« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月30日 (月)

最近のお気に入り

また仕事には全く関係ない話で、おまけに、ご家族がおられる皆さんにもほとんど役に立ちそうにない話(まあ、このブログで人様の役に立つようなことが書いてあることの方が珍しいという話もありますが…(汗))ですが、最近ちょっとひそかに気に入っていることがあります。

ひとり暮らしもそこそこ長くなっていますが、ひとりだとお風呂にお湯をはっても自分しか入らないし、お洗濯も週に1、2回もすれば事足りるので、入ってもそのまま流してしまうしかないのがもったいない気がすることと、晩ご飯が遅いので、食事の前にゆっくりともいかず、かといって、食後すぐに湯船につかるというのもなぁと、結局、長年起きてからシャワーの生活です。

もちろん、休日前やなんだか疲れたなぁという日、とても冷える日などはお湯をはってつかることもありますが、お風呂の中ではパズルをすることもできず、本を持ち込むのも躊躇われ、長い時間ゆっくりたっぷりあったまるということは、やはり滅多にありません。

それが先日、とある雑貨屋さんで、今結構流行っているらしい(ネットでも結構見かけるので)リサイクルポリエチレンでできたカラフルなバケツの横に、小さな黒板が置かれ、そこに「足湯」が提案されているのを見かけました。

黒板には、お気に入りの入浴剤を入れて秋の夜長に足湯はいかが?というようなことが書かれていたのですが、ああ!それっていいかも!と。

で、早速1つMサイズのバケツを買ってみました。
いっぱいまでお湯を入れると、ひざ下までつかるぐらいの深さで、足はバケツの底にちゃんとつくことができる大きさ。
ひざ下だけお湯につけるので、服は着たままで大丈夫ですから時間が長くなっても寒くありませんし、本も読めます。その上、お腹がいっぱいでもあまり気にしなくて済みますし、お湯もそんなにたくさんはいりません。

少し熱めのお湯に粗塩とか入浴剤とかを入れて、本を読むのに飽きるぐらいまでのんびり足をつけていると(ぬるくなったら熱いお湯を足したりもして)、結構体もぽかぽかしてきます。

これからの季節、結構いいんじゃないかしらと。
個人的にちょっとお気に入りです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月29日 (日)

そういうことだったのか…。(休日の話題)

自宅のPCの調子がイマイチになってから、もう随分経ちます。
とは言っても、買ってから2年数ヶ月なので、古いというほど古いわけではないのですが、どうも私との相性がイマイチのようで、買ったときからしっくりこないまま今日に至っています。

なんだか動きが怪しくなってきた頃から、月1回ぐらいはバックアップを取るようにしているので、万一のときもダメージはまあ少ないかとは思いますし、壊れる前にどうにかすればいいのでしょうけれど、設定やらなんやらを1からやるのが面倒だなぁと、結局動いているからいいか…という感じで過ごしております。

しかし、2日ほど前から、なんだかやたらと「固まる」ようになり、何度もタスクマネージャーを立ち上げて終了させて…なんてことをしなければならなくて、これはいよいよか?と思っていました。
昨日も出勤前にも何度も「固まって」いたのですが、帰宅して立ち上げてもやはりその症状は変わらず…。
まいったなぁ…と思いながら、ふとマウスに目が行きました。

ん?マウス、光ってない??

光学式で下の部分がスケルトンになっているので、使っているとライトがついているのがわかるのですが、今はそのライトがついていないようです。
あれ??と思って、コードのところを触ってみると………。つきました。けど、コードから手を離すと消えます…。うわ、接触悪い??

考えてみると、このマウス、結構長いこと使っているような気がします。PCは買い換えましたが、PCに付いていたマウスは少し大きくて使いづらかったので、以前から使っていたものを使い続けていました。
時々パソコンデスクから滑り落ちてぶら~んとなったりもしていましたし…。

ま、まさか、「固まる」と思っていたのはこのせいなのか??
恐る恐る、便利かもと思って買ったけど、ほとんど使っていなかったワイヤレスマウスを接続してみました。

!!!
ちゃんと動くし。「固まら」ないし…。(苦笑)

そうか…そういうことだったのか…。極端に鈍い動作はPCのせいじゃなかったのね…。
まあ、原因のひとつがはっきりしてよかった…。

私ほど機械オンチのままPCをいじっている方もそうそうおられないかと思いますが、PCの反応が悪いなぁと思ったときには、もしかするとごく稀にそんな原因があるかもしれませんので、ご参考までに。(参考にならないような気もするけど…。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月28日 (土)

2、3、お知らせを。

お知らせは「お知らせ」ブログに書くべきものですが、あちらを滅多に更新しないので、ご覧頂いていない方もおられることと思い、毎回こちらにも書かせて頂いています。

とりいそぎのお知らせです。

まず、明後日30日月曜は夕方に1件振替が入っており、出勤することになっておりますので、もしこれまでお休みされた方でやはり振替をと思われる方などでご都合がつかれる方がおられましたらお知らせください。

また、来週は12月6日日曜の14時から1件予定が入りましたため、7日は振替をお受けできません。
欠席されて振替ご希望の方は通常レッスンの日でご都合の合うとき、もしくは6日日曜での振替をご検討ください。

あと、今年度は小学校の授業時間数が増え、昨年度までは14時30分からの枠にも低学年のお子さんを中心に来て頂けていたのが、今年度は平日はほぼ皆さんが15時40分以降の枠からしかご無理になってしまい、その調整も含め、今年度は春に新規募集がほとんどできないまま参りました。

現在もお受けできる枠はかなり限られていますが、12月末、1月末あたりで中学受験をお考えの新3年生、新4年生さんなどが抜けられることになるかと思います。
1月以降、新規募集をさせて頂ける枠がいくつか出ると思いますので、もしもご希望がございましたらお気軽にお申し越しください。

通ってくださっている皆さんはご存知の通り、ひと枠の定員がかなり限られておりますため、3月になればとか4月になればとかいうことがはっきり読めないところもあります。
もし春からをお考えの方がおられましたら、一度お早目にご希望だけお知らせ頂けましたら幸いです。

とりいそぎのご案内でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月27日 (金)

まだそう聞いてもらえるのね(笑)

先日のこと。
普段は中学生2人のレッスンの時間なのですが、期末テストの加減でその日は中学生ひとりとマンツーマン。
私と1対1は嫌かもなぁと思いながらも、まあ、それなりに平穏にレッスン。

何もそういう話題は前後になかった気がするのですが、突然その子が私に尋ねました。

「結婚しないんですか?」

………。
そうか、そう聞いてくれるんだね。キミは優しいね。(笑)

まあ、子ども達は大人の年齢はわかっているようないないようなだろうから、あまり深く考えずに聞いたのかもしれないけど。

う~ん、いつの日かこの質問が

「なんで結婚しなかったんですか?」

に変わるときがくるんだろうか……。(汗)

でも、子ども達ってなぜなのか、私の年齢だとか私が結婚しているかどうかだとか、時々尋ねてくる。
つい先日は2年生の女の子が

「先生のお母さんの名前ってなぁに?」

と突然尋ねてきたので、ん?なんでだ?と思いつつ、下の名前を答えたら

「なに○○子っていうの?」

と。

………。
そ、そうか…、そういう疑問ね。

「ああ、○○ちゃんのママはパパと結婚したから、お母さんとお名前が違うでしょ?でも、私は結婚してないからお母さんと一緒だよ。」

そう答えると

「ああ、そうなんだ~。」

と納得した様子。

ホント子ども達はストレート。
だけど(だから?)とっても可愛い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月26日 (木)

楽しい話がしたい。

このブログを書くようになってから、間もなく丸4年になろうとしています。
相変わらずくだらないことを書いていることが多いわけですが、数年前の記事を何かの機会に見ることがあると、時々赤面しそうになることもあります。

もちろん、そのときそのとき自分の思ったことを正直に書いているのですが、まあ、なんと言いましょうか、子どもの頃の作文を大きくなって読むとちょっと恥ずかしいような、そんな感覚に似ているのかもしれません。

まあ、子どもと違うことといえば、毎日毎日楽しいことばかりではなく(まあ、子どもでも悩んだり落ち込んだりもするわけですが)、時々トラブルも発生したり、悩みを抱えたりすることもあったりするわけです。

でも、公開の場に書けることと書けないことがあり、例えば、教材のことにしても詳しいことはここには書けないなんてこともあったりするわけです。(企業秘密(企業じゃないけど…)とかっていうことではなく。)

時々、大人の世界は厄介だなぁと思うこともあったり、自分の力ではどうすることもできないようなことが起きるのではないかと不安になったり、そんなこともやはりあったりもするのです。

でも、そういうのって、読んでも楽しくないですよね。
多分、私だったらそんな重たかったり、暗かったりする記事は読みたいと思わない。

もちろん、子ども達のことで何か悩んでいたり、解決策を探しているようなときは、ここで書かせて頂いてご意見を頂戴したいというときもあり、そんなときは重い話なのを承知で書かせて頂くこともありますが、基本はやはり気持ちが明るくなる話、気持ちが軽くなる話、ちょっとくすっと笑えるような話、そんな話をしたいのです。

だから、気づけば、子ども達を見ていてすごいなぁと思った話、自分のおバカっぷりをさらしてしまう話、何か感動した話、そういう話が中心になります。

教室の保護者の皆さんは程度の差はあれ、ある程度お分かりくださっているかと思いますが、どの子も、どんなときもよくできるなんてことはなくて、当然毎日色んなことがあるわけです。
この前は抜群に調子がよかった子が今日は全然ダメダメだったり、反対に、この前は苦戦に次ぐ苦戦で、今週は念のためフォロー用の教材を用意しておいたのに、へ?これできなかったっけ?みたいにスラスラ解いてしまったり、何でもよくできると思っていた子がある単元だけ極端に苦手なことがわかったり…。

