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2009年1月31日 (土)

本日は・・・。

1月最終日。
このところ、風邪やらインフルエンザやらが猛威を奮い、今日もお休みの子が何人か出てしまいました。
少しの熱や風邪なら頑張ってきてくれる子もいるのですが、さすがにほかの人に移りそうだとおうちの方も気を遣って休んでくださったりもするようで、今日は人数も少な目で普段より体力的には楽でしたが、早くみんなが元気になってくれることを願っています。

で、体力がやや残っていたせいなのか、お尻に火がつくのが遅すぎるのか、レッスンが終わって片づけやら週明けのレッスンの準備やらをした後、教材を考え始めたら止まらなくなり、現在23時半になろうとしていますが、まだ教室・・・。
今日は10時過ぎには出勤していましたので、13時間経過中。(苦笑)
それでも、このままやればあと3時間ぐらいやれそうな気もするのですが、明日使い物にならなくなりそうですので、とりあえずこのあたりで帰ろうと思います。

1月中にしようと思っていたこともたくさん積み残しています・・・。
2月は逃げる、3月は去る・・・。ホントにしっかりやらなくちゃいけませんね。(汗)

1月最終日なのに、極めて内容のない更新でお許しください。
お蔭様で今のところ私は風邪の気配はありませんが、皆様もどうぞくれぐれもお気をつけて。

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2009年1月30日 (金)

子どもといるといつも発見がある

私たちにとって、9の次は10だし、99の次は100だし、10が10個集まれば100、100が10個集まれば1000…そんなのはもう当たり前すぎて、意識することもない。

それでも、2進法や5進法、12進法などの10進法以外の数の数え方には戸惑うことがある大人は少なくないだろう。
要するに普段の生活で当たり前に使っていれば、そのうち改めて意識することもなく、自然に使えるようになるということなのだろうと思う。
例えば、1メートルが100センチだということは大人になればほぼ「当たり前」のことであって、1メートルを10センチなどと答えることはまずないはずだ。しかし、1リットルが何デシリットルだったかを忘れている大人は決して少なくないだろう。
普段の生活の中に「デシリットル」の単位が出てくることはないに等しいため、小学校で習った後習うことのない「デシリットル」については、大人の多くは忘れてしまう。

さて、そんな風に、私たちには当たり前になっていることでも、子どもたちにとってはまだ未知のことがたくさんある。
うちの教室に来てくれている子の多くは、小さいうちからおうちの方が何らかの教育的働きかけをしておられる場合も多いので、幼稚園の子でも100やら1000までの数を知っていたり、唱えられたりするなんて子もいるけれど、中には小学生になって、ここで初めて100や1000の数に出会う子もいる。

まあ、もちろん、「100」とか「1000」という数字を見たことがあったり、聞いたことがあったりはするけれど、10が10個集まったら百の位に繰り上がり、100が10個集まったら千の位に繰り上がり…ということはまだよくわかっていないというような状態だ。

そんな子とレッスンをしていると、「10、20、30、40、50、60、70、80、90」とそこまでは順調に来て、その次あと10を並べて見せると「じゅうじゅう」と答えたりする。
今日、ある子は「100、200、・・・・・・800、900」と来て、その次は「じゅっぴゃく」と答えた。

そういう答えを聞くと、「ああ、確かにそういうことだよなぁ」と改めて思う。100が10個なんだから、確かに「十百(じっぴゃく)」だ。
どうしようかなと思ったけれど、この子に「1000」を見せるのは今日が初めてだったわけではないので、まず、プリントに「900って書いて」と言って書いてもらった後、「じゃあ『じゅっぴゃく』って書いてみて。」というと、少し考えて「1000」と書いた。

目の前に書かれた、その子にとっては「じゅっぴゃく」を書いたつもりのものは「千」になっていた。
それを見て、「あ!」という表情になった。

この子に「1000、2000、3000……」と言っていってもらったら、今度は「じゅっせん」と答えてくれるんだろうか?
それとも、そのときには何かに気づくんだろうか。

子どもたちはみんな、どこかの段階でこういう経験をして、10集まると次の位に移っていくことを体得していくんだろう。
幼い日の私もきっとそうだったんだろう。

子どもたちといると、いつも発見がある。
それはとても幸せなこと。

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2009年1月29日 (木)

なんでだろ・・・。

新規募集を停止する直前に入ってくれた子達が何人かいる。
そのうちのひとりが今日レッスンに来てくれるのだけれど、お母さんと話している姿などを見ると、結構はきはき元気なのに、私の前に座るとすっかりおとなしくなってしまう。

初めはまだ慣れてないからかなと思ったりしていたけれど、ある程度回数も重ねたことだし、もう慣れてはくれているだろうと思いつつ、おとなしいなぁ、なんでだろうなぁと思いながらレッスンをしていた。

しかし、今日は質問をするとかすかに震えてさえいるように感じられ、「寒い?」とか、「トイレ行きたい?」とか何度か尋ねてしまったほど・・・。
尋ねるたび、静かに首を横に振って、一所懸命問題に取り組んでくれていたのだけれど、それにしてもあまりにもしゃべらないよなぁ、私のことが怖いのかなぁ?と思ったりもしていた。(まあ、実際怖いんだけど・・・。(汗))

気になって、お迎えにこられたお母さまにお尋ねしてみた。
すると、全く予想外の答えが・・・。

「すごく緊張してるみたいなんですけど、でも、とっても楽しいみたいです。」

は?(苦笑)
そうか・・・。こんなに緊張して、声を出すときさえひそひそ声で、そのひそひそ声さえも、出してくれるまでに数秒の間があって、そんななのに、楽しいと思ってくれているんだ!?

まあ、それはとてもとても嬉しいことだし、緊張していても楽しいのなら、緊張が和らいできたら「超」楽しくなってくれるかもしれないけど、う~ん・・・なんでそんなに緊張するんだろう?
やっぱり私のせい?(汗)

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2009年1月28日 (水)

やはりすごい方だった。

今日、このブログを始めて間もない、2005年12月末の記事にコメントを頂いた。
そのコメントは、これまでの人生で最も影響を受けた恩師のことが書かれている記事に頂いたものだ。

私と同じ頃、同じ場所で恩師と出会った方が、卒業してもう相当の歳月が流れたのに、恩師の名前を検索され、このブログに辿り着かれたそうだ。

以前にも別の方からコメントを頂き、その方も恩師のことがとてもとても印象に残っておられ、折にふれ思い出してはおられたようだけれど、亡くなられたことはご存じではなかったそうだ。
その方はその後、同級生の方たちと恩師のお墓参りにも行かれたと連絡をくださった。

私たちが恩師に出会ったのは中学生の頃。
もう遠い遠い昔だ。今はもう、私たちにそのぐらいの子どもがいても全くおかしくないぐらい…。

そんなに歳月が過ぎても、こうして恩師を思い出し、探してみる教え子がいる。
恩師が亡くなられたことを知り、涙を流す教え子がいる。
そして、しばらくぶりに私も恩師のことを思い出して、思わず涙が出る。

コメントを頂いた方が、亡くなられたのはいつのことですかとお尋ねだったので、最近とみにあやしくなっている記憶を辿ったら、今年の夏が来ればもう7年経つのだと気がついた。

恩師は私が教室を始める前の年の夏に亡くなられた。
恩師との出会いがきっかけで中学校の教員を目指すようになり、その恩師の言葉で、それまで迷いなく目指してきた教員への道を進むべきなのか、辞めるべきなのか、考えるきっかけをもらい、かなり回り道をして、今の場所に辿り着いた。
今なら、本当にやりたいことをやっていますと、胸を張って報告できるのに。

この春が来たら、最初の小さな小さな教室を借りてから丸6年。小学校に入学した子は、卒業して中学に進む。それだけの歳月が過ぎようとしている。

このタイミングでコメントをくださったのは、きっと恩師が「おい、お前、もっとしっかりせ~よ」と声をかけてくださったんだろう。
いつものあの笑顔で。

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2009年1月27日 (火)

臨機応変?

