわけですが、たった数ヶ月の間に4年生の子がそこまで変化を遂げたのです。

教室を始めたばかりでしたから、その衝撃は相当大きかったのですが、その後もそういう学習を続けてきたものの応用問題になると全く手が出なくてとか、だんだん行き詰ってきてとかいうことで来てくれたお子さんが何人もおられます。

ほとんどの場合、単純計算ならやるものの、それ以外になると手が止まる。もしくは、適当に足したり引いたりしてみる。または、「これ、足すの?引くの?」と尋ねてくる。
そのような共通の傾向が見られました。

そして、また思い出したのです。

塾講師時代、計算はできるけれど、文章問題などの応用になるとお手上げという子が少なからずいました。
むしろ、計算は好きだけど文章題は苦手というのは「普通の子」というぐらい、大抵の子にそういう傾向が見えていました。

それは私がいた塾に限ったことではなく、程度の差はあれ、少なくない子ども達に見られる傾向のようです。

どうすれば文章題ができるようになるかと相談を受けた学校の先生や塾講師などが、読解力が足りないのではと読書を勧めるなどということも実際にしばしばある対応だと思います。
その頃は私自身、目の前の計算はできるけど応用になるとお手上げになる子たちが一体どうすれば文章題ができるようになるのか、正直見当が付きませんでした。

にも関わらず、私が教室を始めるきっかけとなった教室の主宰の先生は、初めてお会いしたときおっしゃいました。

「ちゃんと計算ができるようになれば、文章題なんて解けて当たり前です。」

そんな内容だった思います。
ただ、それを聞きながら、内心私は(先生は就学前のお子さんから低学年までを見ておられるからわかってないんだ。計算ができても文章題ができない子はいっぱいいるのに…。)と思っていました。

しかし、実はその先生がおっしゃったことが真実だったのだと、今ではしみじみ感じています。
もちろん、算数全般が苦手な子どもはいますし、どれだけ努力してもなかなか数量感覚が身につかない子どももいます。
それは人それぞれに得手不得手があり、能力差があるわけですから、学習法にさえ気を配ればどの子も算数がよくできるようになるとは言いません。
ですが、早い段階から一緒に勉強させてもらうようになった子たちや、大量反復系の学習をしてこなかった子達であれば、計算ができて文章題だけが苦手だという子どもに出会ったことはありません。(前述の通り、算数自体が全般に苦手な子はもちろんいますが、文章題が極端にできないという子はいないのです。)

(続きます。)

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2011年7月 8日 (金)

伝えたいこと(4)

うちの教室では、入会の前に皆さん、体験レッスンを受けて頂きます。
また、幼児さんなどの場合、お子さんが希望すればおうちの方が隣についておられる場合もあります。
ですので、時々、おうちの方とお子さんとのやり取りを垣間見られることがあるのですが、私から見れば、まだ明らかに子どもが考えている途中なのに、わかっていないのではと思って助け舟を出してしまわれたり、ぼ~っとしているのでは?と思って「考えてるの?」と声をかけてしまわれたりということが珍しくありません。

先に書きましたが、私も当初はそんなに待たねばならないのだとは全く思っていませんでしたので、おうちの方達がその感覚がつかめないのはなんら不思議のないことではあります。
ただ、ここがとても大きな問題になってくる場合があります。

ちょっと考えてみてください。
なぞなぞでもクイズでもいいのですが、何かを考えていて、あ~~、あと少しで答えが浮かびそうだと思っているときに、横からヒントを言われたり、答えを言われたりしたらどんな気持ちになるでしょう?

もちろん、人によっては気にならないという方もおられるかもしれませんが、私だったら「も~~!考えてたのに!!」と腹を立てるだろうと思います。

では、もし、問題を考えるたび、途中でヒントを出される、答えを言われるということが続いたらどうなるでしょう?
恐らく、「どうせまた答え言うんでしょ。じゃあもう考えない!」となっていくのではないでしょうか。

悲しいかな、勉強において、大人は無意識のうちに子どもをそんな状況にしてしまっているのかもしれないのです。

考えている途中に邪魔をされることが続けば、どうせ考えても無駄だと思ってしまうのは決して不思議ではないでしょう。
よかれと思って側につき、目を配り、気を配っていたつもりが、子どもの足を引っ張っているかもしれないのです。

