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2008年6月30日 (月)

考えさせられることだらけ。

今日、読書のブログで紹介した大村先生の本。やはり今回のも、感動し、共感し、尊敬し、考えさせられ…。

ただ、本の中にある言葉があり、その言葉は苅谷夏子氏の著書のタイトルにもなっているのだけれど、なんともしみじみと素晴らしい言葉なのだ。

「優劣のかなたに」

学校というところは、ほとんどの場合、子どもを「できた、できなかった」で区別し、評価するところになってしまっていて、できない子のフォローには一生懸命になる先生も多いけれど、できる子を更に伸ばすことができる先生は限られているというようなことも書かれていた。

実際、特に公立の小学校では、まとめテストでは100点を取る子はたくさんいるし、そういう意味では「100点」は簡単過ぎて間違いようのない、解きごたえのない100点の子もいれば、たまたま運よく100点だった子だっているだろう。
100点を取れる子がたくさんいるというレベルの問題は、「優」の側の子どもにとって、その子どもの力を伸ばすに値しない問題なのかもしれない。

大村先生が言っておられるのは、「劣」の子は「劣」の子なりに精一杯、「優」の子も「優」の子なりに精一杯取り組める課題が必要で、それを実現するには全員に同じ教材を同じように与えるのでは不可能だと。

一人一人を比べれば、やっている問題のレベルは異なるかもしれない。
それでも、それぞれの子が今持てる力を精一杯発揮して問題に取り組んでいれば、そんなことは気にならないものだと。
多分、そういう意味のことを言っておられて、それを「優劣のかなたへ連れていきたい」と表現しておられた。

単元学習というものがどういうものなのか、不勉強でぼんやりとしかわかっていないが、大村先生のおっしゃる「優劣のかなた」というのは、多分私の理想とする世界で、うちの教室はまだまだ遥かに及ばないものの、そこを目指しているように感じた。

全員が同じようにできる必要はない。
どの子だって、得手不得手があるのだから、誰かと比べて優っているとか劣っているとかいう基準ではなく、今のその子より伸びること、それが何より大事なのだと思う。

普段、改めて意識することはあまりなかったけれど、本を読んで、再認識させてもらえた。

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2008年6月29日 (日)

たかが買い物。されど買い物。(2)

先週に引き続き、休日の買い物ネタ。

以前にも書いたことがあるけれど、私は実店舗で買い物をする際、特に身につけるものに関しては、好みのほかにかなり「店員買い」をしてしまうところがある。

もちろん、自分なりに身につけるものの好みやこだわりはあるので、初めから近づかないお店もあれば、店員さんが気に入らなくても、我慢してでも行くお店もなくはない。
でも、そのお店以外で同じもの(もしくは同じようなもの)を買うことができないほど何かを気に入ることは稀なので、そういう意味では店員さんの存在はかなり大きい。

独立するより数年前、かなり足繁く通っていた、海外の某カジュアルブランドのお店がある。
そのお店は2フロアで2ブランドを扱っているのだけれど、その頃、それぞれの階にとても気持ちのよい、「できる」店員さんがいて、ワードローブの大半がそこのものになってしまうぐらい集中してそこで買い物をしていたものだ。

会社員時代にも、あるカジュアルブランドのお店に、恐ろしくよくできた店員さんがいて、その店員さんがショップを移っても、店員さんのいるところまで買い物に行ったりもしたものだ。

今日は世の中はもうセールが始まっていて、すごい人出で酔いそうになったけれど(苦笑)、特定の店員さんと仲良くなったことはないものの、店員さん全体の平均的レベルが高いと感じる海外カジュアルショップで買い物をした後、昔、足繁く通ったお店にも足を運んだ。

私が独立するより前に、できる店員さんたちは異動になったり、体調を崩して退職したりして、そのうち私も独立してびんぼ~になり、そして忙しくもなり、物欲もあまりなくなり…と、自然とそのお店に行くことも減っていた。
その間にとうとう、知っている店員さんはもうみんないなくなってしまった。

ただ、そのお店にはオープン当初から行っている私からすれば、頻度はかなり減ったとはいえ、ある意味、今そのお店にいるどの店員さんよりそのお店のことを知っているかもしれないわけで、定番商品やサイズなども、言われなくたってある程度わかっている。

そして、もともと私はものを選んでいるときにあれこれごちゃごちゃ言われるのがキライで、仲良しだった店員さんたちはみんな、そのあたりの加減をよくわかっている人たちだった。

しかし、今日初めてみる、顔の若くてキレイな店員さんは、そのお店に行くようになってから過去最高ぐらいに苦手なタイプだった…。
まるで私が服のこともそのブランドのことも何もわかってないような態度で、聞いてもないことを次々と話し、移動しても移動した先に着いてきて、またあ~だこ~だと話す。

ちなみに今日私が着ていたタンクトップもカットソーのカーディガンもそのブランドのものだったけれど、それに気づく様子もない。
きっと、それが自分のところの商品だということを知らないぐらいのキャリアなのだろうけれど。

明らかに遥かに歳下であろう彼女にあれこれ言われながら、このお店に来る頻度は一層減るだろうなと思っていた。
「プロ意識」を少しはき違えている感のある彼女を見ながら、自分のことが気になった。

私が親御さんに教室のこと、教材のことをお話しするとき、彼女みたいになってはいないだろうか。
親御さんの方がよくわかっていることを、さも自分はよくわかっていますなんて口調で偉そうに話してはいないだろうか…。

自分がされるのがイヤなので、極力そうならないように気をつけてはいるつもりだけれど、ちょっと心配になった…。

しかし…どこかに気持ちのいい「できる」店員さんはいないかな…。
このままでは私のワードローブはユ○クロとG○Pだけになってしまうかも…。(汗)

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2008年6月28日 (土)

一難去ってまた…。

なんだかここまで続くと、だんだんと開き直りの心境になりつつあるのですが、まあ、冷静に振り返ってみると、今年に入って驚くぐらい次々と何か事件が起きています…。

大きなところでは、確定申告の入力データが全部消えたことや、まだお伝えできずにいる「青天の霹靂事件」や先日のひったくり事件…。
その間、小さな事件がぽろぽろあったり、1ヶ月ほど頭痛に悩まされたり…。

で、先日から、左手の小指と薬指がしびれています…。
痛いわけではないのですが、気持ち悪いし、脳とか神経とかがどうにかなっていては困ると、念のためお医者にも行ったのですが、これといって問題もなし。(レントゲンで、私の首が一般的な人より随分長いということは判明しましたが…(苦笑))

しばらく様子を見てくださいと言われたのですが、まだ治っていません。
ま、歳だからと言ってしまえばそれまでかもしれません。(苦笑)

今日は既に帰宅前からかなり眠くて頭が回っていないので、ど~でもいい更新ですみません…。
書きたいことはもやもやしているのですが、どうもまとまらず…。

皆さま、よい休日を。

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2008年6月27日 (金)

どうもなんだか気になる…。

もともとはネットでメールマガジンを配信しておられて、親御さんを中心に絶大なる支持を得られ、その後書籍化。その後も続々と書籍を出版しておられる先生がいらっしゃる。

その先生を批判したいわけではないし、きっととても熱心で、子どもたちのことが大好きで、いい先生なのだとは思っているので、そこはご理解頂けるとありがたいのだけれど、以前からちょっと気になっていることがある。

その先生の書いておられることは長年の指導経験に基づかれたものでもあり、恐らく多くの場合に当てはまるのだろう。
だからこそ、多くの親御さんたちに支持され、続々と書籍も出されているのだろう。

ただ、メールマガジンなどで、時々三択の問題が出題される。
子どもに関しての問題なのだけれど、例えば担任からこんなことを言われたら、どう対処しますか?とか、お友だちとこんなトラブルがあったら、どう対処しますか?みたいな三択で、どれかを選ぶと、◎、○、△、×などの評価とその理由が紹介されるようになっている。

もちろん、納得できることもあるし、一般論としては恐らく間違いないんだろうなとも思うのだけれど、その三択にどうしてもなんだかひっかかってしまう…。

だって、子どもはひとりひとりみんな違うし、親だって違う。その子を取り巻く環境だってみんな違うのに、三択で正解とか不正解とか言ってしまえるもんなんだろうかと…。

例外を考えていてはきりがないとか、少数派はともかく一般論でとか、きっと色々なご意見はあるのだろうと思う。
ただ、なんだか不安になったりもするのだ。

今の小中学生の親世代は若い頃、色々なマニュアル本とかハウツー本とかいうものを少なからず読んだ世代なのではないかと思うし、おまけに多くのご家庭がお子さんの数が一人か二人で、子育てについても初めてで手探り…という方も少なくないのではないだろうか。

