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2011年6月30日 (木)

こういう差が大きな差になるんだろう。

教室を始めた時から来てくれている、現在中3になる女の子。
小1のときに来てくれた頃から、真面目で賢い子ではありましたが、正直なところ、ここまですごくなるとは思ってもみませんでした。

本当にびっくりするぐらい、見ていて羨ましくなるぐらい、とてもよくできるのですが、そして、それはもちろん彼女の持っていた能力と彼女の努力によるところが大きいのは間違いないと思ってはいますが、それでも多少は小さい頃から教室でしてきたことがプラスに働いているのではと思えることが色々あります。

低学年の頃の彼女は計算は得意だけど、図形はあまり…という、比較的女の子にありがちな傾向がありました。
それが、いつの間にやら中3内容の空間図形などの問題で結構応用問題になっても、かなりのところまで解けるようになっています。

それは単にコツコツ努力するだけでは補いきれないところでもあるので、小さい頃から積み木や色板などに慣れ親しんで、立体というものに慣れてきたこと、広い視野で物を見るよう努めてきたこと、その他の色々なことが相乗効果となって現れたのではないかと思います。(もちろん、いつも言うように、同じようにしたからといって、どの子も同じようにできるようになるわけではありませんし、私の指導力によって子ども達の能力を大きく左右できるものでもないとも思っています。)

そして、今日レッスンをしていたとき、ああ、そうだな、そういうところに気付くから、それが大きな差になるんだなと思った出来事がありました。

期末テスト前でテスト範囲の中の問題をピックアップしながら解いてもらっていたのですが、平方根のところで大小比較をする、次のような問題がありました。

「9、√82(ルート、8.9」

もちろん、問題自体は難しくないのですが、彼女はまず、9をルートの中に入れて√81(ルート81)に直しました。
そして、次の瞬間、8.9を見て、「8.9<9<√82」と答えを書きました。

やり方を習って応用が利かない子であれば、当たり前のように8.9も2乗してルートに入れた状態で比較するでしょうし、9が√82より大きい値であった場合は、8.9の2乗もしてみる必要があるでしょう。
ただ、この場合、9が√82より小さいとわかった時点で、8.9は当然9より小さいわけですから、計算する必要がなくなります。
問題を見た瞬間にその判断ができるかどうかで、十数秒の時間短縮になるわけです。

こう書いてしまうと些細なことかもしれませんが、そういうことが色んな場面であるので、積もり積もって時間の余裕がたっぷりある状態になってくるのだと思います。
実際、彼女が中学に入学してから、テストの数学は常に上位数%のところに位置しているようですから。

因みに、小1の頃から来てくれてはいますが、中学になっても変わらずずっと、彼女は週1回1時間、中学では75分のレッスンをしているだけで、夏休みなどであっても、時間や回数を増やしたことはほぼありません。

彼女はもう忘れているのではと思いますが、1年の夏にやってきたとき、実は図形だけでなく、文章題もやや嫌がるような子で、計算だけがとても早かったのです。
あのとき、彼女が違った学習の方法を選択していたら、いくら能力があってもこうなっていたかどうかは何とも言えないだろうと。

小さいうちはたっぷり時間をかけて、具体物を通しながら、自分自身で考える。
できる限り何も教えない。
できるだけ視野を広くすることを意識させる。

そういうことが後々になって大きな差になってくるということが、やはり大いにありそうな気がします。

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2011年6月29日 (水)

今日も仕事に関係ない話ですみません…。

今日、ちょっとよくわからないことが起きました。

ブログにも書きましたが、4月末に自宅を引越したのですが、4月28日まではもとの住所地に住んでいて、29日からは新しい住所地で暮らしています。

郵便局への転居届は4月半ばに済ませ、28日から新しい住所にと依頼したのに、なぜかそれより早くから新しい住所に何通か郵便が届いていて、なんでだよ…と思ったのですが、今回はもっと不可解なことが…。

転居後、GW明けに区役所に行き、住民票と健康保険の住所変更の手続きを済ませました。
しかし、つい先週、「ねんきん定期便」が「転送」されてきました。
住所が旧住所のままになっていて、住所に変更がある場合は役所に行くよう書かれており、健康保険と年金は別々に手続きが必要だったの?一度に言ってくれればいいのに、ちょっと不親切だなぁ…と思いながら、今日、出勤前に区役所に行きました。

何のタイミングだったのか、結構混んでいて、おまけに、座っている方々がなかなか用件が終わらない様子…。刻々と時間が過ぎ、どうしよう…と。
それでもなんとかレッスンには間に合いそうだったので、そのまま待っていたのですが、ようやく順番が来て、お知らせ便の封筒と年金手帳、住所が新しくなった健康保険証を見せて係の方に事情を説明すると…

「健康保険のほうで住所変更をしてもらったんでしたら、年金の登録も変更になってますよ。念のため確認しましょうか?」

そう言って、現在の登録情報をプリントアウトしてきてくれました。
すると、確かに変わっているようです。

ではなぜ、今頃になって「ねんきん定期便」が「転送」されてきたのかわからず、係の方に尋ねると、送ったのは区役所ではないのではっきりわからないけれど、その通知は3月頃に送られているはずだと。

でもですね、上述の通り、私は4月28日までは旧住所に住んでいたわけです。
3月から4月にかけて送られたものであれば、旧住所で十分受け取れたはずです。まだ迷子になるはずもない。
おまけに、転居届を出した後は、まだ引っ越してもいないのに転送されてしまったほどで、それを考えると、郵便物が2ヶ月以上に渡って迷子になった後に届いたとも考えにくい。

しかし、GW明けには既に住所変更の手続きをして、機械上も変更になっている。とすれば、それ以降に発送されたものなのであれば、旧住所宛に送られているのはおかしい…。
どう考えても理解不能なわけですが、すっきりしないまま、完全に無駄足を踏んだわけで…。

ホント、どういうことなんでしょう?
何かつじつまが合うストーリーが考えられますでしょうか?

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2011年6月28日 (火)

小さなことなんですが

教室の子達で、プリント教材を終えた子や高学年で通ってくれるようになった子などは、ワークブックなど、冊子形式の教材を使う場合が多いのですが、その子達何人もが同じ反応をするので、面白いなと思ったことがあります。

ワークブックなどの場合、宿題のページがわかりやすいように、やらねばならないところに付箋を縦向きに貼って渡しています。
そして、次の回に宿題をやって持ってくると、まずマルつけをして、全問正解であればそのページの付箋を外していくのですが、間違いが多かったり、ほかのことに時間がかかったりして、時間内にわからなかったところや間違えたところの直しが全て終わらないことがあります。

その場合、新たな宿題のページと区別がつきやすいように、直しが残っているページの付箋は横向きに貼り直すようにしていました。

レッスン時間が1時間しかないと、その日どうしても新しいところに進んでおきたいとかの加減などで、時々、直しのページが数ページ溜まってしまうことがあるのですが、そうなると、どうやらみんな、その「横向きの付箋」がとても気になるようなのです。

横向きが溜まり出すと、「うわぁ、こんなに横がある。イヤやなぁ。」とか、「どうしよう!!」とか。
多くの子が同じような反応をし、溜まっていた横向きの付箋がきれいに外れると、とてもすっきりしたと喜びます。

6年の女の子が3人、偶然にも本当によく似た反応をするので、面白いなぁと。
特に2人は5年のときのワークブックは始めた時期が学期の途中とかだったため、学校で既に習っているところもあり、また、習ってしまっているところの方がすんなりいかないという困った状態もあって、5年のワークにはたくさん横向きの付箋が貼られていました。

しかし、6年のワークブックは学校でやるより先に始められたこともあって、2人ともまだ横向きの付箋を持ち越したことがありません。
学校も曜日も違う、顔を合わせたことのない2人なのに、2人ともが

「6年のは絶対横向きにならへんようにする!」

と宣言していました。
頼もしいことです。

縦と横は宿題か直しが残っているかの区別のためにしただけのことだったのですが、意外な効果があることがわかりました。(笑)

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2011年6月27日 (月)

本屋の魅力。

今日は出勤はせず、掃除や洗濯をして、後はほとんどダラダラしてしまいましたが、必要なものがあったので夕方隣駅の大型書店へ。

最近、読書熱がかなり下がっていたのですが、このところ、ようやく僅かながら復活傾向。
近所の書店で本を買ったりしていましたが、相変わらず積読は消費しきっていないし、教室の本棚のスペースも既にほぼ限界で解決策をまだ考えていないこともあって、一度に大量に買うのは控えています。

でも、大きな書店に行くと、やはり気になるものが色々ありますね。
これはネット書店にはないメリットだろうと思います。

そういえば、辞書と電子辞書の比較でも言われることですが、特に子どものうちは面倒でも、電子辞書やインターネットではなく、紙の辞書や事典で何かを調べるというのはやはり大事だなと思います。

というのも、大人になっても、子どもに何か見せなければならなくて小学生用の国語辞典をめくっているときなどに、あれ?これは何?と目に入るものがあるわけです。
それは電子辞書など、ピンポイントで何かを知れる道具では、なかなか経験しづらい「寄り道」の部分でもあり、ただ、それはとても大事なことのような気がするのです。

ネット書店と実店舗も、それと同じようなことが言えるのかもしれません。
必要なものがはっきりしている場合や、近くの書店ではほしい本が手に入らない場合などはネット書店は本当に便利ですが、いくら写真や概要などでその本のことを紹介されていても、実際に手にとってペラペラめくってみる感覚とは大きな違いがあります。

それに、この本に興味がある人はこんな本にも…みたいにお勧めしてくれたり、これまでの購入履歴などからお勧めしてくれたりという機能はありますが、ということは、これまで読んだことのないような本は基本的には勧めてもらえませんし、教育書や育児書などは、よく売れているもの以外はほとんど紹介されることもありません。

その点、実店舗だと、色んなコーナーがあり、うろうろしている間に目的以外の本が目にとまったり、表紙が気になって手に取ったものの、文字が小さすぎるとか、行間が多過ぎるとか、やはり受ける印象によっては「この本はやめておこう…」となったりもします。

読書熱が下火になって以降、あまり大型書店をうろうろすることがなくなっていましたが、久しぶりに見ると、やはり気になる本はいくつもありました。
ただ、今の時点で読みかけの本が4冊あるもので(未読の本はもっとあるし…)、今日は1冊だけにしましたが。

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2011年6月26日 (日)

オフの話題

今日は午前中に少し仕事に出てはいましたが、短時間でしたので、まあオフのようなもので、仕事の後は祖母のお見舞いに行った以外、結局まただらだらぐーたら過ごしてしまいました。

そんな日曜にこんなことが…。
先日ちらっと書きましたが、facebookで高校の同級生達が結構集っています。
日々誰かが発見され、じわじわと同級生のグループが増えてきているのですが、つい先日グループに加わった同級生、多分一度同じクラスになったことがあるはずだけど…と思っていたところ、彼が自分のクラスの集合写真を1年から3年まで全部UPしてくれたので、何年のときに同じクラスだったかがはっきりし、すっきりしました。

そこで、写真をUPしてくれたお礼などコメントしてみたのですが、多分高校を卒業してからは会ったことがなかったのではないかと思われる、その彼からの返答が…。

「○○さん(私のこと)は、3年のときやったかと思てたら2年で一緒やったんやね。テストのときとかに早々に書き終えて編み物してなかった?」

え?!
なんで知ってる?
というか、いや、テストのとき編み物してたのは1年のときのはずなんだけど、なんで2年のクラスメイトだった彼が知ってるんだ???
え?え?え?

