かれこれ7年近く、子ども達と一緒にレッスンをしながら、プリント教材をやっている子に関してはほぼ全て解答は持たず、その場で私も計算して丸つけを続けてきました。
そのほかの教材に関しても、できる限り事前に解いておくようにしているので、もともとそろばんの経験もなく、暗算は決して速くもなかった私でも、昔に比べると随分暗算できるようになりました。
そして、苦手だった図形の問題なども、子ども達と一緒に解き続けていると、やはり随分できるようになりました。
もちろん、年齢が年齢ですから、子ども達のようにすごい伸びを望むのはもう難しいだろうと思いますが、こんな年齢の私でさえ、こうして考え続けていることで、問題によってはパッと見て感覚的に答えが出てしまうということもあります。
そういうことがあると、ああ、そうかと思うことがあるのです。
パッとひらめいた場合、確かに答えは出せるのですが、ひらめかない場合、そういう人でもわかるように教えるとなると、そこからあれこれ考え始めることになります。
まあ、私程度のレベルだと、超難問を天才的なひらめきで!みたいなことはないので、基本的にはわからない子の場合はどう考えてもらえばいいかを考えることはできますが、本当にセンスのある人、できる人の場合はちょっと違うのかもなと。
塾講師をしていた頃、よく中学生の子達が数学の先生の説明がわかりにくいというようなことを言っていました。(特にやや苦手な子たちが。)わからないと言うと、同じ説明を繰り返されるのだと嘆いていた子もいました。
そのとき、漠然と、ずっと数学が得意だった方には苦手な子の「わからない」がわからないんだろうなと思っていたのですが、そういう方の「わからない子への説明の仕方がわからない」という感覚はこういうことなのかもなぁと(抽象的ですみません…)。
ああ、なんか話が逸れていますね。
で、私自身、こんな年齢になってからでもある程度は能力を伸ばすことが可能だったということを踏まえて、改めて思うのです。
中学入試の問題などを見ていると、工夫を思いついたらあっという間に解けてしまうような問題も少なからずあります。
そうでなくても、何かひらめけばそう難問ではなくても、ひらめかなければかなり厄介だというような問題は結構多いのではないでしょうか。
例えば、まともにやればかなり面倒な数が並んでいる計算問題でも、どこかを先にしたりまとめたり、ばらしたり、倍にしたり、半分にしたり、そういう工夫で一気に簡単になる問題があった場合、小さい頃から大量に計算練習をしてきた子であれば、工夫も何もなしで一気に計算して答えを出すかもしれません。
計算だけならもちろんそれでもいいと思うのですが、小さいうちに具体物を使ったり、絵や図を描いたりしながら、数を感じて問題を解いてきた子は、計算スピードで多少劣ったとしても、数のセンスが磨かれていれば、工夫を思いつくことは得意だという子も出てくるでしょう。
そうやって、数に限らず、色々なことを感覚を伴いつつ、時間をかけてじっくり学びとってきた子達は、コツコツ大量にパターン学習をしてきた子と比べ、頭が柔らかく、何か思いつく、見てひらめくということが確率的にも高いのではと。
まだまだ世間一般には小さいうちは計算力を!というような考え方が一般的なのかもしれませんし、本当に基本的な計算はできないと困るとは思いますが、計算ばかりをどんどん進めていくというのは、せっかく頭の柔らかい大事な大事な時期にたくさん時間を割いてやるべきことではないように思います。
数を感じる。場面を描く。形に親しむ。量を体感する。自分が納得するまであれこれ考える。
そういうことこそとても大切なのではと改めて感じます。
小さいうちに時間をかけて味わい、自分で発見したことは必ず力になると思います。
センスを伸ばしたい、磨きたいというのであれば、尚更、小さいときの経験、学びが重要なのではないかと。
もちろん、ひとりひとりの子どもの好き嫌い、得意不得意はみんな異なりますから、全ての子に当てはまるとはいいませんが、多くの場合そう言っていいのではないかなと思います。
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