こんなときどうすればいいんだろう…と思っておられる親御さんに、ちょうどその事例の参考になりそうな三択が出題されたら、その親御さんと子どもがその一般論に合致していれば何の問題もないけれど、それぞれの性格やそのときの状況などによっては、必ずしもその通りにはいかないことだってあるんじゃないかと思うのだ。

まあ、もちろん、あらゆる場面、あらゆる状況を想定して書くのは不可能だし、一般論として書かざるを得ないのだということは頭ではわかる。
そういう意味でも、別に批判をしたいわけではないのだけれど、何かひとつのことがメジャーになればなるほど、それこそが正しいと思いこんでしまう方も増えそうで、どうもなんだか気になるのだ。。。

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2008年6月26日 (木)

ご参考までに。

時期的にも1年生さんなどでそういう問題に出会うことが増えてくる頃かとも思いますし、実際、教室では1年生たちがぼちぼちその類の問題に出会い始め、教室では私が見ているので大丈夫なのですが、宿題などで、どう指導すればいいのかわからないとおっしゃる親御さんが何人かおられましたので、ご参考までに。

先日読んだ(まだご紹介はしていませんが)本にもそんなことが書かれていて、そういう計算のことを何と呼んでいたか、ちょっとすぐには思い出せないのですが(すみません…)例えばこのような問題の場合のお話。

「お母さんがたまごを6個買ってきて冷蔵庫に入れたら、たまごが11個になった。買ってきて入れる前にはたまごは何個入っていたか。」

この場合、まず式を立てさせると、少なくない子どもが「5+6=11」などのように、式の中に既に答えの数字が登場してしまっていたり、「6+11=5」と間違った式で答えは正解になっていたりというようなことをしてしまいます。

この問題の順に式を立てると「□+6=11」というのが自然なのだと思いますから、「5+6=11」はある意味で自然な立式と言えるかもしれません。
ただ、まだ1年生とかだと、そんなに問題を解いたことがあるわけでもありませんし、また、これをパターンとして教え込むことは避けるべきだとも思います。

ですから、教室では子どもがおかしな式を立てたり、うまく立てられずに悩んでいる様子だったら、「式はいいから、まずお答えを考えてくれる?」というように尋ねます。

すると、大抵ちゃんと正しい答えを出してくれるので、それからもう一度問題に戻って、問題の中に出ている「6個」と「11個」を使って「5個」という答えを出すには、どうしたらいいかを考えてもらったりします。

文章題は低学年のうちは特に、式が立てられることより、きちんとイメージできているかどうかの方が重要ですから、まず答えがきちんと出せるかを見て頂いて、式はその後からでも構わないと思います。

そうやって、まず考えるということを優先していれば、文章題ギライにはなりにくいと思いますので、現在低学年のお子さんをお持ちの方などに何か参考になれば幸いです。
(ちなみに、どんぐりさんだとまず絵を描くので、やはり式は後からですよね。)

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2008年6月25日 (水)

可愛いったらありゃしない。

赤ちゃんのときから知っている、友人の息子くんは野生児スーパーくん。
小学校入学の少し前から来てくれていて、今は3年生。

相変わらずの野生児っぷりではあるけれど、スーパーなのは間違いない。
そんな彼の今日のひとこと。

今日は分数の学習だったのだけれど、2つの分数の大きさ比べをするような問題で、レッスンでは通分を教えずして大小比較をやるので、ぱっと見てわかるものは別として、わかりにくいものは彼なりに図を描いたりしていた。

ある問題で引っかかっていたので、たまたま「ケーキ6個に切った3個と5個に切った3個だったらどっちが大きいん?」てな感じで尋ねたら、「ああ!」と言って、その後はほぼ引っかかることなく問題をクリアしていっていた。

そんな中、帯分数と仮分数の大きさ比べをする問題があって、黙って見ていると、円をいくつも描きながら、ちゃんと考えている。
すごいなぁと思いながら、答えに辿り着くのを待っていると

「うわぁ、ケーキ3個も食べられへん!」

(爆)

どうやら彼の頭の中には、私のケーキ発言のあとずっと、ホールのケーキが思い描かれていた様子。
そのケーキを切った図を描いていたのだということがそのひと言で分かりました。(笑)

それにしても…。
そりゃホールのケーキ3個も食べられないって。(笑)

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2008年6月24日 (火)

思いがけない贈り物

今日、お花を頂きました。
お花を頂くこと自体は、まあ、その理由があるといえばあるような日だったのですが(一説にはもう決してめでたくはないという話もありますが…)、とてもとても驚いてしまいました。

というのも、本当に全く、微塵もそんなことを予想していなかった方がわざわざ届けてくださったから。

以前ブログに書かせてもらったことがあるのですが、教室に尋ねてこられたとある営業マンの方。ミイラ取りがミイラになってしまったという方なのですが、私もバタバタしていましたし、きっと先方もお忙しくなさっていたんだろうと思います。
そもそも、友人でもないわけですから、ご無沙汰でもなんの不思議もない方ですし。

最初から、とても人当たりのいい、できる方という印象でしたが、今日も偶然、出勤前に駅でばったり出会い、「○○先生!」と呼び止められて驚きました。
しかし、その時点では用件はおっしゃらず、

「先生、何時からレッスンですか?レッスン前に5分だけお時間頂けませんか?」

とだけ尋ねられ、了解すると「では、後ほど!」と去って行かれたんです。

用事を済ませて教室に行くと、既に待っておられて、お詫びして一緒に教室に上がったところ……。

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ホントにびっくりです!!
けど、全く予想していなかっただけに、本当に感激しました。
写真はイマイチうまく撮れていないのですが、本当にキレイでいい香りがしています。
もしかしたらここを覗いてくださるかもしれないので、Kさん、本当にありがとうございました!!

私も誰かにそんな粋な(?)ことしてみたいなぁ。。。
まだまだ修行が足りません…。(苦笑)

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2008年6月23日 (月)

色んなことを考える。

なんだかんだ、この7月が来たら、教室を始めて丸5年になるけれど、その間ずっとほぼ同じ教材や教具を使いながら、ほぼ決まった年齢の子たちとレッスンを続けてきたというのに、やっぱりまだ日々新しい発見があるし、試行錯誤もするし、考え込んでしまうこともある。

最近しばしば、子どもと「筆算」の学習をしているときに考えてしまうことがある。

つい先日も、3年生の女の子と2桁、3桁÷2桁の割り算の筆算をしていたときのこと。
その子はある程度のところまで暗算で割り算をすることができるようになっているので、筆算はわざわざ教えなくてもいいのではとも思いつつ、教材の順もあるので、とりあえずレッスンを進めた。

最初に「73÷45」みたいな筆算の問題があり、「73円持ってたら、45円のものいくつ買える?」と尋ねると「1個!」と答えた。(その前の段階でお金を使って割り算をしたので。)
1個買ったら45円使って、あまりが28円…そういう流れで筆算の書き方を指導した。

1個しか買えない(1回しか取れない)ときはすんなり行ったのだが、3個とかもっと数が増えてきたとき、特に何も言わずに少し見ていると(例えば、97÷18のような…)、彼女はプリントに何段も引き算を書き始めた。

97-18=79、79-18=61、61-18=…と言った具合に、それを筆算で繰り返している。

もちろん、「割り算の筆算」とはそうやってやるものではなく、何回ぐらい取れるか見当をつけて計算してみるというのが正しいのだろう。
そんなに何度も何度も繰り返して引き算をするのなら、「筆算の便利さ」は活かされていないことになってしまうのだろう。

途中で筆算の書き方、考え方は指導したものの、またちょっと考えてしまった。

学校で習えば、イヤでも書き方を徹底され、わかっていようがいまいが、その方法に統一させられることだろう。
しかし、よほど数量感覚の優れている子でなければ、見当をつけようにも1回ではなかなか正解にならないことも珍しくない。そうして、算数が苦手な子は更に苦手意識を募らせるのかもしれない。

でも、今、目の前で楽しそうに何度も引き算を繰り返している彼女は、2桁や3桁を2桁で割る割り算の筆算が出てきたって、同じ方法で答えに辿り着くことができるだろう。
大人から見たら、面倒に見えるその作業を繰り返すことによって、彼女の中で、このぐらいの数のときはこのぐらい取れるんだな…みたいな感覚が身に付くんじゃないかという気もしなくはない。

以前から、筆算に関しては、よほど計算が苦手な子など以外には指導せず、学校で習うまでは全て暗算でやらせるのはどうだろう?と思っているのだけれど、まだ自分の中でもまとまらずにいる。

でも、目の前でなんとなく楽しそうに引き算を繰り返す彼女の姿は、何か大切なことを教えてくれているような気がするのだ。

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2008年6月22日 (日)

