もやもや・・・。
この前から、ある子とのレッスンのたび、もやもやしていることがある。
その子に問題があるとかいうことではなく、その子は恐らく一所懸命、与えられたことに対して取り組んでいるに違いなく、ただ、そうやって努力しているのに、本来きっともっともっと賢かったであろう子が、その能力を押し込められている姿を見て、悲しくなる。
この件に関しては、きちんと考えて書くべきことだと思うので、もう随分頭の中でもやもやしたまま、まとめきれずにいる。
全ての子どもに合う学習法はないんだろうと思っている。
それはこれまでにも何度も書いてきていることだ。
大半の子に合うとか、大半の子に望ましくないとか、そういうことはあるのだろうと思うけれど。。。
ただ、ひとりひとりの子を見て、何か違和感を感じたら立ち止まって、考えてみてほしい。
その方法が本当にその子に合っているのか、その子のためになっているのかを。
幼い子が九九をそらんじられたとしても、かけ算というものの意味を知らないのであれば、それは「覚えている」だけで、生きた力にはまだなっていない。
まだ習っていない難しい漢字を書けたとしても、その読み方やどんなときに使うのかなどを知らないのであれば、やはり「ただ書けるだけ」だ。
同じように、例えば塾などでやり方を習って、時間計算や長さの計算、大きな数の計算ができたとしても、時間の感覚、長さの感覚、大きな数の感覚が伴っていないのであれば、それらの学習を先取りしても、あまり意味があるとは思えない。
教室でレッスンをするより先に、色々なことを勉強してしまっている子がいる。
同じ学年の子と比べても、普通の大人が見れば、確かにかなりできるという評価をされるのだろう。
しかし、その子が文章題を解いていたとき、私はその答えを見て、なんとも言えない気分になった…。
「1000円が11枚で11000円、100円が35個で3500円…」とスラスラ書いていたその子が、「10000+3500+200+4350=」と式を書き、「筆算していい?」と尋ねた。
「○○さんなら筆算しなくてもできるんじゃない?」と言ったのだが、抵抗するので筆算でもいいことにした。(本来のその子の能力を考えれば、暗算で十分できると思うのだが…。)
しばらくして答えに目をやると「109050円」と書かれていた。
単なる書き間違いなんだろうと、「なんで10万とかになるん?!」と尋ねた。私は正直なところ、その子が笑って「あ~!書き間違えた!」と言ってくれるものだと思っていたのだ。
けれど、その子の反応は全く違っていた。
「え?え?違うの?え、なんで?11000円でしょ?3500円。200円と4250円。え?合ってるんじゃ?」
確かに、算数が苦手な子、数の感覚が身に付きづらい子の中には、へ?と思うような答えを書く子がいないわけではない。
ただ、そういう子の場合、1000円が11枚とか、10円が435枚とか、そんな時点で既に苦戦し始めるので、ひとつひとつ、絵に表したり、教具を見せたり、色々なやりとりをしながら進めていくことになる。
上述の子はそれとは違うパターンなのだ。
10を集めたり、100を集めたり、1000を集めたりということについては、恐らくテクニックとして答えられるんだろうと思う。(うちでやる前に既にできるようになっていたので…。)
ただ、数量感を伴っていないということなんだろう。
同じ子が、2000円のもの2冊と350円のもの1個を買って10000円払ったらお釣りはいくらかという問いに、買い物代金は4350円ときちんと計算できているのに、お釣りを「2500円」と答えた。
正直、私には全くわけがわからなかった。
その子に、「その買い物、5000円あったら買える?」と尋ねると、少し考えて「うん、買える。」と答える。
なのに、お釣りが2500円と答えていることに違和感がないらしい。
世の中には、算数が得意な子、大好きな子というのはもちろん存在するだろうし(うちにも何人もいるし)、本人が好きで、どんどん理解して進んでしまうのは別として、実感を伴わない状態でどんどん先に進んでも、果たしてそれにどれだけの意味があるのだろう…。
まだ自分の中でまとまり切らないので、中途半端な内容になって恐縮だが、子どもと学ぶ大人は、保護者の方に限らず、目の前の子どもの様子をしっかり見てほしい。
心からそう願っている。
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