算数の文章題ができないのは「国語力」のせいじゃない。(更につづき)
すみません・・・続きを書くのにまた数日空いてしまいました・・・。
そんなに引っ張るほどの内容でもないので、がっかりさせたら申し訳ありません・・・。
これまでは、外遊びを含めた日常の経験の豊かな子は比較的に文章題がすんなり解けるようだという印象は持っていた。
それは恐らく間違ってはいないと思う。
ただ、教室に来ている子達を見ている限り、実際にそれを経験したことがなくても、難なく問題をクリアしてしまう子達も少なからずいるし、外で遊ぶのが大好きという子でも、普段経験していそうなことがなかなかイメージできない子もいなくはない。
そこの差はつまるところ個人差だと言ってしまえば実も蓋もないが、実際そう言わざるを得ない面もあるとは思う。
ただ、大抵の幼い子どもは、放っておけばあれこれ想像を膨らませたり、大人は気づきもしないことに気づいたり、計り知れない豊かな想像力、感受性などを持っていると思うのだ。
(そのあたりのこともあって、今、モンテッソーリがとても気になっているのだが・・・。)
小さい頃から何でも与えられ続けた子どもは、自分であれこれ工夫したり想像や創造をする機会を奪われ続けているのかもしれない。
それは、おもちゃひとつを取ってみてもそうだろう。
既成の色とりどりの豪華なおもちゃに囲まれて大きくなる子と、大人が見たらそれで何をするの?というような紙切れや木の枝、ひも、石ころ・・・そんな身近なものをおもちゃにして育つ子のどちらがより豊かな子どもに育つだろう。
また、これまでの経験を通じて、小さい頃から機械的反復学習を続けていた子どもたちの多くが、極端に「イメージ力」が伴っていないようにも感じた。
それもまた、与えられ続け、量をこなすこととスピードとを要求され続けることで、自由に試行錯誤したり、ゆっくりイメージすることを不可能にされ続けているからだと言えるだろう。(それについては以前「機械的反復学習について思ったこと」でも書かせてもらったように、もちろん例外はあると思う。)
その差がどこでどう生まれてくるのかはまだわからないし、もしかするとどんなに学び続けても、結局は個々人が持って生まれたものの違い(いい悪いではなく、人それぞれ得意不得意があったり、興味を持つ対象が異なっているのは当然だと思うし)は必ず存在するだろうから、万人に当てはまる答えなど存在しないのだとも思う。
ただ、これまで見てきた限りでは、仮にただの計算問題であっても、最初の段階から子どもの頭に何か思い浮かんでいるようだと感じられる子どもはほぼ問題なく文章題をクリアする。
これに対して、訓練などで計算の答えだけは導き出せるものの、全く的外れな答えになっても違和感を感じないような状態の子どもは、概ね文章題には苦労する。
もちろん、「あわせて・・・」とか「みんなで・・・」とか「くらべて・・・」とか「ちがいは・・・」とか、そういう言葉の部分だけを覚えこんで、それなりに解くことができる子は存在するが、その場合、その子の頭には文章に書かれている数量やイメージはほぼ何も描かれていないため、ただ単に「解ける」、「答えは出せる」という状態に過ぎない。
そういう子たちは、たし算と引き算だけの間はなんとかなったとしても、学年が上がるにつれますます手も足も出なくなっていく。
(但し、今の小学校では大抵が習った単元のテストという形で出題されるため、掛け算を習えば掛け算で解く問題、割り算を習えば割り算で解く問題・・・ということが多いため、問題の意味を理解できなくても100点が取れてしまう場合もなくはないのが恐ろしいところだが・・・。)
書けば書くほどまとまらなくなっていくし、私自身、ほぼ全ての子どもに当てはまる答えが見つかったらどんなにいいだろうと思うけれど、きっとそれは無理なのだろう。
ただ、タイトルにもつけた通り、しばしば「文章題ができないのは国語力がない(足りない)から」といわれることに対しては、国語力(読解力?)をつけたところで、算数の文章題ができない子はやはり間違いなく存在する。
つまり、「国語の力」と「文章題を解く力」とは僅かに重なる部分があるとしても、大きく見れば全くの別物のように思う。
文章題を解くためにつけるべき力としては、「数量感覚」と「イメージ力」というところなのかなと、今の時点ではそう感じている。
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コメント
最近叱られることが多いので、小さくなって懲りずに登場です(-_-;;
でも、最後の4行は全く「そのとおり~!」としか、言いようがありませぬ (^-^)/
小→中→高、と上に行くほどその差が顕著に顕れまする m(_ _)m
投稿: Mr. Hot Cake | 2007年5月31日 (木) 01時37分
ホトケ先生、こんばんは。
しかし・・・全く・・・、しまいに温厚な私も怒りますよ。(苦笑)
いつ私が大先生を「何度も叱った」んですか?(苦笑)
はっ!もしや先生・・・若年性・・・・・・(殴)
でも、いつも気にかけてくださってありがとうございます♪
投稿: TOH | 2007年5月31日 (木) 20時49分
こんばんは。
読解力がついていたら、文章題が解けるというのならば、文系の子は、数学が得意にならないとおかしいってことになるわけですよね。
けど、実際は、国語が得意だけど、数学はダメだから、文系コースに行ってる子がほとんどなわけです。
文章題を解くための国語力は、国語で身につくものではないってことですね。
投稿: SZK | 2007年5月31日 (木) 22時19分
僕もモンテッソーリが気になっているのでした! (^▽^) この記事に刺激されて「算数の文章問題が英語学習の下地を作る」みたいなショボイ文章を書いてブログに投稿してしまいました。 が、、眠い、、。 TOHさんの文章に同意、SZKさんのコメントに共感いたします。
投稿: yoshi | 2007年6月 1日 (金) 00時12分
SZKさん、こんばんは~。
いつもありがとうございます。
国語ができれば…って意見は、確かにおっしゃるように
「それなら文系の子は文章題得意でしょ?」
のひと言で撃沈かもしれませんね。(苦笑)
話は全く変わりますが、SZKさんの塾、一度覗いてみたいです!