少なくとも塾講師時代の私はそうだったと思います。

ただ、これもまた難しいところで、小さい頃から何年もそういう環境に身をおいてきてしまうと、時間だけ与えても突然考えられるようにはなかなかなりません。
また、いくら小さいうちから教室でじっくり考えることを促していても、それ以外に大量の反復学習などをさせてしまうと、結局じっくり考えられない子になってしまうという可能性は高いのです。

つい先日、ある幼児さんがお友達が行っているからと、計算をプリントで大量に反復する形式の教室に行きたいと言ってお母さんを困らせていました。
ですので、私はその子に言いました。

「ねえ、○○ちゃん、もし私が『ゆっくり走って!』って言って、もう1人の先生が『速く走って!』って言ったら、できる?」

小さい子にも分かるようにと考えたたとえではありますが、正にそういうことなのです。
じっくり考えることと速く考えることはいきなり両立させることは恐らく不可能です。
ただ、じっくり考えることを意識した結果、スピードも速くなるということは珍しいことではありません。
そして、私の経験では算数に限っての話になってしまいますが、小さいうちにスピードを求めて訓練させて、後からゆっくりじっくりというのは相当の困難が伴う、もしくは不可能な場合もあるように思います。

私はほかの塾や教室を批判するつもりはありません。
プリントで大量に反復するような形式の教室であっても、その勉強をする際に具体物を使いながら考えさせるなどしておられるようなところであれば、効果が上がることもあるでしょうし、子どもの個性や能力は千差万別ですから、ああいう形式がばっちり合うという子も中にはいるのかもしれませんので。

ただ、小さいうちに気軽に通えるということで多くの方が通わされる大量反復学習系の教室は、おうちの方がお子さんの状態をよく見ていないと、とても悲しい結果を生む場合が少なからずあるのです。
(続きます。)

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2011年7月 7日 (木)

伝えたいこと(3)

宮本先生の「強育論」をお読みになったことのない方は一度読んでみられてはと思いますし、糸山泰造先生の「絶対学力」などの著書や高濱正伸先生の「小3までに育てたい算数脳」などの著書も、目からウロコということがあるかもしれません。(そんなのわかってるわという方もおられるでしょうけれど。)

要するに、私が長年努力してきた「分かりやすく教える」ということ自体が、子ども達の考える力を大いに奪っていたかもしれないということなのです。

また、定着させるには反復させるのがよいというのは、大人にとっては半ば常識になっているような気がしますが、小さい子どもにとっては、機械的に反復することがかえって悪い結果を招くことがあるということも初めて知りました。

独立するまで当たり前と思っていたことがいくつも、間違っていたのかもしれないと知ったとき、大きな衝撃を受けると共に、もしそれが事実であれば、これまで自分が関わってきた子ども達に本当に申し訳ないことをしてしまったと後悔もしました。

過去を変えることはできませんから、少なくともこれから出会う子ども達には同じ過ちは繰り返すまいと強く心に刻みました。

最も意識したのは「いかに教えないか」ということ。

それまでの私は前述のように「いかにわかりやすく教えるか」を意識してきていたのですから、まるっきり正反対のことを意識し始めたということです。

今思えばそれも幸いだったのだと思いますが、独立するつもりなく独立し、コネも何もなく、元の塾の関係で生徒を…ということをする気もなかったため、教室を始めたとき、最初に来てくれたのは6人でした。夏休みが終わって2学期が始まる頃でも10人ちょっとだったのではないかと思います。

1日にレッスンが1つか2つ。一度に子どもが1人か2人という状態でレッスンがスタートし、子ども達と共に私も1から学んでいるような日々でした。

いかに余計なことを言わないか、いかに説明しないかということを意識するようになって最初に気づいたのは、子どもが考えるのに必要な時間は大人が想像しているより遥かに長いのだということでした。

考えているのに邪魔をしてはいけないと、それは肝に銘じていましたから、目の前の子どもをじっと見ているのですが、初めの頃は考えているのか、考えられずにぼ~っとしているのかの判断が付かないことが何度もありました。

さすがにこれはわかってないのかな?と何か声をかけると、「え?今考えてる」とか、どう見てもぼ~っとしてるよね?と思っていたらおもむろに答えを口にするとか、そんなことが何度もありました。

それ以降、考えているのかどうか判断が付かないときは最初に「分からなかったら言ってね。考えている間は待つから。」と声をかけるようにしましたが、その結果、私の感覚では、自分が予想している3倍から5倍、子ども達には考える時間が必要なんだなという感じを受けました。

