これまでにも悲しいことに何度もそんな場面に遭遇してきたが、「先取り学習」に潜む危険をしみじみと感じることが先日もまたあった。
その子は幼稚園の頃からすごく賢い子だったようで(と言っても、とても子どもらしいやんちゃなところのある子でもあるのだけれど)、お母さんが教えたわけでもないのにパソコンの使い方を覚え、自分で子供向けの算数のサイトなどを見つけ、どんどん問題をクリアして行ったりしていたそうだ。
その子には上にお姉ちゃんがいて、お姉ちゃんがやることを傍で見て理解してしまったりということもあったようで、ここでレッスンを始めたとき、何も教えないのに2桁同士の足し算や引き算は計算できるようになってしまっていたし、たしか筆算の仕方も覚えていた。
まだ1年生なのだが、先日掛け算のレッスンに入ったところ、九九はどうやら全て覚えてしまっているようだった。
覚えてしまっているものを忘れろとは言えないし、仮に言ったってそれは不可能だ。
その子は見ていて素晴らしい能力があることはひしひしと感じる。ある意味天才的なセンスも感じる。
しかし、その子は図らずも先に九九を覚えてしまった。その結果何が起きたか・・・。
掛け算について、暗記から入らず、数を足したり倍にしたり半分にしたり、のけたりという作業から入った子達は自然にクリアしていく問題にその子は苦戦した。
先に九九を覚えてしまった子達と全く同じ反応を示した。
それは、例えばこんな問題だ。
9×5+9=9×□
九九を知らない子達はこの式を見ると大抵「簡単やん!」とか何とか言いながら、□に6と書き入れる。
暗記から入っていない子達にとってこの問題は、9を5つ並べてあるところにもうひとつ9を並べたということに過ぎないからだ。だから、9は全部で6つになる。ただそれだけのことなのだ。
これを解くときに、「9×5=45、45+9=54、54=9×6」という手順を辿ってはいないのだ。
しかし、九九を暗記してしまった子達はほとんど例外なく、上記の手順を辿って苦労して「6」を導き出す。その子たちの頭には数のイメージはない。
もちろん、9×5は9が5つという意味だということを確認し、そこに9を置いたらどうなるかこちらから尋ねれば、どうにかぼんやりと「9が6つ」と答えられる子はいる。
しかし、そういう子達はそのまま黙ってみていると大抵覚えてしまった九九を使って計算する方に戻ってしまう。数をイメージすることから逃げていくのだ。
考えることは本来楽しいことのはずなのだけれど、覚えてしまったものはそれを使った方が楽でもある。
結果、覚えてしまっている子達は自然の流れとしてそちらに行ってしまうのだろうと思う。
では、目の前のこの子は九九を現時点で暗記しておく必要があったのだろうか?
この子はまだ1年生だ。学校で掛け算を習うまでに1年近くの時間がある。算数のセンスは恐らくすごくある子だから、急いで九九を覚える必要などどこにもなかったはずである。ただ、本人が興味があったばっかりに、親御さんがやらせたわけでもないのにいつの間にか覚えてしまったのだ。
それによって、その子は本来楽しめたはずの掛け算の学習をただこなすだけになってしまった。この損失は恐らく小さくはない。
その子と今日、2桁×1桁のレッスンをした。さすがにそこまでは覚えてはいなかったようで、多少は考えようとするのだが、目の前に教具を並べているのにそれを見ようとせず、頭で計算して答えを出そうとする。そして間違う・・・。
もちろん性格的なものもあるのだろう。面倒なことがイヤで手早く計算できることがいいことと思っていれば、苦労して考えるより、覚えた九九を使って答えを出してしまおうと思ってしまうということかもしれない。
少なくともその子は賢いからこそそれができるのだとも言える。27×3の問題を頭の中で20×3と7×3をして答えを出しているらしいのはわかる。それがダメだとは言わない。でも、20×3で既に60なのだ。その子の目の前には見たらそれがわかるように教具が置かれているのだ。なのに、60よりも小さい答えを平気で書いたりして、20×3でもう60だよ?と言うと頭の中で計算だけし直して正しい答えを書く。
その子には目の前の教具には何の意味もない。
こちらが少し強く、「これ見て!何のために置いてるの?」と言えば、しぶしぶそれを見て少し考えるというような具合で、この子にとって教具は「面倒なもの」になってしまっているようだ。
もしこの子が掛け算について白紙の状態だったらどうだったんだろう?覚えていないのだから考えるしかない。考える中で、これだけ賢い子なのだから、色んな発見をしただろう。めんどくさがりなら尚のこと、何か工夫できないかな、楽する方法はないかなと、色んなことを考えてくれたかもしれない。
なのに、先に九九を暗記したことでこの子はそんなチャンスを全てなくしてしまったのだ。
これはこの子に限ったことではない。
先取り学習をしている子には少なからず見られる傾向である。昨日少し書かせてもらった子も、掛け算のレッスンを順番を入れ替えてまでやったのに、それより先に九九を覚え、掛け算の筆算まで学習済みだった。そんな状態で、一体どう「新鮮なワクワク」を持って掛け算の学習ができるだろう?
何でも早くやればいいってもんじゃない。
早くやれる状況があるなら尚のこと、覚えさせるなんてことはせず、じっくり時間をかけて、子ども自身にそのきまりや法則、考え方を発見させるべきなんだろうと思う。
間違ってはいけない。
先の学年のことが「できる」というとき、その「できる」が意味するところが何なのか。
先取る必要のないことを先取りして、挙句、興味関心を奪ってはいないか?伸びるはずだった芽を摘んではいないか?
先のことを与えるとき、立ち止まって考えてみてほしい。
先にやらせることで何かを失うことがあるということを知っていてほしい。
そう強く思う。
最近のコメント