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2008年3月31日 (月)

今日で今年度もおしまい。

年度末の4日間は通常レッスンを入れておらず、28日は振替で結構レッスンが入ったものの、土曜から今日まではほぼレッスンなしだったため、新年度の準備にある程度集中することができました。

先週後半に、新年度を迎えるまでにやるべきこと、やりたいことをリストアップしたのですが、今日の時点で奇跡的に95%ほど片付きました。
まあ、もちろん、新年度までに…ということが片付いただけで、他の仕事は相変わらず片付かないままなのですが…。

狭い教室のスペースをやりくりするのもそろそろ限界で、ただ、その限界が教室でお受けできる人数の限界でもあるようで、それはそれでちょうどいいのかなと思ったりもしています。

その甲斐性があるかないかはちょっと置いておいて、仮に今の教室の倍の広さの教室に移ったとしても、私が分身できるわけでもなく、現時点ではお手伝いしてくださっている先生方も週1~3日数時間しかご無理な方ばかりなので、完全にお任せしてレッスンを担当して頂くことも難しいとなると、スペースを広げるということは、一人一人を見られる時間がより少なくなるということでしかないわけです。
それが分かっていながら教室を広げることは、当分ないでしょう。(甲斐性もありませんが…)

それに、掃除嫌いの私にはこの広さがちょうどいいんじゃないかなと(これでもすみずみまではとてもとても…なので…)思うのでありました。(苦笑)

まあ、保護者の方に待って頂くスペースとか、幼児のレッスンのスペースとか、早く来た子たちが気兼ねなくパズルなどで遊べるスペースとかはほしいとは思いますけどね…。

さて、バタバタしている間に今年度もおしまい。
明日からは新年度のスタートです。

結局、仕事が追い付かず、一部新学期が始まらないと確定しないコマもあったりして、新規募集は休止したまま3月を終えてしまいましたが、学校の新学期が始まって少し経ちましたら、一部の枠限定ですが、新規募集を再開させて頂く予定です。

今年度も子どもたちは本当にみんなよく頑張ってくれました。
新年度にはまた新しい子どもたちとの出会いも待っています。それもとても楽しみです。
新年度もどうぞ宜しくお願い致します。

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2008年3月30日 (日)

新年度を迎えるにあたり、ちょっと考えたこと

なんていうタイトルをつけたものの、今年度はもう明日を残すのみとなっているにも関わらず、年度内にする予定だった仕事はまだいっぱい残っており、どうにかこうにか新年度のレッスンは始められるかしら…というところまでしか達していないのだけれど、先日、とあるお問合せを頂いて、それにお答えしつつ、ちょっと考えた。

数少ない「日々の思い」フリーク、もしくはマニア(失礼な…)の方にとっては、もう何べんも読んだって!とツッコミを頂くかもしれないけれど、ここ数ヶ月、ネット経由やお電話でお問合せをくださった方のうち、数人の方に同じようなご質問を頂いた。

教室を始めた当初はまだ伊藤先生の知名度がそう高くなかったこともあり、伊藤先生のお考えになった学習法に関しての検索でお問合せということはほとんどなかったが、ここ2年ほど、そちらからの検索でお問合せを頂くことも増えてきた。(といっても、規模が小さいので大手や中堅の方と比べたらごくごく少数だろうけれど。)

頂いたご質問というのは、某大手塾の幼児部門とうちとの違いについてだ。

そのご質問にどうお答えしようかと考えながら、なんだかだんだん自分でもよくわからなくなってしまった。

お問合せをくださっている方は施設や費用、知名度が違うことなんて言うのは既に言わなくてもおわかりのこと。
とすれば、進め方その他についてのことをお尋ね頂いているのだと思うけれど、さて、こればっかりは何が同じで何が違うのか、よくわからない。

もちろん、私は比較されている大手さんのレッスンを見たことがあるわけではないし、おおよその予想しかできないので、あちらのことをお答えしようにもよくわからない。(そもそも比較することすらおこがましいわけで…)

そして、恐らく教材や教具に関してはほぼ同じだと思うということはお答えできる。
ただ…そうお答えしながら、もしかしたら、それ以外は何も同じことはないのではないかと思えてきたのだ。

うまく言えないけれど、例えば、一般的な小学校高学年や中学生を対象にした一斉指導の塾が2つあったとしよう。(私が以前勤めていた塾もその部類。)

そして、それらの塾に「A塾とB塾の違いはなんですか?」と尋ねたとしよう。

この2つの塾は使用している教材はほぼ同じようなもの。指導のスタイルも1クラス10人程度の一斉指導、お月謝も、授業回数や時間もほぼ同じだったとしたら…。

「指導者が違う」、「指導の仕方が違う」…そんなことしか答えられないような気がする。

そういえば、塾関係のメルマガなどに他塾との差別化とか、自塾のウリとかいう表現で色々なことが書かれていたりするのを読んだことがあるが、上述のような2つの塾があった場合、保護者や子どもにはその2つの違いは極めてわかりづらいものになるのだろう。

似たような塾があれば、結局はお月謝の比較、家からの距離の比較、友人や知人が通っているかどうか、体験に行った時の印象…そんなもので判断するしかないのだろう。

ただ、同じ教材を使うからといって、出る成果が同じかといえば、そんなことは決してないと思うのだ。
かなり極端なことを言えば、指導力のある方であれば、極めて内容の薄い教材を使ってだって、子どもたちを伸ばすことはできるだろうと思うし、至れり尽くせりの素晴らしい教材があっても、指導者によっては目覚ましい成果を見ることができない場合だってあるのではないかと思うのだ。

うちは確かにメイン教材として、伊藤先生が作られた教材を使わせて頂いているし、それはもちろん素晴らしいものだと思っているけれど、もしも何らかの事情でこの教材以外のものでレッスンをしなければならなくなったとしても(もちろん、そんな予定は今のところないけれど)、「教えない指導」、「子どもに気付かせる指導」をすることはある程度可能なのではないかと思う。

また、上述のように「似たような塾」が色々あっても、その塾の出す成果が異なるように、教材が同じだから「同じ教室」ということも恐らくないのだと思う。

ちょうど5年前、初めて伊藤先生に出会って、衝撃を受けた。

ただ、その衝撃は、ずっと探していたものに出会った!という衝撃だった。
だから、独立する気なんて全くなかったのに、森三中の電撃婚ではないけれど、いきなり独立を決めてしまった。
ずっと探していたものは、もっと子どもを伸ばせる学習法、暗記ではなく、実感を伴った学習法、そんなものだったから。

けれど、独立してからも、子ども達をよりよく伸ばせる学習法をずっと模索し続けている。
先生の教材は素晴らしいけれど、小学校の全範囲をカバーしているわけではないから、教室を始めたときからずっと、「これだけで完璧!」と思ったことはない。

本来、先生の教材は幼稚園受験、小学校受験、中学受験準備…といった、「受験」をにらんだつくりになっており、それら全ての受験指導に対応していない私の教室は、それだけで全ての子どもに対応することは難しい。

伊藤先生の教室や、某大手塾さんとの違いを尋ねられたら、もしかしたら、これが答えなのかもしれないなと思う。

「使っている教材や教具以外は多分ほとんどが違います」

違うからこそ、うちみたいなこんな小さな教室が続けられているんじゃないかと思う。
もし他の大手や中堅の塾や教室と同じようなことをしていたら、きっと今の教室はなかったんじゃないかなと。

今までも、そして多分これからも、私にとって興味があることは「目の前の子どもたちが持てる能力を十分発揮し、伸ばすのに有効なことは何か」ということに尽きるんじゃないか。
新年度を迎えるにあたり、そんなことを考えた。

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2008年3月29日 (土)

ミイラ取りがミイラ?

普段、私はレッスン開始以前余裕をもって教室にいることがあまりない…。
全く自慢にならないが、子どもの頃から、遅刻はしないけど、余裕を持って登校(高校は交通の便があまりよくなかったので、ある程度早く着いていたけれど)、出勤ということをしたことがほとんどない…。

そんなこともあって、教室にいるときはレッスン開始前かレッスン中で、飛び込みの営業マンとかが来てもまずお話できる時間がない。
まあ、時間があっても、コピー機をリースする予定もないし、置き薬を置く予定もないし、広告を出す予定も今のところないし…。

そんな中、先月初旬か先々月下旬かに、とある営業の方が訪ねていらした。
珍しくその日はレッスンまでに少し余裕があり、また、その方の話し方、振舞いなどがとても好感が持てたことや、少しだけ気になる内容の営業だったこともあり、後日お時間を取らせて頂くことになった。

そして、やってこられたその方とお話をしていると、今は全く別の畑のお仕事なのだけれど、前職は予備校の運営に携わっておられ、震災の影響を受け、その後退職、現職につかれたとのことだった。
お話をしていても、物腰が柔らかく、表情も豊かで、先生をしてらしてもとてもお似合いになるだろうなと感じた。

さて、本来はこの方が私を勧誘するはずだったのだけれど、お仕事柄聞くのもお上手で、おまけにちょうどお子さんがお生まれになったところで、幼児教育にも関心を持っておられたこともあり、ついつい私がしゃべりまくり、挙句、教具なんかもちょっとお見せしたり、これも何かのご縁かとお勧めの本をご紹介したりと、なんだかおかしな展開になった。

しかし、やはりこれも運命だったのかもしれない。
その後、本筋のお話も色々聞かせて頂いたけれど、常に教室の指導の話題になり、とうとう先日、ご本人のご希望もあって、幼児さんのレッスンを見学されることになった。

お仕事の都合で30分ほどだったけれど、とてもニコニコ楽しそうにご覧になっているのが視線の端に見えていた。
次のご予定もあり、途中で帰られたのだけれど、翌日頂いたメールを見てびっくりしてしまった。

