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2008年10月31日 (金)

不調は伝染するのかな?(汗)

今日はほぼ普段通りのメンバーが揃って、いつものようにレッスンが進行していたのだけれど、4コマ目のレッスンのひとりの子が、普段のその子ならそんなに苦労しなくても解けるであろう問題にはまり込んでしまい、絵を描いても何をしても、どうも線がつながらない様子。

幸か不幸か今日はその後のレッスンで一人お休みがいたのと、その子はお母さんも一緒に来られていたのとで、はまり込んでいる問題が解けたら終わることにして、考えてもらっていた。

レッスンとレッスンの間は10分しかないので、当然次のレッスンの子もやってきて、その子たちのレッスンも始まった。
すると、ここ何ヶ月も好調を保っていた女の子が、いつになく不調に…。

そして、初期組の長らくうちに慣れ親しんでいる男の子も、普段ならぱぱっと閃く問題に苦戦。7:5って書いてあるのに、なぜか線分図を10個に区切って、6000÷10をしているのに、それを7つ集めて訳の分からない答えを書いている…。
その他の問題も、いつになく、あり得ないような図を描くし、あり得ないような計算をする…。

う~ん…。なぜ?(苦笑)
原因は、できないオーラが伝染したとしか…。

けど、そんなことってあるのかな?
ホント、今日のあれは一体なんだったんだろう?

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2008年10月30日 (木)

遅すぎるけどようやく…。

今日は年間スケジュールを立てた時点で、珍しく平日にレッスンがお休みの日になった。
今週になってようやく、ずっとずっとやらなくてはと思っていた仕事に手をつけ始め、しかし、教室のパソコンの動きが重く、進行を阻まれ、今日は気合入れてやるぞ!と思っていたものの、普段なかなか行きそびれている銀行窓口やら郵便局の窓口やらにも行かねばだったこともあり、結局所用を片付けつつ、家のパソコンで仕事。

家では本当に本当に仕事ができず困っていたけれど、いよいよお尻に火が付き始めているということもあり、今日は珍しく、休憩しながらでもそれなりに仕事は進んでいる。
始めたのも遅かったけれど、気づけば22時半。
とりあえず食事にしよう。

多分、1週間とか缶詰でやったら、もっと捗るんだろうなと思わないではないけれど、とりあえずそうもいかないので、少しずつやっていくしかない。

教室を始めたときから、教材を作りたかった。
もちろん、素晴らしい教材に出会ったから独立までしてしまったわけで、大筋では今の教材を気に入っている。
ただ、難しすぎてうまく使えない子がいたり、抜けているところがあったり、量的にもっとほしいところがあったり、こんなにはいらないのではと思うところがあったりと、使えば使うほど色々思うところもあり、作りたいなぁ、もっと使いやすくなるはずなんだけどなぁ…と思い始めてもう何年も経ってしまった。

でも、今だからいいのかもしれないとも思う。
教室を始めた直後から、抜けているところはほしいと思っていたし、実際、あの頃はまだ時間が合ったので、少しだけだけれど作ったりもした。
けれど、あれから5年余りの間、子どもたちと接してきて、色んな発見をしたし、教材についても内容はほぼ完璧に頭に入った。ここにはもっとこれがほしいとか、ここは削ってもいいはずとか、頭の中でかなり煮詰まっているんじゃないかと思う。

まずはちょっと急を要するところから手をつけているけれど、勢いのあるうちにやれるところまでやりたい。
とりあえず、ご飯食べてもう少し頑張ろう。

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2008年10月29日 (水)

今日は。

久しぶりに23時半近くまで仕事して帰ってきたので、これから食事です。
食事のあとに更新できるかどうか…。
とりあえず、今日のうちに形だけの更新です。

ちょっとエンジンはかかりつつあるのですが、かかるまでどれだけ時間かかってるのよ…って感じで、自分でも呆れてしまう今日この頃です…。

10月もあと2日。10月中にどこまで進むかなぁ…。

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2008年10月28日 (火)

なんだったんだろ・・・。

今日、パソコンがまた逝ってしまうのではないかしらと、恐る恐る電源を入れて立ち上げたところ、なんとも言えぬ不穏な音が…。
これはやっぱりかなり危険?と思いつつも、とりあえず現段階では私にはどうすることもできず、ある程度のバックアップは取っているはずだし、なるようにしかならないかととりあえず様子見。

しかし、まあ、重いには重いものの、昨日とは比べ物にならないぐらい、とりあえず普通に動く。
レッスンが終わって、作ろうと思っていたものに着手したけれど、今日のところは動きが遅くてイライラなんてこともなく、それなりにスムーズに進行。
う~ん、昨日のあれはなんだったんだろう?

今日はパソコンも動くし、やれるところまでやってタクシーで帰ろうと思っていたのに、寒さでだんだん集中力が途切れ、まだ暖房器具も出していないし、いきなりこの時期にエアコンの暖房をかけるのも躊躇われ、それでも手はかじかみ、22時で断念…。

歳のせいなのかなんなのか、このところじわじわと体重が落ちており、このままでは冬を無事に越せないのではと(凍えて…)いう不安が。(苦笑)
運動して筋肉をつければいいんだろうとも思うのだけれども…。

朝晩はかなり冷え込んできたので、健康管理はしっかりせねばと思う今日この頃。。。
(今日も内容のない更新ですみません…。今日も子どもたちはみんなよくがんばっていました。)

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2008年10月27日 (月)

・・・・・。

昨日今日とレッスンが入らなかったので、昨日はお休み、今日は午後から出勤して仕事をしようと思っていました。

で、予定より随分ずれこんだものの、一応出勤し、今日は最低これだけのことが済むまでは帰るまいと決めていたのですが、何が何だか、今日は何をしても異常にパソコンが重い…。
今日は読書のブログを更新する日だったので、まずそれをと思ったのですが、文章を打ってもなかなか表示されず、予定のゆうに3倍は時間がかかり、スタートから予定は大狂い。

その後もしようと思っていたメインの仕事がパソコンでなければできないものだったので、何とかやろうとしたのですが、明らかにおかしい…。
一度は仮死状態から蘇ってきた機械でもあり、あれから半年以上経っているので、ここらでまた逝ってしまってもそう不思議ではないというか…。

というわけで、ごく一部だけですが、バックアップを取りなおしたりして、結局しようと思っていた仕事は、この重さ、遅さでは家でやる方が絶対正解だと、切り上げて帰ってきてしまいました…。

しかし…家で仕事がはかどったことなど一度もなく…。
とりあえず食事は済んだので、ちょっと手をつけてみることにしようかと思います…。
あ、その前に顔を洗っておくべきのような…。

今日も内容のない更新でお許しくださいませ。

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2008年10月26日 (日)