ただ、ずっとそんなに時間がかかるというわけではないのです。
もちろん、これに関しても個人差はありますが、初めのうち時間がかかっていた子ども達がそのうち徐々に考えるスピードが速くなり、最終的には私が追いつけないほどになるということも珍しくありませんでした。

そんな変化を見るたび、いいなぁ、うらやましいなぁ、私も小さい頃にこんな風に学びたかったなぁと思ったものです。

しかし、初めの1、2ヶ月、常にジレンマがありました。

「こんなに何も教えないでいいんだろうか?」
「黙ってみているだけなのに、お月謝を頂いていいんだろうか?」
「これで本当に子ども達は伸びるんだろうか?」

常にそんなことを気にしていました。
ただ、子ども達の変化を見ていれば、多分これでいいんだ。少なくとも過去ずっとやってきたことと比べれば、絶対このほうがいいはずだと思えるようになりました。

具体物などを見せる。
そこから子ども達自身に何かを掴み取らせる。
そして、まず問題を考えてみるよう促す。
その間、言葉による説明は極力排除する。
もちろん、公式の類は教えない。

簡単に言えば、そんな流れでレッスンが進んでいくことになります。
教師や講師、大人の側が「教えない」というのは、本来考えられないことなのではないでしょうか。
ただ、不必要に「教える」ことで、しばしば私たち大人は確実に子ども達から考える機会、考える力を奪っているのです。

よかれと思ってしたことが、結果的に子どもにとってマイナスになったとしたら、そこにはやはり後悔が残ると思うのです。私が未だに、塾講師時代に関わった子ども達に申し訳なく思うように…。
(まだ続きます。すみません…。)

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2011年7月 6日 (水)

伝えたいこと(2)

話は塾講師時代に遡ります。

講師時代、自ら望んで、勉強が得意ではない子達のクラスの算数・数学と国語を担当させてもらったので(その後最終的には両方のクラスを担当することになりましたが)、私はいつも「いかにわかりやすく教えるか」ということに努めていました。

特に算数・数学ではどういう例を挙げればわかりやすいだろうとか、どんな具体物を用意すればわかりやすいだろうとか、どんな言葉で説明すれば理解してくれるだろうとか、そんなことをいつも意識していたように思います。

勉強が苦手だったり嫌いだったりする中学生達と数学をしていると、その子達の多くが学校の先生よりずっとわかりやすいと言ってくれましたし、少なくとも授業のその場で誰かがわからないまま次に進んでいくということはほぼしていなかったつもりです。

もちろん、それぞれの子に得手不得手がありますから、どうしてもその場で理解できない子に対しては補習をするなどもしましたし、もちろん中にはそれでも理解しきれない子もいました。
ただ、そのことに関してだけ言えば、今も同様のことは言えるわけです。
ですから、どの子も同じようにできるようになるとは言いませんし、講師時代と独立してからと、指導のスタイルが180度近く変わったわけですが、それでもやはり全ての子を伸ばすことができるなんてことは、少なくとも未熟者の私には言えません。

少し横道に逸れましたが、大半の子がその日の授業の内容はその場では理解してくれる。
そして、数学の授業は週に2回あったので、次の授業までには中2日か中3日しかないというのに、少なくない子ども達が次の授業になると、前回のことを見事にきれいさっぱり忘れているということが何度もありました。
あまりに真剣に「知らない」とか「わからない」とか言うので、私の方が何か勘違いをしていて、まだその内容をやっていなかったんだろうか?と思ったりするほどでした。

また、図形の面積の公式や小学校で習う速さや割合の公式などは多くの子が記憶がごちゃまぜ状態で「これ割るんやったっけ?掛けるんやったっけ?」というようなことはしばしばありました。

そして、勉強が苦手な子たちのクラスに限らず、できる子達が集まっているクラスであっても、丸暗記した公式に当てはめて解いているだけの子が何人かいて、ある日驚いたのは、塾の近所の中学で常に学年5番以内をキープしている女の子が2分の1時間は何分かを求めるために「60×1/2」とわざわざ式を書いて計算している姿でした。

子ども達を見ながら、私の中でずっと(何かおかしい、どうしたらいいんだろう…。)そんな思いがもやもやとしていたことを覚えています。

その後、塾講師を辞めることになったのですが、そのときはまだ独立するなんてことは全く考えていませんでした。
ただ、会社員を辞めてから6年以上経っていましたから、年齢的にも一般企業に再就職というのは難しいだろうなと思っていましたので、またどこか雇ってくれる塾を探そうかなとそのときは思っていました。