もともとは、まだ0歳のお嬢さんにゆくゆくはさせてみたいということでご覧になることになり、「やはりいずれ是非させてみたい」と書いておられたのだけれど、なんと、そのメールの続きにはこう書かれていた。

「同時に私もこの授業を将来自分でもできたらいいなとも思いました。
将来リタイアした後、やってみたいと感じるほど私にはインパクトがありました。」

あら……。(汗)

まあ、まだまだお若いから「リタイヤ後」だと随分先のお話になりそうだけれど、あまりに思わぬ展開にびっくりしつつ、なんだか嬉しくなってしまった。

けど…これって一種の、「ミイラ取りがミイラ」状態?(笑)

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2008年3月28日 (金)

なんだかしみじみと…。

本当はその日に書きたかったのですが、ちょうど体調を崩した日だったため、結局数日遅れになりました。
そして、その割に、皆さまには極めてどうでもいいようなお話です。スミマセン…(汗)

つい先日、6年生の男の子が2人、卒業することになった。
そもそも、中学生のレッスンを募集休止にしたのは私の方で、もし私が中学生も募集を継続していたら続けてきてくれていたのかもしれないけれど、そればっかりは考えても仕方のないことだし、体力的にも能力的にもそれはちょっと控えておく方がいいだろうなということで決めたことだ。

もちろんこれまでにも6年生や中3で卒業していった子はいるから、卒業生を見送るのはこれが初めてなわけではないけれど、教室を始めた当初、一番初めに来てくれた子と、その2ヶ月ほど後に来てくれた子が今回の卒業生だった。

偶然にもその2人は小学校のお友だち同士で、ラストの1年は2人同じ時間帯でのレッスンになった。

この2人は背の高さはかなり対照的だったけれど、2人ともタイプは全然違うものの本当に気持ちのいい子たちで、それも教室を始めたときからずっといた子たちだから、今回はなんだか淋しさもひとしおだった。

一番に来てくれた背の高い彼は、当初は計算は速いけど文章題はちょっと苦手…という普通の子で、しかし、まだ全く未熟だった私のもとでも本当によく頑張ってくれて、結局週1回1時間だけのレッスンで、パズルなどもたくさんやりながらも中1の内容も95%ほど終えることができた。
彼の能力は本当に素晴らしいものがあったし、これからの成長が楽しみだ。

少しだけ遅れて来てくれた小柄な彼は、実は来てくれた当初から既に算数がキライで、おまけに超早生まれの彼は4年生ぐらいまではレッスンの時間の半分ぐらいは睡魔との闘い。
眠くないときのセンスにはとても素晴らしいものがあったのだけれど、何しろ確実に毎回眠くなる…。この子には何度「起きとったらめっちゃ賢いのになぁ」と言ったかわからない。(苦笑)
しかし、そんな彼も5年生頃から体力が追い付いてきたのか、レッスンで眠くなることもほとんどなくなり、3年間半分近く眠っていた(!)にも関わらず、結局は最後の最後中1の正負の数の四則混合計算までは進むことができた。

うちに来てくれている子たちはみんなとてもいい子だけれど、彼らも本当に本当にいい子たちだったし、2年のときから一緒だったから、やっぱりしみじみ淋しい気がする。

卒業のお祝いにとてもささやかなプレゼントをした。
今どきの子たちだから、こんなのじゃ喜んでくれないかもしれないけど、気持ちだけ…と思って選んだプレゼントだったけれど、喜んでくれたらしい。

ひとりの子のお母さんがわざわざお電話をくださって、お母さんが帰られたら、彼がず~っとそれを眺め、嬉しそうにあれこれ触っていたとお知らせくださった。
そんな風に言ってもらえて、私まですごく嬉しくなった。

今の私は彼らの成長と共にある。
彼らが来てくれたから、今の教室がある。

Hくん、Yくん、4年半の間、本当によく頑張ってくれてありがとう。
あなたたちに出会えたことに感謝しています。
中学校に行っても、これまで通り元気に頑張ってくださいね。
私ももっとしっかり頑張るね。

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2008年3月27日 (木)

お祓いに行くべきだろうか…。

実は先週来、これまでにはなかったほど立て続けにトラブルや予期せぬ出来事が起き、ホントにお祓いにでも行った方がいいのかしら…と思い始めていたところに教室のパソコンが起動しなくなり、挙句、昨夜は私までダウン…(汗)

21時頃だったかと思いますが、急にすごく寒くなってきて、気温が下がったのかな?と思っていたのですが、だんだん悪寒がし始め、体の節々が痛くなり始め…。(危険…)
まだ明日から3日はレッスンがありますし、とりあえずダウンするわけにはいかないと、大事を取って贅沢にもタクシーで帰宅。軽くフルーツやヨーグルトなどを食べて早目に就寝しました。

しかし、7時頃目が覚め、あまりにも体が痛いので再度熱を計ると寝る前より上昇…(泣)
これは今日は無理か?ヘルプの先生をもうひとりお願いして、代わりにレッスンをしてもらうか?とお布団の中であれこれ考えていたら、また眠りに落ちていました。
再び目覚めたら、熱はやや下がっていたのですが、やはり体は痛い…。適当な薬もなかったので、近所のお医者に行ったら、いつもの女医さんではなく年配の男性の先生。

何が不思議って、体重と血圧とを測って、あとはひたすら問診で(聴診器もあてなけりゃ、喉もみないで…)、尿検査だけはされ、挙句、お腹は痛くないって言ってるのに、処方されたのが胃薬と整腸剤と下痢止めと「胃にやさしい」鎮痛解熱剤。。。。。。う~ん…ミステリー。

しかし、なんでなのかわからないものの(一応鎮痛解熱剤は飲んだけど)、出勤してレッスンの時間が近くなってくると痛みが消え始め、子どもが来たときには完全復活。
調子が悪かったのはウソみたいにいつも通りにレッスンができました。
まあ、終わったら頭痛と背中痛がちょっとぶり返しましたが……。

どうやら、やはり私にはお薬よりも子ども達と過ごす方が効くようです。
これなら今週も無事乗り切れそうかな。
しかし、そんなこともあって、仕事場のPCには全く手をつけられずのまま…。

ご案内等がますます遅れており、皆さまにはご迷惑をお掛けしています…。
今年度ももう5日しかないのですね!?ああ…どうしよう……。

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2008年3月26日 (水)

ひとまずUP。

今日中の更新が間に合わないので、ひとまず生存証明を…。
体調がイマイチなので、更新は軽めになると思いますが、今から書きます!

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ココログメンテのお知らせ。

25日15時から26日11時までメンテだそうです。
25日から26日にかけての深夜の時間帯は更新ができないようですので、更新してないなと思ったら、メンテまでにできなかったのだと思ってやってください。
どうぞ宜しくお願いします。(25日に更新予約でこの記事を書いています。)

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2008年3月25日 (火)

とうとう・・・。

すみません…。とうとう恐れていたことが起きてしまいました…。

遡れば、既に昨年後半からなんとなく不調だなと思い、その段階でバックアップを取り、年末にはXPの機械はもう教室のPCだけだから、それが壊れたらたちまち色んなことが止まるなと、新しいXPをもう一台購入はしていたのです。

ただ…なんだかんだずっとバタバタで、新しい機械にあれこれ設定したりインストールしたりする余裕もなく、作業は相変わらずずっと不安を感じながらももともとのPCで続けておりました…。

しかし本日…とうとうWindowsが起動しなくなりました……。(泣)

お蔭で、今日は本当はレッスンが3つだけだったので存分に事務作業をするつもりだったのですが、全て不可能に…。
ほぼ完成していた年間カレンダーも、ここ3ヶ月は確実にバックアップを取った記憶がないので、再度作り直しせねばならなくなり…。

当然メールも保護者の方宛てのレターも何もかも手をつけることができず、今日は適当に切り上げて帰ってきました…。
明日はお昼前からびっちりレッスンなので、明日も教室ではPC作業はできないかと…。(新しい機械を設定し直すなどのもろもろの作業をする時間が取れなさそうです…。)

既に遅くなり過ぎている年間スケジュールが更に遅くなりそうで、本当に申し訳ありません。
今しばらくお待ちください。

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2008年3月24日 (月)

よく笑いました。(休日ネタ)

最近は、本当に仕事しかしていないなぁと自分でも思うぐらい、仕事抜きでどこかに出かけることも、友だちと会うことも激減していました。
もともと出不精で、おまけに昔から友人は多い方ではない上、まめに連絡を取る方でもなく、年齢を重ねるごとに、結婚したり、母になったりとますます会える友人は少なくなり…。

ですが、今日は中学時代の同級生が声をかけてくれて、同級生のお母さんと妹さんがしている結構有名なお好み焼き屋さんで同級生5人と中学時代の先生とその奥様とでプチ同窓会となりました。

18時半頃お店に着いたのですが、結局0時半まで、食べるのは最初に1時間ちょっとぐらいで終わったんじゃないかと思うのですが、その後延々としゃべって、喉は痛くなるし、お腹も痛くなるほど笑ったし、本当に楽しい時間を過してきました。

今ではおちびさんたちにのみモテモテの私ですが、今日来ていた同級生男子3人(残念ながら(?)全員既婚ですが)のうち、ひとりは中学時代にラブレターをくれた子、もうひとりは社会人になってからクラス会で再会し、その後10年来ずっと会えば口説いてくれる子(笑)で、ちょっぴりモテモテな気分になれました。(笑)

ただ、一番びっくりだったのが、小学3年のとき同じクラスだった同級生の発言。
この子とは小中高と同じ学校だったのですが、小学校時代は体の大きなその子はいじめっ子で、しょっちゅうか弱い女の子をいじめていました。
で、昔っから姉御肌(親分肌??)だったのか、いじめられた女の子たちがなぜか私に助けを求めにくるもので、その子と知り合いになってから小学校6年まで、いじめっ子と、それと闘う女…という関係が続いた子でした。

正直言って、クラスが分かれた後でも廊下などで出くわすと、お互いに大声でののしりあうなんてことも…。(私は目が細いのですが、その子はゴリラっぽい雰囲気だったもので、私が「ゴリラ!」とかいうと、なぜか「細目のゴリラ!」と意味不明な(私は多分ゴリラ似ではありません…)言葉が返ってきていたような記憶が…。)

小学校の間は私はとにかくこの子のことが天敵のような感じで、女の子をいじめる悪いヤツ!という印象しかありませんでした。

まあ、中学に上がってからその子も変わり、その後仲良くはなったのですが、今日のびっくり発言は……。

「(小学)3年んときは、こいつ(私をさしつつ…)のこと好きやったし。」

!!!!!
なんでよ?(苦笑)

ちなみに、私はたくましかったので、その子から直接いじめられた記憶はなく、その子がいじめるのはいつもほかの可愛い女の子たちだったんですよ?
なんか屈折し過ぎているような???

