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2010年2月28日 (日)

オリンピックも明日でおしまい。

土曜は朝から教室に入って、そのまま晩遅くまでだらだら残っていたもので、チリで大地震が起こっていたことを全く知らず、今日の新聞で初めて知りました。

日本では津波の影響で冠水の被害が出ておられるところがあり、長時間避難所に身を寄せておられる方も大勢おられるようですので、ご不自由もおありだろうと思いますが、大きな被害がなくて何よりでした。

ただ、日本にまで津波の影響があるほどの地震となると、チリの被害の状況は…と思うと、少しでも被害が少ないことを願うばかりです。

連日のように夜更かししてしまったオリンピックも明日が最終日だそうですね。
今日はチリ大地震の影響でテレビ番組が大幅に変更になったようで、新聞でフィギュアのエキシビションがあるのを発見し、テレビをつけたら津波情報を知ったような状態だったわけですが、深夜に放送されるらしいと知って、楽しみにしていました。

しかし、待てど暮らせど始まらない。また予定が変わったの?と思いつつ、ちょっと嫌な予感が…。
チャンネルを切り替えてみると……。

やってました…教育テレビで……。(泣)
気付いたときはもう残り40分ほどになっていて、結局、日本人選手の演技は誰一人として見ることができませんでした………。(悲)

ただ、番組の最後にそれぞれの選手の演技の一部が流れたときの真央ちゃんの顔が、すっかり晴れ晴れとした笑顔になっていて、よかったなぁと思いました。

明日からもう3月。
オリンピックも終わりますから、そろそろ超夜更かしを少し戻さねば…。

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2010年2月27日 (土)

う~む…。

更新せずに寝落ちてしまいました…。(汗)

土曜のレッスン。久しぶりにちょっと覚悟しながらのレッスンがありました。
過去にも何度かあるにはあるのですが、正直結構つらい時間です。

というのは、事前に言っておいたことをきちんと守らなかったときなど(それも大抵の場合、何度かは多少譲歩したり、猶予をあげたりして、その上という感じですが)、反省する様子もなく、時には少し笑みまで浮かべながら「できなかった」とか「やってない」とか答えてしまう子がいると、根競べが始まってしまうのです…。

それも、もちろんケースバイケースで、どの程度譲歩するかなど、その子の性格や事情なども考慮しつつなわけですが、今回は普段とても元気がよくて、しゃべり過ぎて注意されることもあるような子なのに、言わなくてはいけないときに何も言えなくなってしまう子で、おうちの方も、うちでのやりとりだけでなく、そのことを気にしておられるという子でした。

前回、レッスン中あまりにだらけていたので、次までにあるプリントを仕上げて持ってこなければ算数のレッスンをしないと、真剣に伝えたつもりでした。
なのに、「あれ(プリント)持ってきた?」と尋ねると、「あぁ。」と少し笑いながら、「こんなんなってしもた~」と雨に濡れて端の方が少し破れてしまったプリントを見せました。

濡れて破れてしまったのは仕方ありません。ただ、それでも問題は読みとれていましたし、本当にやる気があればできるはずです。
そして、もし本当に、これではできないと思ってしまったのであれば、できなかったことを笑いながら報告できるのも、やはり違うように思うのです。

こういうとき、一般的な塾や教室の先生はどうされるのかわかりません。
ただ、私は勉強ができるかどうかよりもっと大事なことなのではないかと思えば、その時間が無駄になってしまっても、子どもに迎合することができないのです…。

この子に関しては、普段はいくらでも話せるのに、肝心なことがひと言も言えないというのは、うちでのレッスンに限ったことであれば、嫌なら辞めればいいという話でもありますから、別にかまわないのかもしれません。
ですが、ほかの場面でもそうなのだと伺っていたこともあり、本人の口から「ごめんなさい」という言葉が出るか、濡れて一部が破れたプリントを取り出して、その問題を解こうとするか、そのどちらかでもしてくれたら、それでいいことにしようと思っていました。

レッスンが始まって10分もたたないうちに根競べ開始です…。
他の子たちとは普通にレッスンをしつつ、視線の端で様子を伺っているのですが、いっこうに何も動きがありません。
何分かに一度は「どうするの?」と声をかけて水を向けたりもしてみるのですが、やはりたったひと言も声が出ません。

こういうとき、過去他の子と同じようことになったときも、全くレッスンにならなければ、お月謝はその分お返しするようにしてきました。
貴重な時間は1時間無駄にしてしまいますが、少なくとも保護者の方に対して、お月謝まで無駄にさせてしまうのは申し訳ないですし、お月謝を頂くとなると、覚悟を決めて根競べもできなくなってしまうので、勝手ながら自分が納得するため、そうさせてもらうようにしています。
おうちの人に怒られるからとか、お月謝払っているのにとか、そんな理由で謝ったりしてほしくないということも少しあります。
ですから、「何もしなかったら、今日の分お月謝はお返しするから、しないんだったらしなくていいよ」というような言葉をかけたりもします。

ただ…それら全てが私の価値観による判断でしかないわけですから、根競べをしながら、もちろん頭をよぎります。
もしこれで保護者の方がお怒りになられたら、この子とはお別れになるかもしれないということが。

それでもやはり、そこは譲れないと思えば、覚悟を決めるのです。
教室では勉強だけ教えてもらえばいいというお考えの保護者の方は、きっと私の考え方は迷惑でしかないでしょう。
そして、そこまではお思いではない方であっても、私の判断が間違っているとお感じになられれば、やはり責められるでしょうし、教室をお辞めになることもあるかもしれません。

ああ、これでこの子とお別れになるかもしれないな…と、そんなことを思いながら、けど、この子は私がこんな風に思っているなんて気付いてないんだろうなと…。
そして、結局たったひと言も発してくれないまま、レッスン時間が終了しました…。
最後に、手伝って頂いている先生の助けを借りて、「ごめんなさい」とようやく言ってくれたので、少しだけ話をして見送りました。

結局、幸い、その子のおうちの方はご理解くださって、ホッとしましたが、その1時間は私にとってもとても辛い時間でした。

こんな話、自慢にも何もなりませんが、ただ、ひとつだけ弁明させて頂くとしたら、覚悟を決めて根競べするほどの状況になるのは、その子のことが好きだから、大事に思っているからであるということだけは本当です。

10分近く遅刻してきて(それ以上の場合はお電話を入れるなりするので)、普通に入ってくる子に「遅かったね、なんで遅れたの?」と尋ねたとき、「遊んでた」とか「知らん」とかいう返事が返ってくると、やはりひと言言ってしまいます。

約束の時間に遅れているのですから、仮に笑いながらであっても「遊んでて遅れた、ごめんなさい」とひと言お詫びの言葉を口にしてほしいのです。
それは私に対して謝ってほしいというより(大抵の場合、10分程度なら調整はつくので、目くじらを立てるほどのことではありませんし…。)、ひとつの礼儀なのではないかと思うからです。

もちろん、普段からこちらが何も促さなくても、すごく丁寧に理由を言って謝ってくれる子もいますし、そこまででなくても、入ってきて時計を見て遅れていることに気付くと、「あ、遅れた、ごめん」と自然に言える子もいます。
そういう子を見ると、やはり気持ちいいなぁと思いますし、結局、そういう子が人から可愛がられるのではないかとも思います。

小さい子の多くは素直ですから、自分で納得がいけば、すぐにでも変わってくれるもののような気がします。

1時間の根競べで、その子が何か感じてくれているといいのですが…。

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2010年2月26日 (金)

しみじみ思ったこと

今日はやはりこの話題になってしまうのですが、女子フィギュアのフリーの日でしたね。
私はまだあどけなさいっぱいだった頃から真央ちゃんが好きだったので、もちろんがんばってほしいと思っていましたし、やはり日本人ですから、日本選手みんなの健闘を祈りながらテレビを見ていました。

鈴木明子さんのことは、偶然深夜に彼女のドキュメンタリーを見て、いい演技ができるといいなと心から思っていましたし、実際、きっと彼女が目指していた演技、彼女なりにほぼ納得のいく演技をされたのではないかなと思いながら見ていました。

今回の結果は、色々な意見もあるようですが、まだ19歳の金選手にかかっていた国の期待の大きさを想像すると、完璧な演技ができたことで喜びはもちろん、ものすごい重圧からもようやく解放されたんだろうなと思いながら見ていました。

真央ちゃんは、演技の途中でミスが出てしまったことがとても悔しいだろうなと。
仮に負けるとしても、彼女なりの納得のいく演技をした結果であればよかったのにと、彼女の涙、表彰台での硬い表情を見ながら思いました。

