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2008年7月31日 (木)

大変だろうけど、やっぱりほしいなぁ…。

随分前からぼんやり思い続け、いい加減本気で考えなきゃと思ったら、今年に入り何かとトラブル続きで、あっという間に夏になってしまいました。
もともとは、今使っている教材では抜けている単元や、内容のボリュームが薄い単元、難易度が高過ぎて、そこまでのものは望んでいない場合に対応するものなど、フォロー分の教材がほしいと思っていました。

ただ、一気にはなかなか…で、今いる子たちに必要なところを優先して、あまり人様にお見せできるようなものではないものの、一部、教室で使うためだけの素人丸出しな感じのプリントは作ったりはしていました。

でも、こうして教室を続けていると、やっぱりとってもほしくなってきました、もっともっときめ細やかに分かれた教材が。

例えば、2桁同士のひき算ひとつとっても、今の教材だけですんなりクリアしていく子もいれば、フォロー用の教材を数枚追加すればいける子、かなりの枚数の追加が必要な子、最終的には筆算でできればよしと判断するに至る子など、本当にさまざまなのです。

子どもの能力や興味の対象はみんなそれぞれ違いますから、みんなが同じように同じことができるようにならねばならないとは考えていません。
今の自分よりできるようになることがそれぞれの子どもの目標だと思っています。

そう思っているのだから尚更、例えば、本当に例えばですが、2桁同士のひき算の単元でも10週分ぐらいの教材を用意しておいて、それぞれの子に合ったものをピックアップするような、そんなことができたら、もっともっと子どもたちは楽しく学べるんじゃないかと思うのです。

もちろん、何かがきっかけで、それまでは(この子は筆算じゃないと難しいかなぁ?)と思っていた子がすらすら暗算できるようになることもあります。
でも、子どもたちを見ていて感じるのです。

基準はあくまでも「その子にとって難しいか簡単か」であって、一般的に見て難しいとか簡単というのは、それぞれの子にとってはあまり意味のないことです。

そして、さっきまでうんうん唸って苦しそうな顔をしていた子が、ある瞬間、ふっと表情が変わって、すらすら問題を解き始めることがあります。
ほんの少し前までは、その問題をやることを嫌がっていたのに、表情が変わった瞬間、その問題をもっと解きたがるようになったりもします。

それぞれの子が表情の変わる瞬間を見るためには、やはりもっともっと幅の広い教材があればいいなと思ってしまうのです。
それぞれの子にとって、「初めの段階では適度に難しいもの」をうまく与えられたら、きっともっともっと子どもたちは伸びていくんだろうなと思うのです。。。

まだ今の段階ではあまりにも抽象的で、自分でもどうすればいいのかというところですし、仮にそれを形にしても、そんな使い勝手の悪い、準備に手間のかかる、無駄の多い(全部教える側からすればの話ですが)教材を使いたいと思う方なんてまずいないでしょうから、作ったとしても使うのは私だけでしょうけど。(笑)

実際、もし作っても、明らかに今より教材管理が煩雑になるのは確実なので、そのあたりのことも考えてからじゃないと、作っても自分でも使えないなんてことになりそうな危険もありますが…。
どこかで時間を見つけて(って、午前中を活用すればいくらでもあるはずなのですが…)ぼちぼち再始動しなければと思います。

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2008年7月30日 (水)

悲しくなるニュース

例によって、私の情報源の大半はネットのニュースなので、バタバタしているとあっという間に「浦島太郎化」が進行するのだけれど、ここ最近、これもまた私はおおよそのことしかわかっていないけれど、連日のようにニュースになっている「教員採用試験の不正合格」のこと。

事実はどうか知らないが、確かに教員採用やら公務員採用やらにはコネがあるかないかが大きいという噂は昔から聞くけれど、こんなに大々的に長きにわたって、そういう不正が行われていたことが明るみに出て、なんとも言えない気持ちだ。

どの程度得点に下駄をはかせてもらったのかなどはそれぞれ違うのだろうし、実際のところ、採用試験の得点と教師として求められる力とは必ずしも一致するものではないとも思うから、不正に合格した人たちの中にも、教育に真摯に取り組んでいる人もいるのかもしれないし、優秀な人もいるのかもしれない。

けれど、企業やら、大人相手の公務員やらではなく、これから限りない可能性を秘めた、大切な大切な子どもたちを任せる「教員」の採用には、大人の都合の不正はやはり絶対入り込んではいけないと思う。

エライ立場の人の子息だったり、エライ人から口利きのあった人の子息だったり、もっとひどいのは金品を渡して頼んだ人の子息だったりを優遇するのは、子どもたちに対してあまりにも失礼な行為とは思わないんだろうか…。

そもそも、不正合格者でその事実を知っていた人がいたとしたら、そんな人がなぜ子どもたちに「正しいこと」を指導できるんだろう?

実際のところはわからないけれど、なんとなく、採用側の人間の中に「たかが子ども相手の仕事だから、誰がやったって大して違わないだろう」ぐらいの意識があったんじゃないかと思ってしまう。
だとしたら、本当に本当に嘆かわしいことだ。

子どもたちは真っ白で、素直で純粋だ。
どんな人と出会うかでよくも悪くも変わる。
もちろん、家族からの影響が一番大きいだろうけれど、家族や親戚ではない大人の中では、教員の影響力は決して小さくないように思うのだ。

その人たちを採用するということが、どれだけ重要なことなのか、採用する側の人たちにしっかりわかってほしいと、心から願うばかりだ。

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2008年7月29日 (火)

き、きつい・・・。

夏休みといっても、講習があるわけでもないし、追加レッスンを希望されている方もそんなにはおられないし、普段とそう変わらないだろうと思っていたのですが、振替が頻発して、もともとあまり余裕のない枠に少ないながらも追加レッスンも入って・・・と、レッスン自体の内容がどうこうではなく、今日の何コマ目には誰が来るんだったか、そのメンバーだったら、誰をどこに座らせたらいいんだろうか・・・と、そんなことでかなりあたふた、バタバタしています・・・。

この状態は残念ながら、夏休みの間ほぼずっと続くと予想されるだけに、どうやら通常時のレッスンよりは明らかに消耗しそうだということが、この1週間あまりでわかりました・・・(汗)
加えてこの暑さ、湿度ですからね・・・。

今日のレッスン中、イライラしてではなく、だらけている子や大きな声を出した方がよさそうな子に、何度か大きな声を出してしまいましたが、イライラが重なって怒ってしまわないよう、気をつけなければと思います。

そして、今日はこの子ならこのぐらい簡単にできるだろうと思っていた子が思いがけない間違いを連発して、集中してないんじゃ?と思ってちょっと強く言ってしまったのですが、純粋によくわかっていなかったのかもと反省・・・。
まだまだ修行は続きます・・・。
ごめんね、Kくん。

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2008年7月28日 (月)

学校で評価されること

今更何を?という感じかもしれないが、このところしみじみ思っていることがある。
一般的に学校の勉強での評価というのは、ごくごく狭い、かなり偏った部分についてのみなされるんだなということ。

一定の時間内に、指示された事柄をその通りに再現できること。習ったことを覚えて、正確に答えられること。特に勉強に関してはそれがほとんど全てなのではないかと思える。

私は幸い要領のいい子どもだったので、先生の指示には素早く反応できたし、怒られるのが嫌だったから、言われたことは基本的にちゃんとやった。
だから、小学校時代の成績は概ね良好だった。

