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2007年7月31日 (火)

「できるよ」という言葉の力

レッスンをしていて、感じることがある。
もともと、結構不思議に感じていることがあるのだが、その理由の一端がもしかしたらこれなのかもしれないと思った。

不思議に感じていることというのは、教室に来てくれる子どもたちの中には、学校で算数につまずいて・・・とか、算数が苦手みたいで・・・というお話でおうちの方が連れてこられるというパターンも珍しくない。
しかし、蓋を開けてみれば、おうちの方がおっしゃる通りの状態の子は少なく、中には「あれ??どの辺ができなかったの?」とか「全然苦手じゃないやん?」てな子もいるのだ。
だったら、なんで学校やおうちじゃできないと思ってしまったんだろう?そんな疑問をしばしば感じていた。

最近も、算数が全然ダメで・・・とか、文章題が苦手で・・・なんて話で来てくれた子たちがいるのだが、さて、それじゃ気合入れましょうか!と(もちろん、レッスンはいつも真剣に向き合っているつもりだが、他の教室などに通うことなく、教材の最初っから一緒にやれる子達は大抵すんなり進んでいくことが多いので、学年が上がってからの途中入会やよそで勉強していたけど合わなくてという低学年の子達の場合とは準備その他が若干異なるというわけ)レッスンをしてみると、「あれ?どの辺が全然ダメなの?」となった。

ただ、その子たちは確かに、少なからず苦手意識を持ってしまっているのは感じられて、問題の見た目が難しそうだと、その段階で拒絶しようとすることがある。
そんなときに私が「○○ちゃんならできるよ。やってみて。」と声をかけると、初めは疑いながら「ホント?」なんて聞き返してきて、「うん。きっとできるからやってみて。分からなかったら一緒にやるからね。」というと、やっと問題に向き合ってくれる。

さて、その後どうなるか。
大抵の場合、手も足も出ないなんてことはなく、しばしば自力ですっかり解いてしまったりもするほどだ。
もちろん、見極めは必要だろう。本当にできそうにないものを「できるよ」なんて軽々しく声をかけて、もし頑張ってもできなかったら、子どもからの信用を失いかねないし、子どもは更に自信をなくしたり、算数嫌いになってしまうかもしれない。

それでも、簡単ではなくても、その子の力なら何とか解けるんじゃないかなと思うあたりの問題を「きっとできるから!」と声をかけると、これまでの記憶では本当に手が出なかった子はひとりもいない。

慎重な性格の子やデリケートな子などは、失敗することを恐れて難しそうな問題は避けて通る場合があるように感じる。
そんなとき、「○○ちゃんならきっとできるよ!」という言葉は子どもの背中を押すのだろう。(もちろん、その子にどの程度の力がありそうかがわからないうちに安易に言う訳にはいかないが。)

私は子どもたちの能力はすごいと思っているから、大人が難しいと勝手に思っている問題だって、子どもだったら解けるはず!ぐらいに思っているところがある。
その私が「できるよ」と言えば、ある程度私とのレッスンに慣れた子であれば、「できるのかな?」と思ってくれるんだろう。

見守ること、応援すること、勇気付けること。
あれこれ説明するより先に、大人にできることはいっぱいあるんだなと思う。

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2007年7月30日 (月)

嬉しいような、困るような・・・。

今年度は中学生の募集を休止してしまったので、数学をやる機会はほとんどなくなっているのだが、公立中に進むスーパー6年生くんが難しめの6年のワークを終えてしまったし、受験しないのに受験用の小学生のテキストをするのもなと、結局そのまま中学内容に進んだ。

彼に使うテキストをそれまでの中学生のものとは変えたこともあり、新たに自分でも解いてみているのだが、嬉しいような困ったようなことが起きている。
たとえば、今日ちょっと方程式の利用のところを解いていたのだが、問題を読んだら答えがわかってしまうものや、小学校の算数の発想ですぐにわかってしまうものが結構あり、方程式を考えるほうが難しいものがいくつもあった。

塾に勤めていた頃にはそんな感覚を持ったことはほとんどなかったのだが、この歳の私ですら、なんでこれを方程式使って解くの?と思うようなものであれば、スーパーくんやスーパーちゃんたちは、式を作ることの方が難しいかもしれない。
おまけに、ものによってはその式をわざわざ作る方が不自然にさえ思えたりもするのだ・・・。

たとえば・・・。

「周囲の長さが1200mある池のまわりを、A君とB君とが同じ地点から同時に反対まわりで歩き始めたところ、10分後に2人は出会った。A君は毎分70mの速さで歩いたとすると、B君は毎分何mの速さで歩いたことになりますか。」

これ、多分今すぐうちのスーパー6年、スーパー5年に見せたらあっという間に解くに違いない。状況さえ説明してやれば、もっと小さい子達でも解けるだろう。
そもそも、A君は10分で700m歩くんだから、B君が500m歩かなくてはならないのだし、この問題のどこにXを使った方程式を作る必要があるんだろう?

こんな問題もある・・・。

「ビーカーAには5%の食塩水、Bには3%の食塩水が入っている。AとBの食塩水を混合すると、4%の食塩水が200gできるという。このとき、Aの食塩水の量を求めよ。」

これ・・・見た瞬間答えがわかる・・・。それぞれ100gずつしかあり得ない。
多分、スーパーくんたちも分かる気がする。けど、式を作らなくてはいけない。

ほかにも、ちゃんと読めば、Xを使うことを考える方が難しいのでは?と思うようなものも決して少なくない。

私でさえこんな変化が起きているのであれば、あの子達は中学に行ってこの単元を学習するとき、どんな風に感じるんだろう・・・。
杓子定規の先生に当たらなければいいのだけど・・・と今からそんなことが少し心配になる。

この変化は嬉しいような、少し困るような、複雑な気分だ。

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2007年7月29日 (日)

大切なのは

レッスンをしていて、最近特に感じるようになったことがある。

自分ひとりでやっていた頃と違って、今年の春頃から中学生のレッスンのために来てもらっている学生の先生や、レッスンのお手伝いをして頂いている社会人の先生方が子どもとのやりとりを客観的に見る機会が増えたことや、昨年に比べて随分と幼児さんが増えたことで教室に保護者の方がおられる機会も増えたということもある。

別に誰かが悪いとかいうことではなくて(そもそも、自分のことは主観的にしか捉えられていないので、怒っていないと言いながらも口調が厳しくなっていることは絶対にあるはずだし、教えていないと言っていながらヒントを出しすぎていることも、誘導尋問になっていることもあるだろうと思うし…)、そうやって人のこととして見られるようになって感じるのは、大人は待つのが想像以上に苦手だということだ。
そして、多くの大人が無意識のうちに、自分たち大人は子どもよりえらいと思っているようだということだ。

子どもの顔を見れば、まだ考えているということがすぐわかるのに、すぐにたたみかけるように質問を投げかける。

教えていないつもりでも、「これは○○よね?だから△△になるよね?わかる?」といった具合に望む答えに強引に引っ張ってしまう。

何かがうまくできないことに対して、「大人の基準」でできて当然なのにできないのはなぜ?という判断を子どもにぶつけてしまう。

そんなことにときどき出くわす。
もちろん、私自身、初めはおそらくそんな感じだったのだろうし、今だってまだまだ未熟なところだらけだと思う。
だから、先生方はしっかり意識をしてくだされば、変わっていってくださるだろうとは思う。

それに、先生方には直接お願いすることも、子どもの前でついつい乗せられてヒントを言いそうになる先生を遮って、「○○ちゃん!私にはそんなこと聞かないでしょ?」と口をはさむこともできる。

ただ、うちの先生方に限らず、実の親御さんでさえ、大人は子どものペースに合わせて待つことが苦手なんだなぁと感じることは少なくない。
愛するがゆえに…ということもあるのだとはわかるが、大人は子どもより先に生まれた分、経験が多いだけで、人間として子どものほうが劣っているなんてことは決してない。
早くできないことが悪いわけではないし、経験が少ない分、知らないことやできないことが多いのは当たり前のことだ。
しかし、能力面で見れば、大人など足元にも及ばないほどすごいものを持っているのを感じるし、それはしっかり認めて尊重しなければと思う。

つい先日も、子どもの顔さえ見れば、その子がまだ一所懸命考えているとすぐわかるのに、ある先生が「わかる?これは○○でしょ?」と彼を遮った。
一度目はその言葉を止めることができなかったが、次にまた遮ろうとしたときには子どもにわからないようそっとそれを止めた。
そのまましばらく黙ったまま彼を見つめていると、彼の手が動きだして答えを書いた。
わからずに止まっていたのではない。彼はじっと頭の中であれこれ考えていたのだ。

教室の子たちにはある程度「じっくり考えること」ができる環境を用意できていると思うし、手伝ってくださっている先生方にも、気づいたことがあるたびお願いをしている。

ただ、きっと色々なご家庭で子どもたちとおうちの方たちとの間にも同じようなことが起きているのではないだろうかと思うと、少し心配になるのだ。

子どもは何かの問題をじっくり考えている。考えているのであって、ぼ~っとしているのではない。
そのときに「これは○○でしょ?わかる?」と突然思考を遮られる。
答えなければきっと、更にたたみかけるように質問が投げかけられ、挙句には説明が始まるのかもしれない。
わかると答えたとしても、なぞなぞを必死で考えている途中に邪魔されたような、すっきりしない感覚を抱くだろう。
もしそんなことが何度も何度も繰り返されたら、強い子であれば親に反抗するかもしれないが、それができない子たちは考えることを放棄し始めるのではないだろうか。

私だってはじめから、まだ考えているのか、全くお手上げなのかが見てすぐわかったわけではない。
今でもどっちだろう?と悩むこともある。ただ、子ども自身が音をあげるまではできる限り待つし、それでも判断がつかなかったり、性格的に自分から言えないタイプの子には「考えてるんだったら待ってるね。困ってたら言ってね。」なんて声をかける。
そうやって子どもを尊重すれば、大抵の子どもたちはとてもいい表情で考えることを続けてくれる。