投稿: TOH | 2007年6月 1日 (金) 01時25分
yoshiさん、こんばんは~。
yoshiさんもモンテッソーリ気になっておられるんですね!?
お勧めの本とかあったらまた教えてください♪
ブログ拝読しました。なんかここのこと大宣伝でしたね。
どこの回し者?って思われますよ?(苦笑)
大丈夫ですか?
投稿: TOH | 2007年6月 1日 (金) 01時30分
こんばんは。
うちは、すっごい小さいです。
コタツが2つなんで、最高同時に4人が限度です。
しかし、ボードゲームするのにコタツってちょうどいいんですよね。
外国製のゲームもちょうどぴったり。
交流できる機会があったら、嬉しいことです^^
投稿: SZK | 2007年6月 1日 (金) 19時08分
コタツなんですね~♪それはなんだか素敵です。
しかし・・・うちはある意味もっと小さいですよ。(笑)
一度に最大3人、4人になるときはアシストの先生に入って
もらってますから。(苦笑)
コタツでゲーム・・・。楽しそうですね~~。
投稿: TOH | 2007年6月 1日 (金) 20時40分
文章題ができないのは「国語力」“だけ”のせいじゃない、ということですね。
書かれた言葉をイメージに変換していく力も国語の領域ですが、そうした言語認識を数学的思考力へ運用していくリテラシー(特に数学的リテラシー)の問題に関わってくるような気がします。
過度な機械反復は、そうした認識の順序を飛び越え、AからZを導き出すことを当たり前としてしまう訓練になりそうです。
投稿: frok | 2007年6月 5日 (火) 20時26分
frokさん、初めまして。
コメントありがとうございます。
難しいことがわからないおバカな私のブログに、格調高いコメントを
頂き、ドキドキしてしまいます。(苦笑)
確かに国語力「だけ」のせいじゃないなんだと思うのですが、ただ、
「国語力」というものがあまりにもくくりが広いように思いますので、
敢えてこういう表現にさせて頂きました。
栗田先生が書いておられた「数学力」なんてものはないというご意見
に、なるほどなぁと思いましたので。。。
貴重なご意見、ありがとうございました。
投稿: TOH | 2007年6月 5日 (火) 22時04分
「国語力」という言葉の毒性(笑)に敏感なタイトルだとは気付かず、失礼なコメントをしてしまいました。あしからず。
文章題は、文章を理解し、その設定された状況(課題)に必要な方略を選び、クリアしていく力(まさにリテラシーと呼ばれる力そのものですね)が求められます。そこには、国語の力を求めるだけではどうしようもない点が多々あることは確かだと思います。
最近は、このような数学や他教科に求められる力も「読解力」(もしくはリーディング・リテラシー)として一括し、先進的な活動をしているつもりになっている学校もあるそうですが。
実際の子どもたちの反応に基づき、こうしたリテラシーの諸問題が具体的に提案されたお話、大変おもしろく読ませていただきました。
投稿: frok | 2007年6月 5日 (火) 23時03分
TOH先生、おはようございます。
いつも楽しみに拝読しております。
モンテッソーリ関連の本で、最近すごく良かったものを紹介させてください。
『お母さん わが子の成長が見えますか』(河出書房出版 塚本達子著)です。
塚本さんはバスジャック事件で犠牲になられた方です。そのことも考え合わせたためか、たいへん感銘深かったです。
投稿: そらまめ | 2007年6月 6日 (水) 08時50分
frokさま、再びありがとうございます。(昨日はハンドルを打ち間違えて
いましたね・・・申し訳ありません。)
frokさまのブログ、少し拝見したのですが、あまりに高度な内容で、
やはりおバカな私には・・・。(泣)
でも、そんな方に読んで頂いて、ご意見が頂けるなんて光栄です。
ありがとうございました。
投稿: TOH | 2007年6月 6日 (水) 11時52分
そらまめさん、いつもありがとうございます。
実は今、モンテッソーリ関係の本を読んでいるところです。
で、相変わらず未読書は増えこそすれ、減る気配なし・・・。(苦笑)
でも、教えてくださってありがとうございます。
時間を見つけて読んでみます!
投稿: TOH | 2007年6月 6日 (水) 11時54分