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2008年11月13日 (木)

この前から考えていること

考えたって結論が出ることではないのだけれど、私たち大人はしばしば子どもたちに「早くしなさい」という。
もちろん、本当に早くせねばならないこともあるんだろうけど、突き詰めて考えたとき、その「早くしなければならない理由」の大半は大人の都合、大人の事情なのではないんだろうか?

たとえば、もし早く仕度しないと幼稚園や学校に遅れるとしたら、本人が遅れたくないのなら言わなくても早くするのかもしれないし、何度か遅れてそれが嫌だと感じたら早くするようになるのかもしれない。

遅刻してはいけないというのは大人が決めたルールで、まあ、もちろんそれは将来的に社会のルールを守れるようになりましょうみたいなことも含めてのルールなんだろうけど、かといって、社会で生きている大人のみんながみんな、決められた時間を守って生活しなければならない生き方をしているわけでもないだろう。

芸術家や作家なんて、何日間か徹夜することもあれば、昼夜逆転なんてのも当たり前かもしれないし、決められた時間に寝て起きているなんてことはあまりなさそうだ。

早寝早起きは医学的にも子どもにとって望ましいことのようだから、「早く寝なさい」とか「早く起きなさい」は理にかなっているのかなと思うけれど、早く片付けなさいとか、早く勉強しなさいとか、そういうのって、子どもにとって本当に早くしなければならないことってどのぐらいあるんだろう?

もうそれこそ、「早く計算をしましょう!」とかなんて、みんながみんな頑張る必要があるなんて全然思えない。
一定の時間内で単純作業がどれだけできるかということで測れる能力なんて、ごくごく一部分だけに過ぎないのだから。

だけど、きっと子どもたちは大人の想像を遥かに超えるぐらいの「早くしなさい」を毎日毎日浴びせられているんだろうな。(もちろん、私も言っているんだと思うし。)
もし、大人が子どもに「早くしなさい」っていうのを減らしたら、減らした分だけ子どもたちはのびのびいきいきしそうな気がするなぁと…。

なんだかこの頃そんなことを思っている。

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