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2009年8月26日 (水)

困ったことに…。

自分でももうちょい大人になれんか…と思うのだけど、まだ考えてもいないうちから「できない」だの「わからない」だのいう言葉を発せられた瞬間、私はしばしば不機嫌になってしまう…。

もちろん、きちんと問題を読んで考えようとした姿勢があった上での言葉であれば、当然不機嫌になったりしないのだけれど、本来その子の持っている力であれば手も足も出ないなんてことは絶対にないはずの問題や、まだ見た瞬間、何も考えてやしないタイミングで軽々しく発せられる「できない」や「わからない」には、瞬時に機嫌が悪化する…。(汗)

これがまた微妙なのだけれど、子ども達が取り組んでいる問題は実際にかなり難しい問題も多い。
だから、真剣に考えてみたけどわからないということも、もちろんあっても不思議はない。
ただ、そういう場合には問題を渡す前に何らかの声かけはしておくし、悩んでいるなと思えば、必要に応じて何かフォローをする。

それに、やりたくないものを無理矢理やらせるつもりもないので、「やりたくない」と言われたら「ならやらんでもええよ」と答えるだけだ。

でも、何人かの子は、まだ明らかに考えていない段階で軽々しく上述の発言をすることがある。
そう言ったら、実際にそうなるから言わないように促しても、そういう子たちはまた次もあっさり口にしたりする…。

言葉には力があるから、「できない」「わからない」と口にした瞬間、できるものもできなくなり、わかるはずのものもわかろうとする気すら消え失せてしまう、そんな気がする。(実際にそういうことを書いてある本も何冊か読んだし。)
だから、その「能力を発揮させない言葉」を子ども達が簡単に口にすると、何とも言えずむなしく、嫌な気分になってしまうのだ…。

ホント、自分でももうちょい大人に…と思うけど、そもそも、私自身が嫌なら勉強しなくていいと本気で思っているし、実際自分の子どもの頃や学生時代を振り返っても、嫌いな教科、苦手な教科は必要最低限(赤点を取らないとかいうレベルで…)なんとかなればいいやぐらいに思っていた。
嫌々やったって、なかなか身につくものではないとも思っている。

だから、子ども達がたとえば、その問題をできるようになりたいとか、もっと算数ができるようになりたいとか、そんな気持ちが持てないのに、無理に難しい問題をやる必要を感じない。(基本的なことはわからないと学校の授業も苦痛になるだろうけど、かなりの応用問題まで、興味のない子までみんなが解けるようにならなければいけないとは思わない。)

そんなこんながあいまって、おまけに、この子なら考えられるはずと思っている子が容易くマイナスの言葉を発すると……。

ああ…もうちょっと寛容になりたい…。

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