いい話。
こういう話も好き。
今書きかけている記事にも少し関わってくると思うのですが、親に限らず、小さい子どもに関わっている大人はみんな、こういう感覚を心のどこかにずっと留めていてほしいなぁと。
ちょっとそんなことを思います。
親野先生は超有名ですから、既に皆さん読まれているかもしれませんね。
まだの方、ご存知ない方は宜しければ読んでみてください。
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こういう話も好き。
今書きかけている記事にも少し関わってくると思うのですが、親に限らず、小さい子どもに関わっている大人はみんな、こういう感覚を心のどこかにずっと留めていてほしいなぁと。
ちょっとそんなことを思います。
親野先生は超有名ですから、既に皆さん読まれているかもしれませんね。
まだの方、ご存知ない方は宜しければ読んでみてください。
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今週はなぜか本当にやたらとバタバタしました。。。
月曜は振替レッスンなどが昼イチと夕方に。その間に大荷物が届き、肉体労働。レッスン後も引き続き肉体労働。
火曜は午前中と夕方に合わせて3つレッスンで、間に来客。終わってから引き続き肉体労働。
水曜は朝から晩までびっちりレッスンでお昼食べられず。
木曜は朝から3つレッスンで、その後、超肉体労働。
特に水木は遅くなったためまともな食事をせず寝たため、このところちょっと成長中だったお腹周りが少しマシになったかなと。(ラッキー?)
そして今日も午前中から結局5つレッスンがあり、本当は今週は水曜以外通常レッスンを全てお休みにしていたはずなのに、全然そんな感じはありませんでした。(苦笑)
まあ、こんなに忙しくさせて頂いて、本当に本当にありがたい限りなのですけどね。
新年度の準備が殆ど手付かずなので、レッスンがない、もしくはあっても1つ、2つの明日から3日間にやれる限りやらねば!!
因みに、模様替えは私的にかなり満足で、以前に増して落ち着く教室になりました。(あくまでも私にとっての話ですが。。。)
で、今日来た子の中で一番可愛かったのが5年の男の子の反応。
教室に入るなり、あたりをきょろきょろ見回し、やや戸惑いつつ
「リフォームしたん?」と。(笑)
そんな大掛かりなことはないのですが、他の子たちも嬉しそうに探検(?)したりしていました。
まだあと少しいじらなきゃなところがあるのですが、今のお気に入り・満足度は98%ぐらい。
普段まとまった時間が取れないこともあり、このタイミングしかない!と一気にやっているので、どうやらかなりの出費のようですが、子ども達に少しでも快適な環境をってことで、このぐらいたまにはいいかなと。
頑張って働きます!(笑)
今日明日明後日は少し余裕があるので、書けたら少しはまともな文を書きたいなと思っております。
どうぞ宜しくお願いします。(って、書けなかったらスミマセン・・・。)
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まともに書きたい気持ちはあるのですが、今日も時間と体力がもうあまり残っておりません・・・。
明日も午前中からレッスンのため、今日こそはそろそろ帰ってまともに食事をしたい・・・。
ですが、今日はちょっと自己満足・自画自賛中です。
今日は午前中から昼下がりまで体験を含めてレッスンが3つだけだったので、先日来進行中の模様替え(?)を引き続き行うことに。
雨の予報だったので(見間違い?)半ば諦めていたのですが、結局晴れたので、昨日お送りできなかった急ぎのメールなどのお返事を済ませた後、コー○ンまで出動しました。
既に色々計画済みで必要なものをメモっての気合の入った買い出し。ただ、いかんせん、私には2本の足以外の足が・・・。(しつこい?)
因みに、今日絶対購入する予定だったものはタイルカーペット10枚、のれん、のれんのポール、人工芝1畳分ぐらい、厚手のテーブルクロス、カッティングシート、延長コード、踏み台、スチールラックなど。
まあ、どう考えてもスチールラックを手で持って帰れるわけもなく(今回買う予定なのは大きいので・・・)、配達しかないよなぁと、そうなると今日は作業できないなぁと思いつつ店内を物色。
必要なものをピックアップしつつ、人工芝やらクロスやらシートやらをカットしてもらいつつ、考える考える。。。
考えた末、スチールラックさえ諦めればどうにか持って帰れるんじゃないか?と。(そう考えてしまう自分が悲しくもある・・・。)
もちろん、タクシー利用のつもりではあったので、レジから国道までと降りてから教室までの間だけではあるのですが、さんざん考えた末、タイルカーペットはささやかに2枚だけ減らし、スチールラック以外は全てカートに積んでレジへ。
因みに、カラーの上質紙500枚やらガムテやらこまごましたものも追加でカゴに。。。
レジで若いお姉ちゃんに「持って帰りたいので、袋分けてもらえますか?」というときの微妙な恥ずかしさ・・・。無理矢理持ったら持ててしまう悲しさ・・・。(苦笑)
幸い親切なタクシーの運転手さんで、近くても全然やな顔されず、よかった。
しかし、タクシー乗るまでで既に汗だくな私・・・。やっぱ歳を考えようよ。。。
いささかの恥ずかしさを感じつつも、これで今から作業ができるということに満足。
時、既に20時過ぎ。
で、本日できる範囲の全てのことを済ませ、現在22時半。
どれだけの方が気づいてくださるかわからない、完全な自己満足の世界のような気もするけれど、気に入らなかった机の色もとりあえず(ちょっと荒っぽい仕上げなのが気になるけど・・・)満足の色に変わり、あといくつかこまごまと変更を。
けど、やっぱり「算数」と「手先の器用さ」は生きる上で結構重要かもと思う今日この頃。
クロスを買うにも幅を考えて、どれだけの長さに切ってもらったら一番ロスが少ないか考えたり、狭い場所をいかに有効に配置するかを考えたりって、多分かなり「算数」だと思う。そんなことないですかね?