たかが買い物。されど買い物。

もともとあまり出歩く方ではないけれど、最近はますますその傾向が強まりつつあり、おまけに、街に出てほしいものを探してもなかなかこれというものに出会えなかったりもするので、ついついネットで買い物する機会も増えている。

特に、色やサイズをあまり気にしなくてもいいものや、お水などの重いものなどは、届けてもらえるし、時間指定などもできることもあって、結構助かってもいる。

実際に見ずに買うので、高い買い物はまずしないし、それでも中には「ああ…失敗した…」なんてこともなくはないけれど、24時間買い物可能なのはやはりありがたい。

さて、そんなこんなで色々なお店にネットで注文をするのだけれど、某巨大ネット市場では、注文するとまず自動配信とかで注文を受けたお知らせのメールがくる。
その後は大抵、お決まりの文面の注文確認メールのようなものがそれぞれのお店から来るのだが、つい先日、あるお水を注文してみたお店にちょっと感激した。

オーダーして自動配信のメールが来た後、ほんの僅かの時間をおいてすぐに注文確認メールが来たのだが、土曜以外の午前中の配達を希望した私のメールを既にきちんと読んでいて、木曜出荷の土曜午前中配達で手配するけれど、何か不都合があったら連絡をくださいという内容が添えられていた。

あまりに早い、きちんとしたレスポンスに少し驚きつつ、なんだかいい印象を持った。
そして、木曜に出荷したお知らせのメールが届き、今日荷物が届いたのだけれど、たかが(といってはなんだけれど)お水なのに、過剰ではないものの、とても丁寧に梱包され、伝票を入れた封筒にはちゃんと名前が印刷され、箱には手書きで「○○様」と書かれていた。

なんとも言えない丁寧さに感心しつつ、箱を開けると、箱の形は崩れていないのに、なぜか中央の1本が見事にお辞儀をしたように頭の部分がへしゃげてしまっている。
何か力がかかったのだろうと思い、戻そうとしたけれど戻らない。

もし仮に、このお店の対応が注文の段階から何か失礼なものであったなら、きっと私は気分を害していただろうと思う。
しかし、小さいことながらもいくつも好印象の出来事があり、その上でのことだったので、腹は立たなかったものの、箱が潰れていないのに、なぜそんなことになってしまったのか不思議でもあり、一応お知らせのメールを送った。

日曜のお昼。私が送信したのは12時過ぎだっただろうか。
1時間も経たないうちに、すぐに丁寧なお詫びのメールが届いた。その速さにも文面にもやはりまた感動した。

「鏡の法則」というのがあるけれど、そういうのって確かにあるんだろうなと思う。
丁寧な対応をしてくれたことで、私は腹を立てずに済んだ。それどころか、むしろその会社の対応に感激し、なんだかステキな気持ちにさえなれた。

そのことを、もちろんそういう表現ではないけれど、メールでお伝えしたら、とても喜んでくださった。

わからないけれど、きっとその会社の方たちは、お客様に本当に「ありがとうございます」と思って仕事をしておられるんじゃないかなと、そんなことを思った。
私の仕事は物販ではないし、子どもたちも保護者の方たちも、「お客様」という認識はないけれど、なんだか改めて大切なことに気付かせてもらった気がした。

ペットボトルがお辞儀してくれて、ステキな気持ちになった日曜日だった。

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2008年6月21日 (土)

早いなぁ…。

4月半ばに想定外の出来事が起き、更に5月半ばに更に予期せぬ事件が起き、気がつけば6月半ばを過ぎていました…。

この2ヶ月間、一体何をして過ごしたんだろうというぐらい、気づけば2ヶ月という感じで、ちょっと焦っています。。。

事件後、なるべく早目に帰るようにしているため、実質の仕事時間が減ったままで、そろそろ本当にお尻に火が付き始めた感じです。。。
のんびりもそろそろおしまいにしなくてはいけませんね。

それにしても、驚くのが、ここのところ、既にたくさんの夏期講習を含めた塾のチラシが折り込まれていること。
まだ6月ですが?(汗)

もともと、夏期講習も冬期講習も、そういう講習のたぐいはずっとしていませんので、夏期に向けてチラシを…なんてことはないわけですが、それにしても6月ですよ?6月…。

かれこれ1年以上広告を全く出していないのですが、ピンポイントでその枠に1人か2人誰か来てくれないかなぁ…みたいな枠があったりもして、ちょっぴり悩むところです。

それと、夏休みに3回とか4回とかだけの短期集中レッスンで、現1年生に20までの足す引くのレッスンとかできたらいいのになぁと思ったりもするのですが、その場合、何らかの広告を出さない限り、自然に集まるなんてことはあり得ませんよね。

あ、この短期集中っていうのは、経営的にやりたいとかってことではなく(実際のところ、時間が取れるのかどうかもまだ不明ですし…)、もし1学期の間に既に算数が苦手になりかけている子がいたら、そういう子が「なんだ、算数って結構楽しいんだ」と少しでも思えるようになってくれたらいいなぁと、そんな感じなんですけどね。

もし、通ってくださっている方のご友人やお知り合いで1年生で算数で困っているような方がおられましたら、夏休みだけのスポットレッスンは多分可能だと思いますので、お気軽にご相談ください。

実際、私が教室を始めたのは5年前の夏休みからで、そのとき、1学期の段階で既に算数で苦戦していた1年生が4回のレッスンで学校より先のことまでできるようになり、その後ずっとその子が学校の算数で苦戦する姿は見たことがありませんでした。
その子ももう6年生。

ある意味、それが私の原点なのかもしれないと思うのです。

もし、ブログを読んでくださっている方で、お子さんが算数でちょっと苦戦しているんだけど、遠いから継続して通うのは無理…などと思っておられるような方がおられましたら、夏休みに数回だけという形でレッスンをお受けすることはできるかもしれません。(学年や現在の進度などにもよるかと思いますが…。)

もしも何かお役に立てそうなことがありましたら、お気軽にお尋ねください。

今日は既に頭が働いていないので、なんだか変な更新ですみません…。

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2008年6月20日 (金)

機械的作業って・・・。

私自身は子どもの頃、学校以外の場所で勉強を習ったことがないので、勉強を教わったのはほぼ全て学校の先生からで、初めて習うことも学校で説明を受けるか、自分で教科書などを読んで勝手にやるか、とにかく「やり方」を習って、それに沿ってやるというのが当たり前のことだった。

なので、今、教室で取り入れている学習法は、私自身もかなり目からウロコだったし、未だに、ああ、これはこういう風に考えたらよかったんだな・・・というような発見をすることがしばしばある。

で、先ほども述べたように、私は学校でしか勉強を習ったことがないので、例えば、分母分数の掛け算や割り算は、掛け算なら分母同士、分子同士を掛ける、割り算なら割る数をひっくり返して掛ける、約分できる場合は約分する・・・というのが「計算の仕方」の全てだった。

しかし、今使っている教材では、通分や約分という言葉を教える前に、同じ大きさの分数を考えさせたり、特に解説も何もない状態で「分数÷整数」の問題を考えさせたりということがある。
そして、私自身、発見したのだ。
正しくは、初めて意味を考えたということなのだけれど、例えばもし「6/7(7分の6)÷3」という問題があったら、皆さんはどう解かれるだろう?

習った通りにやると、「6/7×1/3」とかに直して、約分できるから約分して、それでようやく「2/7」という答えに辿り着く方も少なくないのではないだろうか。
実は私自身は何年か前まではそういう発想しかなかったのだ・・・。

でも、ちょっと考えてみれば、6/7は1/7が6個あるのだから、それを3で割れば当然1/7が2個ずつ、つまり「2/7」になるわけだ。
逆数とか、約分とか、そんなの全く必要がない。

そして、「5/7÷3」だったりすると、この場合は5個を3では割れないから、ようやくそこで考えなくてはいけなくなるだけの話だ。
まあ、この場合、5個しかないので、それぞれを3個ずつ、つまり全部で15個に分けなおせば、3で割れるようになるので、7個に分かれていたものを更に3個ずつに分けるから「21分の・・・」となるわけだ。

分数の割り算も、少なくとも整数で割る分には、ちょっと意味を考えれば全く難しいことではない。

それでも、今日も実際目の前で、割り算の時には割る数を分母に掛けて、約分できるときはすればいいんだなと理解してしまった子(もちろん、それは正しいのだけれど)は、分子をそのまま割れる場合でもそれにすっと気づかなくなってしまった。

「そんなんそのまま分けられるやん?」と声をかけると、ハッと気づいて、「ほんまや、めっちゃ簡単やん!」と。

ほんの少し考えればすごくすごく簡単に解ける問題は、こんな例以外にもある。
機械的作業、計算のテクニックだけを教えることは、そういう機会も奪っているのかもしれないなと、そんなことを思った。

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2008年6月19日 (木)