ただ、講師を辞めることになる少し前に、塾用教材のパンフレットの中にひとつ気になる教材がありました。
塾は辞めてしまったのですが、連絡をしたところ、その教材会社の方が見学させてくださるとのことで、今思っても、独立する気もなかったのに、なぜわざわざ連絡をして見学にまで行ったんだろうと、やはり何か目に見えない力に導かれたのかもなと思ってしまいますが、見学をさせて頂くことになりました。

しかし、またここで更に見えない力が働いたのか、当初見せて頂く予定だった教材会社さんと日程がうまく合わず、奇しくも実際に教材を作られた先生の教室に見学に行かせて頂くことになりました。

その教室は年少前から小学校3、4年ぐらいまでのお子さんを対象にしており、中学生の子達と勉強したいと思っていた私には全くの畑違いでもありました。
そこに伺うまで、自分が幼児や低学年の子ども達と一緒に勉強しようと思うだなんてことはただの一度も想像しませんでした。

でも、その教室で、2時間ほどだったでしょうか、授業を見学させて頂いた後、私はそこの主宰の先生に言っていました。

「私、これやりたいです!」

そうして、その後すぐ、まずはひと揃えの教材や教具を買い、自分でその教材を学ぶ日々がスタートしました。

今思えば、全てがそういう運命だったんだろうと思えるほど、不思議なぐらい色々なことが重なり(その中にはとてもとても辛いことなどもあったのですが…)、教室を始めるまでにたっぷりと3ヶ月以上その教材を学ぶ時間がありました。(要するに無収入の時期がそんなにもあったということですが。(汗))

そして、その準備期間にある1冊の本と出合いました。

それは、「強育論」という宮本哲也先生が書かれた本でした。
その中に書かれていたある一節に、私は胸を突かれたような衝撃を受けました。
まだお読みになられたことがない方は、今では新書でも出ていますし、教室にも置いてありますので、一度お読み頂いたらと思いますが、その本の中に出てくるウサギの赤ちゃんのエピソード。
可愛くて大事にしていたつもりが、自分のしたことで結果的にウサギの赤ちゃんの命を奪ってしまったという話なのですが、大事に大事に、子ども達によかれと思ってしていることが、結果的に子ども達の力を奪うことになっているのだと気付かされた衝撃は相当のものがありました。
(続きます。)

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2011年7月 5日 (火)

伝えたいこと(1)

過去の記事からずっと読んでくださっている方は、前にも読んだことがある内容になってしまいますが、ご容赦ください。
忘れていましたが、私が開業届を出したのが丸8年前の7月1日でした。
実際にレッスンを始めたのは夏休みからだったので、今年の夏休みが始まると、9年目の夏がスタートすることになります。

先日ちらっと書きましたが、このたび、Facebookを通じて高校の同級生達の大勢との交流が再開しました。
これまで、高校の同級生の何人かが大切なお嬢さんや息子さん達を教室に通わせてくれた、もしくはくれているのですが、そのうちの一人がどうやらかなりの「誇大広告」的にうちの教室のことを部活の仲間に吹聴してくれているようで、まあ、聞いてくれた子も半ば社交辞令だっただろうと思うのですが、お子さんがどうしたら勉強するようになるかな?というような質問をされました。

もちろん、直接知らないお子さんに対して、FBのメッセージなどでぱぱっと言えるようなことではないですし、かといって、延々と長い回答を望んでいるのではないだろうなと。

それに、何より、私が通っていた高校は、私の場合運が良かったとしか言いようがない条件が重なって入学したクチなので(実際、先輩に試験の出来や成績を話したら「よくそれで通ったねぇ」と言われたりしましたし(汗))、周囲は本当に賢い子が多く、私などがお子さんの勉強に関してアドバイスをするなんておこがましいのでは…とも思ったもので、その場では「指先をしっかり使うのはいいと思うよ」ぐらいの返事をしました。

でも、ちょっと考えてみたのです。
教室を始めようと思ったきっかけや、教室での指導スタイルが今のようなものになった大きな理由はなんだったのかと。

そして、過去に書いたことがありますが、もう何年も前のことですから、お読み頂いていない方も少なからずおられるだろうと。

私がこれを書くことが何人の方のお役に立つかわかりませんし、もしかしたらどなたのお役にも立たないかもしれません。
ただ、これから私が書くことは、私自身長年全く気付かずにいたことで、そのことに気付いてから色んなことが、それこそ180度ぐらい変わったというようなことなのです。