ただ、今回のオリンピック、日本のフィギュア選手の層の厚さ、レベルの高さをしみじみ感じさせてもらいました。
男女とも3人ずつ出場でき、更にその3人とも全員が入賞を果たしたのですから、本当にすごいことだと思います。

でも、ちょっと違うことも感じながら見ていました。

世界中から選ばれて、フリーについては僅か24人しか演技ができないということ。(その中に日本代表が3人、日本人が4人というのは本当にすごいと思いますが。)
その僅か24人に選ばれている方達なのに、素人の私が見ていても、明らかにレベルの差を感じる選手が少なからずおられました。

世界中から24人に選ばれることだけでも本当に本当にすごいことだと思うのですが、その中でも明らかな力の差を感じるということは、ナンバー1になる人、ナンバー1を争える人というのは、やはり特別な存在なんだろうなと。

うまく言えないのですが、そして、年齢やそのときのコンディションなどによってももちろん変化していくものだとも思いますが、頂点を極められる人というのは、努力はもちろんのこととして、やはり突き抜けた才能、センスを持っておられるんだろうなと思いました。

それはフィギュアに関してだけでなく、どんな競技でも、スポーツの世界でなくても、言えることなのかもしれないなと、そんなことを思いながらテレビを見入ってしまいました。

浅田選手、安藤選手、鈴木選手、皆さんお疲れ様でした。
素晴らしい演技を見せてくださって、ありがとうございました。

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2010年2月25日 (木)

見事なまでに…。

子ども達とレッスンをしていると、かなりの高確率で、それはもう見事に同じような状態になってしまうことがあります。

計算式がずらりと並んでいるようなプリントをさせていると、大抵その状態になってしまうのですが、同じようなパターンの計算を2枚、3枚と続けていると、ほとんどの子がどんどん表情が曇り始め、そのうち、さっきまでできていたことや、普段なら絶対簡単なはずのことができなくなり始めます。

筆算ばかりが何枚か続いたり、時間計算ばかりが続いたり、長さの計算ばかりが続いたり、とにかく、計算問題ばかりが並んだプリントを何枚か続けてさせると、多くの子が「おかしく」なります。

これは自分の経験を通して感じていることで、何か根拠があるとか、こういう理由でと説明がつくとかではないのですが、おかしくなってしまったら、一旦単純計算ではないような別のプリントに切り替えると、またちゃんと考えられるようになることが多いです。

もちろん、計算が得意で少々同じようなプリントが続いても平気な子もいますが、普段じっくり考えられる子、よくできる子でも、多くの子が同じ形式の計算が続くと調子がおかしくなってしまうのです。

教室では1枚のプリントでも計算問題は大抵半分ぐらいしかさせません。それなのにです。
だとすれば、よくある反復式の計算を大量にやっても大丈夫な子たちって一体どんな子たちなんだろう?と、正直かなり不思議に思っています。

当然、能力がとても高くて苦にならないという子もいるとは思いますが、うちの教室では早くしろとも大量にしろとも言わないのに、かなり多くの子がおかしくなってしまうのです。
とすれば、ずっとそれを続けている子たちの中に「ずっとおかしい状態」になってしまっている子がいても不思議ではないように思います。

同じ形式のものが続くとおかしくなる子が多いと感じ始めてからは、筆算が続くときには何枚かおきに文章問題やパズルの問題などをはさみ、気分転換をさせてからまた戻るようにしたりしています。
そうすると、「おかしく」なることがあまりありません。(小さい子たちなので、その日のコンディションなどによってももちろん変わりますが。)

もし、ご家庭で計算問題などをたくさんさせているとき、間違いを連発し始めたり、手が止まってしまったりしているようなことがあれば、一旦気分転換をさせてみられるなど、子どもの様子を見てあげてほしいなと思います。

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2010年2月24日 (水)

ふと疑問に思ったんだけども…。

今日の帰り、ふと「平均寿命ってどうやって計算してるんだろう?」と疑問を持ちました。
ありがたいことに、うちの両親は元気でいてくれますし、まだまだ元気で長生きしてもらいたいとは思いますが、それなりの年齢になっているのは紛れもない事実でもあって、独身、子どもなしの身としては、両親の存在というのは本当にかけがえのないものであるだけに、寿命というものが気になったりもします。

あくまでも「平均」ということなのだから、それ以上長生きする人も、早くに亡くなられる方もおられるのはわかっているのですが、一体どうやって計算されているんだろう?と思ったので、ちょっとネットで調べてみました。

こちらが発表しているようですので、このサイトを見るのが一番正確な情報が得られるのだと思うのですが、別のサイトでも計算方法などが紹介されていました。

しかし……Σだのなんだの、高校時代挫折した高等数学の式がずらり…。
書かれている説明も、私には難解で結局ぼんやりとしかわかりませんでした…。(汗)

けど、こんなところでも高等数学が使われているんだなぁと、そんな発見がありました。
まあ、この計算式を理解するために挫折した高等数学を1からやり直すなんてことはできそうにありませんが…。

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2010年2月23日 (火)

難しい…。

少し前からちょっと迷っていることがあって、そのせいで尚更、のらりくらり、どうでもいいような更新が多くなっているところもあるのですが、何かを発するというのは難しいものですね。

ブログを書き始めた頃は、まだ通ってくれている子たちも少なかったので時間の余裕があったり、書き始めたところで力が入ってしまっていたり、書き始めたらどんどんエスカレートして語ってしまったりなんてこともありました。

また、教室を始めて数年間は、身近で大量の機械的反復学習をしている子が少なくなかったこともあり、尚更そのあたりのことは力が入って、自分も全く未熟だというのに、なんだかえらそうに語ってしまったりなんてこともありました。

たまになんかのきっかけで過去の記事をいくつか読み返したりすると、思わず顔から火が出そうになることもあったりして、それでつい先日、過去の記事を全部消そうかなと考えたりもしたのです。

パスワードも何も設定していませんから、このブログは基本的に日本語が読めるネット環境の方ならどなたでも読めるものです。
何か意見を言えば、もちろん反対意見をお持ちの方もおられるだろうということもわかります。
自分の意見が常に正しいなんてことは当然あり得ないですし、私はまだまだ知らないことだらけなので、色々なご意見を伺いたいとも思いますし、できるだけ色々な本を読むようにもしています。

過去に考えていたことが、時間が経ち、知識や経験が少し増え、少しずつ変わっていくこともあります。(「わかりやすく教える」から「極力説明しない」という転換はとても大きな変化でしたが。)

何も発信しなければ、少なくとも知らない方からご意見を頂くことはないでしょうし、また、ダメダメな自分を過大評価されることもないんだろうと思います。

何か書くことがきちんとまとまったときだけ更新するということもひとつの方法だろうとも思うのですが、毎日何か書くということを習慣づけておかないと、私のことですから、多分あっという間に楽な方に流されて、書かなくなってしまうんだろうなとも思いますし、また、ちゃんとしたものしか発しないと決めてしまうと、ハードルが上がってしまって書けなくもなりそうな気がするのです。

ただ、何かを熱く語ると、それを鬱陶しくお感じになる方もおられるのでしょうし(もちろん私はそんなことを望んではいませんが…)、デリケートな話題であればいい加減に書くこともできず、そんなこんなで、のらりくらりとしています。

ご忠告頂いたり、ご批判頂いたりすることは、本当にありがたいなと思えることもあります。
ただ、そういう言葉をくださる方がどなたなのか私には全くわからない状態はやはりどこかすっきりしないものがあります。

お子さんを通わせてくださっている保護者の方のご期待に添えなければ、自分の力不足が原因ですから、大変申し訳なく思います。

うまくまとまらないまま書き始めてしまい、申し訳ありません。
今日のところはこれにて…。

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2010年2月22日 (月)

今日レッスンなくてよかった…。(汗)

昨日、いつものように夜更かししていて、そろそろ寝ようかなと思ったときに始まった女子カーリング予選。(オリンピック期間は時々テレビを見ています。)

詳しいルールも何も知らず、なんとなく不思議な競技だなぁと思っていただけで、これまで、テレビであってもちゃんと観戦したことはありません。
ただ、先日、日本代表のカーリング選手の中にとても美しい人がいて、中国でも人気になっているなんていうニュースをネットで見かけたこともあり、美人好き(をい)な私はちょっと見てみようかなと。

そしたら、すっかりはまってしまいました。
ルールはまだ多分7割か半分かぐらいしかわかっていないのですが、手に汗握るような試合で、わからないなりにも夢中に…。

しかし、カーリングって1試合2時間とか2時間半とかの長丁場なんですね。驚きました。
ただ…「氷上のチェス」とも呼ばれると言っていましたが、確かに頭を使う競技だと思いますし、技術の正確さなどが問われるのも間違いありませんが、スポーツというのとは若干イメージが違うような気が。いや、まあ、氷をブラッシングするのとか体力も必要そうですし、、ストーンを滑らせるときのあの姿勢とかは鍛えなきゃできなそうなポーズでもありますが。

で、ニュースで美しいと言われていたのはこの方かなぁ?と思う方は確かにいましたが、チーム青森、みんな美人ですよね。
けど、日本のカーリング人口ってどのぐらいなんでしょう?
神戸にもやっている方っているんでしょうか?(さすがにいないか?)