さて、今回の私にとっては大掛かりな模様替え(?)もかなり佳境に入ってきました。3月中に全てと思っていたのはちょっとだけずれ込みそうだけれど、春休みが明けるまでにはどうにかなりそうです。
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今日は11時からレッスン開始で、おまけにどうしてもお昼にレッスンを入れなくちゃいけなかったため、お昼食べられず19時過ぎまでレッスンして、その後模様替え(?)の続きをやっていたらもう23時半を回ってしまいました!!!
とりあえず、明日はレッスン自体は3つだけなのですが、またも午前中からのため、早く帰ってご飯を食べるかどうか迷い中ですが、食べずに寝て早起きか・・・。
というわけで、メールをお返ししなきゃな方、お返ししたい方、結構おられるのですが、明日の夕方以降までお返事できないかもしれません・・・。
何か他にも忘れていそうで非常に不安ですが、もし何か忘れていることにお気づきの方はご遠慮なくお知らせください。
あ、1日にレッスンに来てくださる予定のTさま!またメールさせて頂きますが、13時からでも宜しいでしょうか?(こんなとこにすみません・・・。)
ああ、帰らなきゃ日付が変わってしまう!!
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今日、遥々本州の西端の方から、ある先生が尋ねてきてくださった。
その先生はブログとかも書いておられないそうで、私は全く存じ上げていなかったのだけれど、なぜか私のこの拙いブログを気に入ってくださって、先日、ある大御所先生経由でご連絡を頂いた。
大御所先生も「TOHさんは小学校低学年がメインですよ?」と言ってくださったそうなのだけれど、それでも是非とのことだったとご連絡をくださった。
お話によると、その先生は高校数学のご専門で、どっからどう見ても全くの畑違いだし、中学生すら見ておられないのであれば、まさかうちを見学したいとか、教材を見たいとか、そういう話でもないだろう。
一体なぜ??と疑問は膨らむばかりだったのだが、ここしばらくの間、メールで色々お話をさせて頂いた。
先生のお勧めの本なども色々ご紹介頂いて、それらは全て興味深いものでもあり、お蔭で私の未読リストは一層膨れ上がりつつあるが、こちらこそ学ばせて頂くところが大いにありそうな先生で、その先生にわざわざこちらまでお運び頂くなんてと(少しだけ年齢も上の方のようだったし・・・)、お目にかかるのが嫌なのではないけれど、控え目ながらもかなり抵抗をしてみた。
ただ、あることがきっかけで、会いたいと思ったら即行動に移すことにしているとのことで、とうとう断りきれなくなり、年に数日しかないらしい貴重なお休みに遥々3時間ほどかけていらしてくださることになってしまった。
メールでお話させて頂く限りでは、素晴らしい先生に違いないとは思っていたが、ジャンルも全く違うし、どんな風貌の方かもわからない。
初対面の男性と2人で教室・・・。話が持つか不安でもあった。
しかし、ホント現金なもので、画家風のなかなか味のあるオトコマエの風貌、お話すればするほど、何か感じるところがあり、途中からは逆の意味で時計をこっそり覗き見ばかりしていた。
ああ・・・次のレッスンがなければ・・・とまで思ってしまうほど、まだまだお話したい気分だったのだが、そういう時間ほどあっという間に経ってしまうもの。
もちろん、次にレッスンに来てくれる子達のことは大好きで、待っていたのだけれど、インターホンが鳴ったとき、(ああ・・・来てしまった)と思ってしまったのも事実だ。
あるお話をしていて、先生が言ってくださった。
「同じにおいがします。」
それは私にとって光栄なことだ。
ただ、先生ご自身も認めておられたが、その「におい」はこの業界においては圧倒的マイノリティーである。
高校生対象に大学受験指導をしておられる先生が、受験に対して驚くほど同じ考えをしておられた。(いや、私の方が年下だから、私が先生と同じ考えをしているのか・・・)
先生は奥様と「こんなのが受験指導なんてしてちゃいかんな」と話すのだとおっしゃっていたけれど、マイノリティーだからこそ、存在し続けなければならないのではないかと思う。
この先生の「マイノリティー」とはまた少し違うが、うちの教室の子たちに時々言うことがある。
大半の子がここでの学習法がうまくはまり、段々と自発的に考えるようになっていってくれるのだが、中にはなかなかそちらへ切り替えられず、いつまでも「ヒントちょうだい?」とか「わからん、教えて」とかいうセリフを大して考えないうちに口にする子もいる。
そういう子には、私だって教えてしまう方が遥かに楽なのだが、それをするとこの教室の理念がぶれてしまう。
だから、そうしないかわりに言うのだ。
「もし全部説明してほしい、教えてほしいって思うんだったら、無理にここに来なくっていいよ?ちゃ~んと丁寧に教えてくれるところはいっぱいあるからね。それがいいんだったら、そういうところに行ったらいいんだよ?」
これまで何人もの子にこのセリフを言ってきた。これを言うときには、駆け引きではなく本気で言っている。
先日の公式についての記事にも書いたが、教えられたことを覚えてコツコツ努力するのが向いている子は、手取り足取り教えてもらって好成績をキープしていくことは少なくとも中学か高校ぐらいまで可能なはずだ。
そちらが向いている子に、無理に「自分で考えろ!」というのは理不尽かもしれない。だから、その方法がいい子はそういうところに通えばいいのだと、本心でそう思っている。
ただ、「教えてくれるところ」の方が圧倒的なマジョリティーなのだろうから、マイノリティーである「教えてくれないところ」が存在しなければならないのだろうと、私はそう思っている。
どっちがいいではなくて、選択肢として存在すべきだと。
レッスンの子達が来てしまって、最後のその話が尻切れとんぼになってしまったことがとても心残りだが、マイノリティーだからこそ、先生には今後もマイノリティーを求める子達のために存在し続けて頂きたいと心からそう思う。
さて、今日のお話の続きはいつさせて頂けるだろう。
しかし、縁って本当に不思議だ。
出会うべき方とは必ず出会うようになっているということなんだろう。
とすれば、今ここに来てくれている子達全てとも、私は今ここで出会う運命だったということだろうか。
ひとつひとつの出会いに感謝し、それを大切に、また明日からも頑張っていきたいと思う。
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今日は体力的に限界が近づいているっぽいので、お許しを。
と、ここまで書いたところでお知り合いの先生から電話が!!
