先日のこと。
ある子が長さの計算をしていた。
その子はうちで長さのレッスンをするより先に、よそで既に長さの計算を習ってしまっている子で、メートルとセンチが混ざっていたら、何も言わなくてもセンチに直して筆算をしたりしていた。
基本的に、子どもがやることは、まずは黙って見ている。
そのやり方ではあまりにも不便そうだとか、間違える確率がかなり高いだとか、何らかの不自由さがなければ、無理に別のやり方をさせようとしても、大人もそうであるように、一度身につけた方法をわざわざ変えようとはしないものだし、子ども自らが考え出した方法であれば、まずは絶対にそれを尊重すべきだとも思うからだ。
まだ何も習ったことがない段階で、子ども自身が何らかの方法を考え出した場合、それがどれだけまどろっこしい方法でもまずは絶対に評価すべきだと考えている。
その上で、それがあまりに大変そうだったら、こんなやり方もいいかもね~みたいな感じで別の方法を提示することもあるが、そのあたりは子どもやそのときの状況によって、ケースバイケースだ。
ただ、困るのは、意味を理解していないのに、どこかで計算の仕方や解き方を先に習ってしまっている場合だ。
まあ、それはある意味、教えた側にも責任がある(もしくは、教えた側のみに責任がある)のだと思うけれど、やり方を教わった子どもは、多くの場合、そのやり方を素直に守って解こうとする。
それで答えが出るのであれば、なぜそうするのか、なぜそれで答えが出るのかを突き詰めて考えようとする子はごく限られているだろう。
さて、前置きが長くなったが、上述の子。
その子は「やり方を習ってしまっている」というケースだ。
うちに来てくれたときからずっと、その子を見ている限り、本来能力のある子なのだろうと思う。
その子がある問題を解いていたときのこと。
確か「4m-239㎝+39㎝」という問題だったと思う。
見ていると、さっさと「400-239」の筆算を書き、次に「161+39」の筆算を書いて「200」という答えを出している。
もともと教室では、小さな単位に揃えると数が大きくなってかえって間違いやすくなるので、この場合、本来は239㎝を2m39㎝に直す方へ持っていくことになるし、また、式全体を見渡せば、この問題はそれ以前にあっという間に答えが出るはずだ。
それでもその子は気づいていない。
まあ、何も言わずに計算できているし、既にやり方を習っているのだから、今更あれこれ言っても仕方ないなと、答えを書くのを待っていた。
すると、その子は( )の中に「200」と書いた。
もともと解答欄に単位が書かれていたので、その子の答えは「(200)m」になってしまった。
すぐ気付くだろうと、「200mなん?」と尋ねてみた。
すると、「え?違うの?え?え?」と焦り始める。
その様子にある意味私も焦る。
「だって、4mからとったんでしょ?」
もちろん、今度こそ気づくだろうと思って、そう声をかけた。
それでも、「え?じゃあ2m?」と尋ねてくる。
解答欄を「(2)m」に書き直して、私の様子を伺っている。
ああ…まだ本当にはわかってないんだなと、まだ丸をつけずに様子を見ていたら、また答えを消して「(200)m」に戻した。
その姿にやや愕然とした。
「ねえ、2mと200mって全然長さ違うよね?2mってドアからその辺ぐらいまでだけど、200mって運動場を1周とかもっと走らなくちゃいけないぐらいあるよ?」
そう声をかけたのに、全然イメージがつながらない様子だ。
もちろん、恐らくこの子には、筆算している式を指して、その式に単位を書いてと指示すれば、答えが200㎝になることはすぐに気付かせることはできるだろう。
でも、それではあまり意味がないように思うのだ。
結局、「ああ、そうか!」とは至らぬまま、「え、2mだよね?」と不安げなその子の解答に丸をつけた。
小さい子が200mを実感する機会は、まだそんなにはないだろう。それは別に構わない。
ただ、1mの感覚ぐらいは体感できる長さだし、2mぐらいなら、背の高い大人の人のイメージなどである程度は感覚もつかめるだろう。
また、最近の子は小さい頃からスイミングなどに行っている子も多いし、そうでなくても、学校のプールの長さなどで25mや50mなどは目にすることもできるはずだ。
とすれば、2mと200mが全く異なる長さだということは、きちんと長さを感じながら考えている子には言うまでもない当然のことのはずで、その感覚が全くないのに、小さいうちからどんどんテクニックだけを積み上げても、それにどれだけの意味があるのだろうと思ってしまう…。
もちろん、人はそれぞれの能力差があるから、みんなが同じようにできるなんてことは思っていないし、努力してもなかなか感覚が身につかないことは人それぞれあるだろう。
当然、長さの感覚だって、努力してもなかなかピンとこない子がいること自体は不思議ではない。
ただ、本来、その子ならきちんと実感した上でテクニックを身につけるという順番で(テクニックを身につける必要があるかどうかは状況などにもよると思うが)学んでいれば、恐らく確実に理解できたであろうと思うだけに、何とも言えない気持ちになる…。
その子はただ教えられたことを一所懸命にやっただけだ。何も悪くない。
だからこそ、本当に切なくなる。
別の日、ある子が文章題を解いていた。
壁に10個の窓をつけるのに、窓と窓の間隔をどれだけにすればいいかという問題だった。
問題を解き、「2」という答えが出てきた後、答えの欄に「2㎝」と書いたその子は、その後すぐ、笑いながら自分でつっこんだ。
「2センチちゃうわ、2メートルや!2センチなんてこ~んなん(指でそのぐらいの幅をしながら)やから、窓付けられへんわ!」
この子は問題を解くとき、確実にイメージを描いているのがわかる。
そして安心する。
子どもを指導する大人の方にお願いしたい。
目の前の子どもをきちんと見てほしい。
どれだけ計算ができたって、200センチか200メートルかを迷う子は長さを理解していると言えるだろうか?
多くを反復や暗記、テクニックに頼って次々に積み上げていくから、単位換算が苦手な子が山ほどあふれるのではないだろうか?
子ども達は一所懸命なのだ。
その一所懸命を無駄にしてほしくないと、心から願う。
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