私はそんな子達をいつも全部見ているので、ああ、今日はよくできてるなとか、今日はなんだかおかしいなとか、あ、今ちょっとおかしくなってるなとか、この前まであんなに難しそうにしていたのに何かつかんだんだなとか、そういうことを日々感じています。

でも、もちろんそんなことを全部書ける訳ではなく、今日○○ちゃんは調子が悪かったですなんて話を書いてもなぁ…と思いますし、結局、すごかった話、びっくりした話、感動した話、そんな話が中心になります。

そういえば、高校生の頃、直接の知り合いではない子が私の友人に「あの子、いつも悩みなさそうでいいね~」って言ったそうです。
そのときは今よりかなりくよくよ、じめじめ(今も根っこはそんな感じですが…)していたので、結構悩みもあったりだったので、友人が「そんなこともないよ」と言ってくれたのだそうですが、それを聞いて、そのとき思ったんです。

ちゃんとわかってくれる人がいればいいって。
私のことを直接知らない人が「悩みなさそうでいいね」と思ってくれるなら、「いつも悩んでそうだね」と思われるよりずっといいって。

大人になった今も、結局私はそんなまんまなんだろうなと思ったりします。
ただ、とてもとてもありがたいことに、いつももったいないぐらいありがたい気持ちをくださる方々がおられて、だからいつでも笑っていられるんだろうなと思います。

まあ、頑固オヤジのラーメン屋のように「わかるヤツだけわかればいい」的なことを言っていては、教室を続けていくことができないのかもしれませんが、時には失敗もし、反省もしながら、これからも私は楽しい話をしていきたいなと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月25日 (水)

お知らせとお詫び

読書の方のブログにも先ほど案内させて頂きましたが、最近、このブログにも時々見るだけでげんなりしてしまう低俗なトラックバックやコメントがついてしまうようになりました。

気づけばすぐに削除してはいるのですが、レッスン中などはチェックできませんので、場合によっては数時間放置されてしまうこともあり、ああいう見るだけで運気が落ちそうな迷惑コメントがブログに何時間も表示されていること自体とても不快でもあり、また、偶然ご覧になってしまった方にも不快な思いをさせてしまうことになりますので、考えました末、当面、トラックバックもコメントも承認制とさせて頂くことに致しました。
せっかくコメントを頂きましても表示されるまでにしばらくお時間を頂くことになるかと思いますが、何卒ご容赦ください。

IPアドレスなどで禁止する方法もあるようではありますが、恐らくそれではきりがないだろうと思われますので、このような形を取らせて頂きますことをお詫び申し上げます。

先日から考えていたことではあるのですが、このタイミングでご批判のコメントなどを頂き、それに合わせたかのようにこのような形を取らせて頂くようになることも、正直なところかなり迷いました。
私は自分でも嫌になるほど、曲がったこと、卑怯なことが嫌いで、そのために避けられたかもしれないあまり喜ばしくない経験も過去色々してきました。
ですので、ご批判のコメントなどを避けるためにそういう措置をとったのではとお感じになられる方もおられるのではと、迷いもし、あれこれ考えました。

ですが、考えた末、やはりそうさせて頂くことに致しました。

これまでどのようなコメントもご本人からのお申し出がない限り、迷惑コメントを除いては本当にひとつも削除せずに参りました。
耳の痛いコメントでも、自ら反省すべき点は反省し、できる限り誠実に受け止めてきたつもりではあります。

ただ、少なくとも私は、どなたかを批判をするとき、自らの素性を明らかにせずに批判することはしたくありませんし、素性を明かせないのであれば、それは相手のためを思ってのことではないとも考えています。

もちろん、私の言動が図らずもどなたかに不快な思いをさせてしまうこともあるかもしれません。
ただ、私自身、これまで他の方のブログなどを拝読して、ああ、この方とは考え方が違うんだなとか、この方とは価値観が全く違うんだなとか感じることもありましたが、そういう場合、自然とそのブログを読まなくなるだけで、人にはそれぞれ考え方、価値観があり、人に多大な迷惑や不利益を与えない限り、それぞれに尊重されるべきものではないかと考えています。

表現の自由とか、言論の自由とかそこまでのことをいうつもりはありませんが、全く顔の見えない方(たとえ面識がなくとも、これまでにメールやブログなどでやりとりをさせて頂いているような方はある程度「顔の見える方」だと思っています)からのご批判をどこまで真摯に受け止めるべきなのか、正直なところ判断ができかねています。

もし仮に、本当に批判が目的であれば、コメントの投稿を禁止するわけではありませんので、私がそれを読むということは間違いありません。
だとすれば、私を批判するという目的はそれで達成されるのではとも思いますし、顔の見える方からのご批判は今後もしっかり受け止めて、反省すべき点は反省していくつもりです。

全くどなたなのか分からない方、教室で私と子ども達をご覧になったことがないであろう方からなどのご批判につきましては、今後非公開にさせて頂くことがあるかもしれません。
併せてお詫び申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月24日 (火)

言われても仕方ない・・・。

今日、頂いたコメントで私は口だけだというご指摘を頂きました。
どなたかわからないので、もしかしたら存じ上げている方かもしれませんが、それは確かめることはできません。

朝ブログをチェックして、正直なところちょっと重い気持ちになり、実際の教室の状態をご存知ないであろう方から言われても…なんていう気持ちにもなりました。
ただ、その方のお蔭で過去に私が書いたいくつかの記事を改めて見ることになり、ああ、これは言われても仕方ないなとしみじみ思いました。

私がここに書いていることはそのときそのときはもちろん本当の気持ちなのですが、教室のことをご覧になられたことがない方で、このブログをきちんと読んでくださっている方であれば、「口だけ」、「同じことばかり言うけど何にもやってない」と取られても何にもおかしくない状態であることがわかりました…。
本当に申し訳ありません。

実際、教材のことは教室を始めて少し経った頃からずっとあれこれ思ってはいて、1年目、まだきてくれる子達も少なかった頃、時間もあったので200枚ぐらいプリントを作ったことがありました。
ただ、そのほとんどがやはり完成度が低く、今ではごく一部だけを使うことがあるだけになっています。

そして、その後もメイン教材だけでは子どもが立ち止まってしまうことが多い部分に関してはフォロー用のプリントを用意したり、どういう順で教材を進めたらスムーズに行くことが多いかを考えたり、色々な試行錯誤をしつつ、当初使いづらく感じたところも大半はどの子にもある程度対応して使えるようになりもしました。

ただ、今年度、目標として、かなりの量の教材を書くことをあげ、少しずつではありますが進んでもおりました。
当初の自分の目標には遥か及びませんし、まだ全くの手書きのラフ原稿ですので、「教材」として使える状態では全くありませんが、今の時点で1000枚ほどは書いています。

それでも、結局色々あれこれ考え、もっとこうすべきではとか、それは必要ないのかもとか、ずるずると予定を先延ばしにして、確かにいつまで経ってもお前は何にもしない!とお叱りを受けてもなんら反論のできない状況であるのは残念ながら間違いありません。

言い訳ばかりを並べてもどうしようもありませんから、貴重なご指摘を頂き、再度しっかり考えねばと思っています。

ただ、今来てくれている子ども達は今使っている教材が順にステップを踏んで進んでいくものであるため、「次はステップだ」とか「あとどれだけでジャンプになる?」とか、それが当たり前の会話になっていて、それを目標に頑張っている子もいますので、必要であればフォロー教材を挟み込むなどしたとしても、基本的には今の教材のまま進めていく予定ですし、保護者の方にも年度初めにそうご案内させて頂いたかと思います。

また、過去の記事で、「教材を教える」のではなく、「教材で教える」というようなことを書いていたようですが、現在、プリント教材が終わった子達は一般の塾でも使っているようなワークブックをやってもらったりしており、ただ、そのワークブックをしてもらうときにも、取り組み方はこれまでプリント教材でやっていたときとほぼ同じ状態になっています。

塾用教材の多くは、例題や解説、ほぼ答えのようなヒントなどが書かれているものが多く、それがないものがあればなとは思いますが、結局は子ども達にも必要最低限の部分しか例題やヒントを読まないようにしてもらっていますし、長く使われている塾用教材はもちろんそれぞれによく考えて作られているわけですから、それ以上のものが作れなければ、子ども達にとっては改悪になってしまうので、それも気にしています。

実は1週間ほど前にある先生にお話したところだったのですが、そして、今頃気づいたのか?とおっしゃる方もおられるかもしれませんが、私が作るべきなのは教材全てではなく、今既にある様々な教材で代用できない部分なのではないかと。

既に書いたプリントの中には単なる計算式だけのプリントもかなり含まれています。
ですが、それらは既に存在する教材にいくらでもあるものなわけで、それを私が作ったからといって、改めて子ども達の役に立つわけではないでしょう。
全てをと思うから、あまりに目標が大き過ぎて、できない言い訳を探すことになっているのだと思いますし、やっと自分の中でちょっとすっきりした矢先に今回のご指摘を頂いたのですが、本当にずっと言い訳ばかりしていたんだなと再度気づかせて頂きました。
ありがたいことだと思います。

教材のことに関しては、教室の保護者の皆さまにはまた改めてお知らせをと考えておりましたので、近いうちにまたご案内させて頂きます。
今通ってくださっている皆さんは基本的にこれまで通り教材を進めてまいりますので、どうぞ宜しくお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月23日 (月)

父譲りだったのか?(休日ネタ)

私はもともとあまり趣味らしい趣味もなくて、ただ、昔から服とか靴、その他身に付けるものや持ち物などには結構自分なりのこだわりがあります。

食道楽、着道楽・・・とかでいうと、まあ間違いなく「着道楽」なんだろうとは思いますが、これまた昔から、ブランド物などにはあまり執着がなく、どちらかというと、デザインや色、素材などと価格とが見合っているかどうか、その上でそれを気に入るかどうか…みたいな選び方をしてしまいます。