お久しぶりだったのでついつい長話になり・・・帰らないと日付が!(苦笑)
すいません。続きは帰宅後に。
では。
というわけで続き。(といっても大した内容ではないのですが・・・。)
今日は振替のレッスンがひとつあっただけで、あとは注文していた荷物が届く予定だったので、それとの格闘、できれば必要なものの買い物なんかもできたらと思っていたのですが、レッスン終了後間もなく巨大な箱が4つ届き、狭い教室はもういっぱいいっぱい。(苦笑)
どうにか場所を確保して箱を開き、開いた傍から箱を潰してたたみ、モノを取り出して雑巾がけし、それを4回繰り返し・・・。
箱から出たのはいいけれど、箱がでかいものでそれだけでも置き場が・・・。しかし、残念ながら筋金入りのペーパードライバーな私には2本の足以外足がなく、旦那もおらず、近くで車を出してくれる友人も・・・。(淋)
しかし、どうにかせねばならないと、とりあえず電話帳で古紙回収の業者さんに電話。個人で大した量じゃないので引き取りにお金がかかるとのこと。高くて2000円までといわれたので、微妙だけれど自分じゃ運べないし、タクシーに積んでとなるともっとかかるだろうし、それでなくても狭いのに置きっ放しはつらいしと、いつ来てもらえるか改めて連絡をもらうことに。
注文して届いたのは子ども用の机や椅子で、それに伴い処分するものも出てきて、こちらは更に悩みが・・・。
リサイクル業者、廃品回収業者、誰かにお願いして市の粗大ゴミ収拾場まで持ち込み、不法投棄(嘘ですよ、嘘。)のどの方法を選ぶべきか悩み、とりあえずまずリサイクル業者にひとつ電話。かなりアバウトな見積もりだけど、リサイクルできないと思われるので引き取り・処分で7千円ぐらいかと・・・というお返事。
次に廃品回収業者にかけたら、営業担当が出払っているとのことで戻ったら電話させるとのお返事。
とりあえず身動き取れなくなったので、机の配置換えをあ~じゃない、こ~じゃないとひとしきり悩み、そのうちあっという間に17時に!
17時には高校の同級生が帰省に合わせてお嬢さんたちと顔を出してくれることになっていたのだけれど、なんだかいつもに増して雑然としたままでお迎え。(苦笑)
1年ぶりの再会でしたが、子どもの成長って本当に早いですね。まだ赤ちゃんぽさが残っていた下のお嬢さんはもうすっかり「女の子」になっていました。
落ち着かない教室で、下のお嬢さんに使える教材や教具をお見せしつつ、しばしおしゃべりし、18時過ぎにお別れ。
再び作業再開。間でちょっと買い物にも出て、戻ったところに廃品回収業者の方からお電話が。
引き取ってもらいたいものは小さな本箱と組み立て式の椅子が3脚、組み立て式の机が1脚と、ホントに粗大ゴミに出せるサイズのものばかりだったのですが、乗用車で来てもらうだけで1万円、トラックを出したら1万5千円、それと別に回収・処分費用で、最低でも合わせて1万5千円と!!!