大切なのは目の前の子どもを見ること。

それ以上のことはないのではないか。改めてそんなことを考えた。

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2007年7月28日 (土)

なんとか土曜。

今週はホントに「なんとかどうにか・・・」って感じの土曜日です。

とりあえず、ご飯食べて休憩して、元気だったらまた更新致します。
皆さまよい週末をお過ごしください。

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2007年7月27日 (金)

確かな変化(つづき)

昨日、PCの調子がおかしくなったので、途中でUPした記事の続きです。

図の模写が練習したわけでもないのに短期間で上達したふたり。
ふたりにその間あった大きな変化は、プリント反復塾を辞めたことと、こちらでの教科学習のプリントとは別にさまざまな能力開発系の問題に取り組んだこと。

必ずみんながそうなるとはもちろん言えないが、大量のプリント反復の弊害と能力開発系の教材の効果を実感した出来事だ。

過去にも何度か書いたと思うが、私自身、空間図形系の問題はずっと苦手だった。展開図の問題も立方体の切断の問題も、子どもの頃からずっと苦手で、教室を始めた当初もやはり実物を見ながら何度も何度も繰り返し確かめているような有様だった。

それが、教室をするために教材を全てひと通り解き、日々子どもたちと一緒に問題を解き続けていると、自然と苦手だったその分野の問題までもがかなりできるようになってきた。
今でもまだ能力が育っているのを自分でも感じる。(もちろん、衰えていっている部分もあるだろうが・・・)
ただ、そういう能力は教科のドリルやワークをどれだけ大量にやろうとも、身につくというものではないように思うのだ。

今使っている教材に出会うまで、空間把握系の問題はできる子はできるし、できない子はできない・・・そんな類の問題なのだと思っていた。
塾で講師をしていたときも、分かる子はいともたやすく分かるが、実物を見せてやるなどしなければ手も足も出ないような子も少なからずいたし、時には実物を見せてもぴんと来ない子さえいた。

恐らく、学校の先生方も塾の先生方も決して少なくない先生方が図形の得手不得手は持って生まれた能力の差だと、どこかで諦めておられるのではないかという気もする。(私自身がそうだったし・・・)
ただ、その分野の能力は、伸びの個人差はあるにしても、伸ばすことが可能な能力なのだ。それは今なら自信を持って言える。

ただ・・・ひとつ引っかかっていることがある。

塾講師時代に、計算だけはかなり速いのに、図形になるとからっきしで、円柱を横に切ったら切り口が円になるということさえ、何度言っても実感できない男の子がいたのだが、その彼は小さい頃からプリント反復塾に行っていたそうだ。

うちに来てくれる子達の中で、当初、点つなぎや図の模写が苦手な子はもちろんいるが、その出来なさ具合というのだろうか、さすがにそれはあり得ないでしょ?と思うような図を描き上げても、それでちゃんと描けたとニコニコしているような子の多くが、小さい頃から大量・高速反復学習をしているような子たちなのだ。

糸山先生や伊藤先生にすれば、そんなの当然のことですとおっしゃるのだろう。
ただ、私はまだ自分自身の言葉として語れるほどにはデータがない。
それでもやはり、幼少期の大量・高速反復学習だけは、計算以外の能力が「伸びない」というような可愛い表現ではなく、本来備わっているはずの能力まで押し込めて、潰していっているような印象がぬぐえない。

大量の反復学習をした期間が短ければ、たとえ時間はかかったとしても、ある程度取り戻すことはできるように感じているが、期間が長くなってしまうと、本当なら伸びたであろう能力がある段階で伸び止まってしまうような感覚がある。
それでも、そんなことを知らない親御さんたちが愛する我が子を幼いうちからそこに通わせたりされることを思うと、なんとも切ない気持ちになる。

それはやり切れない思いだけれど、ここにいる子の確実な変化はやはり何より嬉しい。
空間把握ができるようになって、きっとあの子はこれからますます変わっていってくれることだろう。
その変化を見られることはとても幸せなことだと思う。

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2007年7月26日 (木)

確かな変化

先日、幼児の頃からプリント反復塾に通い、ひたすら反復、暗記に限界を感じてこちらに来てくれた2年生になる子とレッスンをしていたときのこと。
こちらに来てくれるようになって9ヶ月ほどになるが、とても嬉しい変化が見えた。

もともと、じわじわと変化は見えていたし、最初は驚くほどできなかった点つなぎが徐々にできるようになり、考える問題も少しずつできるようになり、単純な計算問題以外は確実に変化の兆しが見えるようになってきてはいた。

それでも、単にその子にとって「数」の部分が少し苦手なのか、幼い頃からのプリント反復の影響なのか、数量感覚に関してだけは、おうちの方も本当に熱心に一緒になって教具を見せながらおうちでもレッスンしてくれているし、教室でもできる限りのことはしているつもりなのだが、なかなか目覚しい変化が見られないもどかしさもあった。

ただ、以前よりよくできるようになったことがたくさんあるし、何より、初めの頃はただひたすらスピードを気にして機械のように答えを書いていた子が、じっくり考えることができるようになってくれたのが何より嬉しい変化ではあった。

その子と先日レッスンをしていたとき、お手本を真似て図形を描き写すプリントが出てきた。
最初の頃、そういう問題は正直なところまともに形になることはなく、何度も何度も消して描き直しても、お手本とはかなり遠い図形にしかならなかった。
その後、その子と絵の描き方の練習をしたことはないし、描き方のコツを教えたこともない。
そして、またそのプリントが巡ってきたのだ。

さて、今回はどうだろう・・・と黙って見守っていると、お手本をとてもいい表情でじっと見つめ、しっかりした筆圧で描き始めた。
1つ目を描き上げたとき、あまりの見事さに驚いてしまった。

これまで何人もの子がそのプリントをやってきた。その子達全てと比較してもベスト5に入るのではというほど見事な図を描き上げた。
問題は4つあったのだが、その全てをかなりの正確さで描き上げたのだ。

嬉しくて嬉しくて思いっきり褒めながら、教室におられたお母さんにもすぐにお見せした。
お母さんも喜んでくださった。

教室を初めて間もない頃、友人の紹介で来てくれた当時4年生の子がいた。
その子もプリント反復塾のキャリアがかなり長く、初めて来てくれたとき、お手本を真似て立方体を描こうとしても、何度も描いては消し、描いては消しした末、結局きちんと形にはならなかった。
図形その他が壊滅状態だったその子とは、思考力系の問題だけをやり続けた。それからひと月半ほど経った頃、また描き写す課題が出てきた。
しかし、その子も、その間、図を描く練習をしたわけでもなく、テクニックを教えたわけでもないのに、やはりほぼ確実に描けるようになったことを思い出した。

(すみません、もう少し続きますが、PCの動きが不穏なのでひとまずUPさせて頂きます。)

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2007年7月25日 (水)

私にしかできないこと?

普段は余程のことがない限り、こちらの都合でレッスンの時間変更などをお願いすることはないのですが、今日だけはひと月ほど前に時間変更をお願いして、普段なら20時過ぎにレッスンが終わるのを、何とか19時過ぎで終了させてもらいました。

というのも、普通に過ごしていたら絶対私が一緒にお話をさせて頂く機会などないであろう方々の食事会にお声をかけて頂いたのです。

ご存知の通り、私は「目指せ、職人!」ですし、教室を大きくしようって気ももともとありませんし、小学校受験も中学校受験もしないなんて宣言をした上で、幼児・小学生対象の教室をやっているなんていう変わり者ですから、同業の先生方のお話を伺っても参考になるところも限られており、また、セミナーや勉強会といったら大抵は塾生をどうやって増やすかとか、経営戦略を学ぶとか、そういうものが中心のため、そういう場に参加することもまずありません。

ですので、業界で有名な先生のことも全く存じ上げなかったりもする有様で、同じ神戸にあり、かなり大きな塾のことも全く知りませんでした・・・。
それがひょんなことから、今うちでメイン教材としている教材を作っておられる会社の社長さんにお声をかけて頂き、名古屋といえば・・・のM先生、神戸のK先生と今回お声をかけてくださった社長、お三方の食事の場にお誘い頂き、K先生のことはお名前しか存じ上げなかったのですが、M先生は以前参加させて頂いたセミナーで初めて講演を聞き、なんて素敵な先生なのだろう・・・と感激してしまったため、今回、なんとしてもお邪魔させて頂こう!と。

まあ、常識ある方であれば、恐れ多くてとても同席させてくださいなんて言えないんだろうなぁとはちらりと思いましたが、こんな機会はこれを逃したら二度とないはず!と、ご迷惑を承知でお邪魔してきました。

ベテランの大物先生方の中に、ちっちゃなちっちゃな教室で、経営のけの字もわかっていない(おまけにわかろうと努力もしていない・・・)私が一人・・・。
さすがに(やっぱり場違いだったよなぁ・・・)と思ったものの、後の祭り。(苦笑)

ただ、さすがにできる方々は違いますね。嫌な顔ひとつされず、色々お話をしてくださいました。(社長、M先生、K先生ありがとうございました。)

その中で、M先生に「大きくしたくない」というのは自己中心的なものの考え方だというご意見を頂きました。
仮に、その教材が本当に素晴らしいもので、もっと多くの子どもたちに使ってほしいと思うのであれば、自分が見られる子だけを見て、大きくならなくていいというのはちょっと違うだろうと。

私自身は、自分で見られる子どもは限られているので、少しでも多くの子どもたちにこの教材に出会ってもらいたくて、同業の先生方にご紹介をしたり、ブログで直接お子さんを持つ親御さんたちにお知らせしたりしてきたつもりでした。
ですが、M先生はそんなんじゃ全然ダメだと。(言葉は違ったかもしれませんが。)