あまり考えたことなかったけど…。

今日はオフで、お知り合いの先生と仕事のことを話していました。
一応は同業ということになるのかもしれませんが、規模も形態も対象も何もかも違うような方なので、話しながら、改めて自分の仕事を見つめ直すことができた感じがします。

そんなつもりはなかったのに、何かに背中を押されるような感じで教室を始めてしまい、こうやれば経営が成り立つだろうとか、そんなこと何にも考えずのスタートでした。
そして、そのまま6年目を迎えられたことはある意味やはり奇跡のような、本当にありがたいことだなと思います。

ただ、このスタイルだからこそ、なんとかやってこられたんだなということを、今日改めて感じました。
まあ、もともと、大手さんがやっておられるのと同じことをしてもどうにもならないだろうというぐらいはわかっていましたが、大手と違うことをやろうと思って始めたのではなく、やりたいと思ったことがたまたま大手さんでは採算が取れなかったり、効率が悪かったりというものだったという感じで。

お話しながら、「それは儲からないでしょうね。けど、多分潰れることもないんじゃないですか。」と言って頂いたのですが、そして、潰れることは…ってのはこればっかりは全くわからないことですが、とりあえず現時点では、私はこのやり方、スタイルでいいんだなと、そんなことを再確認できた休日でした。

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2008年10月25日 (土)

すみません!!(大汗)

寝てました…。(大汗)
土曜は大抵普段もレッスンが終わると既に睡魔が襲ってくるような状態ではあるのですが、昨日は終わった直後は元気だったので、ほぼ12時間教室にいて(一応仕事して)帰宅。
ご飯食べたら、いったいいつ寝てしまったのか、全く記憶が…。

なので、形式的更新すら出来ぬまま、既に日付変わって朝6時過ぎなんですけど…。
とりあえずの生存報告でした…。
また書きます…。すみません。

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2008年10月24日 (金)

案外大人は意識していないこと。

ちょうど時期的に、2年生は学校でかけ算の学習が始まっている頃。
ということは、おうちでお子さんのかけ算に付き合う親御さんもいらっしゃることかと思います。

ということで、ちょっとだけ気づいたことを。

実は、数年前まで私もわかっていなかったことですし、実際、今も保護者の方や手伝ってもらっている先生方の中にも初めは「なんでその式じゃダメなんですか?」とおっしゃる方がおられます。
なので、そのことをちらっと。

「ちょうちょが9ひきいます。ちょうちょの羽は全部で何枚でしょう。」

この問題を解くとき、どんな式を書かれますか?(ちなみにちょうちょの羽は4枚ですので、念のため。)

ここで、「9×4=36」と書いたら「それはおかしいよ」とおっしゃる方はもうこの先は読まれる必要はありません。(笑)
もし、「9×4」に違和感がないとか、「どっちでもいいんじゃない?」と思っておられる方は、数年前の私と同じです。
お子さんのためにも続きをどうぞ。(笑)

この問題で聞かれているのは、「ちょうちょの羽の総枚数」です。ということは、当然答えの単位は「枚」になります。
それは皆さま異論のないところかと。

しかし、羽の数にしなければならないのですから、「9ひき」を4倍してしまうと、答えは「36ぴき」になってしまうわけです。つまり不正解。

ここで、「答えはどうせ一緒なんだからいいいじゃない」と思われた方は要注意です。
単位を意識することで、文章題のミスは絶対に減ります。
答えとして求められているものを増やしたり、減らしたり、集めたり、分けたり・・・という作業をしなければ、答えは出てきません。
ですから、答えとして求められているものの単位を意識することが文章題を解く上で、かなり大事なポイントになるのはほぼ間違いないと思います。

特に、先に進んでいくと、割合などの学習のときに、単位を意識することで難しく感じるか感じないか、かなり差ができるはずです。

分かり切っておられる方もたくさんいらっしゃると思いますので、そんな方には何を今更・・・という感じかと思いますが、数年前の私が意識していなかったことですので、もしかしたらそんな方がおられるのではと思い、ちょこっと書かせて頂きました。

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2008年10月23日 (木)

うまくまとまらないけれど…。

もし、まだ幼い子どもが読むこともできない漢字を書いたら、それはすごいことだろうか。
記憶力とか、そういう面だけ見れば、仮にその子がまだ3歳や4歳の子であれば、「賢いね~」とかいう大人もいるのだろう。

しかし、その漢字を読むこともできなければ、どんなときに使うかもわからない状態でそれを書いているのだとすれば、子どもにとってそれは何かのマークでしかなく、キャラクターを真似てお絵描きするのとそう変わらないレベルの話だろう。

例えば大人を例にとってみても、意味のわからない単語や専門用語を大量に覚えていたって、それは恐らく何の役にも立たない。
そんなのは言うまでもないことだろう。

もちろん、「覚える」ということは、それはそれで評価されることではあるだろうし、文字やら言葉やら、覚えなければどうしようもないものもたくさんある。
ひらがなやカタカナなんて、ひとつひとつに意味はないのだから、丸覚えするしかないだろうし、だとすれば、仮に幼い子がひらがなやカタカナを覚えて、読んだり書いたりできることはえらいと褒められることとも言えるのかもしれない。

しかし、たとえば、九九を幼い子が覚えて言えるようになったとして、その子がその計算の意味を何もわかっていなかったとしたら、「覚えた」ということは評価されるかもしれないが、果たしてその時期に覚える必要があるのかという疑問も感じてしまう。

なんだかまだうまくまとまらないけれど、「覚えた」ということを評価すべきことと、すべきではないことがあるんじゃないかと思う。
覚えたら、なんでもかんでも褒められれば、子どもたちは素直だから、どんどん色んなものを覚えようとするかもしれない。
ただ、早くから覚える必要のないもの、本来覚える必要のないもの、覚えるとむしろ何かの妨げになるもの、そんなものは間違いなく存在する。

難しいことではあるけれど、子どもを見守る大人たちは、そのあたりのことを意識しておかねばならないような気がする。

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2008年10月22日 (水)

今では不思議でならないこと。

うちの子たちは低学年で入るとメインの教材での学習からスタートするけれど、それが終わった子や、ある程度学年が上がってから入った子などには、一般の塾でも使用しているようなワーク教材を使ったりもする。(本当はそのあたりの範囲までの問題を全部作りたいのだけれど、なかなか・・・。)

で、普段使っている教材は、現行の教科書よりは難しいレベルの問題(簡単な中学入試問題レベル)まで含まれており、厚さもそれなりにある。

過去、塾に勤めたいた頃は、それよりもう少し簡単なワークを1年かけて、それも週2回授業があってやっと終わるような、そんな状態は決して珍しくなかった。
もちろん、学年によっては2冊持たせたりなんてこともあったけれど、授業時間も長かったし、週2回であれば、宿題を出せる機会も倍あったのに、ワークが終わってしまうからどうしよう…みたいなことは一度もなかった。