高くていいものを長く大事にということができればいいのでしょうけれど、私にとってはまだ服などは「消耗品」という認識なので、いいものを買ってもデザインに飽きるかもしれないし…となると、やはり手頃なものに走ってしまいます。

それらの理由により、最近は、デザイン、素材、価格全てにほぼ納得のいくユ○クロにタンスの大部分を占められつつあり、むしろ……ユ○クロが自分のタンスになりつつあるような…。(汗)

さて、前置きが長くなりましたが、あのお店は素晴らしいのですが、私にとっては困った点もあります…。
もうちょっと買う前にどうしようか考えるような価格であれば、買うのを控えたり、枚数を抑えたりするのでしょうけれど、この値段ならいいか~とついつい…。(汗)
その結果、以前に告白した気がしますが、毎年何枚か追加していくもので、定番のセーターやTシャツなどは色違いで10枚とか、プチユ○クロ化しているような有様です…。

ほぼ唯一の道楽(?)とは言え、なんだかなぁ…と自分でもちょっと思っているわけですが、昨日実家で父と話していたとき、意外な発言が…。
うちの父はもう結構な歳なのですが、お蔭様で元気にしてくれていて、時々ユ○クロにも行って、何か気に入ったものがあれば買い物をしているようなのは知っていました。

で、その父が昨日、そこのものらしきフリースを着ていたので尋ねると、自慢げに、「これ、めちゃくちゃあったかいんや。」と。(ああ、なんて可愛い(笑))
1000円したかどうかだったそうですが、どうやらすごく気に入っている様子。そして、次に言った言葉が…。

「あったかかったから、色違いで4枚買うたわ。」

私は紛れもなく父と親子のようです。(笑)

連休最終日。ど~でもいい話題で失礼致しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月22日 (日)

私が親なら感涙モノ。

土曜のレッスンでのこと。
レッスンが終わっていつものように飴の缶を差し出したとき(うちはレッスンの終わりに好きな飴を2コ選べることになっているので)、まだ蓋を開かないうちに1年生の女の子が言いました。

「のど飴ある?」

最近はのど飴にも色々な味のものがあり、また、私たちが子どもの頃と違って最近の子たちはミントやらの飴も結構好きな子もいるのですが、なんで缶を開ける前から聞いたのかな?と思ったとき、彼女は更に言いました。

「お母さんがのどが痛いって言ってたから。」

今日はその子の大好きなハイ○ューのストロベリーもあったのですが、まずお母さんののど飴を取った後、自分のを取りました。
なんか、うわぁ~、いいなぁ~お母さん…って思いました。(笑)

そして、また別の時間。
その子は普段も大抵、お父さんやお母さん、弟くんへのお土産(?)にと飴を選ぶことが多いのですが、今日もあれこれ迷っています。

「う~ん、どうしよう…。今日は私もがんばったから、自分にもほしいな。けど、う~ん…。」

そんなことを言いながら、お父さんにあげるか、お母さんにあげるか、弟くんにあげるか、かなり悩んでいる様子。
なので、「お父さんもお母さんも大人だから、飴もらえなくても大丈夫よ。ほしいんやったら自分の分取ったらいいやん」と声をかけた次の瞬間、ちょっと穴があったら入りたい気持ちになりました…。

「いや、そういうんじゃなくって、パパ、ここまで送ってきてくれてるからお礼に…。」

確かそんな言葉だったと思います。
もう、親じゃなくても感涙モノです。

ああ、なんていい子なんだろう…。一応(?)お勉強の教室にきているのに、そこに送ってきてくれているお父さんやお母さんに感謝のしるしとして飴をプレゼントしてたんだなぁ、この子は。
そんなこと思いもせず、ただ「優しい、いい子だなぁ」と思っていたのです。でも、彼女はもっともっと素晴らしい心の持ち主だったんですね。

なんだかとても幸せな気持ちをもらいました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年11月21日 (土)

お知らせ

先月来、学校行事やインフルエンザなどの影響で、かなりお休みや振替ご希望の方が続いていまして、なるべくその場で控えるようにしているのですが、子ども達の入れ替わりのタイミングでバタバタとお話してそのままレッスンに入るということも少なからずあり、もしかすると振替のご希望を頂いていて、そのままになってしまっている方がおられるのではと少し気になっております。
もしかしたらそうなのでは…と思われる方がおられましたら、大変お手数ですがお知らせください。

尚、23日月曜は祝日ですが振替レッスンをお受けしています。
もしご希望の方がおられましたら、ご連絡ください。
どうぞよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月20日 (金)

「余りのある小数の割り算」

最近、検索ワードの中にタイトルのような内容ものがよく目につきます。
うちは学校の進度とかにあまり沿っていないこともあり、教科書の学習の順番を大まかにしか把握していないので(学年配当ぐらいしか…)、今は学校で余りのある小数の割り算をする時期なのかな?と思っています。

検索しておられる方がどういう方々なのかわかりませんが、塾や学校の先生方もおられるのかもしれません。
うちで使っている教材にも小数の割り算に関してはほとんど含まれていないので、ちゃんと作りたいなぁと思いながらなかなか進まずにいるのですが、もし学校や一斉指導の塾などであれば、準備するに値するし、子ども達もわかりやすいのではないかなぁと思うことがあります。

もちろん、それをする前には、小数の意味がある程度分かっていないといけませんし、数直線などで小数の位置をきちんと答えられるようになっていないと難しいかと思いますが、そこがある程度クリアできているなら、「余りの小数点の位置を『どう教えるか』」ではなく、子ども自身が自然に気付くのではないかなと。

例えば、ひもを半端な長さで何本か用意します。あまり長過ぎても大変かもしれませんので、2~4メートル前後の間で端数が出る(1.8メートルとか3.7メートルとか…)長さで用意をします。
そのひもを、0.5メートルずつ切るとか、0.8メートルずつ切るとか、そうしていけば、当然余りは見たまま、1メートルに満たない分の小数で表される長さになるはずです。
見えているものですから、それを小数点をつけ忘れて、2メートルだの3メートルだの答えることはまずあり得ないでしょう。(長さを理解していればですが…。)

同じように、ペットボトルなどを用意して、それを分けていくことでも目で見て余りがわかるようになると思います。

それである程度感覚が理解できたら、次は数直線などを利用して、例えば…0.01単位の目盛りが付いている数直線を適当な長さ与えて、それを割る数で表された長さずつ区切っていくと(例えば、1.52÷0.23みたいな式であれば、数直線を1.52の長さで書いて与え、それを0.23ずつ区切らせるというような感じ)、自然と余りの分が端に残ります。
ですから、やはり目で見て余りが理解できる状態になるはずです。

そういうことをしながら、今やったことを小数の割り算の式に表わし直させると、小数の余りのどこに小数点が付くか、多くの子が実感として理解できるのではないかと思います。

教室の子たちは小さい頃から数量などを実感しつつ進んできているので、小数の割り算をやる頃には、もし余りの小数点をつけ忘れている子がいても、「それおかしくない?」とでも声をかければ大抵は気づいてしまうということもあって、「同じ位置に小数点を打つ」ということを教えることはほとんどありませんし、上述のような作業をしてもらうこともこれまではありませんでしたが、こんな教材を作れば、もっとよくわかるだろうなぁとは思っています。(汗)

何かどなたかのご参考になれば幸いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月19日 (木)

子ども達を見ていると

独立するまでは気付かなかったこと、というよりむしろ、独立前に関わった子たちの多くは、学校や塾で(私もその原因の一部を担ってしまっていたのだけど)教わったことを覚え、その通りに解くことが算数や数学の勉強だと思ってしまっている状態でもあったので、気づけなかったことというのが正しいかもしれない。

その頃見ていた子たちの多くが文章題を嫌い、公式を忘れては尋ね、それが「一般的な子どもの姿」だと私も思っていた。

でも、それは明らかに間違っていた。
少なくとも、大半の子どもが本来は考えることが好きなんだと気づいた。

一見遊びのように見えるパズルの類はもちろんのこと、算数の勉強に限ったとしても、子ども達の思考の邪魔をしさえしなければ、ほとんどの子が考えることを厭わない。
もちろん、その子の現時点での能力と比べて問題が難しすぎるような場合は別として、適度に難しい問題ぐらいなら、焦らさずじっと見守ってさえいれば、多くの子がじっくり考えている。

多分それが自然の姿で、子ども本来の姿なんだろうという気がする。

もちろん、それぞれに興味の対象は違うので、算数に興味がない子もいるにはいるだろうけれど、計算などにはすんなり取り組むのに、文章題などの応用問題になると嫌がる子どもの姿は実は「異常な状態」なのだと今はそう思う。

考えることを面倒がる子どもがいたら、その子の勉強の方法が何か間違っていないか、しっかり考えてみてもらえたらと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月18日 (水)

ありがたいことがたくさんあった日

またも夜更かし中なのですが、17日はなんだかとてもありがたいなぁと思うことがたくさんあった1日になりました。

正直なところ、朝から思いがけないコメントを頂戴し、自分の表現力不足でどなたかにご不快な思いをさせてしまっていることを申し訳なく思いつつ、それでもやはりどこか誤解されているような気もして、レスの代わりにブログの記事として自分の思いを書かせて頂きました。

詳しくは書きませんが、その結果、本当に本当にありがたいなぁと思うことがいくつかありました。
ブログだけを読んでくださっていて面識のない方に誤解されるのは、避け切れることではないのだろうとも思います。(もちろん、私の表現力不足や思い込みによる結果ということは否定できませんが…。)

ただ、面識のある方の中に、まるでご自分のことのように考えてくださる方がおられることを本当に本当にありがたく思います。

それだけでももう本当に感謝しきれない思いなのですが、今日はちょっとしたハプニングにより、子ども達にも感謝でした。
今日の2コマ目のレッスンが始まるちょうどそのとき、お手伝いの先生が目の異変を訴えられました。
痛いのをしばらく我慢しておられたようで、黒目にごく小さな金属片が付着しているようです。ご自分で洗面台の鏡を見ながら取れないか子どもが入れ替わるタイミングであれこれされてみたようですがご無理だったご様子。