4年生のときのことだ。
今であれば大問題になるだろうけれど、子どもが見ても明らかに極端にひいきをする先生が担任だった。
特に私ともう一人の女の子はひいきされ、ある男子がそれはもう目の敵のように毎日怒られ、叩かれ、走らされていた。

しかし、その男子は運動神経はもちろん、実は頭もとてもよかったようだ。
「ようだ」というのは、4年生のときにはその子は怒られてばかりだったから、よくわからなかったのだけれど、中学に進学して、彼は学級委員になったり、野球部のキャプテンになったりして、卒業時には学区の一番手校に進学したのだから。

その子はいじめっ子で、よく女の子をいじめては泣かせたりしていたし、先生の言った通りにはしないような子どもだった。
本人に聞いたことはないけれど、恐らく彼の4年生の通知簿はすごいことになっていたのではないかと思う。

今、教室に来てくれている子達でも、しばしばかなり納得のいかない評価をされていることがある。
抜群に得意なはずの算数の成績がぱっとせず、本人はやや苦手としている国語の成績がよかったり、計算より図形が得意な子の成績が逆の評価を受けていたり・・・。

でも、なんとなくわかるところもあるのだ。

例えば、能力の高い子はぱっとわかってしまうから、話をちゃんと聞かなくてもできてしまったり、先生の言った通りのやり方ではやっていなかったりということもあるのだろう。
その時点で小学校では既にマイナスの評価が付くのだろうと思う。

それに、マイペースでおっとりした子だと、ちゃんと時間を与えて考えさせれば、かなり難しい問題でもやってのけるような力があっても、学校では決められた時間内にできるかどうかで評価されがちなのだろう。

以前読んだ「バカをつくる学校」にもそんなことが書かれていたし、つい先日読んだ外山先生の本では「グライダー」と表現されていたけれど、学校というところは「グライダー(自分の力では飛べない)」を養成する場所だと。だから、「優秀なグライダー」かどうかが評価の基準で、仮にその中に「飛行機(自分の力で飛べる)」が混ざっていたら、グライダーの迷惑になると。

確かに、今のシステムでは学校というところはまだまだ「指示されたことをみんなと同じように同じ時間内でできるかどうか」ということを評価する場所なんだろうと思う。

だから、それに馴染めない子達は(天才と言われるような子などはしばしばそれに属するのではと思う)学校では本人の能力について正しい評価をされにくいんだろうなと。

そこはすぐすぐ学校を変えるのは不可能だろうから、やはり、それぞれの子の性格や能力、その子のペースなどを見て、学校では評価されにくいけれど、その子の持っている素晴らしいところがあれば、周囲の大人が大いに褒めて評価してあげる必要があるだろう。

私自身、学校ではあまり苦労したことのなかった人間なので、そんなことに気づくまでに随分時間がかかってしまったけれど、小さい子を持つ親御さんや、そういう子たちに関わる大人たちは、そんなことを意識していてもらえたら、子どもたちはもっともっと持てる力を発揮できるんじゃないかと思う。

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2008年7月27日 (日)

休日ネタ

今日は完全OFFだったので、ちゃんと書こうと思っていたのですが、時々訳もなく(いや、完全に訳がないわけではなく、周期的に自己嫌悪に陥ったりするわけですが…)凹むサイクルがやってきているようで、だらだらし過ぎて尚更、気分が沈滞している感じです…。

まあ、目の前に子どもがいたら、そんなこと考えることもないので、休日ならでは、オフタイムならでは、なのかもしれませんが。

というわけで、今日もどうでもいいネタ。それも、昨日聞いた話を。。。

今、何人かの先生に毎日交代で教室を手伝ってもらっています。
そのうちお一人は、昔、塾講師だった頃にその方の二人の息子くんたちと一緒に勉強していたという、まあ、一応は「昔の教え子のお母さん」とでもいうのかなという方。
とても明るくていい方で、そんな母を持つ息子くんたちも、今はもう大学生と高校生ですが、とてもいい子たちです。

その親子の会話。あ、ちなみに、その方(お母さん)自ら認める「天然」なんですけどね。

先日、子どもがお休みになったり振替になったりで、普段お願いしている時間はお手伝いに来て頂かなくても大丈夫になったことがありました。
その日は弟くんの方の塾の懇談か何かがあるとのことで、お休みだったらそちらに行けると言っておられたので、ちょうどよかったなと思っていました。

それに関しての親子の会話。

母 「今日○○先生ナクナッタから(懇談に行けるわ…)」
子 「え?お通夜とお葬式いつ?」
母 「へ??」
子 「○○先生ナクナッタって…」

すいません…。確かに最近とみに体力の衰えは感じていますが、無事です。(苦笑)

母も「○○先生ナクナッタ」という表現はいかがなものでしょう?(笑)

けど、それを聞いて内心結構嬉しかったのです。
教え子と言ったって、単に塾講師だったわけで、彼らとお別れしてからもう5年以上経っています。
もちろん、今はお母さんの方とご縁があるので、なんだかんだお母さん経由でそれぞれの話を聞いたりすることはあるものの、特に弟くんには随分長い間会っていません。
なのに、「ナクナッタ」と聞いてすぐに「お通夜は?」と聞いてくれたのだとしたら、それはやっぱりとても嬉しいことのような気がするのです。

バタバタしていて、気づいたら恩師の命日をとっくに過ぎてしまっていましたが、その昔、まだ塾講師だった頃の夏、大好きだった恩師が亡くなりました。
普段は子どもの前では常に元気でいられる私も、さすがにそのときだけはコントロールが効かず、ふとした拍子に涙が溢れてきてしまいました。
そのとき、ちょうど上述の息子くんたちの兄の方のクラスだったのですが、「センセ~、どないしたん?」と。
で、恩師が亡くなった話をしたときに、ある男の子が「俺ら、学校の先生死んでも泣かへんよなぁ?」と言って、それを聞いた周囲の子たちも同意していたのを思い出します。

ネタにするのは不謹慎な話題かもしれませんが、「ナクナッタ」本人なので許して頂くことにして、今なら亡くなったらあの子がお通夜に来てくれるんだなと、ちょっと幸せな気持ちになりました。(笑)

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2008年7月26日 (土)

現在頭回らず…

土曜は、自分でも不思議なのですが、なぜかレッスンが終わった時点で急激に眠くなります…。
もともと、土曜はほかの曜日に比べてやや早起きなのと、最もコマが多いのと、週末なのとといろいろ重なってはいるものの、ほぼ毎回確実に、レッスンが終わった途端に睡魔に襲われるのはなぜでしょう…。

帰宅して、先ほど食事が済んだので、時間がないわけではないのですが、現在頭全く回らず…。(汗)

覗きにきてくださった方、どうぞお許しください…。
それでは皆さま、よい休日を…。

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2008年7月25日 (金)

子どもたちってすごいなぁ

大人になると、自分が幼かった頃の記憶は断片的にしか残っていないのが普通で、人によってはほとんど何も記憶がないなんてこともあるかもしれない。
だから、そんな私たち大人はときどき相手が「幼い子ども」であることを忘れて、言葉で理解させようと必死になってしまうことがあるような気がする。

大人にとってはあまりにも簡単で、小学生でも高学年ぐらいになれば簡単なことだったりすると、それより幼い子にだって、ゆっくり説明すればわかるんじゃないかと思ってしまうことは、大抵の大人なら少なからずあるのではと思う。

でも、それは大人の思い込みなんだなと気付かされることがある。
どれだけ平易な言葉に言い換えようと、ゆっくり丁寧に話して聞かせようと、言葉やプリントの絵では理解できない段階があるのだ。