2時間半とかの長丁場なのに、今日は日本時間のお昼にもう1試合あったようで、そちらは惜敗してしまったようですが、残りの試合も是非がんばってほしいです。
しかし…ロシアとの試合が終わったら朝5時を回っていました…。それから寝たんですけどね…。
今日レッスンじゃなくて本当によかったです。(汗)

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2010年2月21日 (日)

これ、私も思いました…(汗)

休日につき、またもど~でもいい話題ですみません。

今日新聞を見たら、なんだ、そうだったのか~と思った記事がありました。
ネットでも出ていましたので、ご覧になっていない方はどうぞ。

バンクーバー五輪:スピード競技ウエア 下着透けてる?

男子スピードスケートの代表選手たちがテレビに映ると、なんだか気になる影が…。
スピードスケートの選手って、ウエアの下に外国人顔負け(?)の下着をつけるのね?あれが競技に向いているのかした?なんか意外…と思った私…。
けど、透けないように色を考えるとかしないのかなぁ?それとも気付いてないのかな?と真剣に思っていました。

なんと、あの影は下着じゃなかったんですね!(驚)

いや、ミズノさんが驚くより、海外メディアの反応のほうが普通な気がするんだけど…。
開発段階や、実際に選手が身につけて見た後でも、誰も何も思わなかったんでしょうか?その方が不思議…。

まあ、疑問が解けてすっきりしましたけど。(笑)

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2010年2月20日 (土)

今日も余談ですみません…。

今週も無事終了しました。
土曜は終わると気が抜けるのか、週末疲れもあるのか、いつもに増して何か書こうかなぁと考えてもイマイチ思い浮かばず…。(汗)

で、完全な余談を。

結局ニュースで演技のほんの一部しか見ることができませんでしたが、男子フィギュア。
今朝の新聞に高橋選手と長光コーチのことが1面に大きく出ていましたが、記事を読みながらなんだかとても感動しました。

昨シーズンの大きな怪我を乗り越えての男子初のメダル。高橋選手、本当に素晴らしいと思います。

そして、改めて感じたのが、織田選手の靴ひもが切れたときの彼の発言で、一流の選手たちはやはり凡人には想像もつかないところにいるんだなぁと。
靴ひもが切れていたのに、それを交換することで感覚が変わってしまうのが気になって、交換せずに演技に臨んだと言っておられましたが、「靴ひも」ひとつで演技に影響が出るような、そんな想像の及ばないところにおられるんだなぁと。

それを思うと、スピードスケートの長島選手が1000Mのときにスタートのトラブルが重なって37位という結果だったのも、納得がいきます。
靴ひもの感覚でさえ演技に影響するような、そんなところにおられる方たちにとって、スタートのときに合わせて最高の状態に持ってこられるよう調整しておられたのでしょうから、あんな普通では考えられないようなトラブルが重なっては、力を発揮できなくても、それは当然のことなのでしょう…。本当にお気の毒だと思います。

以前、陸上の為末選手が、オリンピックが終わった日から、4年後に向けてのスケジュールを組むというような(終わったからといって、無計画にしばらくのんびりするとかそういうことはないのだというようなお話だったような)ことをおっしゃっていたように思いますが、世界で戦う方たちというのは、本当に想像を遥かに超えた努力、節制をしておられるんでしょうね。

それにしても、すごい数の国が参加するオリンピックで、今回日本男子フィギュアの選手は代表3人とも8位内に入賞されたというのは、本当にすごいことですよね。
世界中で8人の中に日本人が3人も入っているなんて。

女子のフィギュアも楽しみです。(でも、見られないのかな?私は…。)

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2010年2月19日 (金)

なんとなく変な感じが。。。

出勤の際、2駅だけ電車を利用します。
2駅であっという間なので、大抵は座らずドアの側に立っていて、本を読んでいることが多いのですが、今日はドアの上の狭いスペースに貼られている車内広告が目に留まり、どうもなんだか気になってしまいました。

携帯電話でできるゲームの広告のようだったのですが、庭を作り上げるようなゲームなのだろうと思います。
4コマ形式のようになっていて、その1コマ目が確か、「芽が『生え』ます」。そして、4コマ目が「庭『が』『彩り』ます」(『 』は私がつけました。)となっていました。

なんだかどうも違和感が…。

私の知識はかなりあやしいところもありますし、言葉は色々な使い方があるとも思いますので、それが間違いだとまではいえないのですが、「芽」といわれれば、それを受けるのは「出る」とか「伸びる」とかのような気がしますし、「生える」の主語は「草が」とか「毛が(違う?)」とかのような気がして、「芽が生える」という表現がなんだかしっくり来ないなぁと感じました。

で、続けてコマを追っていくと、4コマ目が「庭が」なのに「彩ります」って…。
う~ん、さすがにこれはちょっとおかしくないですか?
庭は自分で自分を彩るってことでしょうか?「彩られる」が正しい使い方ではないんでしょうか?

う~ん…。

まあ、広告にツッコミを入れていても仕方ないのですが、出勤途上でちょっと気になってしまったもので…。

私自身、正しい日本語を使っているのかといわれれば、恥ずかしながらそんな自信は全くないですし、よくある「間違いやすい日本語」などの類を見ていて、え?それって間違いなの?と思うようなものも少なくありません…。
ですから、えらそうに言えた身ではないということは重々承知していますが、みんなの目に留まるもの、それも特に若い人たちが関心を持ちそうなもので間違った表現があると、それが正しい表現だと思ってしまうのではと、ちょっと気になります。

広辞苑で「生える」を引いてみましたが、意味の中に「芽が出る」というものが含まれているので、やはり「芽が生える」は誤用ということになるのですね、恐らく。

ちょっと気になったので書いてみました。

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2010年2月18日 (木)

残念でした。

昨日の晩、mixiで偶然見つけたニュース記事へのコメントで、こちらの記事が紹介されていて、なんだかとてもすっきりしました。

河野太郎氏のブログより「ルールと価値観

私は国母選手の会見を見ていないので、会見での「うるせえな」発言などはネットのニュースで知っただけなのですが、河野氏のブログに書かれていることを読んで、なんだかすごく納得というか、共感というか、そんな感じがしました。

先日のブログにも書きましたが、私自身は腰パンとかのだらしなく見えるような格好が好きではありません。ドレッドも鼻ピアスも、やはり好きではありません。
そして、国母選手のことはこれまで全く知りませんでしたから、好きも嫌いもありません。

ただ、なんだか違和感があったのです。
オリンピック選手は自ら志願してなれるものではないわけですし、選ばれて競技に参加し、よい成績を残すことが望まれるのだとしたら、競技前に「服の着方」のことでそこまで叩かれてしまうのってどうなんだろうと。

ですが、文才がなくどうもうまくまとめられなかったことを、河野氏がかなり的確に書いてくださっている気がします。(因みに、この方のブログは偶然見つけただけで、この方を支持しているとかいうことではありません。)

私としては、国母選手がメダルを取れたらいいのにと思っていましたが、先ほどの決勝戦、残念な結果に終わりました。
私はスノーボードのことは全然わかりませんが、2回目の演技をめずらしく自宅のテレビをつけてライブ映像で見ました。
がんばっておられたと思います。お疲れ様でした。

しかし、2大会連続で金メダルを取った方、素人の私が見ても、他の選手とは全く違っていました。ほんとうに素晴らしかった。

さて、国母選手のこの結果を受けて、次はどんな報道がされるんでしょうね…。

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2010年2月17日 (水)

きちんと感じながら進むこと

教室の子たちの中に何人か、ちょっと心配な子たちがいる。
心配といっても、その子たちは、算数ができなくて心配ということではなくて、多分、大抵の大人が見ても「よくできる子」と思われる子たち。