母校の高校は今はどうかわかりませんが、私たちが在学していた頃は学期初めの実力テストのときには教室に監督の先生がいないことになっていました。
テストの順位が出るのは実力テストだけで、そのかわり実力テストは成績に反映しないということになっていて、定期テストは成績に反映するので監督の先生がいるという。

要するに、成績に関係しないから、カンニングしたければいいけど、それで順位が上がっても何の役にも立たないよってことだったみたいですが、既にかなりうろ覚えながら、確か実力テストの試験時間は90分とか100分とか、普段より長かったように思うのです。

特に高1の1学期、2学期は数学などでかなり落ちこぼれ状態でしたので、テスト開始から10分か15分でもう何もすることがなくなるという…。
要するに残り時間の方が圧倒的に長いわけですが、寝て寝言言ったり、ヨダレたらしたりしても困りますし(をい)、そもそも、一度寝るとなかなか起きないもので、その不安もあって寝るわけにはいきませんでした。
かといって、本を出して読書というのは、活字も書かれていて、場合によってはカンニングっぽくなってしまうかもとの懸念も。
そして、その頃は編み物が趣味だったので、通学のバスの中などで編み物をしており、テスト中に編み物をしたときは、自分の記憶では席が一番後ろだったので人に見えないだろうと思ってしたように思っていました。

しかし、その彼とは2年でしか同じクラスになっておらず、いきなりその指摘を受けたということは、記憶にないだけで、私は2年でも実力テストのときに編み物をしていたのだということが判明…。(汗)

ただ、彼の記述の大きな間違いは(まあ、厳密には間違いではないんですが…)「早々に書き終えて」のところ。
正確には書けるところがほとんどなくて…だったわけなんですけどね。(汗)

それにしても、高校を卒業してから長い長い歳月が過ぎ去り、そのブランクを経てfacebookで再会した彼にとって、私は「試験中に編み物してたやつ」と記憶されていたという…。
それだけ長い歳月経ってもそれがまず頭に浮かぶということは、さぞインパクトがあったということなのでしょう…。
そんなつもりはなかったんですけど…。

しかし、同級生の女の子にも

「テスト中に編み物そりゃインパクト大よ。監督がいなかったって今じゃ考えられないね。」

と書かれたので、彼女は少し気を遣って「今じゃ」と書いてくれてはいますが、きっと、当時も私以外のみんなにとっては考えられない行動だったんでしょうね…。
ただ、さすがに春や夏には編み物していなかったと思うので、1、2学期の実力テストの残り時間は何をしていたのかは全く記憶にないのですが…。

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2011年6月25日 (土)

暑くなりましたね。

もしかして、もう梅雨は明けたのでしょうか?
ここ数日、急に夏が来た感じですね。
子ども達ももうプールが始まったりで、赤く日焼けした顔で来る子がいたり。

今年の夏は節電をと言われているのに、こんなに早くから暑くなっては大変ですね。
子ども達は元気ではありますが、暑いとバテるし、ボーッとして集中できなくなるしで、省エネといってもどの程度できるか…。

元々例年28度、下げても27度までしかエアコンの温度は下げていませんし、少し寒く感じたら、すぐ温度を上げるか一旦切るかしていますから、これ以上の省エネはちょっと難しいかもしれません。(私一人であれば汗ダラダラで我慢することもできますけど。)

因みに、今朝気付いたのですが、引っ越した新居のエアコンは「ガスエアコン」だと言われたなと。
実際、入居前にガス会社の方が点検に来られたとき、エアコンが作動するかも見ておられて、その際、ガスの元栓を開いていましたから、ガスで動いているのは間違いなさそうです。

で、ガスエアコンって?とちょっとだけネットで調べてみたのですが、やはりガスで動いているようで、夏場は一般的にガスの使用量が減るので、国などもガスエアコンを奨励しているとか何とか。(ちらっと見ただけなので正式な話なのかどうかはわかりませんが。)

言われてみればそうですよね。
夏場はお風呂も熱いのいやだ~ってなりますから、お湯の温度も下げる、もしくはお湯は使わない。
調理などにガスを使うにしても、やはり冬に比べると「熱いもの」は食べたくないなぁと思いがちですから、トータルで考えても夏にガスの使用量が減るのは間違いないでしょうし、だから、その分ガスエアコンをというのは理にかなっているような。

今回の原発事故がなければ知らなかったことですが(興味を持たなかったので…)発電所は常にフル稼働しているわけではなく、夏場のピーク時に停電が起きないように、それに必要な発電所が作られていて、ピーク時以外は休んでいるところも結構あるようです。
ちらっと見たサイトにも書かれていましたが、電気ではなくガスエアコンにすることで、電気の夏場の使用量を抑えられ、年間を通じて平均化できると。
そうなれば、発電所の数ももっと減らせるということになるのではと。

引っ越したときには、なんでガスエアコンなんだろう?と思ったのですが、不動産屋さんの話ではガスエアコンは耐久性もいいらしく、まあ、その分最初につけるときが割高なのかもしれませんし、何かデメリットもあるのかもしれませんが、節電を呼び掛けるのであれば、ガスエアコンの存在ももっと知らせてもいいのでは?と思ったりしました。
実際、私は引っ越すまで知りませんでしたし。(当然、大型家電店などは主に電気のエアコンを扱ってるんですよね?多分。エアコンってのはそういうものだと思っていましたから…。)

と、かなり話が逸れましたが、今年の夏が去年のように異常な暑さにならないことを祈るばかりです。

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2011年6月24日 (金)

びっくり、びっくり!!

私事ですみません…。
もうこの歳になると、むしろ、もう来ないでほしい日になっているのですが、今日は誕生日でした。

いつもお世話になっている先生方が教室に花を送ってくださったりして、とてもありがたいなと思っていたのですが、立派なお花があると、当然子ども達が何の日?と尋ねてくることになるので、今日もきっと尋ねられるだろうなぁと思っていました。

すると、今日の最初のレッスンに来た2年生の男の子が、教室に入ってくるなりこう言いました。

「○○(彼のお姉ちゃんの名前)が先生に『お誕生日おめでとうございます』って言ってた。」

え?!
彼のお姉ちゃんは1年ほど前まで、3年ほど通ってくれていて、受験に向けて受験塾に移ったのですが、そして、とても頭のいい子で、確かに記憶力とかも優れていたようには思いますが、それでも、通っていたある教室の一人の先生の誕生日を1年経っても覚えていて、それをわざわざ弟くんに伝言してくれたということに、なんだかものすご~~~く感激してしまいました。

Aちゃん、本当にありがとう。めちゃくちゃ嬉しかったよ~~!(見てないと思うけど。)

今年も結局一緒に祝ってくれるパートナーもいないまま誕生日を迎え、歳をとるのも嬉しくないし、一人で過ごす誕生日もさびしくて一層嬉しくないなぁと思っていたのですが、今年も友人やお世話になっている方たちがお祝いのメッセージをくださって、本当にありがたいなぁと思いました。
これで歳が増えなきゃ言うことないんですけど。(をい)

あっという間に今年もほぼ半分が終わろうとしています。
自覚はないものの、また歳も重ねてしまったことですし、しっかりがんばらないといけませんね。

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2011年6月23日 (木)

少し変わったような気がする。

年長の頃から来てくれていた子の中に、人より随分長い時間かけて教具などを見せても、なかなか数量感覚が身に着かなかった子がいます。
本人なりにがんばっているのは伝わってきていましたし、パズル問題や教具を使って何かするものなどは、多少難しくても結構よくできることも多く、見ている限り「数量感覚」という部分が特に弱いという印象の子でした。

教室でメインで使っている教材は教科書レベルよりかなり難しい問題まで入っているため、ある時期以降、かなりあっぷあっぷの様子になり、おうちの方とも相談して、別の教材を中心に進めることになりました。

しばらくの間それで様子を見て、その後も学校で習うことを意識しつつ、その子に合ったレベルで少し難しいものもやってもらうということで進め、新年度を迎え、1つ学年が上がりました。

やはり教科書内容がしっかりわかることを前提にレッスンを進めてはいるのですが、教科書内容と、それより少し難しい程度の内容であれば、いらいらすることもなく、投げ出そうとすることもなくなりました。
そして、その子が考えられる適度なレベルの問題であれば、あてずっぽうの答えを言ってみたりすることもなく、静かに落ち着いて考えて解き進んでくれていることが多くなりました。

今もプリントの難易度が高いものは問題を省いたりはしていますが、使えるところはメインの教材に戻ってレッスンをしたりもしています。
そして、そのプリントが出されても、嫌そうにすることもなくなりました。
まだ確信とまでは行きませんが、以前より随分考えられることが増えてきているようにも感じています。

このことは、その子のレベルに応じた問題、その子のレベルで少し難しい問題、そういうものをきちんと見極めることがとても重要なのだなということを改めて実感させてくれました。

もちろん、子ども達の能力は簡単に判断できませんし、その日のコンディションなどにも左右されますから、最初から簡単なものを与えるよりは、難しい、骨のあるものを与えて様子を見るのがいいようには思いますが、それだと苦戦が続く場合は、現時点のその子にその問題のレベルが合っていないという可能性が高いので、何をやらせるか見極める必要があるんだなと。