私はもともと中学校の教員志望で大学の教育学部に進みました。
学部ではそれなりに真面目に学んだつもりでしたし、その後、一般企業の会社員を経て、6年ほど個人塾で講師をしていたのですが、大学時代にも個人塾の講師時代にも誰もそんなことは教えてくれなかったということがあります。

教員養成系の教育学部だった私でさえ教えてもらえなかったことであれば、8年前の私と同じように、未だにご存知ない方も少なからずおられるのではないだろうかと。

であれば、役に立つかどうかはわからないけど、もう一度書いてみようと思い至りました。
教室を始めたとき、私にできることはとてもとても限られているだろうけど、ただ一人だけの役にしか立たなかったとしても、誰の役に立たないよりはずっといい。
一円にもならなくても、もし直接関わることにできない子ども達に何か役に立てるのなら小さなことでも発信していこう。
そう思ったことを思い出しました。

教室を始めるきっかけになったことなどから書かせて頂きますので、少し長くなるだろうと思います。
ですから、非常に久しぶりにタイトルに番号をふらせて頂くことにしました。
もしご興味を持ってくださったら、これからしばらく、駄文にお付き合いください。(今日は本題に入らず一旦終了ですみません…。)

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2011年7月 4日 (月)

子どもはホントにステキ

今日はレッスンがなかったので、結局いつものようにダラダラと過ごしてしまいました…。
書こうと思っていることがあるのですが(そういえば以前にもひとつありました。一応覚えています。)、今日も軽めの更新でお許しを。

7月1日にレッスンに来た年長さんがいました。
レッスンを始めて間もなく、「今日何日?」と尋ねてきたので、「7月のはじめの日よ。」と答えました。

すぐ側にカレンダーがあったので、その子はカレンダーをじっと見て、少し考えてから尋ねました。

「26日?」

一瞬何を言ってるんだろう?と思ったのですが、すぐにわかりました。
そのカレンダーは最初の週の日曜が1日でなければ、前月の最終週の日付が白抜きで印刷されているものでした。
そして、7月のカレンダーの最初には白抜きで「26」と書かれていたのです。

7月と書かれたカレンダーの一番初めには「26」と書かれているのだから、「7月のはじめの日」は26日だと思ったんですね。
ただ、さすがになんとなく変だなぁと思っていたのでしょうね、ニコニコ笑顔ではなく、不思議そうに少し首をかしげながらの「26日?」でした。

こんな視点は幼稚園のうちに通り過ぎて、きっとその子も今回のことで次からはもう月の初めは1日だと理解したでしょうから、そんな場面に出くわせるのは本当に貴重なことなのだろうと思います。

私にもそんな頃があったのかなぁ。

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2011年7月 3日 (日)

先日のこと。

うちの教室は玄関で靴を脱いで上がってもらうのですが、そのせいもあって、椅子に正座したり、時には机の荷物入れの空間に足をつっこんでみたり、もっとひどくなると足が机の上にあがっていたりなんてことも…。

余程ひどくなければ強く注意することはないのですが、あまりに行儀が悪かったりだらしなかったりすると、そのときはガツンと言うことになったりもします。

で、先日のこと。
ある男の子が両足を椅子の上に上げて、体操座りで股を開いているようなポーズ(わかって頂けますかね?)でプリントを持って問題を考えようとしていました。
まあ、そんな姿の子を見るのは初めてではないですし、机の上に足を上げているわけではないので、怒るところまでは行かず

「すごい格好やなぁ。ここ、家ちゃうんやから!」

と、笑いながらつっこんだときのこと。
側にいた高学年の女の子がすかさずこう言いました。

「別にいいやん。くつろげるってのっていいことやん。緊張しまくってるよりいいやん。」

………。
予想外のすごい切り返しに(それも言われた本人ではなく横からw)内心は大ウケ。
でもそこは…

「そりゃあ、そのどっちかしかないんやったらそうかもしれんけど、緊張しまくってる方が集中できるんやったら、緊張しまくってる方がいいやん。」

と返しておきました。
言った女の子は半分納得していない様子でまだ何か言っていましたが、それにしても、すごいツッコミです。恐るべし…。

言われてみればそうなのかもしれませんね。
だれてしまっては問題ですが、緊張しているよりは多少リラックスしている方が力が発揮できるということはあるかもしれません。
う~ん、新たな視点。(笑)