計算がすごく速かったり、かなりのレベルまで暗算ができたり、教室で一緒にレッスンするより先に既に習ってしまっていたりというような子たちだ。

みんな頭のいい真面目な子たちなので、習ったことを真面目に努力して覚えようとしているのだろうと思うし、その子たちにはなんの責任もない。
やりなさいと言われたことを真面目にやっているだけなのだから。(もちろん、私が言っているわけではない。)

先日、560個の荷物をトラックに9個ずつ積んでいくと、全部の荷物を運ぶのに何台のトラックが必要かという問題に、割り算の式を書いたまではよかったが、余りが60個以上あるのおかしいことに気付かない子がいた。
色々声をかけてみたものの、そのおかしさにどうもぴんときていないようで、どうしても正解に辿り着かない。
結局、「9」をいくつもいくつも書かせて、荷物が全部なくなるまで考えてもらった。
しかし、その子はうちで一緒に割り算をやるより先にとっくに割り算を習ってしまっていた子だ。

また別の日。大きな数を既に習ってしまっているらしい子とレッスンをしていたときのこと。
1000万は何倍すれば1兆かという問題を考えていたその子は、勘違いをしているらしく、1万倍と答えを書いた。本当にそれで合っているかどうか、位どりの枠を書いて、1000万の1が1兆の1になるのに、1万倍で正しいかどうか確認してもらうことにした。

当然、すぐに勘違いと気付いて、答えにもう一つ「0」をつけるだろうと思って待っていたが、その子の反応は予想外のものだった。
そもそも、残念ながら、大きな数に関して私はこの子と一緒に勉強していないに等しく、プリントを出した時点で「やったことある!」だったため、そのままやってみてもらい、様子を見ていたのだ。
確かに、考え方は習っているようで、何も言わなくても0をつけたり消したりしている。
ということは、当然すぐに正解するだろうと思っていたのに、その子が書いた答えは「10010倍」というものだった。

それはおかしくない?と尋ねても、勘違いに気付いて「ああ!」と反応してくれることはなく、「じゃあ違うんだ」という答え…。
10倍、100倍、1000倍って考えていっているのに、なぜ最後だけ足し算になるのかをもう一度尋ねてみたが、それでもおかしいことがよくわからないようだった。

けれどその子は億や兆が出てくるような計算問題なども何も言わなくても解いてしまうのだから、私が何をしてあげられるのか悩んでしまう…。

もちろん、まだ小さい子たちだから、時間の経過とともに何かが変化して、私の心配は杞憂に終わる可能性もあるし、是非そうであってほしいと思う。
ただ、せっかく学校などの進度を気にせずに学べる時期なのに、もったいないなぁと思う。
小さい頃にじっくりじっくり時間をかければ、ほとんどの子がだんだん(中には急激に)速く、確実になっていくのになと。

教室でするより先に新しいことを学ばせるとき、子ども達に感覚が伴っているかどうか、そのことをできる限り意識しておいて頂けたらと心から思う。

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2010年2月16日 (火)

目指したいところ

これまで何度も書いているかと思いますが、「教えない」ということはもちろんずっと意識はしているのですが、当然それは「全く何も教えない」というわけではなくて、「言葉での説明を極力省く」というほうが近いのかもしれません。

それとほぼ同じことではあるのですが、レッスンをしながら、未だに加減が難しいなと思うのが、同じ問題であってもほとんど何も手助けの必要のない子もいれば、かなりのサポートが必要な子もいて、また、学習内容によっては普段はほとんど手助けのいらない子でも手助けが必要になったり、普段は結構しんどい状態であることが多いのに、ほとんど何の手助けもいらないこともあるということ。

大人は子どもの手が止まっていると、わかっていないのかと思ってヒントを与えたりしがちですが、そのヒントは子どもの思考の妨げになることがしばしばあります。
それがわかっているので、極力ヒントは出さず、様子を見ながら本当に最低限…ということを心がけてはいるのですが、その「最低限」が本当に正しいのかというのは、答えがないだけに判断が難しいのです…。

ああ、ヒント出し過ぎたかな…と思うこともあれば、もう少し助けた方がよかったかなと思うこともあります。
何年やっていても、子どもも成長していきますし、新しい子たちも入ってきたりもしますし、これが正解!というようなものはずっと見つからないのかもしれません。

ただ、考えているときは極力待つということが大事であると同時に、子ども自身では気付いていないような、だけど、それに気づくことで考えるのがすごく楽になったりするような(例えば、計算の工夫など)ことは、タイミングを見て何らかの働きかけをした方がいいんだろうなとも思うのです。

でも、その加減は本当に難しい…。
「これはこうやったら簡単よ」というようなことは、伝え方によってはただ単に「教えられたもの」になってしまい、子どもの真の力になりづらいですから、やはりそんな場合もいかに言葉での説明を減らせるかというところが重要になってくるように思います。

子ども自身が気づくように仕向けるということをもっともっと考えていかねばと思う今日この頃です。

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2010年2月15日 (月)

ものは捉えよう

これまで読んだ本の何冊かに、起きた出来事をどうとらえるかが大事というようなことが書かれていました。
同じ出来事でも、受け止め方によって良いことになったり、悪いことになったりするのであって、出来事自体には良いも悪いもないのだというような意味のことが書かれているのを何度も目にしています。

で、今日ふと、それを思い出した出来事が。

今日はレッスンがなかったのと、仕事に必要な買い物などがあったのとで、三宮に出ていました。
雨は上がってから出たのですが、今日はちょっと寒かったので、手袋をはめて出かけました。

寄らなくてはいけないところに寄って、そのあと必要なものを調達に東急ハ○ズへ。
6階をうろうろした後、買い物を済ませて表に出て、駅に向かっていたとき、ポケットに手をいれると手袋が片方しかないことに気付きました。

もう片方のポケットやバッグの中、買い物をした袋の中などを見てみたもののありません。
この手袋、ちょっといい手袋がほしいなと思って今年の初めに買ったもので、私にとってはそこそこ高価なものでもあり、それもまだ1ヶ月ちょっとしか使っていないのです…。
とりあえず来た道をキョロキョロしながら引き返してみたのですが見当たりません。

そもそも、どこで落としたのか、ハンズに行くより前なのか後なのか、いつ手袋をはずしてポケットに入れたのだったかも思い出せません…。
高かったのに…。まだ1ヶ月ちょっとしか使ってないのに…。ちょっと半泣きな気分になりながら、ハンズでたどった階段を逆に上がり、うろうろしたフロアを見て回ったのですが見当たらず…。

ハンズに行ったより前なのかな?更に道を辿らなきゃだめなのかな…。もう見つからないかも…。
ショック過ぎるから、このまま手袋買いに行こうかな?と、なんだかもうわけのわからないことまで考えつつ、ダメもとでとハンズのインフォメーションの方に尋ねてみました。

あんな大きなお店での落とし物をインフォメーションの方に聞いてわかるものだろうかと思いながらもお尋ねすると「確認しますね。お待ちください。」とおっしゃってどこかにお電話。

「それらしいものが届いているようですので…」と警備室の場所を教えて頂きました。
初老の警備員さんがお二人、手袋を片方握りしめた私を見て笑顔で招き入れてくださり、「これですか?」と差し出されたのは、間違いなく私のもう片方の手袋でした。

受け取りの用紙に必要事項を書いて、お礼を言って手袋を受け取りました。
なんだかホッとして、どこに落ちていて、どなたが見つけてくださったのか伺うのを忘れてしまいましたが、戻ってきてくれて本当に嬉しく思いました。

そういえば、2、3年前に、それは高いものではなかったのですが、やはり手袋を片方落としてなくしてしまったことがあったのですが、数日後、家のすぐ近くで手すりのようなものに掛けられているのを見つけ、無事手元に戻ってきたことがありました。
どなたかが拾って掛けてくださったのでしょう。ありがたいなぁと思いました。

手袋を落としてしまった。
探し歩いてくたびれた。
落とさなかったら、こんな思いはしなくて済んだのに…。

そんな風に思うことももちろんできるでしょうし、もし見つかっていなかったら、さすがに「悪いこと」に捉えてしまったかもしれませんが、電車に乗った後とかではなく、まだお店からさほど離れていないときに片方がないことに気付いたことは間違いなくラッキーだったと思いますし、まさかインフォメーションの方に落とし物を尋ねてもなぁと、あのまま尋ねずに更に来た道を戻っていたら、完全な骨折り損になっていたはずですから、ダメもとでと聞いてみたこともやはりラッキーでした。
おまけに、落としてから数分しか経っていないかもしれないのに、既にそれが警備室に届けられていたことも、やっぱり間違いなくラッキーだったんだろうと思います。

何かいいことあるかも。(ポジティブ過ぎ?)