その子を見ていると、以前よりは少し算数を好きになったのかなと思ったりもします。
まずは「できる」、「楽しい」、「好き」と思えるようになることが能力を伸ばすきっかけになるだろうと思います。
一人ひとりの子のことを今以上にもっとしっかり見ていきたいと、改めて思っています。

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2011年6月22日 (水)

またまた余談なんですが…。

パソコンのことはイマイチよく理解していないままなのですが、わからないなりに、独立前の数年はniftyでチャットをしていたり、その後はブログを始めてみたり、お知り合いの先生に誘われてmixiにも登録してみたり、チャット時代の友人に話を聞いてツイッターを始めてみたりと、考えてみれば、ネットでの流行りもの(?)はほぼ漏れなく首を突っ込んでいるんだなと。

で、数ヶ月前に本を読んで、わからないままにFacebookにも登録だけして、ただ、写真もUPせず、登録しっぱなしみたいな状態で数ヶ月。
何かするでもなく、強いて言えば、この半年ほどすっかりはまっているインテルの選手の情報をたまにチェックするために覗くぐらいで。

しかし、この日曜に高校の同級生が発見してメッセージをくれ、それがきっかけでなんだかすごい勢いで同級生のつながりが膨らんでいます。
何がびっくりって、同級生は450人ぐらいだったようですが、既にそのうち1割近い人が見つけだされているという…。

一人、特に熱心に広めてくれている子がいるようですので、まだまだ増えそうな予感ですが、それにしても、私の年代で、学年の1割近くがFBに登録していることにちょっとびっくりしました。

そして、更にびっくりするのが……小学校中学校の頃は同級生で知らない子はほとんどいなかった気がするのですが、高校の同級生には知らない子がいっぱいいたんだなという事実。
時々、私、高校時代何してたんだろう?と思うことがあるほど、何をして過ごしていたのかよくわからないんですよね…。
まあ、休まず学校に行き、寝ずに授業を受け、休まず部活に行っていたってのはほぼ間違いないんですけど…。

ただ、今回自分の名前にちょっと感謝しました。(笑)
連絡をくれた同級生は在学中には言葉を交わしたことがあるかどうかもわからない子で、よく連絡をくれましたねと返信したところ、FBの機能である「知り合いかも?」というところに私の名前が表示されたそうです。

「この名前はほかにはおらんやろと思って。」とのこと。
確かにフルネームの私の名前は地味にインパクトがあるのかもしれません。

そして、更にびっくりしたのが、サッカー好きで、更に高校時代はサッカー部に好きな子がいたりもして、サッカー部の練習はよく見ていたにも関わらず、サッカー部のキャプテンが誰か今日まで知らなかったこと…。(大汗)

ホント、私、高校時代何を考えて暮らしていたんだろう…。
これは物忘れではなく、本当に知らなかった気が…。キャプテンは別の子だと思っていたので…。

同級生たちみんなバリバリがんばっているようですので、ぐーたらし過ぎて見離されないよう、もう少ししっかりしなければと思う今日この頃です。(汗)

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2011年6月21日 (火)

既に変化が見えてきた。

今日のレッスンで、おうちの方も「泣き虫」だと認めておられる1年生くんが来ました。
実際、かなりの確率で泣くのですが、それでも徐々に頻度が下がり、泣いても復活までの時間が短くなってきているようには感じていますが、その彼が既に大きな変化を見せつつあるような気がします。

実は今日、教室に行くのが10分前になってしまい、タイミング悪く、今日はその子が一足先に教室に着いていしまったようで、階下に降りてきたところにちょうど出くわしました。

教室が閉まっていて、お母さんは車で既にどこかに行ってしまっている。
そりゃあ小さい子なら不安でたまらないですよね…。本当に申し訳ないことをしてしまいましたが、彼は既に泣き出していました。

謝って肩に手をやって、一緒に教室に上がりました。
少しの間泣いていましたが、程なく泣き止み、レッスンが始まるときにはもう普通に取り組むことができました。
それだけでなく、前回は苦戦して半泣きになっていた課題を(とりあえずなんとか泣かずにがんばってくれましたが)かなり正確に速くできるようになっていて、まずびっくり。
「速くできるようになったね~」と言うと、少し自慢げな表情。

その後のレッスンでは、何度目かの20までの足し算をやったのですが、何度か教具を見せて確認した後、プリントをやってもらうと、何問か少し声をかけた後は、明らかに頭の中に教具が浮かんでいるのがわかるようになりました。

そして、しっかりイメージできると、すごくすっきりした嬉しそうな顔で「あ!わかった!」と言って、自信を持って答えを書いていきます。

ほんの前回までは答えを書くのが不安だとちらちら私の方を見ては、顔を見てもわからないよと言われ、そのたび悲しい顔になり…という状態だったのに、ほんの1週間でこの変化です。
それも、レッスン前に不安な思いをして泣いたのにです。(本当にごめんなさい…。)

すごいなぁと思います。
速い子は本当にあっという間に変化して、どんどん伸びていってくれます。
もちろん、それぞれの子に得意不得意がありますし、イメージするのが得意な子、苦手な子というのは確実にありますから、どの子も同じように伸びるとは言いませんが、泣き虫の彼が泣かなくなる日は近いような気がします。

その日が来るのが楽しみです。

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2011年6月20日 (月)

なんだかなぁと思うこと。

お知り合いのご紹介で、昨年度から中学受験をする予定の女の子が通ってきてくれています。
以前にも書いたことがありますが、彼女自身はとてもよくがんばっていますし、女の子なので国語もある程度以上できているのですが、中学受験用のテキストの予習をしながら、なんだか複雑な気持ちになります。

もちろん、問題として取り上げられる文章も様々ですし、問題によっては小学生でも十分対応できるものもあるのですが、どう考えてもこんな心情、11、2歳の子が理解できないでしょう?と思うようなものや、こんな社会的な問題にきちんと解答できるような小学生っていったいどんな子なんだろう?と思うようなものが少なからずあります。

もちろん、子どもの精神の発達もそれぞれ個人差があるでしょうし、小さい頃から社会問題に関心がある子、人の心情を深く掘り下げられる子などもいるのでしょうけれど、普通に考えて、こんなレベルまで考えられるような小学生ってちょっとコワイ…と思うような問題も。

中学受験に関する本で、特に男の子は精神年齢が伴ってこないと、受験国語の問題を読み解くことが難しいというようなことを読んだことがありますが、大いに納得という感じです。

受験に対応するために早く大人になれということが可能なのかどうかわかりませんが、可能かどうかに関わらず、そういうことが求められる面は否定できないだろうと、国語の問題を見る限り思わざるを得ません。

算数、理科、社会などは精神年齢に左右される部分は少ないだろうと思いますが、国語の読解に関しては、そういう問題を出題する学校としては精神年齢の高い子がほしいということなんでしょうか?

中学受験に関しては全く詳しくないので、そのあたりの事情はわかりませんが、精神年齢が追い付いていないという理由で受験国語ができない子は、努力だけではどうにもならないところもあるんじゃないかなぁと思えてなりません。(まあ、そのあたりも受験塾などでは何かのテクニックである程度カバーできるようにするのかもしれませんが。)

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2011年6月19日 (日)

今日は何か変な日でした。

普段あまり感じたことがないのですが、今日はどうもなんだかほんの少し何かがずれているような、ちょっと変な1日でした。

スタートは、夜更かし後ダラダラと起きてしばらくして、再配達の荷物が来たときでした。
まあ、オートロックに慣れていないということはあれど、引っ越してきてから初めて、宅配の方に「はい」と返事をしておきながら、解錠する前に受話器を置いてしまい「うわ!」と思ったものの後の祭り。
再度インターホンが鳴り「すいません!!」というと「お願いします」と言われてしまいました。(汗)

その後、夕方に近所に買い物に行くためマンションのドアを出たところ、さっき4人で通り過ぎて行った小学生の女の子たちの誰かが悲鳴を上げ、どうしたんだ?と振り返ると、1車線しかない道でひとりの子が転んで、そこにちょうど車が!

思わず私までとっさに声を出してしまいましたが、幸い、車はスピードが出ていなかったため、大事に至らずに済みました。
状況的にはひとりの子がふざけて道に飛び出したところ、ちょうど車が来て、慌てたら転んだという感じだったようですが、かなりドキッとしました。

転んだ子は泣きながら、擦りむいた両足をお姉ちゃんらしき子に見せていたので、「大丈夫?」と声をかけると、そのお姉ちゃんらしき子がきっぱりと「はい、大丈夫です!」と。
でも、擦りむいていたので「お家近い?」と再度尋ねても「はい!」と言うので、出る幕はなさそうだなと、「気をつけてね」と言ってその場を去りました。

で、スーパーに行き、買い物をしていると、買い物かごにガツンと衝撃が。
どうやら前を見ていなかった子がかごに頭を激突させた模様…。私の視界に入っていなかったので気付かず、痛かっただろうととっさに「ごめんね!」と言ったのですが、側にいたその子のお母さんらしき人にじろりと…。
う~ん、私がぶつけたわけじゃないんだけど、今日は何かがおかしい…。

気を取り直して買い物を済ませレジに行くと、小銭が10円1枚分足りず大きなお札を崩すことになり、今日はこんなとこもついてないなと。

で、次の用事で行ったお店でも、さっき大きなお札が崩れているというのに、今度は5円玉1枚足りず、500円が細かくなり…。

今日は何か気をつけた方がよさそうだと思いながら一旦帰宅しました。

今日は父の日だったので、普段そうそう食べないであろうものを注文していて、18時以降に冷蔵便で届くことになっていたので、到着を待っていました。

すると、やってきたクロネコさんが「すみません。これ、冷蔵の商品ですか?伝票が冷凍の伝票だったもので、冷凍の便で来てしまったんですけど…。ちょっと中を確認して頂けますか?」と。

うわぁ~、すごい展開…。
クロネコさんはとても恐縮していて、お時間を頂けるなら再度商品を…とも申し出てくれたものの、今日、父の日だから持っていくつもりの私は、どうしたらいいやら…。
自然解凍して問題がないならそのまま頂きますが、一度お店に確認して頂いてもいいですか?とクロネコさんにお願いし、その場で連絡をしてもらって、冷蔵庫で解凍したら、問題ないという微妙な返事を頂いて受け取りました。

