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2008年2月29日 (金)

ぼんやり考える

鼻づまりのせいなのかなんなのか、今週はずっと、そんなに忙しいわけでもないのに疲れていて、今日ももうあまり頭が働いている気がしません…。

というわけで、かなりどうでもいいことを…。

今、通勤で使っているカバンがかなり傷んできていて、新しいカバンがほしいなぁと思い始めた。
でも、貧乏性の上、そんなに丁寧に扱って手入れもきちんとして…という人間ではないので、一流ブランドのバッグとかは到底検討対象には入らない。

そんなとき便利なのがネットで最大級のあの「市場」。
そう思ってバッグで検索をしてみた。すると、くらくらするほどの件数だったので、まずは婦人用バッグに狭め、次にトートバッグにまで狭めてはみたけれど、それでも到底全部見られる件数ではなく、さすがにあんまりにも安いバッグは年齢を考えても…ということで5000円以上に(それでも下限5000円ってところが貧乏性っぽさ満載だけど…)設定し直した。
それでも、総件数は2万件を超えた。

この「市場」の検索機能で困るのは、私が使いこなせていないのかもしれないが、売り切れのものや販売期間終了のものを検索除外できないことなのだが、仮にそれをうまく除外できたとしても、恐らく5000円以上の婦人用トートバッグの検索には1万件ぐらいひっかかるのではないだろうか。

さて、では、私のように特定のブランドや特定の色を決めていない人間はこれ以上どうやって検索件数を絞り込めばいいんだろう。
特定キーワードや除外キーワードなども設定はできるが、単に仕事で使い勝手のいい、ある程度しっかりした作りの、年齢的にもあまり恥ずかしくないバッグがほしい私には適当なキーワードが思いつかない。

諦めて、見られる限り見ていくか、更に価格帯を限定するか、どこかまで見てその中で選ぶか、買うのを辞めるか…。

で、そんなことをあれこれ考えていて、ふと思ったことがある。

うちの教室は広告を打たなくなって久しいが、もともとお受けできる人数が少ないこともあり、ご紹介とネット経由でたくさんの方がいらしてくださっている。
ただ、ネット経由でお問い合わせを頂くときに、普通に考えたら、さすがにそれは遠いのでは?という方から、近くにうちみたいな教室がないとか、私みたいな先生がいないとか(まあ、「私みたい」というのはどういう意味なのかこれがまた微妙なところだけれど・・・)、そんな言葉を頂くことがある。

確かに、私と同じ人間はいないだろうけど、それは誰だってそうだし、伊藤先生の教材を使っている教室がまだ決して多くないことも事実だろうけど、伊藤先生の教材以外にもきっと素晴らしい教材はまだあるだろうとも思う。

熱意のある先生は絶対たくさんおられるはずだし、私なんかよりずっとずっと指導力もあって素晴らしい先生は日本全国に数え切れないほどおられるはずだ。

でも、結局は見つけてもらえていない方がまだまだ多いんじゃないだろうか。

もちろん、一概には言えないし、うちだって広告をしばらく打っていないのにほぼ定員いっぱいの状態が続いていることを考えると、熱意のある個人塾の先生なんかは口コミで定員いっぱいになっていて、それ以上知られても受けられないなんてこともあるかもしれない。

それでもきっと、まだまだ素晴らしい教室や塾が見つけてもらえずにあるんじゃないのかなと思ってしまった。

私はたまたま駄文でも文章を書くことが好きだったのと、もともとネットで日記やら掲示板やらチャットやらに慣れていたこととで、こうしてブログを書いて、全く知らない方々に見つけて頂けたり、素晴らしいご縁を頂いたりしているけれど、そういうのが苦手だけど素晴らしい先生ってのはきっとたくさんいらっしゃるんだろうになと。

だから何?って話なんだけど、バッグがあり過ぎて本当にほしいニーズに合うひとつに出会うのが奇跡のような状態であるように、その子にとって本当に合う教室や塾との出会いももしかしたら奇跡のような確率なんだろうか?

ああ…まとまらない…(汗)

でも、バッグを検索するように、塾検索機能とかあったら…うちの検索キーワードはなんだろうなぁ…。「変な教室」かな?(をい)

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2008年2月28日 (木)

なんとなく違和感を感じる・・・。

「考える力」が大切なことは私もよくわかっているし、いかにしてそれを引き出し、伸ばすかということを意識してレッスンしているのは事実なのだけれど、最近ちょっとあることに違和感を感じ始めている。

書店にさまざまなパズル本、パズル系ドリルが並ぶようになり、どれにも大抵「考える力をつける」とかなんとか書かれている。

私はもともとパズルが好きだ。それも、あれこれ考えて解くパズルが。
だから、確かにパズルが「考える」ということに効果があるのもわかるし、子どもたちに無機質な計算ドリルをさせたり、機械物のゲーム類をさせたりするより、ずっと健康的で効果も望めるとも思っている。

だから、パズルをやることには何も異論はないし、やればきっとそれなりに効果があるだろうとも思う。
実際、うちの教室の子たちもレッスンの中でパズルなどに取り組むことは多い。

それでも、ここまで市場に子ども向けのパズル本が出回っているのは、結局また、一時は「脳の活性化」がどうのこうのと言って大流行したマス計算や音読ドリルのように、そして、脳トレゲームのように、結局は「今の流行」ということなんじゃないんだろうか?

実際、一時あれだけブームだったマス計算はあれからどうなったんだろう?
「脳の活性化」ということ自体、眉唾なところも多々あったようだし、そして恐らくブームは去る。

昨年だっただろうか。宮本先生があるドキュメンタリー番組で取り上げられ、それと前後して宮本先生のパズルがバカ売れした時期がある。
そして、その後さまざまなパズル本が売り出され続けている。

もちろん、子どもにしたら退屈な計算ドリルをやらされるより遥かに楽しめるだろうし、効果だってあるだろう。
だから、何も問題はないのだけれど、このもやもやした感じはなんなんだろう・・・。

ブームは去る。一時わっと多くの人が飛びついたものは、そう時を経ずして忘れ去られていく。
パズルもそうなってしまうんだろうか。

そして、一番もやもやしているのは、そもそも「考える力」は大人などが働きかけて「つけさせる」性質のものなんだろうかという気がするからだろうと思う。

先日書いたことに重なるかと思うけれど、本来子どもたちは放っておいてもあれこれいくらでも色んなことを考える。きっと私たち大人より遥かに色んなことに興味を持ち、空想の翼を広げたり、考えたりしているのだろうと思う。

そうやって「考える」ということを意識すらせず、呼吸するのと同じようにしているのであろう子どもたちには、本来わざわざ外部から「考える力をつけさせる」働きかけをする必要はないのではないかとさえ思う。

教室に子どもたちを見ていても、教えられることに慣れていない子は黙っていても考えるし、私は考える力をつけさせているなんて感じたことはない。
考える力を蘇らせなければと感じる子どもは、既に色んなことをいっぱい詰め込んで、機械的に処理することに慣れてしまったような子達で、そういう子たちには意識的に「考える」ということをさせないと、少なくとも勉強に関しては自然に考えるようにはなかなかならない。

うまく言えないけれど、要するに、周りの大人の子どもたちに対する働きかけが間違っていなければ、「考える力をつけましょう」というスローガン自体無意味になるような気がするのだ。

やっぱりうまく表せないけれど、一時のブームで過ぎ去ってしまわないことを、そして、本来持っている子どもの力を間違った方法で奪ってしまわないことを、願わずにはいられない。

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2008年2月27日 (水)

うぅぅ・・・。

すみません・・・。
もともと水曜はそこそこハードなのですが、その上、どうやら風邪ではなさそうですが、鼻ずるずる、普段以上に疲れを感じておりましたところに、パソコントラブル・・・。
先ほどまで原因不明ながら、ネットにつながらず、ようやく復旧しました。

しかし、既に23時半になろうとしておりますので、とりあえず帰ります。
メールのお返事が遅れている方、明日にはお返事できると思いますので、どうかお許しください。

やらねばと思っていながら手をつけられていない仕事が多分相当あるのですが、最近は物忘れもひどく、思い出しては忘れ、思い出しては忘れを繰り返しておりまして、まだ入力データ消滅の悲劇を引きずっているような気もします・・・。

頑張って早く復活したいところなのですが、この鼻・・・何に対してのアレルギーなのか、はっきりしてもらえないでしょうか・・・。スギでもヒノキでもブタクサでもハウスダストでも、ダニとかノミとかでもないって・・・。あと何を検査したらいいでしょうか・・・。(泣)

とりあえず帰ります!
今日はこれで更新できないかもしれません。どうかお許しを。

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2008年2月26日 (火)

小さなことだけど。

すみません…。2日お休みして元気になるはずだったのですが、なぜか今日は休む前と同じぐらい疲れを感じており、既に睡魔に襲われております…。
というわけで、難しいことをまとめることはできそうになく(まあ、頭が働いているときでも難しいことは書けないんですけど…(苦笑))、今日はほんの小さなことですが、もしかしたらどなたかのご参考になるかもということを書かせて頂こうと思います。

私はもともと中学校の教師志望だったので、塾に勤めていた頃は中学生との授業が一番好きで、その次は高学年、そして低学年と、まさか自分がここまで方向転換をしてしまうことになるとは夢にも思っていませんでした。

もともと、大学時代も幼児教育は専門外でしたので、幼児に関しては伊藤先生との出会いがあって初めて自分も学び始めた状態でした。
そして、モンテッソーリ教育を知りました。まだ本以外の知識は全くありませんし、本での知識も僅かですが、この教育法を知ることができたことも、自分には大きなプラスになっていると思います。

モンテッソーリの本を読んで、特に印象に残り、その後なるべく意識をしていることのひとつを書かせて頂きますね。

私は大人ですし、一応女ですから、話を聞きながら別のことをするということはそんなには苦になりません。
学生時代も、子どもの頃も、記憶にある限りは、先生の説明を聞きながらノートを取るであるとか、聞きながらその作業をしてみるであるとかいうことは、そんなに難しいことではなかったような気がします。

