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2007年6月26日 (火)

諦めることと認めることの違い

昨日、個人の能力差についての記事を書いた。
書きながら、今ひとつうまく表現できていないように感じていて、もしかしたら反論や非難を受けるかもしれないなと思ったりもしていた。

ただ、自分の中で納得が行ったことと言いたかったことの溝をどういう表現で埋めればいいのか、昨日の段階ではうまく表せなかった。
ところが、今日、ある塾の先生がコメントをくださった。
お蔭で表現できる気がした。心から感謝したい気分だ。

塾の先生が、「個人差を認めることは諦めることにつながり、自分はまだ悪あがきをしている」という内容(すごく端折っていてスミマセン・・・。)のコメントをくださった。

そのお気持ちはなんだかとてもよくわかる気がするし、子どもに関わる先生方が皆さん、そういう気持ちを持っていてくださったらと思っているのも一面では紛れもない本心だ。

ただ、私が気付いたことは、「どんなに同じ条件を揃えても能力差があるのは当たり前」ということで、これまでもそれは何となくそうなんだろうなと思ってはいたものの、それを認めてしまったら、自分の指導力のなさに言い訳をしているだけになりはしないか?という思いがずっとわだかまっていたのだ。

恐らく、この気持ちはコメントをくださった先生がおっしゃっている「悪あがき」という表現と通じるところがあるのだと思う。

ただ、私は何も、「個人差だから仕方ない」と言って諦めようと思っているわけではないのだ。
「個人差」を「個人差」として認めて、その上で私にできることを精一杯やろうと思っているということだ。

例えば、平泳ぎで25Mも泳げない子にいきなり北島康介を目標にさせたって、そんなのは遠すぎて子ども自身、余程のことがない限り目標にはなりはしない。
15Mしか泳げない子はまず25M泳ぐことを目標にし、それがクリアできたら50M、次は100M、そして今度はスピードを上げることを目標に・・・というように、あくまでも頑張れば届きそうなところに目標設定をしていくべきなのではないかと思うのだ。

それと同様に、仮にある教材があったとして、ある子どもは僅かな時間で内容を理解してスラスラと解いていくかもしれない。
その子は少なくともその内容に関しては能力が優れているということなのだろうから、無理にペースを落とすことはさせず、様子を見ながら、無理のない範囲で次へ次へ進ませればいいのだと思う。

しかし、ある子どもは平均的な子どもの3倍や5倍の時間をかけても理解できない内容だってあるのだ。
その子にいきなり、平均的(それも曖昧な基準だが・・・)な子どもと同じことをいきなり望んだとしても、手の届きそうにない目標であれば、その子はやる気を失ってしまうかもしれない。真面目な子であれば、必死で努力はするだろうけれど、結果として嫌いになってしまうことだってあるだろう。

つまり、目指すゴールはそれぞれに異なっていてもいいのではないかということだ。
同じ教材でも、誰かは全ての問題を解く一方で、別の誰かはそのうちの数問しか解かないことがあったって、それぞれの子が精一杯やった結果なのであれば、それでいいのではないかと思うのだ。

同じゴールを設定するのではなく、それぞれの子の今持っている力を見ながら、それぞれのゴールを設定する。
比べるのはあくまでも昨日までの自分であって、他の誰かじゃなくていいのではないか。

つまり、私は「個人差」が存在することは認めるが、だからできなくてもいいじゃないと言っているわけではない。

もちろん、本人ができなくてもいいと思っているものを無理に教え込む気はないが、もしも本人ができるようになりたいと必死で努力をするのであれば、できる限りのことをしようと思う。
ただ、それはあくまでも主役が子どもで、私は子どもが望めばサポートするということだ。

大器晩成という言葉が存在するように、初めは目立たない子どもでも、あるとき突然花開くこともある。

あの方は特異な例ではあるだろうけれど、中学時代オール1だったのに、あるとき勉強に目覚め、難関国立大に合格、今は母校の高校で先生をされている宮本先生のように、突然変わることだってある。

個人的には、勉強はいくつになってもできると思うし、何か目標が定まったときの人間の力は結構すごいとも思う。(昨日ご紹介した、京都の堀川高校の話でも、大学の合格実績が急激に上がったことの背景には、高校の授業の中で、大学に行ってこれを学びたい、この研究をしたいという目標が明確になり、その目標を実現するために苦しい受験勉強も乗り切れるのだと思うというようなことが書かれていたが、それはとても納得できる。)