ま、でも、そんな告白もしてもらい、とても楽しい時間でした。
昨日はちょっと精神的にきついことがあったのですが、かなり元気になりました。

ところで、全くどうでもいいことなのですが、今日はおかしなことがありました。

ちょうど、お好み焼き屋さんに向かって歩いていると、携帯が鳴りました。
師匠とおよびしている塾長さんからでした。18:23
カバンをごそごそしている間に切れてしまい、折り返して歩きながらお話し、3分ほどで切ったのでしょうか。

カバンに携帯を戻した直後、また携帯が鳴りました。何か忘れてらしたのかな?と思って携帯の表示を見ると、今日会うのではない同級生の友人から。18:27

その電話を切って、携帯をカバンに戻したらまた携帯が鳴り出しました。何かの冗談?
これから会う予定の同級生でした。先生が先に着いたらしいから早く行ってくれとのこと…。18:29

その電話を切って、急ぎ足で歩き始めた途端、また電話が……。
母でした。18:31

う~ん…。

私はもともと電話があまり得意ではないので、携帯も滅多に鳴りません。
大抵は教室にかかってきた電話の転送で、仕事がらみでなく携帯に電話がかかってくることは1日平均1回あるかないかかと……(汗)

なのに、今日のこれって…。
歩いている間に立て続けに4回。
それも切ったら次、切ったら次のタイミングで、当然全員何のつながりもなし…。

なんだったんでしょうね、一体…。
結局その後0時半まで一度も電話は鳴らなかったんですけどねぇ。

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2008年3月23日 (日)

お知らせより転載です・・・。

早く作らねばと思いながらも、最終決定ができておらず、新年度の年間カレンダーをまだお配りできておりません。

週明けには必ずと思っておりますが、既に3月中はもういらっしゃらない方もおられますので、来週レッスンがない方にはなるべくご郵送なりさせて頂く予定です。
何卒ご容赦ください。

因みに、新年度は4月1日から通常レッスンの予定で、先日お配りした新しい時間・曜日でいらしてくださいますようお願い致します。
(一部、ご入学前の方などで1週目もしくは2週目まではこれまで通りなど、別途ご希望をお伺いしている方は大丈夫です。)

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2008年3月22日 (土)

今日は自粛します・・・。

段取りが悪いのも、自分のキャパを超えての仕事を抱えているのも、全部自分のせいで、間違いなくどなたも悪くないのですが、レッスン中は子ども達から元気をもらえるので、ほとんど疲れを意識することもなく過ごしているものの、ここ1、2週間、自分でも色んな意味で「疲れてるのかなぁ…ホント大丈夫かな?」と思っておりました。

そして、そんなときにしっかり読み返しもせず、書き上げてUPしてしまった記事である方に大変不快な思いをさせてしまいました。
私自身は全くそういう意図で書いたつもりはなかったのですが、改めて読み直すと、確かに誤解されても仕方ないと感じられるところもあり、反省致しました。

あまり詳しく書くと、またどなたかに嫌な思いをさせてしまっては益々申し訳ありませんので、控えますが、普段私はブログを書くにあたり、すごいなぁとか可愛いなぁとか、もしその話題を取り上げたことを本人やおうちの方が読まれても、イヤな気持ちにはなられないだろうと思うことは、本人を特定できるかもしれないような書き方をすることもありますが、そうでない場合で、それでもその話題を取り上げたいときには、できるだけぼやかして書くように気をつけているつもりです。
昔から人の陰口を言うのが嫌いで(嫌いなら付き合わないということはありましたが、陰で悪く言いながら付き合うとかいうことは絶対できない性格でした。)、それは今も変わっていません。ですから、少なくともご本人に読まれたらマズイな…と思うようなことを、間接的にブログに書くつもりはありません。

そして、これまでにも何度も書いていますが、私は「お母さん」というものを無条件に尊敬しています。
子育てというのはとても素晴らしい、けれど、とても大変なことだと思っているからです。
少なくとも、これまで私が出会ったお母さん方は、ひとりの例外もなくお子さんのことを真剣に考えて、お子さんに良かれと思うことをしておられる方ばかりです。
もちろん、教育に「これが正解!」というものがないばかりに、悩まれ、迷われ、試行錯誤もされるかもしれません。
それでも、少なくとも我が子を愛して、一所懸命になっておられるお母さん方には敬意を抱いています。

そのことを改めてお伝えさせて頂きます。

そして、全くどなたにも誤解を与えない、不快感を与えない記事を書き続けるということは残念ながら不可能だろうとは思いますが(何らかの意見を書けば、賛同してくださる方もいるでしょうけれど、当然反対意見を持たれる方もおられるでしょうし…)、自分なりに改めて気をつけていこうと思います。

ご不快な思いをさせてしまった方へ、改めてお詫び申し上げます。

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2008年3月21日 (金)

消しゴムかぁ。

テレビを見ない私は全然知らなくて、おまけにこのところ、脳みそパンク気味なので、ほかの方のブログもごくごく限られた方のものしか拝見していなかったもので、そのCMはもちろんのこと、それが話題になっていたことさえも知らなかったが、ある先生のブログで、「消しゴム拾って」という子どもに対してどうするか…という話が書かれていた。

ふ~ん、そんなCMがあるんだぁ。
そのCMについて、色んな先生が色々書いておられたってことなんだなぁ。

まるで他人事なわけだけど、それで私の頭に浮かんだイメージは…。

消しゴムを拾おうとじたばたする子どもたちの姿…。(苦笑)

まだ小さい子たちだからなのか、レッスン中に消しゴムや鉛筆を落としてしまう子は結構いる。
こちらに近ければさっと拾うけれど、子どもの方が近く、私の手が届きそうにないところだと「ごめん、頑張って拾って」とかいうこともある。

ただ、「消しゴム拾って!」と言われた記憶はあまりなくて、どちらかというと、椅子に座ったまま拾おうとして椅子から落ちそうになってじたばたしている子とか、体勢を維持しつつ消しゴムなり鉛筆をつかもうと顔を真っ赤にしている子とかの姿が頭に浮かぶ。(苦笑)

もちろん、そんなに必死で拾わなくても、子どもたちが格闘している間に私なりほかの先生なりが拾って渡すことの方が多いのだけれど、拾おうと必死の姿はなかなかに可愛らしくもある。

けど、もし「消しゴム拾って」と言われたらどう思うんだろうなぁ。

個人的に、他人に対してはきちんと話ができるようになってほしいという思いもあって、述語までちゃんと言わないと意地悪することはたまにある。

一番多いのは、レッスンが済んで机の上の消しゴムのカスを捨てる時に言う「先生~、ゴミ箱!」というセリフ。

こちらがわざわざ何も言わなくても、「ゴミ箱とってください」ときちんという躾の行きとどいた子も中にはいるが、まあ、それはあまり多くはない。
小さい子だし、あんまり丁寧にきちんと言われても戸惑うので、「先生~、ゴミ箱取って~」ぐらいがちょうどいいかなと思ったりはしている。

まあ、もちろん、子どもがもうじきゴミ箱を必要としそうであることぐらいは見ていたらわかるので、そのセリフを言う前に取ってしまうことも少なからずあるが、たまにほかの子を見ていたり、よそを向いているときに声をかけられることがある。

「先生~、ゴミ箱。」

そう言った子には、もれなく笑顔で言うことにしている。

「私、ゴミ箱ちゃう(違う)!!」

その言葉に大抵の子は、あはははと笑う。
そして、気づいたら「ゴミ箱とって」とか「ゴミ箱とってください」とか言い直す。

消しゴムや鉛筆を忘れてきた子も、「消しゴム…」とか言ったら、「がどうしたん?」と笑顔で聞き返す。
すると、「消しゴム忘れました」とか「消しゴム貸してください」とか言い直す。

別に私を尊敬しろとか、感謝しろとかいう気は全くないし、ゴミ箱呼ばわり(?)されたってもちろん腹が立つわけじゃない。
とても気が利くとは言えないけれど、子どものしてほしいことはある程度わかるし、言われなくてもしてあげるのなんて、別に何の苦にもならない。
だけど、大人と子供だからではなく、私が子どもに何か取ってとお願いするときにも、同じように「○○ちゃん、△△取ってくれる?」というようにお願いするようにしているつもりだ。

ちっちゃなことだし、小姑みたいだけど、それはなんとなく大事なことなんじゃないかと思っている。

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2008年3月20日 (木)