目のことなので、やはりすぐにお医者に行って頂かないと不安です。しかし、その時間は子どもが4人。
でも…そんなことは言ってられません。
メンバー的にもきっと状況を理解してくれるはずと、「協力してくれると思いますから、行ってきてください。協力してくれなかったら怒りますから。」と、先生が気を遣われないでいいようにと思ってつい口走ってしまったら、4年生の女の子が「協力しようと思ってんのに、そんなん言われたら…」とすぐに答えました。

そして実際、その発言をした4年生の子を中心にみんないつも以上にがんばってくれて、4人の子たちと2、30分レッスンをしたのですが、全くあたふたすることなく乗り切ることができました。
子ども達ってやっぱりすごいなぁと。(だからって、「この前はできたんだから」とかなんとか、それをいつも要求したらダメなんですよね、きっと。(苦笑))

本当にありがたいことがたくさんありました。
本当に本当にありがとうございました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月17日 (火)

コメントへのお返事にかえて

今日寝る前に書いた、この下の記事にmaさんからコメントを頂きました。
コメントにレスをさせて頂こうかとも思ったのですが、気になることでもありますので、読んでくださっている皆さんに向けて書かせて頂こうと思います。

私はブログによく「スーパーくん」とか「スーパーちゃん」という表現を使います。
そのことに対して、それはできる子に対しての称号でできない子にとっては不愉快なのだというコメントを頂きました。

これまでそういうことを考えたことがありませんでしたので、ご指摘の通り確かに「あんたにはわからない」のだと思います…。
もし、ほかにも不愉快な思いをされている方がおられたら申し訳ありません。

ただ、当然のことですが、子ども達に向かって「スーパーくん」とか「スーパーちゃん」とか呼ぶことはありませんし、その言葉すら直接子どもに対して使うことはありません。
もちろん、ひとりひとりの子にとって、その子のレベルからしてよくできたなと思えば自然と「すごいなぁ」とか「やるなぁ」とかいう言葉は出ますが、それは偏差値的な感覚での判断ではなく、あくまでもひとりひとりの子の持つ能力に応じての判断です。(表現が難しいのですが、例えば計算が苦手な子がその子にとって難しい問題を一所懸命がんばって解くことができたらもちろんそれは「すごい」ことだと思います。たとえその問題が他の子にとって簡単なものであったとしてもです。)

また、うちはメインは算数の教室なので、私がいう「スーパー」は算数についての能力にほぼ限定されたものではありますが、ほかの部分に関しては残念ながらあまり関わることがないから判断ができないだけのことで、たとえば走りがとても速い子はやはり「スーパー」でしょうし、絵がとてもうまい子も「スーパー」でしょう。
昆虫博士とか、地図博士とか、そういう子たちがいたら、やっぱりそれも「スーパー」なのだと思います。

例えば、イチロー選手が「スーパースター」であることはほぼ皆さん異論のないところかと思います。
彼を「スーパー」と表現したら、「スーパー」ではない他の野球選手はやはり不愉快なのでしょうか?
もちろん、そういう方もいるかもしれませんが、同じ選手同士でも「イチローはすごい」と素直に称賛できる方も少なくないのではないでしょうか。(もちろん、想像でしかありませんので、実際はわかりませんが…。)

教室にいらしてくださっている方におわかり頂けていればいいのですが、私はスーパーであろうとなかろうと、一所懸命がんばっている子たちはみんなすごいと思っていますし、また、一所懸命がんばろうとしない子はそれもまたひとつの選択で、やりたくなければやらなくていいのではとも思っています。
ただ、算数をしたくない、勉強をしたくないという子がいたとして、その子と一緒にお勉強することができなくなるとしても、その子のことをダメな子だとは思いませんし、きっとほかにもっとその子の興味が持てること、能力を発揮できることがあるんだろうなと思ったりもします。

そもそも、算数ができようができまいが、子どもの好き嫌いには直接影響がありません。
現時点で算数が苦手な子でも、一所懸命でかわいい子は何人もいますし、仮によくできても、人に迷惑をかけたり、人を傷つけるようなことを言ったりすれば当然雷が落ちます。

大人でも苦戦しそうな問題を何かがパッとひらめいたように解いてしまう子を目の前にすれば、やはり「スーパー」だと感じますし、最初の段階ではややしんどいのかな?と思っていた子が「スーパー」に変貌していくこともあります。
もちろん、算数という狭い範囲に限定してしまえば「スーパー」にはなれない子もいるでしょうけれど、その子たちはほかに何か「スーパー」なところがきっとあるのです。ただ、残念ながら私は教室でそれを見ることができないというだけで。

どうしても「すごい!」と思ったことは書きやすいですから、うちには「スーパー」な子たちばかりいるとお思いの方も中にはおられるようですが、もともと「スーパー」っぽかった子もいれば、「スーパー」に変貌した子もおり、現在変貌中の子もいます。また、現時点では算数に関しては「スーパー」になるのは難しいのかもという子も少なからずいます。
でも、それは、何度もいうように「算数」というごくごく狭~~~い範囲に限定してのことであって、子どもの人格、能力のごくごく一部に関してのことでしかありません。

得意なことは褒めてもらえる環境はあっていいと思うのです。
がんばったことを褒めてもらえる環境もあっていいと思うのです。

私が「スーパー」と表現している子たちの中には、前の記事にも書いたように、忘れ物王もいますし、落ち着きのない子もいます。国語になると間違い連発の子だっているのです。

いつの頃からか、競走して順位をつけることに対しての批判がされるようになり、今では一部の幼稚園、小学校などでは順位がわからないようにかけっこやリレーがされたりするようです。

勉強は苦手だけど、走りは速いんだ!という子がいたら、その子は走って「スーパー」ぶりを発揮して、褒められる場があっていいと思うのです。
テストでは点数をつけて成績をつけるのに、かけっこでは順位をつけないなんて矛盾しているように思います。

うまくまとめられなくて申し訳ありませんが、確かに私が使う「スーパー」という表現は「算数のセンスが抜群である」とか「その子の年齢からすれば算数がかなりよくできる」とかいう意味で使っていますが、あくまでもごくごく一部の狭い範囲のことに関しての評価であり、仮に算数がてんでダメでもかけっこでダントツにトップになるような子に対してだって「スーパー」という表現は使うだろうと思います。

もし、不愉快な思い、腹だたしい思いをしておられる方がおられましたら、そのことは申し訳なく思いますが、どういう考えで使っている言葉かということを少しでもご理解頂けるとありがたく思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

「男の子」という生き物

これを読んでくださっている方の中には男性も少なからずおられるかと思いますので、失礼があったらお許しください。
男性が女性を理解できないと思われるように、女性も男性を理解できないというところは少なからずあるのではと思います。実際、男女差をテーマにして書かれた本も色々あるかと思いますし、子どもに限ってでも「男の子…」とか「男の子…、女の子…」のようなタイトルの本もしばしば目にします。

そういうものを読みながら、へぇ~、そうか~、男性って一般的にそういうもんなんだな~とか、男の子と女の子ってこんなに違うんだな~とか、知識としては多少は蓄えました。
で、日々レッスンをしていると、自分が(一応)女だからか、女の子の言動は概ね理解できるし、予想もできるのですが、男の子というのはやはり自分とはかなり違った生き物だなぁと感じることが少なくありません。

まず、一番意外だったのが、少なくともうちの教室の子たちは、圧倒的に男の子の方が泣きます。
それも、怒られて泣くということはないのですが(私の場合、涙も引っ込むぐらい怖いという噂もなきにしもあらずですが…(汗))、問題が難しくてとか、混乱して考えてもわからなくなってとか、そんなときにぽろぽろと泣き出すのは圧倒的に男の子の方が多いです。

そして、あくまでも一般的に…という話ですが、女の子の場合、勉強がよくできる子は殆どの場合身の回りのこともきちんとしています。
しかし、男の子となるとかなり話が変わります……。
うちのスーパーくんたちは決して少なくない割合で忘れ物王です…。レッスンに来るのに筆箱や鉛筆、消しゴムを忘れてくることは日常茶飯事なんて子もいます。(それが超スーパー級でよくできる子だったりします…。)
カバンの中身がぐちゃぐちゃなんて子もいますし、今日やったプリントや宿題をそのまま忘れて帰りそうになる子もいます…。

そしてそして、一番男女差をしみじみ感じるのは、男の子は圧倒的に「競争」が好きな子が多いなということです。
例えば、やっているプリントが違うものであっても、プリントの枚数で競ってみたり、自分がやったことのある問題なら、「やったことある!」とか「そんなん簡単や!」とか口に出していうのも比べ物にならないぐらい男の子の方が多いです。(まあ、女の子も小さいうちは口にする子もいますが、だんだん学習していわなくなるような気がします。)

ほかの子が一所懸命考えている問題を横から「そんなん簡単!」とか言われたら、言われた子は嫌な気分になるだろうと思って、いつも注意するのですが、もしかすると男の子同士なら注意する必要もないのでしょうか?
女同士なら、そういうことを言われたら落ち込んだり、根に持ったり、相手を嫌いになったり…と色々厄介そうな気がするのですが…。

最近ぼんやり考えていて、まだまとまらないのですが、レッスンを例えば男の子は男の子ばかりにして、何らかの競争要素とかゲーム的要素を(同じプリントで速さを競わせるとか、点数を競わせるとかはしたくないので、まだ本当にぼんやりと考えているだけですが…)取り入れたら、もっと集中力を見せたり、力を発揮したりするのかも…と思ったりするのですが、男性の皆さま、どう思われますか?

