「できるよ」という言葉の力
レッスンをしていて、感じることがある。
もともと、結構不思議に感じていることがあるのだが、その理由の一端がもしかしたらこれなのかもしれないと思った。
不思議に感じていることというのは、教室に来てくれる子どもたちの中には、学校で算数につまずいて・・・とか、算数が苦手みたいで・・・というお話でおうちの方が連れてこられるというパターンも珍しくない。
しかし、蓋を開けてみれば、おうちの方がおっしゃる通りの状態の子は少なく、中には「あれ??どの辺ができなかったの?」とか「全然苦手じゃないやん?」てな子もいるのだ。
だったら、なんで学校やおうちじゃできないと思ってしまったんだろう?そんな疑問をしばしば感じていた。
最近も、算数が全然ダメで・・・とか、文章題が苦手で・・・なんて話で来てくれた子たちがいるのだが、さて、それじゃ気合入れましょうか!と(もちろん、レッスンはいつも真剣に向き合っているつもりだが、他の教室などに通うことなく、教材の最初っから一緒にやれる子達は大抵すんなり進んでいくことが多いので、学年が上がってからの途中入会やよそで勉強していたけど合わなくてという低学年の子達の場合とは準備その他が若干異なるというわけ)レッスンをしてみると、「あれ?どの辺が全然ダメなの?」となった。
ただ、その子たちは確かに、少なからず苦手意識を持ってしまっているのは感じられて、問題の見た目が難しそうだと、その段階で拒絶しようとすることがある。
そんなときに私が「○○ちゃんならできるよ。やってみて。」と声をかけると、初めは疑いながら「ホント?」なんて聞き返してきて、「うん。きっとできるからやってみて。分からなかったら一緒にやるからね。」というと、やっと問題に向き合ってくれる。
さて、その後どうなるか。
大抵の場合、手も足も出ないなんてことはなく、しばしば自力ですっかり解いてしまったりもするほどだ。
もちろん、見極めは必要だろう。本当にできそうにないものを「できるよ」なんて軽々しく声をかけて、もし頑張ってもできなかったら、子どもからの信用を失いかねないし、子どもは更に自信をなくしたり、算数嫌いになってしまうかもしれない。
それでも、簡単ではなくても、その子の力なら何とか解けるんじゃないかなと思うあたりの問題を「きっとできるから!」と声をかけると、これまでの記憶では本当に手が出なかった子はひとりもいない。
慎重な性格の子やデリケートな子などは、失敗することを恐れて難しそうな問題は避けて通る場合があるように感じる。
そんなとき、「○○ちゃんならきっとできるよ!」という言葉は子どもの背中を押すのだろう。(もちろん、その子にどの程度の力がありそうかがわからないうちに安易に言う訳にはいかないが。)
私は子どもたちの能力はすごいと思っているから、大人が難しいと勝手に思っている問題だって、子どもだったら解けるはず!ぐらいに思っているところがある。
その私が「できるよ」と言えば、ある程度私とのレッスンに慣れた子であれば、「できるのかな?」と思ってくれるんだろう。
見守ること、応援すること、勇気付けること。
あれこれ説明するより先に、大人にできることはいっぱいあるんだなと思う。
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