やっぱり子どもってすごいなぁ。

このところ、1年生たちが何人も変化を見せ始めている。

年長さんから来てくれていた子もいるけれど、年長の秋や冬頃から来てくれた子たちもいるし、特に、まだ期間があまり長くなくて、一緒に算数らしい算数(?)をし始めて3、4ヶ月かなというぐらいの子たちの変化が顕著になり始めた。

徐々に変化していく子もいるし、本人たちは気付いていないのかもしれないけれど、ついこの前まで、うんうん唸ったり、見ていないと指を折って数えようとしたり、きぃ~~っ!!となったりしていた子たちが、目の前でとても穏やかな表情で問題に取り組んでいる。

そういう子たちのお母さんに「よくできるようになってきましたね」とか「かなりスラスラできるようになりましたね」とかお声をかけると、「そうなんです」とか「宿題もかなりスラスラできるようになりました」とかいう反応が返ってくる。

多分、親御さんが見ても、その変化ははっきりわかるものなんだと思う。

普段どんなに落ち着きのない子でも、問題に集中しているときには本当に穏やかな表情になる。
その表情を見られる機会が急激に増えてきた印象がある。

それにしても、ホント急激に変わるもんなぁ。すごいなぁ。
そんな表情を見られる私は本当に幸せだなぁ。

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2008年6月18日 (水)

今日のひとこま。

今日のレッスンの子の中に、他の塾に通っていたにも関わらず、2年生の後半で算数が苦手になってしまっていた子がいる。
その子とレッスンするようになって5ヶ月近くになり、少しずつ考えられるようになってきているけれど、現状はまだ既習内容のおさらいの段階で、学校より先にこちらで学習をするというところまでは行けていない。

入会時期が2年生の3学期だったので、九九は既習の内容になってしまっていて、多くの子どもがそうであるように、九九は言えるけれど、では「掛け算とはなんぞや?」という問いには答えられない状態でもあった。

その子と今日、九九の範囲だけではなく、2桁×1桁や3桁×1桁も含む文章題をやっていたときのこと。
「とんぼ3匹の羽の数は 4×3=12 12枚」、「テントウムシ4匹の足の数は 6×4=24 24本」、というようにすんなり来ていたのだけれど、「180mlの牛乳2本は」の問題で「180×2」と式は書けたのに、そこでぱったりと止まってしまった。

そして、次の瞬間、不安そうに「182?」と尋ねてきた。

そこで、それには答えず尋ね返した。

「4×3ってどういうこと?」

すると

「四三、十二。」

と九九の答えを答えてしまう。 

「そうじゃなくってね、4+3は4と3を合わせる、4-3は4から3をのける…みたいに言ったら、4×3ってどういう意味なの?」

そう尋ねても、何を言われているのか戸惑っているのが見てとれる。

「じゃあ、トンボの羽が何枚か、たし算の式で答え出してくれる?1年生だったら、まだ九九知らないから、4×3はできないよね?でも、たし算でも答えは出せるよね?」

そう尋ねると、少し考えて、「4+4+4」と答えてくれた。
同じようにカブトムシの問題も尋ねると、今度はすっと答えてくれた。

4×3は4が3回、6×4は6が4回ってことを確認して、「じゃあ180×2ってどういうこと?」と尋ねると、あぁという表情になって

「180が2回ってこと?」

と言って、正しい答えが出せた。

この子のようなことは、うちの教室ではあまりないことではあるけれど、意味を考えずに九九を覚えてしまった子たちでは、しばしばありがちなことのように思う。

実際、うちの教室でも時々、まだレッスンでは20までの足す引くも終えていないような子たちが、何か聞きかじったり、九九表を見たりして、断片的に九九を唱えることがある。

少し自慢げに「サンパニジュウシ」とか「ニクジュウハチ」とか言いながら、「かけ算できるねん!」なんていう子に、「すごいね、サンパってどういうこと?」みたいに尋ねると、上述の子同様、「え?サンパニジュウシやん!」みたいな返事が返ってくる。
「サンパはニジュウシやけど、3×8ってどういうことなん?」ともう一度尋ねてみても、そこできちんと「3が8回ってこと」とか「3+3+3+…(8回)のこと」みたいに言える子はほとんどいない。

そんな状態は「掛け算ができる」というのだろうか?
それは例えば、意味も全く知らないけど、お経を暗唱できるとかいうのと同じような話なのではないんだろうか?
もちろん、お経を暗唱できるのは、ある面で「賢い」のだろう。九九を暗唱できることだって、記憶力とかいう面では「賢い」というのかもしれない。

ただ、自分が言っていることの意味すらわからずにどれだけ九九を言えたって、果たしてそれが本当の「賢さ」なのだろうかと思わずにはいられない。

もちろん、子ども自身が興味を持って九九を覚えてしまったなら、それを周囲の大人が止めるのは変な話かもしれない。
ただ、だとしたら、覚えている子どもに対して、ひとこと掛け算の意味を教えてやってほしいとも思う。

今日のレッスンでのひとこまで、そんなことを改めて思った。

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2008年6月17日 (火)

贅沢な時間

うちの教室は、小さいながらも色々な子どもがいて、スーパーな子もいれば、算数に関してかなりしんどい状態の子もいたり、計算はイマイチだけど図形のセンスは抜群とか、スピードはゆっくりだけど考える力はばっちりとか、まあ、本当に色々な子がいる。

そんな中でも、普通にやっても学校より十分先に進んでしまうような教材でもあるので、学校で算数が始まる前の時期から来てくれて、もともと算数が好きだったり、センスがあったりという子たちとのレッスンは、比較的贅沢に時間を使える。

学校の進度に追われながらとか、既に苦手になってしまっていて、それを取り戻すとかだと、ある程度は助け船を出したりしつつ進めていくことになる場合もあるのだけれど、学校より圧倒的に進んでいる子たちの場合、私は限界ギリギリまで教えることはせず、子どもたち自身が発見してくれるのを待つ。

つい先日も、現在驚異的な進度で進んでいる2年生くんと角度のレッスンをしていたときのこと。
そのレッスンでは、私自身は中学校で学んだような気もするし、実際、今でも中学の教科書やワークに出てくるような問題まで一部登場するのだけれど、この子なら自分で発見してくれるんじゃないかなと、紙テープを渡し「同じように折ってみて」とだけ言って、あとは様子を見ていた。

彼は紙テープを折ったり開いたりしながら、じ~っと見つめている。
内心、(どうかな、気づくかな…。ヒントがいるかな…。)と思いつつ、もうしばらく黙って、見ないふりして見ていると、なんだかぶつぶつ言い始めた。

「う~ん、あれ?こことここはおんなじみたいやな…。あ!こことここおんなじや!だったら簡単や。」

そう言って、ニコニコしながら正解に辿り着いた。

塾講師時代、中学生たちに指導していたときなら、まあ、紙テープは用意したとして、私自身がそれを折って子どもたちに見せ、「こことここは重なるから角度は同じでしょ?」とかなんとか言って授業を進めていたんじゃないかと思う。

確かにそれは事実だし、言われたら子どもも「ああ、そうか」と思うけれど、教わったことはあっという間に忘れ去る。
だとしても、中学生になると、毎日の授業も忙しく、部活などもあり、更に定期テストにも追われ…となってしまい、子どもたち自身が発見するまで待つということは物理的になかなか難しいことでもあるんだろうと思う。(もちろん、そういう授業をしておられる先生もおられるとは思うけれど。)

でも、私は何も教えずに、じっと紙テープを見つめてそれを発見した彼は、自分で発見した感動とセットになって、教わるよりずっとずっとしっかりと自分の頭に刻んだはずだ。

先取り学習が全ていいことだとは思わないけれど、少なくとも、算数が好きな子、興味がある子たちにとって、学校で習う以前にたっぷり時間をかけてそういう問題に取り組んでみることは、なんとも素敵なことなんじゃないかと思える。

もっともっと、子どもたちに発見して、気づいて、感動してもらえるよう、私も頑張ろう。

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2008年6月16日 (月)

天と地ほどの差があるけれど…。

今日、読書の方のブログで「大村はま先生」の共著の著書をご紹介した。
大村はま先生のことはお名前となんだか素晴らしい先生らしいということは知っていたけれど、なぜかそれ以上、知ろうとせぬまま今日に至った。

でも、うまく言えないけれど、多分今この本と出会うべきだったんじゃないかなと、そして、これから先生の実践をひとつずつ知っていきなさいということなんじゃないかなと、そんなことも思う。

大村先生の真似なんて、どう転んだって絶対できそうにない。そのぐらい、とにかく素晴らしい国語の実践をされた先生だ。
ただ、大村先生がなさっていた「国語」の指導は、今私たちが思い浮かべる「国語の授業」とは全くというほど異なるものだったようだけれど。