処分したいものが全部買えるってば!(苦笑)
とりあえず、ちょっと考えますと言って電話を切り、振り出しに・・・。(泣)
で、そんな見ず知らずの業者さんにそんなに払うぐらいなら、お世話になっているあの方に処分をお願いしてそちらにお礼をお支払いする方がずっと有意義な気がしてきたので、ダメもとでお電話をさせてもらったところ、いつもとてもお忙しくされているのに、晩遅い時間からすぐに来てくださって、「本箱ほしいです!他も捨てないかもしれません。(笑)」と言ってくださって、全てキレイに持って帰ってくださいました。ああ…本当に本当にありがとうございます!!(因みにアシストをお願いしている先生のおひとりだったりします。(笑))
というわけで、最終的には思いがけず最高の結果となり、本当に感謝感激あめあられな1日の終わりとなりました。
ずっとやらなきゃ、考えなきゃと数ヶ月悩み続けた配置換えがある程度でき、今回やったことであと何が必要かがはっきりしたので、今日は色んな意味で大満足だったかもしれません。
ただ・・・こればっかりは別注とかしない限りもうどうしようもなかったのですが、今回注文した机の色がどうしても気に入らない・・・。ペンキを塗るか、シートを貼るか・・・。
まだしばらく試行錯誤は続きそうです。
通ってくださっている皆様は、次回いらしてくださったらちょっと驚かれるかもしれません。(いや、案外驚かれずに淋しい思いをするかも・・・。(苦笑))
それにしても・・・いらないものを引き取ってもらうのってすごいお金がかかるのですねぇ。
時々、帰りにゴミ置き場にどう見ても間違いなく不法投棄でしょ?という感じで、車に大きなゴミをいっぱい積んでゴミ置き場ごとに2、3個降ろしている人達を見かけたりすることがありますが、不法投棄してしまう心情も(もちろん絶対ダメなことですが。)少しわからんでもないと、今回のことで学習しました。(苦笑)
貧乏性なので基本的にモノは捨てられないため、今回のようなことは本当に滅多にないこと(というかとりあえず生まれて初めて問い合わせたのではないかと)ですが、必要なものを計画的に買って大事に使うってことを、更に心がけたいものだと思った1日でした。
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タイトルからしてど~でもいい内容まるわかりですが、お暇な方だけお付き合いください。
あ。その前に。
石川やその近県で被災された皆様に1日も早く平穏な日々が戻りますように。
今日は休日。先週は週半ばにお休みもあったし、日月とお休みだったのになんだか疲れているのはなぜって感じの週末でした。
おまけに、なぜか最近やたら食欲があり、気づけばお腹周りが非常に危険な感じ・・・。塾講師時代は立ち仕事、歩き仕事みたいなところがあったけど、今は殆ど座っているので、絶対に足腰も衰えてきているし・・・。
ちょっとどうにかしなきゃとは思うものの、性格的にスポーツクラブに通う気にはなれず、当然エステとかで痩せさせてもらうほどのお金もなく(あっても貧乏性だから多分無理だけど)、早起きして走る決心もつかず、自転車通勤復活の決心もつかず・・・・・・。
う~ん、このままではいかん。どうにかせねば・・・。
貧乏性といえば、私は掃除が不得意科目でもある上、ものをなかなか処分できないというのは以前ブログで告白済みですが、最近ほんの少しだけ意識が変わってきているような気が。
以前はそう高くない(もしくはお手ごろな)服やカバンで気に入るものがあれば、次々と買っていて、正直なところ、服もカバンもかなりの数持っていたかと思います。
まあ、もともと好きですし、会社員時代は職業柄ってこともありましたから尚更。
で、びんぼ~になって、会社員時代ほどは買えなくなった時期もありましたが、少し落ち着くと昔よりは安い価格帯に移行しただけで、結局買い物は結構していました。
独立して1年半ほどは色々物入りでしたし、教室もまだかなり淋しい状態でもありましたので、「早くまた好きな服が買えるぐらい(因みにもともと高いものは買わないんで、たかが知れてます)の収入になりたいなぁ」と願っていたりもしました。
それがホントにこの1、2年、買おうと思えば買えないわけではなくなったのですが、殆ど買わなくなってしまいました。
仮に1000円のカットソーが適度に可愛くても、すごくほしいわけでもないしなとあっさりやめることができるようになりました。
若い頃の服はさすがにもう着ないなぁと実家の母に頼んで、母が要らないものは従兄の子どもなどに送ってもらったりと順々に処分しているため、ワードローブは年々すっきりしていっています。
そして、ここに来てやたら気になっているのがカバンで、実はちょっとだけいい仕事カバンがほしいなぁと数ヶ月前からあれこれ見ているのです。
けど、なかなか決断できず、いくら「いいカバン」がほしいからって、一流ブランドの5万も10万もするようなカバンは使うのに緊張しそうな小市民でもあるので買うこともできず、絶対これがほしい!というものにはまだ巡り合えていないものの、最近ほんの少しだけまともなカバンを2つ購入したのを機に、しまいこんであったカバンを一気に整理することにしました。
すると・・・出るわ出るわ・・・結局クローゼットの下にしまいこんでいた仕事用カバンは20個ほどあって、悩んだ末、5つほどは持っておくことにしたものの、他は全て手放すことに。
思い切って捨ててしまおうかとも思いましたが、とりあえず処分は実家の母に託しました。(苦笑)
気に入ったものをほんの少しだけ。
そんな生活がきっといいんだろうなと思い始めています。
そうは言ってもまだまだ狭い我が家はモノだらけではありますが、少しずつ厳選していきたいなと思う今日この頃です。(ホントに全然ど~~~でもいい話題でスイマセン。)
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忙しくなり過ぎると、よく言われる「忙しい=心を亡くす」になってしまうので、体験、新規募集など休止し、保護者向けの企画も滞ったままで気づけば3月も下旬。あと僅かで新年度がスタートしてしまうのかと、ちょっとぞっとする今日この頃。
普通の塾さんは今頃春期講習とかでバタバタしておられるのだと思いますが、うちなんてもう来週は通常レッスンお休みにしてしまっているもので、ちょっとだけ心の余裕が復活中です。
4月は1日日曜からいきなり連続レッスンになってしまっていますが、3月最終週はレッスンがない日に新年度の準備や、極めて狭いスペースをいかに有効に使うか、ない知恵を絞りつつ過ごすことになりそうです。
明日はお休みを頂きますが、月曜は午前中に1レッスンだけ。火曜は午前中と夕方、あとひとつ日中にレッスンが入る予定と、遠方から来客があるかもという感じ。水曜は結構先週が祝日だったこともあり、結構びっちりレッスンで、木曜と土曜はレッスンはお休みさせて頂きますが、3月30日、4月1日、2日はご希望がございましたらお気軽にお申し越しください。
新年度のレッスンが実際にスタートしました後、何曜日のどの時間であればお受けできるか最終確認をした上で、改めてご案内させて頂きます。(数名、体験をお待ち頂いている方などがおられますもので。)
今の感じでは小学生さんは曜日やお時間によっては若干お受けできるのではと思っておりますが、幼児さんにつきましては今しばらく募集休止を継続させて頂くことになるかもしれません。
もしももしもご興味を持ってくださっている方がおられましたら、何卒ご容赦ください。
尚、それまでにご家庭で始めたいとか、とにかくまず一度体験をしてみたいというご希望がございましたら、そろそろ体験は再開させて頂けそうですので、ご遠慮なくお尋ねください。
それでは皆さまよい週末を。(神戸は雨ですが・・・。)
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こういうニュース大好き。
こういうのこそが「本物の学び」なんだろうなぁって。
ホントすごくすごくいい顔をしておられる。
見ているだけでこちらまで幸せになれそうな素敵な笑顔だ。
なんか、私ももっとしっかり頑張らなくっちゃ。
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たまたま訪れたブログでちょっと気になる記事が書かれていた。
この先生のことは存じ上げないのだけれど、お近づきになりたいなぁと思う記事をこのほかにも沢山書いておられるようだ。
うちには中学生は殆どいないので、この単元を一緒に勉強する機会は少ないのだが、やはり私はこの先生が書いておられるように、公式を教えようとは思わないし、実際、教えて「覚えてね」と言ったことはない。
この公式は本当に必要なんだろうか?