「あなたにしかできないことをやらなきゃ。」

この言葉は、今日の会にお誘いくださった社長からも頂きました。

私にしかできないこと?
そんなことってあるんだろうか・・・。

正直なところ、今の心境はこんな感じです。

ただ、「本当にいいものだと思うのであれば、もっとやるべきことがある、できることがある」と言われたら、どうなんだろう?と。
もしかしたら、まだ何かあるのかもしれないなと。

といっても、今はまだ全然見えてこないのですが・・・。
それでも、今日あの場に同席させて頂かなければ、そんなことを考えることすらなかったに違いありません。

毎日バタバタしていてなかなかゆっくり考える時間もありませんが、自分にしかできないことって何なのか、そんなものが本当にあるのか、あるなら、自分は何をすべきなのか・・・。
それを真剣に考えてみようと、そんなことを思いつつ、帰路に着きました。

あ、レッスンはやめたりしませんから、ご安心ください。(笑)

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2007年7月24日 (火)

忘れたときのために・・・。

バタバタしていて忘れてしまうといけないので、とりあえずUPしておきます。

24日21時から25日15時まで、ココログがメンテナンスで使えなくなるようです。
普段はその時間帯に更新していますので、うっかり忘れると24日に更新ができない危険が・・・。

もしも書いていなかったら、もうひとつの方に書いているかもしれません。
自分のバカみたいなこだわりで、皆さんにはどうでもいいことなのですが、一応毎日更新すると決めていますので、くだらないことでもどちらかには書いていると思います。(書いていなければパソコントラブルか私自身がどうにかなった可能性が・・・(苦笑))

というわけで、どうぞ宜しくお願い致します。

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夏休みスタート。

まあ、土曜から夏休みになっていたわけですが、私にとっては実質今日からが夏休みシフトでのレッスン。

夏休みだからといって、夏期講習があるわけでもなく、お休みする子もいれば、追加する子もいて、その調整で先週はかなりバタバタ。ようやく今週がスタートしたという感じです。(月曜は固定のレッスンを入れていないので、今日からでした。)

休みになったので、子どもたちは元気。普段より明らかに頭が働いている感じがします。
しかし、レッスンが始まるとノンストップ・・・。やっと今です。
そして、今日は21時からメンテなので、形だけのUPでお許しください。もう2分ぐらいしかない・・・。

明日も15時までメンテで、その頃にはレッスン。晩は用事でレッスン後すぐに出るため、更新できるとしても夜遅くになりそうです。
どうぞよろしくお願いします。

同業の先生方、お体ご自愛ください。

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2007年7月23日 (月)

人は忘れる生き物。

人はつらかったことや苦しかったことは、時間の経過と共に徐々にその痛みを忘れるように作られているのだろうと思う。

まあ、中でも私は大事なことまで忘れてしまうぐらいだから、過去につらかったことや悲しかったことなんてあったっけ?ぐらいの状況になってしまっていて(それはそれでいいと思っているけれど)、十数年前の震災のことも、もうとっくに過去のことになってしまっている。

もともと、私の場合、ありがたいことに家族や友人はみな無事だったし、実家は結果的に建て替えねばならなくなったものの、思い出の品などはほぼ全てなくさずに済んだ。
そんなこともあって、被災されて本当につらかった方とは比べ物にならないだろうし、震災の経験自体は自分にとってはいい経験だったとも思っている。

それでも、あの時の感情すら時と共に忘れてしまいがちで、どこかで自然災害が起きたニュースを聞いても、結局他人事としかとらえられなくなっている自分を感じていた。
もちろん、忙しかったこともあるし、もともと自分に縁のある方には親身になれても、全く知らない方に対してそこまで親身になれるほど人間ができていないので、今回の中越沖地震のことも、当日、お知り合いの塾長さんのところが大丈夫だったという確認だけしたら、あとはそのままになってしまっていた。

特に震災後の数日はかなりバタバタしていたこともあり、ニュースすら全く見られていない状態だったせいもあるが、心のどこかで阪神淡路のときほど大変ではないはずだと、しても何の意味もない比較をして、何もしないでいる言い訳にしていた。

今日やっと少し時間ができて、お知り合いの塾長のブログを覗いた。
そこには震災のこと、被災地で動いているボランティアの方たちのこと、被災地の方の声などが紹介されていた。

カセットコンロをもらって、涙を流して喜んだ男性の話が書かれていた。
それを読んで、あの時のことを思い出した。
ライフラインと呼ばれる、水道、電気、ガスは、まず水の確保(水道は長期に渡って出なかったが、給水車はかなり早い段階から来てくれたように思う)、次に電気の確保、最後がガスという順番だった。
おまけに、うちの実家があった一角は、確認を洩らされていたらしく、市内全域のガスが復旧したとニュースが流れても、まだ使えるようにはなっていなかった。

その間、調理は電気とカセットコンロ。お風呂も電熱棒のようなものを入れて、半日がかりとかで沸かしたように思う。

今回は夏の時期だから、お風呂に関してはもしもお水でということになっても、ある程度は大丈夫かもしれない。
それでも、やはり、被災してから数日後、非常用電源か何かで避難所に電気がついた瞬間の感動は覚えているし、あちこちで家屋や電柱などが倒壊している町に街灯が点いたときに「ああ、やっと少しずつ復旧しているんだ」と思った気持ちも思い出す。

被災しているときに電気にしろガスにしろ、明るい光を放つものは、人の心にも希望の光をともしたのだろう。

直接被災地に行くこともできないし、大きなことは何もできないけれど、カセットコンロをボランティアの方に送ることにした。
誰かの希望の光になってくれることを願って。

よかったら読んでみてください。

http://plaza.rakuten.co.jp/terakoyaarigato/diary/200707230000/

http://kashiwazak.exblog.jp/

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2007年7月22日 (日)

凛々しい表情

子どもたちとレッスンをしているとき、多くの子どもたちが本当に凛々しい表情を見せてくれる瞬間がある。

それはたとえ普段どんなにじっとしていられないタイプの子であろうと、現段階で勉強がよくできようとできまいと、こちらが一貫した姿勢を貫けば、ほぼ例外なく殆どの子どもが本当にかっこいい姿を見せる。

それは、真剣にじっと考えているときの姿、表情だ。

それまでふざけていた子どもが次の瞬間、問題に向き合ったかと思うときりっとした顔になってじっと問題を考え始める。
そのときの顔は本当に惚れ惚れするほどかっこいいのだ。

教室を始めて、極力教えないレッスンを心がけてやってきた。
子どもたちは一定期間私とのレッスンをすると、この先生は聞いても簡単には何も教えてくれないということを理解する。
その代り、問題を考えている途中で急かされることもないし、できなくても責められることはないということも同時に感じてくれるのだろう。
すると、子どもたちは安心して考え始める。

初めの頃は気にして何度も何度もこちらの顔を見る子どももいる。早くしなきゃと焦っているのがわかる子どももいる。すぐにヒントをほしがる子ども、正解かどうかを確かめたがる子どもも少なくない。

しかし、時間がかかっても私の表情はイライラしているようには見えないだろうし、猛スピードでやろうとする子にはそんなに急がなくっていいとさえ言う。ヒントをほしがる子どもには「まだ自分でゆっくり考えてないのに、私は何にも言わないよ?」と少し突き放すと、徐々に観念(?)する。

多分私は子どもたちにとって、とても意地悪で、なのに気の長い、よくわからない存在なのかもしれない。
でも、その姿勢をずっと貫いてきたから、今はもうそれが当たり前になっている。

今年になって、お手伝いの先生方に来て頂くようになり、その先生方を見ていると改めて気づくこともある。
「教えないこと」を意識してくださっているのはひしひしと伝わってくるのだが、それでも気付けば「これは○○でしょ?だから?」と、確かに子どもに答えさせてはいるが、半ば誘導尋問になっているようなことはまだまだ少なくない。

子どもに対して「わかった?」とか「わかる?」と聞くのも、相当気をつけなくてはいけないと思っている。
子どもたちは少なからず、わかっていなくても頷いたりするものだから。

子どもたちの凛々しい表情を見るために必要なことは、子どもが考えるための手がかりを与え、大人にとっては長すぎるのではと思うぐらいまで黙って待つことなのかもしれない。

これから夏休みになり、おうちの方がご家庭でお子さんの勉強を見られる機会も増えるだろう。
もしもこれまで、勉強中にお子さんの集中した表情を見たことがないわ・・・なんて感じられる方がおられるなら、何か言いたいのを3呼吸ぐらい我慢して見守っていれば、本当に惚れ惚れするような子どもの表情を見ることができるかもしれない。試してみられてはいかがだろう。

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2007年7月21日 (土)

書けたら後ほど書きます。無理なら明日に・・・。

すみません。
かなりぐったりな週末です。

今から帰って食事して元気になったら後で書かせて頂きます。
無理でしたら明日、改めて更新致します。

どうぞ宜しくお願い致します。

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寝る前に小ネタをひとつ。

先日のこと。低学年の子のお母さんが聞かせてくれたお話。

その彼はどうも私のことを大好きでいてくれているようで、それはお母さんもよく言ってくださっていました。
で、つい先日、お母さんが彼に尋ねたそうです。

「○○は先生と結婚する?」

それに対して彼。

「そんときには先生、もう死んでるからいい。」


結婚はしてくれなくっていいから、なんぼなんでもまだ殺さんでくれよ、○○くん・・・。(苦笑)

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2007年7月20日 (金)

今日も形式的更新でごめんなさい・・・。

ああ・・・今日も時間がありません・・・。
今、なぜかやたらと頭の中が暑いです・・・。どうもこれは頭がオーバーヒートしているのではと思うのですが・・・。(苦笑)

明日も朝からびっしりレッスンで、おまけにもう明日から夏休み。
遅くなってしまいましたが、夏休みのスケジュールが9割方決まってきました。追加等をご希望の方、夏のみのレッスンをご希望の方、週明けには予定がほぼ確定すると思いますので、今しばらくお待ちください。ご不便お掛けして申し訳ありません。