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009年11月16日 (月)

休日

日曜は例によってだらだらと(といってもかなりの時間相変わらずスリザーをやっていたのですが…(汗))過ごし、晩には実家に行ってきました。

いつまで経っても独身の私にとって、家族といえば両親と兄しかいないわけですが、おまけに両親にはず~っと不孝ばかりの不肖の娘なわけですが、私も歳なんでしょうかね。最近とみに、ああ、この両親の子どもでよかったなぁと思います。普段は照れくさくって、結局そんなことは言えないのですが…。
いつまでもずっと元気でいてくれますように。

と、少し話は変わりますが、私は普段、実家に行ったときぐらいしかテレビを見ないのですが、今日は普段見ている番組が放送時間がずれたこともあり(と書くと何を見ているかおわかりの方もおられることかと…。)、NHKの番組を途中から見ていました。

「素数」に関する話だったのですが、もう私には全く何のことやらちんぷんかんぷんの難解な話題が続き、そういうのに興味のない父は半分うとうと。(苦笑)
で、ちんぷんかんぷんながらも、素数というのがなんだかすごく不思議な、宇宙の神秘みたいなものである可能性があるとかいう(あまりに難しくってものすご~く曖昧にしか記憶に残っていないのですが…(汗))話題に、目に見えぬものの存在を感じたりもしました。

そして、何より印象的だったのが、その番組に出てきて、過去の偉大な数学者が残した難解な予想を解き明かすために研究を続けている現代の偉大な数学者の方々が、私には全くわからない難しい話を、それはもう本当に楽しそうにニコニコと語っておられる姿でした。
ああ、この方たちは本当に本当に数学が大好きなんだなぁとしみじみ感じる、とても素敵な表情をしておられました。

年齢を重ねておられるのに、数学について嬉しそうに語るその表情は少年のようでもあり、なんとも可愛いなぁと。

本当に好きなことをしている人はこんなにいい表情をするんだなぁと。
そして、そういう表情は見る人をもなんだか幸せな気持ちにしてくれるんだなぁと。
そんなことを感じました。

それにしても…………。素数を使ったある数式の値が「π(パイ)の二乗/6」になっているということを発見した天才数学者の話が初めの方に出てきたのですが、その数式自体もなんでそんなの思いついたの?というような数式なのに、その上、その数式の答えが円周率を二乗して、それを6で割った数と一致するって……まだコンピュータなんて全くないような時代に、何をどうすれば発見できるんだろう?と、理系の数学に挫折した私としては全く微塵も想像がつかず、ただただ驚きました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月15日 (日)

昨日の夜(土曜の夜ですが)、更新しなきゃなぁと思ったのですが、なんというか、小さなことがいくつか重なって(まあ、それがほぼ全て自分の未熟さのせいなんじゃないかと思うようなことで)、なんとなく気分が下がってしまって、こういう日は何も書かない方がいいだろうなと、だらだらしてそのまま眠ってしまいました。

子ども達は自分を映しているようなところもあると思うので、子ども達が笑っていてくれないと、それは多分自分にも原因があるんだろうなと思いますし、勉強が楽しくなさそうだったら、やはりそれは自分が未熟だからなんだろうなとも思います。
自分の力が足りないせいで子どもが笑っていてくれないとすれば、やっぱり私も笑顔ではいられないし、でも、私が楽しそうにしていないと、多分子ども達にもそれが伝わってしまうんじゃないかとも思います。

まあ、なんというか、周期のようなものがあって、はっきりした理由があるわけでもないのに気分が下がってしまうことはありますし、忘れっぽい性質なので、何日にも渡ってブルーになっていることもありませんから、波が去るのを静かに待とうと思っています。

しっかりしなくちゃいけません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月14日 (土)

今日は更新サボります…。(汗)

時間がないというよりは、なんというか考えがまとまらないという感じで、相変わらず自分の中でまとまり切らないことがあるのですが、それを突き詰めて考えるには、明日が土曜なので早寝しなくてはいけないこともあり時間が足らず…。
かといって、中途半端なままに書くにはどうかなということでもあり…。

というわけで、今日は形式的更新だけですみません…。

ぼんやり考えていることのひとつに、今更何を?という感じかもしれませんが、算数の教科書の学年配当やら学習する順番やらって、やっぱりよく考えられているのかもなと。
もちろん、なんだかんだと単元によっては学習する学年が上がったかと思ったらまた下がってきたり、教科書によっても学習の細かい順番は違ったりなど、色々あるにはありますが、数や計算を学習する順番など大まかな部分で、やはりそれは子ども達の発達段階を踏まえた上で考えられているような気がするなぁと。(もちろんそうなんですけど、そのあたりのニュアンスをきちんとお伝えするには結構長くなりそうですので、今日のところは漠然とした表現でお許しを…。)

教室を始めるときに、ある先生が学習内容を部分に分けて細切れにしてしまうから子ども達がやる気をなくすんだというお話をされたことがありました。
そのときはそのお話を興味深く伺っていたのですが、教室を始めてから6年あまりが経ち、何か少し違うような、もやもやした感覚を抱くようになりました。

数の感覚は、期間の長短はもちろん個人差があるとしても、それぞれに「熟成期間」が必要な気がしてならないのです。
教具などを使って、次々と10まで、20まで、100まで、1000まで、10000まで…と短期間でそこまで持っていくと、なんというのでしょう…感覚の優れた子なら抵抗なく消化してしまうのかもしれませんが、一般的な1年生であれば、実生活の中で1000や10000を体感する機会はまだほとんどないので、結局、教具という限定されたもので計算だけができるようになるという印象を受けることがあります。
教具があってもやはり、実感が伴いづらく、多くの子が苦労するところでもあります。

このあたりのところがここ数ヶ月ずっと心に引っ掛かっています。

もう少し考えます…。(ほんとに中途半端な更新ですみません…。(汗))

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月13日 (金)

やっぱりそんな気がする。

今日、レッスンをしていたとき、ある子がこう言った。

「前やったときは難しかったのに、今やったら結構簡単だね。」

別の子もこう言った。

「え~?!なんでこれ今まで残ってたん?こんなんできるやん!」

その子たちがそう言ったときに目の前にあったのは、数ヶ月前すごくすごく苦労して、あまりにもつらそうだったのでひとまず保留にしていたプリントだった。

保留にしたのは、今のその子たちの学年、進度を考えると、今の時点で無理をしてまでそれができなければならない内容ではなかったということもある。
また、ひとりの子は数の感覚がどうもなかなか身に付きづらそうでもあったので、そこで無理をさせてますます拒否反応が出てはとも思ったということもある。

子ども達とレッスンをしながら、そして、教材のことを考えながら、このところずっと漠然と感じていることがある。
まだ自分の中でしっかりとまとまっていないので、尚更教材作りもはかどらないままなのだけれど、やはり、与えるべき時期、与えるべき順番というようなものがあるのではないかと感じるのだ。

もちろん、ひとりひとりみんな好き嫌いや得意不得意は異なるので、当然個人差はあるとしても、与えるべき時期を間違えると、子ども達にさせる必要のない苦労をさせ、苦手意識や嫌いだという気持ちを抱かせてしまう可能性は決して少なくないような気がする。

まだうまくまとまらないけれど、教材を作り上げる前にもっとしっかり考えなければならないことなのは間違いないだろうと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月12日 (木)

なんとなくうれしい。

今日、スーパーくんのお母さんが教えてくださったお話。

スーパーくん、これまでお友達とかに自ら進んで教室に通っているということは言わずに来ていたようなのですが、徐々に学年も上がり、どう考えても相当できるので、お友だちに「く○んでも行ってるの?」と聞かれたそうです。
個人的には、「なんでそこよ?」とそのお友だちにツッコミを入れたいところですが(笑)、その質問に対してのスーパーくんの悩み。

「算数は習ってるけど、あそこ(うちの教室のこと)は塾じゃないし、みどり先生のところって言ってもわからんし…。う~ん、なんて言ったらいいんやろ?」

ああ、もう最高な感じです。(笑)
特にここ。

「あそこは塾じゃないし」

何ともうれしいじゃありませんか。

実は、私はうちのことを「塾」だと思っていません。開業届にも「学習塾」とは書かず、敢えて「学習教室」としました。
どう違うんだ?とつっこまれると、なんとも、個人的なニュアンスでしかないので説明しづらいのですが、「塾」と呼ばれることがあまり嬉しくないのです。
でも、子ども達の中には「塾」という子ももちろんいますし、言われても特に否定はしませんが。(言われると内心ちょっと悲しいんですけど。(苦笑))

いいなぁ~、うん、実にいい。
そうなんだよ、塾じゃないんだよ、うちは。
なんかもう、おっきな字でプリントアウトして貼っておきたいぐらいです。(笑)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年11月11日 (水)

インパクトあり過ぎるニュース。

今朝(10日)新聞を見たら、脳科学者の茂木健一郎さんに関するニュースが出ていました。

ネットでもニュースになっていたのでご存知の方も多いかと思いますが、新聞でそのニュースを見たとき、なんというかもう、あまりの意外過ぎる事実に驚きつつ、なんとも言えず…普通ならあり得なさそうな、不謹慎ながら思わずクスッと笑ってしまいそうな、そんな気持ちになりました。
なんというか…改めて茂木さんのファンになりそうというか…。(笑)

多分本当に節税とか全くこれっぽっちも考えておられないんだろうなと、本当にそう思います。
それにしても、研究者としてのお仕事の他にも、あれだけ次々と本を書かれ、テレビ番組のキャスターを務め、超売れっ子(?)の先生が個人事務所も持たず、アシスタントもいないだなんて!(笑)
もうそれだけでかなりびっくりな感じで、けど、自分で申告するつもりだったけど手が回らなくて…というのがまたなんとも言えず、お金には頓着してないんだろうなぁという感じがするというかなんというか…。

もちろん、納税は義務だそうですから、きちんと申告しなければならないということには違いないのですが、インタビューに答えている茂木先生の言葉がまたなんとも…。
自分の普通預金の残高は知っていても年収は知らないとか、ご自分で申告するつもりだったのに、領収書類は本とかタクシーの領収書ぐらいしか取ってないとかなんとか…。

う~ん…。誰か周囲の方でフォローして差し上げる方はおられなかったんでしょうか?
とりあえずほぼ確実なことは、茂木先生は、めちゃくちゃ頭のいい方なのはもちろんですが、それだけにとどまらず、私のような凡人には想像もつかないすごい方だということでしょうか。(笑)

茂木健一郎氏:多忙で申告せず…3年で3億円 国税局指摘
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20091110k0000m040154000c.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月10日 (火)

もしかして流行ってる??