この公式があるばっかりに、かえって問題を難しくしているような気がしてならない。
更に、扇形の弧や中心角から発展して、円錐の側面積やら側面の扇形の中心角やらを求めるような問題になってくると、中心角を用いる公式と円弧を用いる公式が別々に教えられたりすることもあり、それこそ、どのときはどっちを使うんだ?というような混乱が生じ、子ども達はますます難しく感じるようになっていくように思える。
公式なんて教えずに、まず問題を与えてみればいい。
もちろん、円周は直径のπ倍であるとか、1回転は360度であるとか、そういう予備知識は必要だけれど、そういうことがわかっている子にであれば、逆に何も説明せず、教えず、「どんな方法でもいいから、まず考えてみて」という方が余程有効なのではないかと思う。
もちろん、数学がとにかく苦手で、コツコツ努力することは苦にならないけれど考えるのは苦手でやりたくないという子などには公式があることで救われる部分もあるだろうし、そういう努力ができる子は、それもそれで立派な才能だとも思うので、覚えたい子は覚えたらいいのかもしれない。
ただ、覚えなくてもいいものを覚えるのはイヤだとか、めんどくさがりだからコツコツ何度も繰り返すのはイヤだとか、そういうタイプの子であれば、まずは説明しない方が効果的なのではないかと思うのだ。
先のブログでも書いておられたが、扇形であれば半径または直径と円弧の長ささえ分かれば、公式を教えなくても中心角は求められる。多分、うちの4年や5年のスーパーちゃんにπの代わりに3.14で問題を作ってやらせてみたら、多分勝手に解いてしまうだろう。
円錐の問題であっても、底面の円周と側面の扇形の弧の長さが分かれば中心角や側面積を求めることは決して難しくない。
公式として教えられてしまうと、それに当てはめようという発想が先にたってしまいがちだから、仮に底面の円周が10πcm、側面の扇形の半径が10cmなら全円であれば円周は20πcm、しかし10πcmしかないんだから2分の1ってことだ。
更に突き詰めていくと、底面の半径と母線(側面の扇形の半径)の長さの比だけで簡単に解けるようにもなっていく。
小中学校で習った「公式」と呼ばれるもののうち、本当に教えるべきもの、覚えるべきものは一体どれだけあるのだろう?
実際、教室の子ども達には長方形や正方形の面積の公式は、面積が求められるようになってからさらっと触れるだけだし、速さや割合の公式などは教えない。
というか・・・今色々思い返しているのだが、「これが公式ですよ」と教えたものは何もないような気がする。
三角形の面積は長方形の中に三角形を書くことで子ども自身が気づく。平行四辺形であれば、直角三角形の部分を切り取って反対側の辺にくっつければただの長方形になるということにさえ気づかせれば、やはり公式を教える必要はない。
台形だって、あとは応用で勝手に解いていくし、無理なときにはひっくり返したものをもうひとつくっつけてやるなり、2つの三角形に分けてみるなり、両端の直角三角形の部分を切り取ってみるなり、気づかせ方はいくつもある。
まあ、円の面積や円周の公式ぐらいは覚えておく方がいいのかもなぁとは思うけれど、そのほかでこれは覚えておかないと!というようなものは、特に小学校の学習内容に関しては殆ど思い当たらない。
公式を教えることで、せっかくの子どもの「考える機会」を奪っているということもあるのではないだろうか。
公式を教え、覚えさせて使わせる。
それを全て否定する気はないけれど(それで救われる子も少なからずいるはずなので)、それが本当に覚える必要があるものなのかどうか、もう一度考えてみるのも大切なのではないだろうか。
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先日のレッスンでのある男の子とのやりとり。
文章問題の中に「10円が3こ、5円が3こ、1円が15こあります。ぜんぶでいくらですか。」というような問題があった。
ふと見ると、彼のプリントには「3+3+・・・」と式が書き始められており、気づいて尋ねてみた。
「ねぇ、10円が3こだよ?10円が3こでいくら?」
当然すぐに「30円」という答えが返ってくるものだと思っていた。
しかし、彼は「13円?」と答える。
これは全くイメージできていないなと、「10円を3つ描いてみて」と言って描いてもらったのだが、それでも気づかない様子。
お財布を持ってきて、目の前に10円玉を3つ並べたのだけれど、な~んだ、30円かという反応ではなく、「30円?」と少し不安そうに答えた。
続いて5円を3個に移ったのだが、彼の口から出たのは「30円?」だったのだ。
これってなんなのだろう?
