以前から気になっていたある子の親御さんからお手紙を頂いた。
以前から気になっていたのは、数量に関しての感覚がどうも少し身につきづらいような印象があり、もしも発達上何らかの問題があるのであれば、その対処は早いに越したことはないだろうと思ったからだったのだけれど、こちらがはっきりとお伝えしそびれている間に、既にアクションを起こしておられた。
先日はそのご報告を頂いたのだが、今回はその結果報告のお手紙を頂いた。
しかしその間、以前気にしていた頃から比べても、確かにある部分は何か違和感を感じるところはあるものの、正直言って本当に驚くぐらいよくできるようになったことがいくつもあった。
だから、私自身、多少何らかの気になる点はあるのかもしれないけれど、きっと大したことではないのかもと思い始めていた矢先の結果報告だったので、「特に問題ありませんでした」とか「経過を見ましょうというお話になりました」とか、そんな内容なのではと思いながらお手紙を読み進めた。
しかし、そこに書かれていたことは想像を絶する言葉の連続だった。
本当にこんなことを言われたのか?
信じられない表現が連ねられていた。
ご両親はさぞ心を痛められていることだろう。
たった1回、ペーパーの検査でなぜここまで断言できるんだ?ということがずらりと並んだお手紙。
私に伝えるためにそれを文字にするときにも、さぞお辛かったことだろう。
脳の発達から見て、9歳がひとつの壁と言われている。
その子はまだそこに達するまでにまだまだ時間がある。
私がその子と出会ったとき、確かにその子にはできないことが色々あった。しかし、1年足らずの間にどんどんとできることを増やし、確実にその子は伸び続けている。
なのに、なぜ今の時点で「絶対にできない」、「効果は望めない」、そんな言葉を平気で投げつけられるんだ?
あなたはこの子の何を見た?1年前のこの子と今のこの子がどれだけ変わったか、それを見ても「絶対」って言えるのか?
実はその子とは一緒にかけ算のレッスンを始めたとき、かなりちんぷんかんぷんなやり取りがあった。教具を並べて見せているのに、てんで違う数を答えたりもして、やはり数に関して何かあるのかも…と感じたりもした。それに関しては今もまだそう感じるところはないわけではない。(それは親御さんともお話をした。)
しかし、覚えこませたわけでもなく、おうちでも暗記させようとされたことはないとおっしゃっているのに、その子はいつの間にか九九に関しては式を見た瞬間に答えが書けるようになってしまった。
その速さたるや、大人が真剣にやっても負けるかも?というほどなのだ。
おまけに、前回2桁×1桁や3桁×1桁のレッスンをしたのだが、数量感覚がどの程度あるのかはわからない。それでも、その計算も、暗算でかなり素早くきちんと答えが出せるようになっていたのだ。
その子のどこが知能が低く、今後の発達も望めないと断言できるのだ?
あなたは何を知っているんだ?
もちろん、私は発達障害などに関してほぼ素人だ。私の持っている知識はあくまでも本などから得たものに過ぎず、それも初歩的なものでしかない。
それはよくわかっている。
専門家にしかわからないことだってあるだろう。
それでもどうしても納得がいかないのだ。
人は大切な人につらいことを伝えなくてはいけないとき、とてもとても心を痛めるに違いない。
相手がどれだけ傷つくか、心を痛めるか、そんなことを想像し、できることなら伝えたくない…、伝えずになんとか済む方法はないか…、そんなことをあれこれ考えるのではないのだろうか。
つらいことを伝えるとき、まず相手の気持ちを考え、相手に寄り添ってくれる。そんな人の言葉ならつらくてもなんとか受け止めようとするだろう。
しかし、結果だけを見て、きっと専門家にとっては常識的な判断を、相手の痛みも考えずに次々とぶつけるような人の言葉を素直に受け止められる人などいるとは思えない。
何より、その人が知っているのはその子が取り組んだペーパーの検査結果の数値だけなのだ。
その数値だけでなぜそこまでのことが言えるんだ?
私は人間に「絶対不可能」なんてことはほとんど存在しないと思っている。
もちろん、例えば病気や事故などで脚を失った方がおられたとして、「自分の脚で歩く」ということは「絶対不可能」かもしれないが、何らかに方法で歩くことは「絶対不可能」とは言えないはずだ。
お医者様にもう手遅れと言われた方が病気を完治させたなんて話も実際にいくつも存在するはずだ。
ヘレン・ケラーだって、サリバン先生に出会っていなければ、一生混沌の世界で生きていたかもしれないが、「奇跡」は起きたのだ。
頂いたお手紙を読みながら、会ったこともない検査官か指導員か知らないその人に激しい憤りを感じた。
あなたはその言葉を親御さんたちに伝えるとき、心が痛んだだろうか?悲しくて泣きそうになっただろうか?
私には子どもがいない。
だから、親御さんの辛さ、悲しさは私の想像など遥か及ばぬところにあるに違いない。
それでも、そんな私でさえもこんなにも憤りを感じ、悔しくて涙が流れたんだ。
何の希望も与えないカウンセリングなんていらない。
もちろん、不必要な期待を抱かせることはかえって酷だという意見もあるかもしれない。
ただ、今回のことに関しては、どう見ても、どう考えても、そこまで言われる理由がわからない…。だって、そこにあるのはただのペーパーの結果に違いないのだから…。
お母様と少しお電話でお話をした。
「何を!見返してやる!そんな気持ちになりますよね…」
とても可愛くて穏やかなお母様がか細い声でそうおっしゃった。
でも、確かにそうだ。
きっと私がその場にいたら、何が何でもコイツのいうことなんて全て覆してみせる!そう思っていたに違いない。
子どもに無理をさせるのではなく、それでもその子の持てる力をよりよく引き出し、伸ばしていってくれるよう、私も一層頑張っていこうと思う。
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