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2009年10月23日 (金)

わかったふりをしない子たち

子ども達とレッスンをしていて感じることがある。
塾講師だった頃も、極力ひとりひとりの子の表情を気にしつつ、わかっているかどうか意識して授業をしていたつもりではあったが、対象のほとんどが小学校高学年から中学生で、ある程度大きくなった子たちだったし、授業もまず説明から入る、一般的なスタイルだったこともあり、その場では「わかった気になる」子も少なからずいたため、あまり感じたことがなかったことなのだけれど…。

教室で子ども達とレッスンをしていると、まだ理解が曖昧なのになんとなく次へ進んでいくということがほとんどない。
というのは、何も私がきちんと理解しないと次に進ませていないわけではなくて、むしろ内容によってはぼんやりと輪郭がつかめた程度でも次へと進んでいくこともある。(進んでいくうちに、だんだんしっかり理解していくと思われるいようなところは、あまりしつこくこだわらず進めていくことがある。)

納得がいかないと、どの子も何とも難しい、険しい表情をする。多分とても気持ち悪いんだろうなという表情を。
そんな表情のときに無理矢理どうにか進めさせようとしたって、大抵はその場から一歩も進まないで難しい顔をしたままだ。

その状況に応じて、教具を見せたり、図を描いたり、描かせたり、何らかの言葉がけをしたりして、その難しい顔がふっとゆるんでパッと明るい表情になるまできちんと向き合うと、すっきりと穏やかな表情に戻って問題を解き始める。
難しい表情のまま、適当に進んでいけばいいやという感じの子はほぼいない。

まあ、答えだけ分かればいい、ただマルになればいいなんて子はわざわざうちに来てもらう意味がないので、そういうタイプの子には手厳しく(恐ろしく?)なってしまうため、子ども達もそんな風にはしていられないということもあるかもしれないが、それとは少し違った感触を受けている。

強制されるからとか、怖いからとか、そういう理由よりももっと大きな理由があるのだと思う。
わからないことが気持ち悪いのだ。
そして、わからないことを気持ち悪いと思える子たちは、わかったときの気持ち良さも知っているのだと思う。

難しい問題でも一所懸命考えて解けたときのなんとも言えない快感を知っている子たちは、少しぐらい難しくても投げ出さずに考えるし、わかったときの快感を得たいから、まだ自分の中にすとんと落ちない状態のままを潔しとしないのだろう。

子ども達が難しい顔をすることは実際に難しいこともあれば、ほんの些細なこともある。
ほんの些細なことであっても、それがすっきりしないとそこで立ち止まってしまう子は多い。

教室の子たちを見ていると、子ども達は本来、色々なことを学びたいと思っているし、理解したいと思っているのだろうと思う。
幼い頃、どんなことでも「なんで?」「どうして?」と周囲の大人に聞いて困らせたという話はよく聞くことだ。わからないことは本来落ち着かない、気持ちの悪いことなのだろう。

もちろん、いくら努力してもわからないこと、なかなか理解できないことはあるだろう。
でも、その子の理解できる範囲のことであれば、ひとつひとつその子自身が納得して次へ進んでいければ、たとえそれが教科の勉強だったとしても、子ども達はやる気をなくしたりしないのではないだろうか。
教室の子ども達を見ていて、そんなことを感じる。

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