「5円が3個よ?」と尋ねてもぴんとこない様子で、「5円と5円と5円よ?」と、5を強めて言ってもダメ。
だけど、「5と5と5よ?」というとすぐに「15!」と答えた。
計算ができないわけではなく、彼は目の前の5円が3個で15円になるのだということに実際の生活で出会ったことがなかったのかもしれない。
実際、最近は子どもだけでお使いに行かせることも減っているだろうし、親御さんによっては、小さいうちからお金のことは知らなくたってとお考えの方もおられるようだ。
実際に触れる機会が減れば減るほど、それは自分とは遠い、よくわからないものになってしまうのではないだろうか。
仮に、私の目の前に行ったことのない外国の硬貨をいくつか並べられて、「これでいくら?」と聞かれたなら、まあ、大人なのでもしアラビア数字で書かれていれば、合わせていくらになるのかは通貨の単位がわからないとしても答えられるかもしれないが、少なくとも実感は伴うことはないだろう。
ましてやまだ小さい子であれば、まだ抽象化ができなかったりもするだろうから、どんなものでも5と5と5を合わせたら15で、鉛筆なら15本、うさぎなら15羽、飴玉なら15個、お金なら15円と、単位だけが変わるのだということはまだ理解できないかもしれない。
これまでにも、1年生の男の子で5円玉を見たことがないと言った子がいたが、その子はやはり5円が3個でと言われても、なかなかぴんとこなかった。
お金を払って自分で何かを買うことは殆どないという3年生の女の子も、お買い物のお釣りなどの問題ではかなり苦戦した。
結局、経験の差なのだろうかとも思ったりするし、そういえる面もあるとは思うのだが、一方で親御さんが特に何の働きかけもしていなくても、お金の計算はすごく得意な子もいる。1万という数はよくわからなくても、千円札が10枚で1万円になるということを知っている幼児や1年生はいる。
結局、個人差と言ってしまえばそれまでなのだろうし、また、それもある面では紛れもない真実なのだとは思うのだが、お金の感覚を子どもにも身につけさせることは、算数や数学を考える上でもとても有効なのではないかと私は思う。
別に子どもの頃から経済の流れを教えろとか、お金儲けの方法を教えろとかそういうことではなくて、ただ単にお買い物をすればちょうど払わない限りお釣りがくるということや、10円が5個なら50円、100円が3個なら300円、1円が10個集まったら10円1個と交換できるし、10円が10個集まったら100円1個と交換できる・・・、そんなことを子どもの頃から少しずつ経験として知っていくことは、その後の学習でも役に立つことがとても多いと思うのだ。
しかし、自分の子どもの頃を振り返ってみても、うちの母はものを食べるときには必ず「うがい・手洗い」をするよう厳しく言っていたので、小学校の間は駄菓子屋などでお菓子を買って食べるということは殆どなかったし、本屋さんで雑誌などを買っていたことはある気がするが、少なくとも低学年の間に頻繁に外でお金に触れた記憶はない。
ただ、それが影響しているかどうかはわからないが、ふと思い出したことがある。
母は私が幼い頃、とても丁寧に家計簿をつけていた。そろばんをはじきながら、レシートの項目をひとつひとつチェックして、お財布の中のお金と合っているか確かめる姿を、私は毎日のように目にしていた。それは私にとって見慣れた光景になっていた。
きっと、私がお金を数えるのが好きだったというのは、母のその姿を見ていて影響を受けたのだろうと気がついた。
家計簿に書き込まれた数字をそろばんで足していく母の姿を見ながら、何も教わらなくても私は何かを学んでいたのだろう。
10円が10枚で100円だと母に直接教えられた記憶はないが、母が小銭を数えているときに、隣りで一緒に同じ種類のお金を集めて10枚ずつ積み重ねたりはしていたような気がする。私にとってはそれは遊びのようなもので、その経験を通じて知らず知らずのうちに位取りなどの学習をしていたのかもしれない。
ある時期にはおもちゃのお金のセットを買ってもらって、おままごととして「銀行ごっこ」なんてものもやったような気がする。
それも全て「遊び」であり、誰かに強制されたこともなく、やりたくてやっていただけのことだった。
お金を数えるのは好きだったが、私は親にものをねだったことが殆どないし、ねだってまで何かを買ってほしいと思うこともあまりなかった。
お金を数えるのが好きだからと言って、守銭奴になるとか、お金に汚いヤツになるとか、そういうことはないのではないかとも思う。
昔のこと過ぎてよくわからないが、今の子どもは小さい子であっても、「貯金が○万円もあるねん!」とか、「100万円あったらいいなぁ。」とかそういうことを口にする子が少なくないのだが、自分がそのぐらいの頃は、1万円がどのぐらいの価値があるのか、親のお給料がいくらなのか、そういうことには殆ど興味を持ったことがない。(おかしいかもしれないが、実際、親の給料は結局ずっと聞いたことがないままだったし。)
なんだか話がまとまらなくなってきたが、とにかく、小さいうちからお金に触れさせるとお金に対してうるさい子になるんじゃないかしらとかそういう心配をしておられる親御さんがおられるのであれば、お金を数えるのが好きだったけれどお金には執着していない私という人間もいることだし、教えて覚えこませようということではなく、普段から、うちの母が家計簿をつける姿を私に見せてくれたように、日常でのそういう姿を見せるであるとか、銀行ごっこや両替ごっこなどをして遊んでみるとか、そういうことをしてみられてはどうだろう。
実際、4桁や5桁の数を量としてイメージすることはなかなか難しいけれど、お金であれば1万はお札1枚、10万だってお札が10枚だ。
