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2008年8月24日 (日)

速けりゃいい、たくさんならいいってもんじゃない。

大人になってしまうと、時間は限られていて、それこそ、仕事というののは時間をお金に交換しているようなものという一面もあったりするわけで、そうなると「速いことがいいこと」、「量をこなせることがいいこと」と思ってしまうところはある。

実際、私自身、時間の使い方が下手で仕事が片付かず、そのくせ休日にはダラダラしてしまって自己嫌悪に陥ったり…。
結局は限られた時間内にどれだけのことをやれたか、どれだけ有効に時間を使えたかということがひとつの評価基準となって暮らしている。

「限られた時間内に人よりたくさんのことをこなせること」が仕事のできる人、能力のある人、そんな風に多くの大人が思っているのではないだろうか。

もちろん、芸術家や職人など、作品で評価される方々もいるので、全ての大人がそう思っているとは言わないが、大多数の大人がそういう感覚を持っているというのは恐らく間違いではないだろう。

しかし、そこで気付かねばならない。
それはあくまでも「大人の世界」での話だということに。少なくとも、乳幼児期、小学校低学年の間ぐらいまでは、「速いことがいいこと」とは言えないことがたくさんあるからだ。

私は子どもを持ったことがないが、赤ちゃんが生まれたとき、早く寝がえりをうてとか、早くはいはいしろとか考える親御さんはまずおられないのではないだろうか。
初めて歩くときだって、少しでも早く歩かせたいと、無理に立ち上がらせたり、スパルタで特訓する親御さんも恐らくおられないだろう。

もちろん、周りのお子さんと比べて歩くのが遅いと心配になってあれこれやらせてみようとされることはあるかもしれないが、他の子よりも早く歩かせようという考えはまず持たれないのではないだろうか。

初めて言葉をしゃべるときだって、初めてしゃべった言葉がただただ嬉しくて、いとおしくて、もっとしゃべってほしいと思うかもしれないが、教え込んで「もっとしゃべれ!」とお尻を叩く方はまずおられないだろう。

そして、仮にそうしたからと言って、実際に早くたくさんしゃべれるようになるかどうかはわからない。むしろ、下手をすれば何か逆効果にさえなるのではないかと思える。

赤ちゃんのときにはきっと、周囲の大人は赤ちゃんの成長のペースを見守り、少しの変化に気づき、喜びながら過ごしているはずなのに、乳児期を過ぎると徐々に、親に限らず、子どもを取り巻く大人たちの多くが「子どものペースを見守る」ことを見失い始める。(それは私にもまだまだ言えることだと思う…。)

ちゃんと歩けるようになり、ある程度おしゃべりもできるようになると、知らず知らずのうちに「大人の基準」で子どもを測ってしまいがちになるのかもしれない。
愛するがゆえ、よその子どもと比較して、何か遅れていることがあるとついつい焦ってしまったりするのかもしれない。

しかし、子どもには子どもの成長のペースがある。
そして、子どもには子どもの考えるペースがある。

子どもの成長は時として大人が目も見張るほど速いものでもあるけれど、それぞれの子どもでそのペースは違うだろうし、考えるペースに至っては大人が思うより遥かにゆっくりである。

もともとゆっくりしか考えられない子に速さを求めたらどうなるだろう?
本人はまだ考えている途中で、その時間をゆっくりと味わっているのに、大人が横からあれこれ口出しをして、その穏やかな時間を遮ることを繰り返したらどうなるだろう?

これまでにも何度も同じようなことを書いているかと思うけれど、本当の本当に子どもたちが考えるにはゆっくり時間が必要だ。
例えば、「13-7」などの問題でも、大人であれば即答えが出るかもしれないが、計算を反復して答えを暗記しているような場合はともかく、これを考えて答えに至る場合、子どもによって違うとしても、まず13という数のイメージを思い浮かべ、そこから7を取っていく作業をイメージして、やっと答えに至るという手順を踏めば、初めのうちは特に時間がかかる。
もちろん、何度も繰り返させれば速くはなるが、速くなった時点で、それは「考える」という行為ではなくなっているのだと思う。

大人たちはどこかでたくさんやれば速くなるし定着すると思っている。
そして、それはある程度成長した段階では事実なのだろうとも思う。
ただ、それをさせる時期はやはりしっかり見極めなければならないのではないだろうか。

私は本のわずかな知識しかないが、脳の神経繊維はある段階から刈り込みが始まり、それまでにあまり使っていなかったところは不必要なものとして刈り込まれてしまうともいう。
だとすれば、もし我が子に考える力をつけたい(というか、子どもたちは本来考える力をたっぷり持っているのだと思うけれど)と望むのであれば、幼い時期はじっくりゆっくりいろんなことに触れ、色んなことを考えることの方が明らかに大事で、その時期に同じことを大量に素早く繰り返させる学習は選ぶべきではないのではないかと思う。

もちろん、結局は何を望むかというところになってくるのだと思うけれど。

少なくとも私は、これまで子どもたちを見てきた限りでは、それぞれの子が心行くまで考える時間をこちらの時間の許す限り与えるようにしていくと、初めはうんと時間がかかっていた子たちがある時期から加速し始めたりすることを何度も目の当たりにしてきた。
その順番は間違えてはいけないのだろう。

最初はじっくり、ゆっくり、心行くまで、それがとても大事なんじゃないかな。
改めてそう思う。

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