というわけで、書きたいことを書く時間が取れないことが若干のストレスになりつつある今日この頃。
分数計算の話と、子どものかっこいい姿の話と・・・書きたいことがあるのですが、このところ、物忘れの激しさは留まるところを知らない恐ろしい状態になっているため、時間ができたときに覚えているかどうかが非常に不安です・・・。(泣)

とりあえず、明日のレッスンが終わったら、ほんの少し時間ができるはずですので、またゆっくり書かせて頂きます。
どうぞ宜しくお願い致します。

同業の先生方も夏期講習で一層お忙しくなられるのだと思いますが、皆様ご自愛ください。
子ども達が夏休みになり、お子さんがおられるおうちの方たちはこれから40日間の長い長い「3食食事の用意」の生活が始まりますね。
暑さに負けずお過ごしください。

本日はこれにて・・・。

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2007年7月19日 (木)

すいません・・・ほんとに・・・。

なんかもう脳みその限界らしく、通ってくださっている方に見事なボケっぷりをを晒しまくっております・・・。
アンケートにしっかり書いてくださっているのに、きれいに読み落とす。
10分前にしたはずの会話をキレイさっぱり忘れている。
予定を書き出しておきながら、振替を希望されている日までそのまま書いてしまう・・・。
ああ・・・情けなさ過ぎる・・・。

おまけに今日はまた既に0時前。
実は昨日は深夜に仕事を始めたところ、久々に外が白んでしまい、5時に寝ました・・・。
明日も明後日もしっかりバッチリレッスンがありますので、書きたいことはあるのですが、今日のところは諦めます。
土曜を過ぎれば、忙しいなりにも多少は落ちつくのではと思っているのですが・・・。

日月にはもう少しまともに更新できるよう頑張りたいと思います。
しかし・・・自宅パソコンの他界によるダメージは結構復活に時間がかかりそうです・・・。

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2007年7月18日 (水)

ちょっと先に片付けなきゃいけないことが・・・。

日月でやるつもりだったことが、自宅PCが壊れたため完全にずれ込み、優先順位から考えてそちらを絶対先にやらねばならないリミットがきています・・・。

そのため、それが終わってから更新させて頂きますので、今日中に更新できるかどうか微妙です。ひとまず無理矢理更新です。スミマセン・・・。

因みに、自宅PCが壊れ、OSがVistaになったため、数々の問題が生じております。
直接皆さまにも多少関係があるかもということでは、教室のホームページの更新が完全に不可能になっています。
それに関してはまだ全く目処が立っておりません。
当面、お知らせその他全てをこちらかお知らせのブログからしかお伝えすることができなくなっております。
何卒宜しくお願い致します。

メールに関しましてはとりあえずなんとか復旧しておりますが、自宅に関しましては私の知識や能力では過去のメールのアドレス帳が全く開けない状態です・・・。(これまではアウトルックエクスプレスを使っていたのですが、VistaではWindowsメールというものに変わってしまっていまして・・・。)
どうすれば元の状態にまで復活できるかの目処はまだ全く立たない状態の上、それにだけかかっているわけにもいきません・・・。

しばらくは更新が内容を伴わないものになるかもしれませんが、どうかご容赦ください・・・。

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2007年7月17日 (火)

川島先生カッコイイかも・・・。

「脳トレ」と言えば…という感じで、すっかり有名人になられた川島先生。
残念ながら面識も何もないのですが、以前川島先生の本を読んで、この先生結構好きだなぁと(体育会系なところとかも…)思っていました。

ただまぁ、「脳」ブームみたいなのが巻き起こってしまい、ある程度の年齢以上の方や、脳が衰え始めた年齢の方などにはきっと本当に効果があるのでしょうけれど、それが小さい子にまで及び始めたことはちょっと危惧していました。

それとは話はやや異なるような異ならないような…。
今日たまたまあるメルマガで川島先生がゲームソフトの報酬を受け取る際に出したコメントの部分のみが紹介されており、気になったのでネット検索をしてみたところ、こんな記事を見つけました。

http://www.be.asahi.com/top/b01.html

なんだか素敵。本を読んで感じた印象はやっぱり間違っていなさそうです。

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2007年7月16日 (月)

見事なボケっぷり・・・。

今日は単発のレッスンや振替のレッスンやらで3つレッスンがあることになっていました。
もともと、連休の最終日だとわかっていたはずなのですが、先日来、頭の同じ辺りに偏頭痛が1日おきぐらいに起きたりしていて、おまけに言おうとしていることをやたらかんだりしてしまったりもして、頭のことだし、とりあえず一度念のためにお医者に行っておかなきゃ・・・とそればかり考えていました。

で、今日起きたら行くぞ!ともっと寝たいのを早起きして、仕度を整え、12時半からのレッスンに間に合うよう急いで自転車を漕ぎ出しました。

程なく、近所の路地で小学生らしき女の子が後ろ二重飛びの練習をしているのに遭遇。
月曜なのになんでだろう?と思いながら、更に漕ぎ進めました。

あ・・・。今日祝日じゃん・・・。(泣)

とりあえず、何時から何時までが診療時間かを確認すべくお医者の前まで行きましたが、当然今日はお休み・・・。
目的達成できず・・・。
これならあと1時間は余裕でゆっくり寝られたのに・・・。くぅぅ。

なんか・・・別の意味で「頭大丈夫か?」とツッコミを入れたくなる今日この頃・・・。
明日からまたフルにレッスンが始まります。そして、来週末にはもう夏休み・・・。

そんなときに自宅パソコンは壊れるわ、お蔭で昨日は家でするはずの仕事ができずに終わるわ・・・。
とりあえず、頑張ります!(苦笑)

まず早急に自宅パソコンをどうにかすべく、今日は帰ります!
適当な更新でお許しを・・・。

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2007年7月15日 (日)

お知らせ。

今日はようやくお休みで、自宅で溜まりまくっていたメールの整理などをしつつ、パソコンと戯れておりましたところ、数ヶ月前からかなりアヤシイ気配はあったのですが、今回はとうとう本当に他界してしまったかもしれません・・・。

教室を立ち上げようと決めた年の5月。それまで使っていたパソコンが逝ってしまい、超びんぼ~だった頃ですので、安いデスクトップを購入。
最初からトラブル続きでややハズレだった感じもあるのですが、それから4年、よく働いてくれたのかもしれません。

場合によっては当面自宅ではパソコンが使えないかもしれず、おまけに教室のパソコンもこのところやたらと動きが遅く・・・。
なんだか非常に不安ですが、しばらくの間、メールのお返事などが教室からしかできなくなるかもしれません。
お急ぎの方は私の方は夜遅いのは構いませんので、お電話頂けると幸いです。

ブログはもともと教室で更新していましたので、なんとかなるかと思いますが、日月などで教室に来ない場合には更新が滞る可能性もございますが、何卒宜しくお願い致します。

自宅パソコンでも仕事しておりましたし、何より、教室のホームページは全て自宅パソコンで作っておりましたので、もしものときはバックアップがちゃんと取れているかどうか、かなり不安です・・・。
(少なくともこのひと月ほどはバタバタで全くバックアップした記憶がありませんし・・・(泣))

お知らせのため教室まで出てきましたが、明日出勤するまでメール等のお返事ができません。
どうぞ宜しくお願い致します。

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2007年7月14日 (土)

やっと今週が終了。

なぜなのかわかりませんが、今週は尋常じゃなくハードでした・・・。
体力、気力には結構自信があるのですが、今週はホントダメかと思いました・・・。(苦笑)

皆さまのお気遣い、子ども達の元気のオーラのお蔭で、どうにか今週も乗り切ることができました。
ありがとうございました。

しかし台風・・・。明日はお洗濯しても干せそうにありません・・・。

バタバタしていて段取りが後手後手になってしまい、夏休みの予定をお伺いするのもすっかり遅くなってしまいました・・・。
この日月である程度予定を立てなければと思っていますが、さすがに明日はぐったりかも・・・。
大変申し訳ございませんが、通ってくださっている皆さま、今しばらくお待ちください。

そして、夏休みだけ・・・と考えてくださっている方がおられましたら、いっこうにお知らせをすることができておりませんで、重ねてお詫び申し上げます。

体がきついとついイラッとしてしまったりして、よくないなぁと思います。
早くどうにかしなくては・・・。

そうそう!今週ハードになったのはもしかしたらそのせいかも・・・。(苦笑)
先日、読書の方でご紹介した本に翌日やるべきことをリストアップして順位をつけるというようなことが書かれていたので、そこまで厳密ではないものの、当日の朝、出勤前にそれをやってみたのです。
リストに書いたことをひとつでも減らしたい、1番をつけたことぐらいは終わらせたい・・・と、普段ダラダラして先延ばしにしてしまっていたようなことを今週はいくつか片付けました。
だからなんだろうか・・・。(苦笑)

リストにして順位をつけるというのは、仕事を効率的にするという面では確かにかなり効果がありそうです。
ただ・・・そうする以前にも既に結構きつい状態だった私がそれをすると身の危険(?)を伴うこともわかりました。(をい)

とりあえず、明日はなるべくしっかり休養したいと思います。(そうもいかないところもあるのですが・・・。)

あ!!明日は父上の誕生日だった・・・。

それでは皆さま、よい休日を。
台風の影響を受けている地方の皆さま、くれぐれもお気をつけくださいませ。

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2007年7月13日 (金)

最高の笑顔

昨日のレッスンでのこと。

幼児さんのレッスンの教具の中に、指先遊びのひとつとしておもちゃのカエルをジャンプさせてバケツに入れるゲームがある。

大抵の子は大喜びでやるのだが、最初のコツをつかむまではちょっぴり難しい。(それは大人でも同じ。)
何度かやって入らないと「や~めた」とか「もういやや!」とか言って明るく(?)投げ出そうとする子もいるし、性格によっては入らなくてイライラしてしまったり、悲しくて泣きそうになったりする子もいる。