「1000」と聞けば大きな数と感じる子どもも千円札であればたったの1枚の紙だ。
計算する上で何かイメージできると強い。そのことからも、普段からもっとお金に触れる機会を持たせてみてもよいのではないだろうか。
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今日は祝日なのでレッスンは2つだけと少なめ。
時間に少し余裕があったので、普段あまり覗いたことのない方のブログを覗いてみた。
たまたま幼児や小学生をメインに指導しておられるらしい女の先生のブログに辿り着き、私と同じだなぁと思いながらいくつかの記事を読ませて頂いたのだが、ブログの限られた情報からだけの判断ではあるものの、どうやらやっていることはかなり違うようだった。
というか、その先生がやっておられるのは所謂一般的な「塾」のイメージそのままで、きっととても熱心に一所懸命子ども達にために頑張っておられるのだろうなということは伝わってきた。
書かれている記事の中に、「割合をどう教えたらいいのだろう」とか、ご自分の指導力が足りないのではと悩まれる記事がいくつかあった。
それを読むだけでも、どれだけ真摯に考え、子ども達と向き合っておられるかが伝わってきたのだが、反面、「教えようとするから悩むのでは?」とも思っている自分に気がついた。
教室を始める前の私は、いつもいつも、いかに子ども達にわかりやすく説明するかということを考えていた。
どうすれば難しいことを難しいと感じないで身につけてくれるかということが最大の関心事で、そのために自分ができることをあれこれ考えて実践もした。
しかし、子ども達は前回の授業のことを次の回には忘れていたり、ミスしやすいポイントをどれだけ繰り返し念押しをしようとも、何度も同じミスを繰り返したりしていた。
自分の指導力が足りないばかりに・・・と私はずっと自分を責め、悩み続けた塾講師時代だった。
けれど、今の学習法に出会い、他にも尊敬する素晴らしい先生方に出会い、「教えなくてもいいんだ」と気づいたことは、私にとって大きな大きな収穫となった。
もちろん、長年わかりやすく説明することに力を注いできた人間だから、すぐすぐ「説明」をやめることは難しかった。
言ってしまって反省し、次こそはと努力し、教えずにお月謝を頂いていいのだろうかと日々葛藤もし、試行錯誤する中で目の前の子ども達が驚くような変化を見せ始めてくれたのだ。
(ああ、教えなくっていいんだ。)と目の前の子ども達を見ながら、少しずつ確信を深めていった。
そして、3年半あまり経った今は、「説明は子どもには退屈なもの」だと思うようになり、必要最低限のことしか説明はしないし、基本的には「まずやってみて、わからなかったら言ってね」という、普通の塾の先生方から見れば、「乱暴この上ない」スタイルを取るようになった。
先の先生が悩んでおられた「くらべる数、もとにする数、割合」だって、うちの子たちにはその言葉を使って指導したことがない。
割合の問題は百分率や歩合の表記についての説明は多少はしなければならないとしても(といっても、それも説明というよりは作業を通して気づいてもらうという方が近いかもしれないが)、実際の問題に関してはそもそも説明をする必要があるのかどうかを改めて考えてみるといいのではと思う。
本当に「公式」を覚える必要などあるのだろうかということを。
もちろん、苦手な子が多い単元ではあるし、うちのスーパーちゃんたちでも「スラスラ」とまではいかないこともあったが、少なくとも私がここで「割合」を一緒に学習した子達は「割合の公式」を知らない。(レッスンのあとで学校で習えば一応知ってはいるだろうけど。)
しかし、教科書よりずっと難易度の高い問題でも考えて解くことができる。
必要なことは「割合」というのがどういうものなのかを理解することだけなのではないかと思う。
2つのものがあり、それを比べたとき、もし片方が10個でもう片方が30個であれば、10個と比べれば30個は「3倍」だし、30個と比べれば10個は「3分の1」だ。その「3倍」とか「3分の1」と言っているものが「割合」と呼ばれるものだということさえわかれば、それまでの学習をきちんと考えて積み上げてきた子達であれば、勝手に考え始める。
「○○の0.5倍」とか書かれていれば、「倍」なのだから掛け算だということは一目瞭然だし、「△△の10%」と言われれば、10%が0.1もしくは10分の1とわかっている子はそれを掛ければいい(もしくは、10個に分けたひとつ分を考えればいい)とわかる。(少なくともうちの教室のこれまで一緒に割合を学んだ子たちはできた。)
覚えさせようとするから、かえって子どもは難しく感じるし、覚え間違っておかしなことをしたりするのではないだろうか。
「まずは教えない」というところからスタートするようになって、それまで見えなかったものが色々と見えてきた。
昔の私のように、自分の指導力のなさを悩んでおられる先生がおられたら、そういう方法もあるのだということを知れば楽になるかもしれないのにと、ちょっとそんなことを思った。
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正確には「再会」ではなく、ネットを介しての・・・なのだけれど、小6のときのクラスの人たちと再会することができた。
そもそも、小6のときの担任の先生が来年で定年を迎えられるということで、有志たちがクラス会を企画してくれたのだけれど、土曜の一般人が集う時間には私は集うのが難しく、おまけに、初めに誘ってくれた友人の話では、集まりたい人たちがこじんまりとって感じだったので、ひとまず欠席にしてもらって、顔を出せそうなら出したいと返事をしておいた。