糸山先生が「りんこ」(人名ではなく)と言われても何もイメージできないけれど、それを一度イメージと結びつけたら、次からは「りんこ」をイメージすることができるというようなことを書いておられたように思うけれど(端折りすぎて、違っていたら申し訳ありません…)、大人だって、それまでに見聞きしたことのないものをイメージすることはできないのと同じように、子どもたちには未経験のことが山のようにあるのだ。

たとえば、サイコロ型の積み木をランダムに積み重ねた図を見せて、それがいくつか尋ねてみたとしよう。
実際の積み木で遊んだ経験、積み重ねた経験のない子は、隠れて見えないところに積み木があることをイメージすることは難しい。
もちろん、積み木を積んだことはないけど、箱を積んだことがあるとか、ブロックで遊んだことがあるとか、そういうことで代用できるイメージもあるだろうけれど、そういう類のことを経験していない子どもには積み重ねた積み木の図を見せて、何個の積み木が使ってあるか尋ねても、よくわからないか、見えているところだけ数えて答えとしてしまうことが多いだろう。

実際、これまでにもそういうことを感じたことは何度もあるけれど、今日、ある幼児さんのレッスンでもプリントではわからないといって…とお母様が困っていらしたので、レッスンで積み木を積んで見せることにした。

初めは全部が見えるように積み木をL型や正方形、階段型などに並べ、見たままの数を答えてもらった。
そのあと、全部見えていた積み木に付け足すように積み木を置いて、数を答えてもらった。
初めは隠れた積み木を数え忘れていたりしたけれど、そういうときは何度か積み木を前後に離すなどして、全ての積み木が見えるようにして確かめるということを繰り返した。

ある程度できるようになってきたので、プリントの中の簡単そうなものから「○○ちゃんならこれは絶対わかると思うな~」とか言って、いくつか答えてもらった。
正解が続くと、本人ものってくる。
そして、少しずつ難易度の高いものに移っていったのだけれど、隠れているものがある図だと、初めは間違えていた。
そのときは同じ形を作って、実際に見せ、それでも間違えるようなら、前後や左右に離して全部を見られるようにしてから、正解に至ってもらった。

そんなことを繰り返した後、プリントの中では一番難しそうな問題を「ちょっと難しいけど、○○ちゃんならきっとできると思うなぁ」というと、真剣な表情で問題を見つめ、とうとう積み木を使わずに隠れている積み木もきちんをとらえて、一発で正解した。

「すごいね~!」というと、満面の笑み。とても誇らしげな顔だった。

その間、ほんの10分足らずのことだ。
見たことがないから、隠れているところを想像できない。
しかし、何度か繰り返しただけで、ちゃんとそれに気づけるのが小さい子のすごいところだ。

積み木に限らず色々な問題で、プリントでは理解できてなさそうな子に何度か具体物を操作させたり、操作して見せたりしていると、大人が思うより遥かに早く、確実に理解する。
その際、いくら言葉で説明したって、多分同じだけの結果を得ることは難しいだろうと思う。

子どもたちが説明を聞いてもわかっていないなと感じるときは、言葉でわからせようとすることを一度脇に置いて、実際に目で見て、手で触って、肌で感じて…そんな風に理解させる方法がないか考えてみられると、想像を遥かに超える結果を子どもたちが見せてくれることもあるのではと思う。

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2008年7月24日 (木)

今日も・・・

暑かったですね・・・。
今日はお昼に出勤だったのですが、駅までの数分の道ですら、溶けるかと思いました・・・(汗)

暑さのせいでしょうかね、このところ早い時間から眠くて、頭の回転が・・・。
あとで更新できそうだったらさせて頂きます。
どうぞ宜しくお願い致します。

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2008年7月23日 (水)

6年生になりました

暑さのせいなのか、帰宅時から既にやや眠く、書こうと思ったことをまとめられそうにありません…。
ので、ちょっと軽めの更新でお許しを…。

夏休みになりました。
うちは夏期講習とかがないので、夏休みだから極端に忙しいということもありませんが、何かと皆さんそれぞれに予定がおありで、その調整が難しいかなと。

ですが、この夏休みを迎え、教室も6年目に入りました。
丸5年前の夏休みに初めて、今より更に小さな教室でレッスンを始めたんだなと。
あのとき1年生だった子たちは6年生。すっかり大きくなりました。

私もあの子たちのように成長できたでしょうか…。
いや、子どもたちの成長は心身とも、そして能力的にも素晴らしいものがありますから、比べてしまえば全く足元にも及んでいないことでしょう…。

次の夏を迎えたら、私の教室も小学生を終えて、中学生になるということですね。
小学校の最高学年。
しっかり学んで、次のステップに進めるよう、頑張らないといけませんね。

教室を初めて間もない頃からしようと思っていることが、まだ形になっていないのは、あまりにもあたため過ぎかと…。
反省して、小学校を終えるまでになんとか形にしたいと思った6年目の夏でした。

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2008年7月22日 (火)

今日の検索ワード・・・。

昨日書いたところだけれど、今日だけでこんな検索ワードが・・・。

夜回り先生と夜眠れない子どもたち 読書感想文
あなたが世界を変える日 12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ 感想
ホームレス中学生 感想文 
本 ブログ 読書 
教えるということ 大村はま 感想 
ホームレス中学生 読書感想
ホームレス中学生 感想 
武士道 感想 
読書感想文 ホームレス中学生 
武士道 あらすじ 新渡戸稲造 
夜回り先生 読書感想文 
読書感想文ホームレス中学生 
星の王子さま 読書感想文 

この時期に既に検索しているということは、さっさと宿題をやってしまおうという人たちなのではと思うだけに、そして・・・ここで検索されている本たちは全部、課題に出した側は、是非読んで何かを感じてほしいと思って出したんだろうにと思うだけに、私のブログが感想文に使えるかどうかは別として、検索して適当に完成させて、実際の本は読まずに終わらせてしまうということは、できればやめてほしいなぁと思ってしまう。

「ホームレス中学生」は、強制されて読むものでもないだろうし、その気になれば小学生でも十分読めるような文体だから、検索なんてせず、自分で読んでみてほしい。
きっと何か感じるものがあると思うんだけどな・・・。

「あなたが世界を変える日」はものの10分、15分で読めちゃうような話なのに、それさえも検索??
この本、是非読んでほしいけどな。すごくすごく大切なことが書かれていると思うんだけどな。

「武士道」の感想文なんてのは、高校生とか大学生とかなのかなぁ?
まあ、私にとっては読むのが辛かった部類に入るので、検索したくなる気持ちは少しわからないでもないけど・・・。

大村先生の本は、どういう課題なのかわからないけれど、絶対自分で読むべきです!!
読まないのはもったいない。
特にこれが教育を学ぶ人だったりしたら、絶対の絶対に読むべきだと思います!!