読みながら、中学生の頃に先生の指導を受けていたら、私の人生はどんな風に変わっていたんだろうな?なんてことを考えた。
たった1回の授業のために膨大な準備をされて、どんなにいいものでも1回しか使われなかったというようなことが書かれていたけれど、普通の人間には到底真似できないことだと思う。

ただ、読みながら、改めて気づいたことがある。
もちろん、私なんてまだ大村先生と比べたら天と地というか…比べるのもおこがましいレベルでしかないけれど、常々「教えない」と言ってきたことは、正確には「その子にとって教えなくても考えられるであろうことは教えない」ということなんだなと、自分のことなのに、今頃、ああ、そういうことか…と。

大村先生は生徒たちに議論をさせるときにも、事前にシュミレーションをされていたそうだ。
この子はここでこういう発言をするだろうから、そうしたらこうなって…みたいなことを、仮にそれが全て無駄に終わっても、一度やっておくのとおかないのとでは大きな違いを生むのだというようなことが書かれていた。

恐らく、大村先生には数え切れないほどの引き出しがあって、その上で事前にできる限りのの準備をして、必要になれば必要な引き出しをさっと開けて子どもに提示するけれど、必要なければ引き出しは開けずに黙って見守っておられたのだろう。

知識を一方的に子どもに伝えることも、全てを子どもに丸投げすることも、どちらも違うということがその本には書かれていたように思う。

もし仮に、10の引き出しがあったとして、ある子どもにはそのうち1だけ提示すればあとは自分でやれるかもしれない。
しかし、別の子には5を提示しなくてはいけないかもしれないし、10全てを提示しても足りず、更なる引き出しを用意しなくてはいけないこともあるかもしれない。

私が目指しているのはそういうことなのかもしれない。

ご紹介した本は随所に感動させられる内容が書かれていたが、その中で、学力面で一番しんどい子どもにクラスの中で一番分厚い本を渡し、「一番分厚くて難しいけど、私も手伝うからがんばりましょう」という意味のことを(本を教室に置いてきてしまったので、言葉は少し違っていたと思いますが…)伝え、一番大変な本なのだから、先生が一番自分のところに来ても不思議ではないし、クラスの子どもも認めてくれると、そんなエピソードが書かれていた。

すごいなと思った。

学力面で一番しんどい子に簡単なものをというのは失礼だと。
なんだか目から鱗な気分になった。

またひとり、素晴らしい先生と出会えた。(実際にお会いすることはどう頑張っても、もうできないけれど…)
もっともっと勉強しなきゃな。
なんだか気持ちが改まった。

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2008年6月15日 (日)

すごいぞ、ニンジン。(笑)

まともな記事を書くべきと思いつつ、休日なので休日な感じの記事を。(このところ、ホント全然まともに書いてないですよね…。ぼちぼちちゃんと書けるんじゃないかと、自分に期待してるんですけど…(汗))

以前、自分では初めて見た、うちのバルコニーのちっちゃなプランターで咲いた「蕪の花」を公開したことがありますが、その後も、食べられなかった蕪だけでなく、おネギのしっぽとか、芽が出まくってしまったジャガイモとか、ニンジンの頭の部分とかを何となく植えて(いや、ただ単に土に埋めて?)みていました。

それにしても、植物ってすごいですね~。
ニンジンの葉っぱは何となくは知っていましたが、店頭で売られているニンジンにはまず葉っぱは付いていませんし、ニンジンに葉が付いているとしても、せいぜい15センチ分ぐらいのしゅっとした感じの葉っぱが付いているイメージでした。

しかし!数ヶ月前に頭の部分だけを土に埋めたニンジンちゃんは、現在すくすくと成長し、長い葉はそろそろ1メートルに届くのでは?というぐらいに伸び、その先端には色は葉っぱとほぼ同色なのですが、もしかして花なんだろうか?というものが付いています。

2週間ほど前にはしっぽを植えていたおネギが葱坊主になって、お花が2つ咲きました。
芽が出まくって食べるのは無理になってしまったジャガイモの葉も現在青々と成長中。

ちなみに、当然私は無精者ですので、お水をやる以外には何もしていませんし、そのお水すら、やり忘れてからからになって、あ!と思ってやるなんてことも少なくないのですが、それでもそこまで成長しました。

ホント植物の力ってすごい。

それに、大切に育てたわけでもないし、観葉植物なわけでもないのですが、命を感じられるものを見ているとなんとなく癒されるものですね。

唯一の難点は、小さな虫が集まりがちなことでしょうか…。(苦笑)

最近の子は魚は切り身でしか見たことがない子がいたり、土の付いたお野菜を見たことがなかったり…なんてことを耳にすることがありますが、ずっと神戸で生まれ育った私も、お野菜や果物に関しては実際に育っているところ、そこから収穫する経験、そういうものは子どもの頃に遠足やらで何度か経験したことがあるぐらいで、どのお野菜にはどんな葉っぱがついて、どんな花が咲くのかなんて、実際のところほとんど知らないままです。

だから、蕪の花が咲いたときも感動しましたし、ニンジンの葉っぱが驚くほど伸びていくことにも感動しています。
しっぽしかなかったおネギから葱坊主にまで成長することにもやはり感動しましたし、成長途中のジャガイモの葉は(そう言えば、もう紫色の可愛い花は咲いて、散ってしまいましたが)、これからどうなっていくのかも楽しみです。

うちのバルコニーはもともと小さいですし、そこに置いてあるプランターもとっても小さなものです。
でも、ろくに世話をしなくたって元気に成長してくれて、結構気持ちを和ませてくれたり、感動させてくれたりしていますから、お子さんがいるおうちなどでも試してみられてもいいかもしれませんね。

実際自分たちが食べているものがこんな風に葉を茂らせて、こんな花を咲かせるんだなということを知るのは、結構素敵なことかもしれません。

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2008年6月14日 (土)

またやってしまいました…。

現在既に15日(父の日ですね~。)の朝。
昨夜は割と早く帰宅したのですが、このところ私的には割と早起きしていたのと、土曜はハードな上、1週間の疲れも手伝い、おまけに、明日お休みだと思って缶のアルコールを1本。。。
それをするとほぼ確実に意識を失う今日この頃…。(なので、自宅ではお休みの前の日以外まず飲まないのですが。。。)

というわけで、何か書かなきゃなぁと画面は開いて、書きたいことはあるけど、この疲れて、ちょっとアルコールも入った頭じゃまとめ切れないなぁと思っているうちに意識喪失していました…。(大汗)

最近、書きたいなと思うことはいろいろあるんですけど、なかなか時間と頭がついていかず…。
でも、今はまだ午前中ですし、今日は多分時間もあるので、久しぶりに何かまともなことが書けるといいなぁと思う今日この頃…。

どうぞ宜しくお願い致します。

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2008年6月13日 (金)

あ。。。

今日は帰宅したのは遅くなかったのですが、食事の後、休憩していたら気付けば意識が…。(苦笑)
幸い一旦目覚めたので、形だけ更新(既に1時半ですが…)させて頂きます。

明日は朝からなので、とりあえず寝直します。どうぞお許しを。
メールのお返事できていない方、明日、明後日にはお返事できると思いますので、どうぞご容赦のほど。

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2008年6月12日 (木)

今日のひとこと。

今日のレッスンで、もう超可愛くって笑ってしまったひと言。

以前にも書いたことがある気がしますが、まあ、私にとって子どもたちはみんなとっても可愛いですし、「小さい子」はある意味それだけでも可愛いものですが、そういう可愛さとは別に、うちに来てくれている子たちの可愛さレベルはなんだかすごいものがあるのです。
それこそ、子どもモデルとか子役とかにそのままなれるんじゃ?みたいな子も何人もいますし…。

で、今日の低学年のあるレッスンでのひとコマ。

目がくりくりで、年代を感じる表現で言えば「日本人離れしている」と言われるのかな?という可愛い女の子に向かって、お隣に座っていた男の子が言いました。

「○○ちゃん、外国の人に似てるね。」

ああ、もう可愛過ぎます!!