ホント今日は気をつけた方がよさそうだ。
そう思いながら、荷物も受け取ったので、何にしようか迷っていたけどようやく思いついた父の日のプレゼントを買いに隣駅まで。

書店で2冊本を選び、「プレゼントにしたいんですが」と。
レジで会計を済ませ、「あちらでお待ち下さい」と言われたので、包んでくれようとしている店員さんを少し離れて眺めていました。

でも、どう見ても、そんな位置にそう置いたら包めないでしょ?と思うのに、突き進む店員さん。
挙句、やはりうまく包めず、その紙を断念。
どうするのかと思ったら、なぜそんな大きな紙が必要なんだ?というサイズの包装紙を取り出し、再び包み始めるも、いや、でも、そんなことしたら無理でしょ?え?どういうところに着地させたいわけ?というような展開…。

新人さんなんだろうと、根気強く見守っていたものの、既に5分以上が経過。
因みに、B5ぐらいのサイズの薄い本を2冊買っただけなので、本来包装は極めて簡単なはずなのです。

私が包みますと言いたいのを堪え、我慢し続けましたが、ほかに4、5人の店員さん達が暇そうにしているというのに、なぜ誰も助けないんだ?と…。
途中、カッターまで登場して、紙の収まりのつかないところをカットしたりまでして、なんだかすごいことに。
それでもどうにもならなくなり、ようやく先輩らしき店員さんのところに商品と包み損ねた包装紙を持って行き…。

この時点で既に10分近く経過…。
そこでようやく状況を説明したようで、別の店員さんが元の場所に戻って再び包むんだろうか?という状況になったのですが、なんだか色々納得も行かず、もういいやと「すいません、もう袋でいいですから、あれ頂けますか?」と。

でも、結局どの店員さんも謝ってくれなかったんですよね。なんとなく、う~ん、どうなんだ?と。
本を包んでもらうのに10分も待つなんて経験は初めてでしたし、それだけ待っても完成しなかったわけなんですけどもね…。

さすが今日は変な日だ…と思いながら帰宅し、実家に行くことに。
道の脇に人が何人かいるのはわかっていたので、少し距離を置いて自転車を漕いでいたにも関わらず、犬を抱いたおじさんが予想もしない方向転換でばっと車道側に出てきて、あわや接触というところ。「ごめんなさい」と言ってはくださいましたが、かなり怖かった…。

ホント今日は徹底的に何かがおかしい…。

ということで、気をつけて実家に行き、実家で両親に今日の出来事をひとしきり話して、一家団欒の時間を過ごした後、気をつけて帰宅しました。

とりあえず、帰宅後は何も起きていないので、もぅ大丈夫かなぁ。
ホントなんだったんでしょうね、今日は…。

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2011年6月18日 (土)

友人プチ来訪

今週も無事1週間が終わりました。
今日は久しぶりに、仕事の後帰省してきていた友人とご飯に行って、いっぱいおしゃべりしてしまったため(少しですがアルコールも入ったため)、まともなことが書けそうにありません。
というわけで、オフではないのにどうでもいい話題でお許しを…。

自宅を引っ越してひと月半余りが過ぎましたが、なんだかんだまだここには引っ越し当日に手伝ってくれた友人と引っ越しの片づけ中に陣中見舞いに来てくれた友人、あとは兄が機械関係のヘルプに来てくれたのが、今のところ来客の全て。

で、今日は地元で食事をしたので、帰りに友人が新居を覗きに寄ってくれました。

そして、私自身引っ越し前に、なんか不思議な位置にあるなぁと思ったキッチンの棚について、これまで見た友人も兄も私が感じたような反応をされていたのですが、今日の友人に

「こんなの日本中にここぐらいしかないんじゃない?」

とまで言われました。(笑)
そこまで言われたら写真で公開したいぐらいですが(笑)、うちのキッチンの棚、明らかに、妙な位置にあるんです。

まあ、今のところ使用に関しては見た目ほどの不便さは感じてはいないので、きっとそのうち慣れて、それが普通に感じるようになるのかもしれませんが、多分、新たな来訪者があるたび、不思議がられるんだろうなとも思います。

何を思ってこんな風にしたんだろう?何か設計ミスなのかなぁ。

かなりどうでもいい話でお許しを。

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2011年6月17日 (金)

視線の先

今日のレッスンでのこと。
とても可愛い年長の女の子なのですが、時々予想もしない質問をされたりして、びっくりしたり、大ウケしたりすることがあります。

先日は、小さなハートの形のネックレスをしていたところ、何かを見つめているなとは思ったのですが、

「先生、そのハートのネックレスは誰かにプレゼントしてもらったんですか?」

と……。
ハートのネックレスだからそう思ったのか、しかし、残念なことに誰からのプレゼントでもなかったもので、ちょっとどぎまぎし(?)つつ、

「ううん、残念ながら自分で買ったのよ。」

と答えました。

その彼女が、今日のレッスン中、何かをじっと見つめていることに気付きました。
幼児さんは色々なものが視界に入る広い空間より、狭い空間の方が集中できるというようなことを読んだこともあり(まあ、もともと教室自体狭いんですが…)、教室の隅の方に机を置いていて、ブラインド越しには前の幹線道路を走る車がうっすら見えます。

時々、外を救急車両や珍しいデザインのトラックなどが通ると、「今○○が通った!」とか「あ、あの車すごい!」とかいう子がいるので、彼女も何か気になるものが道に止まっているのかな?と思った次の瞬間

「先生の体が見えた。」

は?????

一瞬、本当に何のことかわからなかったのものの、今日の私はキャミソールの上に透け感のあるプリントブラウスを着ていたのですが、ブラウスは濃い紫系で、キャミソールは紫がかったピンクだったため、もしかすると、ブラウス越しに肌が見えたと思ったのかな?と、

「え?体じゃないよ?ブラウスの下にちゃんと着てるよ?」

そう言ったところ、

「先生がお腹引っ込めてるのが見えた!」

とニコニコ楽しそうに言うのです。

へ??へへへ???お腹引っ込めてる??

私としては、むしろ、まさかそんなところを凝視されるだなんて思ってもみませんから、油断しまくりで普通に椅子に腰かけていたため、引っ込めるどころか、(え?この辺段になってるの見えた?(汗))ぐらいの心境で、なんだかやたらと恥ずかしくなりました。

しかし、お隣で彼女のお母さまが

「先生はお母さんと違って細いから、引っ込めてるんじゃないのよ。」

と大笑い。(そのお母さまはとても上品な方で、決してそうおっしゃるようなことはないのですが。)
お母さまのその言葉に彼女も「え?そうなの?」となぜかびっくりの反応。(笑)

え?そういうことだったの??

ですが、結局は、私が少し前かがみになっていたので、彼女から見るとお腹の部分がとても引っ込んで見えたということのようです。(笑)
それにしても……何を凝視しているんだろう?と思ったら、私のお腹…。そんなに興味をひいたとは。(苦笑)

まあ、普段は透けるものは滅多に着ていないですし、今日はその時間、お日様が私の背中の方から差しこんでいたので、尚更透けて見えたということなんだと思いますが。

子どもって、思いもよらないことに気付いたりしますよね。
そのたび本当にびっくりしたり、感動したり。

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2011年6月16日 (木)

ん?どうしたんだ?

うちに来てくれている子の中には、教室をしている私のせいなのかなんなのか、結構個性派の子が少なからずいます。

お月謝を頂いているのでなければ、子ども達のしたいようにいくらでもおしゃべりをさせて、好きなことをさせていられるのかもしれませんが、もちろんそういうわけにはいかず、そのため、それぞれの子のタイプに合わせて、しめるときはしめ、ゆるめるときはゆるめ…とあれこれ考えることになります。

ただ、元気がありあまってしばしば羽目を外すタイプの男の子たちには「怖い私」になる頻度が高く、ホントはニコニコ楽しくレッスンしたいんだけど、どうしてこの子たちは気づいてくれないんだろうなぁなどと思っていたりするわけです。
まあ、ニコニコ楽しくやれないのは、私の力不足と言われればそうなわけで、まだまだ反省の日々なわけですが…。

で、今日のあるレッスンで、毎時間のように「怖い私」を出動させる男の子達が登場。
レッスン開始していないうちからもう出動せざるを得ないような状況でのスタートで前途多難…。
また、この子達、まだ幼いせいもあるのか、問題が難しそうだとてきめんやる気がなくなり、同時にそれは特技?というほど正確に睡魔が襲ってくるという。(苦笑)

でも、2人とも決して頭が悪いわけではなく、力は秘めているように思うので、どうしたらもっとやる気になってくれるんだろうと、毎回考えます。
もちろん、その日のコンディションやその日の学習内容によってはスムーズに行く日もあるのですが、簡単なことばかりしていてもほとんど頭は使いませんし、考えるのを面倒がってやり方を教えてほしがられたとしても、そんなことをすれば、彼らの力を伸ばす邪魔にしかならないわけですから、できるはずもありません。
でも、教えずにいると考えるのを面倒がって、そのうち睡魔が…。

特にひとりの子が、ろくに考えず、嫌そうにして、肘をついて寝ようとしていたので、嫌ならやらなくていいし、寝たいんだったら向こうの椅子のところで寝てたらいいと。私のために勉強してるんならしなくていい。毎度のように言っていることをまた繰り返す羽目に…。

なんで伝わらないんだろうなぁ…、その場では伝わってもすぐ忘れちゃうのかなぁ…、少し悲しくなりながら、こんなこと言っても無駄なのかなぁと思いながらも、自分の思いを彼に向ってぶつけました。

私はあなたが嫌いで怒ってるんじゃないと。私はあなたが好きだと。
あなたはやり方を教えてくれる人を優しいと思ってるかもしれないけど、そんなことしたら、あなたが賢くならないから、私はそんなことできない。
もしあなたがアホで何にも考えられない子だったら、私はやさし~~く教えてあげるわ。でも、あなたには賢い頭があるでしょう?