水谷先生の本だって、あっという間に読めるのにな。。。
まあ、私は大抵泣きっぱなしになるけど・・・。(苦笑)
これも、若い人なら尚のこと、読むべきだと思うなぁ、私は。

「星の王子様」はどんな年代の人が検索したんだろうな?どういう意図で課題に出されたんだろうな?
ワタミの渡邉社長がお好きな本だったような気もするな。

読んでもつまらない本ももちろん存在するだろうし、本を読むこと自体が苦痛な人もいるんだろうとも思う。何より、作文、感想文が苦手な人ってのは結構いるとも思うけれど、今日の検索ワードに上がっている本は全部、読む価値あると思うんだけどな。

けど、もう今頃はどっかで検索した感想文で感想を書き上げちゃってる人もいるのかなぁ・・・。複雑な気持ち・・・。

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2008年7月21日 (月)

また悩める季節…。

もうひとつのブログにときどき、「○○(本の題名) 読書感想文」などという検索ワードで辿り着く方がおられる。
そのほとんどが、恐らく学校でレポートの宿題が出たのかな?というような本であることが多く、その検索ワードを見るたび、ブログに感想を書くのはやめた方がいいんだろうか…と思ったりしながら、これまで続けてきた。

まあ、中心は教育関係、子育て関係の本なので、あまり感想文を課題に出されるものは少ないだろうけど、夏休みといえば「読書感想文」の宿題は定番のひとつで、今年だったら、たとえば「ホームレス中学生」なんかで感想を書く子なんかも少なくないのかもしれない。

今日だったか、ネットのニュースで、最近はネット上の文章のコピペは大学生にとどまらず、小学生にまで広がっているというようなことが書かれており、また、コピペチェック用のソフトが開発されたなんてことも書かれていた。

私は子どもの頃から文章を書くのは好きな方で、作文や感想文で苦労したことがないのだけれど、世の中にはそれらが苦手だという子ども達は少なからずいる。
おまけに、今時は小学生でもネット検索を使いこなせちゃったりするわけだから、書くのが苦手な子たちでちょっと「頭のいい」子などは検索して見つけた感想文をちょちょいといじって提出してしまったりするのかもしれない。

個人的には、一律に感想文を宿題として課すのはどうなんだろう?とも思うし、本を読んで感想を書かなければならないとなったら、楽しい本も楽しめなくなるかもという気もしないではないので、感想文の宿題自体をどうにかするというのもひとつだと思うけれど、まあ、そう簡単にはなくならないだろうから、となると、私のブログはどうしたものか…。

私は別に、使えるものがあって、それを誰かが写して提出しちゃったとしても、本人がそれでいいならそれもありなのかもなと思うけれど、宿題を課した先生の側が、それは本人が考えて書いた文章なのかどうかを判断できるのかどうかが気になる。

たとえば、以前、人の感想文を盗用して提出した感想文が賞を取ってしまって、確か中学生か高校生の女の子だったと思うけれど、ニュースになっていたのを読んだ。
書いた文章を評価する側が、その子がそれを書けるかどうか判断できなければ、そういうことって起きてしまうんだと思う。

そもそも、感想文ってなぜ書かすんだろう?
夏の間にせめて1冊ぐらい本を読みなさいってことだったら、もっと違った課題の出しようもあると思うし、作文の練習というのであれば、感想文じゃなく、作文でいいようにも思う。

さて、話が若干それた気がするけれど、まあ、読書のブログもとりあえずこのまま続けることにしようと思う。
メジャーな話題書については、取り上げるだけで感想を書かないとかってのはどうかな?(をい)

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2008年7月20日 (日)

狼少年化中…。

暑さのせいなのか、歳のせいなのか、結局昨日も更新できぬまま眠ってしまいました。
今日は今日で、起きて、だらだら洗濯と少しだけ掃除などをしたら出勤時間になり、出勤後はちょっと寄り道して帰宅。帰宅して実家へ。というわけで今日も終わってしまいました…(汗)

そして、まともに書けよと自分にツッコミを入れつつも、休日ネタ。
まともな記事を期待してくださっている方には重ね重ねお詫び致します…。
今日はくだらない話、ど~でもいい話が好きだという限られた方限定で…。(かなりくだらないので…(大汗))

先日、とある国に行ってこられた方からお土産を頂きました。
「食べ物」のお土産というとちょっと躊躇ってしまいそうな、某国です。(あとでバレバレになりますが・・・)

箱にはあの有名な動物をかたどったお菓子の愛らしい写真が。
しかし、頂いてからまだ封を切っておらず、今日、さすがに中を見ておかないとな…とフィルムを剥いて、箱の蓋を開けました。

まずは、箱の蓋の写真から。

Caj0pk33

                                              

                                             



それなりに可愛い。(まだ食べていないので味はわかりませんが・・・)

日曜の午前中、箱の蓋を開いた私の目に飛び込んできたのは……。


                                        






Ca2fo1bh

                                                       





                

こ、こわい…。に、睨んでるって…。
それも、箱の中のパンダ全てこの表情…。(汗)

う~ん、色んな意味で期待を裏切らない国。。。

わかりませんけどね、多分日本国内で、パッケージにあのそれなりに可愛い画像を載せておきながら、実際の商品が目を吊り上げて睨んでいるとなったら、さすがにそのまま販売ってことにはならないような…。そんなことありませんかね?

それにしても、何をどうすれば、ここまで違って出来上がるんでしょうか…。
かなりミラクルな感じ。

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2008年7月19日 (土)

たぶん、あとで。。。

更新すると思います。
既にやや眠いのが不安ですが・・・。

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2008年7月18日 (金)

数日連続申し訳ありません…。

今日は本当なら多少時間に余裕があるはずだったのです…。
で、読書のブログもちゃんと更新して、こちらもまともに何か書く予定でした…。

しかし…前から気にしつつも、まだ日があるからと呑気に構えていた免許の更新期限が今日を入れてあと1週間しかないことに気づき、更新に行く予定の場所は土曜、祝日はお休みで、その他の日も受付が9~11時と1~3時まで…。

明日は無理。日曜は微妙な時間にレッスンがあるし、月曜は祝日、火曜・水曜も夏休みになって振替などのため、午前中からレッスンが。
これはかなり危険な状態であることが判明…(汗)

偶然、今日1コマ目のレッスンの方からお休みの連絡が入り、2コマ目はほかの先生にほぼお任せしているため、急遽、免許の更新へ。

しかし、かなり綱渡りで、結局3コマ目のレッスン開始20分前に教室に。
間に合ってよかったですけど…。走ったので暑かったのなんの…。

それにしても、今の免許はICチップが入ってるんですね~。
筋金入りのペーパードライバーなので、ほとんど使うことはないのですが。。。

ただ…最大の問題は……更新に行こうと急に思い立って、写真に写ることをちゃんと考えていなかったため、タンクトップ姿で首も肩も丸出しな感じの免許証写真になってしまったことでしょうか…。
これを5年…。いい歳なんだから、色んな意味でもっと考えろよ…と自分にツッコミを入れてしまった私です…。

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2008年7月17日 (木)

携帯不携帯・・・。

すみません・・・。本日、携帯を持ってくるのを忘れました・・・。
出勤途中で気づいたのですが、取りに戻る時間的余裕がなく・・・。

で、早目に帰宅するつもりが、なんだかんだで今日も終わらず、間もなく22時。
昨日は久々23時半まで仕事してしまいましたので、今日はぼちぼち帰る予定です。

とりあえず教室の電話は転送しますが、帰宅するまではつながりませんのでどうかお許しを・・・。

しかし・・・夏休みの時間割のパズルが難しすぎて、ようやく9割がたはまったかなというところ・・・。
もう明日で学校おしまいだって言うのに・・・(大汗)

変更のある方、振替希望の方には順次ご連絡差し上げているはずなのですが、うちには連絡がない!!という方がおられましたら、遠慮なくつっこんでくださるよう、お願い致します・・・(汗)

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2008年7月16日 (水)

今日は生存証明だけ・・・。

すみません。。。
夏休みのレッスン予定、お返事がなかなか回収し切れなかったのと、私の仕事が遅いのとで、いよいよお尻に火がついて、今日はまだ教室で作業中です。
ようやく9割がた完成した感じですが、まだご連絡差し上げねばならない方や確認せねばならないことがありますので、今日はまともに更新する気力が・・・。(既にかなり限界・・・)