とは言っても、目に余るときはガツンと言いますけどね。
実際、その男の子がレッスン終盤に、両足を机の上にまで上げたときは、間髪いれずに

「それはやめて!机の上に足あげるんはアカン!」

と怒りましたけど。

まあ、そういう私も、さすがに机に足は上げませんが、ずっと座っていると足を組んだり正座したくなったりする心境はわかるので、人に迷惑をかけない範囲でマナー違反でなければ、よしとしたりもするんですがね。

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2011年7月 2日 (土)

もう7月ですね。

早いもので昨日からもう7月。
今日は土曜でしたが、色々変更が重なってちょっといつもと違った1日でした。

今日はレッスン後に、遠方から帰省してきた友人と中学時代の友人たちと集うことになっていたので、終わってから大急ぎで片づけて、みんなより少し遅れて行ってきました。

中学時代の部活の友人なのですが、同学年は引退するときには8人だったんだと思いますが、今日はそのうち7人が集合。
卒業以来どれだけ経ったかわからないぐらいの歳月が過ぎ去り、結婚して母になっている子もいれば、戻ってきた子もいたり、私に陽に一度も行けずにいるのもいたり。性格も今の暮らしもみんなバラバラなのですが、不思議とずっと縁が続いています。

今日も19時には合流できたのですが、結局食べて飲んでしゃべって、あっという間に23時半という感じでした。
楽しくてちょっと食べ過ぎて今もまだお腹が重いのですが…。(汗)

明日は少しだけ出勤することになっているので、今日はお腹が落ち着いたら夜更かしし過ぎずにちゃんと寝ようと思います。
というわけで、こんな更新でお許しを…。

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2011年7月 1日 (金)

ホント、子どもはかわいいし面白い。

今日の出来事。

教室に頂いたお花を飾っていたもので、先日レッスンに来た幼児さんがなぜお花があるのかを尋ねてきました。
先週お誕生日だったことを話すと、ニコニコしながら「お手紙書く!」と言ってくれたのですが、今日レッスンに来たとき、実は入ってくる瞬間に彼女の手に封筒らしきものがしっかり握られているのが見えてしまったものの、一旦背を向けてこそこそしながら、お母さんに何か目配せをして、私をびっくりさせようとしているようです。

大変残念なことに既に目に入ってしまったのですが、ここはひとつ見なかったことにして

「どうしたの?何笑ってるの?」

そう尋ねると、

「え?まだ秘密」

そう言いながらニコニコこっちに歩いてきます。
でも、まだ小さな可愛い手なので、精一杯隠しているらしいその手元にはしっかり封筒が見えていますw

それだけで可愛くてしょうがなかったのですが、せっかく驚かせようと思っているのに「見えてるよ」なんて言ったらがっかりするのは間違いありませんから、

「え~?何よ~?」

そう言って見ていると、机のところまで来て、「はい!」と言って机の上にポンと封筒を起きました。
まだ年長さんの彼女が一所懸命に書いてくれたらしい文字が並び、たくさんのシールと私と彼女だという絵がかかれていました。

その気持ちが嬉しくてほのぼの。

そして、その後のレッスンではこんなことが。

ささやかなこだわりなのですが、教室ではこれまでゼムクリップはずっとカラークリップを使っています。
見た目が可愛いのもありますが、針金だけのものより危なくないような気もして、ずっとそうしているのですが、今日、お月謝袋とお手紙をクリップで止めて子ども達に渡していたとき、ある男の子の机の下にクリップが落ちているのが見えました。

なんでだろう?と思ったら、既にお月謝袋とお手紙がバラバラになっていて、止めてあったクリップは下に…ということだったようです。

それに気付く前にクリップが目に入ったもので、「あれ?クリップ落ちてる。なんでやろ?」と言って拾おうとしたら、落とした子が手を伸ばして私より先に拾おうとしました。

次の瞬間。

「何?このクリップ錆びてるやん!」

……。

彼が拾おうとしたのは茶色のカラークリップだったのでした。(笑)
これまでも宿題のプリントをクリップで止めたりして何度も渡しているので、クリップに色が付いていることは、その子にとっても普通のことなのだと思っていたのですが、茶色が目に入った瞬間に「錆びてる」とは…。

しかし、それを聞いていた周りの子達には大笑いされて、容赦なくつっこまれていましたけどね。さすが関西人。(笑)

ホント、子ども達といると楽しいこと、思いがけないことがいっぱいです。

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