それが、教室を始めてから子どもたちそれぞれのペースで進めていると、分厚めのワークが半年とか2学期間とかで終わってしまう。ちなみに、ワーク以外のこともするのにである。
もちろん宿題を大量に出すわけでもないし、まあ、確かによくできる子は多いけれど、ほとんどみんなただ週1回1時間だけここで算数をしているだけの子たちだ。

このワークでどうやって1年授業をしてたんだろう?
最近はそれが思い出せず、不思議でならない。

説明をして、教え込むということは、そこまで子どもたちの持てる力を押し込めてしまうということなのだろうか。

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2008年10月21日 (火)

ぼんやりと思うこと。

まだうまくまとまっていないのだけれど、書いておかないと忘れてしまいそうなので。。。

この前からぼんやりと思っていること。

子どもたちを依存させないこと。
子どもたちを従属させないこと。

それはずっと意識していたい。
確かに私は子どもたちより随分長いこと生きているから、知っていること、できることは多いかもしれないけれど、私にできないことを子どもたちはたくさんできるし、限りない可能性も秘めている。
だから、私は子どもたちを下に見たことはないし、いつも子どもたちと対等の関係でいたい。

教えることは、一歩間違えると、子どもを依存させるし、従属もさせる。
そうならないよう、いつも意識していたい。

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2008年10月20日 (月)

「普通」の基準

先日、あるお母さんとお話をした。

子どもの学びについてその方がおっしゃっていることは、私からするととてもまともで、是非自信を持ってそうなさってくださいねというようなことだった。

しかし、その方が普段身を置かれている環境では、そういう考え方をする方がほとんどおられず、あれこれ思い悩んで、気持ちがいっぱいになってしまっておられたようだ。

そもそも、身を置く環境によって「普通」は違ってくる。

テレビ番組などで、外国を訪ね、奥地のなんとか族・・・みたいなところの方と一緒に過ごしたりする姿を見ることがあるが、その部族にとっては、何かの幼虫を食べるのは「普通」のことだったりするし、男女問わず、上半身は裸なんてことも「普通」のことだったりする。

それらは私達からすると、特異なことのように思えるが、私たちにとっての「普通」はほかの国の人などから見ると、やはり特異に見えることも少なくないのだろう。

周りのみんなが50メートル泳げる中に、10メートルも泳げない、水に顔をつけるので精一杯というような子がいたら、きっとその子が「特別」になってしまうけれど、水に親しむことの少ない地域で、泳げる子の方が珍しいなんてところに行けば、50メートル泳げる子が「特別」になるのだろう。

みんなが毎日何十枚ものプリントをこなす教室に身を置いていれば、それは普通のことになり、例えば、どんぐり倶楽部の文章題のように1問にたっぷり時間をかけて問題を解く教室に身を置けば、やはりそれが普通のことになるんだろう。

あらゆることで「普通」というのは極めて曖昧で相対的なことなんだろうと思う。
だからこそ、人は皆迷うし、何が正しいのか不安にもなる。
そもそも、「普通」というのは必ずしも正しいのかどうかさえ不確かなことだ。

こと、子どもの学びに関しては、尚更多くの親御さんたちが悩み、迷い、試行錯誤しながら進んでいかれるのだろう。
そして、やはり子どもたちは一人一人みんな違った個性、能力を持っているのだから、みんなにベストの方法なんてものは、そうそうあるものではないだろう。

それでも、迷ったときに一番見なければならないのは、目の前の子どもなんだと思う。
その子がどんな表情をしているか。
その子の目が輝いているか。
ただ言われるがままにやらされて、いつの間にか目に力がなくなってはいないか。
そんなことをしっかり見るべきなんだろうと思う。
もちろん、言葉で言うのは簡単だけれど…。

私の教室でやっていることは、恐らく世間一般の「普通」とは随分ずれているんだろうと思う。
でも、「普通」の基準が曖昧である以上、私は私がいいと信じるものを選んでいくしかないんだろうとも思う。

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2008年10月19日 (日)

子どもってやっぱりすごいな。

先日から一緒にレッスンするようになった2年生さんがいる。
本当なら1年目の教材の途中からスタートするところなのだけれど、間もなく学校で掛け算を習うということもあり、ちょっと順を入れ替えてレッスンをスタートすることになった。

それでも、ある程度の九九は覚えているようで、その結果、覚えているところはすぐに解けてしまうため、普通なら2回分のプリントが1回で終わってしまう状態になった。
そうなると、持って帰る宿題の枚数も多くなるので、どれか教室でやっておこうかなと思い、初めは苦手とする子が多い、積み木を3方向から見た図を描くプリントを一緒にやることにした。

これは、言葉で説明してもなかなかわかるものではなく、感覚的に何の説明もなしにクリアしてしまう子もいる反面、あれこれ工夫して理解してもらおうとしても、初めはどうにもこうにもお手上げ状態になってしまう子も少なくない。

というのも、たとえば真上から見たとしても、本当に正確に真上から見ない限り、積み重なっている他の積み木の一部が見えたり、近いとどうしても高さの違いが気になって、その違いを図に表現しようとしてしまったり、悪戦苦闘する子が少なからずいるのだ。
前から見た図の場合、机の上に置いてあるのであれば、一番下の段は当然真っ直ぐに揃っていなければならないのに、積み木が宙に浮かんだりしてしまう場合もある。

で、新人さんはやはり最初はどうもピンとこない様子で、がたがたになったり、宙に浮かんだりと、四苦八苦していた。
実際に積み木を使って、それを見せても、初めはそういう状態の子は決して少なくないのだ。
積み木を見せてでも、それがきちんと描けるようになるまでにある程度時間がかかるのは珍しいことではないので、その子には今回のレッスンで何とか描けるようになってもらえたらいいけど…ぐらいに思っていた。

それをやり始めたときは既にレッスン時間が残り10分を切っていたので、今日だけでは無理かもしれないけれど、その時は次回に持ち越せばいいやと思っていた。

初めの1問を3方向とも正解するまでには恐らく5分以上かかったのではないかと思う。
しかし、それを正解したあと、2問目は半分以下の時間でなんとか3つとも描けた。
もちろん見ながらだし、上からの時は立ち上がり、前からの時はしゃがみこんで机と目線を合わせたりしていたけれど、3問目、4問目になると、何も言わなくても、ひとりできちんと描けるようになった。

結局10分足らずで、積み木を実際に見ればではあるけれど、きちんと図に表せるようになった。
これを一度やっておけば、次からはもっと早くなるし、そう遠くないうちに積み木なしでも描けるようになるはずだ。