ほんと、可愛すぎる…。

子どもたちはみんな本当に可愛くて、毎日毎日飽きることなく幸せな気分になれるけれど、今日もまた可愛すぎる出来事があった。

まだ幼いのに、おまけに親御さんの趣味というわけでもないのに、いつもフリフリ、ヒラヒラ、キラキラって感じのお洋服が大好きでときどき「お姫さま」と呼んでいる女の子がいる。

今日は雨が強く降る中、その子が登場したのだけれど、これがまた、リボンやらフリルやらのついたピンクのもう本当に可愛さ満載のレインコートで登場した。
そのレインコートはプラスチックのスナップで脱ぎ着するようになっていて、今日の彼女の様子ではおうちではお母さんがスナップを留めてくれたらしい。

レインコートを脱いだ彼女に、これも練習だしとそれをハンガーにかけてみてもらうことにした。
脱ぐときに片方の袖が裏返ってしまっていたので苦戦していたが、袖だけ戻してあげると、なんとかハンガーに掛けることができた。

ただ、そのままだとスルッと落ちてしまいそうだったので、ひとつ目のスナップだけ留めてみてもらおうと思い、声をかけると、すぐさま「できな~い!」という答え。
「じゃあ、ちょっと見ててね」というと、一体どこにスイッチが入ってしまったのか、「いや、できない。やりたくない。」そう言って、泣き出してしまった。

傍にいたお母さんも突然泣き出した彼女に驚きつつ、やらなくても見ているだけでいいからと声がけをしてくださったが、彼女の気持ちは変わらない。
これからレッスンだというのに、泣いてしまってはレッスンもできないしと、スナップを留めるのは一旦諦めて、私がパチンパチンと留めてレッスンを始めることにした。

留めているときに何となくこちらを気にしてはいたけれど、やってみようとはしなかった彼女。
でも、ほどなくご機嫌も回復してレッスン自体はいつも通りしっかりやってくれた。
そして、帰るときのこと。

レッスンでもとても頑張った彼女に、コートを取って渡し、ひとつ目とふたつ目のスナップだけ留めてあげた。
お母さんは赤ちゃんと荷物があって、そのままでは彼女のスナップを全部留めることはできない。

レッスンでよく頑張って少しご機嫌になっていた彼女に、もう一度だけ「あんなになんでもよくできるんだから、きっと留められるよ」というと、少しためらいながら自分でスナップに手を伸ばした。

そして、次の瞬間、今日の中で一番きれいな音が「パチン」と鳴った。

彼女の顔が嬉しそうに輝いた。

「私よりいい音だったね~。」
「すごい、いい音がパチンと鳴ったね~。レインコートひとりで着られるようになったね~。」

お母さんと代わる代わるそう言うと、彼女はニコニコ笑った。
ほんの1時間ほど前には、絶対やりたくないとまで言って泣き出したのに。(笑)

ホントに子どもたちは可愛い。
子どもたちの表情はくるくる変わるし、特に小さい子たちは今泣いたかと思えば、気づけばもう笑顔になっていたりする。

子どもたちにどんなスイッチがあって、いつどうしたらどのスイッチが入ってしまうのかはまだまだわからないことだらけだけれど(つい先日、飴で泣かれたとかっていうのも…)この子たちのお蔭で私はいつも幸せな気持ちでいられる。

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2008年3月19日 (水)

どっちかにしませんか?

教室を始めて間もない頃読んだ育児本に、小さい子どもに対して「早くしなさい」と言いながら「きちんとしなさい」というのは無理だという意味のことが書かれていた。
それまで、教育書やら自己啓発本やらはあれこれ読んではいたけれど、育児本や幼児教育系の本は教室を始めることになってから読み始めたので、そのことは目からウロコな気分で、それ以来ずっと心に残っている。

まだ小さな子どもは、何かをきちんとしようと思えば時間がかかる。また、早くしようとすれば、雑になったり、下手になったりしてしまう。そう言われれば、とても納得がいった。
その2つを同時に求めてはいけないのだと。

少なくとも、大人の考える「早く」というのは、幼い子どもにとっては「超高速」ぐらいのスピードを要求されているような場合も少なくないはずなのだ。
だとすれば、早くときちんとが両立しないのは何の不思議もない。

そして、教室を始めて5年近く経ち、色々な子どもたちとの時間を過ごしてきて、それは何も育児やしつけに限ったことではなく、また幼児に限ったことでもないんだなと思うようになった。

例えば、もし子どもにきちんとした字を書かせたいのであれば、量を要求してはいけないのだと思う。
丁寧に、時間をかけて、ひとつきちんと書かせる。それなら子どもだってやってみようと思うかもしれないが、例えば漢字ドリルの宿題や百字帳の宿題を全部きれいな字で書けなんて言われて言うことを聞く子はちょっと心配にさえなる。

大量に高速計算をさせておいて、そのうちほんの数問ミスがあったとして、そのミスを責めるのはやはり何か少し違うんじゃないかと思う。
仮に50問中3問のミスならたった6%だ。94%の正解率ということは、その計算に関して、その子はほぼ完璧にできているということだ。

ミスをするなというのであれば、集中が続く程度の問題数に限定し、例えば5問だけにする代わりにぜったい間違えないようにやってみさせるとか、そういうことなら求めてもいいのかもしれないが。

大人だって時間に追われているときには字だって乱れるし、仕事が雑になったりもする。
大人であれば、そのあたりはある程度状況に応じて、とりあえずこれは読めればいいかとか、この仕事は人の迷惑にならないから適当でいいか…とか、そういう判断もできるようになるかもしれないが、小さい子たちにはまだそこまでの判断は難しくもあるだろう。

人によって考え方は違うと思うが、私は常にきれいな字を書く必要はないと思っているし、人に読ませるものでなければ、数字だってなぐり書きだって構わないと思っている。
もちろん、なぐり書き、走り書きで自分が読み間違えてしまうのは問題だけれど、そうでないのであれば、メモや検算などまできち~っと丁寧に書くことを求める気はない。
きちんと書くべきときにきちんとした字が書けるなら、それでいいのではないかと思う。

例によってなんだかまとまらなくなってきたけれど、親御さんの中には無意識なのかわからないが、やはり「早く」と「きちんと」を両方要求している方も時々お見受けする。

でも、もしできることなら、まずはどちらを優先したいのか考えて、どちらかひとつだけにしてみませんか?
それならきっと子どもたちも混乱せずに頑張れるんじゃないかと思うのです。

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2008年3月18日 (火)

たかが飴、されど飴…。

休日につき、なんだかど~でもいい話でお許しを。

以前にも書いたことがあるけれど、うちの教室ではレッスン後、子どもたちは飴を2つもらえることになっている。
毎週来ている子たちでさえ、それも、今どきの子たちなのに、その2つの飴を選ぶのにさんざん飴の缶をほじくって、混ぜくりかえして、あれにしようかこれにしようか悩む子も少なくない。

まあ、そこまで楽しみにしてもらえるのはこちらとしても嬉しいことだけれど、ときどき困ってしまうことがある。

たまに「頑張ったから3個ちょうだい」なんていう子が現れることだ。
頑張ったからといって3個あげていたら、ほとんどの子に毎回3個あげなくてはいけなくなるし、それが特別ではなくなれば、今度は4個、そして5個と、だんだん要求がエスカレートしていったりもしそうだ。

それに、私にとってみんな可愛い子たちだから、誰かには3個あげたのに、他の子にはダメとかそういうこともしたくない。
曜日も違えば、学校も違う子たちだったらわかるわけないじゃないかという意見もあるかもしれないけれど、そういうところはあくまでも公平にしておきたい。

ただ、本当に困ってしまうことがたまに起きる。
何が何でも(どうしてそうなってしまうのか不明…)3個の飴がほしいと言い張り、挙句に泣きだしたり、怒りだしたりする子がたまに登場するのだ。

ルールはルール。
別にその場だけ飴を3つあげるぐらいなんてことはないんだけど、どうしてもそれはしてはいけないような気がしてしまって、これまで頑なに2個というのを守ってもらっている。
3個以上取っていいのはもう今日でお別れ、次来ませんってときだけって言うこともある。

まあ、ごく例外的に、子どもが自分の飴をひとつお母さんや年下の兄弟などに目の前であげる姿を見たときには、その優しさに対して、その子の分が2つになるようにもうひとつあげるということはあるが、本人が3個というのを認めたことはとりあえずこれまでない。

で、つい先日、まだ幼い男の子がどうしても3つほしいと言って泣き出した。それもかなりの号泣。
お母さんが「買ってあげるから」といっても全然納得しない。

実際、他の子でも、「おうちにたくさんあるでしょ?」とか「買ってあげるから」とかいう言葉では納得しないことも珍しくない。

よくわからないのだけれど、お勉強を頑張った後にもらえる飴には何か特別のプレミアがつくようだ。

幼い子が飴を3つほしいと泣いている姿を目の前にしてまで、「わかったよ、今日だけね」と言えない自分ってどうなんだ?と思わなくもないが、やっぱり私にとってはみんな大事で可愛いから、誰かだけ特別はどうしてもできない。

親御さんから見たら、飴なんて安いものなんだし、たまには3つでもいいのでは?と思われる方もいるかもしれないなぁなんて思いつつ、今のところ、自らの信念(?)を貫いている。
けど、ホント、それでいいのか迷っているのだけれど…。(苦笑)

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2008年3月17日 (月)

すごい人はいろんなところにいるなぁ

今日は仕事でしたが、終わった後は実家に行ってちょっとのんびりしてきました。
で、実家でしか見なくなってしまったテレビを家族とまったり観賞しつつ、疲れて眠くもあったので早目に帰るつもりが、「情熱○陸」が始まってしまい…。

