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2008年10月23日 (木)

うまくまとまらないけれど…。

もし、まだ幼い子どもが読むこともできない漢字を書いたら、それはすごいことだろうか。
記憶力とか、そういう面だけ見れば、仮にその子がまだ3歳や4歳の子であれば、「賢いね~」とかいう大人もいるのだろう。

しかし、その漢字を読むこともできなければ、どんなときに使うかもわからない状態でそれを書いているのだとすれば、子どもにとってそれは何かのマークでしかなく、キャラクターを真似てお絵描きするのとそう変わらないレベルの話だろう。

例えば大人を例にとってみても、意味のわからない単語や専門用語を大量に覚えていたって、それは恐らく何の役にも立たない。
そんなのは言うまでもないことだろう。

もちろん、「覚える」ということは、それはそれで評価されることではあるだろうし、文字やら言葉やら、覚えなければどうしようもないものもたくさんある。
ひらがなやカタカナなんて、ひとつひとつに意味はないのだから、丸覚えするしかないだろうし、だとすれば、仮に幼い子がひらがなやカタカナを覚えて、読んだり書いたりできることはえらいと褒められることとも言えるのかもしれない。

しかし、たとえば、九九を幼い子が覚えて言えるようになったとして、その子がその計算の意味を何もわかっていなかったとしたら、「覚えた」ということは評価されるかもしれないが、果たしてその時期に覚える必要があるのかという疑問も感じてしまう。

なんだかまだうまくまとまらないけれど、「覚えた」ということを評価すべきことと、すべきではないことがあるんじゃないかと思う。
覚えたら、なんでもかんでも褒められれば、子どもたちは素直だから、どんどん色んなものを覚えようとするかもしれない。
ただ、早くから覚える必要のないもの、本来覚える必要のないもの、覚えるとむしろ何かの妨げになるもの、そんなものは間違いなく存在する。

難しいことではあるけれど、子どもを見守る大人たちは、そのあたりのことを意識しておかねばならないような気がする。

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