なので、幼児さんとのレッスンや低学年の子とのレッスンのときにも、つい、説明しながら何かをやってみせるなど2つのことを同時に子どもに求める(見ると聞くや、聞くと書くなど)行為をしてしまっていることがあります。

でも、それだとどっちも集中できず、かえって理解できなくなることがあるようだということを知りました。
それ以来、例えばお手本を見せるときには「見ててね」と言って子どもに手元に注目させたら、極力黙ったまま「見せること」にだけ集中します。
言葉で説明をするときには、なるべくゆっくり子どもの反応を見ながら、そして、そのときにはほかに何かすることを求めないように話します。

例えば、折り紙を折って見せるときも、以前は折りながら、「ここは○○にするでしょ?」とか並行して説明をしていました。
でも、今は敢えて見せるときは見せるだけにということを意識するようになりました。

何かを見せたいときは、特に幼児さんや男の子には(もちろん、例外もありますが)「見ててね」と声をかけてから、見ることに集中させる。
何かを説明したいときにはゆっくり落ち着いて説明し、そのときは基本的に聞くこと以外は求めない。
それを意識するようになって、以前よりスムーズに子どもたちが反応してくれるような気が少ししています。
もちろん、まだまだ未熟で発展途上の私がいうのもおこがましいのですが、何かのご参考になれば嬉しいです。

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2008年2月25日 (月)

あるひと言。

久しぶりに日月2日レッスンがありませんでした。体調も本調子ではないので、結局2日とも家でだらだらと過ごしてしまいました…。
まあ、メールやらブログ更新やら、読書やら、予習やら、少しは仕事もしましたが…。

というわけで、改めて何を書こうかと思うと、だらだらし過ぎて思いつかず、先日のある子の発言をご紹介させてもらおうかと…。

既に高学年のその子はとても朗らかでいい子なのですが、算数が苦手。高学年になってから来てくれるようになって、週1回1時間だけのレッスンなので、目に見えての変化はなかなかありませんが、時々、いいセンスしてるなと感動することがあります。

そして先日。学校でも割合を習ったけど、どうもよくわからないというその子に、公式を覚えようとするのではなく、答えが1より大きくなるか小さくなるかを意識してもらうようにしていたときのこと、ビニールハウスでトマトを作っている面積を問う問題がありました。

初め、間違って逆に割り算をして、「あっれぇ~、割り切れへん」とか言っているので、ちょっと尋ねてみました。

「なあ、ビニールハウスとトマトんとことどっちが広いん?」

「え?トマト?あ、ちゃうな!ビニールハウスよりトマトが広かったら、何のためのハウスやねんって!そりゃおかしいわ!」

とひとりツッコミまでして、計算をし直していました。

こういう感覚があるのだから、本来はもっと算数は得意になれたはずですし、こういう感覚がある子には公式を覚えさせ、当てはめさせることの方が大変だったりもするかも。

まあ、この子の場合、たとえ算数が苦手だって、そんなのなんてことはないってぐらいいいところがいっぱいあるので、それはそれでいいのですが、せっかくいいセンスしているんだから、なんとか小学生のうちに、算数が好きになってくれたらいいのになと思わずにはいられません。

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2008年2月24日 (日)

豆鉄砲をくらったような顔

教室に来ている子の中には教室では頑張っていても、おうちでの宿題をちゃんとやっていないらしい子が何人かいるらしい。

教室では、基本的に教室でその日にやったことに沿った内容の宿題が1日1枚程度出るのだが、それはおうちで答え合わせをしてもらうようになっていて、ちゃんとできていれば持ってこなくてもいいことになっているので、やっているかどうかは何らかの申告がないとわからない。

もちろん、前回ちゃんとできていたことが今回全く忘れてしまっている様子の子などには「ちゃんと宿題やった?」と確認することもたまにはあるが、こちらから強制的にやるようにいうことはまずない。

というのも、私自身ずっと、勉強はやらされるものではなく、自らやるものだと思っているところがあり、また、人からやれと強制されてやる勉強は自主的にやるものに比べ、身につきにくいようにも思うからだ。

で、先日、あるお母さんから依頼を受けた。

「最近、宿題をやるように言っても全然やらないんです。私が言っても聞かないので、宿題はやらなくちゃいけないんだって先生から言ってもらえませんか?」

と。
まあ、お母さんからのご依頼なので、お母さんに頼まれたということはわからないよう、子どもに切り出した。幸か不幸か、ちょうどその日は前回できていたことがなんだかあやしくなっていたところもあって、話を切り出しやすくもあった。

「最近、ちゃんと宿題やってる?」

「え、あぁ、前はやってたけど…(モゴモゴ)」

「レッスンでせっかくできるようになっても、1週間やらなかったらどんなに賢い人でも忘れるのが普通やねん。だから、忘れないようにちょっとずつでもやるようにって宿題があるねんよ?来週はちゃんとやってきてね。」

「あ、はい・・・」

そんな会話でその日のレッスンが終了した。
そして翌週。レッスン時間が近くなった頃、その子のお母さんから電話が入った。結局、また宿題をやらなかったらしい。で、約束を守らなかったから、怒られるから行きたくないと言っていると。
それでもとりあえず連れていきますから、もう一度ちゃんと言ってもらえますか?というようなお電話だった。

さて、とりあえず他の子もいるし、来ていきなりお説教だと気分が沈んで頭が働かなくなっても困るし、とりあえずは何も言わずにレッスンを始めた。
そして、みんなのレッスンが終わったところでその子に話を切り出した。

「最初に言ったらやる気なくなったらあかんと思って言わなかったけど、何か言うことない?」

「え?」

「宿題ちゃんとやった?」

「あ、あぁ、持ってくるの忘れました。」

「持ってくるの忘れたの?やるのはやったのね?」

「え、あ、あぁ…やってません……。」

きっとその子は私に「なんでやらないの!」と叱られると思っていたのだろう。
でも、私は迷うことなく言った。

「やりたくなかったらやらんでええよ。お母さんに怒られるからとか、私にやれって言われたからってやるんやったらやらんでええ。」

そう言ったときのその子の表情が何とも印象的だった。
「鳩が豆鉄砲を…」というのは正にあんな表情を言うんだろうなという顔だった。

そして、私は続けた。

「なんでわざわざ遠くから来てくれてるん?もしお母さんが行きなさいって言うから来てるんやったら、無理して来んでもお母さんに私からお話してあげるで?」

すると、それに対してはぶんぶんと首を横に振った。

「あんな、勉強はな自分のためにするねん。お母さんがしなさいって言うからするもんでもないし、私に怒られるのがイヤやからするもんでもないねん。そんなんやったらせんでもいい。」

予想外の言葉にその子は戸惑っている様子だったけれど、そして、相手はまだほんの2年生だけれど、それでも私は話を続けた。

「せっかくやったことでも、大抵は3日やらなかったら忘れるって言うねん。やから忘れてしまわないようにちょっとずつでもやったらいいんよ。でも、別に私のためにとか、お母さんに言われるからとかでやるんやったら、やらんでもいいから。どうするかちゃんと考えてきて。」

戸惑いながらも真剣な表情で聞いていたその子は、挨拶をしてドアを出て行ったあと、何か外でお母さんと話す声が聞こえて、もう一度ドアが開いたかと思うと、大きな声で

「先生、今度は宿題やってきます。」

そう言って帰って行った。
来週が楽しみだ。

しかし、これはひとつのエピソードだけれど、きっと世の中には我が子がなかなか勉強しなくて頭を悩ませている親御さんも少なくないのだろう。

ただ、私自身、人から強制されて勉強した記憶がほとんどなく、まあ、宿題とかは叱られるのが嫌だから最低限のことはやっていたクチだけれど、それこそ、以前白状したように、高学年で計算ドリルとかの宿題だったら、何問かちゃんと解けたら後は答えを写しているような子どもだったので、分かっていること、できることはたくさんやるのはイヤだった。
だから、子どもにも宿題を強制しようとも思わないし、勉強したくないなら無理にしなくてもいいんじゃ?と思っている。

まあ、きっと、親御さんたちの中には愛する我が子が苦労しないよう、落ちこぼれないよう、ついつい必死になってしまわれる方が少なからずおられるのだと思うし、もし私が親だったら、やはりそんな風になっているのかもしれないとも思う。

でも、例えば、宿題をしないのならしばらくの間放っておいてもいいのではとも思わなくもない。
いくら我が子を心配して口酸っぱく言っても、宿題をやる意義を本人が見出さない限り、いつまでも言い続けなくてはいけないだろうし、そうやって無理して宿題をやらせても多分あまり子どもの身にはなっていないと思う。
もちろん、宿題をやらないでずっと室内でゲーム三昧とかはさすがに問題だと思うけれど、外で遊びまわっているとか、ひたすら本を読んでいるとか、工作に励んでいるとか、そういうことなら、特に低学年のうちはあまり心配しなくてもいいのではないかとも思ったりする。

まあ、人様のことだから、そんな気楽に言えるのよと言われれば、そうなのかもなと思うけれど、少なくとも、何度も何度も「勉強しなさい!」と言っても聞かないのであれば、しばらく言うのをやめてみるのもいいのではと、そんな風に思う。

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2008年2月23日 (土)

公式も教えなくなったなぁ。

今の学習法でのレッスンをするようになって、「教える」ということ「説明する」ということが極端に減ったが、それに伴って、当然といえば当然なのだけれど、教科書にはそこかしこに出てくる「公式」というものを子どもに教える(覚えさせる)こともほとんどなくなっている。

実際、低学年から来てくれていて現在高学年になっている子たちとは、既に速さも平均も割合も一緒に学習したが、そのどの単元でも「公式を確認」したことがない。
ほぼ全て、いきなり問題を与えて、「できると思うからやってみて」というパターンだ。