で、単純な私は今日もしっかりばっちり感動し、ひとりで涙まで流してしまいました…。
両親は「なんでこの子泣いてるんだろ?」と思っていたかも…(苦笑)

今日は「バッグデザイナー」というのは先週予告で見ていたのですが、その肩書はなんだか全然正しくないのでは?というほど、パワフルで愛に溢れていて、とにかく素敵な人でした。
とてもとても26歳とは思えない、見ていて思わず涙が出てしまうほど、すごい人でした。
笑顔がすごくすごく素敵で、間違いなく社会貢献をしているのだけれど、「してあげている」という感じでもなく、なんというか…愛の人だなぁと。(ご覧になってない方には全然訳わかりませんね…すみません…。)

学生時代に国際貢献を意識したのだと思われる彼女は、一度は国際的な途上国を援助する組織に身を置いたこともあったとの紹介がありましたが、その仕事に違和感を感じ、「アジア最貧国」というキーワードで巡り合った国、バングラディシュに。
そして、その国の貧しさを救うため、特産品であるジュートを使ったバッグをデザインし、日本で販売することを始めたと。(かなり端折っていますが…。)

しかし、テレビの紹介を見る限り、彼女は工業高校を経て、慶応大を出、上述の組織で働いた後、バングラディシュへ…ということでしたし、デザインの勉強をしたという紹介はありませんでした。
もちろん、そういう才能は学校に行って勉強したからできるようになるというものでもないでしょうし、紹介がなかっただけでどこかで学ばれたのかもしれません。
ただ、とにかくすごいと思ったのは、貧しい国を変えるために自分ができることを考え、何度も危険な目、つらい目に遭いながらも、その国で頑張り続けていること。

なんの縁もゆかりもないはずの国の人たちのためにそこまで頑張れる彼女は、私の目にはとても眩しく見えました。

中でも印象的だったのが、現地の縫製工場で、最初は4人だったスタッフが32人になったことを「8倍ですよ、8倍!これですよ、これ。まだまだ規模は小さいですけどね(表現が少し違っていたらごめんなさい…)」とすごく嬉しそうに言ったこと。

そして、現地マネージャーの男性が言った言葉もやはり印象的でした。

これまで多くの国や組織が自国にたくさんのお金や食糧の援助をしてくれたけれど、タダで与えるという行為は結局は「物乞い」をするのと同じことで、本当に大切なのは彼女がしているように、仕事を与えること、それによって、誇りを持てることだと。

先日ご紹介した、「マイクロソフトでは…」の本の著者の方も、援助の仕方として、一方的に与えるのではなく、現地の人が資金面、もしくは労働面で協力することが不可欠だというようなことを書いておられましたが、同じ意味のことを言っているんだろうなと思いました。

しかし、今日の彼女は本当に素敵で、かっこよくて、私が男なら絶対惚れるな…って思いました。(笑)

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2008年3月16日 (日)

すみません…。

今日はちょっと自分でもかなり限界に近い疲労を感じており、普段は貧乏性なので電車がなくなるか、よほど具合が悪いかじゃないと乗らないタクシーで帰ってきてしまいました…。

明日もレッスンがありますので、今日はとにかく早目に休もうと思います。
明後日はお休みを頂くので、なんとか乗り切れるのではと思っています。

こんな小さな、全く無名の教室に、たくさんの方にいらして頂き、本当にありがたいことだと感謝しています。
ただ、たくさんの方をお受けすることでだんだんと以前のように融通が利かなくなっていくことを申し訳なくも思っています。

そして、お断りするのが申し訳なくて、受けられる限界までお受けし続けて、できる限り振り替えもさせて頂いていますが、本当に本当に心苦しいのですが、自分が健康であって初めて、子どもたちにもいい状態で向き合えると思っていますし、気持ちにも多少の余裕があってこそ、いいレッスンができるのではとも思っていますので、今後はお受けできないことも出てくるかもしれません。

ただ、それも、今来てくれている子どもたちとまずしっかり、いい状態で向き合いたいからということをご理解頂き、ご容赦願えましたら大変有難く存じます。

色々ご案内せねばならないこと、きちんと考えて決めなくてはいけないことがあるのですが、なかなか仕事が追い付かず、重ね重ね申し訳なく思っています。
何卒お許しください。

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2008年3月15日 (土)

子どもっておもしろい。

すみません…。
今日はなぜかかなり疲れを感じており、まだ明日も明後日も頑張らないといけないので、軽めの更新で失礼致します…。

うちの子たちは基本的にみんな一所懸命集中して問題に取り組んでくれるのだけれど、ときどきふざけてなかなか問題をやろうとしなかったり、本来できるはずの問題なのにだらだらしてやらなかったりする子にあることをすると、決まってみんな同じ反応をする。

もともと、いつも書いているように、私は怒って勉強させる気は全くないので、やりたくない子はやらなくていいよと本気で言っている。
なので、あんまりにもだらだらしている姿を見ると、やりたくないんだろうなと判断して、その子の前のプリントを黙ってさっと取り上げる。それはもともと駆け引きをしようなんてことは思っていなくて、やりたくなさそうだから、じゃあやらなくてもいいんじゃない?という感覚だった。

しかし、プリントを取り上げられた子は、例外なくそのプリントを必死で取り返しに来る。
それを取り返すのが難しそうな場合は、別のプリントを取ってやろうとさえする。

そんなに必死で取り返すんだったら、だらだらせずにやればいいのに…と思ってしまうぐらい、これまで私がプリントを取り上げたことのある子はみな同じ反応をした。

「やりたくないんでしょ?じゃあやらなくっていいよ?」と、普通の口調で言ってみても、これまた見事に「やる!」とか「やりたい!」とか答える。
そして、仕方なしに(?)プリントを返すと、それからしばらくは集中して頑張る。(子どもの性格によっては、一度取り上げたら、その日はもう最後までずっと集中して頑張るということもある。)

もし私が怒りながら「もうやらなくていい!!」とかって取り上げているならまだしも、結構普通に穏やかに取り上げても、みんな絶対取り返しにくるもんなぁ…。
なんでなんだろう?
子どもはやっぱりおもしろい。(笑)

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2008年3月14日 (金)

意外にも苦戦する問題

なぜかこのところまたやたらとバタバタで、1日があっという間に過ぎ、それでも仕事は追いついておらずな感じで、今日もかなり思考停止っぽいのですが…。

で、今日書こうと思ったことは、もしかしたら過去に同じようなことを書いているかもしれないのですが、それを遡って調べるパワーはなく、もしも「あ、また?」と思われたら何卒ご容赦を。でも、それぐらい苦手な子が多いということだと理解してもらえると幸いです。

幼児や低学年の子たちとレッスンをするようになって、新たな発見をしたことがある。
かなり二極にはっきり分かれるのだけれど、ある系統の問題でかなり苦戦する子が少なくないのだ。

その問題とは、例えばこんな問題。

「○○くんは5本のえんぴつを持っています。おねえさんは○○くんより3本おおいえんぴつを持っています。おねえさんはなんぼんのえんぴつを持っているでしょう?」

これに類する問題は色々あると思うが、要するに2者を比較して、どちらかがいくつか多く、その多い方はいくつなのかを尋ねる問題全般について言えることだ。

ほかの問題でも苦戦する子が多い問題はもちろんあるのだが、この系統の問題だけは見事に二極化する印象を持っている。

ほかの問題の場合、例えば時間計算などはほとんどの子が苦戦しがちだし、できる子も驚異的にスラスラできるというようなものでもない。
しかし、上述の系統の問題に関しては一方のグループは何の問題もなく簡単にクリアするのに、もう一方のグループは大苦戦するという感じなのだ。

大人からすれば「は?なんで?」と思うのだが、例えば上述の問題の場合、苦戦する子もほぼ例外なく、たくさん持っているのがおねえさんであることは理解している。
それなのに、答えを尋ねると「3本」と答えたりするのだ。

3本しか持っていないのであれば、○○くんよりお姉さんの方が少ないのに「3本」と答えるので、「それじゃお姉さんの方が少ないよね?」というと、顔が「???」という顔になり、もう何が何だか…という感じになってしまう。

つい今日も、ある幼児さんとレッスンをしていて、2者を比較してどちらが何個多いか尋ねたとき、例えば3個と5個の玉を見せて、どちらが多いか尋ねると、すぐに5個の方を選ぶのに、「いくつ多い?」と尋ねると「5個!」と言ってしまう状態だった。

幼児さんに限ったことではなく、小学校低学年の子たちの中にも、この系統の問題だけ極端にぴんとこない子が過去何人もいた。

たやすく解いてしまう子たちがいる一方で、普段ほかの問題はかなりスラスラできるような子でも、これになるとパタッと止まってしまうなんてことも珍しくない。

その理由は何なのかわからない。
最近は兄弟、姉妹などでものを分けるときでも、お兄ちゃん、お姉ちゃんだから多いとかいうことがなくなってきているらしいが、それだけが原因ではないだろうとも思う。

理由はわからないが、感覚的にそれを理解できない子たちに、「こういう問題は2つの数を足すのよ」なんて教えてしまってできるようにさせても、あまり意味があるとは思えない。
やり方を教える前に、感覚でそれを理解させる方が先決なのではと思う。

それには、これまでの経験では具体物を使って、実際に操作させるのが有効だ。

例えば2つのサイコロを用意して転がしてみる。
同じ目になったら転がし直さねばならないが、違う目が出たら、まずどちらが多いか尋ねる。それは大抵問題なく答える。
そこで、多い方を指さして「こっちがいくつ多い?」と尋ねる。それで出ているサイコロの目をそのまま答えてしまうような場合は、上述のような問題はほぼ間違いなく苦戦するだろう。

