心にひっかかったこと。
昨日、塾講師時代の教え子くんが話してくれたことを聞きながら、あることがとても心にひっかかりました。
彼がその話をしてくれるに至ったきっかけは私がした高校時代の恩師の話だったのかもしれません。
彼は偶然、高校も大学(学部は違いますが)も私と同じで、特に高校時代の話はもしかすると彼の興味を引いたのかもなと、彼の話を聞きながら感じました。
色々な話をしましたが、そのうちのひとつ、高1のとき私は教育学部を目指すか、服飾専門学校を目指すか、真剣に迷っていたという話。
進路指導のときに担任が私の話をとても自然に受け止めて、服飾専門学校に関して否定するでも馬鹿にするでもなく、あくまでもさらっと「だったら神大の教育を目指したらどうですか」と言ってくださったのだという話をしました。
私自身ずっと思っているのですが、もしあの時担任が「何馬鹿なことを言ってるんですか!」とでも言おうものなら、天邪鬼な性格ですから、意地になって服飾専門学校へ進んでいたのではないかと思います。
ただ、大学に行って、その後就職もし、色々な経験をしてきた中で、教育学部に行ってよかったと心から思っているので、あの時の担任の対応は本当にありがたかったと思っているのです。
そんな話をしてしばらく後に、彼が自分の打ちこんでいること、ずっと続けたいと思っていることの話を聞かせてくれたのですが、彼が言ったのです。
自分が高校のとき、信頼していた先生に、自分としてはかなりの決心をして思い切ってその話をしたのだそうです。
私が服飾の道を目指そうとしたように、彼の目指す道もいわゆる「進学校」に行った子達が一般に目指す道ではないのかもしれません。
少なくとも、進学校で教鞭をとっている先生方には、「だったら何のためにこの高校に来たんだ?」と思われても仕方ないことなのかもとは思います。
しかし、彼は信頼している先生だったからこそ、思い切ってその話をしたようです。
けれど、その先生からは彼の発言を少し馬鹿にしたような風に、軽くあしらわれてしまったのだと。
「あれは今もずっと(心の中に)ありますね…。」
少し残念そうにそう言いました。
もちろん、今の彼は自分なりに考えて、資格を身につけ、並行してその頃から変わらない夢に向かって努力も続けていこうと決めたようですから、そのときのことで彼の進路が大きく変わったというわけではないのでしょう。
でも、もう5年以上前のたった一度のやりとりがずっと彼の中で「残念な記憶」として留まっているのです。
私は担任のお蔭で変な意地を張らずに済みました。
本当に些細なことかもしれません。担任は意識していたかどうかもわかりません。
でも、仮にほんのひと言でも、服飾を軽んじるような風が先生の態度に見えたら、私は先生のアドバイスを素直に聞き入れることはできなかっただろうと思います。
結果的に教育学部を目指していたかもしれませんが、やはりきっと、それはなんとなく自分の中でわだかまったままになっていたのではないかと思うのです。
そして、彼は、馬鹿にされるかもしれないと思いながらも、この先生にならと勇気を出して話したのに、その思いをきちんと受け止めてもらえず、今もそのことがもやもやと心の中に残っているのです。
多感な時期の子ども達に大人が何気なくかける言葉が、時にその子の人生を大きく左右してしまうかもしれないということを改めて感じました。
もちろん、先生には先生なりの言い分もあるでしょう。実際、服飾の専門学校を目指すであるとか、彼の夢であるとか、それらを実現させるには、進学校に入る必要はないかもしれません。
それでも、中学時代にはまだはっきり見えていなかった自分の目標や夢が高校に入って見えてくることだってあるでしょうし、母校は確かに進学校ではありましたが、人間的に素晴らしい先輩や友人たちも多く、勉強だけでなく大切な経験ができる場でもあったと思います。
私たちの場合はたまたま同じ高校での経験でしたが、何も高校に限ったことでなく、それも進学校かどうかに関わらず、子どもに接する大人が発する何気ないひと言がものすごく重いものになる場合があるのは間違いないのではないかと。
私は今のところ高校生には関わっていませんし、中学生とも数学を週1回だけという感じですから、進路を左右するような話をする機会はそうそうないとは思いますが、子ども達がそういう話をしてきたとき、本人の顔が真剣であれば、その話がどんな内容であれ、こちらも真剣に受け止めて、真剣に答えねばと、改めて思いました。
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