先日、こすると消えるペンのことをブログに書きまして、昨日そのペンの1本のインクがなくなってしまったため、今日文房具屋さんに行きました。
すると…もっと細いのがあればなんて言っていた私が愚かでした…。(汗)

私が買ったものの他にも、それよりペン先が細いものもあり、そのお店にはゲルインクボールペン数色が3種類、蛍光ペンも5色だかずらりとよく見えるところに立てられていました。で、ペン先が細くなったので、細かいスリザーもより快適にやれるなぁと。(またそれか…。)

けど、不思議だなぁと思ってペンの軸を眺めていると、ある言葉が目に入りました。

「60度以上になるとインキが無色になります。」

へ?へ、へ??
温度を上げるとインクの色がなくなってしまうの?高温のところに放置しておいたら、書いても無色透明になってしまうってこと??(ああ…試したいけどもったいないし…。)

でも、なんだか少し、なぜ消えるのかがわかったような…。
摩擦熱とかなのかな?消しゴムでも多少消えるもんなぁ。じゃあ、ほかのものでこすっても消えるのかな?
アイロンを当ててみたらどうなるんだろう??紙だから火であぶるのはまずいだろうけど…。
あ!60度以上とかだったら、沸騰したお湯につけたらどうなるんだろう??

う~ん、気になる…。
もし私が小学生だったら、このペンを自由研究の題材にしたいところなんだけど。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 9日 (月)

お休みだったんですが・・・。

このところ、日付変わっての更新で定着気味のため、今日は日曜でお休みだったというわけですが、スリザー熱は若干落ち着いたものの、お休みとなると心おきなく…というわけで、今日もさんざんやってしまいました。

さすがにこれだけやり続けていると、少しずつではありますが、こういうときはこうなるというパターンも頭に残り始め、問題作成者の意図のようなものが感じられることも出てきました。
まあ、これは完全な趣味で勉強や仕事とは違うわけですが、ある程度詰めてやると何かが見えてくるという意味では勉強にも通じるところがあるかなと思ったりします。(私の場合全然活かせていませんが…。)

しかし…我ながらちょっと呆れた出来事が…。
つい先日、確かちょうど1週間前のような気がしますが、消えるペンを購入したことをブログに書きました。
そのペンはスリザー以外には全く使っていなかったのですが、今日の夕方インクが出なくなりました……………。(大汗)

仕事もそのぐらいがんばれよ、自分……。(反省)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 8日 (日)

穏やかな日

昨日、仕事が済んで遅くから偏頭痛がし始めておさまらず、帰宅後も明日お休みだしこの時間からお薬飲むのもなぁと思って、ちょっと横になったらそのまま眠ってしまいました…。(汗)
昨日は土曜。

週の中で一番レッスンの数が多く、来る子たちの人数も多い日です。
教室には個性豊かな子がたくさんいますが、土曜もバラエティーに富んでいて、しばしばガツンと雷が落ちることも…。
ですが、前日の晩に祈ったのがよかったのか、昨日は比較的穏やかな1日でした。
怒らなくていいと私もやはり気持ちのいいものですし、怒ったことで発するであろう嫌なムードが教室に残ることもなく、こういう日が続くといいのになぁと思いました。

ところで、昨日なんとなく、ああ、それっていいよなぁ~と思ったことがあります。
一時レッスンをお休みしていて、数ヶ月ぶりにレッスンを再開した子がいるのですが、もともとはおうちの方がおっしゃったのかなんなのか(お尋ねすればすぐ教えてくださると思いますが)、出所(?)ははっきりしませんが、その子はうちのことを「算数クラブ」と呼びます。

「算数クラブ」

まだ幼児さんの頃からそう言っていたので、小さいから教室とか塾とかいうより「クラブ」というほうがしっくりくるのかなぁ~、なんか面白いな~ぐらいに思っていたのですが、昨日改めて「クラブ」ってなんかいいよなぁと。

クラブ活動は基本的に強制されるものではなくて、自分のしたいことを自分の意志で選択し(必修のクラブもあるとか、希望が重なると通らないとかそういことはまあ置いておいて…)、そこで楽しく、時には必死になってがんばるというようなイメージですよね。

なんかそういうのって私の理想だなぁと。
おうちの方に行かされるとかではなくて(きっかけはそうだったとしても)、自分が行きたいと思って来てくれて、自分が算数が好きだからとか、算数ができるようになりたいからとか、自らの意志で学ぶ。
もちろん、今もそれを目指してはいますが、そういう意味でも「クラブ」と呼んでもらえることはもしかしてすごく幸せなことなのかもなぁと。

ま、さすがに名称変更はしませんけどね。
どうですかね?「算数クラブWillseeds」……う~ん、やっぱ微妙。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 7日 (土)

我ながら…。

多分自分は結構古臭いところのある人間で、おまけに気質が体育会系。
その自覚はもともとあるのですが、子ども達とレッスンをしていて、しばしば、我ながら…なんというか…大人げないよなぁと思ってしまうことがあります…。

なんでここまでこうなんだろうと思うぐらい、私は子どもをおだててのせることも、子どもにこびることもできません…。
相手は小さい子どもなんだから、ちょっとぐらい目をつぶってあげればいいのにとか、そこまで言わなくてもいいのにとか、きっと思われてるんだろうなぁとも思います…。

まあ、親御さんの多くは私がこんなだとわかっておられるはずなのでともかく(これでいいかどうかは別として…(汗))、何も知らない大人の方が私と子ども達とのレッスンをご覧になったら、かなり引かれるか、驚かれるか、場合によっては私が怒られるか…。きっとそんななのかもしれないなぁとも思います。(少なくとも幼児や低学年の子たちとお勉強をしている教室のイメージとは遠くかけ離れているのではないかと思われます…。)

どうにかもうちょい大人になって、ちょっとやればできることだらだらっとしている子を見ても、寛大な心でおだててのせて…とかできるようになれたらなぁと思ったりもするのですが、そう思う反面、私は子どもを「自分より劣るもの」と思ったことがほとんどないので(もちろん、腕力とか知識や経験などの面では大人の方が勝っていることはあるとは思いますが、子どもの方がすごいところもたくさんありますから、基本的に対等だと思っていると言いますか…)、思ってもないことを言っておだてたり、気に入られるために媚びたりというのはやっぱり何か違うような気もしてしまうのです…。

でもなぁ…。私、多分ホントに怖いよなぁ…。(汗)
子ども達、なんで平気なんだろう?いや、その瞬間は絶対平気じゃないんだろうけど、根に持たないっていうか、引きずらないっていうか……。(まあ、私もガツンと言ったあとは極力引きずらないようにはしているつもりですが…。)

そうか!私がだらだらしていたり、間違えたりしたら、子どもも私に怒ってくれればより対等で私の気持ちももう少し楽になるのかも。
けど、そんなチャレンジャーは滅多にいないもんなぁ…。う~ん…。

すいません、どうでもいい内容で…。
でも、また今日も怒っちゃったなぁ…みたいな反省の気持ちが…。
明日は怒らずに過ごせるといいのですが…。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年11月 6日 (金)

さっきから考えているのですが…。

更新しなきゃなぁとさっきからあれこれずっと考えているのですが、眠いとか疲れたとかではなくって、どうもこれと言って思い浮かびません。

といっても、今日も子ども達はみんなよくがんばっていましたし、見ていて微笑ましくなる瞬間もあったり、適当にわかったふりして流さない姿を嬉しく感じたりもしたのですが、どうも何もまとまらず…。

ただ、先日も書いたような気がしますが、子ども達はすっきり理解できていない段階では本当につらそうな、不快そうな、何とも言えない表情をします。
うちは少人数完全個別対応なので、その子の表情を見ながら、できる限りその表情がゆるんでパッと明るくなる瞬間まできちんと向き合うことを意識はしていますが(全ての子に常にできているというまでにはまだまだ修行が足りませんが…)、この子たち、学校ではどうしてるんだろうなぁ?と思ったりもします。

まあ、ほとんどの子は算数に関しては学校より先に教室で学習することが多いので、教室で納得したことは学校で険しい表情になることもないのかもしれませんし、教室でやることより学校のことの方が比較的やさしい場合が多いので、そもそも難しいと感じることも少ないのかもしれません。

ただ、つい先日こんなことがありました。
いつもとても一所懸命で真面目なものの、算数に関してはやや苦手と言われるであろう子とのレッスンのときのことでした。
普段もうちの平均的な子たちと比べると問題の進み具合がゆっくりなこともあり、教室でまだ一緒にやっていない単元を学校で先に習ってしまったようで、たまたま学校の宿題のプリントを見て、(ああ、今そこをやっているのか)と、教材の順を入れ替えてその日のレッスンを始めました。

初めの方は学校でも習ったことだったこともあり、すんなり進んでいたのですが、あるプリントに来たとき、「これ、今日学校で習ったけど、全然わからんかった。」と、なぜか少し笑顔で報告してくれました。
わからないところにすぐ対応できてよかったなと思いましたし、その日のレッスンでほぼ理解できたようで、その子もホッとしたようでした。

わからないところを誰かにわからないと言えて、わかるまでそれに付き合ってもらえる環境がある子は安心ですが、学校の授業中にというのはなかなか難しいのかもしれません。
みんながいるところで「わからない」というのは恥ずかしいとか、先生にしても何十人もの子がいて、その全ての子の「わからない」にその場で対応するのはまず不可能でしょうし…。(私なら10人でも多分無理…。(汗))