個人の能力の差を認めることは、指導を諦めることとは違う。
私がすべきことは、今のその子が今の場所より前に進むことをサポートすることなのだと改めて思う。

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コメント

すみません。僕も反論のつもりで書いたわけではなく、ただ純粋に同じように考えてられる先生がいることに嬉しく思いコメントしてしまいました。文章で表現するのは難しいですね。絵文字とか使えないので、表情を読み取るのは難しいかもしれませんが、今回の先生の文章も全く反論と感じておりません。反対にまたまた同じような考えを持っている先生がいて、嬉しくも思っております。いつも、読み逃げしているみたいで悪い気がしてきたので、僕のブログのアドレス残しておきますね。お時間などがあれば、見に来てください。これからも、よろしくお願いします。

投稿: もちざくら | 2007年6月26日 (火) 22時43分

人間の成長は、奇跡的といってもいいのではないかと思うのです。 「おとうさん、もっと人間のちからを信じましょうよ!」 私が医者から言われたこの言葉が、まさにソレなんだと思います。

ひとりごと・・・ブログのコメント欄って狭くて本意が伝わり難い事があるんですよね~。
(o^∇^o)ノ 

投稿: yoshi | 2007年6月27日 (水) 00時45分

もちざくら先生、再びありがとうございます。
反論されたとは思っていませんよ、本当に。
ああ…全く、文章とは難しいものですね…。(苦笑)

先生はもうじき独立されるのですか?(ちらりとだけ
拝見しましたので誤解しているかも…。)
また見せて頂きますね。

ありがとうございました♪

投稿: TOH | 2007年6月27日 (水) 00時48分

yoshiさん、毎度♪(笑)

「人間の力」ってなんかいい言葉ですよね。
以前読書の方でご紹介した小西先生の本にも同じような
表現があり、すごくいいなぁと思いました。

しかし…yoshiさん、お仕事やご家族との時間に支障は
出ていませんか?(笑)
いつもいつもまめにチェックして、貴重なご意見まで頂き、
ありがたいながらもちょっぴり心配です。(笑)

投稿: TOH | 2007年6月27日 (水) 00時59分

<私がすべきことは、今のその子が今の場所より前に進むことをサポートすること

ほんとだね。

勉強もそれ以外のことも、ひとつのことができるようになる時間、本当に理解するまでにかかる時間は人それぞれ。

コンピュータだったら、インストールするのにかかる時間は、短ければ短いほど性能の良いコンピュータってことになるけど、人間はちがうみたいだね。

時間がかかったことは、後から見れば、それなりの経験の幅となって、その人の財産になっていくのでしょう。
そう思いたい!

人をサポートする仕事。
いいっすね!

(畑違いなのにいつもとんちんかんなコメントをしましてどーもすいません。)

投稿: yuki | 2007年6月27日 (水) 13時45分

あれ?昨日のコメント名無しでしたね、すみません。
僕でした。

投稿: ボボコフ | 2007年6月27日 (水) 13時50分

yukiさん、コメントありがと~。
全然畑違いでもないし、とんちんかんでもないよ。

今の段階で社会を作っているのは私達大人で、今子ども達の
ためにできることは何か、地球の未来のためにできることは
何かってのを考えるのは、大人みんな「同じ畑」だと思うし。

子どもをサポートとかいいながら、私自身、子ども達に元気を
もらってるんだけどね。(笑)

投稿: TOH | 2007年6月27日 (水) 20時47分

ボボコフさん、お久しぶりです♪
けど、実は、きっとそうなんじゃって思ってたんです。
すごくないですか?(笑)

トラバはって、記事まで書いてくださってありがとうございます。

bolog更新はかなりお久しぶりのようですが、お忙しいですか?
私もなんだかんだ忙しいです。(苦笑)

投稿: TOH | 2007年6月27日 (水) 20時53分

バレてましたか(汗
何でですかね、変な癖とかあります?w

記事は・・トラバはしたものの、
こちらの記事がきっかけだったというだけで
自分用のメモみたいなもんです。
あまり気にしないで下さいw

僕もなんだかんだと結構忙しいです。
暇よりはいいですよね、多分w

投稿: ボボコフ | 2007年6月28日 (木) 11時08分

ボボコフさん、毎度です。(笑)

変な癖…はないと思うんですけど、なんでしょうねぇ。
言い回し?う~ん、なんだろう…。
書いてくださった内容?

なんかわからないんですけど、これは通りすがりの
知らない方のコメントじゃないなと思って、その後
なぜかボボコフさんのことが脳裏を…。
何か特殊な能力でも備わりつつあるんでしょうかね?(笑)

投稿: TOH | 2007年6月28日 (木) 11時26分

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