子どもってやっぱりすごいなと思うのはこういうとき。
ほんの10分前にはわけがわからなかったのに、10分後には体得してしまったりする。
きっと、能力的にはもうとっくの昔に子どもたちには叶わなくなってるんだろうなといつも思う。

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2008年10月18日 (土)

今週も終了。

あっという間に10月も半ばを過ぎ、週明けには下旬に突入ですね・・・。(汗)
毎日が早過ぎて、だんだんと日付の感覚がなくなっています。
このままだと、気づけば年末・・・って気配濃厚。

やりたいと思っているし、実際やらなければならないことなのに、それらの仕事が全然思うように進まず、日々自己嫌悪に陥る私・・・。
時間がないわけではなく、明らかに時間の使い方が下手だということがわかっているだけに、情けなくなります・・・。

もうかなり前からず~っとず~っと自分の中で考えていて、ほんの僅かながらそれが頭の中でまとまりつつあるような、そんな混沌とした状態が続いているのですが、本当にいい加減やらなければ。

ところで、こんなところに書いても恐らく無理だと思うのですが、どなたかパソコンがお得意で画像ソフトとか(私にはよくわからないのですが、イラストレーターとかそういうの?)が使えて、プリントとか作れる方おられませんでしょうか?
もちろん、ボランティアでということではないのですが、どなたかにきちんと仕事としてお願いできるほど自分の中でまとまっていないということもあり、尚更何も進まず・・・。

かといって、自分では手書き原稿を作ることは恐らくそう時間はかからないとしても、それを人様が見られるようなものにしようと思ったら、膨大な時間が必要になってくるなと・・・。

というわけで、ダメもとでここでもぶつぶつつぶやいてみました。(笑)
さて、もう少しだけ頑張ってから帰ります。
皆様よい休日を。

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2008年10月17日 (金)

嬉しいことば

今日、仕事の帰りに教室の近くで、ひとりの女性と目が合った。
どこかでお見かけしたような気はしたけれど、子どもたちの親御さんの年齢ではないし、どなただったかなと思った瞬間、「先生、ご無沙汰しております」とお声をかけて頂いた。

その瞬間、ああ!と思い出した。もう今から2年以上前になると思うけれど、一時うちに通ってくれていた子のおばあさまだった。
もともと、私からすると驚くぐらい習い事をしておられ、その兼ね合いもあって比較的短期間でお辞めになったのだけれど、時々おばあさまが送り迎えに来てくださっていたのだった。

恐らく2年余り前に数回お目にかかっただけなのに、すぐに気づいてお声をかけて頂き、近況なども聞かせてくださった。
そして、こう言って頂いた。

「先生、とってもお元気そうですね。」

久しぶりに会った方に、「お元気そうですね」というような挨拶はすることもあるだろう。でも、「とってもお元気そう」とは社交辞令としては言わないような気もする。
ということは、少なくともその方の目には私がとても元気に映ったということに違いない。
仕事を終えてよれよれになっているはずの私を見てさえそう言って頂いたということは、何かと今年トラブル続きだった私にはなんだか嬉しいことだった。

そういえば、昔はしょっちゅう「いつ見ても元気そうやね」とか「悩みなさそうでいいねぇ」とか言われていたもんだ。
またみんなにそう感じて頂けるよう(仮に実際は違っていたとしても…)、できるだけいつもニコニコしていたいなと思う。

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2008年10月16日 (木)

本日は・・・。

旅行中の新潟在住の友人が本日は神戸泊のため、仕事後に久しぶりに会うことになりました。
明日も仕事ですし、友人は明日は朝から屋久島に向けて移動のようですので、遅くはならないと思うのですが、もしかしたら更新できないのではと思います・・・。
というわけで、とりあえず形式的な更新を・・・。

それにしても、もう10月も折り返してしまったのですね・・・。
早過ぎて怖くなります。
今日はほとんど「怖い先生」にならずに済んだのではと思うのですが・・・。
明日はどうなることでしょう・・・。がんばります。

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2008年10月15日 (水)

どうしたものか・・・。

自分でも日々反省し、もうちょっとどうにかできないのかと思うのだけれど、なかなか、こうしよう!というアイディアも浮かばず、そしてまた同じことを繰り返す…。
それがよくないことなのかどうかも、正直判断ができないでいるのだけれど…。

いつも言っているように、私は怒って勉強させる気はさらさらない。
やりたくないのであればやらなくていいと、それは本気で思っている。
仮にやらなくてその子が困るときがくれば、そこから本気でやったっていいんじゃないかとも思う。

だから、怒ってやらせる気もないし、やらせるためにおだてたりする気もない。
その点は全く迷いのないところなのだけれど、レッスン中、特に男の子に多いのだけれど、見ていないとぼ~っとして何も考えていなかったり(ぼ~っとして見えても考えている場合もあるので、その見極めは必要だけれど)、ちょっと難しそうだと落書きしたり、消しゴムで遊んだりと、真剣に考えようとしないなんてことがある。

やりたくないならやらなくていいとは本気で思っているけれど、もともとが体育会気質なもんで、やるべきときにやらないのを見ているとイライラしてしまう。
学校じゃないんだから、嫌なら無理に来る必要もないし、だらだらしてるんだったら、やらずにほかのことした方が時間が無駄にならずに済むよね?と思うと、つい口調がきつくなってしまう。

もちろん、大抵は初めはやんわり言う。だけれど、言っても態度に変化が現れないと、私としては本心から「やりたくないんならやらなくていい」と思っているので、優しく諭すように言えなくなってしまう。

すると、ほとんどの子がビビって問題に取り組んでしまう…。

いや、もちろん、取り組んでくれることが悪いわけじゃなく、来てくれたのに何も学ばず帰るよりは、やってくれた方がいいんだろうとは思う。
それも、レッスン中、どこかへ旅立っているような男の子の場合、そのぐらい言ってやっと意識が戻ってきて、その後は真剣な表情で問題に取り組んでくれることもある。

でも、怖い顔で「やりたくなければやらなくていい」と言い放つことは、本当はすべきじゃないんじゃないかと、いつもあとから考える…。
かといって、優しく言い続けていたら、いつまでも旅から帰ってきてくれない子がいるのも事実。

きつく言ってしまったあとは、その子が頑張って問題をクリアしたら、声をかけるようにしたりはするけれど、それって結果的に「怒ってやらせている」のと同じなのではないのか…。

頑張って考えているけどわからない、できないという子に腹が立つことは本当に全くない。
それは子どもたちにもよく言う。

私が怖くなるのは、考えずにあてずっぽうの答えをいくつも言ったり、じっくり問題を見ずに適当に答えを書いてこちらの顔色を伺い、違ってそうだなと思ったら別の答えに書き換えたり、とにかく、その子自身が自分の頭を使って、うんうん考えた結果出てきた答えでないのに、マルになればいいやという態度が見られるとき。あとは、その子が真剣に考えれば絶対できるはずだと思うものを、だらだらして全然考えていないのに「わからん!」とか言うとき。