まあ、こちらで教えなくても、しばらく後に学校の授業では教えられてしまうわけだが、覚えなくても解けるのであれば(それも特に苦労もせずに)、覚える必要もないはずだ。
(まあ、困ったことに学校では公式を書かせる問題とかもあるので、答えられるようになっていないとテストで点を落としてしまうかもしれないが・・・)

覚えなくていい、むしろ、覚えるから余計難しく感じるようになるのでは?と思う筆頭の単元が速さと割合ではないかと思うが、つい先日、ある子とのレッスンで、速さの学習を終え、しばらく経って問題の中で速さに関する文章題が出てきたときのこと。チラッと問題を見た段階で、その子がこんなことを言った。

「あ、速さ忘れた!」

「忘れたって、覚えなあかんかったん?読んだら解けるやろ、それ?」

「ん?どれどれ?ああ、解けるわ。」

・・・・・・。(会話終了)

学校で習った後に割合が解けないという子にも、2つのものを比べてどちらが大きいかを確認すれば、大抵は解けてしまう。

覚えるのが得意な子はいいけれど、大抵の子は3つも公式を並べられるからごちゃごちゃになって、本来簡単なはずのものまで解けなくなってしまうのだ。
どうしても覚えろというのなら、どれかひとつじゃダメなのか?といつも思ってしまう。

速さの公式だと「は・じ・き」とか「み・は・じ」とかで覚えることが多いようだが、例えば、時速40キロで2時間走ったらどれだけ進むかという計算は大抵の子が解ける。

であれば、例えば「速さ×時間=距離」だけ覚えたとしよう。(というか、本来は覚える必要を感じないのだが・・・)「40×2=80」だ。この関係ひとつをしっかり覚えておけば、仮に「120キロの距離を時速30キロで走るのにかかる時間は?」という問いには先ほどの式に「30×□=120」と当てはめればいいのではないか?
この□を求めることはそう難しいことではないはずだ。(少なくとも、3つの公式を混乱なく覚えて使い分けることよりは・・・)

もしもお子さんが速さや割合の公式を覚えようと苦労しておられるようなら、まずは覚えず考えてみさせること、覚えるならまずどれか1つをしっかり覚えること、そんなことから始めれば、思ったより簡単に感じられる子も現れるかもしれない。

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2008年2月22日 (金)

私の帰りを待っていたもの(ど~でもいい話)

すいません…。風邪気味だって言っているのに、まともな記事も書かずにこんなど~でもいい話をわざわざ…。
これも関西人の性だということで何卒お許しを…。

明日は朝からレッスンなので、いつもよりは少しだけ早く帰宅した私。
帰宅後、電話を見ると何かFAXが届いているのが目に入った。
しかし、普段FAXが来るのは、以前していた習い事がらみでそのイベントのお知らせみたいなものがほとんどで、どうせそうだろうと思いつつFAXをチェックすると……。

明生座への交通のご案内

そう書かれた地図が…。
おまけに発信者の表示はなし……。

ちなみにこの「明生座」、FAXの一番下に目をやると……。

大衆演劇
大阪桃谷明生座

と。。。
う~ん、仕事ばかりしていないでたまには出かけなさいという神の声?(絶対違う…)

それにしても、この地図は本当はどこに送られるはずだったんでしょう…。

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お許しを。

すみません。
3日前からのどが痛く、鼻もぐずぐずいって、風邪の気配なのですが、どうもここ数年(いや、ぼちぼち10年ぐらい??)は滅多に風邪を引かないものの、引くと極端に悪化もしない代わりにお薬を飲んでもダラダラ長引くのが常でして、よく寝ても大抵は治りません・・・。

で、今回もお薬も飲んでいるのですが、やはり治る気配はなく、微妙に悪化傾向。
明日は1週間のうちで一番ハードですので、今日は早く帰ってなるべく早く休もうと思います。

頭の中でぼんやり書きたいと思っていることはいくつかあるのですが、また改めて・・・。(忘れずにいられるかはかなり不安・・・。)

皆様もくれぐれもご自愛のほど。

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2008年2月21日 (木)

ちょっと発見かも。

昨日のレッスン中、ちょっとこれ、もうちょい考えたら使えるんじゃない?ということを思いついた。

以前ブログで憤ってしまったことがあるのだけれど、今通ってくれている子の中に、数量感覚が身につきづらい子がいる。
その子と時間計算をしようとしていたのだが、時計を使ってもいいよと言ったものの、どうも要領がつかめない様子で、私としては内心は(時間計算ができなくたって死にゃしないから大丈夫よ!)と思ってはいたものの、親御さんとすれば、やはりわからないよりわかるようになったほうがと思っておられるだろうし、他にも時間計算が苦手な子は多いし(私も未だに面倒な時は指折り数えてしまうし…(苦笑))、何かわかりやすいものはないんだろうかと頭をフル回転させた。

で、咄嗟に思いついた。(ただ、残念ながらその子にはまだピンときてもらえてはいないのだけれど…。)

時間計算を難しく感じるのは私たちが普段使い慣れている10進法ではない上、60進法と12進法が混在していることによるのだと思うが、あとは時計が円になっているからということもあるのではないかと思う。

そして、時間計算が苦手な子でも、「何時から何時までが何時間か」という程度の問題なら大抵特に問題なくクリアする。
もしここでピンとこない子がいたら、時間の帯を作ってみせて、帯の長さで時間の長さを感じてもらうことも可能だ。

とすれば、時間を長さで表せばいいんじゃないかと。

例えば、1時間を6センチ(60ミリ)で表すとしよう。それなら1ミリが1分だ。
で、もし3時47分から7時12分までが何時間何分か考えたければ(もちろん、すんなりわかる子には必要ないけれど)、それを長さで書き表してみると考えやすくなるのではと。

0ミリから47ミリまでは書かず、47ミリの位置から60ミリまでが3時台の残り時間(分)。
次に6センチを3本分書いたらそこが7時。そこにあと12ミリをつけたしたら、3時47分から7時12分までの長さの出来上がり。

あとは13ミリと6センチが3回分と12ミリを合わせればいいので、3時間25分。

言葉で書くと難しそうに思われそうだけれど、長さの学習ではすんなり取り組めた子であれば、これで考えることは可能なのではという気もする。
もっと考えたら、より分かりやすいものになるんじゃないかと思ったりしているところ。

まだちゃんと形になっていない段階なのでちょっと不安でもあるけれど、時間計算が苦手なお子さんには試してみられる価値はあるかもしれない。

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2008年2月20日 (水)

改めて感じたこと

普段、全くテレビを見なくなって久しいことはこれまで何度も書いているけれど、先日改めて感じたことがある。

ここ2、3年は自宅でも仕事場でもテレビをつけることはまずなくて、私がテレビを見るのは実家に行ったときぐらいという生活なのだが、改めて感じて、ちょっと考えた。

普段は大抵日曜の晩に実家に顔を出すのだが、この日曜は晩に友人との約束が入ったので月曜に実家に顔を出した。
日曜だと、大河ドラマのあと、バラエティーを見て…という感じなのだけれど、月曜だったので普段見ることのない番組がついていた。

食事の途中に特別だったのかなんなのか、2時間枠のクイズ番組のようなものが始まった。
もちろん、それはそれでためになるものもあったし、昔からクイズ番組などは家族で見ながら答えを言い合ったりしていたものだ。
しかし、実は今回は先週あった話で両親にしたいと思っていたことがあった。ただ、特別大事な話でもないし、クイズの途中に何が何でも話さなきゃというものでもなかった。おまけに両親揃って結構真剣にクイズを見ているし、邪魔をしては悪いなとタイミングを計っていたところ、結局クイズ番組が終わり、23時になり、さすがに明日から仕事だし…と話をせぬまま実家を後にした。

うちは子どもの頃、食事のときはテレビを消しなさいと母親が口うるさく言っていて、ちょうど見たい番組の途中だったりすると、必死で頼んだり、泣く泣く諦めたりなんていうこともあった。
さすがに年齢が上がるにつれ、母親もあまり言わなくなり、食事中もテレビがついていることが珍しくなくなっていった。

実家を離れてすぐは帰宅しても誰もいないことに慣れず、まずテレビをつける生活になり、ある時期にはリアルと録画とで週に10本ぐらいドラマを見ていたこともある。
しかし、帰宅後静かであることにも徐々に慣れ、そのうちテレビを見ない生活になっていった。
慣れてしまえばなんということはない。見なければ見ないでいられるものだ。

そんな生活に慣れたからだろうか、今回のことで改めて考えてしまった。

きっと今どきのご家庭は一家に一台どころか、それこそひとりに一台ぐらいテレビがあるおうちだってあるだろうし、そうでないにしても、家にいる間中テレビがついているというおうちもそう珍しくないのかもしれない。

食事時にも家族でテレビを見ながらなんてことも、既に当たり前になっているのかもしれない。(これはインタビューしたわけではないので、そうではないかもしれないが。)
しかし、せっかく家族が集まっているのに、みんなでテレビを見ているとなると、番組に関しての会話は生まれるかもしれないが、番組を遮ってまで、その日あったことや考えていることを話すということは減ってしまうのではないだろうか。

今の時代にあって、テレビなしの生活はなかなか難しいだろうし、テレビ番組の中には素晴らしい番組だって数多くあるだろう。
だから、全てを否定する気などさらさらないが、うちの母親がそうであったように、例えば食事のときにはテレビを消すであるとか、見る番組を決めて、それ以外のときは意識的にテレビを消すとか、そんなことが家族の会話を増やすことになるのかもしれない。