ただ、子ども達は小さい間はほとんど例外なく、「わからない」ということをものすごく不快に、苦痛に感じるような印象を持っています。(私が見ている算数などの学習に限っての話ですが。)
なんとかそれを理解してすっきりしたいという気持ちをとても強く持っていますし、そうできると本当にいい表情をします。

だから、本来、「わからない」が生まれたときすぐに、ひとつひとつすっきりさせていければ、子ども達の多くは算数を嫌いにはならないのではないかと(好きとか得意とかいうのは個人差があると思いますが)思ったりします。

どうもまとめがないまま、ぐだぐだな感じの更新になってしまいましたが、何卒ご容赦を…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 5日 (木)

「卑怯」という感覚

月曜に読書の方のブログで「振り込め詐欺」に関する本を紹介しました。
読み終えたのはもうひと月近く前になるような気がしますが、それを読みながら、あちらのブログにも少し書きましたが、何とも言えない重苦しい気分になりました。

というのも、その犯罪に手を染めているものの多くが20代、30代の若者で、それもいわゆるエリートと呼ばれるような経歴の持ち主であったりするという事実を知り、また、その彼ら自身、それが犯罪だとわかっているのに、彼らの間での価値観は「どんな方法であっても金を持っているヤツが偉い」というものだというものだということを知り…。

もちろん、取材に応じたのは犯人たちの極々一部なわけですから、それで全てを判断することは難しいでしょうけれど、私は以前から、そういう犯罪を犯す知恵があるんなら、それをもっと違う方向に生かせばいいのに…と思っていた、そのこと自体、発想が違ったということなのでしょう。
彼らはその知恵を「犯罪を犯してまで楽して大金を稼ぐこと」に、自らの意思を持って使っているようですから…。

電話をかけるのは名簿屋などで手に入れた家庭に無作為にということで、被害に遭った方のお話も書かれていましたが、何ともやりきれない気持ちになりました。

振り込め詐欺の被害は、その犯罪が世に知られるようになって結構経つにも関わらず、決して減っていないそうです。
そして、何の罪もないお年寄りたちが今日もどこかで被害に遭っているのかもしれないのです…。

本を読みながら、私の心に浮かんできたのは「卑怯者」という言葉でした。
私たちが子どもの頃は、何かずるいことをした子に対して、友達同士であっても「卑怯者~!」と相手を責めたりすることがありましたし、「卑怯なことはするな」ということは周りの大人からも当然の価値観として教えられていたような気がしませんか?(もちろん、そんなことないという方もおられるのでしょうけど…。)

でも、今の時代って、私たち大人はそういう価値観を小さいうちから子ども達にしっかり植えつけているでしょうか?
例えば、昔であれば、弱い者いじめは「卑怯なこと」だから悪いこととして怒られたような気がしますし、子どもたち同士の間でも卑怯なことはしてはいけないんだと、理屈抜きに理解していたように思うのです。

しかし、いつからなのか、例えば何か悪いことをしても、頭ごなしに怒鳴りつけるのではなく、どういう理由でどう悪いというような理屈をきちんと伝えるべきだ…というような風潮に変わってきたような、そんな気がしています。

その結果、いじめは陰湿になり、いじめられる方も悪いんだという考えがまかり通るようにもなり、ずるいことをしても成功すればいいんだとか(何を持って成功というのかはまた人それぞれなわけですが…)、とにかくお金を持っているものが偉いんだとか、「人として正しいかどうか」という基準がどこかに置き去りになってしまったような…。

もちろん、今の時代でもしっかりと「ずるいことはしたらダメ」という躾をしておられるご家庭もたくさんおありだろうと思いますし、当たり前ながら、犯罪を犯す人間の方が圧倒的に少ないわけですから、親御さんの躾云々という狭い範囲のことを言っているのではなくて、なんというのでしょう…う~ん、イメージとしては、卑怯なことをした子に対して、カミナリ親父が「卑怯者っ!」と言ってバシッと平手をするような、理屈抜きにそういうことは絶対したらいけないんだと、小さい子が心にしっかり刻み込むような、そういう部分はもしかしたらすごくすごく大事だったんじゃないのかなと、そんなことを思いました。

うまくまとまらず、なかなか書くことができなかったのですが、そして、こうして書いていてもやはりまとめきらないのですが…。

例えばですが、弱い者いじめをした子に、今の時代のイメージだと…
「弱い者いじめはしたらダメでしょ!」
「なんで?」
「もしあなたがいじめられたらどうする?」
というように、子どもに考えさせることがよい教育だと考えられているような気がするのです。
そして、もちろん、子どもに考えさせる方がよいことは確かにたくさんあるとも思います。

ただ、仮に上のようなやり取りがあったとして、その子が「自分だったらやり返す」とか「別に平気」とか答えてしまったら、更にたたみかけるように何かを問いかけ、最終的に子どもを納得させられるかどうかは何とも言えません。
でも、やはり理屈抜きによくないことというのはあるんじゃないかと思うのです。そういうことまでも子どもに問いかけて考えさせるべきなのかどうか…。
ちょっとそんなことを考えてしまいました。

犯罪とわかっていて、それでもできる限り巧妙に知恵を働かせ、自分が捕まるような可能性が極力少ないように組織を作り上げてしまうような、そんな「頭の良さ」と対抗するのはそう簡単な話ではないと思うのです。
仮に振り込め詐欺が下火になっても、若者世代の間で「卑怯な手を使っても金を持っているものが偉い」という価値観が、仮に一部の人たちの間であろうと存在するのだとしたら、これからも次々に巧妙な犯罪が生み出されていくのだろうと思います。

もちろん、全てを防ぐことなど不可能ですし、最近の知能犯罪は日本国内だけの話では済まなくもなってきているようですが、それでも、私たち大人が真剣に考えなくてはいけないことがあるのではないかと思ってなりません…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 4日 (水)

「あ!簡単になった!」

今日は久しぶりのレッスン。
年間予定で今日は通常レッスンの日でもあり、祝日なので、このところインフルエンザ関係でお休みしていた子たちの振替も入ったりして、連休明け初日にしてはかなりみっちりレッスンでした。

けど、仕事しないと夜なかなか眠くもならず、その結果何時まででもスリザーをしてしまって、どんどん昼夜逆転してきていたので、これでまた多少まともな生活に戻れそうです。(既にさっきから眠いし…。)

で、今日のレッスンでのひとコマ。

子ども達の中にはびっくりするほど数量感覚の優れた子、センスのある子もいますが、一般的にいう「普通の子」や、やや算数を苦手としている子たちなどの場合、ある程度教具などを使っても数の感覚がどうもまだ身に付いていないようだなと感じることもあります。

その一つの例として、1年生や2年生の子などに「2000より50小さい数は?」という問題を出すと「1050」というように、千の位の次、百の位を飛ばして(千の位だけ繰り下がって)答える子が少なからずいます。

もちろん、そういう子たちには必要に応じて教具を見せたり、何らかのアプローチをするのですが、なんというのでしょう…子ども達と一緒にレッスンしてきてちょっと感じているのですが、感覚の特に優れた子は別として、普通の1年生や2年生だと、1000とか10000とかいう数に実生活の中で触れる機会はまだ少ないため、教室で限られた時間教具を使ったぐらいではまだ「実感」として伴わないのではないかなと。

1、2年生でも、10や100ぐらいならまだおもちゃやお金など、身近な範囲で目にしたりできますし、ドットやタイルなどを見せるにしても一度に視野に入ってくるので、あとでそれを思い浮かべるにしてもさほど大変ではないだろうと思います。

ですが、1000や10000となってくると、私たち大人でも実感として感じられるものではお金ぐらいしかないのではないかと思います。
ドットやタイルを1000や10000見せたとしても、小さい子たちにとっては「たくさん」でしかないのかもしれません。(もちろん、あくまでも一般論としての話ですが。)

ただ、ほとんどの場合、例えば子どもの頃算数がめちゃくちゃ苦手だったという方がいたとして、大人になって2000円より50円少ない金額が答えられないという方はそうおられないのではないでしょうか。
とすれば、経験が増えれば、自然とできるようになることでもあるように思うのです。

だったら、経験が少ないため実感が伴っていない段階で、テクニックだけを教える必要があるのかどうか…。私は学校などで支障がないうちは、待てる限り子ども自身に感覚が伴ってくるのを待ちたいと思っています。

もちろん、学校がどんどん進んでしまうのに、どうしても数の感覚が身につきづらいという場合などは、その段階で必要に応じて筆算などの「やり方」を指導することもありますが、それは待てるだけ待ってから、必要に応じて少しずつという風にしたいと考えています。

さて、前置きが長くなりましたが、そんなわけで、「2000より50小さい数」を「1050」と答えてしまうような子たちにテクニックではなく考えられる方法はないだろうかと、考えた結果、多くの場合はそれでクリアできる問いかけを見つけました。(もちろん、今後もっと変わっていくこともあると思いますが。)

まずその子に1000より1小さい数や2000より1小さい数を尋ねてみるのです。
さすがにそれすらもわからない場合は一旦それは保留にするか、遡っておさらいするかになってきますが、これまでのところは1小さい数が答えられる子なら、その後は案外すんなりいきます。

例えば、「2000より1小さい数」が「1999」と答えられたら、あといくつ小さくすればいいかを尋ねます。そして、あと「49」少なくすればいいと答えられた子は確実に正解に辿り着きます。

ただ、そのやりとりだけですっと行かない場合には、「1小さい」のあと「9小さい」を尋ね、次に「10小さい」を尋ねるなど、段階を経て尋ねてみたりもします。
ですが、そのいずれかの方法でなら、これまではその問題を間違えた子たちもみんな正解できました。