「やりたくなければやらなくていい。」
「わからなくてもマルになればいいんだったら答え教えてあげる。」
「適当に書いて答えが合ったって、あなたは賢くならないよ?だったらやらなくていいよ。」

私にとっては全部本心から言っていることだ。これらの言葉を口にするとき、相手が低学年だろうがなんだろうが、私は真剣だ。
けど、だから、本当に怖いんだろうとも思う…。

怖がらせてやらせたいわけじゃない…。
やっぱりまだまだ修行が足りない…。

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2008年10月14日 (火)

改めて思ったこと

先日のブログに書いたけれど、教育システム(?)だかなんだかの会社からセールスの電話があり、自分でやっていると答えたにも関わらず、資料が送られてきたことには驚いた。

ただ、そのことで改めて思ったことがある。
まあ、もともとそういうことは思っていたんだけれど、最近なんだか少しぼんやりしていたような気がして、再確認できたという感じのこと。

子どもの頃からなぜか職人さんに憧れていて、昔は伝統工芸の職人さんとかになりたいなぁと思っていたこともある。
職人とまではいかなくても、ものを作る側の人になりたいと思い続けていた。
就職するときも、実際に自分が作れるかどうかはともかく、勤めるならメーカー!みたいな変な思い込みもあった。(笑)

で、今はこの仕事が本当に大好きで、この仕事ができなくなったら他にしたいことを思いつかないぐらいだけれど、先日送られてきた資料を見たとき、なんともいえぬ違和感を感じた理由がはっきり分かった。

自分がやりたいことは「システム」とか「マニュアル」とかにできるようなことじゃないんだと。

一流の職人さんは、その人の指先だけで精密機械でもやれないようなことを感じ取ってしまったり、コンピュータではできないようなことを形にしてしまったりというような話はよく耳にする。
そういうのって、言葉に表したりできないものなのだと思う。

もちろん、私はまだまだ未熟で修行の身だけれど、目指しているのはそういうことで、自分と同じことをしてくれる人を増やすとか、教室でやっているやり方を広めるとか、そんな風に広げたいわけではなく、私にしかできない、真似できない、そんなところが目標なんだろうと思う。

当然ながら、多くの子どもに関わりたくないということではなくて、算数がキライになりかけている子や算数が好きで好きでたまらない子、普通の教えられ方に馴染まない子、そんな子たちとは一人でも多く一緒に学べたらなと思うけれど、自分ひとりでは限界がある。
そこに多少のジレンマはあるけれど・・・。

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2008年10月13日 (月)

すみません…。

昨日今日とレッスンがなく、昨日は完全OFFにしたので、今日は仕事もしなければと思っていたのですが、日中は結局ダラダラしてしまい、夕方近くなって、教具やら、その材料やら本やらの買い物に街に出ました。

で、気づけば今日は読書ブログを更新せねばならない曜日にも関わらず、読み終えた本は教室…。
家にあって読み終えたものといえば、ここでご紹介するかどうかやや迷うような、開運とかそういう類の本で…。(汗)
読み始めたのはもうかなり前なのに、私にとっては難しくてなかなか進まず、他の本を読んでは戻りを繰り返していた本を、とりあえず集中して読み終えました。

そんなこんなで結構時間が経ってしまい、事務系の仕事はほとんど何もできず…。うぅ…。
明日から頑張ります…。(いつもそう言っている気が…。)

全くどうでもいい話ですが、買い物をしたときなどに、思いがけずゾロ目だったり、すごくきりがいい金額だったりすると、なんとなく嬉しくなったりしませんか?
先日は仕事の帰りに寄ったスーパーで、なんと「1111円」という、スペシャルなゾロ目にちょっと感動したのですが、今日は別の意味で感動。

教具として使うあるものを東○ハンズに買いに行ったのですが、大中小各6個、あと、お月謝袋を2パック。
どれも、5円とか10円単位ではなく、一の位が1円とか6円とかそんな金額だったのですが(それも6個ずつとかだし…)、レジ完了の瞬間「1500」という金額表示が。
これはこれでちょっぴり感動した、単純な私。

休日のど~でもいい話ですみません…。(汗)

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2008年10月12日 (日)

ホントに楽しそうだなぁ。

昨日は睡魔との闘いに負け、気づけば朝になっていました…。(汗)
今日はOFFだったので、お洗濯や、しばらくサボっていた掃除や、この前からしようと思いつつ延び延びになっていた衣替えなんかをして、あとはダラダラと過ごしてしまいました。

昨日はレッスンの中で色々思うことがあったのですが、今日はOFFですし、明るい(?)話題を。

うちのスーパーくんのひとり、とっても元気でおおらかで好奇心旺盛な3年生くんのこと。
彼は1年生のときから来てくれているのだけれど、この子のセンスにはしばしば驚かされる。
でも、彼の場合、持って生まれた能力と好奇心、探究心がうまくリンクしている感じで、誰にやらされるでもなく、自らどんどんと色んなことを調べたり、学んだりしている。

そんな彼が昨日のレッスンで「ねえ、三角の面積ってどうやって出すん?」と尋ねてきた。
この子とは先週のレッスンから面積の学習に入ったのだが、そのあたりから彼の好奇心と探究心が刺激されたのだろう。

とりあえずはその日のレッスンの中ででこぼこの面積を求める問題などをやることになっていたので、「四角形の面積は今日やるから、三角形はレッスンをした後でね」と言って、まずは予定のレッスンを進めた。

昨日はたまたまお休みの子もおり、更にその日予定していた内容を全部終えてもまだ余裕があったので、方眼紙を取り出して、彼が面積を知りたい図形を描いてもらった。

レッスンの途中で彼が言っていた「四角形」というのは、長方形や正方形のことではなく、台形や平行四辺形などのことだということもわかったので、それも含めて、知りたい形をひとつずつ描いていってもらった。

彼が最初に書いたのは等脚台形だった。
まずは台形の下底の長さ(彼の図で6マス分)に合わせた長方形を台形の図に重ねて描いた。「これより小さいよね?」と確認し、次に上底の長さ(4マス分)に合わせた長方形を重ねて描いた。「これより大きいよね?」
そして、「なんか気づかへん?」と尋ねると、その図をちょっと見つめ、「これ(上底)とこれ(下底)の真ん中かなぁ?高さに5かけるんかな?あ、そうや~!」