昔、かなりのテレビ漬けだった私だから、テレビの習慣性、依存性のようなものは自ら感じていた。
見始めると見続けてしまう。ドラマだって初回を見てしまうと続きが見たくなる。一度つけると切るきっかけを失って、寝るまでずっとつけている…。そんな生活を数年間続けていた。
仕事から帰るとすぐテレビをつけ、深夜遅く、もう見るに耐える番組がなくなるまで延々テレビを見続けていた。
今思えば不思議なぐらいだ。見なければ見ないで全く平気なのだから。

随分以前に、1週間テレビを消してみませんか?という企画をまとめた本を読んだ。
実践してみたご家庭のほとんどが、家族の会話が増えたと答えておられたように思う。
お子さんがおられるご家庭では、試してみる価値はあるかもしれない。

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2008年2月19日 (火)

新年度時間割についてのお詫びとお知らせ

新年度のタイムテーブルを詰めなくてはと思っていたところに先週1年分の帳簿データ消去という惨事に見舞われ、全く手をつけられておりませんでした。

今週はようやく通常のペースに戻りましたので、なるべく早くある程度のところまで詰めたいと思っております。
まだ新年度のご希望をお出し頂いていない方は早急にご回答くださいますようお願い致します。

ある程度決まりましたら、個別にご案内すると同時に、ホームページでも空き状況などご案内させて頂く予定です。
どうぞ宜しくお願い致します。

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2008年2月18日 (月)

休日ネタ

すみません。昨日更新するつもりだったのですが、さすがにここ1週間があまりにもハードだったため、帰宅後どうも更新する気になれず、だらだらしているうちに寝てしまいました…。(苦笑)

で、更新しようと思っていたこと自体もかなりど~でもいい話ではあるのですが、一部の保護者の方には直接お尋ねしたりもしましたので、一応公開ということで。。。

うちの教室ではレッスンが済んだ後、子どもたちは好きな飴を2つ取って帰っていいことになっているのですが、その中のある飴の袋になぞなぞが書いてあるのです。
それを発見した子どもたちは、その飴を取る取らないにかかわらず、缶の中のその飴をつまんでは袋のなぞなぞを見て、答えをめくっては缶に戻すなんてことが起きており、その飴だけ妙に袋がくしゃくしゃになるという、ちょっと困ったことが起きています。(笑)

で、そのなぞなぞなのですが、表現がちょっと違うかもしれませんが、例えばこんな感じ。

・うがいの好きな動物は?
・家の中でいつもほめられているものは?
・家の中でいつも片付いているところは?
・あがればあがるほどさがるものは?
・そらの上にはなにがある?
・ソファの下にはなにがある?

そんな感じのなぞなぞの中に突如こんな問題が。

・オレンジのふるさとは?

う~ん・・・・・・。
どういうなぞなぞなんでしょう??
で、よくわからずにいたところ、子どもが答えを見て「インド」と。

ん????インド???これってなぞなぞ??
そう思ったものの、バタバタしていて調べそびれていました。

すると一昨日、ある子が今度はこんな問題を見つけました。

・レモンのふるさとは?

またふるさとです…。
そして、答えはまたも「インド」と。

ん?????なぞなぞ??????

で、たまたま昨日は仕事の後友だちとご飯に行くことになっていたので、その話をしたところ、友だちも「それ、なぞなぞ?」ということになり、ここはひとつすっきりさせようということで携帯でウィキをチェックしてくれました。

結果。。。
オレンジもレモンも原産国はインドだそうです!

もちろん、そんなの当たり前やん。という方もおられるかと思いますが、私の勝手なイメージでオレンジとかレモンとかってのはカリフォルニアあたりが原産だと思っていましたし、インドと「オレンジ」や「レモン」のイメージも結びつきませんでしたので(おまけに地理にとても暗いし…)、これは一体どの辺がなぞなぞなんだ?と思っていたのでした。

というわけで、すっきり。
レモンもオレンジも「ふるさとはインド」ということで。(笑)

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2008年2月17日 (日)

スーパー発言。

相変わらずスーパーっぷりを発揮してくれる子はたくさんいるけれど、今日のスーパーくんのスーパー発言にはまたひとしきり感心してしまった。

2年生スーパーくんは今日、いろいろな三角形の作図をしていた。
コンパスや分度器、三角定規などを必要に応じて使い分け、二等辺三角形や直角三角形、正三角形などを問題で指示された通りに描いていくというものなのだが、もともとその子は算数のセンスがかなりよく、また、算数に限らず好奇心、探究心が旺盛な印象で、いつも色んなことに興味を持ち、調べてみたり、自分で作ってみたりするような子で、今日もまずは特に何の指示もせず様子を見ていた。

もちろんこれまでにコンパスや三角定規、分度器を使ったことはあったが、それはもう見事にほとんど何も言わなくてもかなり正確に美しい作図をしていく。

さすがだなぁと思って見ていると、彼がふとこんなことを言った。

「角が2つ60度だったら絶対正三角形になる!」

もちろん私は何も説明していない。作図しながら彼自身が気づいたことだ。
「えらいなぁ~、よう気がついたなぁ~」と言うと、もうひとつの正三角形の作図をしていた彼がまた言った。

「辺が2本おんなじ長さで角が1個60度だったら正三角形になる!」

内心、(あぁ、惜しい…。けどすごいなぁ…。)と思いつつ、私が何か言おうとする前に

「あれ?ちがうわ、ならへんわ。ん?」

そう言って彼自身がまた何か考え始めた。なので、「めちゃめちゃ惜しいなぁ。それやと絶対になるとは言われへんなぁ。」というと、「うん」と言ってしばらく考えたかと思ったら

「あぁ~~!!わかったぁ~~!!!」

と大きな声。身ぶり付きで両腕で2辺の代わりを示しながら

「こうなって挟まってるところが60度やったら絶対正三角形や!」

こちらが何も言わないのに、彼は自分自身で考えてそれに気づいた。
正三角形の定義やら、のちの合同や相似の条件やらにつながる大切なことを2年生にして、誰に教わったわけでもないのに彼は発見してしまった。

興味も持つこと、疑問を持つこと、考えること。
子どもたちはしばしば私たち大人の想像を超えた素晴らしい発想をしてみせてくれる。
早くから何もかも与えないこと(説明しないこと、教えないこと)はやはりとても大切なことなんだろうなと、彼を見ていて改めて思う。

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2008年2月16日 (土)

あとで更新します。

多分今日はオオカミ少年にならずに済むと思うのですが…。
とりあえず着替えて食事にします。久しぶりに日付が変わる前の帰宅です…。

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2008年2月15日 (金)

ようやく・・・。

既に日付が変わっておりますが、更新日時は反則で・・・。
現在16日0時25分。
ようやく再入力と入力チェックが終わり、帳簿に関しては恐らくこれで全て再び元の状態に戻りました。

さすがにここ3日、レッスン後に終電近くもしくは終電まで入力作業を続けたため、今日のレッスンは自分でも明らかに分かるぐらい頭の回転が鈍く、内心ひやひやしながら必死でマル付けをしていました。

子どもにも普段なら絶対耐えられるレベルでもイライラを感じたり(さすがにキレたりはしませんでしたが)、かなり危険でした。
どうにか今日でひと区切りつきましたので(申告はもちろんこれからですが)、明日以降はもとのペースに戻れると思います。

明日は最もハードな土曜ですので、自分のためにも、子ども達のためにも(イライラしないでいいように…)早く帰ってちょっとでもゆっくり眠らせて頂きます。
私は寝ないとダメな人間だという自覚はありましたが、今回しみじみそれを感じております。

連日内容のない更新続きで申し訳ありませんでした。
メールもかなり溜めてしまっておりますので、来週以降徐々に復活したいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。
とりあえず帰ります。

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2008年2月14日 (木)

とりあえず・・・。

1日でも早く立ち直って、本来の仕事に戻りたいと思い、ここ3日かなり根をつめて入力しましたので、どうにかこうにか本日(日付はちょっとズルしておりますが、現在は既に15日0時過ぎです。)19年1年分の帳簿再入力が完了しました。

一気にやったので恐らく入力ミスなどもあるでしょうし、明日チェックをして、どうにか土曜までにで完了させたいと思っています。

というわけで、メールフォルダにかなりメールが溜まっておりますが、土曜か日曜にはお返事できるかと思います。今しばらくお待ちください。
お急ぎの方は今週に関しては直接お電話頂く方が確実です。宜しくお願い致します。

ここ3日、深夜まで教室で入力をしていたため、食生活はボロボロ…。
それも含めて、早くもとのペースに戻りたいものです…。
予期せぬ非常事態に陥ってしまいましたため、新年度の時間割もまだこれから頭をひねらなくてはならない状態です。申し訳ありません。今しばらくお待ちください。

ちなみに今日はバレンタインデーだったのですね…。もうそれどころじゃ…。
でも、今どきの子どもたちはすごいですね~~!幼稚園の子でもチョコをあげたり、もらったりするんですね~。

ただひとつ、今回非常に不思議なのが、ある3年の女の子がバレンタインが15日だと言って、15日に「友チョコ」を交換する約束をしたとか。
先週その話を聞いて、今日また本人に確認したのですが、やはりチョコの交換は15日だそうで…。友チョコは15日にあげるもんなんですかね?そんなことないですよね??