昨日の子のひとりは、先日それをやったとき、どうしてもコツがつかめず、隣りの子は簡単に次々に入れてしまう姿を見て、泣き出してしまった。
しかし、しばらく日にちが空いていたので、そのときのことを忘れて、パッとその教具を目の前に出してしまった。
そして、(あっ!)と思ったのだが、一瞬にしてその子の顔が憂鬱そうな表情に変わってしまった。

そこで、とりあえずやってもらう前に、「よ~~く見ててね」と言って、ゆっくりよく見えるように何匹かを跳ばして入れてみせた。
その後で、もう一度やってみてもらうことにした。

初めはちょっと嫌がってやろうとしてくれなかったので、もう一度やってみせながら声をかけると、なんとか指を置いてみてくれるようになった。

初めはうまく行かず、すぐに諦めようとしたのだが、2回目にやったとき、それまでとは違って、入らなかったもののカエルがちゃんとジャンプした。
それは本人にも何か手ごたえがあったようで、励ますと、何度かトライしてくれ始めた。
それでもなかなか入らず、また泣いちゃったらどうしよう・・・とちょっと心配にもなったが、その瞬間、美しいジャンプではなかったが、初めてその子が跳ばしたカエルがバケツに入ったのだ。

見ていたみんなで大喜びして、それでおしまいにしようかと思ったのだが、これはコツをつかんだときに何度かやった方がいいんだけどと、試しに尋ねてみた。

「もうおしまいにする?もう1回入れてみる?」

すると、こくりと頷いて、もう一度挑戦してくれた。すると、今度は綺麗にジャンプして入った。
その子はその瞬間、最高の笑顔を見せた。
そして、こちらが促さなくてももう1匹入れてみせて、あとはニコニコしていた。

やってみて、難しかったり、なかなかうまくいかなかったりすると、投げ出したくなるのは小さい子どもに限ったことではないだろう。
ただ、そこで投げ出して、もう二度と挑戦しなければ、一生苦手で嫌な思い出のままだ。(私のスキーのように・・・(苦笑))
けれど、諦めずに努力してそれを克服したとき、最高の気分を味わえるし、それは成功の記憶に変わる。

諦めそうになったとき、周囲の励ましで頑張れるときだってあるだろう。
その子にとって大切なことであれば尚更、うまく応援して、あたたかく見守れるようになりたいと、その子の笑顔を見ながら考えた。

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全く・・・。

昨日の「白髪ネタ」に関してのご報告です・・・。

昨日、連日のハードワークを見かねて迎えに来てくれた同級生に車のライトの下で見てもらったところ「いやぁ、わからん。」との答え。

本日、アシストに入ってくださっている先生に教室の電灯の下で見てもらったところ「2本はありますけどねぇ。」とのお答え。

全く・・・。

呑気に「また来ます!」とか言って帰っていったアヤツら・・・。
次来たときにはどうしてやろう・・・。

あ!ここは白髪のヅラを準備するってのがいいかしら?(をい)

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2007年7月12日 (木)

そ、そんな・・・。

実はこのところ尋常じゃなくバタバタしており、それでも仕事が全然追い着いておりません。
睡眠時間を減らせば時間は捻出できるのですが、それをするとホントにダウンするんじゃないかという不安もあり、とにかく睡眠時間は確保して、どうに倒れずにおります。(苦笑)

今週は火曜終電、昨日は0時過ぎに教室を出て、今日も既に23時半を回っており・・・。
どうしてこうもバタバタしているのかよくわからないのですが、どうにもこうにも追いつかない・・・。
けど、痩せないなぁ・・・なんでだろうなぁ・・・と思っていたのです。

しかし・・・。

今日、3月末で卒業し、近くの塾に移った中1の双子くんたちが期末テストの結果を見せに(中間はなかったそうで)顔を見せてくれました。
男の子で中学生にもなったら、変わってるかなぁと思っていましたし、ご紹介した先の先生が「行ってこい」とおっしゃったみたいなので、しぶしぶ来るんじゃないかしらと思っていたのですが、ドアをあけて入ってきた2人は・・・・・・。

キミたち・・・変わらなさ過ぎるよ。(苦笑)

ニコニコしながら現われて、彼らがいた頃とは多少レイアウトが変わったり、机が変わったりしている教室をウロウロ(狭いのに・・・)物色。
あれこれとインタビュー。椅子に座り込んで四目並べの勝負までさせられる始末。(笑)

全然変わってなくて、嬉しいようなおかしいような。
と、幸せな気分に浸っていたところに、久々に出ましたよ、毒舌な彼らの本領・・・。

「生徒増えたん?」

「うん、そやねん。冗談抜きでなんかめっちゃ忙しくってさ・・・」

そう答えた私に

「そうか、だから白髪いっぱい増えてんな!」

う、うそ・・・。
もともと2、3本あったのは知ってるけど、「いっぱい」??

「うそ~、2、3本ちゃうん?」

「いや、この辺にぶわ~っと固まってあるで!」

「え、え、ホンマに?」

鏡じゃイマイチよくわからず、未確認なのですが、泣いていいですか?(苦笑)
私、もともと天然茶髪なので、これまで一度も髪を染めたことがないんですけど、そろそろ限界でしょうか?
ていうか、ホントに白髪いっぱいなんですか??(泣)

明日以降、急激な白髪増加に気がつかれた方は是非ご一報ください。(苦笑)

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2007年7月11日 (水)

思い込みを捨てよう

今の学習法に出会って、授業のスタイルも何もかもがそれまでとかなり変わった。
日々、子ども達とのレッスンを通して、まだまだ私も発見をするし、なんだ・・・これってこう考えたらめちゃめちゃ簡単やん?と思うような発見も少なからずある。

私自身は塾にも予備校にも行ったことがなく、物心ついて以降、親や兄から勉強を教わった記憶もない。
つまり、私にとって「勉強を教わる」ことの経験は全て学校によって与えられたものだ。
幸いにして、私にとって学校の思い出は素敵なものが多く、もともとテストの点なんてよければ嬉しいけど、悪くても気にしないというような性格だったから(さすがに高校で留年とかってのがかかってくると多少は気にもしたけれど)、辛い勉強を必死でやったという記憶もあまりない。

そんな私が「塾の先生」になった。
そのときの指導スタイルのベースはやはり自分が受けてきた学校の先生たちだったのだろう。
それをベースに、あとはいかにわかり易くするか、記憶に残りやすくするか、そんなことを工夫しているに過ぎなかった。

「初めての単元はまず説明から入る」

それも明らかに経験から出来上がっていた固定観念に違いない。
それが今の学習法に出会って、かなり大きく変化した。そして、その変化は徐々に高学年、中学生に対してまで私のスタイルを変え始めた。

以前の私は、中1の学習に入る最初には、プラスとマイナスが並んだらマイナス、マイナスが2つ並んだらプラスというような、私自身が「教わった」ことを、少しでも印象に残るように説明するところから始まっていた。

しかし、低学年の頃から一緒にやっている現在6年の子がつい先日から中学のワークでの学習を始めた。
さて、どうするかなと思いつつ、これまでの彼を見ている限り、何も言わなくてもある程度できるんじゃないか?という気もしたので、ページを開いて、ひとまず、プラスのついている数は0より大きく、マイナスのついている数は0より小さいということだけを念のため確認し、そのあとは問題を指さし、「これ、わかる?とりあえずやってみて」と恐ろしく乱暴な(けど、大抵どの子にもいつもこれなんだけれど)ことを言ってみたところ、

「ん?普通にやったらええん?」

そう尋ね返してきた。「普通」ってのはなんやねん?とも思ったけれど、「ま、やってみて。見とくから」と答えると、彼はなんでもないことのように解き始めた。

加法に関しては全く説明は要らなかった。
減法のときに、マイナスが並んだ状態について、ただひと言「減点が減るってこと」とだけ言ってやってみてもらった。
すると、ところどころミスはしたものの、やはり殆ど何も言わずに解いてしまった。

前回、チラッと乗法に入ってみたが、結局これもどうやら感覚的にわかっているような気配だ。
きっとまだまだこんなことが沢山あるんだろう。

考えてみれば、私達大人は例えば新しい携帯やパソコンを買ったとして、マニュアルを丁寧に読んでから触り始めるという人は少数派なのではないだろうか?
結局、とりあえず使ってみるという人のほうが圧倒的に多いはずだ。
その上で、わからないところだけをマニュアルに戻ってみたり、誰か詳しい人に聞いてみたりするという人が大半なのではないだろうか。

自分たち自身がそうなのに、そんな自分達も学校の勉強に関してだけは、面白くなくても説明を聞かされ、公式を覚えるよう言われ、あとはろくに考えもせず、それに当てはめて解いていくなんてことを来る日も来る日も繰り返していたという人が大多数なのだろう。
だから、勉強だけは「まず説明」と思い込んで(思い込まされて?)いるのだ。

もちろん、説明が必要なことはあるし、覚えるべきこともある。
ただ、それは当然のことではないのかもしれないと疑ってかかる必要があるような気がする。

思い込みを捨てれば新しい発見がある。
そんな毎日が私はとても楽しい。(けど、最近は時間が足りなくてややジレンマなのだが・・・。(苦笑))

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2007年7月10日 (火)

何のための方程式なのか。

今年度は自分の体力面も考えて、中学生に関しては募集をクローズしているが、期間限定で友人の甥っ子くんと勉強することになった。
事前の話では計算は速いが文章題が苦手、関数や図形はイマイチ自信なしと、まあ、よくいる中学生のパターンという感じの話を聞いていた。

体調を崩し、入院したため期末テストが受けられなかったという事情などもあってそのあたりも含め、夏休みのうちにリカバリーをというのが目標なのだが、さて、どのあたりがあやしいのか確認してみようと1年の復習からざっと流してもらっていた。

聞いていた以上に計算は速い。しかし、どうも単に速いというよりは、数量感覚というかセンスを感じる。
この子が本当に文章題ができないんだろうか?と思いつつ進むと、文章題を見た途端、「これ無理っす・・・」とろくに読みもしないうちに白旗。

そんなはずはないと、図を描いてもいいからとにかくまず考えてと言ったところ、彼の頭が動き始めた。
もちろん、それでも難しそうにしているところもあったので、そういうところは一緒に問題を見ながら質問をして考えていってもらったわけだが、彼もやはり「速さ」と聞けば「割るんだったか、掛けるんだったか」をまず考えようとする。
挙げ句「公式忘れました・・・」なんて言う。

そこで、「じゃ、時速30キロで2時間走ったら何キロ進むん?」と尋ねると、自信満々に「そのっくらいわかりますよ!60キロっす。」と答える。
「じゃ、80キロの距離を時速40キロで走ったらどんだけかかるん?」と尋ねると、またも簡単そうに「2時間っす。」と答える。

「わかってるやん。」
そういうと、「そのぐらいわかりますよ、当然っす」みたいな答えが返ってくる。それでも速さはわからないと真顔で答える彼に、「おんなじちゃうん?」というとぼんやりと私の言っていることがわかった風だった。
さて、この子のどこが「速さの公式」の暗記を必要としているんだろう?

