いつもお世話になっている先生がブログに書いておられたことを読んで、本当ならリンクしたいところなのだが、きっと拒まれるのではと思うので控えるが(OKだったら教えてくださいね~!>A先生)、ちょっと考えた。
実際、色々なところで「競争社会」という言葉は目にするし、「受験戦争」とか「ライバルに勝つ」とか、そんな表現も、教育業界、受験産業などで何の違和感もなく使われているような気もする。
ただ、個人的に昔からそれらの言葉がどうもしっくりこない…。
というのも、自分の子どもの頃、学生の頃、いつを振り返っても、勉強で誰かに勝とうとかいう意識を持ったことがない。
まあ、高校1年の頃、数学で完全に落ちこぼれスタートを切った私は、かな~り低いレベルでい同じように追試の常連だったクラスメイトと試験の点数を比べて、勝った負けたという話はしたことはあるが、別にその子に勝とうと思って勉強したことはない。
中学受験は未経験だし、高校受験も普通に公立高校を受けたし、そんな過酷な受験の経験がないからだと言われたらそうなのかもしれないが、高校3年のとき、ちょっと変わり者の担任にあるときの進路の懇談で「そこを目指すんだったら、一度は実力テストで15番以内に入っておく方がいい」と、後になって考えると全く根拠のない数字を上げられたことがある。(どう考えても、私の志望していた大学の教育学部であれば、学年順位で15番以内なんて必要はなかったはず…。)
もし、15番以内に入ろうと思ったら、確か学年が450人ほどいたはずなので、単純に言ってもクラスで3位以内ぐらいに入れということだ。
もしかしたら、人によったら、どうすればみんなよりいい点が取れるだろう…と考えるのかもしれないが、そのときにも結局全くそんな発想にはならず、まあ、当然15番以内に入れるなんてことも考えもしなかったわけで、自分のやれることをやれるだけやればいいや~みたいな、なんともお気楽な発想しか出てこなかった。
高校、大学時代は赤点で留年とかはさすがに避けたい…とは思ったけれど、基本的にテストの点は悪くても大して気にならなかった。
特に小中学校の頃は、興味のあることが理解できないと気持ち悪かったけれど、例えば地理や歴史には興味がなく、おまけに覚えなくては点が取れず、少なくとも「理解すること」が必要な教科と思えなかったので、テストの点が悪かろうが、(そんなの、覚えてなくても本読んだらわかるやん…)てなもので、平気だった。
うまく言えないが、勉強というものは本来「競争」できるようなものではないような気がしてならない。
例えば、ライバルが3時間勉強したから、じゃあ自分は4時間勉強しよう!と目標を立てたって、その時間内にどれだけの勉強をするかは本当に人それぞれのことで、時間が長ければそれだけ結果が出るというものでもないはずだ。
おまけに、得意な教科やそれぞれの理解の仕方、暗記の仕方、何もかも、一人ひとり違うだろうとも思う。
条件が何もかも違うのに、一体どうやって「競争」ができるのかわからない。
もちろん、私が高校1年のときにしていたように、テストの結果が出た後に、その結果を比べて、勝った負けたを点数で判断することは可能かもしれないが、それはあくまで結果論で、その結果も必ずしも努力に比例するとも限らないのではなかろうか。
勉強で比較できるものがあるとすれば、あくまでも昨日までの自分とか、1年前の自分とか、自分自身なのではないだろうか。
「昨日の自分より成長する」というのは立派な目標だと思う。
ただ、他者との比較の目標は、やはりどうしたって設定できないような気がしてならない。
私にとって勉強は「競争」だったことはないし、多分これからもその意識は変わらないんじゃないかと思う。
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