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2010年2月14日 (日)

休日につきぐだぐだな感じで…。(汗)

最近、レッスン中は色々感じているような気はするものの、終わって、さて何を書こうかなと思うと何も思い浮かばない、もしくは、どうもうまくまとまらない、そんな感じで慢性的に切れのないぐだぐだな感じになっていますが、今日は休日なので一層ぐだぐだな感じで…。

そうそう。ぐだぐだになっている理由のちっちゃなひとつに、なんというのでしょうか、う~ん、過去のブログをちらっと読み返したこともあるのかもしれません。

その昔、社会人になって2年目ぐらいだったでしょうか、教員になった先輩に卒論を読ませてほしいと言われたことがあって(卒論のテーマがちょっと先輩の仕事に関係があったので)、改めて自分の卒論を読み返して、よくこんなの書けたなぁと、半分は過去の自分を尊敬しつつ、半分は青臭さに恥ずかしくなり…。

で、ブログを始めた頃の私もやっぱりそんな感じで、今以上にまっすぐで迷いがなく、一直線で怖いものなし!みたいな感じで、おまけに初めは書くことも面白くて、ついついそこまで書くか?みたいなことまで書いてしまっていたり…。

あまりに青臭くて、また、あまりにも怖いものなしすぎで、思わず一瞬過去の記事を全部消そうかと思ったりもしたのですが、その決心もつかず…。

ただ、ココログは費用を負担すれば、ブログを本にしてくれるサービスがあるようなので、過去の記事は本にして削除するってのもありかもなぁとぼんやり思っているところです。
(まあ、そう思いながらもなかなか行動に移せないんだろうと思いますが…。)

で、すでにぐだぐだになりつつありますが、今日は上村愛子さんの涙にちょっともらい泣きしてしまいました。
個人的には、4大会連続でオリンピックに出ておられるということだけでも、もう驚異的に素晴らしいことだと思いますが、神様のいたずらとでもいうように、4大会、7位、6位、5位ときて、今回きっちり4位入賞。
これはもう、なんとしても4年後にもう一度頑張って3位、更に4年後に2位、もう4年後に…と思ってしまうのですが、体力的なものもあるでしょうから、これからまだ12年というのはさすがに難しいでしょうね。

しかし、長野オリンピックの前だったのでしょうか、テレビのCMでまだ高校生だった愛子さんが満面の笑顔を見せていたのがついこの前のように思えるのに、あれからもう12年かそれ以上の時間が過ぎ去ったんですね。早いですね、本当に。

さて、微妙に話は変わって、最近は「まだやってたの?」とつっこまれるのが目に見えていることもあり、あまり書いていなかったのですが、困ったことに一時よりは多少は落ち着いたものの、相変わらずスリザー熱は一定以上のレベルをキープしたまま、現在100問中90問近くまで到達しています。

で、さすがにそれだけやっていると、新たに発見することがあったり、また、試行錯誤が苦にならなくもなり、消去法を使うためにも間違うことが喜びになったりもして(この線が合っているかどうかわからない状態より、どこかで明らかにつじつまが合わなくなってくれた方が、そこを選択肢から外せるので、明らかな間違いはかえって嬉しかったりします。)、これって、頭の使い方とか、集中力を養うとか、試行錯誤したり、間違いを恐れなくなったり、なんかそういうのに役に立つかもと思ったり思わなかったり…。

希望者にだけ難しいパズル問題を渡して、解いてきたら1ポイント、ポイントがたまったら文房具とか図書カードとか、そんなこと考えたら乗ってくる子いるかなぁ。(男の子には何人かいそうな気がするけど。)

パズルが直接勉強になるとかいうことではないかもしれないのですが、頭の使い方という面では算数などに役に立つことが色々あるような気がするのです。
特に低学年のうちは、勉強を先取りでいっぱいやるよりは難しいパズルに挑戦している方がいいかもしれないと思うぐらいです。

それこそ、パズルにはまった子であれば、パズルやクイズっぽく作ってある算数系のテキストを級別にやり進めていって、級が進むと上の学年で習う算数の知識が必要になってくるので、それを解きたいから算数をやるみたいな動機づけでもいいのかもなぁと。

もちろん、まだ漠然と思っている段階なので、結局実現はしないかもしれませんが。

今週は明日もレッスンはお休み。
明日から確定申告受付開始ですね…。
私は結局ぐずぐずして、やっと税理士さんに見て頂ける状態になったところです…。

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2010年2月13日 (土)

少し不思議だけど。

子ども達が難しいと感じること、わかりやすいと感じることは、私たち大人の思っていることとは違うこともしばしばあるし、大人なら大して苦もなく場合によって使い分けできることも、まだ小さい子たちにはそれがとても大変なことだったりすることもある。

例えば、繰り下がりの引き算をするとき、一般的には「10借りてきて」引いてから、残ったものをたすという、「引き算→足し算」という流れだけれど、引き算なのに足し算が出てくるところで難しく感じる子どもが少なからずいるというお話を以前伺ったことがある。

で、最近子ども達とレッスンをしていてなんとなく思っている時間計算に関すること。

以前は時間計算で苦戦する子がかなり多かったのだけれど、ある時期、私の中で何かが少し変わったようで、何もみんながパパパッとすばやく時間計算できなくたって、きちんと時間の流れを追って考えて、答えが出るならそれでいいのでは?と思うようになった。

もちろん、こちらが驚くぐらい苦もなくやってしまう子もいるので、そういう子は必要に応じてより便利な考え方などを提示してもいいと思うけれど、基本的にはひとつの考え方で統一して考えてもらうようにしてから、算数がやや苦手な子でも自分で答えが出せることが増えてきた。

以前は、教材の指導法にある通り、2つのパターンを分けて考えてもらうようにしていたのだけれど、その頃は混乱する子も少なくなく、せっかく2つのパターンがあるのに、結局どちらかひとつしか使えない子も珍しくなかった。

それが、ひとつの考え方の提示しかしなくなってから、そういう子をほとんど目にすることがなくなった。

別に何も特別なことは言っておらず、もともと2つに分けていたものの指示をひとつだけにしてしまったようなものなのだけど、それで抵抗が薄らいだのは正直意外でもあった。

大人からしたら何がわかりやすいんだかよくわからないような、それまでの指示と何が違うんだかという感じなのに、きっと子どもには何か違うんだろうなと思う。
まあ、もしかしたら、私が「これは難しいんじゃないかな」と思いながらレッスンしていたのが、「きっとできるんじゃないかな」と思うようになった、その変化を子ども達が感じ取っている可能性も否定できないけど。(苦笑)

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2010年2月12日 (金)

これ、どうなんでしょ…。

またニュースからなのですが…。
今日新聞を見ていたら、ちょっと目にとまった記事が。
ネットでも見つけましたので、ご紹介。

テレビを見ない私は、まもなく五輪が開幕するのは知っていたものの、その他の細かいニュースはほとんど知りません。
どんな選手が出場するのかも、有名どころで何度も報道されているような方々のことしかわかっていません。

で、スノボってオリンピック競技だったんだ。そうか、そういえば何回か前にかなり個性的な名前の女の子が出場してたっけ?っていうぐらい、色々と疎いわけですが、そのスノボの日本代表、メダルも狙えるかもという方が「服装」で選手村入村式に出ることを禁止されたとのニュース。

http://mainichi.jp/enta/sports/10olympic/news/20100211k0000e050034000c.html?link_id=REH05

このニュース記事にはご本人の移動の際の写真も出ていますが、う~ん、これに抗議が入り、別の記事では日本のオリンピック関係のえらい方も大怒りだったとも読みましたが、う~ん…。

個人的には若い子たちの腰パン姿はどうも好きにはなれませんが、全体の雰囲気として似合っている子がいることは認めますし、少なくとも国母選手という方、この写真を見る限り、決められた「制服」を自分に似合うようにとてもうまくコーディネートしているという感じを受けるんですが、いけないんでしょうか?

