« 大胆な仮説(というほどすごい話でもないけど…) | トップページ | すみません・・・ »

2008年7月 7日 (月)

大胆な仮説(続き)

最近は一人っ子のご家庭も少なくないし、兄弟がいても大抵は2人。3人以上となると割合としてはやはり少なくなってくるように思う。
子どもが少ないと、ひとりの子にかけられる時間や費用も多くなるはずで、本来、一般的に考えるとそれがなぜ学力低下の原因と?という話だろう。

ただ、小さい子たちとレッスンをさせてもらうようになってから、いつも感じていることがある。
これまでにもブログに何度も書いているけれど、子どもたちが考えるために必要な時間は、大人が思うそれよりも遥かに長い。
もちろん、問題によっては大人より瞬時に答えに辿り着くなんてこともあるけれど、これまで見てきた子たちのほとんどが、それがスーパーくん、スーパーちゃんであったって、当初私が予想していた時間の2倍や3倍の時間かけて考えるということは決して珍しくなかった。

最近でこそ、ある程度年数を重ねてきたので、おおよその見当はつくようになったけれど、それでも子どものタイプによっては考えているのか、わからなくて思考停止しているのか判断がつかないこともあり、そういうときには「考えてる?もしわからんかったら言ってね」と声を掛けて様子を見るようにしているが、そう声を掛けた子で「わからん」と言った子はまずいない。

子どもはじっくりじっくり時間をかけて、心行くまで自分の頭で考えた末、答えを出すのだ。
そして、誰にも邪魔されることなく考えることを繰り返すうちに、徐々に考えるスピードが上がり始め、そのうち、こちらが追い付けないほどのスピードになっていくのだ。
最初っから大人なみの速さで考えられる子には、今のところまだ出会っていない。

私自身、初めはどのぐらい待てばいいのかわからなかった。
それでも、考えている途中にそれを遮るのは避けたかったので、声を掛けて、待てる限り待つようにしてきた。
塾講師時代には、困っているなと思ったら、即座にヒントを出したり、わかりやすく説明したりしていた私にとって、そのペースに慣れるまで結構な時間がかかったことを覚えている。

で、今回の仮説。

お手伝いしてもらっている先生方も、当初はやはり明らかにまだ子どもが考えているタイミングでヒントを出そうとするのを待ってもらったりということも珍しくはなかったし、体験レッスンなどの際、側に保護者の方がついておられると、(ああ、まだ考えてるのに…)と思うタイミングで手を貸したり、ヒントを与えたりしてしまわれることも少なからずある。

教室を始める前の私も、多分こんなに待てなかったと思うし、始めてからしばらくも、ただ黙って見守っているだけでいいんだろうか?というジレンマにしばらくは悩んだりもした。
それでも、「教えることは子どもの能力を潰すこと…」と言い聞かせて(もちろん、教えるべきことは教えなくてはいけないのだけれど)、ぐっと我慢することを続けていくうち、ようやくだんだん子どものタイミングがわかるようになってきた。
それでもまだ子どものタイプによっては今でも判断がつかないことだってある。

つまり、恐らく圧倒的多数の大人は、「子どもが考えている間じっと待つ」ということがしばしば困難なのではないかと思うのだ。
待っているつもりで、もうわからないのだろうと判断して助け船を出すタイミングは、しばしば子どもにとっては早過ぎるのではないかと。

子どもが少なければ尚のこと、ひとりの子どもを見ることができる時間は増える。
じっと見ているということは、尚更待てずにヒントややり方を教えてしまう確率も増える。
その結果、そういう子どもたちはどうなっていくだろう。
もちろん、全ての子がそうなるとは限らないし、ある程度大きくなれば「やめて」ということもできるようになるかもしれないが、小さいうちからそれを繰り返されたら……。

わかりやすい例で言うと、子どもが一所懸命になぞなぞの答えを考えている。ああ、もう少しでわかりそう!!と心の中でワクワクしている。そのとき突如としてヒントや答えを言われたら、子どもは腹を立てるかがっかりするだろう。
そんなことを何度も何度も繰り返されたらどうだろう?
「もうなぞなぞなんてキライ!」と思うか、「どうせこれでしばらく考えているふりをしたら答えを教えてもらえるし…」と思うか、「考えたってどうせ途中で邪魔されるんだから、もう考えない!!」と思うか…。

それと似たようなことを子どもたちはしばしば感じているのではないだろうか。

ご両親が共にお仕事をしておられるとか、兄弟がたくさんいるとか、そういう子たちは、自分だけであれこれ考えたり、試行錯誤したりする時間を比較的手に入れやすい分、ある面で恵まれているのかもしれない。

もちろんこれは一般論で、じっくりゆっくりお子さんのペースで待っておられる方ももちろんたくさんおられるだろうと思う。
ただ、教室に来てくれている親御さんたちの中にも、その熱心さゆえ、黙って放っておくこともできず、「子ども時間」を待ち切れずに手を貸してしまわれる方もおられないわけではない。
ということは、熱心な親御さんは多かれ少なかれそうなのかも?と思ったのだ。

心行くまで考えて、自分で答えに辿り着く経験を重ねた子たちは、決して考えることを嫌ったりしない。
放っておいても勝手に考えるようになる。こちらが声をかけることがはばかられるぐらいに。

子どもの「考える力」を伸ばしたければ、小さいうちはなるべく「黙って見守っている」ことを大事にされるのがいいんじゃないかなと、改めてそんなことを思う。

|

« 大胆な仮説(というほどすごい話でもないけど…) | トップページ | すみません・・・ »

コメント

ごぶさたしております。

確かに待つことって難しいですよね。
自分も、せかすような声かけをしなかったり、あえて視界から外れるような位置にいたりすることがあります。
小学生の場合、1日にやらなければいけない分量を決めているわけではないので、できることなんですが、中学生は進度の問題もあってなかなか徹底することができません…

うちでは、早く来てしまった生徒用に間違い探しのプリントを置いているのですが、黙々と探している子もいれば、私や友達に「ヒントちょうだい」と言っている子もいます。

これも、周りで待ちきれなかった大人がつい良かれと思って「ヒント」を与えてしまったから、子どもが「少し待てばヒントもらえる」と思ってしまうんでしょうね。

改めて「待つこと」の大切さを考えることができました。

投稿: たかとりーな | 2008年7月 8日 (火) 23時23分

たかとり~な先生、こんにちは。
コメントありがとうございます。
中学生以降になると、定期テストなどがあり、どうしても難しくなって
くるでしょうね。
それに、中学生までにどういう風にしてきたかで、既にかなりの部分
確立してしまっているところもありますから、小学生の間にどうするか
というのはより重要なんだろうなと思います。
なかなか難しいことですが…。

投稿: TOH | 2008年7月10日 (木) 11時41分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大胆な仮説(続き):

« 大胆な仮説(というほどすごい話でもないけど…) | トップページ | すみません・・・ »