次に彼は平行四辺形を描いた。今度は平行四辺形の底辺に合わせて長方形を重ねて描き、彼の反応を待った。
「あぁ~!ここ(底辺)掛ける高さで出るんや~!」

「じゃあ、これは?」と言って三角形を描いたので、三角形の底辺に合わせて長方形を重ねて描いた。
「えっと、これは長方形の半分やから…。」もう気づいている。

次に彼が描いたのは、方眼紙のマス目に対してどの辺も斜めになっている三角形だった。
言ってみれば、中学校で一次関数を習ったときなどに、座標平面上の三角形の面積を求めるというような感じで出題される系統の問題だ。
でも、この子はそれもわかるんだろうなと、その三角形が収まる長方形を重ねて描いた。
そして、周りにできた3つの直角三角形を赤鉛筆でなぞると、もうそれ以上の説明はいらなかった。

そして、彼は言った。

「すご~!どんな形でも求められるん?五角形とかでも求められるんかな?」

そういって描いたのは五角形どころか、なんだこの形は?みたいな、くちばしみたいにとんがったところもある多角形だった。

「う~ん、これはちょっと難しいねぇ。」

そう言って、図形を直角三角形や長方形に分割していった。答えまで求めたわけではないけれど、分割してそれぞれ求められるのがわかると、「わぁ、すご~!」と彼はにこにこした。

この子の好奇心はどこまで広がっていくんだろう。
公式を教えられるよりずっと前に、彼自身が知りたいと思い、ほんの少しの手助けをすれば、彼はこうして色々な図形の面積の求め方を彼なりに理解していく。
なんてすごいんだろうと思った。

そして、そんなやりとりをしながら、ほかの子たちにもこんな風に、学校で教わる前に発見してもらえたら楽しいだろうなぁなんてことも思った。
子どもたちは本当にいつもいつも私を驚かせてくれる。

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2008年10月11日 (土)

すみません・・・。

今日は色々思うこともあったし、書こうと思っていたこともあるのですが、現在なぜか激しく睡魔と格闘中…。
もし闘いに勝ったら、後ほど更新いたします。

自分が忘れないように覚書…。
子どものまぶしいほどの目の輝き。
意味を考えずにただ計算練習を繰り返すことの怖さ。

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2008年10月10日 (金)

ありがたいなぁと思う。

今年はこれまでの人生で最大級にトラブル続出という印象がぬぐえない年で、ここ最近は何か起きても、今年はもう仕方ない…と多少開き直れるようになったけれど、それにしても本当によくこれだけ次々と…というぐらい何かしら起きた年だ。

ただ、何かしら起きるたび、必ず誰かしらの温かい気持ちに救われ、支えられ、こうしてやってこられた。

そして、今日また改めて、ああ、本当に本当にありがたいなぁと思ったことがあった。

昨年、ブログがご縁でお知り合いになった県外の先生がいる。
本州の西の端の方におられる方で、受けている子どもの年齢層は全く違う先生なのだけれど、なぜかいつも本当によくして頂いている。

その先生が今日、大阪方面に用事で出てこられる予定だとは伺っていて、お時間があればと言って頂いていた。
ただ、午後からはほとんど時間が取れないので、ほんの1時間やそこらのためにわざわざ途中下車して寄って頂くのもなぁと、一応は多少遠慮してみたのだけれど、「ちょっと伺います」とおっしゃって、1時間ちょっとしかないにも関わらず、わざわざ寄ってくださった。

お気楽で鈍感な私は、わざわざ寄って頂いてもお構いもできないし、レッスンを見て頂いても何の参考にもならないのにな~とか思いつつ、近況などを話してお別れしたのだが、その後ようやく気付いた…。(ホント鈍感過ぎ…。)

9月にちょっと予想外の出来事が起き、概要はお伝えしていたものの、どうやらかなり心配してくださって、それでわざわざ直接様子を見に寄ってくださったに違いない…。
お話した内容から考えても、その後頂いたメールから考えても、それはもう間違いない…。

本当にただブログがご縁でお知り合いになったというだけの方なのに、そんなに心配してくださる。本当に本当にありがたい。
もちろん、この先生以外にも、本当にありがたい、あたたかいお心遣いをたくさんに頂いて、しみじみと幸せだな、ありがたいなと思う。

いつもして頂くばっかり、お気持ちを頂くばっかりで、私は何もお返しできていない。
もっとしっかりしなくちゃな。

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2008年10月 9日 (木)

まだうまくまとまらないけれど。

レッスンをしていてときどき、子どもたちが言うことがある。

「お母さんにやり方教えてもらった」
「お父さんがこうやったら簡単って教えてくれた」

子どもたちはお母さんやお父さんが大好きだから、大好きな人が教えてくれた方法を、大抵の子が喜んで使おうとする。

しかし、例えば、まだ数量感がしっかり身についていない子にとって、100までの繰り下がりのある引き算や1000までの計算などは、考えるのに時間がかかる。
それは当然のことで、もともとスピードなんて求めていない。

ただ、私自身、今の教材に出会うまで、繰り下がりのある引き算を上の位から計算していく感覚なんてなかったし、慣れてしまえばその方が簡単なぐらいではあるけれど、慣れるまではやはり多少時間がかかった。

ということは、世の大半の大人は繰り下がりのある引き算は下の位から考えるのだろうし、桁が増えてくると当然のように筆算をするのだろう。

スピードが要求されるのであればそれでいいだろうし、高学年や中学生、それ以上になれば、単純計算はテクニックとして片付けて、正しい答えが素早く出ればそれでいいという面も出てくるかもしれない。
けれど、まだ小さい子どもたちにはそれは求める必要はないし、本来求めてはいけないのだと思う。

1年生や2年生の子なら、2けた同士の繰り下がりの引き算を数量感のないまま答えだけ出せる必要はないんじゃないかと思う。
当然、スピードを要求する必要もないんだと思う。

もちろん、学校などではスピードを競わせる先生もおられるようだし、そのあたりはなかなか難しいところもあるとは思うけれど、少なくともお家では「やり方」を教えるのではなく、その数がどのぐらいの大きさなのか、それを感じさせてもらえたらありがたいなと思う。

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2008年10月 8日 (水)

ささやかだけど嬉しかったこと。

教室に来てくれている子たちは本当にみんな可愛いけれど、一所懸命頑張っても、やはり一人一人個性も能力も違うので、みんな同じ成果が出るわけではない。
中には算数がかなり苦手な子もいるので、そういう子たちには、状況を見ながら必要に応じて普通より多めにヒントを出したり、解く問題を選んだりと、できる限りそれぞれに対応する。

で、時間計算は多くの子が苦手とするところでもあり、すんなりできなくても普通ではあるのだけれど、特にピンと来づらい子が何人かいる。
そのうちの1人の子とレッスンをしていたとき、これまで何度か時間計算をした後のおさらいとして、ちょっと久しぶりにそれをすることになった。
さて、どうだろうと思って見ていると、残念ながらかなり不思議な答えを書いている。
時間の部分は何時間増えたかを見ているようだけれど、分のところはどうやら2つを足してしまっているようだ。

