やはり子どもは感じ取っているのかもと思う。
最近子ども達とレッスンをしていて、また感じることがある。
もともと、私自身、時間計算は決して得意ではないし、昔から数える癖が付いているため、本当の話、例えば1時半に寝て9時に起きるとすれば…なんてのまで未だ指を折って数えてしまうことがある。
もちろん、さすがに1時から9時とか2時から9時とかなら一瞬でわかるし、だとすればその間なので、ほんの少し考えれば当然計算(?)出せるのは間違いないのだが、別に早く正確に答えねば!なんてわけじゃなく、深夜に明日何時に目覚ましをセットしようかな…みたいなときなので、尚更考える気がしなくて指を折ってしまったりする。
私自身がそんななので、子ども達にとっても時間計算は難しいのは当然だと思ってきたし、実際、レッスンしていても難しそうにする子、がんばって考えても不正解になってしまう子は少なからずいる。
もちろん、子ども達がやる問題は上述のような簡単なものではなく、もう少し面倒な、たとえば「午前7時36分から午後2時13分まで」などのような時間計算だったりするので、当然「簡単」ではないのは間違いはない。
ただ、以前はそのレッスンの前、私自身が(難しいだろうな…)と感じながらプリントを渡したり、「ちょっと難しいかもしれないけど、まず考えてみて」なんて前置きをしたりしていた。
でも、数ヶ月前のあるレッスンで、すごく真面目にがんばるのに数量感覚が身につきづらい高学年になった子と時間計算をしたとき、この子はどうすればわかりやすいかな?とあれこれ考えて、尋ねてみた。
すると、もちろんすらすらとまではいかないものの、普段のその子の状態から考えるともっと苦戦しそうだった時間計算を、思った以上に解くことができた。
それ以来、100までの引き算の繰り下がりなどで苦戦したような子たち何人かにも同じような導入をしてみたのだが、そう尋ねると、もちろんやはりすらすらとはいかないものの、これまで抱いていた印象より遥かに、子ども自身が考えて答えに辿り着いている印象を受けるようになった。
そもそも、数ヶ月前にひとりの子に対して、ああ、こう尋ねたらこの子にも考えやすいかも…と思った方法だと、数えたりということを伴うとしても、そうすれば時間計算は決して難しいものではないのでは?と私自身が思えたのだ。
それ以来、あまり余計な前置きもしなくなったし、私自身、心の中で(多分できるんじゃないかな)と思いながらプリントを渡して子どもと向き合えるようになった。
なんというか…私の質問の仕方よりもむしろ、私自身が(この子は多分できるだろう)と思うようになったこと、時間計算はそんなに難しくはないと思うようになったことが、子ども達に伝わっているんじゃないかという気がしてならない。
少なくとも、子ども達は本当に繊細で敏感だから、「難しいかも」と言われれば、それだけで身構えてしまって、本来難しくなかったかもしれないものまで難しいと思ってしまうようなところはあるように思う。
それは以前から感じていることなので、なるべく「できると思うよ」というような言い方を心かげているのだが、時間計算に関しては過去の子ども達を見ていても、自分自身を振り返っても「簡単」とは言えないよなぁ…とずっと思っていたのだ。だからついつい、そう口にしてしまったりもしていたのだ。
時間計算を難しく感じていた子たちの中に、私の心の中を感じ取っていた子たちがいるんじゃないかという気がしてならない。
だとすれば、本当に申し訳ないことをしたなと思う。
幸い、時間計算は1年目の教材にも2年目の教材にも出てくるので、1回目は済んでしまっていても、2回目をまだやっていない子たちにはこれまでと違った気持ちで向き合えそうではあるけれど…。
ちなみに、その尋ね方というのも、な~んにも特別なことはない。
時間計算を難しく感じるのは、提示された時刻によって、分の部分の考え方が2通り必要で、たとえば「○時15分から△時48分」などのように分の部分が引き算で出せるようなものはまだいいのだが、「○時48分から△時15分」のような1回の引き算ではすんなり出せないものの場合、分は60進法になっており、時間は12進法になっているので、10からとか100からとかの引き算ではない上、2つの進法が混ざっているというところ。
そして、問題によってその2つの考え方を使い分けなければならないというようなところ。
これらが、大抵の子にとって難しいと感じられる理由ではないかと思う。
だとすれば、考え方が2つあると思わせるから余計難しくなるんじゃないかと思ったのだ。
どの子も、「○時○分」から1時間後や5時間後など、時間だけが増える分には、そんなに難しいとは感じず考えることができる。
それなら、どちらも同じ「考え方」にしてしまえば、どっちを使えばいいんだろう?という混乱はとりあえずなくなるはずだと考えた。(2通りの方法を知ると、片方が単純に分の引き算で答えが出ると気づいた子は、しばしば分が多い方から少ない方を引いて答えに書いてしまったりすることもあるので、尚更2つのパターンに分けない方がわかりやすいのでは?と思ったのだが…。)
なので、どの問題もまず「何時間」の部分だけを考えてもらうようにした。
そして、そのあと、「何分」の部分だけを考えてもらうようにした。
それだけのこと。(どういう風にいうかは既にかなり長くなっているので今回は省略…。)
その考え方に統一してしまえば、考え方はひとつだけれど、問題を考えているうちに、こっちの問題は分が簡単に出るなとか、こっちは一度ちょうどの時刻を通り過ぎるんだなとか、子ども自身が考えながら気づいていくような気がする。
初めは1時間、2時間…と数えていたって、子どもっていうのは大抵すごい力があるから、そのうち何も言わなくても時間をどう計算すればいいか気づいたりするし、分の計算も、初めは時計の文字盤をコツコツ数えていても、だんだんそれが必要なくなっていくんじゃないかと思う。
要するに、時間計算も「初めから計算ですらすらやらせる方法」なんてのを考えようとするから難しくなるのであって、初めは回り道に感じられても、時間を1時間ずつ数えたり、分の目盛りを数えたりすることが、きっと大切なんだと思う。
私がそう思うようになってから、今のところまだ時間計算で激しい抵抗を示すような子はおらず、むしろ、この子だとちょっと苦戦するかも…と思うような子でも思った以上にすんなり入っていってくれる印象がある。少なくとも「難しいもの」という印象を抱かずにいてくれているような、そんな印象が。
本当に気をつけなくちゃな。
少なくとも、私の苦手意識や先入観を子どもに伝えないよう、極力気をつけていかなくては。
| 固定リンク
コメント