別に何か破ったり汚したりしているわけではなさそうですし、あくまでも身につけ方だけアレンジしているだけのように見えますし、トレードマークであるらしいドレッドにこの制服をきちんと着ると、多分「カッコ悪い」んじゃないかなぁと。

もちろん、守るべきルールはあると思いますし、人に迷惑をかけるようなことまで何でもいいやんとは言いません。
でも、「服の着方」でそこまで怒られるって…。
その後の集団会見でも反省が見られなかったとのことですが、この方、プロボーダーでもいらっしゃるそうですし、そもそも、スノボって個人競技なんだと思いますし、「日本を代表しているんだから!」とか言ったって、ご本人にそんな意識はないのかもしれませんし。(それはそれでいいんじゃないかと。日本代表になれたのは、やはり個人の努力なのですし、日本古来の武道とか、礼儀や振舞いを重んじるような競技の方であれば、また話は違うかもしれませんが…。)

この選手に抗議された方は、街中に溢れる「腰パン中学生・高校生」にも抗議してくださるんでしょうかね?
個人的には学校の制服を腰パンではくのって、全然カッコよく見えないんですけどね…。

疎くって全然知りませんでしたが、国母選手のご活躍を期待したいと思います。

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2010年2月11日 (木)

教えた記憶はないんだけど…。

子ども達は本当に正直で分かりやすい反応をしてくれるので、ああ、この子は今これが難しいんだなとか、これは好きなんだなとか、見ていてよくわかることが多いのですが、今日またちょっと不思議なことがありました。

先日まで、多くの子が苦労することの多い時間計算の問題に対して、かなりの拒否反応が出ていた1年生さんがいました。
それでも教室では、その子なりに精一杯がんばっていたのかもしれません。教室で見ている限りでは、多少苦労はしているもの、決してできていないわけではなかったので、特に心配もしていなかったのですが、おうちで宿題に取り組む際には、それはもうすごいことになっていたそうです。

1週間経ってレッスンに来てくれると、その子もおうちの方もぐったり…なんて日もあったりして、教室ではそこまでそんなことないのになぁと思っていました。
ですが、確かに、時間計算のプリントが目に入ると、拒否反応を示しているのはわかっていましたので、あまり無理せず様子を見ながら、ほかで調子が出ているときや、ある程度枚数を終わらせた後などに、ちょっとやってみてもらうような感じで進めていたのです。

それが前回、私は特にそれまでと何か違うことを教えたわけでもなければ(まあ、もともとほとんど何も教えないのですが…)、やり方を変えたわけでもないのですが、きっとその子の「その時」が来たのでしょう、ある瞬間、パッと表情が明るくなって、「なんかかんたんになってきた」と嬉しそうに言いました。

確かにそう言って以降、それまでの嫌々の表情も消え、かなり確実に、それもそこそこの速さで正解を出せるようになりました。

そして、今日、また少しその問題をやってもらったら、もう全く抵抗なし。みるみるうちに解いていくので、お迎えに来られたおうちの方に「完全にできるようになりましたね~」とお声をかけると、予想外のお返事が。

「先週、『わかりやすいやり方教えてもらった』って言って、お父さんにまで教えてました。」

ん??何か教えたっけ??(苦笑)

きっと、それまでもやもやしていた何かが、前回のレッスンでふっと晴れて、その瞬間、何かがつながったのでしょう。
私、何にもしてないのに、私が教えたおかげみたいになってて、なんかいいのかな?(汗)

レッスンをしていて、ここ1、2年より強く感じるようになったのですが、すごく抵抗を示す場合、無理してそのときにそこをクリアさせようとするのでなく、一旦保留にして後回しにしたあと戻ってきたら、案外すんなり行けたりってことは少なからずあります。

後回しにしないにしても、抵抗を示す問題は解いてもらう問題を極力少なくして、その代わり、抵抗が薄らぐまで何週もやってもらうというようなことをするのもひとつの方法だと思います。

嫌なことにずっと足踏みさせられていると、勉強が嫌いになってしまうかもしれませんし、できることを先にやって自信がつくと、難しかったものに取り組んでみようと思えたりもするような気がします。

簡単な問題が楽しいということはありません。
その子にとって「適度に難しい」というのが理想なんだろうと思います。
その「適度」は、ひとりひとり異なるので、やらせてみてその子にとって難しすぎるようであれば一旦引き上げるということは、結構大事なことかと思っています。

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2010年2月10日 (水)

思わず感涙のニュース

昨日の深夜にネットで見つけ、今朝届いた新聞にも出ていたのですが(新聞には高校の先生方の写真も載っていました)、読んで思わず感涙してしまいました。

なんだか素敵なニュースなので、ちょっとご紹介を。

http://mainichi.jp/life/edu/exam/news/20100210ddm041100054000c.html

中3にして自分の夢をしっかり持っている彼女も素敵ですし、本来その受験にはあまり賛成ではなかったようであるお母さんの、いざとなったときの「母の愛」にはもうただただ感動。

そして、そのお母さんの言葉に励まされ、大雪の中を明け方まで延々と歩き続けた彼女とお母さんはやはり本当にすごいと思いますし、そこに偶然「中3の娘」を持つトラック運転手さんがおられたのも、もう、なんというか、ドラマのようです。

この運転手の方の特別な計らいがなければ、ほぼ間違いなく彼女は試験に遅刻していたことでしょうし、仮に学校側が特別措置を取ってくれたとしても、動揺して自分の言葉をうまくまとめられなかったかもしれません。

なんというか、月並みな表現になってしまいますが、これはもう運命というか、神様の計らいというか、彼女の夢はきっと彼女にとって本当に叶えるべき夢なのでしょう。

でも、母の愛ってやっぱりすごいものですね。
そんな状況にあって、本来進んでほしいとは思っていない進路であるにも関わらず、諦めかけた彼女に「あきらめない」と声をかけたこと、何度読んでも思わず涙が…。

ニュースにもなったので、この運転手さんがどなたなのかわかりそうな気もしますが、ひとつ心配なのが、この方が恐らくお仕事中に遠回りをされたということ。
会社にお勤めの方だったら、そのことで何か罰を与えられたりしないことを、会社の方もよい方であることを心から祈りたいと思います。

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2010年2月 9日 (火)

改めてありがたいなと思うこと。

昨年は新型インフルエンザが猛威を奮い、教室の子たちも代わる代わるお休みして、今回こそは私も危険かな?と思っていたものの、とりあえず感染することなく今に至っています。

インフルエンザもちょっと沈静化したのかなと思っていた矢先、理由は何かわかりませんが、ある保護者の方から学級閉鎖になったとのお知らせが。
そして、その方と比較的お近くの保護者の方からはノロ・ウイルスがかなり広がっているとのお知らせも。
また学校で子ども達に広がってしまうのかしらと、ちょっと不安です。

ところで私、会社員を辞めて子ども達と関わる仕事を始めてから、もう14年ほど経ちますが、実はその間、体調不良の理由では授業やレッスンを休んだことが多分一度もありません。

多少の熱ぐらいだったら無理をして出勤して子ども達と授業したら治ったなんてことも何度かありますが、さすがに伝染するような病気にかかってしまったら、無理をするわけにはいきません。
つまり、これまでずっと、人に伝染するような病気にかかることなく過ごさせて頂いているというわけです。

独立してからは、まあ、自分がしていることですから、もしも病気になってしまったらお休みして振替かご返金という対応をさせてもらうことはできるわけですが、幸いこれまでまだ一度もそうなったことがありません。
鼻がずるずる止まらなかったり、全身に湿疹が出たり、手のしびれが続いたり、多少の不調はあったものの、寝込むことなくこられました。

本当にありがたいなぁと改めて思います。
毎日子ども達からパワーをもらって、いっぱい笑って、いっぱい感動しているから、免疫力も高まっているのかもしれません。

このまま記録更新できることを祈りつつ、今日はこんな更新でお許しを。
そして、皆さまもくれぐれもご自愛のほど。

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2010年2月 8日 (月)

今年の最大の目標かも・・・。

結局、今年の目標を宣言することなく2月になってしまい、気になるキーワードはいくつか自分でメモしたものの、それをまだしっかり詰めるところまでもいっておらず・・・。

で、だんだんと確定申告の時期が近づいてきたので、帳簿入力の最終チェックを昨日の日曜にする予定でした。
しかし、結局日中はダラダラダラダラ・・・。
これじゃまたいつものように先延ばししてしまう・・・と、今日は夕方に1つ振替があるだけだったので、深夜に作業に手をつけました。

やり始めると、もう少しやろう、いっそやれるところまでやってしまおうと、結局朝5時半頃までやっていたのですが、どうして自分はこんなに取り掛かるのが遅いんだろうなぁと。

普段も時間があると思うと全然うまく使えなくて、結局、ああ、今日も時間を無駄にしてしまった・・・と自己嫌悪。
今年の最大の目標は「時間を有効に使うこと」かもしれません・・・。
ただ、その目標は長年達成できずにきているという話もありますが・・・・・・。(反省)

以前読んだ本に「小さく始める」という表現があって、面倒だと思うことも、とりあえず5分だけ、とか1ページだけとか、そんな気持ちで取り掛かると、結構調子が出てきてそれ以上の時間やれるものだと。仮にやれなくて5分だけ、1ページだけで終わっても、やらなかったよりはマシだと。確かにそうだなぁと思うわけですが、今年は特にそれを心がけたいと思います。。。

明日からまた1週間、レッスンはがんばれるんですけどね。
それ以外のこともがんばるよう心がけたいと思います。。。

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2010年2月 7日 (日)

考えたら、おかしな話って気が。

時々このブログに「算数 文章題 苦手」などの検索ワードで辿り着かれる方がおられるようです。
いらしてくださった方にお役に立っているかどうかはかなり不安ではありますが、先日改めて、そういえば変だよなぁと思ったことが。

もしかしたら以前にも書いたことがあるかもしれないのですが、そして、既にそれをおっしゃっている先生方もおられるような気もするようなことなのですが…。

文章題が苦手な子に「本を読みなさい」などの指導をされることって少なくないような気がします。
実際、自分も塾講師だった頃、文章題が苦手な子が読解力がないのだと思っていましたから、似たようなアドバイスをしていたような気がします。
ただ、なんというか、正直なところ、自分は子どもの頃、単純計算より文章題のほうが好きだったこともあり、苦手な子はなぜ苦手なのかよくわからず、また、自分は小さい頃に本を読むのも好きだったし、国語も比較的得意だったこともあって、読解力なのかな?と思っていたような気がします。

ですが、よく考えてみれば、講師時代に見ていた中学生の中に、国語はすごくよくできるのに、数学が壊滅的な子がいて、その子の場合、応用問題になると完全にお手上げという感じでしたし、また、自分の子どもの頃や学生時代を振り返っても、一般的に国語が得意な人は算数、数学はイマイチという人も少なくなかったように思います。

そして、教室を始めてから子ども達を見ていると、算数がかなりよくできる男の子達の中に、国語の読解は今一歩という子が少なからずいるのです。

国語の読解力と算数の文章題や応用問題が解ける能力とは、多分別物なんだろうと思います。

もちろん、文章自体が読めないようなレベルで文章題ができないという場合は読む力が不足しているのは間違いないだろうとは思いますが、問題文がきちんと読めている場合は、「読む力」が足りないのではないだろうと思います。

抽象的かもしれませんが、「感じる力」、「イメージする力」というものが関係しているような気がします。
問題に書かれていることを頭に思い浮かべられる、図に表すことができる、そういう力があれば、ある程度文章題は解けるだろうと思います。

算数の文章題ができないのは、結局のところ、ほとんどの場合が「イメージができない」、「図に表すことができない」ということなのではないかと。

教室を始める前の私は、計算はできるけど文章題が苦手という子は「普通の子」だと思っていたのですが、実はそんなことはないのだということを知りました。
少なくとも、教室に来てくれている子たちで、過去、大量反復学習などを経て計算以外が苦手な状態になってしまってから来てくれたという場合を除けば、計算はできるのに文章題だけできないという子には全くお目にかかっていませんし、実際のところ、多くの子が単純計算の問題より文章題のほうが好きなように感じます。

もちろん、全ての子に当てはまることではありませんが、文章題のみが苦手というお子さんがおられましたら、それまでの学習を一度見直してみられることも大事かもしれません。

最近なんとなく改めて感じたことでした。

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2010年2月 6日 (土)

1週間終了。

今年に入って、金曜土曜に少し空きができてアンバランスになっていて、でも、色々なご事情で曜日や時間の移動をご希望の方が何人かおられたり、4月にはまた時間割を組み直すことになるだろうしと、バランスを調整するには微妙な期間。
おまけに昨日今日はお休みの子も何人かいたこともあって、なんと、2日連続で久しぶりに自分ひとりでのレッスンでした。

今日は少ないといっても3人のコマが5つあったのですが、ある程度慣れてくれている子たちとだったら、3人でも見られるようになったなぁと思いつつレッスンをしていました。

子ども達はどう思っているのかわかりませんが、3人か4人いる方が生き生き楽しそうな子が多いので、2人とか、たまにお休みが重なって私と1対1とかだと、し~んとしていて嫌かなぁと心配もするのですが、人数が少なければ少ないなりに、それもそれで楽しそうだったりもして、なんだか不思議だなぁと思います。

そういえば今日も、去年の夏ごろから来てくれるようになった女の子が、お友達が受験塾に通い始めたというような話をしていたときにこんなことを言いました。

「あ~、よかった~。塾行かされなくて!」

本当になんの気なしに言ったようだったので、わざと「ここにこさされてるやん?」とつっこんでみたのですが、「ここはいいねん、別に。」とのこと。(笑)
私自身、「塾っぽくない」というのは自分が目指しているところでもあるので、そう言われるのは嬉しいのですが、うちを「塾」ととらえていない子たちは、一体うちのことを何だと思っているんだろうなと。
機会があったら、今度尋ねてみようと思います。

なんだか既に頭が働いていないので、こんな更新ですみません。
寒い日が続いていますので、皆さまどうぞくれぐれもご自愛のほど。

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2010年2月 5日 (金)

「性格は能力」

少し久しぶりにある先生のホームページを覗かせて頂きました。
すっかりご無沙汰してしまっているものの、いきいきとご活躍されているご様子で、素晴らしいなぁと思いながらブログを読ませて頂いていました。

その先生のブログの中に「性格は能力だと思っている」という表現がありました。
「能力が高いということは、人の気持ちがわかるということ」だとも書いておられました。

そして、教室を始める前、始めるきっかけをくださった先生がおっしゃっていたことを改めて思い出しました。

広い視野が持てないと、物事を一人称でしかとらえられず、自分が自分が…となってしまうと。
この場合の「広い視野」とは単なる比喩表現ではなく、実際に事物を広くとらえることができるということの意味でもあり、小さい頃にまずは、実際に具体物を見るときに広い範囲で見るという能力を高めることを目指すということだったように思いますが。

で、更に、先日モンテッソーリ関連の本を久しぶりに読んだと書きましたが、モンテッソーリ教育を行っている幼稚園などでは、ある時期を境に突然子どもが変わることがあるということが書かれていて、例えば、初めは乱暴で友達をたたいたり、友達のものを取ったりばかりしていた子が、ある「お仕事」に没入することをきっかけに大きく変わるというような、一般に望ましくない状態にある子どもが劇的に変化することがあるのだと。

今日読ませて頂いた先生のブログにも「僕が、僕が…。私が、私が…。」となるのは能力が低いから(性格の問題ではなく)という意味のことが書かれていましたが、それを読んで、なんとなく、それは確かにそうなのかもしれないなと感じました。

うちに来てくれる子たちの中にも、ある時期突然急激に変わる子がいます。
もちろん、初めから安定していて、そのまま安定感を増していく子、一層伸びていく子も多くいますが、例えば、大量反復などを経て、算数が苦手になってしまってから来てくれたような子や、苦手という認識はなくとも、先取り、詰め込みで、その子自身がじっくり考える機会をなかなか与えられないような学習を続けてきた子などで、とにかく自分の話を聞いて!自分の方を見て!という感じの子が何人かいました。

そんな子たちが「急がず、じっくり」を心がけて、徐々にそれに慣れ、自分で考えられるようになってくると、それまでのちょっと困った性格がすっかり消えてしまったり、随分成長したなぁと感じたりすることが何度もありました。

モンテの本の中にも、本来子どもにさせるべきではないことをさせられていたり、望ましくない環境に置かれているような子がモンテの「お仕事」を通じて「正常な状態」に戻って行くという表現がされていましたが、なんかわかるなぁと思いました。

もちろん、生まれもっての性格というものは人それぞれにあるだろうとは思います。
ただ、自分のことしか見えない、自分のことしか考えられない、狭い視野の子どもは、まだいくらでもそれを変えることができるのかもしれないなと、改めて思いました。

なんだかまだうまくまとまらないのですが、子どもの頃に何をさせるか、何をさせないか、同じものでもどう与えるか、それはすごく大事で、だからすごく難しいことなんだろうなと、そんなことを感じました。

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2010年2月 4日 (木)

気分を変える。

子ども達とレッスンをしていて、しばしばそんな場面に出くわすのですが、普段のその子ならこの問題は難しくないはず(もしくは簡単なはず)と思えるような問題で、突然どこかにはまりこんでしまい、どうにもこうにも答えが出せなくなってしまうことがあります。

そんなとき、表情を見ると、明らかに普段の穏やかだったり、楽しそうだったりというプラスの表情はしておらず、うまく表現できないのですが、「おかしくなっている」顔をしていることがほとんどです。

何年か前の私なら、なんでこれがわからないんだろう?あれ?あれ?と、こっちまでちょっと焦ってしまって、次々質問をぶつけたり、どこか誘導尋問みたいにしてしまったり、時には子どもを責めるような口調になってしまうこともあったように思います。