そんなことをひとしきり言って、でも、これまでにもそんなことは何度も言ったもんなぁと…。

しかし、どうしたことか、それまでふてくされて眠そうにしていたその子の表情がしゃきっとし、突然、それまでのその子とは全く違うといっていいほどの前向きな態度で問題に取り組み始めたのです。

今日は結局それ以降、一度も悪態をつくことも、わざと逆らったことをすることもなく、その子なりに一所懸命問題に取り組んでくれているように感じました。

もしかして、彼は私が彼のことを好きだとわかっていなかったんでしょうか?
嫌いで腹を立てているから厳しいんだと思われていたんでしょうか?
う~ん、どうなんだろう…。

まあ、小さい男の子のことですから、来週になったらまた同じことを繰り返すかもしれませんが、伝え続けようと思います、できる限り。

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2011年6月15日 (水)

今日はちょっぴりくたびれてるみたいです。

今日は久しぶりに日中結構晴れていましたね。
お日様を見るとなんだか嬉しくなるのですが、これが夏になると、お願いですからもう少し控えめに…なんて思うようになるんですよね、勝手なもので。(苦笑)

今日はレッスン自体は全て割と順調に、平穏に進んだのですが、イレギュラーで普段の水曜より1つ早いコマから、ひとつ遅いコマまでレッスンだった上、振替が入ったコマもあって、人数も普段より若干多かったからなのか、くたびれた~という感じで。

本当は書きたいと思っていることがぼんやりあるのですが、とりあえず適当に…という内容ではないもので、元気なときにしっかり考えて書かせてもらおうと思います。

ただ、子ども達とレッスンをしていると、単純計算以外は、絵や図に表したりして「見える」状態にすることが考える上でとてもとても大きな助けになるのだということはしみじみ感じます。

もちろん、教室の子達のほとんどが描くことに抵抗がありませんし、私も考え込んでいるような子には積極的に描かせるようにしますから、ずっと通ってくれている子達で全く図示できないという子はいませんし、図示する必要さえなく、頭の中のイメージだけで答えに辿り着いてしまうような子も中にはいるわけです。

ですが、色々な子ども達を見ていると、一般には「描く」ことは決して当たり前のことではないのかもしれないと思ったりするのです。
特に算数ではすごくすごく大事なことであるにも関わらず…。

改めてブログに書きたいと思っていることは、多少そんなことに関係しているのですが、子どもに関わる大人は気付かねばならない大切なことがあるような気がしてならないのです。
今はまだぼんやりしていて、どう書けばいいかまとまっていないのですが…。

あっという間に6月も半分が過ぎましたね。
明日から後半。明日は満月のようですね。でも、夜は雨なのかな?
明日もみんなが元気に来てくれますように。

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2011年6月14日 (火)

経験を積む

今日のあるレッスンでのこと。

これまでにも書いたことがあると思いますが、私は元々空間図形の類が決して得意ではなく、中学時代に立方体の切断面がどんな形になるかという問題などでは、3点を通ると言われると、三角形になるという発想になってしまい、問題にあたるうち、3点と言われても、その他が切れる場合があるのだということは理解はしたものの、いざそれをイメージしようとすると、問題によっては悪戦苦闘。結局ギブアップなんてこともありました。
もちろん(?)サイコロの展開図などの問題も苦手でした。

そんな私が大学時代は家庭教師で中学生を見る機会があったり、会社を辞めた後はなぜか中学生に数学を教えるようになったりと、どうしてもその類の問題を避けて通れなくなり、実際に発泡スチロールや消しゴムなどを繰り返し切ってみて、そんなことを続けるうちに、初めよりは多少はイメージができるようになってきました。

更に教室を始めてからは、積み木の数だの積み木の3方向からの図を考えるだの、立体の問題に触れることも増え、子ども達にわかりやすいようにサイコロの展開図も実際に作って用意したり、マグネットのプレートで組み立てられるようにしたりと、日々そんなことをしていくうちに、教室を始めた頃よりも随分考えられるようになりました。

まあ、そうは言っても、男の子などでぱっと見たらぱっと閃くような、そんなレベルには到底到達はできそうにありませんが、あまりセンスがない場合でも、繰り返し経験を積むことである程度まではその能力を伸ばすことは可能なのだと身を持って感じています。

で、前置きが長くなりましたが、今日のレッスンでのこと。
6年生の女の子は昔の私のように、切断面がどうなるかなかなかイメージできず、3点を通ると言われれば、その3点をしっかり線で結んで、立体の中に辺ができているような図を描いていました。

手を変え品を変え、こういえば気づくかな?これならどうだ?と色々な視点からヒントを出してみたものの、どうしてもピンとこない問題があり、無理に言葉でわからせても意味がないなと、「家で実際にお豆腐か大根か何か切って確かめてみて」と言いました。

本人もそうすると言ったのですが、以前に家で「魔法のスポンジ」を切ったことがあると言ったので、おお!!それはいいアイディア!!と。

教室にメラミンスポンジの買い置きがあったので、それを立方体にカットして、指定された3点を通るようにカッターで切ってもらいました。

どうしても想像できなかった、その五角形の切り口を見た彼女は「おお!」と感動。
実際に自分の手で切り、その断面を見たことで、ひとつ具体的なイメージが印象に残ったはずです。

隣にいた男の子は、男の子ながら空間図形の類がかなり苦手なようで、私と彼女の会話を聞きながら、「え~~?!先生、そんなんほんまに切って練習したん!?」とびっくり。

「だって、わからんもんはやってみなわからへんやん。」と答えると、「まあ、そうやけど…。」と。
その子にとっては苦手なものは苦手、だからできないという発想だったようで、今日のことがきっかけで、実際にやってみようと思ってくれたらなと思いました。

で、今日の彼女のひと言で非常にいいアイテムが見つかったわけです。

これまで、カッターなどで切るには発泡スチロールだと切りづらく、消しゴムなどだとどうしてもサイズが小さくなり過ぎ、豆腐や大根などの食べ物だとご家庭ではできなくはないでしょうけれど、気軽に持ち運ぶことはできませんし、常に用意しておくことも難しいだろうと。

しかし、メラミンスポンジ(白くてサクサクした例のスポンジです。)だと、カッターでキレイに切断できますし、最近は値段も下がって、100均などでも色々売られています。中には最初からほぼ立方体サイズにカットされたものもあったような。(若干直方体だったかもしれませんが…。)
サイズ的にも扱いやすく、常に部屋に置いておくことも可能です。切った後もある程度の大きさがあれば使えるでしょうし、使えなかったとしても1つ10円とか20円とかでしっかり印象付けられるとすれば、決して高いものでもないのではと。

立方体の切断の問題が苦手なお子さんがいたら、メラミンスポンジとカッターを用意してあげるといいかもしれません。

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2011年6月13日 (月)

とにかく手をつけること

これまで何度か色々な本などでもそういうことが書かれていて、身を持って、ああ、その通りだなと思ってはいるものの、この無精な性格はなかなか治らないようで、いつもお尻に火がつかないと行動に移せない自分に呆れています。

ただ、多くの方が言っておられるように、何でもやり始めるときに一番パワーが必要で、なんとかやり始めてしまえば、後は結構続けられるものだと。
特に、それがとても難しいことであるとか、とても嫌なことであるとかでなく、やればすぐできるはずなのに、ついつい後回しにしてしまうようなことの場合、その方法が確実に効果があると思います。

引っ越してすぐ、GWだったことと、そのときにやらないと、自分の性格からして絶対後からはそうそうやらないだろうと思ったこととで、結構根を詰めてある程度のところまでは整理や片づけをしました。
しかし、普通に暮らせるようになってしまった後、最後に細々とした書類やら領収証やらを入れてあるボックスや紙袋を3つ残したまま、あっという間に1ヶ月半が経過してしまいました。

毎日のように今日こそは今日こそは…と思いながらも、それをしないからと言ってすぐすぐ困ることがあるわけでもなく、置き場所がないわけでもなく、そうなると尚更、やろうやろうと思ったまま、明日こそ、今度のお休みこそ…と延びていくのです…。

昨日今日とレッスンがなかったので、このお休みこそ!と思っていたのに、昨日はジグソーパズルを買ってしまい、なんだかんだと既に600ピース近く組み立ててしまい、夕方には少し出勤し、その後ちょっと祖母のお見舞いに行ったりもして、結局今日も手をつけぬまますっかり夜に…。

でも、せめて机の上に積んである分だけでも…と手をつけたところ、ほんの2、30分でそれは終わりました。
たったこれだけのものを後回しにしていて、ずっと「やらなきゃ…」と思っていたことを思えば、精神衛生上、さっさとやった方が遥かによかったわけです…。

で、とりあえず今日の目標は机の上だったわけですが、それが終わったら、「もう少しだけやろうかな…」と思えるように。
やはり、最初に手をつけるハードルは高くても、手をつけてしまえば、そこから続けることはさほど難しくないようです。

まあ、私の場合、このところずっと、今日こそは!と思い続けて挫折し続けていることに早寝早起き(といっても、2時には寝て9時には起きるというような低~~いレベルのものなのですが…)があり、これもちっとも達成できないまま、むしろどんどん悪化しているわけなので、片づけに没頭して夜更かしするわけにはいきませんが、今日はもう少しだけ片づけようと思います。

これは無精者の私の話ですが、多分、勉強などでも同じことなんだろうと思います。
興味のある科目や得意な科目は進んでやる気になっても、苦手な科目、嫌いな科目はついつい後回しにしてしまうものだろうと。
そんなとき、とにかく1問だけとか1ページだけとか5分だけとか、できる限りハードルを下げて、まず手をつけてみるというのはひとつの方法だろうと思います。

もしどうしても続けられず、本当に1問だけ、5分だけで終わってしまったとしても、後回しにしていて何もやらないよりはマシなわけですし、多分やり始めたらもう少しはがんばれる場合が多いのではと思います。(私の経験上も。)

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2011年6月12日 (日)

禁断の…。

今日はお休みで、街に出ようかと思っていたのですが、夜更かししてしまった上、雨になったので結局夕方までぐずぐずして、近所に買い物に出ただけになりました。
来週は父の日なので、さて、何をプレゼントしようかと、隣駅のお店をうろうろしたのですが、例年通りイマイチ決まらず…。

うちの父はタバコは吸うものの、お酒を飲まないもので、健康のためタバコはプレゼントしたくないし、毎年結局着るものか食べるものになってしまうのですが…。
ただ、父は私が物心ついたときからずっと(恐らく私が生まれる前からずっと)、何かとちょこちょこ作ることが好きで、年老いた今も毎日2cm角だか3cm角だかの折り紙で延々と千羽鶴を折っていたり、ジグソーパズルをしていたりします。

