人のいのち
今日、いつもお世話になっている先生から訃報が届きました。
教室を始めて間もない頃、ああ、こういう指導の仕方があるんだな、こういう勉強法があるんだな…と、色々な気付きを得ることができた本やブログがいくつかあります。
どんぐり倶楽部の糸山先生、「強育論」を書かれた、パズル問題でも有名な宮本先生、そして、「考える力」ということを意識し始めたときにネットを介して出会った城内先生。
もちろん、ほかにも教室を始めるきっかけとなった先生を初めとして、多くの素晴らしい先生方の著書やブログに出会えたこと、そして中には実際のご縁を頂いたことで、細々ながらも未熟な私がこうして教室を続けさせてもらえているのだと思っています。
その先生方のおひとり、「考える学習を進める会」の城内先生がこの17日に亡くなられたとの知らせでした。
無精者の上、極めて腰の重い私は、いつかお目にかかりたいなと思いながらも、これまでに二、三度お電話でお話をさせて頂いたことがあっただけで、実際にお目にかかる機会がないまま何年も経ってしまいました。
城内先生は大きな勘違いをしておられて(まあ、お目にかかったことがないからというのが大きいわけですが…)、ブログのコメントなどをくださるときには私のことを「大和撫子」の「撫子姫」と呼んでくださったりもしていました。
他にも色々過大評価をして頂いていて、いつか誤解を解かねば…と思っていました。
大ベテランの先生でいらっしゃいましたが、まだまだお若く、3月の初めまでは多少体調が優れないことはおありだったようですが、ブログも更新され、塾でのお仕事もされていたようです。
ですから、知らせを聞いても全く実感がわかないのです。
直接お目にかかったことがなかったので尚更、お電話を差し上げたら、またお話できるような気がしています。
詳しいことは何も伺っていませんので、わからないのですが、3月初めにご入院されたとのことですから、あまりにも早い…。
ちょうど、このたびの震災で「人のいのち」というものについて、ぼんやりと考えていました。
ついさっきまで当たり前にそこにいた人が、一瞬にして波にさらわれてしまう、建物の倒壊に巻き込まれてしまう…。
特に天災は本当に予想もしないときに突然、誰にでも襲いかかる可能性があり、ほんの数分前までそこにあった大切なものが呆気なく失われてしまうことがある…。
人生ってなんだろう?人のいのちってなんだろう?
考えてもわからないことですが、ちょうどそんなことを、このところぼんやり考えていました。
そして今日の訃報。
数年前からとてもお世話になっている先生のお一人が以前言っておられたことがあります。(最近の私の記憶力は相当あやしいので、お話の内容が少し違っていたらお許しください。お知らせくだされば訂正いたします。<A先生)
その先生とのご縁を繋いでくださったのが、奇しくも城内先生でした。
A先生はあるとき、城内先生を介してご連絡をくださり、わざわざ新幹線に乗って会いにきてくださいました。
A先生には、とても尊敬し、いつかお目にかかりたいと思っておられた素晴らしい先生がおられたそうです。
いつか…と思いながらもなかなか機会がなく、ようやく連絡を取られたところ、その少し前にその先生が亡くなられていたのだと。
どうしてもっと早く連絡を取らなかったのかとても悔まれたそうで、それ以来、会いたいと思えばすぐに行動に移すようにしているんですと、そんなことを聞かせてくださいました。
あのときのお話が今日、ようやく少し実感できた気がします。
私は最近以前にもまして一層時間を無駄にしているなぁと思うことが多くなりました。
なぜもっと時間をうまく使えないのか、時間を生かせないのか、何をするにも腰が重いのか…。そんなことを日々感じ、自分に嫌気がさしながらも、ちっとも変われずにいます。
独立する前の年、最愛の恩師が若くして亡くなられました。
あのとき、一歩でも先生に近づけるようがんばろう。そう思ったはずなのに、私は口ばっかりでちっともがんばっていません。
恩師にしろ、城内先生にしろ、まだまだお若くて、多くの方に頼られ、慕われていた方が早く天に召されてしまうのは、「もう十分がんばったから戻ってきていいよ」と神様が呼びもどしてしまうのかもしれません。
城内先生、色々貴重なご指導を頂いておきながら、何もお返しもできないまま、お目にかかることも叶わず、誤解を解くことさえできないままになってしまいました。
申し訳ありません。そして、本当にありがとうございました。
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