この子にはこれまでも色々な考え方を提示し、必要であれば時計の針を回して考えてもらったのだけれど、どうやらまだピンときていないらしい。
でも、今回は私の方がなんとなく思ったのだ。別に時間計算がすらすらできなくたっていいじゃんと。指折り数えたって、それでわかれば別に困らないよね?と。

例えば、午後6時40分から午後9時10分までだと、その子は初め、3時間50分と答えを出していた。(6時から9時で3時間。40分と10分で50分。)
なので、まず、6時40分から1時間、2時間、3時間たった時刻をそれぞれ尋ねてみた。

1時間ずつ尋ねると、間違えずにきちんと答える。で、3時間経ったら9時40分になってしまうことを確認して、じゃあ3時間は経ってないねと。
そこで、9時10分になる前で、2時間後の時刻、8時40分をメモしてもらい、そこから9時10分まで何分あるかは時計を見てもいいよと声をかけて考えてもらった。
時計を見ながら、少し考えて「30分」と答えてくれた。

そこで、ここまでが2時間、そこから30分ということを確認して、答えに辿り着いてもらった。
もう1問一緒にやった後は、その考え方でわかるようになったらしい。これまでになくすんなりと、間違えずに答えを出していってくれた。
なんだか嬉しかった。

もちろん、そのぐらいすっとやってしまう子も少なくない。
でも、色々試行錯誤して、その子は現時点でその方法が一番納得できたということなんだろう。
それがベストの方法かどうかはわからないけれど、その子自身がピンとくる方法が見つかって、なんだかとても嬉しかった。

まだまだ頑張らなくては。

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2008年10月 7日 (火)

かなり複雑…。(苦笑)

昨日だっただろうか、午前中、まだ家にいたときに家の電話が鳴った。
最近は家の電話が鳴るのは実家からでなければ、勧誘の電話ぐらいで、どっちかなぁと思いながら出ると、どうやら勧誘っぽい口調。
(ああ、しまった…。さて、どうやって切るかな・・・。)と思いながら、電話の向こうの女性が話すことを聞いていた。

すると、なんと意外なことに、小中学生を指導する方を募集しているというではないか。
そもそも、こういう電話はどこかで名簿が出回ってとかだろうから、おまけに「小中学生の指導」ということであれば、大学時代の名簿かな?という感じではあるけれど、そこは尋ねそびれ、続けて「○○さまは今何かお仕事は?」と尋ねたその女性に

「自営で教室をしていますんで。」

そう答えると、「そうですか。それは失礼致しました。」と電話を切った。

しかし、今日帰宅してポストを見ると(ってことはまさに名簿を持ってるってことなわけだけど…。)何か見慣れない差出人の封筒が入っていた。
なんだろうと思って封を開けると…。

「先日は突然のお電話で失礼致しました。
 ○○様も学習指導を既にされていると伺いましたので、当社のシステムをご覧いただきたく、資料をお送りします。
 是非、ご高覧の上、ご検討ください。」

と、非常に丁寧な文面ながらも、その会社の教材・利用のシステムなどの資料が同封されていた…。

これって私への挑戦?(苦笑)
自営で教室をしていると言ったって、きっと大したことなくて、新しい何かを求めているのでは?と思われたということ??(まあ、実際、規模的には全然「大したことない」のは事実だけど。(笑))

それにしても…。
これって普通のことなのだろうか……。う~ん…。

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2008年10月 6日 (月)

怠惰な休日。

最近、なぜなのかやたらと眠くて、夜は気がついたら寝てしまっているという日がかなり続いています…。
季節的なものなのかなんなのか…。

しなくてはと思っている仕事はいっこうに進まず、追い込まれないとやらないんだろうなぁと、お尻に火がついて慌てて必死でやるんだろうなぁと…そんなことを思う今日この頃。

10月ももう6日が過ぎようとしていて、今月中には絶対しなければならないこともあって…。
ホントにぐずぐずしている場合ではありませんね。

ただ、本当は休日は完全に仕事を忘れて気分を切り替えてリフレッシュした方が仕事の効率も上がるんだろうなとは思うのです。
それがなかなかできなくて困っているわけですが…。

結局今日もなんだかだらだらと過ごしてしまいました。
また明日からがんばります。
内容のない記事ですみません…。(汗)

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2008年10月 5日 (日)

嬉し過ぎるリアクション

以前に書いたことがあるかと思うけれど、理由はわからないものの、なぜか体験レッスンに来てくれた子たちのほとんどが、その場ではもじもじしたり、ちょっと困ったような表情をしたりして、「やりたい!」とか「また来たい!」とか言ってくれない。
なのに、表に出た途端、「楽しかった!」という声が聞こえたり、帰られてすぐ「是非通いたいと言っているので…」というような連絡を頂いたりなんてことも珍しくない。

それは一体なぜなのか、私にはよくわからないのだけれど、それでもその場で言ってくれる子は滅多にいないというのが私にとって当たり前になっていた。

で、今日、ご紹介で体験に来てくださったご家族がいたのだけれど、レッスンをさせてもらった小学生の可愛い女の子は、帰り際、「また来たい!」とすぐに口にしてくれた。
それだけでも私にとっては結構新鮮で嬉しかったのだけれど、少し距離のある方でもあったし、曜日や時間がかなり限られていることもあり、おうちの方のご都合もあるだろうしと「もう少し近かったらね~、またどうぞって言えるんだけどね~」と答えた。

すると、その次の瞬間。

「引っ越しする!」

予想外のすごい答えが返ってきた。(笑)

もちろん、そんなことはあり得ないし、引っ越さなくてもなんとか通って頂けるのではという距離ではある。
ただ、初めから距離のことはおうちの方も気にしておられたし、私も小さい子は距離的な負担も結構大きいと思っていることもあり、通って頂けない可能性があるので、彼女に期待させてしまってはと、敢えてそう言っただけのことだった。

それにしても、引っ越してでも通いたいと思ってもらえたことは、やはりとてもとてもとてもとても嬉しいことだ。
日曜出勤だったけど、なんだかとても幸せな気持ちにしてもらって、素敵な日曜になった。

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2008年10月 4日 (土)

今週も終了。

今週もなんとか無事に終了しました。
とは言っても、明日は振替などでレッスンが2つあるので出勤なのですが。

今日は仕事のあと、友人たちと教室のほど近くの串カツ屋さんに行って、いっぱい食べてきました。
私は前世や生まれ変わりはあるんじゃないかと思っているのですが、友人の一人はかたくななまでにそれを否定し、それらは全て脳や遺伝子の研究が進めば解明されるのだと。

