「教える」≠「説明する」
私は教室を始めてからこれまでずっと、「教えない」ということを意識してきた。
ただ、最近、「教えない」という表現はちょっと違うのかもしれないなと思うようになった。
これまで、私にとって「教える」は「説明する」とほぼ同義で使ってきたのだけれど、本来「教える」というのはもっと広い範囲のことなのではと気がついたのだ。
例えば、何かを実際にやって、それを子どもに見せることで子どもが学びとる、理解するということは、勉強に限らずいくらでもあることだろう。
それはやはり「教える」ということに違いない。
私たちの大人が子どもたちに勉強を「教える」場合、知らず知らずのうちに「言葉で説明すること」≒「教える」と思いこんでしまっているようなところが少なからずあるような気がする。
新しい単元に入るときなど、言葉による説明で「教える」という方法以外での導入をしている指導者の方は決して多くはないだろう。
私自身が習ってきた先生方のことを思い出しても、また、塾講師時代のほかの先生方のことを思い出しても、やはりかなりの部分が「言葉による説明」でなされていたように思う。
もちろん、言葉で説明されたものをきちんと理解して、それを定着させられる子もいるのだろうとは思うが、塾講師をしていた頃の子ども達を見ていても、説明されたことの定着率はしばしば恐ろしく低かったものだ。
おまけに、小さい子どもたちにとっては、言葉で説明されたことを理解するのは大人が思う以上にハードルが高いことのようにも思う。
だから、私が目指しているのは、正確には「教えない」ことではなくて、「言葉に頼らない」、「言葉で説明しない」ということなんだと思う。
言葉を使わなくても、「ちょっと見ててね」と言って、黙って問題を1問解いてみせたり、「どう思う?」と問いかけたりするだけで、子どもは理解してしまうことも少なくない。
どうしても説明しなければならない場合も、言葉は本当に最小限にして、それもスピードを意図的にゆっくりにし、話しているときに同時に何かをしてみせたりはしないように心がける。
もちろん、やってみせたりすることでさえ、必要最低限、子どもが考えるチャンスを奪わない程度にしなければいけないわけだけれど…。
もっともっと言葉を削ぎ落し、子どもたちの気付きを引き出したいなと思う。
| 固定リンク
コメント
ついつい、言葉でまくしたて、子どもが「わかった」と言えば、安心して・・・
自分本位で、こどもにとっては迷惑千万**
もうすこし、ゆっくり子たちと向き合わねば、と反省しました。
いつも、いい話をありがとうございます。
投稿: tama | 2009年8月11日 (火) 22時52分
tamaさま、コメントありがとうございます。
きっと存じ上げている方なんですよね?
ああ…気になる…。
ご同業の方なのでしょうか?う~ん…。
教室を始めてからもうひとつ大きく変わったことは、子どもの
「わかった」という返事はあまりあてにしなくなったってこと
かもしれません。(苦笑)
人数が少なくなった分、その子の表情を見ていれば聞かなくっても
おおよそわかるように(理解できているかどうかが)なりました。
学校の先生とかって一度に何十人もいますから、本当に大変でしょうね…。
投稿: TOH | 2009年8月12日 (水) 01時15分