つい先日も、「この近くでジグソーパズル売ってるのってどこや?」と聞かれたので、それをプレゼントしようかと思ったのですが、先週行って尋ねると、もう既に1000ピースだかなんだかの、それも上級者用のを2つも買ったとのこと。

そうか、じゃあパズルはダメだな…と思ったのですが、とりあえず、そのうち作ってしまうだろうしと、ちょっと大型トイショップに行ってみました。
色々見て、綺麗な風景とかのものもたくさんあったのですが、最近の父の好みは専ら動物の図柄のようで、残念ながらそういう図柄では適当なものがありませんでした。

しかし、実は私もその昔、まだ会社勤めをしていた頃、一時かなりジグソーにはまり、結構な数作ったものでした。
ただ、結構場所がいるのと、時間がかかるのとで、一人暮らしを始め、部屋が狭くなり、会社も辞めて、いつの間にか熱が冷めていました。

たまに、久しぶりにしたいなぁと思っても、ピースの少ないものでは満足できそうになく、そうなると結局場所がなぁと。
ですが、最近は小さなピースで出来上がりサイズは小さいものの、1000ピースやそれ以上のものが出ているのを見つけてしまったもので……それでなくても家では延々スリザーリンクにはまっているというのに、ついつい、「ひとつだけ…」と買ってきてしまいました。(汗)

完成してもB4サイズより少し大きいぐらいなので、作るにもさほど場所はいらないのですが、自分の性格からして、買ってよかったのかはなんとも…。(苦笑)

実家から帰ってきて、既にピースを分類し、外枠など200ピース弱はもうできてしまいました…。う~ん、これは思った以上にさっさとできそうな気配…。
そうなると物足りなくてまた次に手を出してしまう危険が…。

それにしても、このパズル好きはやはり父親譲りなんでしょうかね…。

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2011年6月11日 (土)

ちょっと驚いた。

今日、小学校入学の少し前から来てくれ始めた子とレッスンをしていたときのこと。

うちの子達の中には例年、私は何にも怒っていないのに、問題が少し難しいと感じると泣いてしまう子達が少なからずいて、成長するに伴ってなのかなんなのか、月日の経過とともに泣く頻度が下がっていく、もしくは、全く泣かなくなるという感じなのですが、今日のその子も今のところ、ほんの少し難しいと耐えられなくて泣いてしまうタイプの子で、ここひと月ほどで少~し我慢できるようになってきたのかな?という感じです。

鏡に映ったらどう見えるかを選ぶ問題のプリントを見せ、わかるかどうか尋ねてみました。(既にそういうものに出会っている子もいたり、経験でなんとなくわかる子がいたりということがあるので、まず尋ねてみて、わからないようなら鏡を見せたりするのですが。)
すると、首をかしげて悲しそうな表情に。

(うわ、これはもう危険?)と思ったものの、泣かれるのが嫌だからヒントを出すとか、手助けしまくるというのは、結果的にその子の役に立たないことだと思うので、泣かれるのは嫌だけど、そこでぐっと耐えて、「右手を挙げて鏡を覗いたら、鏡の中のあなたはどっちの手を挙げて映るかわかる?」と尋ねてみました。

しかし、やはりわからないようで、ますます悲しい顔に。

経験がない子に鏡では左右反対に映るんだと言葉で説明したところで、それは「実感」ではありません。
そもそも、本来ならその子も、鏡はこれまでに何度も、きっと数え切れないほど見たことがあるはずです。でも、意識したことがなかったということなのでしょう。

どうしようかなと思いましたが、急ぐ課題でもなかったので、一旦は「おうちで鏡を見たり、色々映したりして確かめてきてね」と言ってそのプリントを引き揚げました。

その後、ほかのプリントを教具を使ったりしながらやり進めたのですが、今日はかなり順調に進み、そろそろ頭もくたびれてきた様子だったので、試しにもう一度鏡の問題に戻ってみることにしました。

教室には普段は布をかけていますが、一応姿見があります。
ですので、まずプリントの中の1問、男の子の絵が描かれているものを指し、その子と同じ手を挙げてもらいました。
その後、鏡を覗いてもらい、鏡の中の子がどう映っているか、プリントの絵と見比べてもらいました。

たった一度、それをしただけだというのに、一気に何かがつながったのでしょう。
それ以上なんの説明も必要なく、次々と問題を解いていきました。

1問、向きはどちらも正しいけれど、耳の模様の位置が左右逆でどちらを選ぶかもうひと段階注意が必要な問題に引っかかったのですが、「これもこれも同じほう向いてるよ?」と言ったところ、普段のその子だと、それだけで悲しい表情になったりすることもあるのに、そのときはしっかりした表情のまま問題を見つめ、「わかった。こっちは耳のここがこっちになってるからちがう。」とはっきり理由まで言って正解を選びました。

レッスンの初めには見ても意味がわからず泣きそうになっていた子が、たった一度鏡を覗いて、1問だけ確認しただけで、後は全部スラスラ解いていってしまったことに、さすがにちょっとびっくりしました。

そして、言葉ではなく、実感としてつかみ取ることの重要性とその力のすごさを改めて感じました。
じわじわ成長が見られるその子が大きく伸びる日は近いかもしれません。

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2011年6月10日 (金)

昨日の出来事

昨日久しぶりにこんな出来事が。

もともと、私自身、自分の教室のことを「塾」だとは認識しておらず、むしろ敢えて、塾でなく「学習教室」としているわけですが、これまで子ども達の中にも、うちに通ってくれている子達で友達とかとの会話の中で「私、塾行ってない」とか言っている子達が少なからずいることを、なんとなく嬉しく思ってきました。

ただ、子ども達がうちを「塾」と認識する分には、何が何でも否定せねば!というわけではありませんから、そういう子には冗談半分で「うち、塾違うよ?」と言ってみることはあるものの、まあ、塾だと言う子はそれでいいかと思ってもいます。

で、昨日のこと。
去年の途中から通ってくれるようになった現在5年になる男の子が、レッスンが始まってすぐに言いました。

「今日、塾あるの忘れてた。」

もう高学年でもあり、おうちの方の意向ではなく本人が一時中学受験をしたいと言い出していると伺ってもいたので、いつの間にか塾にも通うようになっていたのかな?と一瞬思いました。しかし、更に続けて

「お母さんがあるって言わなかったら遅れてた。」

だったか何か、そんなことを言ったので、ああ、うちのことなんだなと理解しました。
しかし、その瞬間、すぐ傍にいた、年長さんから来てくれている現在4年になる子が真剣な顔でその子につっこみました。

「何言っとん。ここ塾ちゃうで!」

その言い方が、なんだか呆れたような、少し怒っているような、なんとも言えない口調で、とにかくその子はここは塾じゃないのに、一体何訳わかんないこと言ってるんだ?という感じをびしばし漂わせつつつっこみ続けました。

つっこまれた子はつっこまれた子で驚きの表情を浮かべつつ

「え?ここ塾じゃないの?ええ?じゃあここ何?」

と動揺。(笑)
つっこんだ子はどう答えるのかなと思っていたら

「教室やん、教室!」

と。(笑)

「え?ここ教室なの?じゃあ、ここ学校なの?」

どんどん混乱していく5年生…。

「ちゃうって。学校なわけないやん!学習教室やん!」

4年生、なんか全部言ってくれてます。(笑)

久しぶりにあんなに力いっぱい「塾ちゃうで!」と言ってもらって、なんとなく嬉しかったのですが、うちのことを「塾じゃない」という子ども達にとって、「塾」というのはどういうイメージなんでしょうね?机がずらりと並んでいて、前で先生が板書するような、そういうところのイメージなんですかね、やはり。

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2011年6月 9日 (木)

もしまだご存知ない方がいたら是非!(お急ぎください(笑))

今日、出勤前にツイッターを覗いていたら、今日googleのロゴがいつもと違っているということが判明。

googleは何かの記念日とかがあると、時々ロゴを変えたりしているようですが、今日のはパッと見、何なんだろう?という感じでした。

しかし、別の方のツイートでびっくりな事実が!
そして、再度サイトに行って、マウスを動かしてみたところ、これはちょっと感動!!

ただ、このロゴが日本時間の何時まで表示されるのかわからないので、このブログをご覧になった時点で消えている可能性もなくはないのですが…。
とりあえず、今(21時前)はまだ大丈夫です。

googleのトップページに行って、ロゴの辺りでマウスを動かしてみてください!
詳しく書いてしまうと驚きが半減しそうなので、とりあえずこれ以上は書けませんが…。

一応、サイトトップのURLも貼っておきます。

http://www.google.co.jp/webhp?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8

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2011年6月 8日 (水)

もちろん楽しくやりたいんだけど。

子ども達とレッスンしていると、放っておいても真剣に集中してくれる子もいれば、ちょっと目を離すとすぐに羽目を外し始める子もおり、問題に取り組んでいるときにも、こちらの顔をちらちら伺いながら答えが合っているかどうか探りを入れようとする子もいれば、こっちが見ていることなんてお構いなし、何か話しかけていても耳に入らない様子で我が道を行く子も…。

まあ、みんなそれぞれ違うからこそ面白いわけですし、個性的な子は好きですから、みんな大人しく真面目であってくれと思っているわけではありませんが、いかんせん、うちはお月謝を頂いている学習教室。
ふざけている子をふざけっぱなしにさせるわけにはいきませんし、また、私やお手伝いの先生の表情を見ながら、答えが正解かどうか探りを入れるようなことを癖づけたくもありません。

本人が自分の頭でしっかり考えて、こうだと思う答えを出す。もちろん、こうかなと思っても不安なこともあるでしょうから、そんなときについ探りを入れたくなる気持ちはわからないでもありませんが、私は極力表情を読ませないよう、誘導尋問にもかからないよう、心がけています。

ただ、レッスンをしていて、あまりに集中しない子や言っていることに耳を貸そうとしない子などには、「怖い私」になって、恐怖心からであってもとにかくまず集中させるという方法を取ることがあります。

そして、「怖い私」になるたび、(ああ、こんな風に言いたくないんだけどなぁ、ホントは…)とも思います。

もちろん、ふざけていた子に対して怖くなっても、ちゃんと集中し出したら、「怖い私」は様子を見つつ引っ込めますし、誰かに対して「怖い私」になっていても、真面目に取り組んでいる子が同じ場にいれば、その子に対しては通常の私、もしくは優しい私で接するようにはしています。

