不思議な感覚
うちは受験指導をしていないので、中学受験をする方は3年生や4年生まででそういう塾に移っていかれることになるけれど、公立中学に進学する予定の子たちは5年、6年でも来てくれていたりする。
今6年の子たちの中には教室を始めた頃から来てくれている子たちもいるが、その子たちを見ていると不思議な感覚に襲われることがある。
うちの教室は基本的に週1回1時間だけのレッスンだ。宿題もさほど多くはない。
それでも、ほとんどの子が学校より余裕で先に進み、今6年の子たちのうち2人は既に随分前から中1のワークブックをやっている。
特に、教室を始めた最初から来てくれている子には数学のワークブックを2冊持ってもらっているのだけれど、その2冊ともが既に比例・反比例までほぼ終了した。
それ以降の図形の単元については、何も言わなくても解けるところもあるので、ざっと一通りなら、中学入学までに中1内容の数学が終わってしまうかもしれない。
更にすごい子は、今まだ5年生なのに、中1のワークブックの文字式に突入した。
何度も言うけれど、とにかくこの子たちはみんな週1回1時間だけのレッスンで、受験する予定もないので無理に早く進めようとしたことは全くない。
宿題にしても、最低限決めたら、やりたければそれ以上やるのは自由ということにしておくと、何ページも余分にやってくることもあるが、それは全て子どもたちの自由だ。
もちろん、某プリント学習の教室では、1学年、2学年先をするのは当たり前ということはあるだろう。けれど、そこまで進むのに、膨大な量の問題をこなしているとも聞く。
中学受験をする子たちに至っては、6年生までに、方程式、文字式は使わないものの公立中学の中3までの範囲をほぼ終えてしまっているようだけれど、それをするのにどれだけの時間を費やしているかは周知の通りだろう。
昔、塾に勤めていた頃だって、子どもたちはみんながんばっていたけれど、こんなに軽々と教材を終えていく子たちにこんなにたくさん出会った記憶がない。
もちろん、もともと優秀だった子もいるだろう。
ただ、初めは計算だけ速かった子、図形だけ得意だった子、そんな子たちが年を経て、今そんなまぶしい姿を見せてくれている。
そんな姿を見るにつけ、「教える」「説明する」という勉強のさせ方が、どれだけ子どもたちの妨げになっていたのかということを改めて思い知る。
もっともっと説明を減らしたい。
言葉での説明は本当に必要最低限まで削り落としてしまいたい。
私の大きな課題のひとつでもある。
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