さて、明日もがんばります。

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2008年2月13日 (水)

再起不能・・・。

すみません・・・。ブログにも書きたいこともあるのですが、ちょっとあり得ないことが起きていて、基本的に冷静な私も半狂乱になりそうな心境です・・・。

帳簿データが全て消えたことは書かせて頂きましたが、実はちょっと状態が変で、バックアップしたのにもともとのデータが全て消えた上、会計ソフト自体が初期化されているような状態になり、開業していない2002年のデータ画面が出てしまいます。(当然入力は0件)因みに、そのソフトは2003年版なんですよね・・・。

理解不能ながらも、昨日教室で終電前まで入力し、バックアップをして持ち帰り、自宅で2時過ぎまで続きを入力し、いつも通りに保存して寝ました。
朝、また晩に続きをするために教室にバックアップデータを持っていこうと外付けFDドライブにFDを入れ、バックアップボタンをクリックしたとき、なんだか嫌な予感が。

あり得ないことに、再び初期化され、またも2002年度データという画面に戻りました・・・。
帰宅後2時間、入力したデータはまた全て消えました・・・。

もう怖くて自宅で入力ができません・・・。

会計ソフトのサポートにお昼に電話してみたのですが、全然繋がらず、既に今は時間終了。
教室で続きを全て入力するしかないのかもしれませんが、どなたか何か思い当たることがあったりしましたら、教えて頂けるとありがたいです。
有償で専門家の方にということでも、Vistaに詳しい方がおられましたら教えて頂けると泣きそうなぐらい喜びます。(苦笑)

とりあえず、入力再開します。
まだ当分メールやブログが滞るかもしれません・・・。宜しくお願い致します。

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今日は生存証明だけ…。

昨夜、つい遅くまで仕事してしまって、疲れ切って帰宅後、疲れを10倍増ぐらいにする衝撃的出来事があり、そのままふて寝したところ、夢でまでデータを消してしまうショックを味わい、目覚めるとすぐ記憶がよみがえりぐったりな感じでの本日のスタートでした…。

教室のパソコンにどこまでのデータが残っているか、一縷の望みをかけたのですが、その望みも虚しく消え、今日はなんだかんだレッスンが21時前まであったため、そこから明日の準備をして、覚悟を決めて入力再開しました。

しかし、まだまだ先は遠く、終電1本前まで粘ったところで帰宅しました。
外は急激に冷え込み、雪が舞い、おまけに強風。色んな意味で踏んだり蹴ったり状態が続いております…。(苦笑)

いずれにしてもやらねばならないことですので、ある程度一気に集中して片付けたいと思っておりますので、数日の間メールやブログが滞ったり、手抜きになったりするかもしれませんが、どうぞご容赦のほど。

今日はもう少し頑張ってから寝ます。

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2008年2月12日 (火)

悲しすぎるお知らせ…。

今年も確定申告の時期が目の前に迫り、ようやく昨日帳簿の入力チェックが全て済んで、あとはデータをプリントアウトして、税理士さんに見て頂くだけになったとホッとしていました。

で、税理士さんにお見せするためにバックアップを取ろうとしただけなのですが、もう本当に何が起きたのか全く見当もつかないものの、1年分のデータが全て一瞬にして消えました…。

昨年夏にパソコンが壊れ、その時点でも数ヶ月分入力し直したというのに、今回は12ヶ月分全て。それもチェックも終わり、データとしては完了していたもの全てです…。

間もなく申告期間に入りますし、とにかくやるしかありません。
ですが、今週は新入会の方がおられたり、イレギュラーで体験を受けていたり色々あり、普段より時間が取れそうにありません。
ですので、大変恐縮ですがメールのお返事などが滞るかもしれません。何卒ご容赦くださいませ。

今日は結局23時まで仕事していたので、悲しい気分のまま諦めて就寝致します。

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2008年2月11日 (月)

まだ結論は出ない・・・。

一旦全ての募集を停止するべきなのかどうなのか、いくら考えてもまだ結論は出ません・・・。

来年度の時間割をにらんでいると、曜日や時間帯によってはまだ多少余裕があるのでは?という枠もあり、その反面、もうどうにもならない枠もあり・・・。

お受けできる枠が最終的に決まったら、その枠以外は募集停止にすればいいということなのだとは思うのですが、アシストについてもらう先生を1人ではなく2人にすればもう少し受け入れられるのではなかろうかとか、あれこれ考えてしまって結局結論が出ません・・・。

ただ、自分の中でずっと気になっていることがあります。

教室を立ち上げたとき、子どもは全員で6人、レッスンは3コマしかありませんでした。
最初は私もこの学習法に関しては素人同然でしたので、前もっての準備の時間もたっぷり必要でしたし、子ども達と一緒学んでいる状態でした。
それが徐々に慣れてきて、多少は要領もつかめてきましたが、それでも1年目、2年目は15人とか20人とか、そんな状態だったような気がします。

年数を重ねるにつれ、うまくなること、マスターすることも増えはしましたから、進度が似通っているなら一度に3人は余裕、進度がバラバラで3人が限界・・・そんな状態になりました。
でも、バラバラの進度の子を3人、その状態を3コマ、4コマ続けると恐らくそれを長く続けることは無理。それもあって、お手伝いの先生方に来て頂くようになりました。

教材や学習法に惹かれてきてくださって、指導者は誰でもという方なら今後もまだもう少しお受けできるのではとも思います。

ただ、なんとかなるかとお一人、もうお一人とお受けし続けて、気づいたら「前はもっとちゃんと見てくれていたのに・・・」という不満を抱える方が出てこられはしないだろうかと、そのことがずっと気になっています。

とにかく大勢集めたいというわけではないのです。
もちろん、ひとりでも多くの子がこの学習法に出会ってくれたらいいのになとは思っています。ですから、教材のご紹介はいつでもさせて頂いています。
幼児や低学年の内容であれば、ご家庭でお父様やお母様が指導することも可能だとも思っています。

いい方法に出会って、ひとりでも多くの子が算数を楽しいと感じられたら、持っている能力を更に伸ばしてくれたら、そう願っているだけなのです。

もともとは学校の先生になりたかったのに、最終的にはその道を選ばなかった理由は、あれだけの人数をきちんと見ることは私には不可能だと思ったからです。
自分できちんと見られる人数をしっかりお預かりするということは絶対譲れない部分です・・・。

だったら、もう無理ですとお断りしたらいいのかもしれません。
でも、お断りしたら、同じような教室はそう多くないこともわかっています・・・。

どなたか、本気でこの学習法をマスターして指導者になられませんか?
まあ、私自身、まだ「マスター」には程遠いので、えらそうなことは言えないのですが、例えば、我が子だけだとついつい感情的になってしまうとどのお母さんも口を揃えておっしゃるので、だったら、我が子とそのお友達の2、3人を一緒に指導するとかはどうでしょう?

もっと大きな子達を指導している先生方の中にはDVDなんて方法を取っておられる方もいらっしゃいますし、それも有効な面もあると思います。
ただ、子どもが小さければ小さいほど、その子その子の状況に応じてという部分が大きくなるようにも思いますので、私の場合、レッスンをDVD化するとかいうのはあまり解決策にはなりそうな気がしません。

お月謝設定をもっと高くすれば、時間が取れるのではというアドバイスをくださる方もおられます。
それもある面では事実かもしれません。それでも、うぬぼれかもしれませんが、仮にお月謝を倍にしてもお辞めになる方は半分もおられないと思うのです。
とすれば、仕事量を減らせるかというとそうでもなさそうな気もして・・・。(いえ、もちろん、倍にしてみたら子どもが半分以下になってしまうかもしれませんよ、そうなんですけどね・・・。)

とりあえずは体を壊す前には結論を出さねばとも思いますし、既存の子どもに迷惑をかける、不満を感じさせる前には決断せねばならないということも頭ではわかっています。
さて、どうしたものでしょう・・・。

もうしばらく考えてみます・・・。

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2008年2月10日 (日)

すみませんでした…。(汗)

やはりオオカミ少年になってしまいました…。
昨日は、形式的にブログをUPしたあと帰宅して食事をしたのですが、食べ過ぎたのか気持ち悪くなってしまい、しばし動けず…。
ようやく落ち着いたので、食事の後片付けなどを済ませ、何か書かなきゃなぁと思っていたら週末恒例の睡魔に襲われ、電気もヒーターもパソコンもつけっぱなしで夢の世界へと旅立っておりました…。
覗きにいらしてくださった方がおられましたら、どうぞお許しください。

明日はまたいつも通りかそれ以上に予定が詰まってしまっていますので、お休みは今日だけ。
のんびりしたかったのですが、普段家で時間をうまく使えないせいで、確定申告のための帳簿チェックがまだ最後まで終わっておらず、手をつけたら2、3時間で終わるのがわかっていながら延ばし延ばしにしていたため、ようやくそれだけは終えました。

そのせいもあってか、どうも休んだという感じがありません…(泣)
でも、よく考えたら、普通の塾の先生方はこの時期受験生を抱えて、更に新年度の準備も重なって、超ご多忙なんでしょうね。それを思えば私なんてまだまだ可愛いものです…。

ところで、新年度のタイムテーブルをにらんで頭を抱えているのですが、1コマ2~4人の子と1日最大でも7つレッスンをするだけで、少ない日は4つの日もあるのに、なぜにここまで消耗するのだろうと考えていて気付いたことがありました。

以前にも書いたことがあるかと思いますが、私は一部の高学年の子たちとのレッスンを覗いては余程のことがない限り、答えを持たずにレッスンをしています。
子どもたちが一所懸命解いている問題を私も毎日毎時間、その場で解いてマルをつけています。
子どもが3人いたら、うちの場合ほぼ確実に3人が違う問題を解いていますから、3人分の問題を解き続けなければなりません。

私自身、過去にそろばんも大量の計算練習も何もしたことがない人間なので、複雑な計算になってくると紙なしでその場で答えを出すのは相当頭のトレーニングにはなっていると思います。

答えを持たないのには理由があって(これも過去に書いたと思いますが)、一番初めに来てくれた子のひとりが、あるとき、うちに来る前に一時期通っていたある教室の先生のことを「○○○の先生はずるい。答え見ながらマルするんやもん」と言ったのです。
その頃その子はまだ1年生だったので、当然そのぐらいの問題なら答えを見ずにマルがつけられましたし、その頃は子どもの数もすごくすごく少なかったので、余裕もありました。

もちろん、事前に全ての問題を解いて、答えは用意してはいるのですが、その子のその発言以来、基本的に答えは持たずにやってきました。
ですが、今の状況だと1レッスン60分中恐らく50分近くは延々と子どもたちの問題を解き続け、ほぼ休憩なしにそれが4時間から7時間続いているわけですから、さすがにそれは脳もぐったりするのでしょう…。