それでも、大きな声を出したり、怖さで集中させたりというのが最善だとはもちろん思っていないわけで…。

怖い私になった後、時々頭をよぎるのは…「戸塚ヨットスクール」の戸塚氏のこと。
私は結局まだ戸塚氏の著書などを読んだことがないままなのですが、お世話になっている先生が教えてくださった限りでは、あのスクールでは手の着けようがないような不良たちを極限状態に追い込むことで変えていったというようなことがあるようです。(師匠、間違っていたらご指摘ください。)

なんか私、それみたい?(汗)

これまで何度もそう思ったわけですが、私の場合、それも極められていないということでしょうか、「怖い私」を頻繁に登場させる子達の多くは、そんなこときれいさっぱり忘れたかのように、次のレッスンでまた同じことを繰り返したりするんですけどね…。

まだまだ私の修行と試行錯誤は続きそうです。

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2011年6月 7日 (火)

こんなヤツですいません…(汗)

今日、ラストの中学生達とのレッスンの時間に電話が鳴りました。
遠方の方で、普段は教材をおうちで進めながら、不定期で時々教室まで来てくださる方からだったのですが、月に1回来て頂けるかどうかの方なので、お電話になると、教材の進め方などどうしてもお話が長くなります。

もちろん、レッスン中にゆっくりお話はできないので、普通だったら終わったら折り返しますということになるのだと思うのですが、今日はキリンカップ。
一応録画は実家に頼んでおいたものの(普段テレビを見ないため、未だビデオデッキしかなく、おまけにそれはもう数年使っておらず、更に録画用のビデオテープもなかったもので…)、とりあえず、今日のレッスンが終わったら、後半はライブで見ようと思っていました。

今日のレッスンは時間通りに終われば20時半終了。まあ、時間ぴったりに終わることはまずないにしろ、当初の計算ではロスタイムなども入れたら、後半はほぼフルで見られるかなと、今日は出勤前にその予定で出かけました。

レッスン中は忘れていたのですが、電話を折り返すというとき、ふとそれが頭をよぎり、「全くの私事で申し訳ないんですが、今日、レッスンが終わったら、サッカーの試合を見たいもので、お電話10時前になってもいいですか?」と言ってしまいました。

私としては、見たいものを我慢して、内心(ああ、サッカー見たいから早く話を終わらせたいなぁ…)とか思いながらお電話する方が失礼なのではと思ったのと、普段も22時以降にお電話くださることもある方だったのとで、つい正直に言ってしまったのですが、先方はちょっと笑いながら快諾してくださいました。

しかし……電話を切った後、その場にいた子ども達に大笑いされた私…。

「先生~、そんな理由!!(笑)」
「サッカー見るからって、そんな!!(笑)」

え?そんなにあり得なかった?(汗)

いや、え…、そう??(大汗)

冷静に考えると、確かに大の大人が保護者の方に向かって堂々と言えるような理由ではないような気が…。
うん、そうだな。多分まともな大人だったら、仮にそれが本当の理由でも、そのあたりはごまかして、「お電話10時前になるかもしれませんが、よろしいですか?」とだけ言うんだな、多分…。うん、きっとそうだ。

ホントすいません、こんなヤツで…。(汗)

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2011年6月 6日 (月)

考えることは時間がかかること

今日はご紹介で姉妹のお二人の体験レッスンをさせて頂きました。
これまでお姉ちゃんは某計算プリント反復系の教室に通って3年目、しかし、100までの足し算、引き算もちょっとあやしいようだとのことで、就学前の妹さんはまだ通い始めたところぐらいだとか。

どんな状態かわからなかったので、様子を見ながらやってもらうプリントを変えたりしましたが、やはりこの二人もその教室に通っている子にしばしば見られる共通の反応が見られました。

レッスンしながら、教具の玉の数を思い浮かべて考えてもらおうとしていると、とにかく早く答えを書こうとする妹さん。
早く書こうとするものだから指を折って数えようとしたり、それを止めると全く違う答えを書いてしまったり。
挙句、「あ~あ、○○○みたいにたす1とかばっかりだったら簡単なのに」と不満顔。

もちろん、子どもは何にも悪くありません。でも、本来、教室の子ども達を見ていると、ほぼ真っ白の状態で一緒にレッスンを始めた子達で、じっくり考えて答えを導くことに対して、面倒で嫌だという反応をした子はほぼ記憶にありません。

むしろ、その子が考えている間じっと待っておけば、穏やかに考え続ける子の方が圧倒的に多く、こちらが急かさない限り、焦って適当な答えを書こうとすることもまずありません。

これまで一緒にレッスンさせてもらってきた子達を見ていると、やはりどうも一定の傾向が感じられるのです。

ほかの教室や、そういう教室に通っていなくても、例えば学校の授業で計算の速さを競わされているような子達は、往々にして、とにかく速く答えなければと焦り、ゆったり穏やかな表情で考えるということが難しそうです。

もちろん、そういう子達も時間をかけて、教室では急がなくていいということを何度も言って聞かせ、その子が考えずに適当に書いているのが見て取れれば必ず声をかけ、考えずに答えが丸になってもそれはなんの役にも立たないのだと繰り返し言い続けることで、徐々に変わっていってくれるということはあります。

そして、変わりだすと後は結構速かったりもするのですが、とにかく、まずじっくり考えるということをその子にとって「当たり前」のことにするためには、まずその子の表情を見ながら、考えているかどうかを見極め、見守る必要があると思います。
表情だけでは分からない場合もありますので、そのときは「考え中?」とか「もしわからなかったら言ってね」と声をかけておくとかすれば、考えることが当たり前になっている子達は、大抵心行くまで考えようとしてくれます。

その際、ひとつ気をつけなければならないのは、その子にとって難し過ぎる問題の場合、じっとしていても何も考えられていない場合があるということでしょうか。
これぐらいはできるだろうと思ったものでも、その日のコンディションなどによっては難しくてできないという場合もありますし、考える糸口もつかめない状態の子どもを見守っていても、それは時間の無駄にしかならないかもしれません。

適度に難しい問題というのはなかなか判断が難しいところですが、少なくとも、穏やかな表情で何か考えているときは、見守っていればいいのではと思っています。

周囲の大人が気をつけなければならない最大のことは、小さいうちに何事もできるだけ急かさないことなのではないかなと。
これは勉強に限ったことでなく、考えるにしろ、何かをするにしろ、小さいうちはきちんとやるためには大人が思うより遥かに時間がかかる場合が多い気がします。
ですので、まずはじっくり時間をかけてきっちりと。
そして、きちんとできるようになったら、必要であればスピードアップをさせる、そういう順序はとてもとても大切だと思います。

まあ、計算などについては、これまでの子ども達を見ている限りでは、最初にたっぷり時間をかけて考えられるようにしておけば、大抵は勝手にスピードアップしていく気がしますが。

子どもが考えることは予想以上に時間がかかることなのだということを、再度しっかり意識しておいて頂けるとありがたいなと思います。

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2011年6月 5日 (日)

子どもにかえる。

今日はオフだったので、夕方、入院中の祖母のお見舞いに行ってきました。
母や叔母が毎日交代でついているので、母達にとってはそんな気持ちになるのはなかなか難しいだろうとも思いつつ、祖母を見ながら、歳をとると子どもにかえると言われる言葉をしみじみ、確かにそうだなぁと思っていました。

早く家に帰りたくて仕方ない祖母は毎日何十回と「帰ろ」と言っては母達を困らせるようですが、それを言うときの祖母も、母達に「しっかり治してからね」などとたしなめられて、ちょっとしゅんとする祖母も、なんだか可愛くて愛おしいなぁと。

そして、もうかなりの高齢になっている祖母が、これまでは病院にお世話になることもなく過ごしていたわけですが、今回不慮の事故で骨折し、長期入院となってしまったことで、祖母にとっての娘や息子達が毎日交代でお世話をし、孫たちも代わる代わる顔を見せ…と、母達はそんな風に思う余裕は今はないでしょうし、もちろん、祖母にはまだまだ長生きしてもらいたいと思っていますが、娘や息子達に「しっかりお世話をした」と、そんな気持ちになれる機会を与えてくれたのかもなぁとも思ったりします。

母が祖母に食事をさせている姿は、まるで赤ちゃんに離乳食を食べさせているようで、母には孫の世話をする機会を与えてあげられそうにない身としては、それを見てなんだか申し訳ない気持ちになったりもして…。

そして何より、自分でもなんだかおかしいとは思うのですが、確か昨年か一昨年、例のイギリスのオーディション番組の動画を見ていたとき、お子さんもお孫さんも大勢おられるおばあさまが歌を披露された動画があったのですが、確か準決勝まで進んで、歌い終わった後にお子さんやお孫さん達がそのおばあさまを囲んでみんな幸せそうにしているのを見たとき、「ああ、羨ましいなぁ、あんなおばあちゃんになりたいなぁ」となんだかしみじみ思ったのです。

以来、独身であること、子どもがいないことはもちろん寂しく思ったりもするわけですが、一番寂しく感じるのは、私は「おばあちゃん」になれないんだなぁということだったりするのです…。(汗)
もちろん、歳をとれば、ほかの人から「おばあちゃん」と呼ばれるようにはなるでしょうけれど、そういうことではなく、自分の家族に囲まれた「おばあちゃん」にはなれないんだなぁと。

考えても仕方ないことなんですが、結婚もせず、子どもも産まず、おばあちゃんになる方法ってないもんだろうか?と思ってしまうほどです。(苦笑)
(例えば、「結婚」だけなら、歳をとっても全く不可能ということはないでしょうけど、「おばあちゃんになる」のは既にかなり困難になっていますので…。)

まあ、自分の将来のことは考えてもわかりませんから、今はまず、祖母が早く元気になって家に帰れることを願うばかりです。

今日もまたどうでもいい話題でお許しを…。

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2011年6月 4日 (土)

ちょっと思いついたのですが。

子ども達とレッスンをしていて、数の感覚がすいすい身に着く子も中にはいますが、1年生などで1000を超える数になってくると、多くの子が「スラスラ」というわけにはいきません。