とりあえず、今日は帰ったら寝てしまう気がするので、手抜き更新でお許しください。

メールのお返事、お礼など遅れておりまして、申し訳ありません。
明日以降は多分もとのペースに戻りますので(もっと仕事すべきな気も・・・)、しばしご容赦ください。

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2008年7月15日 (火)

大病院おそるべし…。

すみません…。今日は私にとっては朝早起きして病院へ行き、レッスン後には予期せぬ来客(といっても小学生の時通ってくれてた現在中2になった子ですが)があり、帰宅も遅くなり、なかなかハードな1日だったので、既に睡魔が…。

しかし…すごいですね、大病院って。
早起きしようと思ったものの、頑張っても8時過ぎにしか起きられず、支度して朝ごはん食べたりしていたら、早くても10時前に着くのが精一杯ぐらいの時間になってしまったため、まずは今から行って13時頃までに診察が終わるかどうか電話で確認。

お電話のお姉さんは「今日は比較的空いているので、多分大丈夫だと思いますが…」とのお返事。
ま、とりあえず行ってみようと。

確かに、整形外科の一角は多いものの、もしかしたら空いている方なのかなと思ったのですが、初めに簡単な問診を受けるまでに30分強。
そして!!!!!レントゲンを撮ってもらうために1時間半以上待ちました…(泣)

レントゲンを撮ってもらった後、改めてというか、ようやくきちんと診察してもらえるまでにまた30分以上待ち、結局病院からタクシーで教室に向かい、着いたのはレッスン開始8分前…。

当然お昼抜き…。血糖値が下がったら、頭が回らなくなる危険があるので、頂き物のクッキーをちょっとだけつまんでレッスンに突入。
そんな1日でした。。。

しかし…次回診察予約を全く何も都合を聞かれずに決められてしまうって、大きな病院では普通なんでしょうか??
私は仕事が昼からの身なので、何も聞かれず決められた予約はどうにか行けそうではあるものの、会社にお勤めの方とかは絶対不可能な曜日、時間帯なんですけど…(苦笑)

で、結局、今日の段階ではきちんとした診断を下せないそうで(おそらくそれだろうというのは言われたのですが、それを判断するには症状が出て2ヶ月ほど経たないと無理だとか…。そ、そんな…。)、そのためまた行かねばになってしまったのですが、とりあえずは肘の神経に問題があるようで、今の状態ではそんなに大変なことではなさそうです。(万一悪化したら話は別のようですが…。)

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2008年7月14日 (月)

考えてみれば矛盾してない?

学校というところについて、この前から書きたいと思っていることがあるのだけれど、今日も気付けば遅くなってしまっているし、なぜかさっきからちょっとお腹も痛かったりして、またまた軽めの更新でお許しを…。

教室の子どもたちやおうちの方から話を伺っていると、やはり今でも少なからず、タイムを計るなどして、計算などのスピードを要求されるテストや授業があるようだ。
もちろん、それが全てダメだとは言わないけれど、子どもだってみんな能力も興味の対象も何かをするときのテンポも全部違うのに、こと計算となったら、何度も何度も繰り返し練習させたりして、どうにかタイムを縮めさせようとしたりする。

けれど、ふと思ったのだ。
小学校の頃、体育の時間に50メートル走や100メートル走なんかをしてタイムを計られることがあったけれど、そのとき、タイムを計る前にどうすれば速く走れるかなんて練習をさせられた記憶はないし、タイムを計った後も、遅かった子を居残りさせたり、別に集めて走り方を指導してタイムを縮めさせようとしたりという先生は、私の記憶にある限りはおられなかったように思う。(もちろん、そういう先生もおられるのかもしれないが。)

走る速さは子どもたちそれぞれに走らせておいて、○○ちゃんのタイムは何秒、××ちゃんのタイムは何秒と記録するだけだ。
速かった子はクラスメイト達から憧れられたり、称えられたりして、遅かった子はちょっと劣等感を感じたりもして、だけど、それだけだ。

走ることに関しては「能力の差」ということで片付けてしまっているということなんだろうか?
だとしたら、それは甚だ矛盾していないか?

走るのが速い子もいれば、遅い子もいる。
もちろん、訓練で今の自分より速くなることはある程度は可能だろう。しかし、あくまでも基準は「今の自分」であって、全員が同じように速く走れるようになるなんて思っている先生はまずいないはずだし、実際、そんなこともあり得ないし、求めないだろう。

だったら、計算だってなんだって、やっぱり速い子もいれば、遅い子もいるのだ。
そして、遅い子は練習をしたら必ず速くなるかといえば、恐らくそれも走るのと同じように、「今の自分」より速くなることは可能かもしれないが、それ以外の目標を設定するのは何かおかしくはないか?

どうもそのあたりのことでこのところもやもやしている。

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2008年7月13日 (日)

重ね重ね、すみません…。

昨日は、あとで更新するつもりだったのですが、食事してシャワー浴びて、ほどなく意識喪失しておりました…。
で、目覚めたら7時前。ですが、再び寝直してしまい、次に目覚めたら12時半!!
我ながらちょっと驚いてしまいました…(苦笑)ほぼ11時間ぐらい寝たのではと…。
まあ、休日だったのでたまにはそれもいいかと思いながらも、ふと我にかえると、この歳でこんな自堕落な生活をしていてよいものやらと…。

教室に子どもたちを通わせてくださっているお母さん方は皆さん、同年代やもっと若いのに、子育てもしっかりして、更に、少なくない方がお仕事もしておられて…。
自分の中途半端さをしみじみと反省…。

よく、お母さん方が「先生、お忙しいのに…」とか言ってくださるんですけど、まあ、間違いなく、お母さん方の足元にも及ばないと思います…。ホント、実年齢をご存知の方は呆れておられると思いますが、ご存知ない方には恐ろしくって言えません…。(恥)

そう言いながらも、結局今日は1日、仕事は何もせずに終わってしまいました。
あと1週間足らずで子どもたちは夏休みに突入なんですよね。
ああ…ホントに早くやらなきゃいけないことがいっぱい…。どこかに「仕事せんか!(ビシッ!)」っていうような鬼コーチみたいな方いませんかね?期間限定で。(をい)

こんなこと言ってるからダメなんですよね…。スミマセン…。

今日はお休みだったので実家に行ってきましたが、両親の年齢を考えても、ホントにしっかりしなきゃなぁと。
うちは歳の割に両親とも元気でしっかりしてくれているので、本当にありがたいのですが、子どももいないのに、自分のことすら満足にできていないって、ああ、ダメだなぁ…。せめて仕事だけでももっとびしっとバチッと頑張らないとダメですよね…。

本当に、寛大で素晴らしい保護者の方たちに支えて頂いているのだということを、しみじみ感じる今日この頃です…。
皆さま、本当にありがとうございます。なんとかもうちょっとしっかりします…。

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2008年7月12日 (土)

のちほど

すみません。
多分後ほど更新します。

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2008年7月11日 (金)

やっぱりやっぱり子どもってすごいなぁ

今日も既に結構な時間ですし、明日は早起きしなきゃな土曜日ですので、書きたいなと思っていることはまた改めてちゃんとまとまったら書かせて頂こうかと…。(いえ、「ちゃんと」まとまるなんて言ったら、永遠に書けないかもしれませんけど…)

で、今日もまた感動したこと。

1年生の時から来てくれている今は3年になる可愛い女の子。元気なのだけど、まだ低学年でもあり、体力的にはまだ日によってはぐったりしていたりということもあって、暑くなってきたし、これからはちょっとキビシイ季節。