いいなぁ~、それ。外国の人に似てるかぁ~~。

私はどこからどうみても、典型的純日本人、平安時代系ですからね。そういえば、昔、中国人とかフィリピン人(学生時代日焼けして真っ黒だった頃に…)とか言われたことありますから、それも一応「外国の人」ですけど…。

今日も小ネタ更新でお許しを…。

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2008年6月11日 (水)

すみません…。

昨日は早く寝ようと思っていたのですが、そうもいかず、今日は冷蔵庫の配達時間帯が9~12時と幅があり、9時には仕度をし終わっていなければということで、私にしては早起きだったため、既に睡魔と闘っております…。(汗)

新しい冷蔵庫は無事届き、今日は新しい眼鏡もできました。これがまた結構見え方が違って新鮮です。(苦笑)

しかし…まあ、これは分かっていたことなので、急な出費ではないのですが、今日帰宅したらポストに住民税の通知書が………。(泣)

どうやら5月から何かに憑かれているような…。
自らの意志に関わらず、どんどん出費が続く今日この頃…。この波が1日も早く過ぎ去ってくれることを願うばかりです。(苦笑)

今日はこんな更新でお許しを…。
ちゃんと書きたいんですけどね…。

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2008年6月10日 (火)

やっぱりお祓いが必要でしょうか?(苦笑)

4月半ばに青天の霹靂(注:結婚ではありません…)的事件が起こり、それが一部未解決の状態のまま5月半ばに事件に遭い(というか、新年度になって、次々と何か起きていたような気がしないでもないのですが、色々あり過ぎて忘れていっているような…(苦笑))、やっと少し落ち着いてきたら、今度は先週金曜日に教室のカラーレーザー複合機がおかしくなり…。

複合機なので、それがダメになると、コピーとプリンタ両方使えなくなるため、修理に来てもらわねばなのですが、小さい安い機械を2年ほど前にリースとかではなく現金で買い、保守契約は結ばずに、壊れたらスポットで来てもらうことを選択。

しかし…機械を購入した先が購入数ヶ月後に会社更生法申請だったかなんだかで、もう会社が存在しない。
とりあえずメーカーに電話してみたものの、土曜で、営業の処理上、私に直接請求することができないとかよくわからない説明を受け、月曜を待つことに…。
まあ、それに関しては、対応してくださって月曜に来てくださったのですが、完全には解決せず…。おまけに来てもらって30分作業してもらうだけでほぼ2万かかると……。(汗)

出費続きだなぁと思っているところに、今日のお昼の出来事…。

そろそろ出勤しなきゃなぁとお昼ごはんを食べようと冷蔵庫とフリーザーを開けたところ、フリーザーで異変が…。あれ?解けてる??
出勤までもう1時間もないんだけど、どうすれば…。
プチパニックになりつつ、実家からクーラーバックを借り、既に解けてしまってダメっぽいものはお別れ、まだ何とかなりそうなものはかろうじて冷えているらしいフリーザー下段に入れ、コンビニに氷を買いに走り、冷蔵庫とフリーザーに突っ込んで、大慌てで出勤。
ギリギリ8分前到着。

終わったら終わったで、何が何でも今日買って、明日の午前中に配達してもらわねばということで、猛ダッシュで片付けて、汗だくになりつつ家電屋さんへ。
幸い、いいお兄さんにあたったみたいで、明日配達してもらえるものの中から選んだ上、どうにか明日の午前中配達をしてもらえることに。

し、しかし…。何故こう続くんでしょう……。
次は何?とちょっぴり戦々恐々な今日この頃です…。

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2008年6月 9日 (月)

あらま、びっくり!

私は恐らく物心ついたとき、もしくは生まれたときから目が悪い。
少なくとも、記憶にある限り、ある時期を境に見えにくくなったなぁということはなかったし、小学1年の眼科検診で既に極度の遠視性乱視と診断され、とにかく、モノがクリアに見えるということがどういうことかよくわからぬままに過ごしてきた。

ただ、ここ数年は多少良かった方の目が悪い方をかばっていたらしく、右目は昔からの遠視性乱視、左目は近視性乱視になってしまった…(汗)
昔からメガネを作るときには、完全に矯正はきかないし、見えることを優先し過ぎると、気分が悪くなたったり、歩けなくなったりするかもと言われ、「ある程度見える」というメガネで過ごしてきた。

自分の目はこんなもんなんだろうと思っていたのだけれど、先日の事件でそれまでかけていたメガネが壊れてしまい、このところ、度数は同じだったはずの前に作ったメガネで過ごしていた。
ただ、ちょっと個性的なメガネなので、もうちょっと落ち着いた感じのがほしいなと思って、今日レッスンの後、メガネを見に行った。

視力などを測ってもらい、レンズを選んでもらったのだけれど、確かにこれまでよりよく見えるものの、見え過ぎるというか、なんだか頭がくらくらする。
なので、少し緩くしてもらうことにしたのだけれど、そのとき、「これが今の見え方です」と言って見せられたメガネの右が、メガネの用をなしていなかったことを初めて知った…。

メガネかけている意味がないぐらいぼやけていて、全然見えてない!!(汗)
というわけで、今よりは見えるけど、見え過ぎない程度に度を緩めてもらって作ってもらうことにした。

しかし…。前に作ったのが3、4年前なんじゃないかと思うけれど、その間にそこまでまた悪くなっていたのかと思うと、ちょっとめまいが…。(苦笑)

3日後に新しいメガネが完成する予定だが、さて、子どもたちは気づくだろうか。

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2008年6月 8日 (日)

やっと少し復活かな。

今日はオフだったので、どうでもいい話題ですみません…。

事件後、しばらくは事件の後処理やらなんやらで物理的な時間がなかったのですが、その後、少し落ち着いてきても、部屋を片付ける全く気持ちになれずに過ごしておりました。
まあ、もともと掃除が苦手科目(?)だということは過去何度も告白済みなのですが、今回は自分でも、部屋にホコリがあるなぁ…、ものが雑然としてるなぁ…と感じつつ、それでも手をつける気になれずにいました。

ですが、今日はようやく片付けと掃除をする気になれ、まあ、だらだらしつつではありましたが、久しぶりに部屋が少しすっきりしました。
まあ、狭い部屋ながら、まだ片付けるところは残ってるんですけどね…。(汗)

今日は1日のんびりしたので、明日はちょっと活動しようと思います。
リュックは安心だけれど、ものの出し入れがいちいち大変なので、ようやく斜めがけできるカバンも買ったし(ネットで探したので、ちょっと思っていたのとは違ったのですが…(汗))、そろそろ気合い入れ直して頑張らないとですね~。

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2008年6月 7日 (土)

疾風のようなご訪問。

既に今日も間もなく日付が変わりそうです。
で、例によって、ハードな土曜を乗り切り、1週間もなんとか終え、頭はもうまともに働いておらず…。(明日はお休みなので、珍しく缶1本だけアルコールも摂取中で尚更…。)
というわけで、今日も手抜き更新になりそうな予感たっぷりですが、お許しください…。(汗)

一昨日、突然ある方からメールを頂きました。
ご用事で神戸(正確には西宮市だったようですが)に来られることになったので、都合が合えば…と。

あまりに突然でびっくりしましたが、こちらに着かれる予定のお時間とご用事のお時間とを伺うと、どう考えてもあまりにもタイト過ぎる予定で、交通機関がうまくつながったとしても、最大でうちに30分いらっしゃれるかどうかのはず…。
おまけに、土曜は朝からレッスンなので、こちらに着かれる時間には既にレッスンが始っているし…。

私の方はお断りする理由はありませんでしたし、一度お目にかかってみたいと思っていた、ブログ界(?)ではかなり知られた(特に小学生の親御さんとかだとご存知なのではと…)先生でしたので、どうされるかはお任せしました。

ですが、さすがに20~30分だけではいらっしゃらないだろうと思っていたのですが、その方は遥々やってこられました。今回は福岡から……。(汗)

実質、本当に30分足らず、それもレッスン中だったので、私はご挨拶をさせて頂いたほかは「お構いできませんけど、なんでもご覧ください」と言っただけ…。(大汗)

子どもたちが不思議そうにしていたので、説明すると、先日北海道から遥々いらしてくださった先生には毒舌娘が「変な人」と言い放ったわけですが、今回も福岡からと言ったら(幸い今日は毒舌な子はその時間にはいなかったのですが)「なんで?!」と。

そりゃ驚くわね。それもたった30分だけ…。(苦笑)

これは「お目にかかった」と言ってよいのやら?という、なんだかもう正に「風のように去りぬ」的ご訪問となりましたが、いつか福岡にお邪魔できましたら、そのときにはせめて1時間は…。(苦笑)

こだま先生、宣言はしていたものの、本当に全く微塵もお構いしませんで(レッスン中は子どものことしか考えていないもんですがら…)申し訳ございませんでした。
わざわざ寄り道して頂いて、本当にありがとうございました。

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2008年6月 6日 (金)

むぅぅぅ。

今日は結構ハードな日で、明日は1週間で一番ハードな日の上、新人さんが1人レッスンスタートになるのと、恐らく10分か15分ぐらいだけ、遥々福岡から教室に寄ってくださる方もおられる予定で、なんだかんだバタバタしそうな予感…。

というわけで、今日は早々に休ませて頂こうと思っておりまして、ブログは手抜き更新…。

ある6年生男子の今日のひと言……。

「センセ、めっちゃ白髪増えたな!」

ちなみに、過去、既に卒業して中学生になっている子たちに嘘をつかれたことはあったものの、今日の彼はそういう嘘をつくタイプではない…。

「え?ホンマ?どのぐらい??」

「えっとな、この辺やろ、この辺にもぶわ~っと。」

ぶ、ぶわ~っとですと??

