また悩む…。
日々、悩みながら、迷いながら、試行錯誤しながら、それでも少しは前に進んでいるのかなとは思うけど、子どもたちはひとりひとりみんな違うし、ひとりの子どもだって日によって違う。それは私にだって言えることで、調子のいい日やイマイチな日、きっと1日として同じなことはないんだろうと思う。
ある子とある日とてもスムーズにレッスンができても、翌週にもスムーズにいくとは限らない。
前の週に完全にお手上げになっていたような問題が今週やったらあっさりできるなんてこともないわけではない。
1時間のレッスンの中でだって、この子はやる気がないのかな?と思っていたら、急にエンジンがかかり始めたり、絶好調だったのに突然ブレーキがかかってしまったりなんてこともある。
それはそれで当然のことなんだと思うけれど、時々考えてしまう。
明らかにだらけ切って、全身から「イヤイヤオーラ」を放っている子どもを前にしたとき、本当はどうするべきなんだろうと…。
それは違うと言われるかもしれないし、自分でも絶対に正しいと思っているわけではない。ただ、私は勉強は「自分のためにするもの」だと思っている。
誰かに怒られるのが嫌だからやるとか、勉強したらご褒美がもらえるからやるとか、本来そういうものじゃないと思っている。
だから、やりたくない子を怒ってやらせる気は全くない。
こんな仕事をしていたら、子どもはある意味「お客さま」なのかもしれない。やる気のない子のご機嫌をとりつつ、ちょっとでもやってくれるように働きかけるのが正しいのかもしれない。
それでも私は相手が1年生だろうと言ってしまう。
「やりたくないなら無理してやらなくっていいよ。」
そう言って、時にはプリントを取り上げてしまうことさえある。
駆け引きをしようというわけではなくて、本人がそんなにも嫌なんだったら、おうちの方にお話ししてやめさせてあげようとさえ思ったりもする。つらい顔、悲しい顔、苦しそうな顔を見ていると私までつらくなってしまうから。
そもそも、小さいうちは存分に遊びまわっていてもいいのだと思う。特にうちのようなちょっと異種な教室には、本人がやりたいと思わないのに無理してくる必要などないはずだ。
もし、学校の授業にさえついていけず、本人がそれをイヤだと思っているのであれば、また話は変わってくるが、少なくとも今うちに来てくれている子たちで学校の算数がわからないという子はまずいない。だからこそ、無理して苦しんでまでやらせる必要を感じないのだ。
でも、あまりにもだらけている子も、きっと得意な問題、簡単な問題だったらもっといきいきと取り組んでくれるのかもしれない。
難しい問題でも、もっと優しく手とり足とり噛んで含めるように説明してあげたら、もっとがんばってくれるのかもしれない。
けれど、「手とり足とり」はもうしないと、この教室を始めたときに決めた。
だからこそジレンマもある。
考えても答えは出ないのだけれど、子どもに向かって「やりたくないならやらなくていいよ」と言うと、ほぼ例外なく子どもたちは問題に取り組み始める。
それは私が怖いからなんだろうか…。本当は自分でもやらなきゃと思っているからなんだろうか…。
言ってしまった後、いつも本当にそれが正しいのか考えてしまう…。
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