なぜか今日は既にかなり眠く、頭が回っておりません…。
というわけで、今日印象に残った、ある一場面を。

コツコツ努力してというタイプではない天才系低学年スーパーくんがいます。
頭の回転の速さ、閃いた時の反応の速さはすごいものがありますが、オンとオフの差もかなりはっきりしていて、そのあたりはおうちの方も認めておられるところ。

その彼、今日レッスンが終わった後、ある本を借りて帰ろうとして、2冊を手にぶつぶつつぶやいています。
「前借りたん持ってこんかったからなぁ…。けど、2冊借りたいなぁ…。」

うちの本は貸出数を決めているわけではないので、2冊借りて帰っても別に構いません。
ただ、彼のつぶやきでは先週そのシリーズを1冊借りて帰っているらしく、また、そのシリーズは大人にはイマイチわからないのですが、子どもたちにかなり大人気なのです。
そんなこともあり、2冊借りて帰ってもいいよというかどうか迷っていました。

すると、少し考えてから、何か閃いたようで、どうするのかな?と思えば、一緒に通っているお姉ちゃんに「これ借りて!」と2冊のうち1冊を半ば無理矢理手渡しました。
「借りて、渡してくれるだけでいいから!」

丸聞こえなんですけど。(笑)
もちろん、1冊じゃなきゃダメというわけではないので、何も言いませんでしたが、その発想に内心大ウケ。さすが天才スーパーくん!と感心してしまいました。
うん、えらい。(笑)

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2009年1月26日 (月)

手前味噌

今日はレッスンがなかったので、確定申告に向けて帳簿入力の作業と、先日ちらっと書いた「時間計算」の教材作成をした。

頭の中のイメージを無理矢理エクセルに置き換えて、まあ、素人っぽさ満載なのは否めないものの(それをバランスよく、見栄えよくまで自分でやろうとすると、あまりにも時間がかかり過ぎるので、そこは諦めて…。(苦笑))、多分、これをやって、これをやって、この次がこれで…とやっていけば、「○時○分から○時○分までは何時間何分か」という類の問題で「ムズカシイ~!!」ってなってしまう子をかなり減らせるのではないかと、手前味噌ながらちょっとワクワクしてしまう。

ちょうど、これから何人かそのあたりの学習をする子たちがいるから、試験的に素人っぽさ満載のそのプリントを補助的に使って考えてみてもらおうかなと思っている。

少なくとも、このプリントを使えば、どれだけの時間が経ったかが目で見てわかる状態になるんじゃないかなと思うから、たとえ算数が苦手な子であっても、まあるい時計を回しながら考えるより分かりやすいと思う。
目で見えるようにすることによって、もしかしたら子ども自身が何通りかの考え方を見つけ出してくれる可能性もあるなと。

もし、教室の子たちにやってみてもらって、大抵の子が抵抗を示す「時間計算」のハードルが下がるようなら、すごくすごく嬉しいんだけどな。

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2009年1月25日 (日)

友人の新居で気づいたこと

昨日は仕事の後、30年来の友人の新居にお邪魔してきた。
教員をしている彼女は数年前からマンション探しを始め、昨年末、新居のマンションを購入した。

昨日は別の友人と引っ越し祝いを兼ねてお邪魔させてもらったのだけれど、新居の主の彼女と話をしながら、なんだか改めて納得したことがある。

リフォームした部屋をひとつひとつ案内してくれながら、壁紙の色はこの部屋は日が入りにくいので一番白くしたとか、リビングは癒しをテーマにしたとか、この壁は自分のこだわりのひとつですごい働きがあるんだとか、ライトはこんなライトがほしいと思っていたけど、思うようなものがなかなかなくてとか……彼女なりのこだわり聞かせてくれた。

事前に本当に色々なことを調べたようだし、その知識にも驚かされたけれど、それぞれの部屋の壁紙の色が違うとか、ダイニングテーブルにはこだわったとか、私には全く考えもつかないような彼女の知識にただただ感心し、とても立派な新居を購入したことに対してだけでなく、昨日は何度も何度も「すごいね~、ホントすごいわ」と、その言葉ばかりが出た。

そのとき、彼女が「家を買うのが夢やったから」と言った。
そして、自分はブランド物や装飾品にはあまり興味がないからなどとも話してくれた。

その話を聞きながら、改めて「具体的にイメージできることは実現する」という言葉を思い出し、それはやはり事実なのかもしれないと思った。

ワタミの渡邉社長もそのようなことを言っておられたように思うし、他の自己啓発系の本でもスピリチュアル系の本でも、同じような意味のことが書かれているのを何度か目にしたことがある。
つい先日、新潟の寺子屋ありがとうの先生が望月先生の講演会を主催されたが、望月先生の「宝地図」もそれとほぼ同じことなのだろうと思う。

彼女は家を買うことが一つの夢(目標)で、家を買ったらどんな内装にしようかとか、どんなライトをつけようかとか、カーテンはどんなので、テーブルはこんな風にして…ときっと何年もそれを具体的にイメージし、考えてきたのだろう。

具体的なイメージができれば、今度はそれがどこで手に入るかを探すことが可能になるし、売っていなくても、場合によってはオーダーで作ってもらうことだって可能になるだろう。

もし私が家を買うとしても、今の私には家に対する何のイメージもない。
どんなリビングにしたいとか、間取りはどんなでとか、具体的に描けるものが何もないのだ。
今住んでいる家はかなり狭いので、購入できないにしろ、引っ越したいなぁと何年も思っているけれど、どんなところに引っ越したいか具体的にイメージしたことがない。
そして、無精なのも手伝ってずっとそのまま住み続けている。

彼女の場合は「家」というものだったけれど、その話を聞きながら、確かに自分の夢や目標が明確であればあるほど、そこに近づける可能性は高くなるんだろうなと、心から納得した。
これまで本などで読んで、そうなんだろうなとは思っていたけれど、昨日初めて自分の中にストンと落ちた感じがした。

かといって、今の私に何か具体的な夢や目標があるわけではない。
当然、新居を購入する予定もない。(苦笑)
それでも、何かしたいことが見つかったら、それをどんどん具体的にイメージしていくことが、そこへ近づく最良の手段なんだなということを気づかせてもらった。
改めて友人に感謝。

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2009年1月24日 (土)

スーパー、続々登場中。

去年の11月の時点で小学生も新規募集を休止し、今もそのままだけれど、秋頃に教室の仲間入りしてくれた子たちがまた続々とスーパーっぷりを発揮してくれている。

スーパーくんもスーパーちゃんももともと大勢いたが、新人組がレッスンにも少し慣れてきて、本領発揮なのかなんなのか、見ていて、そんな勢いでそれだけ集中してやったらさぞ疲れるだろうと、こちらが何度も「ゆっくりやっていいよ?」とか「そんなにやったらしんどくない?」とか心配してしまうほど、すごい勢いで進んでいく子たちがいる。

今日のひとりの子なんて、うちに来てくれる前から某プリント学習の教室に通っているらしいのだけれど、そこではまだ1桁同士の計算とかをやっているとか聞いていて、ただ、そのあたりは全く問題なくできていたので、そのまま100までの足し算に進んだら、やるのは初めてだと言うのだけれど、全く何も悩むことなく2桁同士の繰り上がりの足し算までクリアしてしまい、結局、通常なら1ヶ月かけてやる教材を軽々半月(2回のレッスン)で終えてしまった。

ここまでできるのに、なぜその教室ではまだ1桁同士の計算をしているだか私には全くわからず、本人に「簡単すぎるでしょ?つまらないんじゃ?」と尋ねると、こくりと頷いた。
そりゃあ、そうだ。こんなにできるのに、延々1桁同士をやらされたら、どんな子だって飽きるし、場合によっては計算嫌いになるかもしれない。。。