「まあな、白髪も増えるかもな。最近、極度のストレスがかかったからなぁ~(笑)」

「え?何?何のストレス?」

「まあな、イロイロや。」

「ふぅ~ん、そうなん。」

…………。な、泣いてもいいですか?(をい)

とりあえず帰宅後、自分で見てみたのですが、どうも「ぶわ~っと」というのは大袈裟なのでは?と思うものの、長らく2本しかなかったはずなので、それからすると、確実に増殖している気配が…。(泣)

幸か不幸か、生まれつき髪の毛の色が赤いというか茶色いというか、薄い方なので、黒髪の人よりは目立たないとは思うものの……。
むぅぅ、そんなところにストレスが現れていたとは……。

ま、禿げるよりいいか…。(をい)

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2008年6月 5日 (木)

全然関係ない話だけど…。

最近、友人が出張で海外に行った。

私自身は小さい頃からどちらかというと出不精で、知らないところに行くことになると、出発前にお腹が痛くなってしまうようなところのある子どもだったから、初めて飛行機に乗ったのは完全に大人になってからだったし(かといって、乗るのは特に怖くも何ともなかったけれど)、国内の旅行にも特に進んで行くことはなかった。

その影響もあるのかどうか、私は地理の勉強がとても嫌いで、中学時代の試験ではしばしばなかなかに見事な点を取っていたものだ。

ただ、過去何度も白状しているように、私は勉強が好きだったわけではないし、興味のないことは進んで勉強したりなんてしないヤツで、おまけにテストの点が悪くても気にしない性格だったため、結局中学1年で地理の授業を受け、受験のときに少しは勉強したものの、それ以降、「地理」について新たに学ぶなんてことのないまま大人になった。

その後も、学生時代に家庭教師のバイトをしていても、塾講師の時代にも、そして今も、子どもに地理を教えるシチュエーションにはなったことがないので、中学時代以降、私の中で地理の知識はごくごく僅かしか増えていない。(もしかしたら減っている可能性も否めない…(汗))

で、今回、友人が渡航した国では22時まで太陽が沈まないと聞き、名前はよく知っている国なのに、へぇ~と驚いてしまった。
おまけに、その国では日本の感覚では早朝から仕事が始まる代わりに15時頃に仕事が終了になったり、たっぷり午睡を取った後また仕事に戻ったりするという。

へぇ~っと思ってWikiでその国のことを少し調べてみたのだけれど、知らないことだらけで驚いた。

でも、例えば中学時代、もし先生が「この国は夜22時頃まで太陽が沈まないんだよ」と話してくれていたら、どうだったんだろう?
きっと、日本では22時なんてとっくに真っ暗なのに、なんで22時まで沈まないんだろう?と疑問が湧いたのではないだろうか。疑問を持つと調べずにはいられない性格の私は、もしかしたらそこから、地軸の傾き、緯度や経度、それぞれの国の気候なんてものに行きついて、どんどん興味が広がったかもしれない。

もちろん、そんなのは今だから思うことで、仮に中学時代にそれを聞いていても、「ふぅ~ん、そうなんだ」と思って終わっていたかもしれないけれど、少なくとも、普段自分にとって当たり前のことが国によって異なるのだということを知らされていれば、もう少し違った見方で地理を学べたかもしれないと思う。

もちろん、それは地理に限ったことではないだろうけれど、私の中で社会や理科、英語は主に暗記科目という位置づけで、ただひたすら暗記して、知識の量をテストで計られるという印象を持っていたため、テストの点が悪くても、「覚えなかったんだから仕方ない」みたいな割り切りをしていたのは事実である。

でも、テストの点を気にしないのであれば尚更、小さなきっかけで私の地理嫌いはもっと違っていたかもしれないとも思わないではない。

勉強法の本などを読むと、社会の勉強には実際にその地を訪れてみるのがいいとか、生活に関連させるのがいいとか書いてあることが多い。
それを読むたび、まあそうだよなぁと思ってはいたものの、それでもやはり社会を学ぼうという気は起きなかったので、読みっぱなしで過ごしてきた。

ただ、今回改めて感じたので、これから学校で地理を学ぶ子たちが私のような「暗記地理嫌い」にならないためにも、親御さんたちに何かちょっとでも意識していて頂けたらいいなぁと思って書かせてもらった。
まあ、普段の仕事には見事なまでに関係ない話だけど…。(汗)

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2008年6月 4日 (水)

日本の未来

3月にある本を読み終えたとき、考え込んでしまったことがある。
うまくまとまらず、いつか書こうと思ったまま時が経ってしまったけれど、偶然にも、その本をさくら個別の國立先生がつい先日読み終えられたとのことで、ブログで紹介しておられたのを見て、思い出した。

発展途上国に学校と図書館を作ることを目的としたNPOを作り、活動している方の本だったのだけれど、そこで紹介されている発展途上国の子どもたちは勉強したくてもできない、本を読みたくても読めない…そんな環境に置かれている。

先日、あるテレビ番組では、有名人が描いた絵をチャリティーオークションにかけて、その代金でカンボジアに学校建設をしようという企画をしていた。
テレビに映し出されるカンボジアの子どもたちは、屋根も壁もまともにない校舎で、ぎゅうぎゅう詰めになりながら、一所懸命勉強していたし、そんな恵まれない環境での学習すらできない子どもたちもいるのだそうだ。

今の日本では小中学校は義務教育になっていて、子どもが望めばそれらの教育を受ける権利は保障されている。
私自身、生まれたときにはそれが当たり前で、教室には立派な黒板、椅子や机、それぞれ1冊ずつの真新しい教科書を配られ、図書室には本がたくさん並んでいた。
戦後何十年も経って日本で生まれ育った人間にとっては、例外はあるにしろ、殆どの人間にとって恐らくその環境は何ら特別なものだと意識したことすらないのではないだろうか。

しかし、では、そんな恵まれた環境にある私たちは果たしてその環境に感謝しているだろうか?
その恵まれた環境を大いに活用しているだろうか?

何も特別なことではないと思っているから、当然「環境に感謝する」ことはなかなか難しいことだろうし、また、それは当たり前のことであれば、「恵まれている」と意識することもないのだろう。

本の中に描かれた子どもたち、テレビに映し出された子どもたち、他にも世界中の多くの国で、満足に教育を受けられない子どもたちは数え切れないほどいるのだろう。
そして、受けられないからこそ、受けたいと切望し、わずかな機会でも真剣に学ぶのだろう。

発展途上国に対し、様々な先進国からの支援がなされ、学校が作られ、子どもたちに学びの環境が与えられる。
それは本当に素晴らしいことだ。
心から学びたいと願った子どもたちは、きっとものすごい勢いで知識を吸収し、能力を伸ばしていくに違いない。

そうなったとき、日本はどうなるんだろう?

食糧さえ全く自給できず、資源もほとんど持たない日本。
それでも、これまでは、素晴らしい技術がこの小さな日本を支えてきたのだろう。

やはりまだうまくまとまらないけれど、これからの日本を考えるとき、やはり何より先ず第一に、子どもたちには「自分でしっかり考えられる人間」に育ってほしいと思う。

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2008年6月 3日 (火)

昨日書いたところだけれど。

今日の帰り、予定より少し遅くなり(それでも、以前よりは随分早く帰るようにはなったのですが)、21時半過ぎに教室の最寄り駅に着きました。

通勤にはICOCA定期を使っているのですが、今回の事件で再発行をしてもらっていました。
ですが、古いカードが戻ってきたので、最初のデポジット分が返金してもらえるかもと、とりあえず尋ねてみようとみどりの窓口に行きました。

時間も遅いので窓口には人が座っておらず、私の姿を見つけた男性職員が足早に来てくれました。

「実は先日引ったくりに遭って、再発行して頂いたんですけど、これが見つかったので…」

とカードを見せると、まだ言い終わらないうちに

「では、500円お返ししますね!」

と笑顔でカードを受け取ってくださり、手際よく手続きをしてくださった後、500円玉を手渡してくれる際に、やはり笑顔で

「見つかってよかったですね!」

と言ってくださいました。
これは間違いなくマニュアルなんかじゃなく、その方が自然に発してくださった言葉なのだと思います。
そして、多分ですが、単に見つかって500円戻ってきたことを「よかった」と言ってくださったのではないんじゃないかなと思います。

なんだか疲れも軽くなり、とてもあたたかな気持ちになりました。

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2008年6月 2日 (月)

その瞬間に人間性が出る。

この話題を続けていると、まだ皆さんに心配をさせてしまうのではと思いますが、体はすっかり元気で、怪我もほぼ完治に近づいていますので、どうぞご心配なく。
ただ、今回しみじみ感じたことを書かせてください。

