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2007年8月 2日 (木)

10年後の自分

ある方に「10年後どんな自分になっていたいか」という質問を頂いた。

実は、こういう類の質問は自己啓発系とかスピリチュアル系、経営関連の本とかで、将来なりたい自分を思い描くことが大事とか書かれていることも多くて、過去、そういう類の本を結構読んだりもしたため、その時々考えてみようとしたこともある。

中学3年のとき、将来の夢が「中学校の先生になること」になった。
そのために教育学部を目指した。その頃の私には夢の実現のためにはその選択肢以外思いつかなかった。
だから、中学、高校、大学時代の10年後、もしくは近未来の私は「中学校の先生」だった。

その後、思うところあって会社に勤め、更に思うところあって「学校の先生」という選択肢は消えた。
ただ、もともと中学校の先生になりたいと思ったときにも、ふざけているかもしれないが、その理由は、恩師が私たちに沢山の経験と思い出を残してくれたように、私も子どもたちと共に学び、思い出を沢山作りたいからというものだった。

歳をとって、ほんの少し表現は変わったが、つまるところ私は別に子どもたちと勉強がしたいわけではなく、感動を分かち合いたいのだと思う。
ただ、絵が描けるわけでも、歌がうまいわけでも、踊れるわけでもなく、子どもと一緒に過ごし、子どもの成長を見守り、少しは手助けができるかもしれないとすれば、「一緒に学ぶ」ということしか今の私には思いつかないということなのかもしれない。

昔は学校の先生になることが夢だった。
だから、10年後の自分は中学校の先生になっていて・・・なんて考えることはあったように思う。
会社員を辞めて子どもたちと勉強するようになってからは、いつか本を沢山置いて、大人も子どもも貸し出し自由にして、異学年混合の寺子屋みたいな小さな教室ができたらいいなとぼんやり思っていた時期もある。

しかし、今はそれもほぼ叶っている。
もちろん、いつまで続けられるかわからないし、将来の不安はないと言ったら嘘になる。
3年後の自分、10年後の自分を思い描いてみようと思ったことは何度かあるけれど、いくら考えても先のことが見えない。

少なくとも今の時点では、今より教室を大きくして大勢の子どもやスタッフに囲まれていたいとはどうしても思えないし、結婚願望がないわけじゃないけど、現実問題としてアテもなければ、今この仕事を辞めるとか、レッスンを減らすとかも考えられない。
これが結婚して、子どもでもいれば、10年後のイメージも何か具体的に描けるのかもしれないが、それもない。

関わる子どもたちによりよい指導ができないかということはずっと考えているし、もっとほしい教材もある。
教材を考える時間はほしいと思っているが、それでも3年後、10年後の自分のイメージは全くわかない。

女性でもバリバリ仕事をされて、どんどん出世したり有名になっていかれる方もいるとは思うし、そういう方たちにはちゃんと3年後のビジョン、10年後のビジョンがあるのだろうなとも思う。
だから、性別で一概に区切ることはできないとは思うが、なんとなく感覚的に女性に比べて男性は歴史好きな人が多いし、中でも戦国武将とか中国史でも三国志だのなんだの、そういうものに興味を示す人は多い。
尊敬する人物とか、理想の人物とかに歴史上の人物を挙げるのも圧倒的に男性の方が多いような気がする。

勝手な推測なので、間違っているとお叱りを受けるかもしれないが、遥か昔、男は大切な人たちを守るために戦い、生きるために狩りをしていたし、女は大切な人を守り育てるため平和を願い、安定を求めたのではないだろうか。

それを遺伝子がずっと覚えていて、今でも男性は戦いを好み、女性は平和や安定を求めるのではないかとさえ思える。

実際のところ、少なくとも私には戦いを嫌い、変化を嫌い、大切なものを守るために平和を願い、安定を求める、そんなところは色濃くある。
会社員時代も出世したいと思ったことはなかったし、今だって教室を大きくしたいとか、有名になりたいとか思うこともない。

けど、そういう感覚って一般に男性には理解しがたいものなのかもしれないと思ったりもする。
変化を嫌うというのは、人からすれば成長しようとしないということになるのかもしれないし、実際、頑固者は成長しないとも思う。(そして私はかなりの頑固者・・・。)

「毎日同じことの繰り返し」には耐えられない性格ではあるが、子どもたちは毎日変化するし、同じ教材を使ったって同じ結果が出ることはあり得ない。1日1日、一人ひとり、全てが違うから、飽き性の私も飽きることがない。飽きるどころか、今のところやればやるほど、もっと勉強しなくちゃ、もっと教材を用意しなくちゃ・・・そんな思いが膨らむばかりだ。

質問にお答えしたくて今回も考えてみたが、残念ながら、やはり10年後の自分のイメージは全く描けない。
昔、何かの本で「女は子宮でものを考える」なんてことが書いてあって、わかるようなわからないような表現だなぁと思ったが、長期的にものを考えることが男性に比べて苦手だというのは事実なのではないかと思う。(少なくとも私はそうだ。)

10年後。
今一緒に勉強している子達が高校生、大学生、社会人になっている頃だ。
その頃までこうして教室を続けていたい。

その頃には大人になった子どもたちが、自分たちが子どもの頃に学んだ方法をより多くの子どもたちに伝えてくれていたら嬉しい。
子どもたちそれぞれが自分の夢や目標に向かって進んでくれていると嬉しい。

この学習法がもっともっと広まって、学ぶことを楽しいと思える子達がたくさん増えていると嬉しい。

今、考えられるのはそんなことだ。

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コメント

昨年の春、日本を発った上司がおりました。 とても尊敬している人で、私の目に、彼は「成功者」として映っておりました。
「成功の秘訣はなんですか?」と聞いた時の解答が、まさにコレでした。
「君は5年後の自分を想像できいるかい? その場所に納得できるかい?」
その時の想像では、『まったく同じ仕事をやっている自分』しか想像できませんでした。
私が彼のような成功を望んでいるのなら、未来に『まったく同じ場所にいる』というのは変なのです。
毎日の生活をこなすだけの流される生き方だけは「ヤメトケ」と言われたのだと思います。
5年後もきっと同じ場所ですが、今は納得できています。
社会的に認められる事が「成功」ではなく、、
自分の納得する人生を歩めているかどうかが「成功」なのかもしれないと考えるようになりました。

投稿: yoshi | 2007年8月 4日 (土) 06時23分

yoshiさん、いつもありがとうございます。
yoshiさんのお仕事、私からしたら(想像ですけど)既にかなりの
「成功者」でおられるように思いますが、結局は何をもって成功と
いうか、何をもって幸せというかは本当に人それぞれだということ
なんでしょうね。
私は「成功」という意識はどうもほとんどないのですが、死ぬとき
に「ああ、いい人生だった」と思えるような生き方ができたらなぁと
思っています。

投稿: TOH | 2007年8月 6日 (月) 13時49分

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