まあ、今更びっくりすることでもないのかもしれないけれど、うちの数少ない幼児さんの中で、幼児のレッスンのキャリアが一番長い現在年長の子がいる。
3姉妹の末っ子で、もともとなんでもよくできる子だったが、順々に進んで、現在100までの引き算をやっている。
前回まで2桁-1桁の繰り下がりを3回ぐらいやって、今日はいよいよ2桁-2桁の繰り下がりに入る回だった。
しかし、その前の内容で結構時間を取られ、ゆっくり計算をするには残り時間が微妙になってきた。
普段から本当によく出来ている子でもあるので、教具を2、3回見せて尋ねると、想像以上にスラスラ考えている。
たった2、3回しか教具を見せなかったけれど、ためしに教具の絵の書いてあるプリントを出し、ちょっとやってみてもらうことにした。
何も言わずに見ていると、彼女がぶつぶつ何か言っている。
「え~っと、こんだけとったから、あと3とるから・・・」
やり方を何も教えていないのに、当たり前のようにまず半端なところを取ったから、あといくつ取ればいいという考え方で考えている。
「考えている」ので、まだスピードはないが、確実に意味を理解し、何も難しそうにすることなく解いていく。
ああ、すごいなと改めて思った。
小さいうちから、やり方を教えず、自分自身で積み上げてくると、こんなに小さくてもどんどん説明がいらなくなっていくんだ。
そして、何も言わないのに、本来なら学校では教わらない方法で確実に乗り越えていくんだ。
彼女の姿を見ながら、改めてしみじみ感動した。
大人は自分の知っていることをすぐに教えたがる。
自分の習った方法以外でやろうとしていると、親切のつもりで「そうじゃないよ」と口出ししてしまう。
けれど、私たちが習った方法が必ずしもわかりやすいわけではないし、一見まどろっこしく見える試行錯誤や明らかに面倒な方法も、自らの頭で一所懸命考え、答えに近づこうとするとてもとても大切な行為だ。
同じく今日、小学生スーパー君がある問題を解くために表を書いていた。
表の上の欄は左から順に「1、2、3、4、5、6」となっており、彼はそこまで記入したところでストップした。
何通りかを答えればよかったから、表を見たら一目瞭然、「6通り」だ。
しかし、目の前のスーパー君は、その表を1のところから順に丸で囲み、そのたび少し何かを考えて、6まで囲み終わって一呼吸おいて、ようやく「6通り」の答えを書いた。
同じ考え方で解く問題を3問、同じように丸で囲みながら、ひとつひとつ確認して答えを書いた。
その姿を見て、初めは「ここ見たらすぐわかるやん?」と言いそうになったが、思いとどまった。
彼は、わかっていないのではなく、ひとつひとつその表に書いた数の意味するものを頭の中でイメージし、しっかり確認した上で、確かに6通りだと納得して答えを出しているに違いない。
すると、類題が4問目になったとき、表を書き終わると、丸で囲むことなく答えを書いた。
おそらく彼の中で何かの法則が見つかり、自分なりにこの考え方で間違いない、表のここの数が答えになるのだと納得したのだろう。
何も言わずに見ていてよかったと思った。
子どもたちは本当にすごい。
その素晴らしい力を邪魔しているのは私たち大人なのかもしれない。
じっと待てる限り待って、子どもたちを見守ること。
やはりそれがとてもとても大切なことなのだと何度も何度も子どもたちが気づかせてくれる。
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