できる子や得意な単元はどんどん進んで、ちょっとしんどい子や苦手な単元はゆっくり丁寧に進めるというのが、子どもたちにとっても心地いいんじゃないのかな。
特に、子ども自身がちゃんと内容を理解して、楽しいと思って進んでいるうちは、その気持ちを大事にしてあげることで子どもはより勉強が楽しくなるんじゃないかなと。

その見極めには迷うこともあるかもしれないけれど、きちんと理解していないのに進んだら、多分子どもの楽しそうな表情がどこかで変わるはずだから、そのときにはペースをゆっくりにしたり、少し戻ってみたりしてもいいだろうと思う。

カリキュラムがあろうがなんだろうが、よく子どもを見ずに進めることは、私は決してしたくないなと思う。

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2009年1月23日 (金)

ようやく見えてきた。

時間の使い方が下手で、やらなくちゃと思っていることもなかなか進まず、仕事はたまる一方ですが、随分以前から「時間計算」を子どもたちがもっと「ああ、そうか!」みたいに気がつけるような教材ができないだろうかとずっとぼんやり考えてきました。

断片的に、あ、これならいいかも・・・と、ある部分を思いつき、こんな感じのものができたらいいんだけどと、アイディアだけを思いつき・・・とそんな感じで何ヶ月も、もしかしたら1年以上経っているのかもしれませんが、ここにきてようやく、自分の頭の中でかなり具体的にイメージが出来上がってきました。

もちろん、時間計算なんてパターン練習をして計算できるようにすればいいじゃないかというご意見もおありでしょうし、それはそれでひとつの考え方ですから、別に否定する気はありません。

ですが、私自身も時間計算はなんとなく難しく感じていますし、私に比べたら過ごしてきた時間もまだまだ短く、時間計算の問題に取り組んだ数だってうんと少ない子どもたちが、どうもピンと来なくたって、何の不思議もないことだなとも思っていて、それをいかにテクニックではなく、子ども自身が「ああ、そういうことか!」と理解できるようにするか、そこがやっと形になってきた感じがしています。(早く実際に紙に書き起こさないといけませんが…。)

早くそれを作って、ためしに子どもたちにやってみてもらうのが、自分でもちょっと楽しみになってきました。
ああ、ホント、頑張らないと。

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2009年1月22日 (木)

問題を見ながら考えた。

うちの教室ではテストもないし、よくできても点数で評価されることもない。
そんなこともあり、また、中学受験を考えておられるご家庭などでは実力診断のためにということもあり、時々他の塾のテスト問題を見る機会がある。

で、今日は3年生の子が受けた算数のテスト問題を見せてもらっていたのだけれど、3年生でこれを解くのかと驚くような問題もあるものの、時間制限さえされなければ、結構楽しそうな問題だなとも思いながら見せてもらった。

図を描いたり、あれこれ試行錯誤したりして考えたら、きっと今まで一度も解いたことないような問題でも解いてしまう子は結構いそうだなと思ったけれど、あれだけの問題を短い時間の中で解き切るのは、よほど算数の能力の高い子か、問題を大量に解いてパターンを覚えているような子なんだろうなと思う。

そんな中、折り紙を折って指示された線で切るといくつの部分に分かれるかを問う問題があった。
1問目と2問目は比較的簡単だったが、3問目は四つ折りにした後、切り方もやや複雑で、これを頭の中で切り開いて考えられる子はどのぐらいいるんだろうなと思いながら見ていた。

しかし、小さい頃に折り紙を折って色々に切り込みを入れて開いてみるような遊びをたくさんしている子にとっては、それを切り開いた図を思い浮かべるのは案外簡単なことなのかもしれないとも思った。

反面、そんな経験をほとんどしないまま、塾などでそういう問題に出会った子は、何らかのパターンやテクニックを覚えこみ、それを駆使して解いていくのかもしれない。
仮に問題は解けたとしても、頭の中に切った折り紙が広げられることはないままに、問題の答えは出せるというような子がきっといるのだろう。

実際、私自身、今は随分ましにはなったものの、サイコロの展開図などの問題はかなり苦手分野だったので、論理的に考えてなんとか答えを見つけるしか無理だった時期がある。
イメージしたくてもできないのだから、解くためには理屈で考えていくしかなかったのだ。

ただ、この歳になっても、実際に展開図を作って組み立ててみたりということを繰り返していたら、昔よりはかなりイメージできるようになってきたし、だとすれば、小さい子たちならまだまだ余裕でその部分の能力は伸ばせるはずだとも思う。

折り紙の問題にしろ、展開図の問題にしろ、苦手な子がいたら、パターンを覚えさせる前に実際に折り紙を用意し、展開図を用意して、それで確かめてみるのが一番効果があると思う。

このあたりは苦手な子は苦手で、だけど、普通に学校や一般的な塾に行っているだけではなかなか伸びない分野でもあるだけに、時間に余裕のある小さいうちに工作など色々実際にやってみる経験は大いに大切なんだろうと思う。

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2009年1月21日 (水)

びっくりした。

まあ、今更びっくりすることでもないのかもしれないけれど、うちの数少ない幼児さんの中で、幼児のレッスンのキャリアが一番長い現在年長の子がいる。

3姉妹の末っ子で、もともとなんでもよくできる子だったが、順々に進んで、現在100までの引き算をやっている。
前回まで2桁-1桁の繰り下がりを3回ぐらいやって、今日はいよいよ2桁-2桁の繰り下がりに入る回だった。

しかし、その前の内容で結構時間を取られ、ゆっくり計算をするには残り時間が微妙になってきた。
普段から本当によく出来ている子でもあるので、教具を2、3回見せて尋ねると、想像以上にスラスラ考えている。
たった2、3回しか教具を見せなかったけれど、ためしに教具の絵の書いてあるプリントを出し、ちょっとやってみてもらうことにした。

何も言わずに見ていると、彼女がぶつぶつ何か言っている。

「え~っと、こんだけとったから、あと3とるから・・・」

やり方を何も教えていないのに、当たり前のようにまず半端なところを取ったから、あといくつ取ればいいという考え方で考えている。
「考えている」ので、まだスピードはないが、確実に意味を理解し、何も難しそうにすることなく解いていく。

ああ、すごいなと改めて思った。
小さいうちから、やり方を教えず、自分自身で積み上げてくると、こんなに小さくてもどんどん説明がいらなくなっていくんだ。
そして、何も言わないのに、本来なら学校では教わらない方法で確実に乗り越えていくんだ。

彼女の姿を見ながら、改めてしみじみ感動した。

大人は自分の知っていることをすぐに教えたがる。
自分の習った方法以外でやろうとしていると、親切のつもりで「そうじゃないよ」と口出ししてしまう。
けれど、私たちが習った方法が必ずしもわかりやすいわけではないし、一見まどろっこしく見える試行錯誤や明らかに面倒な方法も、自らの頭で一所懸命考え、答えに近づこうとするとてもとても大切な行為だ。

同じく今日、小学生スーパー君がある問題を解くために表を書いていた。
表の上の欄は左から順に「1、2、3、4、5、6」となっており、彼はそこまで記入したところでストップした。
何通りかを答えればよかったから、表を見たら一目瞭然、「6通り」だ。
しかし、目の前のスーパー君は、その表を1のところから順に丸で囲み、そのたび少し何かを考えて、6まで囲み終わって一呼吸おいて、ようやく「6通り」の答えを書いた。

同じ考え方で解く問題を3問、同じように丸で囲みながら、ひとつひとつ確認して答えを書いた。

その姿を見て、初めは「ここ見たらすぐわかるやん?」と言いそうになったが、思いとどまった。
彼は、わかっていないのではなく、ひとつひとつその表に書いた数の意味するものを頭の中でイメージし、しっかり確認した上で、確かに6通りだと納得して答えを出しているに違いない。

すると、類題が4問目になったとき、表を書き終わると、丸で囲むことなく答えを書いた。
おそらく彼の中で何かの法則が見つかり、自分なりにこの考え方で間違いない、表のここの数が答えになるのだと納得したのだろう。