そういう場合は、多い方のサイコロの目をいくつか隠しながら、「これで同じ?」と確かめていく。例えば、3と5が出ていれば、5の目をまず1つ隠して同じになったか尋ねる。なっていないことを確認して、もうひとつ目を隠す。そしてもう一度尋ねる。
すると、ほぼみんな「おんなじ」と答えるので、「うん、おんなじになったね。いくつ隠した?」と尋ねる。「2個」と答えたら、「そうね、『2』多かったね」と確認する。
そんなやりとりを何度か繰り返し、できそうなら、今度は子ども自身に、同じになるように目を隠してもらう。そんな風にしていると、次第に隠さなくても見ただけでいくつ多いか答えられるようになる場合が多い。
大きめのサイコロなどがない場合は、おはじきなどでも同じようにできる。

うちの子たちの中でもこれまでに何人もこの系統の問題で苦戦しているので、きっと他にもそんな子どもがいるのではと思い、書かせて頂いた。
何かのご参考になれば幸い。

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2008年3月13日 (木)

のちほど・・・。

サボっていたつもりはないのですが、気づけば今日もすごい時間になっていて、さっき帰宅してこれから食事です。

後ほど更新しますので、宜しくお願いします。

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2008年3月12日 (水)

電球が点くように

今年度は幼児さんのレッスンは半分ぐらいしか自分で見られなくなってしまったけれど、スペースの関係もあり、幼児さんとのレッスンは今でも最大1対2。時間によってはマンツーマンでレッスンさせてもらったりもしていた。(4月からはまた色々変更になりそうだけれど…)

小学生の方は1対2の枠はほぼないし、常に問題を解いていないといけないこともあって、結構いっぱいいっぱいのフル回転になることが多いのだけれど、幼児さんとのレッスンはいろんな意味で余裕がある。
その分、一人一人の反応をかなりじっくり見ることもできる。

すると、どの子も決まって同じような反応をすることがある。

その子にとって難しい問題に取り組んでいるとき、ほとんどの子が眉間にしわを寄せたようなまさに「難しい顔」をする。相手は小さい子なので、その「難しい顔」すら可愛いのだけれど、その顔を見ながらも(ああ、今考えてるんだなぁ)と思って、間もなく訪れる瞬間にワクワクする。

しばらく難しい顔をしていた子たちが、その答えを見つけた瞬間、本当にまるで電球がぱっと点くように、表情がぱぁっと明るくなる。
すごくすごく幸せそうにニコニコ笑う。

その表情の変化が大好きだ。

今日もある女の子が色板をお手本通り置こうとして、ある部分で考え込んでしまい、なんだか難しい顔になっていた。
とても可愛い子なのだけれど、ある形の色板を握ったまま、眉間にしわが寄っている。

あれこれ試行錯誤してから、だんだん答えに近づいてきた。
すると、かすかに「あれっ?」という表情に変わった。

そして、お手本とぴったり合うように置けた瞬間、表情がぱぁっと明るくなった。

この間、彼女は何を言うでもなく、ひとりでじっと考えていた。
私はそれを見守っていただけだ。そんなにじっと見られていることすら、きっと本人は気付いていなかっただろうと思う。

今日のこの子に限らず、幼児さんたちのその表情はレッスン中にしばしば見られる。
みんな、自分の頭をフル回転させて、あれこれ考えて答えを見つける。そして、見つけた瞬間、本当に嬉しそうな、幸せそうな顔をする。

これが「学ぶ」ということなんだろうなと思う。
この子たちの電球が点くような表情を、これから先もずっとずっと見続けていたいと思う。

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2008年3月11日 (火)

すみません…。

あることについて書いていたのですが、どうしても言いたいことがうまく伝えられないため、今はちょっと諦めます…。
宜しくお願い致します。

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2008年3月10日 (月)

昨日頂いたコメントに思う

それをおっしゃった方がどなたか特定されて、万一その方にご迷惑がかかっては困るので、どなたかは伏せさせて頂くけれど、尊敬するある方は以前おっしゃったことがある。

「今の学校教育は、全ての指導者が指導できるよう、一番能力の低いものでも指導ができるような指導法になっている」

その方はそういう意味のことをおっしゃった。

初めの頃はその言葉の意味がわかるようなわからないような、そんな感覚だったのだが、最近その言葉の意味をしみじみ実感することがある。
つい昨日頂いたコメントで「教授法自体に…」というところがあったけれど、それは実際否定しがたい面もあるのだと思う。

先にお断りさせて頂くが、私は学校批判や教師批判をするつもりは毛頭ない。
そもそも、過去何度も書いている通り、私は学校以外で「先生」との関わりはほぼなかったし、その「先生」にはとても恵まれ、素晴らしい先生方に出会えたから、今の自分があるとも思っている。

また、友人や先輩、後輩に教員をしている方もいるし、みんな本当に頑張っておられると思っている。
学校や先生を批判したいのではなく、教科書や指導の仕方自体、これまで私たちがそれが「普通」だと思っていた方法自体が、かえって子どもたちの学習意欲を阻害したり、難しく感じさせたりしてしまうものなのではないかということだ。

数年前までの私の指導スタイルは、それまで私自身が学校で受けてきた授業がベースになっていたし、あとはそれにいかに自分らしさを加えるか、より分かりやすい授業にするか、そういうことをいつも考えていた。

元になっているものが「学校の授業スタイル」であり、それは長い間脈々と受け継がれているのだと思う。
小学校に上がると、殆どの子どもがそれから9年なり12年なり、同じようなスタイルの授業を受け続ける。当然、授業とはそういうものだと強くインプットされる。
そんな子どもたちが大学に進み、教員になったり、塾や予備校、教室の先生になったりしたとき、「授業」というもののスタイルに疑問を持つことは稀だろう。

昔子どもだった大人の多くが、似通った授業像を持っているのはほぼ間違いなく、それがまた子どもに伝えられていくのだろう。

その結果、多くの子どもが速さの公式が覚えられないと言い、割合が苦手だと言い、分数計算が難しいと言う。
多くの子どもがそうだから、多くの大人も「そういうもんだ」と思ってしまう。
そして、いつまでもそれを繰り返し続ける。

もちろん、うちの子たちの中にも算数が得意な子もいれば、苦手な子もいる。
あっという間に理解してしまう子がいる一方で、身につくまでに平均的な子の何倍も、何十倍も時間がかかる子もいる。
それぞれの子どもの持っている能力が異なるのだから、全ての子どもが同じように必ず伸びる方法など存在しない。(全ての子どもが努力すればイチローになれるわけではないし、同じように練習したからってみんなの走る速さが同じになることもないのと同じことだろうと思う。)

それでも、少なくとも私にとっては、家庭教師をしていた頃や塾講師をしていた頃と今のスタイルを比べれば、言うまでもなく、今のスタイルの方が圧倒的に子どもたちは力をつける。
おまけに、それは子どもたちにとっても私にとっても、既存のスタイルよりずっと楽なのだ。
そんな嘘みたいな話が実際にあるのだ。

嘘みたいなといえば思い出した。

教室を始めたとき、小さな小さな広告を出した。採算なんて全く取れていない頃だったから、数ヶ月に1回、小さな小さな枠に書ける限りびっしりとメッセージを書いた。
私がそこに書いたことは少なくとも全て私にとって本当のことだったけれど、今、通ってくれているある子のお母さんが時折おっしゃる。

「あれ読んで、『こ~んなことあるかぁ~!』って思いましたよ。アヤシイって。」

まあ、確かにそうだろう。言われてみればかなりアヤシイ。(苦笑)

楽しいのにどんどん賢くなるなんて、普通は信じられないし、それを書いているのがまだ全く認知されていない小さな小さな教室となると、胡散臭さ満載だったことだろう。
それを見て問い合わせをくださった初期の皆さんの勇気に感謝せねばと思う。(笑)

声高に学力低下が叫ばれる一方で、幼児教室や低学年からの塾通いなどもどんどん増えている。
授業数が減った、教科書の内容が薄くなったと言っても、それ以上によそで勉強している子たちもいるはずだ。
それでもここまで学力低下が問題視されているのは一体なぜだろう?
突き詰めれば、根本的な何かが間違っているということはないだろうか?

もちろん、既存の授業スタイルを全て否定しようとは思わない。教師が説明して進めなければ成り立たない教科や単元だってもちろんあるだろう。
ただ、私たちにとっての「常識」は時として間違っていることもあるのかもしれない。そんな疑いをどこかに持ち続け、アンテナを張り続けたい。

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2008年3月 9日 (日)

不思議なもんだな。

今日はレッスンがお休みで、だけど、仕事がらみで必要なもの、あったらほしいものが色々あって、ネットで探し物をしたり、街に出て探し物をしたり…。

で、その探し物のひとつは大型手芸店とかハンズとかにはありそうな気がして、ハンズには最近もたまに行くけれど、すっかりご無沙汰になってしまった大型手芸店に久しぶりに足を運んだ。

ここに書いたことがあるようなないような(多分初期には書いたことがある気もするけど)、遠い昔会社員を辞めてから、子どもたちと一緒に勉強することを始めたのとほぼ同時に、彫金を習い始めた。

もともとは吹きガラス職人に憧れていたりもして、吹きガラスが習いたかったのだけれど、近場で習えるところがなく、たまたま近くに彫金のスタジオがあったから…というのがきっかけだった。

それでも、もともと物を作るのは好きだったから、時間に余裕のあった頃は結構足しげく通ってあれこれ作ってもいた。
そのうち、彫金とビーズを組み合わせられたら楽しいかもと、ビーズインストラクター講習なんてものを受けたりもした。(民間資格でかなりアヤシイものだけれど、実は某団体のビーズインストラクターの認定証は持っている。完全に宝(?)の持ち腐れ…(苦笑))