今日は3桁や4桁÷1桁や何十の割り算をしていたのだけれど、初めはとても快調に進んでいた彼女も、やはり終盤ぐったりしてきて、ぱたっと手が止まってしまった。
手が止まったというよりは、もう思考能力の限界に達した感じで、やろうとしても頭がもう回りません!という感じだった。

もうレッスンの残り時間も10分足らずになっていたので、思っていたところまでは進まなかったけれど、思考力のプリントに切り替えたところ、びっくりな出来事が。

今日の問題は丸テーブルを囲んで6匹の動物が座るのだけれど、「○○の右隣には××が…」、「△△は○○と□□の間に…」、などいくつかの条件が与えられ、「では○○の左隣(正面)は誰でしょう?」というような問題が出されるというものだった。

この手の問題をさせると、稀に図に何も書かずに頭だけで正解に辿り着く子がいるにはいるが、今日の彼女の場合、コンディションのいいときにはキラッと光るものを感じる子ではあるけれど、ほんのさっきまでもうぐったりで完全に「もうダメ~~!」になっていた子である。
それが、プリントを渡して、ほんの少し他の子を見てからふと目をやると、答えの欄だけに動物の名前が書かれている。正直言って、あれこれ考えたほどには時間が経っておらず、読んだ後即答えを書いたぐらいの早さだった。

彼女の疲れ具合と解答の早さに、内心、間違ってるのでは?と思いながら、条件を確かめると、なんと合っている!!
もう1問、同じような問題があったのだけれど、それもやはり何も書かずに即答。

もうこの問題に関しては完全に私の方が彼女に負けてしまっている…。

きっと彼女の頭の中には、問題を読むと同時に、実際にその動物たちがテーブルに向って座っている姿がリアルに思い描かれているのだろう。
だからこそ、瞬時に、迷いなく答えが書けるのだろう。

あんなに疲れ切っていたのに、涼しい顔で正解した彼女に「すごいなぁ~」と心から言ったけれど、彼女の表情は(一体何が?)と言いたそうだった。
彼女からすれば、こんな問題のどこが難しいの?って話なんだろうな。

ああ、やっぱりやっぱり子どもってすごいなぁ。
子どもに勝ちたいなんて思わないけど、ホント、私はいつまで「先生」でいられるんだろう…(苦笑)

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2008年7月10日 (木)

焦る…。

5月中旬に事件に遭遇して以来、レッスン後はなるべく早く帰るということを第一目標のようにして過ごしてきてしまったため、さすがにいよいよ色んなことが追い付かなくなってきました。

幸い、あれから2ヶ月近く経ちまして、先日仕事で久しぶりに気付けば23時コースになっていて、あれ以降は遅くなったらタクシーと決めていたのですが、久しぶりに電車で帰ってみました。
そしたら、思ったより怖さを感じなくなっていて、お蔭で急に油断…。
まあ、仕事が溜まっているのが一番大きいわけですが、今週は23時、22時半…とつい遅くなっています。

ただまぁ、そこまで回復してよかったというのが正直な気持ちで、自分の物忘れの早さと立ち直りの早さとに改めて感心…。(前者は喜べることではない気も…。)

しかし、気づけば既に10日。夏休みまでもう10日しかありません。
幸い(?)うちは夏期講習とかはありませんから、特別何かを用意してということはありませんが、イレギュラーのレッスンになるのは例年のことで、早く決めないといけないことが…。
かなり焦っておりますが、時間が…。

つくづく自分の時間の使い方の下手さに呆れつつ、なんとかがんばります。
申し訳ありませんが、夏の予定は今しばらくお待ちください。

そして、まだご回答くださっていない方、どうぞ早急にご回答くださいますようお願い致します。

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2008年7月 9日 (水)

わからないこと

ホントは別にかなり書きたいことがあるのですが、今日も遅くなってしまい、先ほど帰宅したところで、日付が変わるまでの時間があと僅かなため、かなり書きたいことは頭がすっきりしているとき(ってあるんだろうか…)に改めて。

体によくはないのだろうけど、ひとりの食事は味気ないので、ついついパソコンを眺めながら食べることが多い。
で、たまたま見つけた神戸にあるらしい塾の塾長さんのブログをちょこっとだけ見ていたところ、ある言葉がひっかかった。

その言葉は、これまで他の先生方が口にされたり、文にされたりしているのを見たことがあるのだけれど、そのたび妙に違和感を感じるのだ。
それは私が世間知らずだからなのか、まだまだ青いからなのか、それとも、指導スタイルの差なのか、いったい何なのかわからないけれど、どうしても納得がいかない言葉なのだ。

「授業なんて誰がやっても同じ」

そんなことってあるだろうか?
それはどういう意味なんだろう?

さすがに、例えば指導経験のない大学生の講師と指導歴何十年ものベテラン講師とを比較して「同じ」なんて言っているはずはないと思うけれど、例えば、ある程度指導経験のある人間同士なら、同じ単元の授業を誰がやったって大差ないという意味なんだろうか?

私にとってはそんなことあり得ない。

実際、私自身だって、塾講師時代と今とでは多分今の方が子どもを伸ばすという意味でいい指導ができるようになったのではと思うし、それだって、去年より今年の方がほんの少しは進歩したのではとも思っている。

同じ教材を与えられて、指導歴が同じぐらいの先生数人に授業をさせたら、本当に「同じ」結果が生まれるんだろうか?
そんなこと、どう考えてもあり得ない。

「授業なんて誰がやっても…」という発言をされる先生方は、どういう意味でそうおっしゃっているんだろうと、その言葉を目にするたび、耳にするたび、どうしても不思議でならないのだ。

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2008年7月 8日 (火)

すみません・・・

今日はなんだかバタバタして、気づけばすごい時間になっていて、久しぶりに23時を回って教室を出ました。

帰宅後は既に睡魔と闘っておりまして、まともに書けそうにありません…。
とりあえず無事ですので、形だけの更新でお許しください。

夏休みのレッスンのアンケート、一応本日が提出の締め切りでした。
これをご覧頂いていて、まだご提出頂いていない方がおられましたら、お手数ですが速やかにご回答くださいますようお願い致します。

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2008年7月 7日 (月)

大胆な仮説(続き)

最近は一人っ子のご家庭も少なくないし、兄弟がいても大抵は2人。3人以上となると割合としてはやはり少なくなってくるように思う。
子どもが少ないと、ひとりの子にかけられる時間や費用も多くなるはずで、本来、一般的に考えるとそれがなぜ学力低下の原因と?という話だろう。

ただ、小さい子たちとレッスンをさせてもらうようになってから、いつも感じていることがある。
これまでにもブログに何度も書いているけれど、子どもたちが考えるために必要な時間は、大人が思うそれよりも遥かに長い。
もちろん、問題によっては大人より瞬時に答えに辿り着くなんてこともあるけれど、これまで見てきた子たちのほとんどが、それがスーパーくん、スーパーちゃんであったって、当初私が予想していた時間の2倍や3倍の時間かけて考えるということは決して珍しくなかった。

最近でこそ、ある程度年数を重ねてきたので、おおよその見当はつくようになったけれど、それでも子どものタイプによっては考えているのか、わからなくて思考停止しているのか判断がつかないこともあり、そういうときには「考えてる?もしわからんかったら言ってね」と声を掛けて様子を見るようにしているが、そう声を掛けた子で「わからん」と言った子はまずいない。