何も言わずに見ていてよかったと思った。

子どもたちは本当にすごい。
その素晴らしい力を邪魔しているのは私たち大人なのかもしれない。

じっと待てる限り待って、子どもたちを見守ること。
やはりそれがとてもとても大切なことなのだと何度も何度も子どもたちが気づかせてくれる。

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2009年1月20日 (火)

不思議な感覚

うちは受験指導をしていないので、中学受験をする方は3年生や4年生まででそういう塾に移っていかれることになるけれど、公立中学に進学する予定の子たちは5年、6年でも来てくれていたりする。

今6年の子たちの中には教室を始めた頃から来てくれている子たちもいるが、その子たちを見ていると不思議な感覚に襲われることがある。

うちの教室は基本的に週1回1時間だけのレッスンだ。宿題もさほど多くはない。
それでも、ほとんどの子が学校より余裕で先に進み、今6年の子たちのうち2人は既に随分前から中1のワークブックをやっている。
特に、教室を始めた最初から来てくれている子には数学のワークブックを2冊持ってもらっているのだけれど、その2冊ともが既に比例・反比例までほぼ終了した。
それ以降の図形の単元については、何も言わなくても解けるところもあるので、ざっと一通りなら、中学入学までに中1内容の数学が終わってしまうかもしれない。
更にすごい子は、今まだ5年生なのに、中1のワークブックの文字式に突入した。

何度も言うけれど、とにかくこの子たちはみんな週1回1時間だけのレッスンで、受験する予定もないので無理に早く進めようとしたことは全くない。
宿題にしても、最低限決めたら、やりたければそれ以上やるのは自由ということにしておくと、何ページも余分にやってくることもあるが、それは全て子どもたちの自由だ。

もちろん、某プリント学習の教室では、1学年、2学年先をするのは当たり前ということはあるだろう。けれど、そこまで進むのに、膨大な量の問題をこなしているとも聞く。

中学受験をする子たちに至っては、6年生までに、方程式、文字式は使わないものの公立中学の中3までの範囲をほぼ終えてしまっているようだけれど、それをするのにどれだけの時間を費やしているかは周知の通りだろう。

昔、塾に勤めていた頃だって、子どもたちはみんながんばっていたけれど、こんなに軽々と教材を終えていく子たちにこんなにたくさん出会った記憶がない。

もちろん、もともと優秀だった子もいるだろう。
ただ、初めは計算だけ速かった子、図形だけ得意だった子、そんな子たちが年を経て、今そんなまぶしい姿を見せてくれている。

そんな姿を見るにつけ、「教える」「説明する」という勉強のさせ方が、どれだけ子どもたちの妨げになっていたのかということを改めて思い知る。

もっともっと説明を減らしたい。
言葉での説明は本当に必要最低限まで削り落としてしまいたい。
私の大きな課題のひとつでもある。

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2009年1月19日 (月)

また…。

今日こそはしっかりばっちり仕事するつもりだったのに、またパソコン立ち上げたら横道にそれまくって、結局ろくに仕事せずに1日が終わろうとしています…。

昨年分の帳簿入力も12月分を入れて、あと少し入力していないものを入れたら終わるとわかっていて、やったら1時間ほどの作業なのに、そこまでわかっているもんだから、今じゃなくてもすぐできる…と思ってしまう私…。

入力したら、後はプリントアウトしてチェックするだけ。その気になれば1日で十分。
そういう気持ちがあると、お尻に火がつくまでやらない…。

教材も作らなきゃ、新年度の要綱もしっかり考えなきゃ…全部頭の中でぐるぐるしているのに、どれもこれも、集中したら1日で…と思ってしまって後回し…。

そんなことじゃいけないってわかっているのに、同じことばかり繰り返す自分が時々嫌になります…。
まあ、こんな私だから、子どもがやりたくないことだとぐずぐずしてしまう気持ちは痛いほどよくわかりますけど…。(苦笑)

今日は読んでは休み、他の本を読んでは戻り…とえらく時間がかかったものの、大村先生の本を読み終えました。
やっぱりすごい方です。とにかくすごい。あんな実践をやれる方って、今の日本におられるんだろうかって思うほどすごい。
実際、大村先生が現役の中学校の先生だった頃と今とでは世の中も随分変わってしまったので、やろうと思っても同じようにはできないとは思いますが、私からすれば、神様のような方に思えます。

今は、足もとにも及ばないどころか、先生のお姿さえ見えないほど遠い遠い偉大な方ですが、微かにでも先生のお姿が見えるぐらいまでがんばらなくてはと思います。

さて、明日はもう20日。
また明日からしっかりがんばります。

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2009年1月18日 (日)

もっと話をしよう。

今日は休日なので、ど~でもいい話。(というか、最近ほとんどそんな感じのような気もしないではないけど…。)

今日明日は厄神さんの「厄除大祭」の日。
うちの両親は昔から毎年門戸厄神まで行くのだけれど、大祭の日が平日だと私は仕事で行けなかったりもする。
でも、今日明日は一応お休みだったので、何年ぶりかに両親と共に厄神さんへ。

うちの父は生まれたときから東灘に住んでいると聞いているし、なんでわざわざ門戸さんなんだろう?と思って尋ねると、私が生まれるより前に亡くなった、父のお母さんがその近くの生まれだったらしい。
毎年この時期になると、厄神さんにお参りをした後、親戚たちが集まっていたもんだと話してくれた。

父の両親は私が生まれる前にもういなかったこともあり、父から父の両親の話を聞く機会はあまりなかった。
おまけに、小学校高学年頃から長い長い間、私は父を避けていたこともあって、父の子どもの頃の話や学生時代の話、両親が出会ったときの話なんかもほとんど聞こうとしたことがない。

厄神さんからの帰り道、父が電車の中で「学生時代に何年通ったかなぁ」と懐かしそうに話すのを見て、私はやっぱりずっとずっと父親に淋しい思いをさせていたんだろうなと、なぜかふとそう思った。

幸い父は元気だし、今は私も父のことが大好きだ。
昔できなかった分、もっともっと父と話をしよう。
なんとなくそんなことを思った。

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2009年1月17日 (土)

1月17日

あの日から丸13年が経ち、今日14年目を迎えた。
中学生をクローズしてしまった今、教室に来てくれている子どもたちはもう完全に全て、震災後に生まれた子たちばかりになった。

震災の日に合わせて、学校でも色々な行事などがあったようで、震災を直接全く知らない子どもたちが、あれこれ震災の話をして聞かせてくれた。
14年前の1月17日、5時46分、死者が何人で…と覚えたことを話して聞かせてくれる子もいた。

13年の歳月が過ぎ去ろうとも、未だ震災が過去になっておられない方々もおられるのだし、確かに忘れないように子どもたちにも語り継いでいくことも必要なのかもしれない。
ただ、どんなに真剣に語って聞かされようと、どんなに凄まじい光景の映像を見せられようと、直接経験しない限り、子どもたちにとっては単なる過去の出来事に過ぎないのかもしれないし、それで当然なのだろうとも思う。
防災意識を高めることは大切かもしれないけれど、実際に震災を経験し、今はもう過去のことと思える私たちがあの時を忘れないでいようとすれば、それでいいのかもしれないと思う。

自分の普段の生活において、もう震災を思い出すことはまずない。
人間は忘れる生き物だし、私なんて特に何でも忘れてしまうヤツだから、1年に一度、この日にしか思い出さないに近い。
それでも、あの日があったから今の自分がいるんだと思う。
もしあのとき、あの歳で震災に遭っていなければ、私の人生は全く違っていたかもしれない。
人の優しさに触れ、人の逞しさに触れ、生きられることのありがたさ、蛇口をひねれば水が出、スイッチを入れれば電気がつく、そんな普段は当たり前すぎて意識したことのないひとつひとつのことのありがたさを身をもって感じられた。

