« 誕生日の夜に | トップページ | 諦めることと認めることの違い »

2007年6月25日 (月)

バカみたいな話だけど

昨日の晩、なんか突然ふと気づいた。
そんなの当たり前じゃ?とツッコミを入れられそうなぐらい、多分当たり前のことなんだろう。
だけど、これまではなんとなく自分の中でモヤモヤして、引っかかっていたことなのだ。

同じ親が同じように育てても、たとえそれが双子であっても、数の感覚が優れている子がいる一方で、なかなか数の感覚がつかめない子もいる。
私という同じ人間が同じ教材を同じように使ってレッスンしても、その子たちの学年が同じであったとしても、目の前での成果はやはりみんなバラバラで、ほんの短い時間ですっと理解して自分のものにしてしまう子がいる一方で、何度も何度も繰り返してもなかなか実感ができない子もいる。

それはなぜなんだろう・・・といつも考え、結局いきつくところは個人差ということか・・・とぼんやり考えてはいたが、それはどこかで逃げのような気もして、完全な納得はしていなかった。

けれど、昨日の晩、ふと思ったのだ。
子どもの中には、特に何かさせたわけでもないのに、とても足の速い子がいる。また、親が教えたわけでも習いに行かせたわけでもないのに、とても絵が上手な子もいる。
他にも、勉強以外の分野では何かに秀でている場合「才能がある」という言葉で、それは特別な能力として扱われる。

例えば、イチローは信念と努力の人ではあるらしいが、それならイチローと同じ頃から同じように野球に打ち込んだ子はみんなイチローのようになれるかと言えば、殆どの人が「そんなことはない」というのではないだろうか。

小さい頃からずっとスイミングで練習を続けたからって、やはりみんなが北島康介になれるわけでもないし、サッカーでヒデになれるわけでもなければ、スケートでミキティや真央ちゃんみたいになれるわけでもないだろう。

要するに、努力でカバーできる部分とは別に、その子その子が持つ能力、才能というものがあるのだろう。
そんなことぐらいは私も昔から当然のこととして受け止めていたし、世の多くの人がそう思っているのではないだろうか。

なのに、私自身、こと「勉強」に関してだけは、純粋にはその発想ができずにいた。
走るのは遅いより速いに越したことはないかもしれないし、泳ぎだって、他のスポーツだって、芸術活動だって、できないよりできるに越したことはないのだろう。
ただ、同じように練習をしても、速く走れる子とそうでない子がいるように、同じように勉強しても、それぞれに結果が違うのは何の不思議もないことなんだと改めて気づいた。

勉強はしたくなければしなくていい。その代わり打ち込める何かを見つければいい。

それは本当にそう思ってきたし、今でもそう思っている。
私自身、学歴がほしくて大学に行ったわけではないし、教員免許がほしいと思わなければ、大学には進まなかっただろうと思っている。
だから、自分が関わる子ども達は目標もなく進学をしてほしいなんて思わないし、目標が定まれば、高校や大学に進まない選択だって大いに素晴らしいものだ。

そう思っていながらも、自分自身、やはりまだまだ日本が「学歴社会」であることを認めざるを得ないし、その結果、勉強の成果があまり芳しくない子どもを見ると、どこかで気の毒な子だという目で見ていたのかもしれない。

いや、多分・・・こういう仕事をしている人間の中ではそれでもまだ「勉強ぐらいできなくたって死にゃしない」的な考え方をしている方だとは思うが、突き詰めれば、こういう仕事をしている人間がそういう考え方をしていること自体が許されるのかどうかが微妙だろう。
それでも、頑張っても思ったように成果が出ない子ども達は、私が自分の中での受け止め方を変えることで、何か少し楽になれるかもしれない。

これから具体的に何が変わるって訳じゃないとは思うけれど、純粋に「個人差」なんだと納得が行くようになったことは、自分にとって何かプラスになるんじゃないかと、そんな気がちょっとしている。

|

« 誕生日の夜に | トップページ | 諦めることと認めることの違い »

コメント

岐阜の方で塾講師をやっているものです。
いつも、先生のブログで
勉強させていただいてます。
いつも読み逃げすみません。
僕も先生と同じようなことを考えていたので
思わずコメントしてしまいました。
確かに「個人差」があるっていうのは、世間的に見れば当たり前のことかもしれないけど、先生やってるとどうしても認めたくない部分なんですよね。なんか認めてしまうと、自分の存在意義のことを考えてしまうから。ちなみに僕はまだあがいています。その「個人差」は「先天的なもの」じゃなく「日々の思考」から発生するのではないかと。もし、そうだとすれば、まだどうにかできないかなぁと。あきらめ悪いですよね(^^)
長々とコメントすみませんでした。

投稿: もちざくら | 2007年6月26日 (火) 02時06分

>純粋に「個人差」なんだと納得が行くようになったことは、自分にとって何かプラスになるんじゃないか

教える側がそれを認識しているというのは、
教わる側にとってもプラスになるように思います。

そこを理解していない人に教わると、苦手な子にとっては苦痛を伴う場面がどうしても出てくる気がします。

なんだか書きたい事が色々と出てきたのですが
えらい量になりそうなのでこの辺でw

投稿: | 2007年6月26日 (火) 11時24分

もちざくら先生、初めまして。
勉強になることなんて殆ど書いていないと思いますが、いつも
読んでくださっているのですね。ありがとうございます。
頂いたコメントに関して、今日ちょっとブログの記事で改めて
書かせて頂きますね。

あ!!決して気を悪くしたとか、先生の意見に反論しているとか
全然そういうことではありませんので!!(ホントに。)

投稿: TOH | 2007年6月26日 (火) 19時43分

どなたかわかりませんが、コメントありがとうございます。

なんだか知っている方のような気もしないでもないのですが・・・。
(違ったら失礼なので控えますね。)

私の方も書いたらえらく長くなりそうなので、別記事でもう一度
書かせて頂きますね。
宜しくお願い致します♪

投稿: TOH | 2007年6月26日 (火) 19時45分

遅咲き、早咲き、狂い咲き、
自然界にもちょっと他よりずれた時期に花を咲かす木があります。

時期はともかく、『それでも花は美しい、、』
そこに気づくける事はポイントだと思います。
一番問題なのは、咲く前に枯らしてしまう事だと思います。

受験に「納期」があるから問題なんですよね~。
期日に花が咲くように納品しなくちゃと勘違いしちゃいます。 

アメリカみたいに入学を簡単にして、
卒業を難しくしちゃえば良いと思っています。
米国に追従するのが大好きな日本政府なら可能だと思います。
そうしたら「受験」でなりたっている進学塾もかわります。

投稿: yoshi | 2007年6月26日 (火) 21時55分

yoshiさん、毎度です。
受験に「納期」か…。そうですね。
かく言うわたくしも、高3の時には「浪人したら死ぬほど
勉強してお茶女に行く!同級生に年下の男子がいるなんて
耐えられない!」とかぬかしておった頃もありました。
(幸か不幸かお茶女には行かずに済みましたが。)

歳をとってみれば、1年や2年の回り道ぐらいなんて
ことないじゃんって思うんですけど、日本の社会は
まだまだそうは言えないんでしょうね。

投稿: TOH | 2007年6月27日 (水) 00時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/96750/15558094

この記事へのトラックバック一覧です: バカみたいな話だけど:

« 誕生日の夜に | トップページ | 諦めることと認めることの違い »