でも、教室がだんだんと忙しくなり、物を作るだけの物理的にも精神的にも余裕がなくなってしまった。
そして、彫金の先生には一旦完全にお休みするご挨拶に行ったのがもう2年ほど前になるんだろうか。

以前はビーズとか天然石のルースとかを見るのが楽しかった。あれこれ見ては、何を作ろうかなとわくわくしていた。
実際には作らないにしても、見ているだけでも結構楽しめた。

しかし、今日久しぶりに、仕事で作りたいものがあって(結局それに使えそうなイメージ通りのものが見つからず、何も買えなかったのだけど)、ビーズのコーナーに行ってみた。
でも、驚くほどわくわくしない自分がいることに気づいた。

もともとは物づくりと子どもとの勉強が両方とも自分のしたいことだと思っていたのだけれど、今の私はどうやら子どもたちとの今の環境があればそれが一番ということらしい。
仕事に関しては色々したいことも、作りたいものもある。
でも、仮に彫金を再開できる時間の余裕をどこかで見つけ出せたとしても、今の私はそのために時間を使うなら、教材や教具を作ることを考えたいんだろうなと思う。

あんなに好きだったのにな。
ホント、不思議なもんだな。

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2008年3月 8日 (土)

申し訳ありません…。

レッスン後、ちょっと仕事をしていたのですが、恐ろしく眠く、教室でそのまま寝てしまいそうな危険があったため、帰ってまいりました。

とりあえず、今から着替えて食事の予定ですが、この眠さはかなりのものですので、更新せずに寝落ちしてしまう可能性も…。
とりあえず毎日更新と自分で決めているので、とりあえず形だけ…。

今日はラストのレッスンでは明らかに自分の頭が回っていないのを感じ、2桁の足し算や引き算のスピードで1年生スーパーくんに追い付けなくなりかけ、ポロッとそれを口走ったら、スーパーくん曰く…

「もしオレも先生も2人とも間違ってたらどうするん?」

……。

(丸つけのときは以前にも書きました通り、解答を持たず、その場で問題を解いて丸つけしていますので…。)

「それは大丈夫。早くできないけど、もし○○くんの答えと違ったら何回も計算して確かめるから。」

「でも、それもできへんようになったら?」

「そのときは前に全部解いてる答えがあるから、それ見るから大丈夫。」

「1+1もわからんようになったら?」
(この質問が1年生っぽい。(笑))

「そんときは○○くんに先生してもらうわ。」

「え、オレが先生したら、先生はどこ行くん?」
(そんな質問を思いつくって、結構その気になってる??(笑))

「ん?おるよ?おってほかのお仕事するわ。プリント用意したり、問題作ったり。」

「ふ~ん。」
(な、納得??)

そんな平和な1日でした。(え?平和??)

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2008年3月 7日 (金)

頼もしい言葉

書きたいことが色々あって、頭の中でもやもや、ぐるぐるしているのですが、今日も間もなく日付が変わりますし、明日は1週間で一番ハードな土曜。
おまけに、昨日はなぜかはまってしまい、久々に0時過ぎまで仕事をして帰宅したりもしてしまい、脳が既に停止しつつあるような…。(苦笑)
考えてもまとまりそうにありませんので、今日のレッスンでの頼もしい会話を。

今日の夕方のレッスンに5年の子たち2人と2年生というコマがある。今日は2年生の子がお熱でお休みだった代わりに別の2年生が振替で来ていたのだけれど、2人の5年生とのひとコマを。

彼らはうちの主要教材を既に全て終えてしまい、今は5年の分厚めのワークも終了、ひとりは6年のワークも6割ぐらい済んでいるが、もうひとりはスタート時期が違った分、つい最近6年のワークに入った。

まあ、それでも2人とも、高学年になった今も週1回1時間しか算数をしていないわけだし、分厚めのワークのほかにパズル教材もやってもらっていることを考えると、昔いた塾や一般的な塾でのペースからすれば考えられないほどのペースであるには間違いない。

で、進んでいる方の子が学校ではまずやらない「流水算」などの問題を考えることになった。
ちらっと見ただけで難しそうなのを感じたその子は「こんなの学校でやるの?」と尋ねたので、「学校ではやらへんなぁ」というと、「中学でやるん?」と尋ねられた。

しかし、私の記憶では中学の授業でもやったようなやらなかったような…そんな問題で、とりあえず「中学受験する子とかはこんなの勉強してるよ」というと、「へぇ~っ!」と驚きつつ、話は学校の算数へ。

「学校の算数、簡単すぎ。」

その子がそう言うと、もうひとりの子がそれに反応して

「なあ、学校の算数簡単すぎるよなぁ。簡単すぎて、たまにわからんようになることあるわ。『こんな簡単でええんかな?』とか思ってまうよなぁ?」

「うんうん。」

ちなみにこの子たちは地元の公立中学に進学する予定で、うち以外塾などには行っていない。
おまけに「簡単すぎる」と言った子は低学年の頃からずっとバスケットを頑張っていて、学校外で週に3回とか、試合などがあるとそれ以上、放課後練習を続けているようだ。

しっかり遊び、しっかりスポーツもし、その上で勉強もできるなんて本当に素敵なことだ。

ゆとり教育が見直され、この子たちが中学に上がる頃にはまた指導内容が難しくなったり、量が多くなったりするのかもしれないが、とりあえずこの子たちは安心かなと、今日の会話を聞きながら思った。

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2008年3月 6日 (木)

昨日のつづき。

昨日のつづき。
といっても、話は多分あちこちに飛んで、最終着地点があるのかどうかもわからないけれど、思っていること、感じたことをつれづれに…。

昨日の今日、ひと月以上前に読み終えていたものの、なかなか紹介できずに置いたままになっていた本の紹介文を書こうとページをめくっていたら、言いたかったことをひと言でまとめてくれている言葉が目に留まった。

きっと、今私がその言葉を目にするために、これまで紹介文を書くことを伸ばしていたんだろうなとさえ思えた。

そこに書かれていたのは、今日のブログにも引用しているけれど、「子どもに時間と制限を与える」ということ。
「ヒマ」と「貧乏」という表現を使っておられたが、まさに!という気がした。

絶対与えすぎてはいけないのだと思う。
多くの場合、不便、不自由の中からしか、創意工夫は生まれてこないのではないだろうか。

昔の人が誰ひとり、洗濯板で手洗いする洗濯に不便や苦労を感じていなければ、洗濯機を発明する人なんていなかったかもしれないし、仮に発明してもこんなに普及しなかっただろう。
私たちの身の回りの工業製品のほとんどが、不便の解消、不自由からの解放、そんな目的のために作り出されたともいえるはずだ。

今の状態に何の不満もなければ、敢えて現状を変えようなんて思わないし、ほしいものは何でも与えられる環境にあれば、自ら何かを得ようと努力することもないだろう。

そういう意味でも、子どもに我慢させること、不便を感じさせること、物質的に足りないと感じさせることはとても大切なことのように思える。

私が子どもだった頃、おもちゃと言っても今のような電気仕掛けのものなんてほとんどなかったし、色鮮やかだったり、可愛いキャラクターがついていたりなんてものも、そう多くはなかった。

それでも毎日退屈することなんてなかったし、いくらでも遊びは見つけられた。
折り紙だってあやとりだって、おはじきだってお手玉だって、メンコだってビー玉だって、それこそ、そんなものさえなくて、ゴムひも1本だって、チョーク1本だって、道具なんて何にもなくても木さえ、地面さえあればそれだけだって…、私たちはいくらでも遊びを生み出した。

チーム対抗のゲームをするときに、人数が揃わなくても、それはそれで勝手にルールを作って楽しむことだってできたし、私たちにとって「遊び」は与えられるものではなく、自分たちで決めて、自分たちで楽しむものだった。

お金なんてほとんどかけなくたって、いくらでも遊ぶことはできたのだ。

与えすぎて、子ども達の自由な時間を奪ってしまってはいけないのだと思う。
大人に管理されない、子ども達だけの時間は絶対に大切な時間だと思う。
子どもだけで外で遊ばせるのが危ないとしても、大人は遠くから見守るだけにして、子ども同士でやっていることに極力口ははさむべきではないだろう。

既成のおもちゃやゲームで既に遊び方が決められているもの、ルールが決められているものは、仮に子ども達が楽しんでいるとしても、「創造する」とか「工夫する」とかいうことは限りなく少ない。

ものも援助の手も、与え足りないぐらいでちょうどいいのかもしれない。
今日もまたまとまらないけど、「ヒマと貧乏」って、なんだか子どもにとって宝の言葉のようにも思える。

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2008年3月 5日 (水)

難しいことだけど・・・。

最近ずっと考えているのになかなかまとまらず、きっと書き始めたら色んなことを書いてしまうんだろうなと、そんなことも思いながら、それでもまとめて一気には書けそうにないから、支離滅裂で話があっちこっち飛びまくるかもしれないけれど、とりあえず書き始めてみることにします。

大きなテーマは「何を選ぶか」。

今私たちが暮らしている社会は、私たちが子どもだった頃とは比べ物にならないほどに色々な情報が溢れ、また、それらの情報をたやすく得ることができるようになった。
例えば、育児に関する情報、教育に関する情報もそのひとつだろう。

おまけに、昔に比べて子どもの数も減り、更に生活は便利になり、ひとりの子どもに親がかけられる時間は、平均すれば随分と増えたのではないかとも思う。(もちろんあくまでも平均すればの話だけれど・・・)

そうなると、愛する我が子のために、色々な情報を集める親御さんたちが増え、結果、昔なら少ない情報からの取捨選択でよかったものが、数え切れない情報からの取捨選択へと変わってきている面もあるだろう。