事件直後、警察で聴取を受けている間に、失ったカードの停止依頼の電話をかけていいですよと言ってもらったので、お話の間あいだに銀行やクレジット会社に順に電話をした。
そのとき、24時間対応の紛失届を受け付ける窓口の方の対応が本当に各社異なっていた。

今のご時世、悲しいかな、私のように盗難に遭って連絡を入れる方も少なくないだろうと思う。
電話で「先ほど引ったくりに遭って…」と説明を始めると、そのひと言を聞いた瞬間に、本当に心のこもったような口調で「それは大変でしたね。大丈夫ですか?」と言ってくださった某クレジット会社の方。
他にも銀行の方なども「大丈夫でしたか?」などと声をかけてくださった方もおられた。
そんな中、もう完全なまでに義務的に、恐らくマニュアル通りに、しかし、明らかに面倒そうに対応をされた会社もあった。

翌日から遠方に出かけたため、顔は腫れあがり、それを隠すために髪を下していたし、化粧もろくにできなかった私は、髪で顔を隠している失礼をお詫びするために、また、必要なものを購入する際や、失ったものの手続きをする際などにも、事件のことを口にする機会が何度かあったのだけれど、そのたび、人それぞれの反応が返ってきた。

もともと私のことを知っている方たちはもちろん皆さん心配して言葉をかけてくださったけれど、見ず知らずのお店の方や仕事でお尋ねした先の方など、初めて会う方でも慰めやいたわりの言葉をかけてくださる方がたくさんおられ、咄嗟のときにそんな対応をしてくださる見ず知らずの方に感謝した。

そして、事件の少し前に、現在加入している保険会社の女性から保険内容の説明の電話がかかってきて、まあ、それは口実で、どうやら新しい保険の紹介をしたかったようなのだけれど、その方はなんだか人間味があって、資料を一度見てほしいとのことだったため、了解した。
その方は週明けの月曜に電話をくださると言っておられたのだが、その日はまだ全然何も落ち着いてはおらず、資料を見るどころではなかったので、かかってきた電話でまずお詫びをした。
すると、一瞬言葉に詰まられ、「そうですか…。それは大変でしたね。大丈夫でしたか?」と言ってくださり、まだ資料を見ていないことを詫びると、それを全く責めることなどなく、しばらく時間をおいてまた連絡すると言って、「どうぞお大事になさってくださいね。」と電話を切られた。

しかし、一方で不愉快な思いもしたりもした。
随分以前に勧誘の電話がかかってきて、断りきれず、その後資料も送られてきたのだが、特に興味もなかったためそのままにしてあった別の保険の営業の女性から電話がかかってきた。

マニュアル通りの口調でしゃべるその女性に対し、数日前に引ったくりに遭ったところで、ようやく少し落ち着いてきたところですから、今は保険どうこうを考える余裕はないと伝えたにも関わらず、これまで何度も電話したこと、でもずっと留守だったことを不満げに口にする女性。
その上、わざわざ資料を送ったんだから検討しろと言わんばかりの口調に、さすがに私も苛立ち、「こんな状況でまだ怪我も治っていないのに、保険のことを考えなくてはいけませんか?」と強めの口調で言うと、焦ってもごもご言って電話を切った。

私は営業という仕事をしたことがないけれど、もし保険に入るとしたら、迷わず前者の女性にお願いする。
仮に保険内容が若干劣るとか、保険料が若干高いとか、そんなことがあったとしたって(もちろん程度にもよるだろうけど)、多分私は前者の女性を選ぶ。
魅力的な商品を扱っていたとしても、後者の女性からは絶対買おうとは思わないだろう。

マニュアルで対応できるような内容であれば、もしかしたらそれほど差を感じないのかもしれない。
しかし、相手が予想外のことを言ったとき、マニュアルに書かれていない対応を迫られたとき、そんなときにはきっとその人自身の人間性が出るんだろうなと思う。

私が被害に遭ったことを知った保護者の中には涙を浮かべてくださった方もおられた。
全くの他人の私のために涙を浮かべてくださる、そんな方たちにいつも見守って頂いているんだなと心からありがたく思った。

遠い昔、震災の時にも感じたっけ。
そういう緊急のときにはその人の人間性がよく表れる。いい面も悪い面も。

咄嗟のときにも相手を思いやれるような、そんな人間でありたいと思う。

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2008年6月 1日 (日)

今日から6月。

月も変わり、5月中にカバンも見つかったし、怪我もほとんど治ったし、そろそろこの話題もおしまいにしなきゃなとは思っています。
カバンやその他こまごましたものも、消毒用アルコールで拭いて、今日お日様にあてて干したので、気分的にもようやく少しすっきりしました。

結果的に、失ったものは現金だけで(まあ、色々な手続きで時間も手続きの費用なども失いましたが)、夜道を歩く恐怖心がまだかなり色濃く残ってしまっている以外は、むしろ改めて自分は幸せなんだなと気づかせてもらえたことの方が多かったように思います。

今回のことで色々なことを感じ、それについてはまだ今後書かせて頂くかもしれませんが、とりあえず体の方はもうご心配頂くことはありませんので、気にかけてくださった皆さま、本当に本当にありがとうございました。
きっと、皆さまのお蔭で予想以上に早くよくなったのではと思っています。ありがとうございます。

で、今回、事件の当事者になって初めて身を持って知ったある出来事がありました。

事件の後、かなり長い時間、警察で事情聴取を受けたのですが、その際、初めに思い出せる範囲で被害を順に挙げていき、それを警察の方が記録していかれました。
その最初の段階の情報を「広報」という形で警察からマスコミへお知らせをするそうです。

それを聞いたマスコミ各社が独自の判断でそれを記事にするようですが、翌日そのまま遠方に出かけた私に、友人が「新聞に出ていたよ」と地元紙の記事の写メを送ってくれました。
私は「教室をしています」と言ったのに、なぜか勝手に「塾経営」と発表されたようで、そこには事件の場所、時刻、私の年齢と共に「塾経営」の文字と初めに思い出した分の被害金額などが書かれていました。

別の友人も新聞に出ていたと教えてくれましたが、そこの記事も似たような内容だったようです。

しかし、知らせてもらった中である一紙だけが全く違っていました。それを見て、正直ぞっとしました。

見出しはいきなり「塾名簿などひったくり」。
おまけに、本文を読んでも、「塾の生徒名簿と現金…が入った」と、何よりまず最初が「生徒名簿」のこと。

もちろん、失っていいものではなかったと思っていますし、とてもとても不安で、だからこそすぐに警察の方にも話したのですが、「名簿」と書かれたものは子どもたちの名前と電話番号のみを一覧にしたもので(もちろん、だからなくなっても大したことないなんて思いませんが…)、けれど、その一紙だけはなによりもそれを大きく取り上げていました。

まだ精神的にもかなり参っているときにその記事を読んで、本当に落ち込みました。
この新聞は、個人情報を持ち歩いていた私が悪いんだと言っているんだなと…。

ただ、個人で教室をしている私にとって、例えば急に出先で具合が悪くなったり、交通機関のトラブルでレッスンに間に合わなくなったりということがあった場合、すぐに連絡しなければならないわけですし、それもあって、仕事の日は電話番号だけはいつもリストにして持ち歩いていました。
仮にリストにする代わりに全て携帯に登録していて、携帯を失っていたらやはり同様、もしくはそれ以上大変なことになっただろうと思いますし、事件後、警察の方にもお話したのですが、だとすれば、全てを脳みそに入れる以外方法はないのでは…と。

現実問題として、それは私の脳みそでは無理なことですし、それでも新聞はひったくり被害に遭った私より、名簿(というのかどうかも微妙ですが…)をひったくられた私の落ち度を責めているようにしか読めませんでした。(もちろん、私に責任がないとは言いません。大切なお子さんをお預かりしているのに、不安な思いをさせてしまったことは本当に申し訳なく思っています。)

ああ、これがマスコミなんだな…と、初めて実感しました。

新聞によって書かれる内容が違い、知らされる情報が違い、それぞれの記者の価値判断、優先順位があり…。そういうことなんだなと…。

事件後、それぞれの保護者の方にお詫びをしましたが、結局誰ひとりとして私を責める言葉を口にされた方はおられず、それどころか、お詫びをしたことでかえってご心配頂き、お気遣いくださった方が本当に本当に大勢おられました。

ありがたいなぁ。幸せだなぁと。本当に心からそう思いました。

多分、今回のことも、私は失ったものより得たものの方がずっとずっと大きかったんだろうなと思っています。
お金なんかじゃ絶対買えない、本当に大切でかけがえのないお気持ちを沢山たくさん頂きました。
改めて、心からお礼申し上げます。

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