とすれば、新年度、マルつけは他の先生に解答を持ってもらって基本的にお任せするという方法を取れば、もう少しだけ人数を見られるのでは?と思ったりもしています。
ただ、今、子どもたちは私は答えを見ずにその場で一緒に考えているということを感じているのではないかと思うだけに、私がマルをつけなくなったらどう感じるのか、そこもちょっと悩むところではあります。

まあ、まだ新年度のコマが確定しているわけではありませんので、なんだかんだ案外うまく割り振れるかもしれませんが。

なんかダラダラと皆さまにはどうでもいいことを書いてしまいました…。(汗)
まあ、休日ということでご容赦のほど…。

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2008年2月 9日 (土)

多分のちほど・・・。

このところ土曜は、レッスンが終わると放心状態になり、睡魔まで襲ってくる始末・・・。
ここで寝てしまうと確実に風邪を引くと思いますので、一旦帰路につきます。
多分、帰宅後更新できると思うのですが、オオカミ少年になったらお許しください。

明日はお休みを頂き、11日は体験や振替レッスンで結局お昼前から18時前までびっしり予定が入ってしまいました。
17日も既に体験と振替が1件ずつ決まっておりますので、18日はお休みを頂きます。(17日は14時30分以降はまだ時間が空いておりますので、単発のレッスンや体験のご希望がございましたらお尋ねください。

どうぞ宜しくお願い致します。

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2008年2月 8日 (金)

取り急ぎのご案内(お知らせブログにも転載)

現在、新年度のタイムテーブルを決定するために通ってくださっている皆さまにアンケートをお願いしており、9割がた回答を頂いているのですが、現時点でいくつかのコマがパンク状態になっております。

皆さまには基本的に第3希望までお出し頂いた上、希望以外にも通うことができるお時間もお知らせ頂いていますので、最終的には何とか調整するつもりではありますが、現時点で以下のコマはこれ以上ご希望を頂いてもお受けできないことがほぼ確定しております。
また変更もあるかもしれませんが、ひとまずお知らせ致します。

火曜 15時40分~
水曜 14時30分~、15時40分~、16時50分~
金曜 16時50分~、18時~

上記のコマ(特に金曜)は現時点で小学生さんだけでも第1希望の方が4名以上おられますので、これ以上ご希望頂きましてもまずお受けすることができないと思います。(ご回答頂いていない方で現在上記の時間帯にいらしている方はひとまずそのままご希望頂いても構いません。)

最終的にはまだ決まらない部分がかなりありますので、決まりましたらまたご案内致しますが、以上宜しくお願い致します。

現段階では木曜が比較的余裕がありますので、第2希望などで木曜にしておられる方はそちらにお願いすることになるかと思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。
決定しましたら、皆さまにはそれぞれまた改めてご案内させて頂きます。

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2008年2月 7日 (木)

話してあげてはどうだろう?

自分がどうだったかはよく覚えていないのだが、大人になって子ども達と勉強をするようになって以来ずっと、多くの子どもが苦手な単元のひとつに「割合」がある。その中でも、「原価・定価・売価・利益」などに関する問題が苦手な子はとても多い。

うちの教室は高学年の子はあまり多くないので、割合を指導する機会は独立してからはまだそう多くないが、今の学習法に出会ってから、子どもへの提示の仕方なども色々変わっていっている。
その中のひとつに上述の問題の導入の仕方もある。

私もそうだったが、今の世の中では「サラリーマン家庭の子ども」の割合が圧倒的に多くなっているだろう。お父さんやお母さんが働いてお給料をもらってくる。子どもたちの多くはお金とはお給料としてもらってくるものだと思っているのではないだろうか。
お父さん、お母さんに限らなくても、少し年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんだって、アルバイトをしてやはり「お給料」をもらってくる。もらったお金は基本的に全て「収入」だ。

しかし、算数で出てくる「原価・定価・売価・利益」というものはお商売をしている人でなければあまり直接縁のあることではないだろう。
もちろん、ある程度大きくなれば、買い物に行って「50%OFF」だとか「3割引」だとか書かれているものを目にする機会も増え、それが何を意味しているのかも段々と経験上わかってくるのだろうけれど、普通に暮らしている小学生で、おうちはサラリーマン家庭であれば、原価や利益と言われたってぴんとこないのは当然のことなのかもしれない。

実際、私は会社員時代、婦人服メーカーに勤めていたので、上代(定価)を決める見積もり計算などもしたことがある。メーカーによって、例えば一流ブランドであれば、きっと原価は相当低いだろうし、お手ごろブランドであれば、薄利多売で原価率はきっとある程度高いだろう。私がいた会社では、上代を決めるとき、原価がおよそ3割になるように決めていた。初めにそう聞いたとき、内心(えぇ~っ、3倍以上の定価なの?そんなに儲けるの?)と、経営分野は全くのド素人だった私は驚いたりもした。
しかし、段々わかってくると、うちはメーカーなので、小売店に卸売りをするのだ。卸売り価格は定価の6掛け(60%)前後だったように思うので、結局会社としては卸売り価格に対する原価率は5割前後ということになる。
まあ、それも結局セール前にはまた条件が変わったり、返品をされたり、色々な条件があって、延べると原価率はもっともっと高くなっていたように思うが、その利益の部分で会社を維持し、社員にお給料を払わねばならないのだから、1点の製品の原価がこれだけしかかかってないの?と思えたものも、会社としてはそうせねば存続できないというわけだったのだ。

実際、子ども達と売買に関する問題をやっていると、「利益って何?」とか「原価ってなんなん??」とかいう質問を受けることがよくある。
で、言葉の説明をしているときに、例えば、原価に3割の利益をのせるような場合、「えぇ~~っ!そんなに儲けるん?ひど~。」とか、ときには、「この店、悪いなぁ。」とかそんな言葉さえ出てくるのだ。

子ども達の中には「儲ける」という言葉に対して「悪いこと」というイメージを持っている子もいるようで、そういう子に対してはお商売の仕組みについて尋ねてみるようにしている。

「○○くんのお父さんは会社からお給料もらってくるやろ?けどさ、お店してる人はどうやって暮らしてるんやろ?」

そんな風に尋ねると、中には「お給料もらってるんちゃうん?」と真剣に答える子もいるぐらい、お金は「働いて、お給料としてもらってくるもの」というイメージが強いようだ。
まあ、大抵は「ものを売って」とか「ものを買ってもらって」とかいう答えが返ってくるので、続けて尋ねてみる。

「じゃあ、そのものはどうするん?どっかからとってくるん?ただでもらってくるん?」

まあ、これも「そうしたらいいやん」とかいう子もいないわけではないが、自然な流れで、普通はどこかからものを買ってくる(仕入れてくる)ことが多いということを確認する。

「じゃ、もし100円で仕入れてきたものだったら、いくらで売る?」

もちろん、これが正解っていうのがあるわけじゃないし、子どもなので利益ののせ方もさまざまだ。しかし、ここで問題なのはたまに「100円」と仕入れた値段のまま答える子がいること。
そういう子はこれらの問題がイメージできるはずがない。そこでそういう子にはまた尋ねる。

「100円で仕入れたものを100円で売ったら、儲かる?(そのお店の人はどうやって暮らすの?)」

そんな風に尋ねると、子ども達も段々ぼんやりわかり始める。
お店の人はお給料をもらうのではないこと。お給料をもらわずに暮らしていくには、ものを売って儲けないといけないこと。売るときには仕入れてきた値段より高く売らないと儲からないこと。ただ、闇雲に高くしたら売れないということも考えなくてはいけないこと。そんな色々なことをなんとなくでも頭で理解すれば、これらの問題のハードルは随分低くなる気がするのだ。

もちろん、そんな話をしたぐらいじゃできるようにならないというご意見もあるだろう。
ただ、そうだとしても、単に原価・定価・売価・利益の言葉の意味を説明するより、こういう会話を通じて考えさせる方がきっと遥かに生きた力になるように思うのだが、いかがなものだろう。

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2008年2月 6日 (水)

「まず説明」をやめてみる。

伊藤先生と出会って教室を始めて、その後、宮本先生の著書に出会って更に「教えないこと」に重きを置くようになった。
そうしながら、幼児や小学生達とのレッスンをしてきた結果、中学生に対してもだんだんそういう風なスタンスになっていった。

まあ、去年から中学生の募集を休止しているので、今は中学生を指導することはほとんどないのだけれど、小6の子が既に中学の数学に入っていたりすることもあり、正負の数や方程式などを一緒にやることがある。

以前の私だったら、負の数についての説明、絶対値の説明、正負の数の計算の仕方…その他あらゆることをまず説明から入っていた。
しかし、子どもたちとレッスンを続けている中で、小学生たちでも感覚的に「マイナス」の数のことはなんとなくわかっているし、例えば、気温であったり、クイズ番組での減点表示であったりと、0より少なければ「マイナス」と表現することは大抵の子が知っている。

そこで私はまず子どもたちに「多分できると思うからやってみて」というところから入るようになった。
そして、実際、多くの場合、説明なんてなくってもある程度のことは子どもたちは理解して解いてしまう。

