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2008年10月 2日 (木)

今ってそんなこと言うのかな?

子どもの頃、悪いことをしたらお天道様が見ているとか、神様のばちが当たるとか、そんな叱られ方をしたことがある。
親からに限らず、先生や周りの大人がそんな言葉を口にすることは少なからずあったような気がする。

「国家の品格」だったか、「武士道」だったか、なんだったかはっきり覚えていないけれど、昔、日本には「卑怯」ということを恥じる感覚があり、例えば、自分より弱い者をいじめることは「卑怯」なことだから、それはしてはならないという判断があったというようなことを読んだ記憶がある。

その感覚はなんだか私にはよくわかる。
卑怯なことはカッコ悪いことだし、人を傷つけないにしても、何か卑怯なことをしてしまったら、それはやはり良心がとがめたりするものだ。

でも、今の子どもたちにそんな言葉をかける大人はいるんだろうか?

「いじめはいけないこと」と子どもたちに言ったとき、「なんでいけないの?」と聞かれたら、今の大人はどんな風に答えるんだろう?
「自分がされたらどう思う?」的な問いかけをして、子ども自身に考えることを促したりすることも少なくないような気がする。

では、もし、そう尋ねた子が「自分がされても平気」と答えてしまったらどうなるだろう?
理屈で納得させられないことだってあるかもしれない。
これはやはり、「卑怯なことはしてはいけない、カッコ悪いこと」という価値観を子どものうちからしっかりと根付かせることが大事なんじゃないだろうか。

いじめはしたらいけない理由なんて説明するまでもなく、「卑怯でカッコ悪いからしたらダメ」。
誰も見ていないからと思って、道にゴミを捨てるのは「お天道様が見ているからダメ」。
物を粗末に扱ったら、「ばちが当たる」。
そんな感覚は、今の子どもたちにはあるんだろうか…。

レッスン後にもらえる飴は1人2つまでと決まっていて、ときどき「3つがいい~!」という子がいても、それは絶対2つを守ってもらうようにしている。
しかし、つい先日、私は見ていなくて気付かなかったのだけれど、ほかの先生の目を盗んで、こっそり3つ飴を持って帰った子がいたらしい。

まだ幼い子だ。きっと選べなくて、どうしても3つほしいと思ったのだろうけど、ちらちら先生のほうを見ながら、バレていないと思って持って帰ってしまったそうだ。

私は見ていなかったのだから、後日その子に注意することはできない。
気付かなかったのは私の責任でもあり、その場で気づいていたら「みんな2つだからね」と声をかけられたかもしれないが、タイミングを逸してしまった。
だから、その子が次のレッスンに来るときに合わせて、缶の蓋にメモを貼っておいた。

「あめのゴミはきちんとごみばこにすてましょう。
 あめはひとり2こです。きまりはまもりましょう。」

その子の良心がチクッと痛んで、もうこんな嫌な気持ちにはなりたくないと思ってくれたらいいんだけどな。。。

この方法がよかったかどうかは自分でも判断できずにいる。
ただ、何もしなければ、その子はそんなことを繰り返してしまうかもしれない。今はただ飴1つの話だけれど、それがずるいこと、卑怯なことなんだと、早いうちに気付いてほしいと思ったので、何かできることはと考えて、みんなへの注意みたいな形でメモにした。

もしかしたら、何かもっといい方法があったのかもしれない。
私だったらこうするというご意見があれば、今後のためにもお聞かせ頂けたらありがたく思う。

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