で、今日のこと。
ある女の子が「5000-3765」のような計算をしようとして、考え込んでいました。
その子は今年の夏から来てくれた子で、既に筆算なども学校で習ったあとの状態だったため、うちの教室ではめったに耳にすることのない「やり方忘れた」という言葉を口にしました。
最初にうちで新たな単元を学習する子たちは、ほとんどの場合「やり方」は教えられないので、「やり方」を忘れることはまずありません。
そして、目指すところは誰もそのセリフを言わなくなることでもあります。(わからないとしても「どう考えたらいいかわからない」とか「問題の意味がわからない」とか、覚えたテクニックを忘れたからというのではない「わからない」を目指したいと思っています。)

その子は数の感覚がまだあまり伴っていないのは感じていましたから、習ってしまった筆算のやり方を再度説明すれば「ああ、そうやったわ!」とでも言って解いてくれるだろうとは思いましたが、それはなんとなくしたくないなと思い、上述のように「1小さい数」を尋ねてみました。
すると、それはすんなり答えられたので、「じゃああといくつ引けばいいの?」と尋ねると、それもきちんと答えました。「じゃあできるやん。」というと、改めて、1小さくした数同士の筆算を書きました。

そのときです。
隣にいたスーパー2年生くんがその筆算を見て言いました。

「あ!簡単になった!」

そのひと言がなんとも新鮮で、ああ、この子はそう感じるんだなと思いました。
もともとその子は算数がかなりよくできるので、わざわざ1小さくしたりして考えなくても、いきなりズバッと正解を出せるような子で、だから「1小さくしたら?」と私に尋ねられたこともありませんでした。

本当によくできる子なだけに、私としては、内心(なんでそんなんもわからんのやろ?)とでも思っているかな?と思っていたのです。
その彼が一切繰り下がりのなくなった式を見て、思わず発したのがその言葉だったのが意外でもありました。

もしかしたらその子は今日、偶然隣でされていたやりとりから、更に何か感じ取ってレベルを上げたのかもしれません。
子ども達は本当に可能性のかたまりですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 3日 (火)

急に寒くなりましたね…。

今日は出勤はしましたが、レッスンはお休み。
今日は急激に冷え込みましたね。帰り道、凍えるかと思いました…。

子ども達に会わない日が4日も続くのは、お盆休みとお正月休み以外にはそうないことです。
そんなに長いこと子ども達と会わないと、何にも書くことないなぁ~と…。何しろ、お休みの間にしたことといえば………ですから…。

そういえば、今日ちょっと中2の予習をしていたのですが(最近は中学生とレッスンをすることがほとんどなく、中2の教材を使うのはちょっと久しぶりなので…。)、中2の2学期後半から3学期にかけてぐらいはひたすらに図形の証明が続く時期がありますよね…。

三角形の合同条件から始まり、二等辺三角形、直角三角形、円周角・中心角、平行四辺形…と、ずっとずっと図形が続いて、そのどれにも証明が付いてきて…。

中学時代に証明を習ったときには、まあ、その頃の私は数学に関しては公式に当てはめて解けるから楽でいいというような人間でしたから、証明はパターンを覚えてしまえばそれに当てはめればいいし、その頃は国語が割と得意だったので、そういう意味では中学時代の証明問題は結構国語の延長のような感じで解いていたような記憶があります。

しかし…その後、どんどん無精になり、単に当てはめて正解になるような問題は面白くないし、暗記ものも嫌いだし…と変わっていき、子ども達と勉強するようになってからは私は証明問題の面白さが全くわからなくなりました。(まあ、中学時代も面白いと思ったことはありませんでしたけど…。)

数学のご専門の方とかは証明こそ本当の数学だとかおっしゃるのかなと思いますが、そして、確かに、それが真実かどうかわからないものを突き詰めていって、その結果それが正しいと証明できたら面白いのかもなと思ったりはします。(まあ、私には無理っぽいですけど…。)

でも、中学の証明は、ホント大抵どれも一定のパターンがあって、その型を問題によって若干変更させていくだけという感じで、更に、その証明のためには合同条件などをいくつも覚えておかねばならず…。やっぱり面白さが発見できないのです…。

そんな私のせいなのか、先日中1スーパーちゃんも思いっきり言っていました。
「証明キライ!」
けど、できていないのかといえば、かなりばっちりできているのです。
彼女も「面白くない」という理由で嫌いなのだそうで…。

どうすれば証明問題を少しでも面白く感じられるでしょう…。
どなたか(と言いつつ、答えてくださりそうなのは……。そう、先生です、先生。よろしくお願いいたします。(笑))何か思いつくことがあれば、是非お教えください。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2009年11月 2日 (月)

手を出すまいと思っていたのに…。

引き続き連休3日目。(日曜深夜日付が変わったところです。)
2日間はひたすらに、できればとことんやって飽きることを目指してスリザーリンクと格闘していたのですが、さすがに3日まるまるそれをすると自己嫌悪に陥りそうだなと、パズルとゲームの合間に少し仕事をするという、微妙な休日を過ごしました。

本当は今日は外に出かけようかと思っていたのですが、雨降りだったので結局晩に実家に行くまでずっと家にこもりっぱなしでした。

ところで、スリザーにはまっているのは思いっきり告白済みで、その分、パソコンでゲームする時間はかなり減りました。
しかし、先日、ある子がmixiのアプリの話をしてきて、それまで私は覗いたこともなかったのですが、話に聞いたもので、ついちょっと覗いてみてしまいました…。

その結果……。私は時代に全くついていっていないので、詳しいことはわからないのですが、無料ゲームとかが色々あって、その中のひとつ「漢字大学」という、漢字の読みを入力していくだけの単純なルールのアプリにすっかりはまってしまいました……。

幸い(?)無料なものの、ジャンル別の問題に挑戦するにはチケットとやらが必要で、それの入手方法は「そのゲームに人を誘う」「関連サイトに登録する」「毎日ログインする」「読みの連続正解をそれまでの自分の記録より更新する(それも色々条件付き)」の4つで、前の2つは最初っからそんなことするつもりがないので、ログインしてもらえる分ぐらいしかチケットが手に入らず、そういう意味ではのめり込みたくてももめり込めないという、私にはちょうどいいのかもというシステムです。

それにしても、漢字っていっぱいあるんだなぁ…。私が知らない言葉ってきっと星の数ほどあるんだなぁ…。と改めてしみじみ感じます。

そこそこ長年生きてきましたが、人生で初めて出会うような熟語もいっぱい出てきて、気が向いたら電子辞書を引いて、へぇ~、そんな言葉があるんだぁ~!とか思っています。
これ、中学生か高校生ぐらいでハマったら、それなりに勉強になるのかもなぁと思ったり…。
けど、今私がはまっている場合なのかどうかはかなり微妙な……。

しかし、実は……、いつもお世話になっているある先生がものすごい勢いでレベルクリアしていっておられて、ご専門は高校数学なのに、本当に何でもできるんだなぁ…としみじみ尊敬しているのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 1日 (日)

もう11月。

早いもので今日からもう11月。
年が明けてからもう10ヶ月が過ぎ去ったことになるのですね…。
早過ぎてちょっと恐ろしくなります。

それにしても、5月に神戸で新型インフル発生のニュースが流れたときは、街中がマスク姿だらけになり、マスクや手指の消毒剤も軒並み品切れだったのは、もう随分前のことなんですね。
でも、そう思えば、暑い時期はやはり多少は感染しにくかったんだろうかと思うほど、恐ろしい広がりを見せていますね。

過去にそのときの「新型」インフルエンザが大流行した時期のことは知りませんから、人生で初めての経験です。
なぜこんなにも広がるのか、それも、衛生状態のよい日本でこれってことは、国によってはもっと凄まじいことになっているのでしょうか?

ただ、10代の感染率がかなり高いというのは、一体なぜなんだろうなと。
医学には全く疎いのでウイルスの仕組みとかもあまりわかりませんから、大人と子供とで何が違うのか、何に反応して子どもがかかりやすいのか、私には全く見当もつきません。

ですが、子どもがかかりやすいというのを聞いて、ふと頭をよぎったことがあります。
恐らく新型インフルエンザには関係ないことなのですが…。

最近、CMなどでも、実際に店頭に並ぶ商品などでも、「抗菌」とか「除菌」とかいう文字がやたらと目につきませんか?
そんな文字を見慣れてくると、それが当たり前のことになってきて、昔なら気にしていなかったようなものまで汚いから触ったらダメ!とか、触る前に必ず消毒するとか、そういう感覚で今の子たちの多くは幼い頃から育っているのではなかろうかと思います。(もちろん、みんながみんなではないでしょうけど。)

もちろん、重い病気などになってしまったら大変ですから、気にするなとは言えません。
抗菌や除菌がダメというのではなくて、私たち大人がいつの間にか、それが当たり前の感覚になりつつあるのではないかと思うのです。
そして、それが当たり前になってしまうと、以前なら気にならなかったレベルまで気になりだして、子ども達の周りから雑菌がどんどん消えていくような気がするのです。

いえ…それが悪いことだとはさすがに言えません。
ただ、程度問題なんじゃないかなと。小さいうちから多少の雑菌に慣れて抵抗力がつくといような機会が今の子たちはかなり限られているんじゃないかなと。

例えば、昔なんてその辺の土で泥遊びなんていくらでもしていましたし、それは公園の砂場とかに限ったことではなかったし、それこそその砂にワンコが……なんてこともいくらでもあったろうと思います。
子ども達だけで自然の中で遊びまわっていれば、怪我もするし、触ったらダメな生き物や植物を触ってかぶれたりなんてこともある。
でも、もしかしたらそういうことも大事だったんじゃないかなと思ったりもするのです。

かといって、今更何をどうすればいいのかもわかりませんが…。
あ。ちょっと気になって書いてしまいましたが、そのことと新型インフルとにはきっと何の関係もないと思います。
どうぞご容赦ください。

さて、連休3日目。
なんだかすご~~く長いこと休んでいる気分です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »