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2009年9月30日 (水)

とりあえず。

すみません。
今日はまだ今教室で、これからブログを更新していると帰宅が日付変わってになりそうです。
(そんなに仕事をした感じもなく、かといって、そんなにはだらだらした記憶もなく…。なぜこんな時間なんだろう…という感じで。まあ、今日はレッスン終わりも遅く、その後メールなどでご連絡を何件かしていたので、そのせいなんだとは思いますが…。)

というわけで、ひとまず形式的に更新です。
帰宅後、書けそうなら何か書かせてもらいます。

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2009年9月29日 (火)

「とっかかり」の大切さ

子ども達とレッスンをしていて、何か新しいことを学習する際、「とっかかり」はすごく大切だなということをよく感じる。

特に小さい子たちは、初めに「難しい!」と思ってしまうと、それ以降、なかなか受け付けてくれなかったり、本来の力が発揮できなくなってしまったりすることもある。
それは算数が苦手な子に限らず、得意な子、センスがあるなと感じる子であっても言えることだ。

例えば、子ども達に初めて「数直線」の問題を考えてもらうとき、大人の感覚ではそんなの簡単なのでは?と思ってしまうのではないかと思うが(実際私もさほど難しくないだろうと思っていたので…)、普段結構できている子などに、まあ大丈夫だろうとプリントを見せると、全く手も足も出なくなってしまうなんてことも過去何度かあった。

あれ?そうか、難しいのか…と思って、あとからドットの教具などを使って説明しても、初めに「難しい!」「わからない!!」と思ってしまった後だと、明らかに反応が悪い。

なので、その後、算数が得意な子たちには最初の1問を尋ねてみて、その時点で反応が今ひとつだったら、プリントをさせる前に教具を見せるなどするようにしてきた。
で、ここ最近はやや数の感覚がつきづらそうだなと感じている子何人かとそのプリントをするときがあったので、その子たちには初めから、プリントと教具を並べ、1問目は教具を指しながら、教具を見たらすぐ答えがわかる状態にしてから、答えを尋ねてみた。
それで正解できたら、2問目、3問目は教具だけ置いて答えを書いてもらった。
そのあたりで様子を見ながら、「そういう意味だから、おんなじように考えてみてね」と促すと、あとは説明も何もしなくても、ちゃんと意味を理解して考えてくれた。

これはひとつの例だけれど、とにかく、大人が見たら、このぐらいはできるはずと思うことも、とりあえず一、二度、その問題について質問をして、子どもの反応を見るのがいいように感じる。
質問してすらすら答えられていれば、すぐプリントに移ればいいし、少し詰まりながらであれば、子どもが多少自信を持ってこたえられるようになるまでやり取りを続けていればいい。
それでも難しい場合は、プリントを置きながら、そのやり取りを続けて何問かは一緒に考えてから一人で考えさせるといいのではないかと思う。

相手が子どもであっても、既に知っていること、自分でできることを、あれこれ説明されたり教えられたりするのは退屈なことに違いない。
だから、基本は「まず考えてもらう」のだけれど、そのとっかかりで難しいと感じさせてしまうと、これもまたよくないなと感じる。
そのさじ加減は当然みんな同じようにはいかないので、いい塩梅にできるときもあれば、ああ、もう少しこうしてあげたらよかったなと申し訳なく思うときもある。
子どもはひとりひとり違うので、これで大丈夫!という方法はないんだろうから、反省しつつ私も日々子ども達と学んでいる。

難しそうに見えるものでも、「なんだ案外簡単やん!」と思えるような導入ができたら、それが最高なんだろうと思う。

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2009年9月28日 (月)

しまった・・・。(それも二重に…。(汗))

先週、教室の保護者の皆さま宛にインフルエンザに関するお知らせをお配りしました。
しかし、よく考えたら、ひとつ、ある意味で最も重要なことを書き忘れていたことに気づきました…。

万一私が感染してしまった場合は、こればっかりは無理をしてレッスンするわけにはいかないため、有無を言わさずレッスンはお休みさせて頂くことになります。

そして、またうっかりしていたことに気づきました…。
そういえば、先週、皆さんの電話番号一覧を自宅に持ち帰らねばと思ったのですが(昨年の例の一件以来持ち歩くことに抵抗を感じ、古いものしか手元にないままなので…)また忘れていました…。

今回は、発症したら外出すると周囲の皆さんに迷惑をかけてしまいかねませんから、その時点で身動きが取れなくなるかもしれず、となると、自宅から皆さんにご連絡を差し上げねばならなくなるはず…。

まあ、数々の流行病をスルーしてきた身としては、多分大丈夫じゃなかろうかと思ってはいますが、週が明けて、学級閉鎖になっている学校もますます増えてきているようですし、もういつ何時どこから移っても不思議ではない状況になっているようですからねぇ…。

万一のとき、皆さんへの連絡が自宅からできる状態を整えるまでは、何としても元気でいなければ…。(汗)

皆さまもくれぐれもお気を付けください。

と、この記事を書いたのは23時過ぎだったのですが、なぜか非公開設定になっており、気づいたのは2時過ぎ…。(汗)
覗きに来てくださった方、とりあえず無事ですので、申し訳ありません。。。

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2009年9月27日 (日)

「魚の獲り方」

もうかれこれひと月以上前からぼんやり考えては忘れ、また考えては忘れ、まとめ切れずに時間ばかり過ぎているのですが、(おまけに今日も実家でのんびりし過ぎて、気づけばもう日付が変わりそうな時間になっていますし)、とりあえず触りだけでも書いておいたら、続きを書こうという気になるかもということで、ほんの触りだけ書いてみようと思います。

時々、たとえ話で「魚を獲ってあげるか、魚の獲り方を教えてあげるか」というような話が出されることがあります。
魚を獲ってあげれば、その場では空腹は満たされるかもしれないけれど、獲り続けてあげることができなければ、根本的解決にはならない。代わりに魚の獲り方を教えてあげれば、そののちも自ら魚を獲って食べていくことができるということで、途上国支援の話だったり、教育の話だったりで、時々使われるたとえなのではと思います。

で、自分だったら子ども達にどういう風にしたいか…と考えていて、以前は当然後者だよなぁと思っていたのですが、最近は、そのどちらでもないなぁと思うようになりました。

もちろんケースバイケースではあるのですが、そのことを考え始めたら、自分の目指すレッスンのスタイルというかを、このたとえでかなり説明できそうな気がして、そのことをぼんやり考えているわけです。
ただ、それがとても重要なことなわけでもないので、ついつい途中まで考えては忘れてを繰り返し、まとまらないままなのですが。

とりあえず今のイメージとしては、
「基本は魚は獲ってあげないし、獲り方も教えてあげない。ただ、子どもたちから見えるところで私自身が楽しそうに魚を獲ったり、時にはゆっくりだとか大げさなぐらい、見ていてよくわかるように魚を獲ってみたりしたい。」
という感じです。

ただ、先ほども書いたように、これもケースバイケースで、目の前でお腹を空かせて倒れそうになっている子がいれば、最初は魚を獲って食べさせてあげるだろうと思います。

私が楽しそうに魚を獲っていても興味を示さない子がいたら、網を使って獲ってみたり、釣り竿で釣ってみたり、もっと別の方法でもやってみせたりしたいなと思います。

釣り竿が必要だったら、作り方は教えませんが、材料になりそうなものを近くに置いたり、見えるところでゆっくり作ってみたりしたいと思います。
釣り竿に興味を示してくれなかったら、網を編んでみたいと思います。

でも、そもそもどうしても魚を受け付けない子がいたら、別の食べ物を得る方法もあるということを知らせたいなとも思います。

まだまとまり切らないですし、また変わっていくのかもしれませんが、イメージとしてはそんな感じを目指したいなと思っています。

考え始めたら、どんどん考えが広がって、ますますまとまらなくなっていくんですけどね。(苦笑)

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2009年9月26日 (土)

今日気づいて、改めて驚いたこと。

例によって、またいくつか気になること、書きたいなぁと思っているテーマはあるのですが、まだぼんやりした状態でまとめきらず、既に今日もほどなく日付が変わろうとしていますので、またも軽めの更新でご容赦を。

うちに来てくれている子たちの中には、恐らくこのぐらいの子どもはこの程度はできるんだろうなという一般的な感覚を持っている大人が見たらびっくりするようなスーパーくん、スーパーちゃんが少なからずいるのですが、そのうちのひとり、算数が大好きで、おまけにこだわりがあって、どんな難しい問題でも全ての問題を解いていかないと納得がいかないらしく、宿題も合わせると3000枚近くあるプリントを全て全問解いた唯一の子、現在3年生のスーパーくんのこと。

彼はまだ3年生なのですが、随分前にメイン教材であるプリントが全て終わり、その後5年生のやや難しめのワークブック(一般の塾だとそれを当該学年で1年かけてやるところもあるようなそこそこボリュームもあるもの。)と他にも思考力系のサブ問題集を2冊、合わせて3冊並行してやり始めました。
(ちなみに、プリント教材が全て終わった時点で、小学校5年生内容の6~7割程度は既習の状態になるので、続きの内容だと必然的に5年のワークブックからやることになるのですが。)

週2回来ているとはいえ、相変わらず問題は全問解き続けていますし、サブの問題集もある程度難しい問題が入っているものです。
それにしてもよくやっているなぁ、かなり進んだなぁと、今日のレッスンを終えた時点でレッスン内容をごく簡単にメモした一覧表を眺めて、正直度肝を抜かれたと言ってもいいぐらい驚きました。

なんと!彼、4月末まではプリントをやっていたのです!
5月の初めからワークブック(ちなみに「標準新演習5年」)とサブの問題集2種類(それぞれ級別になっているもので、片方はパズル系、もう片方は「成長する思考力」という算数のテキスト)をやっているのですが、既にパズル系のものは2冊目の終わり近く、「成長する…」は3冊目の半ばぐらい、そして、メインのワークブックは割合の単元とまとめ問題などが残っているだけで、既に9割方終了してしまったのです…。

多分このペースだと10月末には5年生のテキストも3冊目の「成長する…」も終わりそうな予感…。

あ。当然ながら、無理にやらせたりはしていないのです。
レッスンでやって、無理のない量の宿題は出しますが、それ以上にやりたければやってもいいよと言ってあるので、彼が自らすごいペースでやり進んでいるだけなのです。

しかし、彼のスーパーっぷりに改めて圧倒されつつ、「好き」ってことは本当にすごいことだなぁとしみじみ思うのでした。

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2009年9月25日 (金)

ああ、もしかして…。

連休中にバカみたいにペンシルパズルにはまったことは告白済みですが、何冊か買った中に、これも好きな子ははまるだろうなぁと思うものが。
多分イラストロジックほどには忍耐力も根気も必要ではなく、ルールも比較的簡単なので、普段教室でやっているパズルの中に混ぜてしまっても、すぐに子ども達は対応できるようになるだろうと思うものではあります。

ただ、買った本では一番初級レベルのものでもある程度難易度が高く、レッスンの終わりにやらせるとしたら、10分で1枚解けたら御の字かなという感じもするので、それをもう少し簡単にするか、おうちに宿題として1題持って帰らせるかという感じでないと難しいかなと。
そのため、すぐにそれを子ども達にとはいかないのですが、イラストロジックほどには目も疲れないし、それでもこれも結構理詰めで解いていけるところが多いので、ついついはまってしまいます…。

で、今日もレッスン前に頭の体操に…とかなんとか自分で理由をつけて解いていたのですが、そのときふと、ああ、子どもたちってこういう気持ちなのかもなぁと思ったことがありました。

特にパズル問題をやっているときに多いのですが、見ていると、かなりいい線まで行っていて、あとほんの少し手直しすれば完成しそうな状態で行き詰ったとき、大部分が合っているのに、全てを消してやり直そうとする子が少なからずおり、そのたび、「全部消さんでもいいのに。ほとんど合ってたで?」とか「せっかくあとちょっとやったのに、もったいない。」とか声をかけていました。
でも、少なくない子が言うことにも耳を貸さず、すっきり最初から考え直すのです。

これまでは、(なんでよ、もったいない…。)と本気で思っていました。

しかし、今自分でペンシルパズルの類をやっているとき、あと少しで完成しそうなところまで行ってつじつまが合わなくなったら、大抵の場合、私自身、投げ出す(もしくは後回しにする)か、全部消してやり直すかのどちらかしかしていないことに気づきました。

それまで集中して考えてきて、あと少しだ!と思ったときに行き詰ると、集中していた線がぷつんと途切れてしまうような感じがします。
それでもその問題をクリアしようとすれば、もう一度集中し直す必要があるので、一旦リセットしなければやる気になれないのです。
リセットするには、一旦その問題を離れて気分を変えるか、全て消して最初からやり直すかしかないわけです。

時間的なことなどを考えると、見直しておかしなところを探しだして直す方が早いかもしれませんが、気持ち的にそれは結構辛いことに思えます。

ああ、もしかして、子ども達もこんな気分なのかもなぁ…。

ふとそう思いました。
全部消すのはもったいないなんてことはなくって、その問題を解くためには必要なことなのかもしれません。特に、ある程度難しい問題を集中して考えていた場合などには。

これからは、「全部消したい」という子がいたら、止めずに消すのを手伝ってあげようかなと思います。(笑)

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2009年9月24日 (木)

連休明けはみんな好調でした。

私はといえば、連休中にペンシルパズルをし過ぎて、かなりの肩こりに悩まされつつ今日のレッスンを迎えてしまったわけですが、連休明けだから、みんな休みボケたりしてないかなぁと思っていたところ、お休みだったひとりを除き、今日来てくれた子たちはみんな、いつも以上に好調だったように思います。
ゆっくり休んでリフレッシュしたのかなぁ?子ども達も。

今日は2年生の子が何人かいて、2年生の子たちは学校で掛け算が始まる前に教室で掛け算のレッスンをしたいと思っているので、進度によっては教材の順を入れ替えたりしつつ、ほぼみんな夏休み終盤から掛け算をしています。

中には数量感覚が少し身につきづらいのかなと感じる子や、計算に時間がかかる子もいるのですが、それでもみんな「掛け算」というものの意味はしっかり理解してくれているようです。
おまけに、今日のレッスンの子たちみんな、前回より明らかに安定感が増している感じで、見ていて安心できました。
それぞれの子がそれぞれに、前回より成長したなぁと感じた日でした。

とりあえず今日のところはどのご家庭からもインフルエンザ感染のご連絡はなく、来ていた子ども達もみんな元気そうで、ホッとしました。

さて、今週はあと2日だけ。
しっかりがんばりましょう。

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2009年9月23日 (水)

結局…。

4日も連休があったのに、何もせぬまま過ぎてしまいました…。
仕事しないで遊ぶんならそれでもいいのでしょうけど、仕事もしない、でかけもしない、遊びもしない…。
そういう風に過ごしてしまうと、どうも自己嫌悪に陥って、テンションが下がります…。

まあもちろん、4日間ずっと引きこもっていたわけではなく、月曜は出勤して少しだけ仕事もしましたし、その後ちょっと街にも出ました。
火曜は1日遅れの敬老の日ってことで久しぶりに祖母宅(といっても一応徒歩圏なのですが…)にお邪魔して、両親と共に2時間ほどでしたが、のんびりとした時間を過ごしました。

かろうじて「生産的(?)」と言えるのはそれぐらいで…。

昨日祖母宅でテレビを見ていたとき、ニュース番組の特集で「パチンコ依存症」というものが取り上げられていました。
WHOでも治療が必要な病気と認定されているらしく、日本での診断名は「病的賭博」というそうです。
アルコール依存とか、薬物依存とか、そういうのと同じように「病気」のひとつとしてどうしてもパチンコがやめられず、社会生活に支障をきたしてしまうとか。

私は、パチンコ産業が儲かっているのにお客が儲かるわけがないと思っていて、おまけにうるさい、タバコ臭いと(最近は変わってきているのかもしれませんが)、結局パチンコをしようという気は起りませんから、その病気の心配はなさそうですが、「パソコン依存症」とか「ゲーム依存症」ってのはないんだろうか?と、そのニュースを見ながら、ちらりと不安になったりもしました…。(苦笑)

多分、自宅にパソコンがなければ、少なくともインターネット環境がなければ、私の自宅での時間の使い方はかなり変わるんだろうなと思うのですが…。
携帯電話がなくても耐えられそうではありますが、パソコンがない生活にはどこまで耐えられるか…。

もちろん、昔はテレビ漬けで、帰宅したら寝るまでずっと延々テレビがついていた時期が何年もありましたから、パソコンも「くせ」のもので、なくなればそのうち慣れるのかもしれませんが…。

というわけで、連休中は結局、3夜連続1時間半のドラマを堪能した以外、何をしたということなく過ぎてしまいました…。
あ~ぁ、またやっちゃったよ…という感じです。
「やっぱりな…」って思うと、またそうなるんですかね、潜在意識とやらの力で…。
ここはイメージトレーニングから始めるべきでしょうか?(をい)

明日からまた通常の日々が戻ってきます。
そして、明日からはだんだんと夜の時間の方が長くなっていくのですよね?
連休中、インフルエンザは落ち着いたのか、広がったのか…。
また明日から元気な子ども達に会えることを祈るばかりです。

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2009年9月22日 (火)

ドラマ鑑賞

数ヶ月前に見逃して、しかし、主演の方がご健康を害されたか何かで3話目が秋に放送になるとのことだったドラマ。
それだけ間が空くなら、きっと1、2話も再放送があるはずと期待していたのですが、とにかく普段テレビを見ないし、新聞のテレビ欄も見ないため、危うくまた忘れるところでした。

しかし、ありがたいことに両親からも、普段大変お世話になっている先生からもお知らせを頂き、連休中ということもあり、昨日、今日と2夜連続1時間半たっぷりドラマ鑑賞をしました。

主演の俳優さんはお名前は知ってはいたものの、ほとんどテレビや映画を見なくなって久しいので、実際に演技をしておられるところは見たことがありませんでした。
しかし…かっこいい…。

そして、実在の人物だった「白州次郎さん」については、以前、1冊だけですが著書を読み、すごい方がおられたんだなぁと思っていたので、ドラマを見ながら、改めて感心していました。

明日は3話目。終わってしまうのがもったいないような気分です。

ところで、話はやや変わりますが、自分がテレビやビデオ、DVDなどを見なくなってしまった一つの理由は、「それを見ているときはそれ以外のことができないから」なのかも…と思いました。(苦笑)

どうでもいいような番組はもちろん見なくてもいいわけですが、ドキュメンタリーとか、しっかり作られたドラマなど、見て感動したり、考えさせられたりするものもきっとたくさんあるだろうと思います。
ただ、そういう「濃い番組」を見ようと思ったら、そのときはそれに集中しなければならないわけで、そうなるとほかのことができない…。
その結果、だんだんと見なくなっていってしまったような気がします…。

根っからの貧乏性なのかもしれません…。
しかし、ほかに何もせずテレビなどを見ている時間がもったいないというのであれば、何時間もだらだらしている方が遥かにもったいないような…。(苦笑)

我ながら、そんな発見(?)をしたのでした…。(汗)

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2009年9月21日 (月)

好奇心(2)

随分以前に、経営コンサルタントの方が書かれた教育書のようなものを読みました。
どの本も、その時どれだけ感動しようと共感しようと、何度も繰り返し読まないので、しばらくすると内容はごくごく断片的にしか思い出せなくなってしまうのですが、その本の中で、子どもに必要なのは「暇と貧乏」と書いておられた、その言葉が最近何度も頭に浮かびます。

もちろん、貧乏暮しを進めておられるのではなくて、一種のたとえのようなものなのですが、最近何かにつけ、ホントにそうなんだろうなと思うのです。

最近の子ども達は何かと忙しい。
学校ではもちろん時間割が決まっていて、その通りに過ごすことを求められるわけですが、放課後も、たくさんの習い事をして、何曜日の何時からは何…みたいな、放課後まで時間割びっちりなんて子も珍しくはなくなっているのではないでしょうか。

おまけに、不況だと言っても、生活全体が昔と比べれば明らかに豊かになり、使い捨ての生活がすっかり浸透し、その上子どもの数も減っている。
おもちゃだって何だって、全てを使い切れないぐらい持っている子はいくらでもいそうですし、文房具だろうとなんだろうと、なくなったら新しいのを買えばいいという感覚の子どもも少なくなくなっているのではないでしょうか。(実際、教室で鉛筆などの落し物があっても、子どもの方から「忘れてなかった?」とか尋ねてくることはほぼ皆無ですし…。)

少し話は逸れますが、私は丸付けを意識的に赤鉛筆でしているのですが、お金がもったいないというよりは、使えるものを無駄にするのはもったいないという意識から、短くなっても補助軸をつけて、削れなくなるまで使ってから新しいものをおろすようにしています。
ですが、そのすっかり短くなった赤鉛筆を見て、「そんな短くなったら(使わずに)捨てなさいって言われる」なんていう子も一人や二人ではありません。

テレビがあり、ビデオやDVDがあり、ゲームがあり、その上、出来合いのおもちゃがあり…。
放課後の時間は決まった曜日に決まった習い事で、大人の指示に従った時間を過ごし…。

そりゃあ、そんな環境の中で好奇心や創意工夫の気持ちを萎えさせず持ち続けられる子どもはそう多くはないだろうなと思えてなりません。

時間はあるけどすることないなぁ~。

そんな時間があるからこそ、じゃあ本でも読もうかな…とか、何か作ってみようかな…とか、自分で何かしようかなという気持ちが出てくるのではないでしょうか。

しかし、せっかくそんな「暇な時間」があっても、そこにいくらでも自由に見られるテレビやら、自由に使えるゲームやらがあれば、その時間の大半がそれに費やされてしまうとしても不思議はありません。

衣食住についてまで無理に「貧乏」をさせる必要はないでしょうけれど、子どものうちはそれ以外の部分では意図的に「貧乏」をさせるのも大切なのではと、最近しみじみ思ってしまうのです。

「貧乏」というのは表現がよくないかもしれませんが、なんというのでしょう…。子どもに物などに対する適度な「欠乏感」、「飢餓感」のようなものが必要なのではと…。
このあたりはまた書けたら書きたいと思っているところなのですが、「学び」にも、そういう感覚って重要なんじゃないのかなぁと思うのです。
子ども自身が「なんとしてもこれがほしい!」とか「どうしてもこれをしたい!」とか、そういう気持ちを持つことで遊びや学びの「濃さ」が変わってくるのではないかなぁと。

まだ考え中なので、曖昧な感じで申し訳ありません…。
まあ、世の中連休中ってことでご容赦を。(苦笑)

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2009年9月20日 (日)

連休初日

私にとっては今日が連休初日。
でも、例によって計画力もなければ、出無精で、更に年々友人も減る一方なもので、お休みと言っても何の予定もなし。
もともと人ごみが苦手なこともあり、街に出ても人が多いだろうなぁと思うと、ますます引きこもり。

更に、パズル本を何冊か買ってしまったものだから、結局今日は目と首、肩がシバシバ、こりこりになるまでパズル三昧…。

外はとてもいい天気で行楽日和な感じだったんですけどねぇ。(苦笑)

今日、新聞を見ていたら、絵本作家のいもとようこさんのインタビュー記事が出ていました。
教室には子ども達用にも色々本を置いていて、絵本も30冊近くはあるでしょうか。(ちゃんと数えたことがないので正確にはわかりませんが…。)その中に、いもとさんが絵を描かれたものが3冊か4冊あったかと思います。

恐らく、たくさんの本でいもとさんのお名前を見るようになった頃には私は「絵本」とはあまり縁のない年齢になっていたこともあり、お名前を知らなかったのですが、ここ数年、書店で絵本を見ると、あたたかくてやさしい、多分女性は好きだろうなというタッチの絵の絵本が何冊もあり、絵を描かれた方のお名前を見ると「いもとようこ」となっていたので、ああ、この方、たくさん絵本を描いておられるんだなぁ、人気がおありなんだなぁと思っていました。

その方のインタビュー記事の中で印象に残ったことが。

いもとさんはこれまでに300作以上の絵本を出版されているそうなのですが、6人姉妹の中で一番勉強ができなかったそうで、こんなことをおっしゃっています。(以下引用)

 小さい時からすごく不器用だし、優秀じゃないし、今も決して上手な絵描きではありません。かえって、それが良かったと思います。勉強も運動も苦手で、一つだけ人よりましなのが絵だった。何でもできたら、何をしようか迷ったかもしれません。絵で何とかしなければ生きていけないと、今も同じ気持ちです。(後略)

もちろん、ご謙遜もおありでしょうし、金沢美術大をご卒業後、小学校の先生もなさっていたそうですので、きっとある程度以上勉強もお出来になったのだろうとは思います。
でも、「不器用で優秀ではないこと」が「よかった」と、「何でもできる」ことより、「一つだけ」きらりと光るものがあったことがよかったと、そう答えておられるのがなんだかとても印象深いなと。

本当にそうなんじゃないかなと。特にこれからの時代は、「なんでもできる」じゃなくて、「これだけはちょっと自信がある」って人が活躍の場を広げられる時代なんじゃないかなと、そんなことを思います。
決して学校での勉強は「全て」なんかじゃないんだと。

子ども達にももっともっとそう考えてもらえたらなと思います。
もちろん、勉強が得意な子、勉強に興味がある子はそれを究めればいいと思いますし、体育や図工、音楽を究める子がいてもいい。何かの習い事にとことん打ち込むんでもいい。
自分にはこれ!ってものが大人になるまでにしっかり見つかったら、その子はきっと自分の人生をしっかり歩んでいけるんじゃないかなと、そんなことを思います。

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2009年9月19日 (土)

イラストロジック

今日は土曜にしてはレッスン少なめ、人数も少なめで楽だったはずなのですが、終わってからだらだらしてしまって、結局もう日付が変わりそうな時刻に…。
明日から4日間はレッスンがありませんので、少しはまともにブログを書きたいものだと思っています。

というわけで、今日もまた軽い更新ですみません。(しかし、軽い更新でも気づけば長文になっていることもあり、しみじみ私っておしゃべりなんだなぁと思ってしまう今日この頃…(汗))

先日来、ちょっととあるパズルが気になり、しばらくあまり近づいていなかったパズル本のコーナーに足を運んだのですが、つい、久しぶりにあるパズルをやりたくなって、そのパズル雑誌も買いました。

それは「イラストロジック」と呼ばれるパズルで、欄外に書かれた数字を元に、マスを塗りつぶしていくと何かの絵が出来上がるというものです。
その昔、まだ会社員だった20代の頃(う~ん、ホントに昔だ…。)かなりはまった時期があったのですが(なぜか会社の中で秘かなブームにもなっていた時期があったような…)、大作になるとかなり根気も時間も必要で、おまけにどこか1か所でもおかしくなると、どこからやり直せばいいか途方に暮れてしまうなんていう、なかなかにハードな一面もあるものです。

先日、久しぶりにちょっとだけやりたいなぁとネットで探してみたのですが、やはり直に紙と鉛筆がやりやすいなぁと雑誌を購入。
手をつけ始めたのですが、久しぶりにやりながら、ああ、もし子ども達でこれにはまって、大作でもできるような子がいたら、その子、色んな意味ですごい力を持っているのは間違いないだろうなぁと感じました。

「イラスト『ロジック』」と名付けられているだけあって、行き当たりばったりで正しい絵が完成する確率は極めて低いだろうと思います。(ある程度見え始めたら、多少勘でやれるところも出てくる場合がありますが。)
基本的に、本当に理詰めで解いていかなくてはなりません。
完成した絵を楽しめるレベルになると、マスの数も多くなるので、それだけ1か所の間違いが大きく響いてくることにもなります。
ただ、この頭の使い方は、たとえ「イラスト」が出来上がるパズルであっても、間違いなく論理的思考であり、また、かなりの根気も要し、ミスをしたらかなりのダメージを受けるものの、それでも冷静にやり直せるようであれば、かなりの精神力も備わっているということになるだろうと。

小さい子たちが「理詰めで考える」ということを手軽に経験できるものはあまり多くないのではと思うのですが、イラストロジックだと、小さいものなら15×15のマスぐらいからありますし(まあ、完成した絵もイマイチ感動が薄いかと思いますが)、そのあたりから始めてルールを把握したら、きっと子どもの方がすごいですから、あっという間に大作にでも取り組む子が現れるかもしれません。

パズル雑誌は数百円ですし、それ1冊完成させようと思ったら、恐らく膨大な時間がかかります。
遊びとしては結構リーズナブルですし、それで頭の使い方の訓練にもなりそうだというのは、悪くないかなと。

なんだか最近、パズル雑誌の会社の回し者みたいになっていますが、ご参考までに。
(あ、ですが、本当にかなり時間がかかりますので、是非お勧めですとまではさすがに言えませんが…。)

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2009年9月18日 (金)

好奇心(1)

好奇心について、先日来色々考えていることがあるのですが、また今日も結構な時間になってしまっていますし、明日は朝からレッスンがある土曜ですので、またまたちょっと簡単な更新でご容赦を…。

先日のこと。
1年生の頃からとても元気で好奇心旺盛な子だということは感じていたし、どうすればこういう風に育つんだろうなぁと思っていた子が、数年経った今もやはりとても好奇心に充ち溢れ、色々なことを調べては私の知識を試そうとしたり、調べたことを教えてくれたりする。

そんな彼とある問題を解いていたときのこと。
宿題に出していた問題の中に少し難しいものがあり、お母さんも一緒に考えてくださったようなのだが、お母さんも一緒に勘違いをしてはまり込んでしまわれたようで、ふと「ルートを使うはずないし…」というようなことをおっしゃったそうだ。

結局は、その問題がわからなかったというので、もう一度図を描いて考えてもらったら、私はほとんど何も言わなかったのに、勘違いに気づいて自分で解いてしまったのだが、お迎えに来られたお母さんがおうちで考えていたときのことを話してくださって、「ルート」のことをおっしゃった。

すると、彼が「ルートって何?」と尋ねてきた。
まだ4年生の子なので、「2回かけたらその数になるって数のこと」というような説明をしたところ、「お母さんとおんなじこと言う~!」とちょっと不満そうだ。
どうも、その説明が納得いかないようだったので、メモ用紙に正方形の絵を描いて尋ねてみた。

まずは面積が4平方センチの正方形を描き、一辺の長さを尋ねると2センチだと答える。
次に1平方センチの正方形を描き、同じように尋ねると1センチだと答える。
そこで、3平方センチの正方形を描き、一辺の長さを尋ねてみた。
すると、少し考えて「1.5!」と答えたので、「ちょうどさっき15×15の計算してたけど、15×15は225やから、1.5×1.5は2.25やで?」と言ってみた。
するとまた考え始めたが、3平方センチメートルは1平方センチより4平方センチの方に近いから、図を指しながら「一辺は1センチよりは2センチの方に近いはずやんね?」と尋ねると、「うん、そうやなぁ」と。

その子はつい先日、円周率をかなりの桁まで調べたということを報告してくれていたのもあって、面積が3平方センチになる正方形の一辺は、円周率みたいにずっと続く数(厳密にいうとこの説明はちょっと違うのだと思うけど…)なのだということを話し、だから、そういう数をルートを使って表すことにしたんだというあたりで、4年生への説明としてはそのあたりでいいかなと思ったので、話を切り上げた。

すると、私の赤鉛筆で適当に書いたメモを「これもらってもいい?」と尋ねてきた。
「いいよ」と答えると、嬉しそうにカバンにしまった。

きっと彼は家に帰ってからその続きを考えるのだろう。
自分でルート2やルート5なども色々考えるのかもしれない。
ルート3については「1.732…(ひとなみに…)」なんてのを暗記する前に自分で見つけ出してしまうかもしれない。
中学生になってルートを学習する頃には、この子は既にある程度のことを理解できるようになっているんじゃないかと思う。

好奇心ってすごいなと思う。
誰かに与えられるんじゃなく、何かに自ら興味を持ち、そこから深く掘り下げていく。
それこそ本当の学びになるだろうし、しっかりと記憶にとどまるに違いない。

この子の将来が今から楽しみだ。

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2009年9月17日 (木)

やっぱり使えそうな気が。

ブログを更新しようと思ったら、なぜかPCがフリーズして、脱出するのに随分時間がかかり、既に日付が変わっており…。
いくつか書こうと思っていることがありながら、今日もまたなんとなくの更新でごまかしてしまう私…。

今日は出勤前に先日とは別の書店のパズル本コーナーに立ち寄ってみました。
で、更に気になるものを数冊購入したのですが(1冊はかなり個人的趣味という話も…)、先日書いた「アロークロス」というものを、その後、家でくつろいでいるときにちょこちょこ解いています。

大人にはかなり簡単というか、私が購入したパズル雑誌が易し目なのかもしれませんが、ほとんど手ごたえがないのでちょっと物足りない感じがします。
ただ、取り上げられている言葉はほとんど子どもに教えても何も問題のないものですし、とりあえずルールが簡単。
これ、ホントに使えるかも…と思っています。

先日もちらりと書きましたが、自分も含めて最近は大人も子どももどんどん語彙が貧弱になってきている方が多いような気がします。
大人でさえそうであれば、子どもの語彙は意識的に増やさない限り簡単には増えないでしょう。

しかし、いくら私たちの語彙が貧弱になろうとも、国語で取り上げられる文章の内容までがそれに合わせて貧弱になっていくということはないでしょうし、特に中学受験をする場合などは、本当にこれを小学生が読んで理解できるの?というような文章も扱われるようですから、尚更、普段から意識して語彙を増やすというのは大事なのではと思います。

いくら漢字が読めたとしても、その言葉の意味を知らなければ当然文章は理解できませんし、難易度の高い文章になればなるほど知らない言葉、難しい言葉も増えることになるでしょう。
新聞を読むことを勧める先生はよくおられますし、確かにそれも大変いいことだと思いますが、もっと小さいうちから手軽に、遊び感覚で語彙を増やすには、使えるんじゃないのかなぁと。

まあ、実際に誰か子どもにやってみてもらったわけではないので何とも言えませんが、解いてみた上での改めての感想です。

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2009年9月16日 (水)

変わっていくもの、変わらないもの

今日はすっかり時間も遅くなってしまい、書きたいことはいくつかあるのですが、じっくり考えるには時間も脳の回転も足りなそうなので、ちょっと抽象的なことでお許しを…。

教室を始めたのは今から6年あまり前。
そのときから今まで、変わったものはたくさんあるし、もちろん変わるべくして変わったこともたくさんある。
私はまだまだ未熟だから、もちろんまだまだ変わらなくてはならないし、その気持ちはずっと持ち続けていたいと思う。

ただ、教室を始めるとき、何より優先すべきは「子ども」で、少なくともその時点で自分がいいと信じられるものを、信じられることを守っていきたい、貫いていきたいと思った。
いいカッコしているように思われるかもしれないし、もちろん、お金がなければ暮して行けないのは事実で、私はこの仕事で生活をさせてもらっていることはよ~くわかっている。
そして、そうさせて頂けていることを本当にありがたいと思っている。
その上で、私にとってこの仕事をしているのは「お金のため」でも「生活のため」でもないという気持ちを持っている。

うまく言えないけれど、どれだけ時が経とうと、経験を積もうと、仮に有名になろうと(もちろん私は全然無名で、ひっそりと小さな教室をしているだけだけれど)、変わっちゃいけないことってあるんじゃないかと思う。

この仕事をしている限り、何より子ども達のことが一番大事。
そう思える気持ちを、私はずっと持ち続けていたい。

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2009年9月15日 (火)

悩ましい…。

5月に神戸で新型インフルエンザが確認され、そのときはどう対応すべきか判断がつかず、各ご家庭にご判断を委ねるような形になりましたが、一旦沈静化し、その間に秋以降の対応について考えておかねばと、マスクや消毒薬、クレべリンゲルやスプレーなど、多少の買い置きはしたのですが、皆様に書面にしてご案内を…と思いながらも、なかなか文章をまとめられず、つい延ばし延ばしになってしまっていました。

この日曜におおよその内容を考え、月曜に書面にしようと思っていたところ、ある保護者の方からお子さんが感染したとのご連絡が。

ここに関しては本当に迷いもあり、保護者の皆様のご意見も伺いたいとも思っていますが、ご家族のどなたかが感染し、発症された場合、教室としてはどう対応させて頂くのがベストなのか、このあたりでなかなか書面にし切れなかったところもあるのですが、迷いつつも、今日からお子さんにお手紙を持ち帰って頂いています。
ご本人がなられた場合は当然お休みして頂くことになりますが、学級閉鎖、学年閉鎖、学校閉鎖、また、先ほど挙げましたご家族が感染された場合、それぞれにつきまして、当面の対応を書かせて頂きました。

聞く限り、感染しても症状は比較的軽いようですが、聞けば聞くほどその感染力に脅威を感じています。
神戸のある児童館に出入りしていた子どもの誰かが夏休み終盤に感染したところ、その児童館に出入りしていた子ども達のほとんどが感染してしまったそうですし、これまで長年寝込んだことのなかった、季節性のインフルエンザも未経験の方が気をつけていたにも関わらず、感染されたとも伺いました。

友人や今日の子ども達の情報からも、かなり広がり始めているようです。(これがまた、私の自宅のすぐそばの中学校と徒歩圏の小学校がかなりの数、学級閉鎖になったそうで…。)

今日も教室で咳をしていた子に、申し訳ないけどマスクをしてもらいました。(お迎えに来られたお母様の話では、風邪をひいていたけどもう治られたとのことで、インフルエンザではないそうです。安心しました。)

私が子どもから移ってしまう分には、滅多にない「強制休養」ってことで、それもまたいいかとも思うのですが、大切なお子さんたちをお預かりしておりますので、やはり、ちょっと神経質と思われても、気をつけなくてはと思っています。(今後の状況を見ながら、また考えていきたいと思いますが。)

ただ…ひとつ悩ましいのが……よく「引き寄せの法則」とか、「イメージしたことが現実になる」とか、潜在意識の力うんぬんとかで、そのことばかり考えているとそのことが現実化してしまうという話があるじゃないですか。そこが困ったなと…。

神経をぴりぴりさせて、新型インフルエンザ…新型インフルエンザ…と考えていたら、それを引き寄せてしまうんじゃないかと…。
かといって、いつものように、いや~、私は絶対大丈夫!子ども達もきっと大丈夫よね~みたいな呑気な構えをしていていいものやらとも思うわけでして…。

う~ん…。

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2009年9月14日 (月)

あれこれつれづれに…。

今日は4時間ほど出勤はしましたが、レッスンはお休みでした。
昨日はまただらだら過ごしてしまったので、今日は用事もあり、仕事を適当に切り上げて三宮へ。

以前は休日には三宮や元町なんかをぶらぶらウインドーショッピングするのが好きだったのですが、体力の衰えやら、好奇心の衰え(?)やらなんやらで、最近は目的のお店に直行し、あまり長くうろうろすることはなくなりました。

おまけに、街に出ること自体もかなり少なくなったので、出るたび、あれ?ここお店変わった?前何のお店だったっけ?みたいなことが頻発します。
しかし…今日しみじみ感じたことが…。

ホントかどうかわかりませんが、不況になるとミニ(スカート)が流行ると言われますが、なんでしょう…。不況になると、派手な下着も流行るんでしょうか??(悩)

既に結構「古い人間」に属している身なので、下着を買うときにはどこか恥ずかしいような、当然、男性の目のないようなところで買いたいなと思ってしまうわけですが、最近はもう、これでもかっ!というぐらい堂々と色とりどりの下着が店頭に並んでいたりしますよね。

今時の若者たちは、下着を買うことは洋服を買うのと同レベルぐらいの感覚なんでしょうか?
若い男性はあんなのがど~んと並べられていて、目のやり場に困ったりしないのでしょうか?

ああ、若干話が逸れました。
下着が派手かどうかは別として、今日は三宮センター街を元町の手前まで歩いたのですが、その間だけでも恐らく5、6軒かもう少し下着屋さん(というと失礼なんでしょうか?時代遅れ??(汗))がありました。
それこそ、近いところじゃ3軒向こうに下着屋さんみたいなところまでありましたし…。
不況でも女性向けの下着屋さんは不況知らずなんでしょうか??

そんなど~でもいいことを考えながら帰宅しました。

で、夕刊を見たら、イチロー選手の偉業が1面に出ていました。
本当に偉大でカッコいい方ですよね。
大リーグで9年連続で第一線にい続けることだけでもすごいことだと思うのに、大リーグ記録を次々に塗り替えていくなんて、本当に言葉にならないほど偉大ですよね。

と、更に話は変わって。
昨日、ふとあることを思いつき、ある種類のパズル本を見たかったのですが、隣駅まで行くのがちょっと面倒で、近所の書店に行ったため、目的のものは見つからず。(しかし、今日大きな書店に行っても結局見つからなかったんですけど…。)
そのかわり、参考になるかもと思うパズル雑誌を2冊買ったのですが、そのうち1冊は「アロークロス」とか呼ばれているらしいパズルがメインのものでした。(私が見たかったのはそれではないのですが…。)

クロスワードパズルは皆さんご存知かと思いますが、アロークロスはクロスワードに似ていて、ただ、「タテのカギ」とか「ヨコのカギ」とかの代わりに、クロスの中に矢印でヒントが書かれているもののことをいうようです。
で、それを解いてみながらふと思ったのですが、これって子どもが語彙を増やすのにも使えるかもと。

もちろん、問題の難易度は色々あるでしょうし、子ども達が知らない言葉も出てきますが、ルールが簡単ですし、わからないときはおうちの方が助け船を出すとか、一緒に考えるとかされたら、はまる子もいるかもなぁと。

私も人のことは言えませんが、最近はどんどん趣のある言葉が姿を消し、薄っぺらな表現中心の会話になってしまっているように感じます。
子ども達に対して、意識して語彙を増やしてもらうには、それも、勉強という意識をあまり感じずにとなると、このパズルは使えるかもなぁと思いました。

パズル雑誌の多くはそれぞれの問題に賞品が設けてあり、締め切りまでに応募すれば抽選に参加できるようですから、親子で解いて応募してみるとかも面白いかもしれません。

数年前、自分が一時漢字クロス(漢字ナンプレとかいうのかも?)にはまったことがあるのですが、あれは小学生にはちょっと手ごわすぎるので、使えないだろうなと思っていました。
でも、今回のこれは漢字を覚えるには役立ちそうにありませんが、語彙を増やすという目的なら、「遊び」という位置づけでありながら多少効果がありそうだなと感じましたので、一応ご紹介を。

ご興味をお持ちの方がおられましたら、書店のパズル雑誌のコーナーでタイトルに「アロー」という文字が付いているものをご覧になってみてください。

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2009年9月13日 (日)

あれれ???

ショック…。
まあ、休日モードで、くだらないといえばくだらない話ではあったのですが、それなりに書いてUPしたはずの記事がなぜか保存されてない……。(が~ん)

くだらない記事とはいえ、今からもう一度書くにはまだダメージが…。(苦笑)

ま、日曜だし、お許し頂くということで…。

そうそう。くだらない話題ついでに。
ちっちゃなプランターの中のガーデンレタスとやらは、どう見ても過密過ぎて、育ちつつあるまだ小さな小さな芽たちが互いに絡まりあって、えらいことになってきました…。(汗)
しかし…まだ根っこがあまりにも頼りないので、植えかえるのは難しそうで、抜いたらその芽はもう育たないってことかもと、悩み中…。

まあ、あともう少し粘って、もう少し育った芽を間引いて、間引いたのは食べるってのが一番いいのかもしれませんが…。

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2009年9月12日 (土)

子ども達を見ていると…。

幸い、新学期が始まってもまだ今のところは教室の子で新型インフルエンザに感染した子はいないようだし、送り迎えにいらしてくださる保護者の方にお尋ねしても、とりあえずは殆ど聞かないとのこと。

ただ、結構身近な方の息子さんが所属する部活の同級生が感染したと聞いた翌日には息子さん本人も、そして、その2日後には気をつけておられたお母さんまで感染されたそうで、感染力はやはり噂通り、もしくは想像以上という印象。

で、教室の子ども達を見ていると……そりゃ、もしもクラスメイトが発症したら、大量感染しても不思議じゃないよなぁと…。
特に小さい子たちを見ていると、咳やくしゃみをするときも周囲にお構いなしの子が少なからずいるし、一応おうちの方に教えられているのか、人のいない方に向かってしてくれる子もいるものの、自分の手で口を覆ってとか、ハンカチなどで口を押さえて…なんて子はまずいない。
人の方を向いたままだって平気でしている子だっている。

新型インフルは潜伏期間の間でも感染する場合があるらしいし、だとすれば、本人はまだ比較的元気で、だから尚更インフルエンザだなんて思わず、いつものように平気でくしゃん!とかコンコンとかしてしまっても、周りの子ども達も気にしないんだろうし、もし気にする子でも、その場で手洗いやうがいをしにいけないことも少なくないだろう。

今のところ、症状は比較的軽いようなのがせめてもの救いだけれど、身近な子が発症したら、周囲の子も…というのは、ほとんど防ぎようがないのかもなぁと思ってしまう。

まあ、教室の子たちには、人の方を向いて咳やくしゃみをしたら、しっかり言ってきかせるようにはしているけど、自分が気をつけても、お友達が気をつけてくれなかったら不可抗力だろうしなぁ…。

オチも何にもなくて恐縮ですが、とにかく子ども達が元気でいてくれることを祈るばかりです。

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2009年9月11日 (金)

道のりは険しい…。(汗)

実は、本当なら宣言して自分にプレッシャーをかけた方がいいとは思ったのですが、過去何度も挫折しているので、9月になってから、ひっそりと実行していたことがあります。

それはもちろん……過去何度も挫折している「早寝早起き生活」。
とはいっても、どう頑張っても帰宅が22時頃になってしまう曜日もあり、食後最低2時間は寝ないということで、目標は「1時就寝、8時半起き」。

実は何日かはほぼその通り実行もでき、ずれてもどうにか9時前に(たとえ数分でも)起きる生活を結構維持できていました。
しかし、そういえば先週後半にも、久々に化粧したまま寝落ちしてしまった気がするのですが、今日も、まあ、今日は化粧も落とし、着替えもしていましたが、まだ1時にならないうちに寝落ち、7時前に一度目覚めたのですが、そのまま二度寝したらなんと10時!!!!

だ、だめじゃん……。

一般社会人からすると、8時半なんて「超遅起き」レベルなのはよ~くわかるのですが、それでも、慣れない私がその時刻に起きると、夜、やはり普段より早くから眠くなるんですよね…。
なんというか…気づけば、単に睡眠時間が増えて、仕事の時間は増えていないような…。

でも、ここでくじけてはまた元に戻ってしまいますので、なんとか遅くても9時前には起きる生活を定着させたいと思います。
最終的には8時起きまで早めたいと思っていますが、今読んでいる本で初めは無理なく小さく始めるのがコツだと書いてあって、それはなんだかすごく納得だったので、まずはできそうなところから…。(苦笑)

そうそう。余談ついでに。(をい)

先日、思いがけない「じゃがいも」の収穫をお知らせしましたが、その後、小さなプランターにおネギとガーデンレタスってのの種をまいたのも書かせて頂いたかと。
レタスのほうが先に芽を出したのですが、こちらは可愛い双葉がいっぱい。
ふ~ん、最初は双葉なんだ~と眺めていましたところ、数日遅れでおネギが芽を出し始めました。

おネギ……。いや、当たり前なんでしょうね、きっと。ちゃんと植物の勉強をした方にとってはなんの不思議もないんでしょうね。
なんせ、興味のないことが多かったので、植物あたりはテスト前に覚えては何とかその場をしのいでいた私には、やはり新鮮。

おネギって、芽が出たときから既に「おネギ」なんですね。
万能ネギをそのまま縮小した感じの芽がいっぱい出ています。

プランターのスペースからいって、かなり間引きしないといけないんだと思うのですが、収穫が絶対の目的でもないので、当分は様子を見ながら、そのままにしておこうと思っています。

写真撮ったら、ピンボケしていたので、わかりにくいと思いますが、一応今はこんな感じです。(え?どうでもいい?そ、そうですよね…。(汗))

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2009年9月10日 (木)

自信とはすごいもんだ。

先日のレッスンでのこと。

とても賢い子なのに、普段はちょっと考えてわからないと「ヒントちょうだい」と言ったり、答えに自信がないと「これ、合ってる?」とひとつひとつ確かめようとしたり、一緒にレッスンしている子が先に進んでしまうとそればかりが気になって、ますます焦ってできなくなったりなんてことのある子。

その子と嵩の学習をしていたときのこと。
もともと、嵩の単元は最初の方はみんな結構快調に進むのだけど、途中で計算が出てき始めると、これがまた、なぜにそこまで…というぐらいの、大人でもこんなの1枚やるのいやだよなぁというような計算問題が何枚も出てくる。

算数が得意な子であっても、さすがにそんな計算が続くと、きぃ~っ!となってしまうことも珍しくないので、普段のその子の様子を見ている限り、「こんなんわからん!」とか言い出してしまうかも…とちらっと思ったりもしていた。

しかし、始めてみると、これまで嵩の学習をしてきた子たちみんなと比べても、かなりよくできる方に位置するなというぐらい、驚くほどきちんと理解している。
理解というよりは、その子の頭の中に、バシッとリットル・デシリットル・ミリリットルのイメージが入っているような印象だった。

本当によくできているのだけれど、時々うっかり間違える。
そこで、それを見直してもらおうと声をかけると、普段なら「えぇ~、ちがうん?」とか「どうやったらいいん?」とか、明らかに嫌々なのが言動に現れるのだが、その日は違った。

声をかけると、「待ってっ!」と、私の言葉にストップをかけ、「できると思うから自分でやる。」と答える。
もともと、やり方を教えることはないので、私の言葉をさえぎる必要はないのに、とにかく、「何も言わないで!自分で考えるから!!」というのがひしひしと伝わってきた。

そして、自分できちんと間違いを直すと、満足そうに「ほら、できたでしょ?」なんて言う。

幼稚園のときから一緒にレッスンしている子だけど、こんなに自信に満ち溢れて、落ち着いているその子を見るのは初めてだったかもしれない。
心からわかったと思えたら、こんな風になるんだなぁ、この子は…と新鮮な思いで見ていた。

もともとよくできる子だけれど、これがきっかけでますます変わっていくかもしれないな。

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2009年9月 9日 (水)

結果発表・・・。

まあ、半ばそうなるだろうと予想はしていましたし、私も敢えて子ども達に尋ねなかったのですが、残念ながら「しゃっくり」に関しての調査報告(?)はどの子からもありませんでした。

しかし、ブログに書いたことで、そっち方面に関する仕事をしている友人が調べてメールをくれました。(まだ自分では調べていないままですが…。)

以下、友人のメールから一部引用させてもらいます。

> 調べてみたら、しゃっくりは胎児の頃の名残で子どもに多いみたい。
> 成人がしゃっくりするのは、大抵の場合は食べすぎか飲みすぎなどで胃が伸びるのが原因なんだそうです。

> ちなみに、しゃっくりを止めるには、鼻を肩につけるように首をねじるといいらしいです。
> 体の反射の関係だったと思います。

先日の記事にしゃっくりが出るとコメントをくださったお二方、思い当たることはありますか?
なければやはりまだ「子ども」ということになりますね。(をい)

そして、この「鼻を肩につけるように首をねじる」っていうのは、ためしにそのポーズをしてみようとしたのですが、確かに止まるかもという印象が。

けど、胎児ってお腹の中でしょっちゅうしゃっくりしてるってことなんですかね?(自分で調べろって?)
けど、とりあえずすっきりです。(笑)
調べてくれた友人に感謝。

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2009年9月 8日 (火)

やりきれない思い・・・。

昨日、京都で小学3年生の子達が川遊びをしていて同級生が溺れたのに、怒られるのが怖くて黙っていたというニュースがあった。

報道でわかる限りでは、その子達は仲良しで、みんなで川で遊んでいたのだけれど、もともと親から川遊びをしてはいけないと言われており、以前にも怒られたことがあったため、友達のひとりが溺れても、何も言わず、そのまま帰宅。帰宅後も黙っていたと…。

なんだかもう本当に、一体何がどうなってるんだかというか、説明のつかない悲しい、さびしい気持ちに襲われた。

子ども達は親に怒られるのはもちろん嫌だろう。
それでも、目の前で友達が溺れたら、まずは近くの人に助けを求めるとか、とにかく慌てるとか、冷静でいられるものではないように思う。

けれど、少なくともこの子達は、溺れた子のことより自分達が怒られることの方が大きな問題で、怒られないためにみんなで相談さえしたのかもしれない。(誰も話さなかったのだから。)

なんというか、本当にどうしたらいいのかわからないけれど、少なくともこの子達にとって、「命」というものの重さは親からの叱責より軽いものだったということなのだろう。
一体どうしてそんなことになってしまったんだろう…。

私達が子どもの頃、命の尊さを親や周りの大人が言い聞かせてくれたんだろうか?
言い聞かせられたから理解したんだろうか?
自分達の目の前で仲良しの友達が溺れていても、落ち着いていられるもんなんだろうか…。

あまりに断片的なニュースなので、詳しいことはわからないし、とにかくまだ小さな子ども達だから、このままよくわからない状態で事故として済まされるのかもしれない。

この子達を責める気持ちにはなれない。
ただ、どうしてそんなに落ち着いていられたのか、家に帰っても黙っていられたのか、この子達の心の中がどんな状態だったのか、そのことを思うと、どうにもやりきれない気持ちになる…。

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2009年9月 7日 (月)

興味を持つということ

先日のこと。
年長さんから来てくれていて、通っていた幼稚園も結構お勉強系に熱心なところだったり、上にお姉ちゃんがいたりで、とてもしっかりして、なんでもかなりよくできる1年生の子と、時計の勉強をしようとしたときのこと。

それまでのその子は、漢字だって結構知っているし、へぇ~、そんなのもできるの?!なんてことがしょっちゅうだったから、当然時計は読めるんだろうと思っていた。
もちろん、読めなければ一緒にレッスンをするだけのことで、何も問題はないのだけれど、きっと「そんなんカンタン!」とか言われるんだろうな~と思いながら、何時ぴったりの、本当に初歩の時計を見せて、「何時かわかる?」と尋ねてみた。

すると、「わからん。」と答える。
つい驚いて、「あれ?時計しらない?」と尋ねると、「うん。」と答える。

まあ、もともとなんでもよくできる子なので、驚いたものの、ほんの何度か時計を見せながら「これは3時。これは5時。じゃあこれは?」なんて感じで尋ねたら、あっという間に読めるようになったし、ほんの数分のうちに、○時、○時半は言えるようになったし、その後、○時前、○時過ぎもほぼ間違えずに答えられるようになった。

それはさすがだと思うし、本来、レッスンで初めてやるということで何も問題はないので、そのこと自体は全く構わない。
ただ、正直、意外だったので、お迎えに来られたお母さんに「○○ちゃん、なんでもできるから時計も読めるんやろうと思ってたのに、意外にも知らなかったんですね~」と言うと、これまでおうちで教えようとしたのに、どうもわからなかったらしい。

もちろん、今回のレッスンではまだ何時何分まではやっていないけれど、今日の様子だと恐らく、次のレッスンでほぼ読めるようになるだろうと思う。

けれど、その子は1年生の夏まで、家に時計があっても、何時(ぴったりの時刻)さえ読もうとしなかったということだ。

別の日、別の子とのレッスンのときのこと。
まだ嵩(リットル・デシリットル・ミリリットル)については勉強していないとおうちの方から伺っていたのだけれど、掛け算のプリントの中に「ml」の単位が出てきた。
あ、言わなくちゃと思い、「これ、まだ習ってないよね?」と尋ねた私に、「ううん。知ってる。ミリリットルでしょ?」と言う。
「あれ?もう習った?」と聞くと、「うん、知ってる。リットルとデシリットルと、うちに入れ物があって…」と説明を始めた。

よく聞くと、おうちの方が言っておられたように、どこかで習ったことはまだなくて、ただ、その子のおうちにあるリットルます、デシリットルますなどにその子自身が興味を持ち、既にそれで知っているということのようだった。

考えてみれば、今の子たちは私たちの子どもの頃と違い、日常に当たり前のようにペットボトルがあり、それには500mlだの、1.5Lだのの表示がある。
興味さえあれば、何も難しいことではなく、普段の生活の中に当たり前のようにリットルやミリリットルが存在するのだ。(さすがにデシリットル表示のものはそうそうないと思うけれど。)

おうちにますがあったとしても、本人に興味がなければ単位についても知らないままだろう。
ただ、おうちにますがあって、子どもが興味を示せば、ペットボトルや牛乳パックなど、学ぶきっかけは身の回りにいくらでもある。

時計だって、好きな子は親が教えなくてもいつの間にか読めるようになっていたなんて話も聞くし、漢字にしても、教えていないのにいつの間にか色んな漢字を覚えているのだという話も聞く。

結局、どんなことでも子ども自身が「知りたいな。」「面白そうだ。」「これ、なんだろう?」…そんな風に興味を抱いたことは、大抵の場合ぐんぐん吸収してしまうんだろう。

時計にしろ、嵩にしろ、長さや重さにしろ、学校などで「勉強」として与えられるまでに、日常の中に当たり前にあることにうまく興味を持たせることができれば、単位換算が苦手な子たちももう少し減るのかもしれないなと思う。(あ、うちには単位換算が苦手な子はほとんどいませんが。)

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2009年9月 6日 (日)

いいんだろうか…。(休日ネタ系)

昨日、レッスンが済んで、片付けなきゃなぁと思いつつぐだぐだしていたときに、ある保護者の方がわざわざお月謝を持っていらしてくださいました。
高学年の子のお母さんで、気さくな方なので、最近のお子さんの様子をお話ししつつ、しばし雑談なんかもしてしまったりしたのですが、そのときのこと。

その子は高学年になってから来てくれたのですが、当初算数に関して結構しんどい状態で、基本的に問題ができないとかでは怒らないようにしているつもりなのですが、その子の場合、初めの頃からしばらくの間、宿題を明らかにいい加減にしか取り組んでいなかったり、プリントを何枚かなくしてしまったりということがあったりなんだで、かなり私の怒りを買いました。

怒るときは誰がいようとも怒ってしまうので、その状況をお母さんもその子のお兄ちゃんも目撃したことがあるのですが、その子のお兄ちゃんには「ようあれだけ怒られてやめへんな。俺やったら無理や…」とまで言われてしまったほど…。(汗)

そんなその子もある時期以降徐々に変化の兆しが見え始め、算数自体も随分できるようになり、忘れ物も無くし物も随分と減りました。
しかし、反面、私に怒られることがほとんどなくなり、ちょっと気が緩んできていたのでしょう。
つい先日、どう見ても明らかに「やらなった」状態の宿題を「せんせ~、これ、わからへんかった~」と私の前に出しました。
初めは「ふ~ん」と言って受け取ったのですが、見ていくうちに、どう考えても真剣に取り組んでいないのは明白だなと…。

「なあ、これ、ほんまにやったのにわからへんかったん?」

そう聞くと、一瞬表情が固まりました。

「ふ~ん、わからんかったん。ほな、今ここでやってみ。」

そう言ってやらせてみると、案の定、普通に解ける問題がたくさん。
万事休す。(苦笑)

当然、久々の落雷。凍りつく子ども。

「次、またいい加減にやってきたら、帰らせるで。」

そう釘を刺し、次の週のレッスン。
見違えるように(笑)、しっかり取り組んだ宿題を持ってきていました。

というわけで、笑い話としてお母さんに話をしていたときのこと。
お母さんの口からこんな言葉が…。

「チャレンジャーやなぁ~。誰に向かってそんなこと、ねぇ~。先生にようそんなこと言えるわ。あの恐怖を忘れたんかねぇ?(笑)」

いや、確かにね、そうなんですよ。
まさに私のセリフを代弁してくださっただけなんですよ、ホント。
実際、全く微塵も気を悪くとかしてないんですけどね。(あ、ネタができたって思っただけで。(をい))

ただね……。

「チャレンジャーやなぁ~」て…。

いいんだろうか、私はこんなキャラで…。(汗)

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2009年9月 5日 (土)

誰か調べてくれてるかなぁ~。

私も忘れそうなので、思い出したついでに書いておかせてもらおうと思います。

今週の火曜のこと。
レッスン中にひとりの男の子がしゃっくりが出始めて止まらなくなった。
かなり長い間、ひっくひっくしていて、そのたび一緒にレッスンしている子たちが笑ったりもしていたのだけれど、ふと疑問が。

そう言えば、私、長らくしゃっくりが出た記憶がないなぁ…。

そう思って、お手伝いしてもらっている先生にも尋ねてみた。
すると、「そう言えばそうですね。私もないかも…。」と。

更に思い返してみても、大人がしゃっくりをしている姿に出くわした記憶はあまりないような(全くないとは言わないけれど)気がするけど、子どもがしゃっくりが止まらず困っている姿は比較的目にするような気が…。

そう言ったら、そこにいた子ども達もみんな、「そう言えば、うちのお父さんやお母さんがしゃっくりしたの見たことない」とか、「お母さん、しゃっくりせ~へん」とか言う。

あれ?しゃっくりって何で出るんだっけ?横隔膜が痙攣してとかそんなんじゃなかったっけ?
大人になると出にくくなるのかな?なんでかな??

疑問がふつふつと。
こうなると、普段ならネットででもなんでも疑問を解決しないと気がすまないたちなのだけれど、そのときはその場でみんなの疑問になってしまい、おまけにレッスン中でもあったので、ずっとその話をひっぱるわけにもいかず、「誰か調べてみてよ~」と言うと、その場にいた子みんなが、「うん、調べてみる。」「わかった。インターネットで見てみるわ。」「うん、調べて、そや、冬の自由課題にしよう!」(←え…ちょっと気が早過ぎませんか?(笑))と口々に言ってくれた。

まあ、子ども達も素直というかなんというか、そう言っておきながら、「けど、覚えてたらな」なんて断りまでするもんだから、なんだか可笑しかったけれど、みんなして、調べてみよう!と思ってくれたのがなんだか嬉しかった。

もちろん、今これを書いているときにだって、自分でネットで調べるのは簡単なのだけれど(答えがすぐ見つかるかどうかは別として)、子ども達の誰かがもし調べてくれていたら、その報告を聞くときの新鮮さがなくなってしまうともったいないので、とりあえず火曜までは調べずにいようと思う。

でも、子ども達も自分たちが本当に知りたいと思ったこと、不思議だなと思ったことなら、あんなに積極的に調べようとするんだなぁと。

さて、火曜日、誰か覚えていてくれるだろうか。

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2009年9月 4日 (金)

レッスンすればするほど…。

教室を始めてから、この夏で丸6年が過ぎ、7年目を迎えることができた。
いつも何かしら不安は感じるが、こうして大好きな子ども達と日々を過ごさせてもらえることを本当に幸せに思う。

しかし、レッスンをすればするほど、色々な子ども達と触れ合えば触れ合うほど、ああ、ホントに男の子と女の子って違う生き物なんだなぁと感じることが多くなった。

もちろん、あくまでも一般的にという話で例外はあるし、私自身、一般的な女の子、一般的な女性という分類には属せそうにないので、教室の子どもたちみんながそうだというつもりはないし、もちろん、私が直接関わったことのない子たちのことまでひとくくりにするつもりもない。

ただ、以前「男の子を伸ばす母親はここが違う」という本を読んで、はぁ~、そうなのか~と色々納得したし、ひと昔前、「話を聞かない男、地図が読めない女」がベストセラーになった頃、男脳・女脳という表現にこれまたへぇ~と思い、色々納得もした。

体のつくりが異なるのは見てすぐわかることだけれど、頭の中も性差があるのはどうやらほぼ間違いなさそうだ。

子ども達とレッスンしていると、やはり、女の子より男の子の方が数の感覚が身につきやすい。いや、身につくとい言うより、私の受ける感覚的には、既に持って生まれた能力の差というか、どんな環境に置かれたからとかいうこととは別に、男の子は数量感覚や図形の感覚をパッとつかめる子が多いのに比べ、どんなに真面目で多くの面で賢いなと感じる子であっても、女の子は男の子に比べて数や図形について、「感覚的につかむ」ということに時間がかかる場合が多いように感じる。

実際、私がほぼ同じように教具を見せ、同じようにレッスンしているのに、大半の男の子が苦労しないところをかなりの女の子は理解するのに時間を要するのだ。

ただ、なんというか、男の子は気づけばどこかに旅立ってしまっていたり、集中が続かなかったり、興味を持てないことだと途端にどよ~んとして別人のようにできなくなってしまったりということも明らかに多い。
もちろん、女の子の中にもときどきどこかに旅立ってしまう子はいるにはいるが、旅から帰ってくるのも案外早いように感じる。

ああ、そうか…。
「話を聞かない男」ってタイトルなんだった…。
あの本を読んだとき、私自身、地図を読むには方角に合わせて地図帳を逆さにしたり横にしたりする人間だったので、そっちにばかり意識が行っていたけれど、そうか…「話を聞かない『男』」ってタイトルだったんだ…。

そして、その『男』ってのは、既に子ども時代から結構当てはまっているんだな。。。
実際、男の子は、人が一所懸命話しかけてても、全然聞いてなかったり、話半分で勝手に解釈したりってことが女の子に比べて明らかに多いのだ。

もちろん、私自身、かなり苦手だった空間図形などの問題が、教室を始めてからずっと色々な教材、教具に触れ続けたことで、随分克服できたので、女の子であっても、小さいうちから意識してそういう部分を伸ばすことである程度伸ばせるものだとは思うけれど、男性は理系、女性は文系が多いというのも、改めてうなずけるなと、この頃しみじみ感じる。

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2009年9月 3日 (木)

「11-4=12」

先日のレッスンでのこと。
春から一緒にレッスンするようになった1年生で、将来の大物系、マイペースな子がいる。
おうちの方も子ども達のことをよく考えてくださっていて、無理に理解させようとか、急がせようとかされないので、ありがたいなと思っているが、この子は現状、数の感覚が付きかけているけど、まだ十分にはイメージできていないかなという段階。

20までの足し算は随分すらすらできるようになったけれど、20までの引き算になると、以前に比べるとかなりできるようになったものの、まだ時間がかかる。
もちろんそれで急がせたりはしないのだけれど、じっと考えているときに、時々手が机の下に隠れることがあって、指を折って数えているのかも…とそのことが気になっていた。

ただ、指を使うなとは言いたくないし、とりあえず、手は机の上に出しててねとたまに声をかけたりするだけで、その子のペースに任せていた。
実際に指を使っているのを目撃したことはないので、ただじっと頭の中で考えているのかもしれなかったが、頭の中が見えないだけに、私自身ちょっと不安もあった。

それが、先日のレッスンでこの子が書いた間違えの答えを見て、ああ、この子は指を折って数えているんじゃないんだなと、少しホッとした。

それがタイトルの「11-4=12」だ。

普通なら、一体何で?という答えだろう。
もちろん、引いているのに11より大きな数が答えになっているのは明らかにおかしいし、それに気づかないといけないとも言えるのだけれど、指を折って数えていたら、絶対にこんな答えにはならない。
もちろん、足し算をしたわけでもない。

この子は恐らく頭の中で一所懸命に教具をイメージしていたんだろう。

「11―4」の答えは言うまでもなく「7」だ。
「7」は「5と2」。そして、この子が書いた「12」は「5と5と2」なのだ。

20までの学習で主に使う教具は5、10、15、20と5ずつ段が増えていく教具なので、それをイメージする場合、一番上に2個乗っているということが「7」と「12」で共通しているのだ。

「一番上が2個なのは合ってるよ。」

そう声をかけると、少し考えて、「あ!」と言って「7」と書き直した。

この子はちゃ~んと頭の中でイメージして考えていたんだなと、間違えた答えを見ながら、なんだか嬉しくなった。

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2009年9月 2日 (水)

みんなそれぞれ光るものがある。

9月から曜日が移動になった子と今日は9月初めてのレッスンだった。
4月からこの子とレッスンしていて、賢い子だけど、数の感覚が身につくのには少し時間がかかるのかな?という印象を持っていた子のひとりだ。

その子とのレッスンで、普段、算数が結構得意な子でも迷ったり悩んだりする子が少なくないプリントを2枚することになった。
そのうち1枚は線分図で、全体がいくつでそのうちここがいくつだったら、□に入る数はいくつかというような、まあ、ある程度の年齢以上であれば特に抵抗もない問題だ。
ただ、小さい子たちはまだ数を直線で表すということの意味がぴんとこない時期があって、思った以上に苦労する子も決して珍しくはない。

となると、普段でも数に関してはやや苦労している子なら、尚更難しく感じるかなと思いつつ、最初の導入にドットを使って意味を伝え、2問目はドットを見せて一緒に考え、3問目はドットだけ見せて自分で考えてもらい、4問目は黙って見ていた。
すると、その後全部何の抵抗もなく、すんなりクリアしてしまった。

へぇ~、すごいなと思いながら、次の関門へ。
こちらは数直線の導入のようなもので、ところどころに10、20などが書かれていて、( )に当てはまる数を記入させるものだった。
最初の2問は1刻みの数直線だったので、そう悩むことなく解いてくれたが、3問目はかなりの子が苦労するところ。さて、どうしようかなと思っていた。

初めは「え~っ、何これ~?」なんて言っていたが、ひとつ指示を出すと楽しそうに線を引いている。
最初の指示はすんなりできたので、「じゃあ、ここも同じように線引いてみて」と、既に5つに分かれているところを線を足して10個に分け直してもらうよう指示した。

さて、どうなるかなと思っていると、とてもきれいに1つ1つのマスの半分にあたるところに線を引いて、なんでもないことのように「できたよ。」と言う。

そんなにあっさりできたことに驚きながら、「じゃあもうわかったやん。」とすごいな~という気持ちを込めながらいうと、もう一度問題を見て、あっさり正解してしまった。
こんなにあっさり答えに辿り着いたのはこれまでにそんなに多くはない。

数が苦手そうだと感じたのは私の思い込みだったのかもしれないし、もしかするとまたひとつ何かぐっと成長したのかもしれない。
いずれにしても、つい先日までもっと簡単な問題で苦労していた表情とは明らかに違う嬉しそうな顔がそこにはあった。

子ども達はみんなそれぞれ何かきらっと光るものがある。
それが勉強とは限らないだろうし、勉強であっても、当然得手不得手、好き嫌いもあるだろう。
ただ、苦手そうな教科の中にも、その子が輝くところがあるのかもしれない。

そんな瞬間に出会えることを本当に幸せだと思う。

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2009年9月 1日 (火)

長さに悩む子、長さを笑う子

先日のこと。
ある子が長さの計算をしていた。
その子はうちで長さのレッスンをするより先に、よそで既に長さの計算を習ってしまっている子で、メートルとセンチが混ざっていたら、何も言わなくてもセンチに直して筆算をしたりしていた。

基本的に、子どもがやることは、まずは黙って見ている。
そのやり方ではあまりにも不便そうだとか、間違える確率がかなり高いだとか、何らかの不自由さがなければ、無理に別のやり方をさせようとしても、大人もそうであるように、一度身につけた方法をわざわざ変えようとはしないものだし、子ども自らが考え出した方法であれば、まずは絶対にそれを尊重すべきだとも思うからだ。

まだ何も習ったことがない段階で、子ども自身が何らかの方法を考え出した場合、それがどれだけまどろっこしい方法でもまずは絶対に評価すべきだと考えている。
その上で、それがあまりに大変そうだったら、こんなやり方もいいかもね~みたいな感じで別の方法を提示することもあるが、そのあたりは子どもやそのときの状況によって、ケースバイケースだ。

ただ、困るのは、意味を理解していないのに、どこかで計算の仕方や解き方を先に習ってしまっている場合だ。
まあ、それはある意味、教えた側にも責任がある(もしくは、教えた側のみに責任がある)のだと思うけれど、やり方を教わった子どもは、多くの場合、そのやり方を素直に守って解こうとする。
それで答えが出るのであれば、なぜそうするのか、なぜそれで答えが出るのかを突き詰めて考えようとする子はごく限られているだろう。

さて、前置きが長くなったが、上述の子。
その子は「やり方を習ってしまっている」というケースだ。
うちに来てくれたときからずっと、その子を見ている限り、本来能力のある子なのだろうと思う。
その子がある問題を解いていたときのこと。

確か「4m-239㎝+39㎝」という問題だったと思う。
見ていると、さっさと「400-239」の筆算を書き、次に「161+39」の筆算を書いて「200」という答えを出している。

もともと教室では、小さな単位に揃えると数が大きくなってかえって間違いやすくなるので、この場合、本来は239㎝を2m39㎝に直す方へ持っていくことになるし、また、式全体を見渡せば、この問題はそれ以前にあっという間に答えが出るはずだ。

それでもその子は気づいていない。
まあ、何も言わずに計算できているし、既にやり方を習っているのだから、今更あれこれ言っても仕方ないなと、答えを書くのを待っていた。

すると、その子は( )の中に「200」と書いた。
もともと解答欄に単位が書かれていたので、その子の答えは「(200)m」になってしまった。

すぐ気付くだろうと、「200mなん?」と尋ねてみた。
すると、「え?違うの?え?え?」と焦り始める。
その様子にある意味私も焦る。

「だって、4mからとったんでしょ?」
もちろん、今度こそ気づくだろうと思って、そう声をかけた。
それでも、「え?じゃあ2m?」と尋ねてくる。
解答欄を「(2)m」に書き直して、私の様子を伺っている。

ああ…まだ本当にはわかってないんだなと、まだ丸をつけずに様子を見ていたら、また答えを消して「(200)m」に戻した。
その姿にやや愕然とした。

「ねえ、2mと200mって全然長さ違うよね?2mってドアからその辺ぐらいまでだけど、200mって運動場を1周とかもっと走らなくちゃいけないぐらいあるよ?」

そう声をかけたのに、全然イメージがつながらない様子だ。
もちろん、恐らくこの子には、筆算している式を指して、その式に単位を書いてと指示すれば、答えが200㎝になることはすぐに気付かせることはできるだろう。
でも、それではあまり意味がないように思うのだ。

結局、「ああ、そうか!」とは至らぬまま、「え、2mだよね?」と不安げなその子の解答に丸をつけた。

小さい子が200mを実感する機会は、まだそんなにはないだろう。それは別に構わない。
ただ、1mの感覚ぐらいは体感できる長さだし、2mぐらいなら、背の高い大人の人のイメージなどである程度は感覚もつかめるだろう。

また、最近の子は小さい頃からスイミングなどに行っている子も多いし、そうでなくても、学校のプールの長さなどで25mや50mなどは目にすることもできるはずだ。

とすれば、2mと200mが全く異なる長さだということは、きちんと長さを感じながら考えている子には言うまでもない当然のことのはずで、その感覚が全くないのに、小さいうちからどんどんテクニックだけを積み上げても、それにどれだけの意味があるのだろうと思ってしまう…。

もちろん、人はそれぞれの能力差があるから、みんなが同じようにできるなんてことは思っていないし、努力してもなかなか感覚が身につかないことは人それぞれあるだろう。
当然、長さの感覚だって、努力してもなかなかピンとこない子がいること自体は不思議ではない。
ただ、本来、その子ならきちんと実感した上でテクニックを身につけるという順番で(テクニックを身につける必要があるかどうかは状況などにもよると思うが)学んでいれば、恐らく確実に理解できたであろうと思うだけに、何とも言えない気持ちになる…。

その子はただ教えられたことを一所懸命にやっただけだ。何も悪くない。
だからこそ、本当に切なくなる。

別の日、ある子が文章題を解いていた。
壁に10個の窓をつけるのに、窓と窓の間隔をどれだけにすればいいかという問題だった。
問題を解き、「2」という答えが出てきた後、答えの欄に「2㎝」と書いたその子は、その後すぐ、笑いながら自分でつっこんだ。

「2センチちゃうわ、2メートルや!2センチなんてこ~んなん(指でそのぐらいの幅をしながら)やから、窓付けられへんわ!」

この子は問題を解くとき、確実にイメージを描いているのがわかる。
そして安心する。

子どもを指導する大人の方にお願いしたい。
目の前の子どもをきちんと見てほしい。

どれだけ計算ができたって、200センチか200メートルかを迷う子は長さを理解していると言えるだろうか?
多くを反復や暗記、テクニックに頼って次々に積み上げていくから、単位換算が苦手な子が山ほどあふれるのではないだろうか?

子ども達は一所懸命なのだ。
その一所懸命を無駄にしてほしくないと、心から願う。

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