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2008年7月14日 (月)

考えてみれば矛盾してない?

学校というところについて、この前から書きたいと思っていることがあるのだけれど、今日も気付けば遅くなってしまっているし、なぜかさっきからちょっとお腹も痛かったりして、またまた軽めの更新でお許しを…。

教室の子どもたちやおうちの方から話を伺っていると、やはり今でも少なからず、タイムを計るなどして、計算などのスピードを要求されるテストや授業があるようだ。
もちろん、それが全てダメだとは言わないけれど、子どもだってみんな能力も興味の対象も何かをするときのテンポも全部違うのに、こと計算となったら、何度も何度も繰り返し練習させたりして、どうにかタイムを縮めさせようとしたりする。

けれど、ふと思ったのだ。
小学校の頃、体育の時間に50メートル走や100メートル走なんかをしてタイムを計られることがあったけれど、そのとき、タイムを計る前にどうすれば速く走れるかなんて練習をさせられた記憶はないし、タイムを計った後も、遅かった子を居残りさせたり、別に集めて走り方を指導してタイムを縮めさせようとしたりという先生は、私の記憶にある限りはおられなかったように思う。(もちろん、そういう先生もおられるのかもしれないが。)

走る速さは子どもたちそれぞれに走らせておいて、○○ちゃんのタイムは何秒、××ちゃんのタイムは何秒と記録するだけだ。
速かった子はクラスメイト達から憧れられたり、称えられたりして、遅かった子はちょっと劣等感を感じたりもして、だけど、それだけだ。

走ることに関しては「能力の差」ということで片付けてしまっているということなんだろうか?
だとしたら、それは甚だ矛盾していないか?

走るのが速い子もいれば、遅い子もいる。
もちろん、訓練で今の自分より速くなることはある程度は可能だろう。しかし、あくまでも基準は「今の自分」であって、全員が同じように速く走れるようになるなんて思っている先生はまずいないはずだし、実際、そんなこともあり得ないし、求めないだろう。

だったら、計算だってなんだって、やっぱり速い子もいれば、遅い子もいるのだ。
そして、遅い子は練習をしたら必ず速くなるかといえば、恐らくそれも走るのと同じように、「今の自分」より速くなることは可能かもしれないが、それ以外の目標を設定するのは何かおかしくはないか?

どうもそのあたりのことでこのところもやもやしている。

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