人間、いざとなったらきっと何だってできるんだなとも思った。
それは、こう見えて小心者で決断の遅い私にはとても大きな経験になったのは間違いない。

なんでもないこと、当たり前のことが、実はとてもとてもありがたいことなのだということを思い出し、今こうしていられることに感謝しよう。

あの日亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りします。

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2009年1月16日 (金)

やはり子どもは変わるんだ。

半年ほど前から来てくれている子がいる。
その子はかなり小さい頃からあるお勉強の教室に通っていたそうなのだけれど、数の感覚が身についていない様子だとのことで、うちに来てくれるようになった。

まだ小さい子だし、パズルや思考力が必要なものはみるみるできるようになっていったのに、数に対してだけがあまりに極端にしんどそうで、もしかしたら数に対してだけは生まれつき受け付けない状態なんだろうかということも気になり始めていた。

パズルや思考力問題などを考えているときの表情や、わかった瞬間の表情は明らかに集中していることも、心から満足していることも感じられるものだったから、なぜここまで数に対してだけ入らないのかわからず、とにかく、いったいどこで拒否反応が出始めるのか、本当に簡単な最初から戻ってみることにした。

小さい数だと全く問題がない。なのに、文章問題になった途端明らかに表情が変わる。
絵を描くこともできない状態が何週も続き、ほかのことがかなりできるようになっているだけに、そのギャップを一層感じ、もしかしたらこれをさせているのはこの子にとって苦痛でしかないんだろうか?とも思い始めていた。

それが、今日、明らかに文章問題を前にしたときのその子の表情が変わった。
まだすんなりとはいかないけれど、読みながらそれらしい絵を描くようになったし、あれこれ試行錯誤をするようになった。
問題に書かれている数だけを足したり引いたりしようとする癖はまだ抜けないものの、たった1週間で正直言って劇的な変化に見えた。

お迎えに来られたお母さんに明らかな変化の兆しが見えるということを伝えると、おうちでも変化があったのだとおっしゃる。
そして、何より本人が楽しそうな顔をするようになったのだ。

「少し楽しくなった?」と尋ねると、にこにこしながら「うん」と答えてくれる。
信じられないほどの急激な変化だ。
きっともうすぐ、色んなことの線がつながり始めるのではないかと思う。

子どもはやはり変わるんだ。
周囲の大人がその子のことを急かさずじっと見守って、本人ががんばり続ければ、きっときっと変わるんだ。

もちろん、まだ変化の兆しが見えた段階で、まだこの先山あり谷ありかも知れないけれど、きっと大丈夫。その子の笑顔を見ながら、そんなことを感じた幸せな日になった。

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2009年1月15日 (木)

掛け算の筆算

掛け算の筆算って、大抵の場合、ここを掛けたらこの場所にこう書いて・・・という具合に、答えの書き方を指導するみたいになってしまいがちなところがあって(自分自身、それ以外習った記憶もないし)、数量感覚の乏しい子は、言われた通りにやって答えを出すことになってしまう。

仮に、数量感覚の身についている子でも、2桁×2桁や3桁×2桁になってくると、さすがに数量をイメージするにはやや大変にもなる。

2桁同士の掛け算をイメージで理解するには面積図がお勧めなのではと思っているけれど、計算があまり得意ではない子に2桁×1桁や3桁×1桁などの計算をさせるとき、案外わかりやすいのでは?と思う方法がある。

例えば、56×8なんて問題があったとしよう。
筆算で書けば

  56
×  8
  448

となるわけだけれど、得意でない子の場合、6×8と5×8をしたものを位をずらして書くだけで、6×8と50×8の計算であることを意識していないことが少なくないような気がする。
そういう場合、面倒ではあるけれど、こう書いてみることにしている。

  56
  56
  56
  56
  56
  56
  56
+56

こう書くと、計算の苦手な子は「こんなのやったことない」なんてことを言ったりもするけれど、こう書いた上で、6の部分の8個をぐるっと囲み、「これいくつ?」と尋ねる。
反応が悪くても、「6が8個だから?」などを尋ねると、大抵の場合、九九で答えを出すことができる。
そして、「48」の「4」を繰り上がりとして一番上に書いておく。一の位には「8」を書く。

次に、5の部分の8個を囲み、同じように尋ねると「40」という答えが返ってくるので、それと一番上に書いた4を合わせて「44」を百の位と十の位に書く。
書いてある式は足し算の筆算だけれど、考え方は掛け算の筆算になっている。

イメージする力の弱い子などにはこう書いて何度かやってもらうことで、2桁×1桁はそんなに難しく感じなくなるし、この書き方をすれば、繰り上がりを書く場所を間違えることも少ないのではないかと思う。

掛け算の筆算の導入の前に、こんな式で答えを考えてもらうことをすれば、もう少し実感しやすくなるのかもしれないなと思っている。

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2009年1月14日 (水)

みんなすごいなぁ。

子どもたちってやっぱりすごい。
本当にすごい。

うちには誰が見てもすごい!って思うようなスーパーくんやスーパーちゃんもいるけど、本当に真面目に一所懸命取り組むけど、算数は苦手っていう子もいる。

とにかく、本当に真面目にやるのに、なかなか数量感覚が身につかなかったり、数量感覚はあるのだけれど図形になると途端にお手上げに近い状態になったりと、苦手なこともそれぞれだ。

傍から見ていると、算数は少ししんどいように見える子が、スーパーちゃんでもぱっと出ない式を、全く何もヒントも出していないのに自分でしっかり書いているのを見た。

しばしばコンディションが乱れてふにゃふにゃになってしまう子がふにゃふにゃ言いながらも、少し前にやっただけの3桁÷2桁の筆算を目の前できちんとひとりで解くのを見た。

正直、感動した。
でも、こういう子達は学校ではなかなか評価されづらいんだろうなとも思った。

考えるのに時間のかかる子、計算するのに時間のかかる子、いいセンスを持っているのにコンディションで激しく左右される子、そういう子達は今の学校ではなかなかその子の能力を認めてもらいづらいところがあると思う。
「時間はかかるけど、ちゃんと考えられる」というのではダメなんだろうか。
まあ、もちろん、試験やらなんやら、なんでも時間が決まっていて、時間内に能力を発揮できなければダメというものが多いことはわかっている。
でも、時間にばかり気を取られて、何かもっともっと大切なものを見落としてしまっているのかもしれないと、子どもたちを見ながら、また改めて思った。

子どもたちはみんな、一人ひとりきちんと成長している。
やっぱりすごいなぁ。

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2009年1月13日 (火)

素朴な疑問。

私は高校時代に理系の数学で挫折して文系に進んだ人間なので、高等数学のことはほとんどわからない。
なので、もしかしたら、高等数学とかで必要になってくるのかもしれないし、それなら教えて頂けたらすっきりして嬉しいのだけれど、「分数の割り算」ってどんなときに必要なんだろう?

まあ、「整数÷分数」や同分母の分数同士の割り算ならまだなんとなく使うこともありそうな気がする。
例えば、「3個のケーキを1個の4分の1ずつ分けたら何人分あるか」という問題なら、「3÷4分の1=12」なんてことにもなるだろうし、「15分の8メートルのひもを15分の2メートルずつに切ったら何本になるか」という問題なら「15分の8÷15分の2=4」で4本なんて具合に。

これが異分母の分数の割り算になると、なんかもうほとんどの場合、分数の割り算をさせたいがために、無理矢理問題を作っている感じがぷんぷんしてしまうのは、私がまだ大して問題を見ていないからだろうか?