また、所持金の問題で、片方が1800円。もう片方が400円。多い方がいくらか少ない方へ渡したら前者が後者の3倍になったという問題を、式がうまく作れなくて悩んでいる。

「じゃ、図描いたら?」と言って、線分図で1800円とだけ書き、「下に長さ考えて400円の線描いて」というと、それらしい長さで線を描いた。
そして、次の瞬間、「あ、150円っす。」と答えたのだ。(見た瞬間わかるなんて私より賢い・・・(苦笑))

「すごいなぁ。なんですぐわかるん?」と言っても、なんだかうまく答えられず、それでも文章題には自信がないと言う。

まあ、確かに中学校の、それも特に定期テストなんかじゃ、「方程式を作れ」という問題の後に「それを解け」の2段階になっているものも少なくないから、答えだけ出ても○がもらえないこともあるのが現実だ。

しかし、じゃあ、方程式は何のためにあるんだろう?
もちろん、方程式で考えた方が便利な問題もあるし、方程式なんて必要ないなんていうつもりはない。
ただ、「方程式の利用」なんて単元なのであれば、あくまでも方程式は「利用」して「答えを出す」ことが目的なはずだ。であれば、目的が達せられれば図を描いて解こうがいいのでは?と思わなくもない。

今の学習法や教材に出会ってから、学校ではいかに覚える必要もないことを山のように覚えさせられ、挙げ句多くの子どもが不必要に「速さ嫌い」、「関数嫌い」などにされてしまっているような気がしてならない。

考えることの楽しさを知っている子ども達が学校の勉強が面白くないという理由がよくわかる。
なんとかもう少し柔軟な対応をしてもらえないもんだろうかと、そんなことを思う。

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2007年7月 9日 (月)

恩師の墓前で

私がこのブログを書き始めた頃、かなりの長編で恩師の思い出を書かせてもらったことがあります。
私は先生方に恵まれたなと思っていますが、中でも特にお二人の方の印象が強く、高校時代の恩師は純粋に「本当にお世話になった」と思う素晴らしい方ですが、今は亡き中学時代の恩師は本当に不思議な存在だなぁと、改めてそう思いました。

恩師が亡くなられたのは私が独立する前の年の夏でしたから、もう5年になります。
とてもまめで気配りばっちりの友人にとっても、どうやら最大の思い出の先生であり続けているようで、彼女は入院中の病院へも何度もお見舞いに行き、亡くなられた後もご自宅までお参りにも行き、毎年、祥月命日の月は言うまでもなく年に何度かのお墓参りも欠かさずしているという素晴らしい友人です。

去年は忙しさにかまけて結局お参りに行けぬまま過ごしてしまったのですが、今年は命日にはほんの少し早いものの、彼女が予定を合わせてくれて私は2年ぶりに先生のところに行ってきました。
雨かなと思っていたのですが、幸いお参りが済んで車に戻るまでは先生が守ってくれていたようで、車に乗ったら雨が本降りになりました。

お墓を手で磨きながら、友人と一緒に思い出話。友人はお花をきれいに整えてくれながら、あんなことがあったね、こんなことがあったねと、先生の前で色んな話をしました。
ただ、友人も同じことを言っていましたが、先生は数学の先生だったものの、授業がうまかったとかいう印象が全く残っていません。わかりにくかったという印象もないので、お上手だったのだろうと思うのですが、先生のお蔭でわかったとか、教えるのがうまかったとか、そういう記憶は見事なまでにないのです。

じゃあ、何があって恩師なんだろう?と色々思いおこすのですが、思い出されることは、私の昔の超おかっぱ頭を見て、クラスのみんなの前で「ドイツ軍のヘルメットみたいやなぁ」と言い放ち、その後何かにつけ「ヘルメット!」と男子などからからかわれたこと、横暴な席替えの一件で数ヶ月ずっとケンカを続けていたこと、授業中に足を組んでいて爆弾発言をされたこと、先生は何にも関係ないのに部活のもめごとで話し合っていたときに割り込んできて更にケンカになり、売り言葉に買い言葉で副キャプテンを辞めたこと・・・そんなことしか思い出せないのです。

友人も、「ほんま、今やったらあんなこと言ったら大変や!」なんて言っていましたが、確かにそれは間違いない。今なら大問題になっていただろうというような言動をビシバシしていた先生でした。

どうしてケンカが収束したのか、なぜ大好きな先生になったのか・・・。
いくら思い出そうと思っても思い出せないのです。
それでも私はいつの間にか、先生のことが大好きになっていて、卒業する頃には「いつか先生と同じ中学校の先生になるんだ」と夢を描くようになっていました。

先生の前で友人とそんな話をあれこれしながら、気づくとやっぱり涙があふれていました。
これが本当に不思議で、会えなくて淋しいとか、辛いから会って話を聞いてほしいとか、そういう感情はないんです。もちろん、お見舞いにも行かないままに先生が亡くなられたことはずっと悔やんでもいますが、お蔭で私の記憶の先生はいつもはつらつとお元気で満面の笑顔です。
なのに、こうして先生のことを思い出すと、なぜだか必ず涙があふれてしまうのです。

説明はつかないけれど、多分とてもとてもご縁のあった方なんだろうなと思います。
そして、こんな歳になっても先生の前でバカな話をしながら泣き笑いになっている私たちのことを、いつもの笑顔で「お前ら変わらんのぉ。アホちゃうか~!」なんて言っていそうな気がして、これまでやってこられたお礼とこれからも頑張りますとの報告をして帰ってきました。

いい休日になった気がします。
また明日からしっかり頑張ろうと思います。

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2007年7月 8日 (日)

京都。

今日は教材の勉強会で京都まで行ってきました。
梅雨とは思えぬよいお天気で、ちょっとした小旅行気分と言いたいところですが、昨日までの1週間がかなりハードだったため、行きの電車では眠いわ、おでこにじんましんが出るわ(疲れているとなのか、時々出てしばらくすると治まるんですけど・・・)、なんだかもうダメダメな感じでの参加になってしまいました。

しかし、会場では思いがけない方が来られていたり、おまけにお目にかからなかった間に大きな変化がおありだった先生がおられたり・・・。
初対面の方々に混じるのが苦手な私としては、半分以上の先生方と面識があったのは助かりました。

というわけで、今日ご参加されていた先生方でこちらを見てくださる方もおられるのかもしれませんので、今日はお疲れ様でした。

なぜか私ごときが皆さまにお話をさせて頂いたりしまして、あまりのおこがましさに声も振るえ、自分が一体何を話したのか、もっと他に話そうと思っていたことがあったんじゃないか・・・となんだかもうダメダメっぷりを目いっぱい発揮してしまいました。
何卒お許しください。

ただ、大先生は偉大過ぎて、私は残念ながらあのようにはなれませんので、そういう意味では私なりに困ったところをこんな風に解決してきたということなど、もしかしたら何かお話できることもあるかもしれません。(だったら今日話せよと?(苦笑))
このところ慢性的にバタバタしておりますが、子どもたちのためにできることがありましたら、させて頂きたいと思っていますのでご遠慮なくご連絡くださいませ。
(特に、今日お名刺をくださった福岡のO先生、京都のI先生、私なんかで宜しければいつでもご遠慮なく。)

今日はまだ導入されていない塾の先生方も数名参加されていましたので、またどこかでこの教材を使った教室や塾が開かれることと思います。
遠くて通えない・・・。近くにない・・・。とお嘆きの皆さまの近くにもできるかもしれません。ご期待ください。(笑)


1年半前ぐらいに京都でセミナーに参加させて頂いたのがひとつの転換になったように感じていましたが、今回もまた京都。
何か京都にはご縁があるのかもしれませんね。

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2007年7月 7日 (土)

今日は七夕なのですね・・・

もう何年も前から、七夕近くなると色々なところに笹が飾られていて、側に短冊が置かれていたりするのを見るたび、(ああ・・・願い事を書きたい・・・)と思うものの、一人で真剣に書くのもなんだかはばかられて、ずっと書けずにいます。

いっそ、さくら個別さんとかみたいに教室に笹を飾って短冊も用意いちゃうっていう手もあるのかもしれませんが、その場合、私のお願い事は必ず子ども達の(少なからずお母さん達も・・・)目に触れることになるわけで、そうなると、「嫁に行きたい」とか「嫁がほしいとか」(をい・・・)書くわけにもいかないかなと。(苦笑)

てなわけで、長年の憧れ(?)のままでもあるのですが、皆さんは何かお願い事を書かれたでしょうか?