つい先日も6年の男の子と「絶対値」をやろうと思ったときに、書かれている問題を指さしながら、とりあえず尋ねてみた。

「なあ、これで『絶対』の変わらへんものってなんやと思う?」

すると、その子は

「う~ん、そりゃぁ、これ?」

と数字の部分を指さした。「じゃあ、これは?」と次の問題を指すと、「そりゃ~これでしょ」とやはり数字の部分を指さす。

「うん、そうそう。符号は変わるけど、数字の部分は5やのに3になったりせ~へんもんね」

と確認した後で、「本当は絶対値っていうのは0からどんだけ離れてるか、0からの距離ってことやねん」と一応説明。

まあ、一概には言えないけれど、多分「絶対値というのは0からの距離のことで、符号を取って表します」と説明されて始まるよりは頭に残るはずである。

そのときに正の数と負の数の加法も一緒にやったのだけれど、「プラス」は得点、「マイナス」は減点と思ってねとだけ言ったら、あとは勝手に解いていた。

これはわかりやすく中学の数学の例で書いたけれど、そんなことは小学生の学習の中にもいっぱいある。

さて、ちょっと考えてみてほしい。
例えば、私たちが新しい携帯を買ったとき、ついている説明書を熟読する人がどれだけいるだろう。パソコンソフトにしたって、他の説明書の分厚いようなものにしたって、最初にそれを熟読して理解してから使い始める人なんて多分かなりの少数派なのではないだろうか。

説明を読んだり聞いたりするのは退屈で、しばしば苦痛を伴う。
それならば、まず使ってみてわからないところだけ説明書を読んでみるか、誰かに聞いてみるという人の方が多数派なのではと思う。(当然めんどくさがりの私はこっち派)

大人だからそうなわけじゃないはずだ。
それは子どもにだって同じことで、最初に説明されるということは、それに対する興味や関心、好奇心を奪うことにさえなるかもしれない。
やらせてみてわからなければ、その子が必要とする手助けをする。それが子どもにとってより望ましいはずで、恐らくその方が学習効果もかなり高くなるに違いない。

もちろん、説明され慣れてしまった子の場合はこの限りではないだろうけれど、そうではない子たちの多くは「まずやってみる」方が問題に前向きに取り組めるのではないだろうか。

乱暴に思えるかもしれないけれど、私のレッスンは大抵こうだ。その日の課題のプリントを見て、その子なら考えられるんじゃないかというものであれば

「多分できると思うからやってみて。わからんかったら何か言うわ。」

ってな具合。
で、説明もしていないのに解いたら、それはもう素直に「すごいなぁ~」「やるなぁ~」なんて言葉が出てくるし、やったことのないものなのだから、やってみてできなくても当然。本人が助けがほしいと思ってから初めて手を差し伸べるほうが、子どもも素直にその手をつかもうとするだろう。

こちらが知っていても説明する必要のないことは案外たくさんある。
どうしても説明したければ、子どもが考えたあと、補足として「こういうこともあるね」的に言い添えてみるのもいいかもしれない。

指導者の多くは(数年前まではもちろん私も)「まず説明する」ということが当たり前だと思っている。きっと、指導者でなくても、大人が子どもに何かを教えるときには「まず説明」と思っていることは多いだろう。

もちろん、教えなければ絶対にわからないこともあるとは思うし、身の危険に関わるようなことは徹底的に教えるべきだろう。
でも、勉強に関していえば、その子の状況を見つつ、「まず説明」をやめてみるのもいいのではないかと思う。
そうすることで、これまで見えなかったことを発見することができるかもしれない。

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2008年2月 5日 (火)

できることとできないこと…。

最近、ちょっと考えている。考えてはいるけど、まだ新年度の時間割が確定したわけじゃないし、体験の方たちも皆さんが入会してくださるわけでもない。その流動的な不確定部分が大きくて、尚更考えても答えが見えてこないのだけれど、私はどうするべきなのか、迷っている。

一昨年頃から徐々に通ってくれる子たちが増えてきて、昨年には自分ひとりでは絶対回せないなと思い、お手伝いしてくださる先生方に来てもらうようになった。
しかし、現在、教室のキャパを考えてもそろそろ本当に限界に近づきつつあるのではと思ったりする。

おまけに、うちがちょっと変わった教室であるせいなのだと思うけれど、発達障害がある子、その疑いがある子、そう診断はされなかったけれど親御さんも何か気になっておられるという子が徐々に増えつつある。

私としては、今のその子の持てる能力をよりよく伸ばすお手伝いをしたいだけなので、その対象がトップレベルを目指す子でも、中間層の子でも、とにかくまずは基本だけでもという子でも、他の子たちに迷惑をかけないのであればお断りする理由はない。

ただ、理解に時間がかかる子、何らかの障害がある子にはやはりそれなりに時間をかける必要もあり、そうなるとお受けできる人数がより限られてもしまう。

更に、希望してくださる方がおられたら、お断りするのも忍びなく、ついつい限界ギリギリまでどうにかお受けし続けてここまで来ている。
そうなると日によっては、1日のレッスンで限界近く消耗する。これがどこまで続けられるのか正直不安にもなる。

もちろん、子どもたちはどんどん成長していくし、今みたいにたくさんの子たちが通い続けてくれる保証はどこにもないから、尚更お受けできるところまで…と思ってしまう面も多少はあると思う。
それでも、例えば、もう定員いっぱいですからよそに行ってくださいと言ったとしたら、その「よそ」はどこにあるんだろうとも思ってしまう…。
もちろん、教材が同じ、もしくはうちより充実しているというだけで言えば、ご紹介できるところはある。ただ、そちらは費用面での負担は随分大きくなるし、更に、幼児からしか入会できないとか、進度が一律だとか、うちとはやはり違う面が多い。

じゃあ、空きができるまでお待ち頂けばいいのかもしれないけれど、その「空き」ができる時期は私にはわからない。
わからないのに「お待ちください」とはやはり言えない。

もちろん、どんなに頑張っても定員いっぱいでどうにもならなくなったら、あとはお断りするしかなくなるのだから、悩まなくてもいいのかもしれないけれど、もともと、自分できちんと目を配れる範囲の子どもたちときちんとレッスンをしていきたくて始めた教室。そこの部分は忘れちゃいけないと思っている。

新しい先生方が担当するのでもいいと言ってくださる方を増やせば、それでもう少しだけ人数枠を増やせるんだろうな。
そうか。私が見せて頂ける限界の人数をちゃんと考えるしかないのかもしれないな。

とにかく私は子どもたちみんなが大好きで、みんなが今より伸びていってほしいと思っている。だけど、全員を私ひとりで見ることは不可能なところまで既にお受けしてしまっている。
ホントに考えなくちゃ。だけど、考えたら答えが出るのかどうかもよくわからない…。

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2008年2月 4日 (月)

繰り下がりの実感

あるお母さんから頂いたメールに返信しつつ、これってもしかしたら教室に通っておられない方に何か参考にして頂けるかもと思ったことがありましたので、ちょっと書かせて頂こうと思います。

以前にもそれに類することは何度か書いているかと思いますが、「またか・・・」という方はずっと読んでくださっていてありがとうございます。

さて、小学生が算数で最初に迎えるひとつの関門は繰り下がりの引き算ではないかと思います。
で、実際、小学校でも一般の多くの塾などでも、そして、尊敬する糸山先生も計算に関しては筆算重視。糸山先生の場合は、そのほかの部分で「感じる」ということを十分にできることもあって計算は確実に筆算でということなのかと思っていますが、教科書やドリルなどでは「誰でも簡単にできる」ということを考慮して、その方法を練習させるのかなという印象はあります。

さて、では、筆算でしか計算ができず、ほかに「感じる」学習をしていない子どもに少なからず見られる傾向は、その後数が大きくなればなるほど、その数の感覚がないため、出た答えが正解か不正解かは検算して同じ答えになるかどうかで確かめるなどの方法しかなくなってきます。

その結果、2桁や3桁の掛け算の筆算などになってくると、位を書き間違えてあり得ない答えを書いても、それがおかしいという感覚を持てない状態になってしまう子は決して少なくはないのではと思います。

さて、では、どうやって数を実感させればいいのでしょう。
教室では数を実感できる教具などもありますが、やはりオススメなのは「お金」かなと思います。
2桁同士の繰り下がりぐらいから徐々にお金を使って考えるようにしていけば、3桁同士、4桁同士などになっても応用が利きますし、更に、お金でイメージできるようになれば、掛け算や割り算などの際にも便利なことが多いです。

過去、塾講師だった頃にも、ただの計算式ではピンとこない子どもに数字に「円」をつけて尋ねた途端考えられるようになるということは珍しくありませんでした。
教室の子たちでも、教具でなかなか実感しきれない子の中に、お金ならぴんとくる子はやはりいます。

というわけで、少し具体的にご説明を。

3桁同士の繰り下がりの引き算があったとしましょう。

「523-269」

だったとします。(なんでもいいのですが。)

まず、100円玉5枚、10円玉2枚、1円玉3枚を用意。それと別に両替用の硬貨を多めに用意しておきます。

100円玉5枚(500)からまず2枚(200)を取ります。次に60を取りたいのですが、10円玉は2枚しかありませんから、残っている100円玉のうち1枚を10円玉に両替します。そして、12枚になった10円玉から6枚(60)を取ります。そして、残る9を取りたいときにもやはりそのままでは無理なので、10円玉1枚を1円玉に両替します。そして、13枚から9枚を取ります。
その作業が終わったら、残っている金額が引き算の答えです。そして、取った金額が間違いなく「269」であるかどうかも目で見て確かめることができます。

100円は10円玉が10枚、10円は1円玉が10枚。これで数が大きくなれば、1000円札、10000円札まではお金の範囲で対応できますし、それ以上大きな数を暗算でする必要はほとんどないだろうと思います。

お金を両替することで繰り下がりを実感することもできますし、その作業を何度か繰り返すことでイメージもしやすくなると思います。
そして、多くの子はお金を触るのが大人が思う以上に好きだったりします。ですので、より楽しく学ぶことができるのではとも思うのです。

というわけで、繰り下がりの計算で苦労しているお子さんがおられたら、一度試してみられてはいかがでしょう。ドリルを沢山やるより、きっと効果があるのではと思うのですが。

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2008年2月 3日 (日)

