この頃ずっと考えていること(1)
私はかなり目が悪い。小1の眼科検診で判明したのだが、物心ついてからこっち、見えていた世界が大きく変わったと感じたことはなかったから、多分生まれつきなのではないかと思う。
小1で遠視性の乱視との診断が下ったが、その程度はかなり激しいもののようで、メガネなどで矯正のきく範囲を超えているようだった。
まだ1年生だからしばらく様子を見ましょうと言われ、「遠くの緑を見なさい」と言われたことを忠実に心がけ、4年生までは少し視力も回復したのだが、5年でまた低下し始めたのを機にメガネを作ることになった。
少しでもよく見えることを重視して調整してもらった仮のメガネでその辺を歩いてみてと言われたが、さっきまで平らに見えていた廊下が急に坂道に見え、怖くて歩けなくなったことを覚えている。大人になってから作ったメガネも、「これ以上矯正しようと思ったら気分が悪くなったり頭痛がしたりするかもしれませんよ?」みたいなことを言われた。
とにかく私は多分生まれてからずっと、クリアにものを見たことがないのだろうと思う。(この見え方しかわからないのでなんとも言えないし、年々更に悪くなっているのは感じるが・・・)
ある意味で、それも一種の障害なんだろう。
こればっかりはメガネやコンタクトでもこれ以上無理と言われているのだから、健常な目の持ち主と比べたら、私は永遠にその感覚を実感することはできないわけだ。
そんなことを思いながら、この頃ずっと考えている。
近年、「発達障害」に関して色々研究が進み、もしかすると昔は、単に落ち着きのない子、勉強ができない子、やたらとこだわりの強い子・・・などのように片付けられて、気づかれていなかった子達の中にADHDだとかLD、アスペルガー、自閉など、何らかの診断がつくよう子どもも出てきた。
私のように目が悪いとか、たとえば生まれながらにして体のどこかに障害がある場合、比較的早い段階で気づくだろうし、障害がはっきりすれば、それにどんな対処をしていこうかという風に発想が切り替わっていくだろう。
ただ、ことが「発達障害」となった場合、診断が下るといっても、100%確実にというわけにはいかないようだし、診断する医師などによってもブレがある場合もあるようなことも何かで読んだ気もする。
現段階ではまだ、かなりグレーゾーンの多い障害ともいえるのかもしれない。(本などの僅かな知識だけでこんなことを書いていいのかどうかはずっと気になっていて、これまでこの話題には触れずにきたのだが・・・。)
また、恐らく親御さんたちは皆さん、我が子のことを心から大切に思っているし、大切な我が子が何らかの障害を持っているなんて考えたくもないということもあるだろう。
更に、第三者が何か感じたとしても、それが絶対でないのであれば尚更、伝えるのは失礼かもという思いが先にたって、結局何も言わぬまま様子を見続けるということも少なくないのかもしれない。
実際、これまで私もその立場できていたし、もしも私の勝手な思い込みだった場合、相手に大変失礼である上、自分の努力不足を相手のせいにして逃げていることになってしまうのではという思いもあった。
ただ、なぜなのだろう・・・。ここ最近、既に軽度ながら発達障害をお持ちだというお子さんをお預かりすることになったり、もしかしてそうなのでは?と心配されて検査に行かれ、結果的には多少そういう傾向は見られるけれど障害ではないと診断された方のお話を伺ったりということなどがいくつか重なっている。
そして、ずっとずっと考えているのだ。
(長くなるので続きます。)
| 固定リンク
コメント