親御さんが熱心であればあるほど、いくらでも情報は集められるだろうし、集めれば集めるほど、どれを選びどれを捨てるかの選択に迷いが出るのも不思議はない。
そうなると、子どもが悲鳴をあげるまで、あれもこれもいいと思うものを次々に与え始めるということも決して珍しいことではなくなるのだろう。

もちろんそれは親御さんが我が子を愛するがゆえのことに違いない。
また、きっと子どもも大好きなお父さん、お母さんが自分のためにあれこれ考えてくれているということを敏感に感じ取って、それにこたえようとしがちでもある。

しかし、「いいもの」というのも、あくまでも個人個人の価値観によって判断されるものであり、実際、今私が知っている範囲だけでも、完全に相対する学習法が存在し、そのどちらにも支持者がいるということを考えると、完全に相対する2つを両方「いいもの」と判断する方だっていても不思議はない。

ただ、相対する2つのものを一度に与えた場合、多くの子どもはどちらも活かしきれず、結局努力しただけの結果を得られずに終わりがちでもあるように感じる。

例えば、よく効くといわれるお薬があったとして、よく効くからといっぱい飲んだら命に関わることだってある。
あくまでも決められた量を守って、飲みあわせにも気をつけて飲むことで効果を発揮するのだろう。

結局、勉強にしたって同じようなことが言えるのではないだろうか。

与えすぎは毒になる場合があるということだ。
また、一緒に飲んではいけない薬があるように、同時にやってはいけない学習法もあるのだと思う。

そうなったとき、何を選んで何を捨てるかの判断は自分にしかできない。
子どもが「子ども」である期間はそんなには長くない。
おまけに少なくない情報が「○才までに・・・」とか「・・・では遅い」とかいうように、親御さんの不安をあおるものになっている。

個人的には「早くしないと間に合いませんよ」とか「手遅れになりますよ」とかいうセリフはどこか悪徳商法の勧誘のように聞こえてしまうのだけれど、これが愛する我が子のこととなると、いいものはひとつでも多く与えたいと思ってしまうのが親心なのだろう。

ただ、何でも早く始めればいいってもんじゃない。

もちろん、そんなこと私が言わなくたって、親御さんたちは皆さんわかってはおられるのだろう。
ただ、そのとき、早く始めるべきことがなんなのか、その情報すらもたくさんありすぎて、ある人は3歳までにと言っているかと思えば、ある人は6歳まで、またある人は早く始めてはダメと言っていたりもするわけだ。
その判断はどうつければいいのだろう。
結局、情報があり過ぎて、どこでどう決断すればいいのか、親御さん、そして私も含めた大人はわからなくなってしまうのだろう。

教育には「これが唯一の正解」なんてものはない。
だからこそ、みんな悩むのだ。
私自身もずっと悩み、考え続けていることでもある。
(また続く予定です。)

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2008年3月 4日 (火)

取り急ぎお知らせです。(お知らせにも転載)

書きたいことはあるのですが、間もなく日付が変わるので、ひとまず取り急ぎのお知らせを。

現在、新年度の時間割がほぼ固まってきたのですが、15時40分からと16時50分、18時からの枠に関しては全ての曜日でほぼ定員いっぱい。14時30分の枠も曜日によっては定員に達しております。

また、まだ流動的な方が若干おられるのと、既に体験申し込みをお受けしている方が若干おられるのとを考えますと、土曜日だけでなく、一旦全ての曜日の新規募集を休止させて頂こうと思います。

募集再開の目処は3月中旬頃を予定しておりますが、それもまたサイトでご案内致します。
もしも3月中旬までにどうしても体験や見学をというご希望の方がおられましたら、4月からレッスンを開始させて頂けるかどうかが未確定になりますので、その点をご了解頂いた上で対応できる範囲でお受け致します。

ご不便をおかけ致しますが、何卒ご容赦くださいませ。

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2008年3月 3日 (月)

発見!

さて、更新しなきゃなぁと思いつつ、ブログの管理ページに行って、あるところに目が留まりました。

このブログ、「日々の思い」にもたくさんのコメントを頂きました。
そして、そのコメント数がちょうど1000件になったようです。

記念すべき1000件目のコメントはどうやらそらまめさんの今日のコメントと思われます。
どうもありがとうございます。

記事数が1000件になるのはもう少しだけ先のようですが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

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あらら…。

まともなことを書きたいのですが、なぜか今日は日曜でありながらも11時から19時前までほぼびっしりレッスンやらが入ってしまい、1週間の疲れも手伝って、ちょっと無理かも…。

というわけで、今日も軽めの更新でお許しを。

先日なんとなく書いた記事を、なぜか思いがけずりんごアンテナで取り上げて頂いてしまい、おまけに、「ほぼ定員いっぱい」なんてところを引用した上、そこにコメントまで頂いて、ちょっと戸惑っております…。
そこだけ読んだら、なんかもうすごいおっきな教室でバリバリやってるみたいですよね…。

りんごアンテナからついついいらしてくださった方がおられましたら、どうぞお許しくださいね。
うちは本当にちっちゃいちっちゃい教室で、ひと枠の定員が2~4人。固定のレッスンは週5日しか入れていませんので、定員自体がかなり少ないんです。

経営という面からみれば、非効率極まりないスタイルだと思います。

広告も打たないのに定員いっぱいだよ~なんて自慢をしたかったわけでは全くなく、そもそもそれは自慢することではなく、ただただ皆さんに感謝することでしかなく…。

あの記事で言いたかったのは、ただ単に、うちみたいな教室、私みたい(?)な先生、私なんかより遥かに素晴らしい先生方が、なかなかみんなに見つけてもらえずにいるんだったらもったいないな、残念だなってことで…。

話はどんどん逸れていきますが、私はこのブログを書いていて本当によかったなぁと思うのです。
もちろん、色々な貴重な出会いも頂きましたから、そのことにも本当に感謝していますが、このブログを読んでお問い合わせをくださる方は、ある程度うちの教室の様子をイメージし、私という人間をイメージした上でアクションを起こしてくださっているので、話が早いです。

それに、私の場合、くだらないこととかも平気で書いてしまいますし、「完璧じゃない自分」「立派じゃない自分」をふんだんに(?)公表していますので、そんな私でもいいとか、そんな私がいいとか思って、問い合わせてくださる方とはやはり話もはずみます。

そういえば、以前、ある勉強会で、うちはネット経由でのお問い合わせを頂くことが結構あるというお話をさせて頂いたとき、「それは、先生のところはそうかもしれないけど、みんながそうできるわけじゃない」というようなご意見を頂戴してしまったことがあるのですが、なんかうまく言えないのですが、もし私がこのブログを営業目的で書いていたら、もしかしたら今ほどには色々なご縁を頂けなかったんじゃないかなぁと思ったりもするのです。

自分が書きたいから書いている。子どもたちのすごいところをみんなにも知ってもらいたいと思ったり、子どもたちが躓きやすいところに関して気づいたことを公開することで、おうちの方に何か参考になればいいなと思ったり、日常で起きたほのぼのした出来事や笑える出来事を公開したいなと思ったり。。。
そんなだから続けていられるんだと思うし、そんなだから万人ウケなんてしないけど、もともと万人ウケなんて狙ってないし。

最近はあまりブログ巡りもできておらず、私が知らないだけかもしれませんが、もっともっと頑張っておられる先生方、特に女性の先生のブログやサイトが増えたらいいのになぁと、そんなことを思ったりしています。

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2008年3月 2日 (日)

先週の結果。

ちょっと他にも書きたいことがあるものの、疲れて頭の回っていないときにやや批判めいた内容を含む記事書くのはやめておく方がいいだろうと思うので、今日のところは平和なお話を。

先日、私が宿題はやりたくなかったらやらなくっていいと言い放った子が今週のレッスンにやってきた。
先週帰るときには、わざわざ一旦出て行った後戻ってきて、「来週やってきます!」と叫んでくれたものの、そこはまだ小さい男の子。色々な誘惑もあるだろうし、さて、どうなるかなと思っていた。

でも、今日は全部ではなかったものの、結構難しい問題のプリントを含めて7割がたやった上で「これやりました。これはできませんでした。」とちゃんと持ってきて見せてくれた。

もちろん、このプリントをやるときにおうちでお母さんとどんなやりとりがあったのかはわからない。
それでも、それまではお母さんが何度言ってもやらなくて困っているというお話だったのだから、その子が自分の口から「やってくる」と言って、半分以上をやってきたのは、やはりとても嬉しいことだ。

まあ、私は本気で私のために勉強してほしいなんて思っていないし、宿題だってやらなくても本人が平気ならそれもいいのではと思っているから、もしもその子が「レッスンはがんばるけど宿題はやらない」と宣言するなら、それもそれで受け入れる用意はあったのだ。

ただ、今回はその子自身の口から「やってくる」と言っただけに、その約束を果たしてくれたことが嬉しかった。
仮に今回その子が宿題を正当な理由なくやってきていなかったら、今回は怒らねばならなかっただろうと思うのだ。それは宿題をやらなかったことに対してではなく、自分でやると言ったことをやらなかったことに対して。

なんだかよれよれになって、苦労の跡が見られるプリントは、その子が自分の言ったことを守った証。


Mくん、自分が言ったことを守ってくれて、ホントに嬉しかったよ。
ありがとう。

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2008年3月 1日 (土)

今から何か書きます。

今日中にはUPできないのがほぼ確実なので、とりあえず今日のうちに形式的更新を。
今日からもう3月。春が近づいているんですね。
昨日今日と神戸も少しあたたかでした。しかし、私は今日もなかなかにハードな1日でした。

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