例えば、「針金5分の2mの重さが6分の5kgである場合、針金1mの重さは何kgか」というような問題の場合、「6分の5kg÷5分の2m」の計算をすることになるわけだけれど、うちの教室の子たちにこんな問題を与えたら、たいていの場合、線分図などをイメージして、6分の5kgを2で割ってから5倍する。もちろん、答えは同じなわけだけれど、2で割ってから5倍という方が明らかにイメージしやすい。
「÷5分の2」というのが、一体何をしているんだかどうにもイメージしづらいのだ…。

学校などで異分母分数の割り算を習うと、結果的に子どもたちは「ひっくり返して掛ける」というところだけ覚えてしまうし、現場の先生ももしかしたら、説明もややっこしいし、とりあえずそれを覚えなさい的な指導をしておられる方もおられなくはないのだろう。
それは、正直なところ、そうなってしまってもやむを得ない気がする。

そもそも、分数というもの自体が割り算を表しているとも言えるのに、分数を分数で割るってことは、「割り算を割り算で割る」…ほら、意味不明…。(苦笑)

先ほどの「6分の5÷5分の2」も、「6分の5」が「5÷6」のことでもあるから、「5÷6÷(2÷5)」ということになる。ほら、やっぱりわかりにくい。(苦笑)

割り算はかけ算の逆だと思えば、分数の割り算の仕方を覚えて解くのは別にむずかしいことではないと思うけれど、そもそも異分母分数の割り算って、何か大事なものなのだろうか…。

こういうときに大事だということをご存知の方がおられたら、おバカな私にご指導ください。
よろしくお願いいたします。

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2009年1月12日 (月)

大変そうだ…。(苦笑)

今日もレッスンはなかったので、つい結構のんびりしてしまいました。
でも、仕事で必要なものを買いに出ておかないとまた1週間先になってしまうかもということで、夕方街に出ました。

最寄駅から電車に乗り、すぐそばの空席に座ると、隣ではかなりイマドキの女子たちが2人、周囲も顧みず大きな声でしゃべっていました。

ファッション誌を全く見なくなって久しいので、どう呼ぶのか知りませんが、茶髪や金髪に近いような髪を大きなロットでくるくるに巻いて、ばっちりメイク、爪はゴージャスにネイルアート。
初めは何も考えず、さすがにちょっとうるさいなぁ…と思いながら座っていたのですが、同じ車両に乗ってきた普通っぽい女の子を見つけ、「同窓会行く?」と呼びかけているのを聞いて、ああ、もしかしてこの子たちは新成人なんだなと。

次の駅でイマドキっぽい子たちの友だちがもう一人乗ってきて、若い子向けファッション雑誌から出てきたのかしら?っぽいお嬢さんたちが3人になりました。

隣でひとりの子がしきりに言っています。

「香水忘れた~。サイアク~!香水ないってサイアクやと思わへん?」

この彼女、さっきからこのセリフ3回目です。
そして、そのセリフに「うん、うん、サイアク~。」と同意する友人たち…。

これは類は友を呼んでいるのでしょうか?
それとも、イマドキの若い子たちはこうやって何でも同調しないとうまくやってけないのでしょうか?

もし私だったら、「香水忘れたぐらいええやん」と素で答えてしまうに違いありません。
というか、なんでたかが香水を忘れただけで「サイアク」なのかが全くわかりません。(苦笑)

若くって、イマドキのおしゃれをするってのは、どうやら随分大変そうだ…。
そんなことをしみじみ思いながら電車を降りました。

休日なのでどうでもいい話ですみません…。

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2009年1月11日 (日)

鏡開き

今日は鏡開き。
といっても、実は毎年、七草粥の日と松の内と鏡開きと小正月と正月飾りを外すときとがごっちゃになって、鏡開きと正月飾りを外すのは一緒だったかな?と思ったりしてしまう私…。

今年は昨日のレッスンのときにある男の子が「明日鏡開きの日」と教えてくれたので、忘れず(?)に済みました。感謝感謝。

けど、小学校低学年の男の子が鏡開きの日をきちんと知っている(教えてもらったといっていたけど)のは何となく素敵なことだなぁと思います。

まあ、私の場合、狭い我が家で神棚も仏壇もありませんから、毎年小さな鏡餅のセットを買って飾るだけで、鏡開きといっても全然それっぽくはないわけですが、日本の風習はできる範囲で続けていきたいなと思っています。(というわけで、今日のお昼ご飯はお餅。)

それにしても、今日は結局完全OFF。徹底的にOFFにしてしまいました…。
何にも仕事はしませんでした。だらだらごろごろぐずぐずして1日が終わりました…。
明日はちゃんとがんばろうと思います。。。

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2009年1月10日 (土)

1週間終了。

仕事始めからとりあえず1週間。
子どもたちもほとんどの子が元気に登場してくれて、しっかりがんばって取り組んでくれていました。
私はレッスンから10日離れ、久々の土曜7時間レッスンだったので、ちょっと不安もありましたが、とりあえず無事終了。ホッとひと息です。

しかし、既に1月も10日。今年の目標はまだ全く手をつけていない状態で、明日、明後日はレッスンは入らなかったので、どちらか1日は気合入れて頑張っておかないと1ヶ月目から挫折になってしまいそうです…。がんばります。

ところで、まあ、私自身、考えるのが面倒だと未だに指を折って数えてしまったりする「時間計算」ですが、ほぼ例外なくみんな苦労する単元のひとつです。
まあ、10進法に慣れている私たちにとって、60進法、12進法、どちらも馴染みが薄い上、両方が登場するわけですから、ややっこしく感じるのは当然といえば当然なのだろうと思います。

例えば、午前10時39分から午後5時12分までが何時間何分かというのを、自動計算してくれるような計算機だとか、そんなものはあるのでしょうか?(あるならちょっぴりほしい…。あ、高かったら無理だけど。(をい))

もちろん、考えたら解けますし、もう何年も何度も何度も子どもたちとやってきているので、私は私なりに考えやすい方法を見つけ出してはいます。
子ども達にも、その子の状態や問題によって、何通りかの言葉かけがあります。

でも、実感という意味では、いくら時計をつかってぐるぐる針を回しても、同じフィールドを何周もするわけですから、長さや重さなどと比べて、やはり「量」として実感することは難しいんだろうなと思います。

というわけで、随分前からもっと目で見てわかるような時間計算のプリントが作れないかと断続的に考え続けているのですが、なんとなくようやく頭の中で少し形になりかけています。
頭の中の考えがうまく紙に落とし込めたら、多分、時間計算に対するハードルがもう少し低くなるんじゃないかなと思ったりもするので、ちょっと気合いを入れたいと思います。(笑)

ですが、既に本日は睡魔がそこまでいらしているようなので、このあたりで…。

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2009年1月 9日 (金)

子どもたちが先生。

子どもたちから「先生」と呼ばれているけど、私にとっては子どもたちみんなが先生だ。
教室を始めた頃からずっと、足りない教材を作ろうと思っていたし、始めた頃にはまだ子どもも少なくて時間だけはいっぱいあったから、教科書や色々な問題集を見たりしつつ、足りないところの問題を少し作ったりもした。

けれど、結局その教材はここ3、4年はほとんど使ったことがない。
もちろん、内容的に使えないわけではないけれど、多分それは今に私にとって「多少は胸を張って子どもに出せる」というレベルのものではないからなんだろうと思う。

毎日かわるがわる色んな子どもたちが色んなことを教えてくれる。
今まで気づいていなかったことに気づかせてくれる。
毎日毎日子どもたちと一緒に問題を見て、考えていると、私自身、いくつも新しい発見をする。

多くの子どもたちが苦手とするところもだいたいわかるし、どんな勘違いをしやすいかも随分わかるようになった。
立ち止まってしまった問題にどんな言葉をかけたら、子どもたちがまた動き始めるかも、おぼろげながら見えてきた。

今なら、教室を始めた頃に作ったものより、確実に子どもたちによりよいものを作れる気がする。
まあ、もちろん、まだまだ発展途上だから、あくまでもあの頃と比べての話で、また5年経ったら同じように思うのかもしれないし、むしろ、そう思うようでありたいとも思う。

ブログにしたって、子どもたちと会わない日にはに何を書いたらいいのやら、てんで思いつかなかったりするし、今の私の生活に子どもたちがいなくなってしまったら、私は何にも考えなくなってしまうのかもしれない。