ですが、今は何度か何か声をかけてみたり、きっかけになりそうな質問をしてみて、それでもダメなときには、一旦すっぱりとその問題から離れるようにしています。

教材を進める順番は自分で調整していることや、それぞれの子どもの進度がバラバラだということなどもあって、プリントの順番が入れ替わろうと特に問題はありません。
できるはずなのにできないという場合は、その問題に固執せず、一旦他の問題をやってみてもらって、調子が戻ってきた頃にもとの問題に戻ってみてもらいます。
すると、多くの場合、すんなりクリアできるのです。

もちろん、それでも再びさっきおかしくなったときの自分がよみがえってきて、やっぱりダメという場合もありますが、そのときはやはり再びそれを後回しにするか、違う提示の仕方を考えてみます。

やり方を説明しない。子ども自身に気付いてもらう。考えてもらう。
そのためには、おかしくなったときに必死であれこれ言うというのは、子どもにとって不親切なんだろうと思うのです。

おかしくなっているときだけでなく、単位換算などでなんかごちゃごちゃになっていそうだなとか、単位を勘違いしていそうだなというような場合は、問題を解く順をわかりやすそうなものから順に変えると、またスムーズに行く場合もあります。

また、2ケタや3ケタの掛け算や割り算などでも、ランダムに並んでいるような場合、その子の能力なら問題ないだろうという場合はそのままやってもらうこともありますが、やはり、そんなときにも感覚的にわかりやすそうな問題をまずいくつか考えてもらい、それで弾み(自信?)をつけてからもう少し骨の折れる問題に進んでいくと、結局は何も手助けしなくても子ども自身の力だけで問題をクリアしていってくれたりもします。

子どもをよく見ること。
問題を見て、どんな風に与えるかということ。

そのどちらも大事なことだなと思っています。

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2010年2月 3日 (水)

節分

今日は節分。
毎年、きわめてささやかに豆まきをし、巻き寿司をまるかぶりするのが恒例です。
水曜は終わるのが遅い日なので、出勤前に買って行って、レッスンが済んだら教室で食べてから仕事終わらせて帰ろうかなと考えていたら、お昼に母が買い物のついでに届けてくれて、迷いつつ、出勤前にまるかぶり。
ですが、当初の予定通り(?)出勤するときにも買い物していき、レッスンが済んでから教室でも再びまるかぶり。
これで今年は開運しまくることでしょう。(をい)

ところで、以前にも書いたような気もしますが、最近はお子さんがおられるご家庭で豆まきってされるんでしょうか?
私が子どもの頃は家の中にも表にも心おきなくまいていたのですが、別にそれは当たり前で、自宅は母親が掃除が大変だったろうとは思いますが、ごくささやかな庭を飛び越えてまかれた豆も、各家庭ですぐ掃除をしていたなんてこともなかったのではないかと思います。

まあもちろん、子どもの頃のうちのまわりは、まだ空き地があったり、「土」があって、草が生えていたりするところも多かったですから、豆をまいてもわざわざ掃除をせずに済んだのかもしれません。

ですが、今では私の身近なところはもうほとんどが舗装され、土が見られるところといっても、公園や学校の運動場、花壇など、何らかの整備がされたようなところ。
そんなところに豆をまきちらしたら、やはり掃除はせねばならないのでしょうし、マンションにお住まいのご家庭などではバルコニーから外にまくわけにもいかないだろうし、玄関を出て通路にもまけなそうだし…。

やっぱり、ご家庭で豆まきをされることは少なくなっているんでしょうか?

いつまで経っても子どもな私は、できれば片付けのこととか考えずに思いっきり豆まきしてみたいなぁともう何年もの間思っています。
けど、部屋の中は自分が覚悟を決めればなんとかなりますが、外に思いっきりというのはやはり難しそう…。

まあ、そのうち、自分の歳の数よりひとつ多くの豆を食べることすら無理になってくるのかもしれませんけど…。(汗)

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2010年2月 2日 (火)

ちょっとびっくり!

昨日はお休みでだらだらして、全然疲れていなかったはずなのに、つい夜更かしもしてしまって寝たのが3時を回っていたもので、目覚ましは10時前に(私にしてはそれでも睡眠不足気味だったりしますが…(汗))セット。
止めて二度寝はよくあるものの、今日は一瞬呆然…。

二度寝から目が覚め、さて、何時かな?と時計を見ると…。

!?!?

なんで1時前なの?!(大汗)

というわけで、かなり驚きつつ、自分に呆れつつの起床。
まあ、仕事には差し支えはなかったのですが、その後、パソコンであれこれしていたら、ブログだけでなく自宅のパソコンはもう随分長らくやや不調なもので、フリーズしたりなんだかんだ、気づいたらそろそろ出勤せねばという時間になっていました。

で、そういえば火曜の最初の子達は大抵15分とか20分とか早く来るんだった!と気づき、大慌て。
急いで支度をして表に出て駆け出したら、メガネをかけていないことに気づきました。
しかし、戻ると電車に乗り遅れるので、もしものために教室に置いてある、昔かけていたメガネを使おうと、そのまま出勤しました。

普段はメガネがなくても一応生活はできますので(乱視がきつい上、物心ついたときには既にそんな状態でしたから、その目で生活することには慣れていまして。)、かけなくてもいいかなとも思ったのですが、普段かけているのにメガネをかけていないと、きっと違和感がある子もいるだろうしと、教室で早速メガネをかけました。

すると、最初のレッスンの2年生の男の子が私の顔を見て、一瞬動きが止まり、何か言いたそうな風に見えました。
なんだろう?と思い、まさかなと「何?どうかした??メガネが違うとかってことじゃないよね?」と尋ねると、小さな声で「メガネがちがう」と。

うわ、こんな小さな男の子が気づいてる!

違うといっても、普段はこげ茶のメタルフレームのメガネで今日かけていたのは薄い茶色のセルフレーム。色はまあ近い方で、レンズの大きさも極端に違うわけではなく。

なかなかよく気づくなぁと思っていたら、2コマ目のレッスンでもまた男の子が「メガネ違う!」といきなりの指摘。

すごいなぁ。
よく見てるなぁ。

過去、会社員時代に何度か、ある日突然「あれ?メガネかけてましたっけ?」といわれたことがありました。(毎日かけていましたが…。)

塾講師時代にも中学生の子から何度か同じことを言われたこともあります。
で、その頃、ちょっとインパクトのあるメガネに変えたときはさんざんな言われようもしましがが、マイナーチェンジぐらいだと全く気づかない子がほとんどだったものです。

なのに、今日1日でいきなり2人の低学年の男の子からツッコミがきて、他の子たちも「あ、ほんまや、ちがう~!」とかなんとか。

すごいなぁ。
子どもってよく見てるんだなぁ。
やっぱり大人は子どもにかなわないんだろうなぁ、色んなことで。

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2010年2月 1日 (月)

うぅ。。。

入れない…。
ああ…入れない…。
何度やってもエラーが出るか、無応答で延々読み込もうとして再起動せざるを得なくなるか…。
ああ…今日は一応オフだったのに、一体このブログで何度IEを再起動したことでしょう…。

サポートに電話しても結局解決せず、全然訳分からないけど、これはもう自宅のPCを買い替えなさいってことなのか?みたいな…。
(何の確証もありませんが、自宅PCはVistaなのにメモリが少ない。そして、セキュリティーソフトがノートン。相変わらず接続はADSL。そのあたりが複合しているんじゃなかろうかと…。)

というわけで、読書ブログも手抜き更新。(だけど、普段より手間はかかっているのです…。(泣))
そして、こっちも更に手抜きに…。(汗)

まあ、オフだったのでまた半廃人生活をしてしまったため、話題もないんですけどね。(苦笑)
あ、しかし、ぐだぐだのうちに今日はもう2月のスタートなんですねぇ。

そういえば昨年度もそうだったような気がするのですが、この時期、なぜか土曜の枠がなんだか変なバランスになっています。(受験塾への転塾組が抜けたり、時間や曜日を移動したり、色々重なりまして…。)
枠がすっきり空いてしまえばそれもそれでいいのですが、午後からはどの時間も2人、多くて3人になってしまい、誰かがお休みするとたちまちマンツーマンのレッスンになってしまうような…。
4月以降は再度調整しますので、とりあえずはそれまでの間ですが、2月、3月は欠席振替をなるべく土曜に入れさせて頂きたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。

全く関係ありませんが、今日は日付表示が「20100201」なんですね〜。
なんとなくキレイな並びです。

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