なんとなく、感覚的なものなのですが、多くの小さい子達にとって、日常で自分出会う数、スムーズにイメージができる数というのは、せいぜい1000までということなのではないかなと思っています。

お金をとってみても、幼児や1年生などでお小遣いが1000円を超えている子は限られているでしょうし、仮にお年玉などで数千円、時には1万円単位のお金をもらったとしても、小さい子にそれを自由に使わせるというご家庭はほとんどないでしょう。

お金以外となると、身の回りにあるもので1000を超える数を実感できるものというのは、まずないのではないかとも思います。

教室で使っている教具ではドットの数で1000や10000という数を感じてもらうというものがあるにはあるのですが、サイズも大きい上に、レッスンの限られた時間の中で数回それを見たところで、1000を超える数をすんなり操作できるようになるというのは難しくても当然なのだろうなと。

また、ドットの数だけで1000や10000をイメージできても、それだけではやはり弱いようにも思うのです。

そういう意味でも、ここ1、2年でしょうか、ほとんどの子に対して、意図的に教材の順を入れ替えて、100までの足し算、引き算ができるようになった子達は、それがある程度「熟成」するまで、先に図形の勉強をしたり、時計の勉強をしたりして、様子を見つつ1000まで、10000までに移っていくようにしています。

ただ、それでも、順調に進めばどちらにしろ1年生の間にその辺りの数の学習をすることになりますから、何かもっと「ああ、1000ってこんな数なんだ!」とかいうことを子ども自身が実感できるようなことはないかなぁと以前から思っていました。

で、今日片づけをしているときにふと思ったのですが、1円玉を1000枚、もし可能であれば10000枚用意して、まずは10枚ずつ固めていき100枚を作る。更に100枚ずつ固めていき1000枚を作る…と、実際に手で1円玉を数えるということをさせて、場合によっては1から順にカウントさせていけば、「1000」数えるのは結構大変でしょうし、ああ、こんなに多いんだなと目で見て、手で触って感じることができるかもしれないなと。

また、更にできそうであれば、1円が10枚になった時点で10円と両替、10円が10枚になった時点で100円と両替…としていけば、10進法もはっきり実感できるようにも思います。

多くの子が本物のお金を触るのは結構楽しそうですので(大きな数の割り算の学習の際に使う場合があるのですが。)、印象に残りやすいかもしれません。

モンテッソーリではビーズやタイルなどを使ってそういうことを実際にしたりするようですが、お金とビーズなどいくつかのものでやるとより効果的かもしれません。

お金を1000枚数えるとなると、そこそこ時間がかかりそうでもう少し考えてみてからのことになるとは思いますが、一度しっかり時間をかけて手間のかかることをすれば、その分よりよく頭に残るのは間違いないだろうと思いますし、もしご家庭で取り組んで頂くとしても、1円玉1000枚なら両替の手間はもちろんかかりますが、お金ですから無駄になるわけではありませんし。

自分が忘れないようにちょっと書きとめておきます。

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2011年6月 3日 (金)

僅かに復活傾向。

一時、それも数ヶ月に渡り、読書熱が冷めまくって、ほとんど本を読まずに過ごしてしまっていたのですが、このところ僅かながら復活傾向です。

と言っても、ご紹介できるような本は全くというほど読んでいなかった時期にも、サッカー日本代表関連の雑誌などは読んでいたりもしたので、活字を全く読んでいなかったというわけではないのですが。

最近もザッケローニ監督特集のような雑誌と日本代表の特集の雑誌を買ってしまいまして、どうしてここまでサッカーにはまっているんだろう?と自分でも不思議になりますが、ペースはゆっくりなものの、その他の本もようやく読み進めることができるようになってきた気がします。

この波は一体どうして来るんだろう?と。
過去にも、会社員時代、教育には全く関係ない仕事だったというのに、ある時期教育書を読みふけったこともありますし、教室を始めてからは一時すごい勢いで教育書、育児書などを読んだものです。

独立して以降、この数ヶ月のペースの落ち込みは最大級だったので、我ながらちょっと心配していましたが、とりあえずよかったです。
本棚がいっぱいになってしまっているのもひとつの原因なのかもしれませんね。
思い切って棚一つぐらい処分したら、また読む気になるかも…。

教室がもう少し広かったらなぁとよく思いますが、立地や費用面などで条件に合うようなものがそう簡単には、見つからないだろうなとも…。
今年の夏休みには、教室の模様替えができないかちょっと考えてみることにします。
きっと、子ども達も気分が変わって新鮮な気持ちで取り組んでくれるのではと思ったりするので。

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2011年6月 2日 (木)

考えられる安心感

子ども達は本当にみんなそれぞれに個性があり、能力が異なります。
教室でメイン教材としているものも、確かにこれまで私が出会った教材の中では今のところ一番優れていると思ってはいますが、その教材を、私という同じ人間が提示したとしても、子ども一人ひとり反応が違います。

教室を始める前に、この教材の使い方についてもある程度私自身が学んだのですが、例えば、教具を見せすぎないとか、数える癖をつけさせないとか、色々な注意点があり、初めの頃はそのことに対してぴりぴりしていたようなところもあったのではないかと思います。

ただ、例えばひとつの教具を数回見せただけですんなり理解してしまう子もいれば、教具を見せる目安時間以上見せても全くピンとこない子もいるわけです。
で、ピンとこない子に対してどうするかということが問題になってくるわけですが、結局、どの子も自分がある程度理解できるようになってくれば、自然と見ないでやってみようという気持ちになったりすることが多く、そうでないにしても、長く子ども達とレッスンをしていると、子どもの表情や反応を見ていれば、およそ理解できたようだなとか、まだあやしいんだなとか、そういう判断もある程度はできるようになってきました。

で、子ども達の中には数の感覚が身につくのに時間がかかる子がいます。(最初のうちだけで、そのうちだんだん速くなってくるということももちろんありますが。)
そういう子達とレッスンをしていると、例えば数の教具を見せていても、実際に見ている間はいいのですが、それを頭でイメージするように促しても、その段階がかなり大変だという子がこれまでに何人もいました。

もちろん、マンツーマンとか、進度を全く気にしなくていいとかであれば、延々と教具を見せ続けることもできるのかもしれませんが、そうなると、例えばおうちで課題に取り組む際も、おうちの方がついていないと自分では解けない、もしくは、それでも解こうとすると指で数えて答えを出そうとしたりというようなことになる可能性は否めません。

最初の段階で苦労する子が比較的多いのが20までの繰り下がりの引き算なのですが、10までは比較的すんなりと来ても、20までになると急にがくんとペースが落ちるような子達にはどうしたらいいんだろうなと思っていました。

そこで、少し前からですが、実際の教具を見る段階から教具の絵が描いてあるプリントに進み、次の段階で足踏みしてしまう子達には、計算式だけのプリントに5のかたまりを表す細長いマル(もしくは線)と5に満たない数の部分はマルを使って、その数を図に表してもらうようにしてみました。

その図は描いてもいいし、描いた図は見てもいいことにすると、それまで全く考えられていない様子だった子達の表情が変わり、時間はかかっても考えられるようになることがほとんどでした。
そして、それを繰り返すことで、子ども自身が5のかたまりを意識し、数の「形」を意識するようになり、つきっきりでなくとも子ども自身が考え、徐々に図を描かずに頭の中で考えられるようになっていきました。

はっきりイメージできる子に図をかけというと、面倒がる子もいるでしょうが、イメージするのが苦手な子であれば、見える状態にするということが重要なのだと思います。

そして、これまでにも何度も書いていることですが、子ども達は最初のうちは考えることにとてもとても時間がかかる場合が多いので、家庭学習などの際にも、周りの大人がくれぐれも邪魔をしないよう(途中で思考を遮るぐらいなら、子どもが何か言ってくるまでは放っておくほうがいいぐらいだと思います。)じっくり待ってあげてもらえたらと思います。

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2011年6月 1日 (水)

もう6月ですね。

早いもので、今日からもう6月。
既に今年も5ヶ月過ぎてしまったわけです。

長友選手の自叙伝を読んで、爪の垢でももらわなきゃなぁと思ったものの、相変わらず時間を無駄にしまくってしまっていて、この調子だとあっという間に今年も過ぎてしまいそうです…。

せめてもの救いは、引っ越しをして、ほんの少しだけ「無精度」が改善されていることですが、これをきっかけにしっかり変わらないと、またきっかけをなくしてずるずると行ってしまいそうな予感が…。

話は変わりますが、今日は日本代表のペルー戦がありましたね。
運よく今日はレッスンが終わるのが早い日だったので、レッスン終了後教室でキックオフから試合を見ることができました。

そして、まあ、ひいき目(?)もあるのかもしれませんが、アジアカップのときから比べても、長友選手が明らかに風格を増したというか、醸し出すオーラが一段と増したというか、ああ、あの環境に身を置いて、しっかり信念を持って努力したら、こんな短期間でこんなにも変わるんだなぁと感じました。

代表として試合に出るようになってからずっと一定以上の活躍をしていたからこそインテルへの移籍が実現したのは間違いないわけですが、インテルに身を置いて、日々、各国の代表選手がひしめく中でレギュラー争いをし、レベルの高い選手たちの中で同等にプレーできるようになった、その数ヶ月は、先日コッパイタリアで優勝した後のインタビューで彼自身が言っていたように、「10年分」ぐらいの重み、価値があるのでしょう。

最近やたらとサッカーの話題になってしまいますが、サッカーに限らず、「朱に交われば赤くなる」とか「類は友を呼ぶ」とか言われるように、多くの人は自分の身を置いた環境に多かれ少なかれ影響されるものなのだと思います。

例えば、勉強を例にとれば、宿題はやるのが当然という友だちたちの中にいれば、それが「当たり前」になり、宿題は適当にごまかして…というのが日常の仲間の中にいれば、それが「当たり前」になってしまうというようなこともあるでしょう。

難しい問題でも周囲の子達がそれに当たり前に取り組んでいれば、「難しい」の基準も変わっていくものなのだろうと思います。

もちろん、それぞれの性格や能力も見極めないといけないとは思いますが、宿題などを出すときも、当たり前にある程度のボリュームを出してしまえば、そのうちそれが「当たり前」になっていくというようなこともあります。

何かを始めるときに「格好から入る」というのも、時には有効なのかもしれませんね。

私も、今日はがんばった!と思える日が1日でも多くなるよう過ごしたいと思います。

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