そういえば、先日自宅の近所の商店街に我が母校の子達が書いた短冊が飾られた笹がずらりと通り中に飾られていたのですが、たまたま信号待ちで側にあった短冊に目をやると、確か3年3組とか書かれていたはずの短冊には・・・。

「テストでいっぱい100点がとれますように」

とか

「テストでいい点がとれますように」

とかってのが、数枚のうちに2枚も目に飛び込んできました・・・。
3年生の七夕のお願い事がそれか・・・と、なんだか複雑な心境になってしまった私でした・・・。

さて、今週は新入会の小学生さんたちが数人いたので、普段に増してハードな1週間でした。
でも、やっぱり子どもたちはとっても可愛くて、お蔭でどうにかこうにかもちました。

そして、出不精の私には珍しく、明日は京都で教材の勉強会に参加します。ちょっと今週ハード過ぎてヨレヨレになっていそうで不安です・・・。
その勉強会を主催されるのは先日私のことを「20代」と超ガセ情報を流された方の会社。明日はその方にもお目にかかることになりそうですが、きっと「なんでこいつが20代になんて見えたんだろう・・・」と思われることと思います。(苦笑)

参加される先生方、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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2007年7月 6日 (金)

何が大切か。

以前にも何度か同じようなことを書いているような気もするが、何度も思うということはきっと私のこだわっている部分なのだと思うし、最近になってここを読んでくださるようになった方もおられると思うので、やっぱり書かせて頂こうと思う。

先日、ある場所で小さい子ども達が大騒ぎをしていた。
その場所は一般に考えて、絶対大騒ぎをする場所ではない。
側にいたその子のお母さん達は他のことに夢中でいっこうに注意する気配すらない。
その場で私は部外者だったので、怒っていいものかどうかしばらく悩んでいたのだが、そのうち、その場の関係者の方がその子たちに注意をした。
それでも、側にいたお母さん達は慌てる様子もなく、関係者に詫びることもなく、そのままやり過ごしていた。

その子ども達は、どうやら一般的には「賢い」部類に入る子ども達らしい。お母さん方も、いわゆる「お勉強」という面にだけ気をとられているように感じた。

さて、うちの教室では、子どもが勉強ができないことに対しては余程のことがない限り怒らない。(できるはずの子がふざけていたりすれば怒ることもあるが。)

しかし、例えば、まだレッスン中に早々とやってきた子たちが大きな声でしゃべったり、教室の中でバタバタし始めたら即注意する。
注意しても聞かなければ、ガツンと本気で怒る。

うちではレッスンの最後によく頑張ったねということで飴をあげるのだが、先日そのゴミが外の階段の下に落ちていた。
翌日から全員に
「もしまたゴミが落ちてたら全員飴中止するからね。絶対外に捨てないで。もしも誰かが捨てていたら、悪いけど拾ってゴミ箱に捨ててね。」
そんなことを言ってきかせた。

個人的に、飴のゴミを道端に捨てるような子は勉強なんかする以前の問題だと思っている。
人がまだ勉強しているのに、迷惑を考えず大声で騒ぐような子は「賢い子」だとは思わない。

小学生で方程式が解けようが、難関中学を受験するためにどれだけ必死で勉強してようが、社会のルールが守れない、人の気持ちを考えられない、そんな子どもじゃ意味がないと私は思っている。

だからこれからも、私のところでは勉強ができなくて叱られることもやめさせられることもないけれど、ルールが守れなかったり、人に迷惑をかけたりしてやめさせられることはあるかもしれない。

勉強だけができる子なんて何の魅力もない。
そんな子が大きくなったって、幸せになれるとはどうしても思えない。

少なくとも私はそう思っているから、そう思われない方のお子さんはお預かりしてもお役に立てないだろうと思う。
例えば、公共の場でさんざん騒ぎまわっていても注意ひとつしない親御さんのお子さんと一緒に勉強することは多分できない。

震災に遭ったときにしみじみ思ったのだ。
本当に困ったときに必要なのは学力なんかじゃないし、その人の人間性が全てなんじゃないかって。
そんな究極の状況には滅多にならないよなんていう方もいるかもしれないし、それでもお金があればなんとでもなるだろうという方もいるかもしれない。

それはそれでその方の価値観だ。間違っているとかいうつもりもない。
ただ、うちがそういう風に思ってやっている教室なんだってことを、もう一度お断りしておこうと思った。

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2007年7月 5日 (木)

再度お断りさせて頂きます。(過去の記事の再掲)

いつもブログを覗いてくださる皆さま、本当にありがとうございます。
本当にありがたいことですが、私の尊敬する素晴らしい先生方がそれぞれのサイトやブログで私の教室のサイトやブログにリンクをはってくださったりしていて、そちらから辿ってきてくださっている方も少なからずおられることかと思います。

特にこのところ、豊中の伊藤先生の知名度というか認知度というかがどんどん上がっており、ネット検索でこちらに辿り着いてくださった方もおられることと思います。

また、糸山先生が「AERAwithKids」に記事とお写真が掲載され、更に一層認知度が上がっておられることで、どんぐりさんの方からいらしてくださった方もおられることでしょう。

おまけに「道草学習のすすめ」のこだま先生や「考える勉強をすすめる会」のウロコ先生もブログでリンクしてくださっていたりして(先生方のご紹介順は、私がお知り合いになれた順で、本当に皆さん比べられない素晴らしい先生方です。)、本当の本当に身に余る光栄です。

ただ、それぞれのところから辿ってきてくださった方に一度きちんとお伝えしておくべきかなと。(ホント今更なのですが・・・)

豊中の伊藤先生のサイトには光栄にも「提携教室」と紹介して頂いているようです。
また、どんぐりさんでもこだま先生のところと並べて紹介してくださっていますよね。

伊藤先生のところをご覧になられた方は伊藤先生のところの提携教室だと思われるでしょうし、どんぐりさんの方から来てくださった方は、どんぐり方式でやっているのだと思われるかもしれません。

で、実際はどうなの?と言えば、伊藤先生の学習法がメインなのは間違いありませんが、伊藤先生のところの教材教具が全てあるわけではありません。
おまけに、幼児さんよりは小学校低学年により力を注いでいます。

じゃあどんぐりさんはやってないの?と言えば、必要に応じて、子どもの進み具合や個性などを見ながらどんぐりの文章題も取り入れています。

かといって、それが全てなわけではなく、宮本先生のパズルもやりますし、これも必要に応じて出口先生の国語教材も使います。

そう言いつつも、高学年は塾用ワークみたいなものもやります。

だからって、何でもかんでも節操なくやろうって気は微塵もなく、これまで私が知る限りベストのものを選んで使わせて頂いているという感じです。(高学年になって来てくれた子達に関しての教材はまだ模索している部分も少なからずありますが・・・。)

幼児・低学年は伊藤先生の教材教具がメイン。

高学年は宮本先生などの論理パズル、どんぐりの文章題、塾用教材などの併用という感じが主です。

中学年以上はご希望があれば国語もしますが、そのときに使うメインが出口先生の教材ということです。

中学生は完全に個別対応の上、新年度は募集休止ですので敢えて説明は致しませんが、ばくっと言えばそんな教室です。
結構変わっているかもしれません。(苦笑)

とにかく、色々な学習法を知りたいと思っています。
子ども達はみんなそれぞれに個性があるので、仮に10人中8人に効果のある方法でも、あと2人にあまり効果が見られなければ、その2人に合う別の方法がないかを探し続けたいと思っています。

色んな方法を知っていれば、この子にはこの方法が合うのでは?と色々試してみることもできるはずだと思うのです。

まあ、このところ慢性的に時間が足りないので、なかなか思ったようにしたいことが進みませんが(いや、一番したいのは子ども達とのレッスンなので、それはめいっぱいさせて頂いていますけど)、頑張っていきたいと思います。

なんか妙なブログですみません。
皆さま、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

※最近お問い合わせをくださる方の中に「そちらはピ○マリオンの教室ですか?」というようなお尋ねを頂く方が時折おられます。
上述の通り(上述の記事は今年1月にUPしたものの再掲です。)メイン教材は伊藤先生のものですが、それだけをやっている教室ではございません。
その点、どうぞ宜しくご理解くださいますようお願い申し上げます。

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2007年7月 4日 (水)

ありがたいなと思う。

独立してから、本当に何度も、ありがたいなぁと思うことがある。

今回も、思いがけず降ってわいた出来事に、心配してメールをくださる保護者の方がおり、「何があったんですか?」と聞いてくださって、どうすべきなのか一緒に考えてくださる保護者の方がおり。
ブログがご縁で知り合った方たちからもコメントやメールを頂いたりもして、皆さんのお気持ちが本当に本当にありがたい。

先日来、あれこれ考えてきたけれど、自分の中ではほぼ答えが固まってきているように思う。
真剣に詰めて考える時間があれば、とっくに結論は出ているのだと思うけれど、あいにくこのところ慢性的に忙しく、おまけに今週は普段に輪をかけて忙しい有様のため、まだ最後の結論には至れていないという感じだ。

数年前、全部なくしたと思ったときにも、支えてくださった保護者の方々がいらした。
励ましてくれた子どもたちがいた。
身も心もボロボロになっていたときにあの方々の支えがあったから、私は今もこうして子どもたちと一緒に過ごすことができているのだと思う。

私の教室は誰にどう言われようと「私の」教室なのだ。
多分、それが結論なんだと思う。

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駆け込み更新・・・

すいません!
まだ仕事中で、今日中にまともな更新ができそうにありません・・・。
先週土曜に終電を逃しておりますので、今日は絶対電車のあるうちに帰りたいと思っております。

取り急ぎ、形だけの更新でスミマセン・・・。
帰宅後元気が残っていれば更新いたします。
どうぞ宜しくお願い致します。

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2007年7月 3日 (火)

「7月1日」

7月1日。

忙しくってキレイさっぱり忘れていて、気づいたときには既に日づけが変わっていたのだが、4年前の7月1日が私の教室の開業日だ。
一昨日から5年目がスタートしたことになる。

4年といえば、大学に入学した子も卒業する歳月だ。
塾で最後に見送った受験生達は、もう2回生になっている。

4年前の3月に今の教材と学習法に出会い、それが私の新たなスタートとなった。
準備やらやっかいなことやら色々重なって、スタートは夏休みから、開業届は1日付で出すことにした。
あれから丸4年。もう4年かとも思うし、まだ4年かとも思う。