子どもはじっくりじっくり時間をかけて、心行くまで自分の頭で考えた末、答えを出すのだ。
そして、誰にも邪魔されることなく考えることを繰り返すうちに、徐々に考えるスピードが上がり始め、そのうち、こちらが追い付けないほどのスピードになっていくのだ。
最初っから大人なみの速さで考えられる子には、今のところまだ出会っていない。

私自身、初めはどのぐらい待てばいいのかわからなかった。
それでも、考えている途中にそれを遮るのは避けたかったので、声を掛けて、待てる限り待つようにしてきた。
塾講師時代には、困っているなと思ったら、即座にヒントを出したり、わかりやすく説明したりしていた私にとって、そのペースに慣れるまで結構な時間がかかったことを覚えている。

で、今回の仮説。

お手伝いしてもらっている先生方も、当初はやはり明らかにまだ子どもが考えているタイミングでヒントを出そうとするのを待ってもらったりということも珍しくはなかったし、体験レッスンなどの際、側に保護者の方がついておられると、(ああ、まだ考えてるのに…)と思うタイミングで手を貸したり、ヒントを与えたりしてしまわれることも少なからずある。

教室を始める前の私も、多分こんなに待てなかったと思うし、始めてからしばらくも、ただ黙って見守っているだけでいいんだろうか?というジレンマにしばらくは悩んだりもした。
それでも、「教えることは子どもの能力を潰すこと…」と言い聞かせて(もちろん、教えるべきことは教えなくてはいけないのだけれど)、ぐっと我慢することを続けていくうち、ようやくだんだん子どものタイミングがわかるようになってきた。
それでもまだ子どものタイプによっては今でも判断がつかないことだってある。

つまり、恐らく圧倒的多数の大人は、「子どもが考えている間じっと待つ」ということがしばしば困難なのではないかと思うのだ。
待っているつもりで、もうわからないのだろうと判断して助け船を出すタイミングは、しばしば子どもにとっては早過ぎるのではないかと。

子どもが少なければ尚のこと、ひとりの子どもを見ることができる時間は増える。
じっと見ているということは、尚更待てずにヒントややり方を教えてしまう確率も増える。
その結果、そういう子どもたちはどうなっていくだろう。
もちろん、全ての子がそうなるとは限らないし、ある程度大きくなれば「やめて」ということもできるようになるかもしれないが、小さいうちからそれを繰り返されたら……。

わかりやすい例で言うと、子どもが一所懸命になぞなぞの答えを考えている。ああ、もう少しでわかりそう!!と心の中でワクワクしている。そのとき突如としてヒントや答えを言われたら、子どもは腹を立てるかがっかりするだろう。
そんなことを何度も何度も繰り返されたらどうだろう?
「もうなぞなぞなんてキライ!」と思うか、「どうせこれでしばらく考えているふりをしたら答えを教えてもらえるし…」と思うか、「考えたってどうせ途中で邪魔されるんだから、もう考えない!!」と思うか…。

それと似たようなことを子どもたちはしばしば感じているのではないだろうか。

ご両親が共にお仕事をしておられるとか、兄弟がたくさんいるとか、そういう子たちは、自分だけであれこれ考えたり、試行錯誤したりする時間を比較的手に入れやすい分、ある面で恵まれているのかもしれない。

もちろんこれは一般論で、じっくりゆっくりお子さんのペースで待っておられる方ももちろんたくさんおられるだろうと思う。
ただ、教室に来てくれている親御さんたちの中にも、その熱心さゆえ、黙って放っておくこともできず、「子ども時間」を待ち切れずに手を貸してしまわれる方もおられないわけではない。
ということは、熱心な親御さんは多かれ少なかれそうなのかも?と思ったのだ。

心行くまで考えて、自分で答えに辿り着く経験を重ねた子たちは、決して考えることを嫌ったりしない。
放っておいても勝手に考えるようになる。こちらが声をかけることがはばかられるぐらいに。

子どもの「考える力」を伸ばしたければ、小さいうちはなるべく「黙って見守っている」ことを大事にされるのがいいんじゃないかなと、改めてそんなことを思う。

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2008年7月 6日 (日)

大胆な仮説(というほどすごい話でもないけど…)

テストの点には表れない部分もあるだろうし、実際にはどうなのかわからないけれど、子どもの学力が落ちてきているという話を聞くようになって久しい。
その原因として、ゆとり教育がやり玉に挙げられているようだけれど、それも実際にはどうなのかわからない。

個人的には、特に都市部では昔のように子どもたちだけで自由に外遊びできる機会が圧倒的に減ってしまい、大人の目のあるところで、危険のないところで、ルールの決まった遊びを…という風になっていることが原因のひとつなのではないかと思っているけれど、先日ふと思ったことがある。

これがまた、根拠があるとかではない仮説、それもかなり大胆な仮説なので、書いたらご批判を受けるのでは…と思い、おまけにこのところ色々と事件(?)が起きたり、体調を崩したりなんだかんだで書く機会もなかなかなく、今に至ったわけなのだが、個人的には可能性は0ではないような気がしている学力低下の原因がある。

学力といっても、この場合「考える力」とか「思考力」、「試行錯誤する力」とかいうものについての話に限らせて頂くけれど、その原因のひとつは「少子化」なのではないかと…。(続きます)

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2008年7月 5日 (土)

スーパー、炸裂!!

最近は、スーパーくん、スーパーちゃんが多くなり過ぎて、「普通」の基準がなんだか激しく高くなってしまっているような気がするのですが、その基準を更に凌駕し、私を驚かせる子たちがいるのには本当にびっくりします。

今日もみんなよく頑張っていましたし、すごいなぁと思う子はたくさんいましたが、今日はまた格別にすごいのが2人。

1人は、8桁-8桁で間に0が入って更に繰り下がるような、かなり面倒な引き算の筆算を一番大きな位からやってのけるスーパーくん。

私も、今の教材に出会ってから、ある程度の桁までは上の位からやる方が楽なぐらいになったのですが、間に0が飛び飛びに並ぶような、例えば「34000206-24098327」のような、なかなかハードな(?)繰り下がりの筆算などは、これまでどの子もさすがに1の位から筆算で解いていたので、答え合わせの際も私も後ろから見るのが当たり前になって過ごしてきていました。

それが、今日のスーパーくんはそんな感じの問題全部を一番上の位から答えを書いていくではありませんか!!
私もなんとか上の位から見て答え合わせをしていたのですが、途中でこんがらがってきて、合っている答えを間違いだと言いそうになったほど…(大汗)

この彼はなんというか、計り知れないセンスのようなものがあって、スピードはゆったりなのですが、文章題の面倒なものでも、ぼ~っとしてるのかな?と思っていると、のんびりした口調で正解を言うような、なかなか未知のスーパーくんです。

で、もうひとりは、もともと1年生の時からかなりスーパーなのは感じていたのですが、3年になった彼は今日もすごかった…。
今日、小数の学習をしていたのですが、小数の計算はまだ足し算と引き算しか一緒にはやっていません。

しかし・・・。

「1枚0.5cmの厚紙、何枚重ねたら50cmになるでしょう。(既に脳細胞活動停止中で、もしかしたら5cmだったかも…。単位が違ったかも…。でも、こんな問題です。)」

この問題に対して、何の迷いもなく、彼のプリントにはこう書かれていました。

「 50÷0.5=100   答え 100枚 」

な、何者…。(汗)

そこに至るまでの問題でもかなりすごかったのですが、特にその問題は考え込む子が結構多い問題で、わからない子には「2枚で1cmになるよね?」とかちょこっとヒントを出してみたりするというのが通例なのです。

しかし、問題を読んだら即解いてましたね、彼…。
スーパー過ぎる…。

彼らが私の代わりに先生をしてくれる日はかなり近いかもしれません…。(苦笑)

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2008年7月 4日 (金)

「むずかしい」??