いつもいつも子どもたちは本当にたくさんのことを教えてくれる。
もう私はとっくに忘れてしまった子どもならではの柔らかい発想、そんなものにいつも気付かせてくれる。

子どもたちは本当に素晴らしい先生だ。

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2009年1月 8日 (木)

なんでだろう・・・。

新しい年を迎えても、レッスンが終わって、気づけばあっという間にかなりの時間が経過しています・・・。
何をしたというほど何もした気がしないし、かといって、遊んでいるわけでもないのに、今日も気づけばもう22時を大きく回っているし・・・。
ほんと、なんでだろう・・・。

新しい年が始まってもう8日。今年は毎月ある目標というか、自分にノルマを課したのですが、まだ全然手をつけていないに等しい状態・・・。大丈夫だろうか・・・。
いや、大丈夫だろうかじゃなく、やらなくては・・・。(すいません、抽象的で。)

高学年さんや中学受験を目指す子など、1月、2月にぽつぽつお別れになる子の連絡が入り始めました。
新年度のご案内も今月中にはきちんと作ってお渡しせねば。(汗)
保護者の皆さま、月の半ばを過ぎてもそんな気配がなければ、「やってますか?」とつっこんでください。。。
頭の中には随分前から6割方まとまっているのですが・・・。

二度目の危篤に陥ったパソコンは、私とは脳のつくりが全く異なる兄がまた生き返らせてくれました。
ノートであり、さらにハードディスクを交換してあるのですが、なぜかパソコン内は危篤前と同じ状態というか、ソフトもこれまで作ったものも全部ちゃんと使えるようで、ですが、動作だけは以前よりは随分速くなっています。

わからないなりに、古いPCから住所録はインポートできました。
何もかも手探りで一つ一つなので、時間がかかって仕方ありませんが、ここで気合いを入れてパソコンについて勉強する時間もないので、やむを得ません・・・。(苦笑)

まだしばらくは新しいパソコンに戸惑いながらの作業になりそうですが、新しい年がよい年になるよう、がんばります!
ああ・・・今日も内容のない更新ですみません・・・。
とりあえず帰ります。

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2009年1月 7日 (水)

複雑な気持ち・・・。

先生批判をするとかいう気は全くないし、頑張っておられる先生がたくさんおられることも知っているし、ただ純粋に、あゆみの評価ってどんな基準でつけられるんだろうなと、疑問に思うことが少なからずある・・・。

中学生以降は教科担任になるので、それぞれの教科で成績をつける先生が異なるし、テストの点数と提出物、あとは授業態度みたいな、なんとなくこうなんだろうな~という評価基準があるけれど、小学校の場合はほとんどの場合、担任が全部の教科(もしくは大半の教科)を指導するし、テストに至っては100点や90点が続出して、テストの成績での評価というのもどの程度されているのかなというのもいまひとつわからない。(教員経験がないので、そういう基準もちゃんとあるのかもしれないが。)

で、自分の小学校時代を振り返ってみると、まあ、大勢子どもがいるとそうなってしまうのもわからないではないけれど、先生のいうことをよく聞き、はきはきしているような(まあ、私はそれ系だったわけだけれど・・・)子は概ねいい評価をしてもらえ、仮に勉強ができていても、騒がしかったり、先生の話を聞いていなかったりという子は、評価がそっちに引っ張られて純粋な「成績評価」ではなくなっているような感覚もないではなかった。

何が言いたいかというと、うちのスーパー君、スーパーちゃんたちが、算数で「あれれ?」という評価をされていることがしばしば見受けられるのだ。
で、そのスーパー君、スーパーちゃんたち、算数(しか私は見ていないので、ほかの教科は判断できない)に関しては大人が見たらみんなびっくりするぐらいできるのに、なぜか「もう少し」とか普通の評価で、「よくできる」という評価をもらっていなかったりする。

テストに関してはもちろんできているようだし、授業中に騒ぐような子でもなくても評価されていないとしたら、それはいったいなぜなんだろう?
まあ、中には多分授業中、どこかに旅立ってぼ~っとしているんじゃないかという話で、それを見て評価されてるのかもしれませんね~なんてことで「ま、仕方ないか」みたいに済んでしまう場合もあるし、親御さんも実際によくできていることはわかっているので「気にしないことにします」なんて言ってくださる場合もある。

けれど、中にはそれを深刻に受け止めて、悩んでしまわれる方もおられるので、正直かなり複雑だ。
だって、本当にできているんだから・・・。

もちろん、授業中に騒いで周りに迷惑をかけるとか、そんなのだったら評価が低くなっても仕方ないのかなぁとも思えるが、迷惑をかけず、ちょっと空想の世界に旅立ったりして、でもちゃんとできているんだったらダメなんだろうか?

人の話をちゃんと聞くとかそういうのは、評価項目のひとつとしてあってもいいと思うし、教えられた通りにするというのも、ひとつの項目としてはあったっていいだろうと思う。
だけど、それはあくまでも項目のひとつであって、算数ができるかできないかという評価はそれはそれで純粋に評価してほしい。
でも、その評価はテストの点数だけでちゃんとできるもんなんだろうか?100点続出だったらみんな「よくできる」なんだろうか?そのあたりがよくわからない。

最初にお断りしたように、先生批判ではなくて、小学生の成績がどういう基準でつけられているのか、それが知りたいなぁと思っているだけなのだけれど・・・。

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2009年1月 6日 (火)

初日終了

今日からレッスン再開。
しかし…お二人、お休みだと思っておられて欠席。あと別に姉弟くんが体調不良で欠席だったので、今日はやや人数少な目。ウォーミングアップとしてはちょうどいい感じだったかもしれません。

実際、初めはやはりイマイチ調子が出ず、口も回らず、頭もついていききらず、まあ、多分子どもたちにはほとんどバレてないはずですが、かなり頭の中フル回転で必死の状態でした。(苦笑)
明日からはほぼ通常通りなので、いっそう気合いを入れてがんばります。

しかし、新しいパソコンは確かに快適ですが、本当に次々と「あ…」と思うことが出てきます。
今日はあるフォントがないことに気づき、前のPCにときにもそのフォントがなかったので、ほかから写したんだったなと…。けど、今はその写すべき「元」が手元にないため、しばらくは我慢…。

そして、メールの設定は完了したはずだったのに、これまたなぜか普段使っていた教室用のアドレスからメールが送信できなくなり、ヘルプを見ても解決せず、ネット検索をしてようやく、「ああ、そういえば、ずいぶん前に同じことになって友だちが解決方法を教えてくれたんだった…」と。
というわけで、多分今度こそメールに関してはちゃんと使えるようになったはずではあるのですが、まだ当分は次々何か見つかりそうです…。
くじけずがんばります。(苦笑)

ほかにも書こうと思っていたことがあるのですが、トラブルを解決するためにかなり時間を取られ、まだすることが残っていますので、とりあえずまた改めて…。
仕事始めはとりあえず無事終了してよかったです。子どもたちもよくがんばっていました。

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2009年1月 5日 (月)

いよいよ明日から。

今年のレッスンが始ります。
10日レッスンを完全に離れ、おまけにここ3日は、昨日実家で少し家族と話した以外はほとんどしゃべってもいないので、明日、口が回るかどうかが最も不安だったりします。(苦笑)

今日は早く出勤して仕事するつもりだったのですが、完全にだらだらが染み付いてしまい、結局夕方ようやく出かけ、ちょっと家電店に寄ってパソコンソフトや本などを見てから出勤。
今日はパソコンをこれまで通りに使えるようにすることがノルマだったので、とりあえず手をつけたのですが、プリンタドライバをインストールしようと思ったらCD-Rが行方不明で捜索…。
なんとか発見して作業続行し、プリンタ2台とも使えるようになり、メールの送受信もできるようになり、あとは…と思ったら、そうでした…単語登録したちょっと珍しい漢字の子どもの名前をまた登録し直さねばと…。

おまけに、古い方のデータをバックアップしてもらうため、兄に託しているので、これまで作った書類のデータが全部なくて、元のファイルを使った作業が全てできない…。(苦笑)