実際、遺伝子を調べることで色んなことが分かってきているようですが、わかった方がいいことはもちろんあるのでしょうけれど、全部わかった方がいいのかどうか、そのあたりはどうも複雑な気持ちです。

将来的に、もし遺伝子操作ができるようになって、優秀な人間を作り上げることができるようになるとしたら…。
あまのじゃくな私は、作り変えてほしいとは思わないような…。
ただ、お腹の中や生まれて間もない頃にそういうことをされてしまえば、本人の意志など存在しない訳で…。

まあ、友人との他愛ない会話から、考えても仕方のないことをちょっと考えてしまったのでした。
今日は手抜き更新でお許しを…。

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2008年10月 3日 (金)

どんよりしたら要注意

レッスンをしていて、時間の終盤になると、電池切れになってそれまでできていたことや、普段なら明らかに簡単なはずのことができなくなるという子は少なくないけれど、それ以外に、ほんの今まで元気だったのに、途端に眠そうな表情になったり、どんより沈んだ表情になったり、動きが急激に鈍くなったり(子どものタイプによってはかえって落ち着きがなくなることもあるけれど)したときにはちょっと気をつけなくてはと思った。

というのも、ここ最近、レッスン中に急激に眠そうになったり、ペースががくんと落ちたりした子が、プリントが変わったらその途端に目がパッチリ、ペース復活!みたいなことが何人か重なったのだ。

特に、小さい子であればあるほどその変化は見事で、たった今まで元気だったよね?というような子が、ちょっと難しそうな問題になると途端に目がとろんとしたりするのだ。

相手が幼児だったりすると、疲れて眠くなったのかな?と思ってしまいがちなのだけれど、そういう子たちもその子が得意なプリントや教具などになった途端、また完全に復活して取り組み始めたりするのだ。その変化は本当に驚くほど。

とすれば、子どもたちは本当に敏感だから、難しいもの、できなさそうに感じるものを目の前に出されると、センサーが働いて活動が止まってしまうようになっているのかもしれない。
子どもの判断だから、実際にやってみたら難しくない場合もあるけれど、突然眠そうになったりした場合は、その問題の難易度が今のその子にはうまく合ってるのかどうかを疑ってみる必要がありそうだ。

相手が小さいと、ついつい「ああ、疲れて眠くなったのかな」と思ってしまいがちだけれど、そうでない場合が少なからずあるのだということを、しっかり意識しておかねばと思う。

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2008年10月 2日 (木)

今ってそんなこと言うのかな?

子どもの頃、悪いことをしたらお天道様が見ているとか、神様のばちが当たるとか、そんな叱られ方をしたことがある。
親からに限らず、先生や周りの大人がそんな言葉を口にすることは少なからずあったような気がする。

「国家の品格」だったか、「武士道」だったか、なんだったかはっきり覚えていないけれど、昔、日本には「卑怯」ということを恥じる感覚があり、例えば、自分より弱い者をいじめることは「卑怯」なことだから、それはしてはならないという判断があったというようなことを読んだ記憶がある。

その感覚はなんだか私にはよくわかる。
卑怯なことはカッコ悪いことだし、人を傷つけないにしても、何か卑怯なことをしてしまったら、それはやはり良心がとがめたりするものだ。

でも、今の子どもたちにそんな言葉をかける大人はいるんだろうか?

「いじめはいけないこと」と子どもたちに言ったとき、「なんでいけないの?」と聞かれたら、今の大人はどんな風に答えるんだろう?
「自分がされたらどう思う?」的な問いかけをして、子ども自身に考えることを促したりすることも少なくないような気がする。

では、もし、そう尋ねた子が「自分がされても平気」と答えてしまったらどうなるだろう?
理屈で納得させられないことだってあるかもしれない。
これはやはり、「卑怯なことはしてはいけない、カッコ悪いこと」という価値観を子どものうちからしっかりと根付かせることが大事なんじゃないだろうか。

いじめはしたらいけない理由なんて説明するまでもなく、「卑怯でカッコ悪いからしたらダメ」。
誰も見ていないからと思って、道にゴミを捨てるのは「お天道様が見ているからダメ」。
物を粗末に扱ったら、「ばちが当たる」。
そんな感覚は、今の子どもたちにはあるんだろうか…。

レッスン後にもらえる飴は1人2つまでと決まっていて、ときどき「3つがいい~!」という子がいても、それは絶対2つを守ってもらうようにしている。
しかし、つい先日、私は見ていなくて気付かなかったのだけれど、ほかの先生の目を盗んで、こっそり3つ飴を持って帰った子がいたらしい。

まだ幼い子だ。きっと選べなくて、どうしても3つほしいと思ったのだろうけど、ちらちら先生のほうを見ながら、バレていないと思って持って帰ってしまったそうだ。

私は見ていなかったのだから、後日その子に注意することはできない。
気付かなかったのは私の責任でもあり、その場で気づいていたら「みんな2つだからね」と声をかけられたかもしれないが、タイミングを逸してしまった。
だから、その子が次のレッスンに来るときに合わせて、缶の蓋にメモを貼っておいた。

「あめのゴミはきちんとごみばこにすてましょう。
 あめはひとり2こです。きまりはまもりましょう。」

その子の良心がチクッと痛んで、もうこんな嫌な気持ちにはなりたくないと思ってくれたらいいんだけどな。。。

この方法がよかったかどうかは自分でも判断できずにいる。
ただ、何もしなければ、その子はそんなことを繰り返してしまうかもしれない。今はただ飴1つの話だけれど、それがずるいこと、卑怯なことなんだと、早いうちに気付いてほしいと思ったので、何かできることはと考えて、みんなへの注意みたいな形でメモにした。

もしかしたら、何かもっといい方法があったのかもしれない。
私だったらこうするというご意見があれば、今後のためにもお聞かせ頂けたらありがたく思う。

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2008年10月 1日 (水)

もう10月!!!

今年も残すところあと3か月になってしまいました。
新年度は折り返し。なんだか本当に恐ろしい早さです。

明日こそは、明日こそは…と延ばし続けていることは、今日やらないと手をつけぬまま年末になっているかもしれません…。

といいつつも、今日はすでに0時になり、おまけになぜかさっきからちょっとお腹も痛い…。(苦笑)
まあ、大したことはないので大丈夫ですが、明日こそはちゃんと起きて、午前中から時間を有効に使いたいと思う次第です…。(今日既に挫折してしまいましたので…。)

で、皆さんにとっては全くどうでもいいことだと思いますが、昨日ちらっと書いた、面積の図から2けた同士の掛け算につなげるというのは、多分子どもたちにはかなりわかりやすいような気がしています。
うまく考えれば、計算の工夫とかもそこから思いつくようになるのではとさえ思います。
ちょっと真剣に考えてみたいところです。

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