子どもたちとレッスンをしていると、気づくことがあります。
もちろん、みんながみんなそうだというわけではないのですが、予想よりは多くの子どもが該当している気がすることです。

レッスンの中で、計算問題がずらりと並んだ、私が子どもだったら楽しくないからやりたくないなぁ…という系統のプリントが出てくることがあります。
もちろん、計算問題ずらりのプリントは問題数を減らしたりして、全部をやらせることはまずないのですが、子どもたちがそういう種類のプリントに到達するまでには、ほとんどの場合、既にその計算は考えればできるようになっているはずなのです。

しかし、少なくない子どもが、そういうプリントを前にして、不機嫌そうな顔で言うのです。

「これ、むずかしい。」

は??難しいって?難しくはないでしょ??あなたの力ならもっと難しいのでも解けるでしょ??
そういう子たちが結構平気でそう言うのです。

なので、私はそういう子たちに必ず言い返すようにしています。

「難しいんじゃなくって、めんどくさいんでしょ?」

すると、これもまた、ほぼ例外なく

「うん、そう…。」

と答えます。(笑)

「それやったらわかるわ。確かにめんどくさいかもしれん。」

と、そこに関しては共感するようにしています。(だって、私でも全部やれって言われたらイヤですから…(苦笑))

高学年になってくると、それは若干当てはまらなくなってくるのかもしれませんが、小さい子たちが本来できるはずなのに、それを「むずかしい」と言うときには、それは言葉通りに取るのではなく「面倒だからやりたくない」という意味かもしれないと思ってもらう方がいいかもしれません。(笑)

子どもって面白いですよね。

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2008年7月 3日 (木)

ちょっと不安…。

私が怒るとかな~~り怖いということは、ある程度通ってくれている子たちは大抵知っているのだけれど、まあ、幸い「怖い!」と言われながらも、避けられることもなく、びくびくされることもなく、普段は過ごしている。

しかし、ここ数日立て続けにある出来事があって、もしかして私が怖いから??と不安が…。(苦笑)

うちのレッスンは少人数なので、問題を解いたまま長い間誰にも見てもらえないことはまずあり得ない。
意図的にマルをせずに様子を見る場合でなければ、まあ、余程のことがない限り、2、3問解いているうちには遅くともマルがつけられる。

普段、それに慣れているはずの子どもたちが、昨日も今日も、私が他の子に少し手を取られていたら、「せんせ~!」とも「できた!」とも「マルして~!!」とも言わず、黙って大人しく待っていた。

それも、普段から真面目で大人しい子とか、しっかりした女の子とかなら、まあそう不思議にも思わないのだけれど、それが偶然、どちらかといえばやんちゃだったり、おしゃべりだったりする子たちで、その子たちが私が気付くまで静かにプリントを前にして待っていたのだ。

「ああ、ごめんごめん!できてたん。言ってくれたらいいのに~。」と声をかけて、すぐにマルをしたし、まあ、待ってもらったと言っても恐らくものの1分足らずなのだけれど。

そのときには内心(なんて偉いんだろう…。私がとりこみ中なのを気遣って、静かに待ってくれてたんだな…。)と感動したのだけれど、あとになって考えてみると、本当にそうだったんだろうかと…。

そうだったんなら、純粋に、本当に感動ものなのだけれど、他の子にかかっているときに横から「できた!」とか言ったら、私に怒られる…と思って遠慮してたんだったらどうしよう…と。(苦笑)
う~ん…ちょっと不安…。

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2008年7月 2日 (水)

全く関係ない話だけど

テレビを見ない私の情報源のほとんどはネットのニュース。
昨夜遅くの驚きはドリカムの中村さんが29歳年下の子と電撃結婚したってことだけど(笑)、確か昨日、最近の物価上昇に伴い、パンや麺類を控えて米食が増えているというニュースを読んだ。
そして、今日は蕎麦も値上げになりそうだというニュース。

パンや麺類は原料となる小麦粉などが値上がりして、それに伴って値上げされているのに対し、米の価格はやや値下がり、もしくは横ばいの状態とか。
で、パン食を減らしてご飯食に切り替える家庭も増えているというようなニュースがひとつ。

蕎麦の方は、昔、地理を全く真面目に学ばなかったこともあり、更に、蕎麦のイメージは純和風ということもあって、これまであまり考えたことがなかったのだけれど、蕎麦の原料となる「玄ソバ」の大半を輸入に頼っていて、その最大取引先のひとつのカナダがバイオ燃料になる作物の生産に切り替えたため、そこからの輸入が0に。そして、その不足分をアメリカに依頼したところ、前年に対して40%の値上げを要求されたと。
それに伴い、今後、国内での増産も検討しなければならないだろうと。

食料自給率の低い日本。
自国で主食としてまかなえるのはお米しかないだろう。

しかし、私たちはどんどん米離れをし、自給できるものさえも減反政策などで作らないようにしてきてしまった。

物価が上がるのは確かに大変なことだけれど、以前の中国産餃子の事件のときに、多くの人が食品の安全性に関心を持ち、多少高くても国内産のものを…と考えるようになったように、今回、物価上昇で、日本が取るべき道に軌道修正するきっかけを与えられているようにも思えなくはない。

自分では何も栽培しない私が偉そうに言えることではないけれど、安い値段の食品を毎日毎日莫大な量廃棄している日本に暮らす私たちは、少し高くても安心なものを適量、もしくは腹八分目…そんな生活を意識すべきなのかもしれない。

話は少しずれるけど、昨日の夜、お風呂場の電球が切れた。買い置きがなかったので、今日の仕事の帰りに買いに行った。
従来の電球なら1個150円ほど。それを電球型蛍光灯にすると、値段は4倍。(家電屋さんだったらもう少し安いはずだけど…)

後者は寿命も電気代の6分の1と書いてあるけれど、2万回点灯可能なんて書かれても、今の家は賃貸だし、そんなにずっとここにいるはずもない。(苦笑)
つい、普通の電球に気持ちは傾きかけたが、どちらが「エコ」かを考えると迷うまでもない。
清水の舞台から飛び降りるつもりで(大袈裟…)後者を買った。

環境にいいこと、体にいいこと、地球にやさしいこと。
そういうことには何らかの不便や手間、非合理的…そういうものが付きまとうのかもしれない。

そんなことを考えた。

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2008年7月 1日 (火)

1年の折り返し…。

今日からもう7月。
1年の折り返し。既に後半に突入ですね。信じられない速さです。

1月から毎月のように何か起きて、そのダメージから立ち直るために自分に甘くなって、気づけば半年終わっていたという感じです。

5月半ば以降、以前よりは早く帰るように心がけているため、レッスン以外のことがほとんど手つかずのままひと月半が過ぎてしまいました。
何とかいい加減、午前中に仕事をするペースを作らないと、今年の終わりにはすごいことになってしまうことかと…。

7月1日から気持ちも新たに!とか思っていたのですが、今日は朝起きられず、更にレッスンのイレギュラーも重なり、新たに何も出来ぬまま終わってしまいました。
まあ、風水とかなんだかんだ、月替わりは1日ではないようなので、そして、明日もまたイレギュラーありなので、3日木曜から午前中に少しでも仕事をするようがんばります!(自分にプレッシャーを与えるため、一応宣言。)

今日はバタバタで終わってしまい、こんな更新ですみません。
どうぞお許しを。

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