まあ、まだ不自由はあるものの、パソコンの動作はやはりこれまでとは比べ物にならないぐらい快適に動いています。
やはり、お古のパソコンは、時間に余裕のあるちょうどいいタイミングで瀕死に陥ってくれたようです。感謝感謝。

とりあえず明日からの通常レッスンまでにある程度パソコンも使えるようになり、ひと安心でお休みが終わります。
今年こそ、もう少し人間らしい(?)暮らしをしたいものだと思います。

また明日から皆さまよろしくお願いいたします。

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2009年1月 4日 (日)

瞬く間に…。

今日はもう4日。日曜が終わります。
レッスン納めは26日の金曜でしたから、明日で丸十日レッスンから離れることになります。
結局、明日もレッスンが入らなかったので、6日火曜、11日ぶりに子どもたちに会うことになるんだなぁ。

こんなに長いことレッスンを休んだことあったかなぁというぐらい、長い長いお休みです。
といっても、年末は大掃除に明け暮れて、あまり休んだ気がしませんが、新年今日までの4日間はほぼばっちりたっぷりだらだらしてしまいました。
こんな長いお休みはまた当分ないなぁ。

今日、ちょっと出勤して、新しいパソコンの設定やら(ある書類を持っていき忘れたので、完了しなかったけど…(汗))火曜のレッスンの準備やらをしてきたのですが、教材を出しながら、しみじみ「ああ、久しぶりだ~」と思いました。
初日の火曜、調子出るかなぁ…。

新しいパソコンはやはり快適です。
おまけに、これまでのものより画面が少し大きくなり、液晶も美しくなったようで、目がチカチカします。(苦笑)

それにしても、パソコンって安くなりましたよね~。その昔、うちの兄が学生のときに親に買ってもらった、多分今から考えたら笑ってしまうような性能だったんであろうN○Cの98なんとかってパソコンは確か100万ぐらいしました。
私が会社員時代に買った、ちょっと性能のいい富○通のワープロ(パソコンではない…)は15万以上しました。
’98年に初めて買った富○通のノートは定価だと30万ぐらいしたような…。それが、年々性能は上がり、値段は下がり…。ホント驚くばかりです。

4日間、かなりのんびりしましたので、火曜からの仕事復帰に備えて、明日はちょっとはエンジンかけようと思います。
仕事してないと、ホントに話題がなくってすみません…。(汗)

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2009年1月 3日 (土)

何もしなかった…。

今日は活動(?)しようと思っていたのに、結局完全にだらだらごろごろ過ごしてしまいました…。(汗)
でもまぁ、正月三が日だったということで、とりあえずよしとすることに…。(自分に甘い私…)

しかし、お正月もすっかりさまがわりしてしまいましたね。
昔は三が日はほとんどのお店がお休みで、だから、どの家庭でもおせちを作って、家族とゆっくり、親戚と集ってワイワイ…そんな風に過ごしていたんでしょう。
ほとんどの家庭には注連縄が飾られ、街は静かに新しい年を迎えて…。

そんなお正月はもうほとんど見られなくなってしまいました。

元日から多くのお店が営業し(というか、年末も大晦日まで営業していますから、無休で営業し続けているわけで)、コンビニも当たり前にあって、おせちを作っておかなくても食事には困りませんし、そのおせち自体がコンビニやスーパー、百貨店など色々なところで売られています。

注連縄も、昔は各家庭で燃やして、灰を家の角に置いて…なんてこともしていましたが、庭先で何かを燃やすということも難しくなっているのでしょうし、ゴミに出すのもためらわれるということもあるのか、注連縄を飾っておられるご家庭もめっきり減ってしまっているようです。

色々事情があるのだとも思いますが、なんだか淋しい気がします。
そして、元旦から多くのお店が営業しているということは、そこにお勤めの方たちは必然的に「お正月休み」というものがなくなるのでしょうし、もちろん、全ての方がお休みすることは現実としては不可能なわけですが、お正月ぐらいはお店がお休みでもいいんじゃないかと思ったりするのです。
そこまで利便性を求めなくても、時々不便を感じるぐらいの方がいいんじゃないかなと。
便利なことが当たり前になってしまうのは、なんとなく怖さも感じるのです。私が古いだけかもしれませんが。。。

何もかも昔の方がよかったなんてことは全く思っていませんが、お正月ぐらい、昔ながらの日本の風習を感じてみるのもいいんじゃないのかなと、なんとなくそんなことを思ったりします。

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2009年1月 2日 (金)

今日もひたすらのんびり。

今日はお昼に祖母宅でお正月の集い。近くにいるのに普段はなかなか顔を出すこともない祖母不孝な私…。
祖母と伯父夫婦とうちの家族とでお正月の団欒。

私は生まれたときには既に父方の祖父母はいなかったので、祖父母といえば母方しか知らず、祖父は高校生のときに他界してしまったため、もう長らく祖母ひとり。
ですが、祖母は、時々病院にお世話になりつつも、元気でいてくれています。
年を重ねるたび、家族や親戚とこうして集えることをありがたいなと思います。(なのに、普段は不孝の限りを尽くしていますが…。)

何も特別なことをするわけでなくても、家族が一緒にのんびりと穏やかな時間を過ごせることは多分とてもとても幸せなことなんだろうなと、そんな風に感じています。

私は記憶にある限り、小学校高学年以降長い長い間、父のことが好きではなくて、ずっとろくに話もしませんでした。
今みたいに仲良く父と話せるようになったのは、震災後、実家を離れてからだったかと思うので、長らくつらくあたっていた分の倍ぐらい、いや3倍ぐらい!父にもまだまだ元気でいてもらわねばと思います。
私の甘えベタは多分母譲りで、あの人は筋金入りの甘えベタ(しかし、父にだけは甘えを通り越して「サッチー」状態だったりするけど…(汗))なので、無理するなといっても聞く耳を持ってくれないのですが、まあ、父がいてくれるから大丈夫でしょう。

ただひたすらにのんびりだらだらしてしまったので、書くネタもなく、皆さまには極めてどうでもいいことを書いていますが、新年なので、たまには家族への思いを書いてみるのもいいかなと。

2日間ひたすらだらだらしたので、明日からはぼちぼちかる~くウォーミングアップでもしようかなと思っています。

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2009年1月 1日 (木)

新年明けましておめでとうございます。

新しい年が始まりましたね。
今日はひたすらだらだらごろごろ、のんびりのお正月でした。

が…。
賀状を取りにと、年末にほんの少しやり残していたことをしに、夕方遅くに教室に行き、いつものようにパソコンを立ち上げ、作業をし始めたところ、突如、意味不明の英語がいっぱい書かれた青い画面に切り替わり、次の瞬間強制終了…。

これは確か去年の初め頃に同じ状態になり、そのうち立ち上がらなくなり、兄に復旧させてもらったときみたい…。新年早々??(泣)

ですが、兄に預けっぱなしになっていたパソコンも受け取らねばならなかったので、元旦から兄に連絡し、車で届けてもらい、おかしくなったパソコンは再度預けることができました。
今年は気合を入れてパソコン仕事をせねば!というところでしたので、新年早々新しいパソコンが教室に届き、もしかしたら幸先がいいのかもしれません。(笑)(そういうことにしておきます。)

子ども達からの年賀状は見ていて自然と顔がほころぶのですが、今年の一番のヒットは、ある男の子が「来年もよろしくおねがいします」と書いていたこと。
子どもは正直でいいなぁと。(笑)

だって、年賀状ってほとんどの方が旧年中に、まだ来ていない来年のことを「今年」って書くんですよね。
実は子供心に違和感があったものです。
なので、旧年中に書いたら、やっぱり自然と「来年も」って書いちゃう子どもって私は好きだなぁ~。(笑)

というわけで、今日はもしかしたら通常の1ヶ月分ぐらいテレビを見たかもってほどテレビ三昧の日になってしまいましたが、ま、たまにはいいかなと。

それでは皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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