大切なのは
レッスンをしていて、最近特に感じるようになったことがある。
自分ひとりでやっていた頃と違って、今年の春頃から中学生のレッスンのために来てもらっている学生の先生や、レッスンのお手伝いをして頂いている社会人の先生方が子どもとのやりとりを客観的に見る機会が増えたことや、昨年に比べて随分と幼児さんが増えたことで教室に保護者の方がおられる機会も増えたということもある。
別に誰かが悪いとかいうことではなくて(そもそも、自分のことは主観的にしか捉えられていないので、怒っていないと言いながらも口調が厳しくなっていることは絶対にあるはずだし、教えていないと言っていながらヒントを出しすぎていることも、誘導尋問になっていることもあるだろうと思うし…)、そうやって人のこととして見られるようになって感じるのは、大人は待つのが想像以上に苦手だということだ。
そして、多くの大人が無意識のうちに、自分たち大人は子どもよりえらいと思っているようだということだ。
子どもの顔を見れば、まだ考えているということがすぐわかるのに、すぐにたたみかけるように質問を投げかける。
教えていないつもりでも、「これは○○よね?だから△△になるよね?わかる?」といった具合に望む答えに強引に引っ張ってしまう。
何かがうまくできないことに対して、「大人の基準」でできて当然なのにできないのはなぜ?という判断を子どもにぶつけてしまう。
そんなことにときどき出くわす。
もちろん、私自身、初めはおそらくそんな感じだったのだろうし、今だってまだまだ未熟なところだらけだと思う。
だから、先生方はしっかり意識をしてくだされば、変わっていってくださるだろうとは思う。
それに、先生方には直接お願いすることも、子どもの前でついつい乗せられてヒントを言いそうになる先生を遮って、「○○ちゃん!私にはそんなこと聞かないでしょ?」と口をはさむこともできる。
ただ、うちの先生方に限らず、実の親御さんでさえ、大人は子どものペースに合わせて待つことが苦手なんだなぁと感じることは少なくない。
愛するがゆえに…ということもあるのだとはわかるが、大人は子どもより先に生まれた分、経験が多いだけで、人間として子どものほうが劣っているなんてことは決してない。
早くできないことが悪いわけではないし、経験が少ない分、知らないことやできないことが多いのは当たり前のことだ。
しかし、能力面で見れば、大人など足元にも及ばないほどすごいものを持っているのを感じるし、それはしっかり認めて尊重しなければと思う。
つい先日も、子どもの顔さえ見れば、その子がまだ一所懸命考えているとすぐわかるのに、ある先生が「わかる?これは○○でしょ?」と彼を遮った。
一度目はその言葉を止めることができなかったが、次にまた遮ろうとしたときには子どもにわからないようそっとそれを止めた。
そのまましばらく黙ったまま彼を見つめていると、彼の手が動きだして答えを書いた。
わからずに止まっていたのではない。彼はじっと頭の中であれこれ考えていたのだ。
教室の子たちにはある程度「じっくり考えること」ができる環境を用意できていると思うし、手伝ってくださっている先生方にも、気づいたことがあるたびお願いをしている。
ただ、きっと色々なご家庭で子どもたちとおうちの方たちとの間にも同じようなことが起きているのではないだろうかと思うと、少し心配になるのだ。
子どもは何かの問題をじっくり考えている。考えているのであって、ぼ~っとしているのではない。
そのときに「これは○○でしょ?わかる?」と突然思考を遮られる。
答えなければきっと、更にたたみかけるように質問が投げかけられ、挙句には説明が始まるのかもしれない。
わかると答えたとしても、なぞなぞを必死で考えている途中に邪魔されたような、すっきりしない感覚を抱くだろう。
もしそんなことが何度も何度も繰り返されたら、強い子であれば親に反抗するかもしれないが、それができない子たちは考えることを放棄し始めるのではないだろうか。
私だってはじめから、まだ考えているのか、全くお手上げなのかが見てすぐわかったわけではない。
今でもどっちだろう?と悩むこともある。ただ、子ども自身が音をあげるまではできる限り待つし、それでも判断がつかなかったり、性格的に自分から言えないタイプの子には「考えてるんだったら待ってるね。困ってたら言ってね。」なんて声をかける。
そうやって子どもを尊重すれば、大抵の子どもたちはとてもいい表情で考えることを続けてくれる。
大切なのは目の前の子どもを見ること。
それ以上のことはないのではないか。改めてそんなことを考えた。
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