複雑な気持ち

先日来、パタパタとお問い合わせを頂いているのだけれど、そんな中、時々もったいない言葉を頂戴することがある。
このブログを読んでくださっているお母さん方の中には、「こんな先生に指導して頂けたらと・・・」とか、「是非先生に・・・」とか言ってくださる方もいらして、なんだかもうブログがひとり歩きしてるんじゃないかとそんな不安も・・・。(苦笑)

ただ、先日ちょっと複雑な気持ちになったことがある。
教室に通ってくれている方からのご紹介でお問い合わせをくださった方なのだけれど、低学年のお子さんが塾にも通われているのだけれど、算数で苦戦しておられるとのこと。近々体験にいらして頂くことにはなったものの、今の状況を簡単に伺って、おうちで取り組んでみられたらいいのではと思ったことをメールでちらっとだけご案内した。

ただ、それは大人が見たら簡単なのだけれど、特に算数が苦手な子どもはそれが苦手なことが多いので、事前にお知らせしておかないと、もしもお子さんがそれをうまくできないと「なんで、こんなことができないの?」と焦られるかもと、追伸のメールを送ったときだった。

その方は携帯メールだったこともあり、本当に簡単な内容のメールをお送りしただけなのに、返信にこんな言葉があった。

「こんなに親身になって頂けた先生は初めてで・・・」

社交辞令にしても、なんとも複雑な気持ちになった。
その子は学校にも通い、おまけに塾にも通っているのだ。それもまだ低学年で。
もちろん、その方が他の先生方に何もご相談されなかったから、先生方も何もアドバイスをされなかっただけのことなのだとは思うけれど、たった数行のメールにその言葉を頂いたことに、なんだか少し切なくなってしまった。



因みにわたくし、しゅっちゅうここでも白状しております通り、全然できた人間ではありませんし、時間の使い方も下手、指導力もまだまだ。人間としてもどうなの?と。(苦笑)
確かにブログにはときどき真面目なことも書きますが、あまり過大評価されると恐縮してしまいます・・・。

あ・・・。もしかして、プレッシャーを与えてもっと成長するようにとの神様からの計らいなんでしょうかね・・・。(苦笑)

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2008年2月 2日 (土)

なんだか癒された。

すみません…。昨日今日となんだかかなりバタバタで、おまけに明日もお昼前から夕方までびっちりレッスンになってしまったため、今日もゆっくり更新する気力、体力がありません…。
何卒お許しを…。

で、今日は7つのレッスンを終え、最低限のことを済ませたら帰るつもりだったのですが、あまりの疲れっぷりについ小一時間休憩してしまい、その後はなにかしら仕事をしていたはずなのですが、気づけば22時過ぎ。レッスンが終わったのは19時前でしたので、自分でもびっくり。

さすがに1週間の疲れもあったか、かなり疲れてるなぁと思いつつ帰路につきました。

夕方頃から雨になり、教室の置き傘をさしての帰り道。自宅の最寄り駅を降りて歩いていると、傘をささずに小走りに帰る人たちもちらほら。
お昼過ぎまでは曇りだったので、傘を持たずに出られた方も結構おられたのかもしれません。

ただ、駅前にはコンビニもあり、タクシーもおり、なんだかんだ普段の雨降りも傘をささずに普通に歩いている人にはそう出会うこともありません。
それに、もしささずに歩いている方がいても、男性だとさすがに「入っていかれませんか?」とも言えませんし、大抵は足早に去っていかれるので、心の中で気の毒に…と思うだけで普段は過ごしてしまいます。

しかし、今日、駅からの帰り道で少し前を傘をささずに歩いている女性がいました。冷たい雨が降っているのに、傘もなしで、なのに特に急ぐ様子もなく、まるで雨が降っていないかのように歩いている女性の背中を見ながら歩いていると、実は私は結構歩くのが早く、とうとう女性に追いついてしまいました。

アイボリーのコートを着た後姿は同年代ぐらいなのかな?と思っていたのですが、とりあえずすぐ横を無言で通り過ぎるのも躊躇われ、更に今日は疲れ切って一部理性がなくなっていたかもしれず(苦笑)、普通なら驚かれるのではとか考えて声をかけそびれる気もするのですが、すぐ後ろに来たとき、つい声をかけてしまいました。

「途中まででも入っていかれますか?」

多分、相当びっくりしておられたと思います。(ごめんなさい…)
初めは戸惑いながら(きっと、アヤシイ人と思われたに違いなく…(苦笑))、「いえ、すぐそこのマンションなんで大丈夫です」と辞退されたのですが、「あ、すいません、突然。変な人かと思いますよね。」というと、彼女がしっかりとこちらを向きました。

後ろ姿の印象とは全く違い、恐らくまだ20代前半、もしかしたら学生さん?というぐらい若くて可愛らしい女の子で、顔を見たら少しは安心してくれたらしく、もう一度「どうせ私もそこまでまっすぐ行きますから、もしよかったら」というと、「ありがとうございます」と笑顔で答えてくれました。

でも、本当にすぐで、ほんの100メートルほどだったかと思います。
それでも彼女が素敵な笑顔でこう言ってくれました。

「こんなことしてもらったの初めてです。ありがとうございます。今度から私もします。」

理性がなくなって、つい声をかけてしまったアヤシイ私に、ニコニコそんな風に言ってくれる彼女を見て、こちらの方が幸せな気持ちになりました。

疲れ切っていたお蔭でなんだかほんわりとあったかい気持ちで帰宅した週末でした。

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2008年2月 1日 (金)

オオカミ少年化しておりますが……(汗)

最近、書く、書くといいつつ書かずに睡魔に負けている、オオカミ少年と化しつつある私…。
昨夜は食事を済ませたら急激に眠くなり、それでもお腹が落ち着いたら書こうと思っていたのですが、気づけば夢の世界へ…。
おまけに、目覚めたら凄い時間!久しぶりに9時間以上寝てしまいました…(汗)

さて、今日はよいお天気のようですね。きれいな青空が見えるのは久しぶりな気がします。
で、書こうと思いながらかけずに過ぎている色々なことのうちひとつを書こうかなと。(ただ、なかなか書けないのは時間がないだけでなく、文章がまとまらないということもあるのですが。)

子どもたちが数量感覚が身についているかどうかは図を描かせるとよくわかる。
1年生や2年生の段階ではよほど算数が好きで感覚の優れた子でなければ、数直線などをうまくつかいこなすことは難しい面はあるし、そのぐらいの子たちには無理にそれを使えるようにさせる気もないけれど、それ以降の学年の子たちとのレッスンで文章題などをやるとき、子どもが悩んでいたら、まず図に表せるかどうか尋ねてみる。

例えば「AさんはBさんより12枚多くカードを持っていて、2人のカードを合わせると52枚です」というような問題があったとき、私がBさんの分の線分を描いてみて、「これがBさんだったらAさんはどのぐらい?」と尋ねたとき、まあ、問題の読み違いをしていない限り、Aさんの方を長く描くことはみんなできる。

ただ、その「長く描く」ときに、その長さが恐ろしく長かったり、短かったりする子もおり、反面、全体のバランスに対してかなりいい感じで長さを描く子もいる。

また、「CさんはBさんの3倍で…」などの問題のとき、すっと3倍程度の長さを描ける子もいれば、ここでももたもたする、もしくは3倍とはかなりかけ離れた長さにめもりだけは3倍っぽく入れるなんて子どももいる。

一番差が出るように感じるのは、「等分」の図を描くときだ。

1本の線分を5等分にするとか、8等分にするとかいうときに、ある程度均等に分けられる子と見ていて心の中で(おいおい…)と突っ込みそうになるバランスで分ける子がいたり、円を何等分かにするときにもやはり同じようなことが起きたりする。

言うまでもないが、図がバランスよく描ける子たちは算数が得意だ。特に男の子などで学年が上がってくると文章を読むことに抵抗を感じる子も出てくるみたいだけれど、それを図に表わしたら、大抵すぐに解き方を思いつく。
しかし、例えば、学校で線分図を使って考える方法は習っている高学年の子などでも、線分図らしきものを描くことはできるけれど、そのバランスがあやしい子はやはり大抵は算数が苦手だ。

結局、算数の多くの部分は数量感覚が身についているかどうかというところにかなり左右されるということなのだろう。
とすれば尚更、小さいうちに感覚もないのにただひたすら計算だけをさせるとか、文章問題を公式やパターンで繰り返し練習させて覚えさせるなどという方法が先に行けば行くほど役に立たなくなっていくことは明らかだ。

逆に、小さいうちは計算が遅かったり、考えた末ちょっと計算間違いをしてしまったりとかしているような子どもでも、数や量の感覚が日常生活の中で身についている子たちは、きっと後伸びする要素が十分にあると思う。

例えば、普段の生活の中でケーキやピザ、カステラなどを等分に切り分ける経験をしている子や、お菓子などを兄弟や家族などで同じ数ずつ分ける経験をしている子、ものやお金を数えるのが好きな子など、まだ他にも色々考えられると思うけれど、そういう子たちは円を等分させるときにも感覚的にそれをつかんでいたりするし、お菓子は数によってはあまりが出ることも経験として知っている。1円が10個で10円と交換できるし、10円が10個になれば100円と交換できるということを知っている子たちは繰り上がりや繰り下がりの感覚も日常の中で身につけることができる。

つまり、もし子どもの算数の能力を高めたいと思ったら、幼児期や低学年期には、ただひたすらプリントやドリルなどをやらせることより、日常の中で色々な数量感覚に関わることを経験させてあげることの方が遥かに有効なのではないかと思う。
前者は子どもたちにとって「お勉強」だけれど、後者は「お遊び」の感覚で取り組めるだろうし、だからこそより一層身に付くだろうとも思う。

子どもたちは本当に一人一人持てる能力が異なるので、もちろん一概には言えないことだけれど、もしご自分のお子さんが数量感覚が伴っていないように感じるというような方がおられたら、まずは日常でそういう経験をさせる機会を増やしてみられるのもひとつの方法ではないかと思う。

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