本当は4年前の3月半ばには、独立することなんて全く考えていなかった。
それが3月末に電撃的に探し求めていた教材に出会い、自分でも思いもよらなかったのだが、独立してやってみようと決めた。

いろんな事情が重なって、看板も上げられない、正直言って上るのにちょっと勇気のいる階段を上った2階の小さなワンルームが最初の教室だった。そんなだから、初年度は15人集まってくれたらいいところだろうと思っていた。
どうにも生活が苦しくなったら、アルバイトでもすればいいや、とにかく1年やってみて、もしそのときに全然ダメだったらもう一度考えよう。
そんなスタートだった。

独立を決めたとき、一度に大勢を見られる教材ではないし、そうなると私の生活を考えたらこれをしたらどうかと、小学校受験の指導を勧めてくださったり、お月謝の設定についてもアドバイスをくださったのだが、尊敬する先生の言葉であっても、そこだけは譲れないものがあった。

私は何度も書いている通り、ずっと公立で育ってきた人間だ。
家から3分の幼稚園、家から3分の小学校、家から15分の中学校、高校や大学も住まいの隣の区。塾にも予備校にも無縁で過ごしてきた。
けれど、私にとってはとても素敵な思い出がいっぱいできたし、小学校受験や中学校受験は私には別世界の話だった。

そんな私は未経験の受験の話は子どもに話して聞かせられないし、それを話すために時間を費やす気にもならなかった。
私は、私と同じように公立の小学校から公立の中学校に進み、そこから受験をして高校に進んでいくような子達と共に学びたいと思い、会社員を辞めた後、それが実現できそうな小さな個人塾に勤めた。

その中で、頑張っているのになかなか結果の出ない子、数学には手も足も出ない子たちを見るにつけ、何かいい指導法はないか、何かいい教材はないかと、時間を見つけては本を読んだり、教材のカタログを眺めたりしていた。
しかし、塾講師だった間にはとうとう「これだ!」というものには出会えぬままだった。

塾を辞める直前、たまたまある教材のカタログで気になるものを見つけた。
今思えば、退職した後、独立する気もなかったはずなのに、どうして見学させてほしいとお願いしたのかは思い出せない。見えない力が背中を押してくれたのかもしれない。

見学させてもらって何時間もしないうちに、絶対これをやりたい!と強く強く思った。
ただ、それはあくまでも、長年探し続けていた、私が共に学びたいと思っていた子どもたちに絶対役に立つはずのものだと思えたからだ。

つまり、経済的に余裕のあるご家庭の子どもしか通えないような教室は私が望む教室ではなかったのだ。
一斉指導の塾であれば、仮に1レッスンあたりの授業料が1000円だとしても、クラスが10人いれば10000円だ。しかし、この教材に関しては全くの初心者で、慣れるまではどう考えても一度に2人しか見られないとすれば1レッスン2000円でも4000円。
最初の月謝設定には本当に頭を悩ませた。

30人を超えれば自分が生活できる最低ラインにはなるかなという、正直言ってかなりきつい設定にしたのは、子どもの頃の私の家でもなんとか通わせてもらえるだろうという基準だった。

本当に素晴らしい教材だと思ったけれど、それを一部の余裕あるご家庭しか子どもに受けさせられないのはなんとも納得がいかなかったのだ。
何しろ、私が一緒に勉強したいと願っていた子どもたちのイメージは、公立小学校から公立中学校に行くような子どもたちなのだから。

小学校受験にも中学校受験にも対応しない。
子どもを普通の塾やプリント学習教室などに通わせることができるご家庭なら通えるお月謝設定にする。

この2つは教室を立ち上げたとき、絶対譲れなかったことなのだ。

今回、奇しくもちょうど5年目がスタートした日に、その最もこだわって決めた部分に対して見直しをせねばらないのかもという出来事が起きた。

私が本当にしたいこと、絶対に譲れないこと、それがなんなのか初心にかえって、もう一度じっくり考えてみようと思う。

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すみません!

ひとまず教室を出ます。(スーパーに行かなくては・・・(苦笑))
今日は今日からスタートの子達もいて、なんだか普段よりバタバタしてしまいました。。。
改めて、自宅から更新させて頂く予定です。
どうぞ宜しくお願い致します。

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2007年7月 2日 (月)

6000円のカットと1000円のカット

実は昨日からずっとモヤモヤしている。
多くの人の目に触れる場所なので、詳しく書くことができないが、どうにも気持ちの整理が付かず、どうしたものかと悩んだままだ。

ちょっとたとえ話を。

私はかれこれ15年以上、ずっと同じ美容師さんにカットやパーマをお願いしている。
彼女と出会ったとき、彼女はやっとインターンが終わってスタイリストとしてお客様を担当できるようになった頃だったらしい。

美容師さんにしては(偏見?)愛想しゃべりみたいなものも殆どなく、かといって無愛想なわけでもなく、なんとなく心地よくてそのお店に通うようになった。
その後、震災でお店が潰れ、彼女はいくつかの店を経て、数年前共同経営者と共に独立した。
今の彼女のサロンは2店舗でスタッフは総勢何人いるんだろう。三宮と元町のかなりいい場所にとても洗練された店を構え、バリバリとお仕事をしておられる。

もともと出会ったときもそれなりに名の通ったお店だったから、街の美容院よりは高い技術料を取っていたが、独立して更に素晴らしいお店になった上、経験を積んだ彼女の技術料は出会った頃の1.5倍近くになった。
それでも私は彼女のところに通い続けている。(まあ、年に一、二度のことだが・・・。)

そんな高級サロンがある一方で、1000円カットのような、短時間でサービスも必要最低限のものだけを提供し、店構えもやはり極めてシンプルなお店も存在する。
カットさえしてもらえればどこでも誰でもいい、安ければいい、そんな方にはもってこいのお店なのだろう。

また、そこまでではないにしろ、個人経営で近所の方が通ってこられるような(うちの母などが行くような)美容院は技術が未熟なんてことはないだろうけど、最新の機械やオシャレな店構えというところまではいかない分、両者の中間ぐらいの技術料の設定になっているのではないだろうか。

さて、では、普段1000円カットを利用している人が、高級サロンに行って「同じカットなのになんでこんなに高いんだ!」なんて言うだろうか?
また、中間的存在の美容院が、技術は負けない!と言って高級サロンと同じ技術料にしたら、そのお店は成り立つんだろうか?

6000円のカットにはオシャレなお店を維持する費用、広告宣伝にかける費用、沢山いるスタッフのお給料など全てがまかなえ、更に新たな展開を考える余裕も含めただけの設定がされているだろう。
つまり「うちの6000円が高ければ、よそに行ってください」ということでもあるのだろう。

1000円のカットのお店に「もっとサービスをよくしろ」とか「もっとオシャレな店にしろ」とか要求するのはやはり筋違いな気がする。
それもやはり「それならよそに行ってください」ということになるのだろう。

人は単純に「安いから」という理由だけでそれを選ぶものなのだろうか。
もちろんそういう人もいるだろうし、仮に同じものなら安い方がというのは大抵の人にとって当たり前の感覚だろう。

ただ、「同じもの」と言っても色々だ。

「同じメーカーの同じパソコン」のように、具体物など目に見えるものであれば、「同じ」ということもできるだろう。
同じものでも、例えば、町の小さな電気屋さんで買うのと、家電量販店で買うのでは、値段が違うのは私たちにとって常識ではないだろうか。「もの」であれば、「同じかどうか」の比較はし易い。

しかし、これが「形のないサービス」となると、ことは途端に複雑になる。
上述のカットの話にしても、「髪を切る」という行為だけ取り出せば「同じ」と言えるのかもしれない。ただ、その際の技術の差、サービスの差、受ける印象の差(例えば高級感など・・・)などによって「同じ」とは言えなくなるだろう。

さて、それでは高級サロンは1000円カットの店に苦情など言うだろうか?
「あなたのところがそんな値段でカットするから、うちにお客が来ないじゃないですか」なんてことは絶対に言うはずないだろう。
目指すところが違うのだし、恐らく客層自体も違うだろう。
そして、お客様に提供しているもの自体も異なるのだから。

まあ、言ってみれば私の今のモヤモヤは・・・1000円カットが自分とまでは言わないが、近所の美容院的なものだ。
さて、ホントにどうしたものか・・・。

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2007年7月 1日 (日)

さて、どうするか・・・。

今日は久しぶりに(自分でもよくわからないのですが、もしかしたら1年ぶりとかになっているのかもしれず・・・)大先生のところにお邪魔してきました。
日曜だというのにとてもお忙しそうでした。

久しぶりにお目にかかれて、色々お話もできてよかったのですが、さて、ちょっと考えなくてはいけないことが出てきてしまったようです。
と言っても、結局は自分がいいと思う道を進むことしかできない性質なので、どういう結論に至るかはまだ自分自身も決めかねています。

ただ、もともとモヤモヤしていた部分に関することでもあり、結局は神様がきっかけをくださったのかもという気も若干しています。(すみません、あまりにも抽象的な表現ばかりで・・・)

私の教室はもともと小学校低学年をメインの対象にして始まりました。ご兄弟などの関係で徐々に僅かではあるものの幼児さんもお受けするようになりました。
ただ、少なくとも今のところ、大々的に幼児さんを受け入れていこうというつもりはなく、小学生さん優先なのは変わりません。
実際、3月からずっと幼児さんに関しては募集休止にさせて頂いているままですし。

あまり具体的なことを書くと、また何か問題が生じても私自身そんなこと全く望んでいませんし、どうしていいやら困ってしまいますので現段階ではつぶやきというか・・・。

大人の世界って色々ややっこしいですね。
しばらくそういう世界に無縁で過ごさせて頂いていたので、ことはそんなに深刻ではないものの、ちょっとどうしたものかな・・・という気分での7月の幕開けです。。。

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