しかし、ちょうど極めてバタバタしていた頃で、覚えていれば2次会か3次会には間違いなく顔を出せたはずなのに、思い出したのは翌々日のことだった・・・。
その後も結局なんだかんだバタバタしていて、参加した友人が、同級生のひとりがそのときの写真をネットで見られるようにしてくれたので、時間があるときに覗いてみてねと言ってくれていたにも関わらず、携帯メールだったこともあり、読んだ後しばらく忘れてしまっていた。
この日曜に別の友人が改めてまた「よかったら覗いてね」とメールをくれたので思い出し、ようやく昨日覗きに行ってみた。
すると、予想外の大盛況で、卒業後20年以上(とかなりぼやかしてみる)経ってのクラス会だというのに、どうやら15人以上は集まった様子だ。
写真を見ると、びっくりするほど変わっていない子や、大人にはなっているけれど面影はしっかりある子、中には写真では誰だか全くわからない子と色々な子がいたが、そこには掲示板が併設してあって、参加者も参加できなかった人たちも、すでに沢山の交流がなされていた。
全てをくまなく見るにはあまりにも多い量になっていたので、ところどころは斜め読みしながら、懐かしい名前、ニックネームが飛び交う掲示板をしばし読みふけった。
関東でバリ式(?)マッサージのサロンをしている子がいたり、大阪府某市で「セレブなマダム」をしているという子がいたり、かと思えば岐阜でNPOとして自然学校のようなものをやっている子がいたり、中には漁師さんまでいたり。。。
そこには本当に色々な個性、色々な職業が集まっていた。
そして思ったのだ。
これはやっぱり公立小学校、公立中学校ならではのことなのではないかと。
昨年、高校の同窓会があったが、もちろん中には牧場をやっている人や飲食店をやっている人、質屋さんなどもいたが、学年全体ではやはり殆どがお堅い職業についている人、難関資格といわれる資格を持つ人が多かった。
それがいいかどうかは別として、職業の散らばり具合がかなり狭くなっているというか、分布図みたいなのを作ったら、ある部分に点がいっぱい集まって、そこを離れると極端に点が疎らになっていそうなイメージである。
しかし、恐らく、小学校の同窓会をしたとして、みんなに職業分布図に点をつけてもらったら、きっと高校の同級生より遥かにバラエティーに富んだワクワクするものになりそうな気がする。
(そういえば…、ひとりは「ヤ」のつく職業(?)で「本物」になっていると以前同級生に聞いたこともあったな・・・。)
公立小中学校は、そのまま「社会」なのかもしれない。
パン屋さんがあり、八百屋さんがあり、ファーストフード店があり、漁師さんは魚をとり、酪農家は肉や乳製品を提供する。
お医者様もいれば、看護師さんも、薬剤師さんもいたりして、そうかと思えば、学校の先生もいて、塾の先生もいて、美容師さんもいれば、エステティシャンもいる。もちろん所謂サラリーマンって人もいるだろうし、社長さんとかもいるかもしれない。
ホントに想像でしかないし、どんなことにも例外はあるものだから、当てはまらないと言われればそうですねといわざるを得ないけれど、小学校受験や中学校受験で私立の学校に行った子達が大人になって同窓会やクラス会をしたとしても、きっと公立の学校の子達ほどバラエティーに富んではいないんじゃないだろうか。
そう思うと、やはり私はせめて小学校ぐらいは公立でいろ~~~~んな子ども達の中で過ごすのが、後の人生をより楽しくしてくれるような気がする。
ま、私の場合、その後もず~~っと国公立しか行かなかった人間なので、私立と比べることはできないのだけどもね。(苦笑)
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あの後、実は母が更にボケて、よそにかけるつもりがまたうちに電話が・・・。
ついでなので、ことの真相を確かめてみた。
どうやらNHKでカバン作りかなんかの番組をやっていて、それを揃って見ていたそうな。
(私の職人好きは父譲りなのかもしれない・・・。)
それを見ていた父が
「○○○はランドセル大事にしとったから、中学校にもしょって行っとった。」
と言い張ったそうな。
母がそんなことはないと言っても、父は頑なに言い張ったとか・・・。
う~ん。。。実にこの上なくお似合いな夫婦。
それにしても、父が私が小学生の頃、ランドセルをとても大事に使っていたことを覚えていたことにちょっと感動。
小学生の頃は、小さい間は父は仕事が忙しかったし、高学年になったら私の「父嫌い」が始まって、殆ど会話も交わさなかったはずなのに。
ホント、親とはどこまでもどこまでもありがたいものである。
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極めてど~でもいい話なのですが、あまりにインパクトが強過ぎて、誰かに言わずにおられないというか……。
今日もレッスンはないので、午後から出勤して仕事しようかなと思いながら、まだ自宅でまったりしていたときのこと。
滅多に鳴らない自宅の電話が鳴りました。
日中自宅の電話が鳴るのはほぼ100%、セールスかそうじゃなきゃ実家からです。
とりあえず出てみると、母の声。
昨日何か忘れてたのかな?と思っていると、
「忙しいのにごめんね。あなた、中学校でもランドセルしょって行ってた?」
・・・・・・・・・。
本気でボケたのかとちょっと焦る私。すると母が続けて、
「しょってってないよねぇ?」
「う、うん。当たり前やん・・・。」
「ほらぁ!お父さん!しょってってないって言ったじゃない。」(父に向かって言っている。)
「お父さんがね、○○○はランドセル大事にしてたから、中学でもしょってってたって言うのよ。そんなわけないよねぇ。恥ずかしいよねぇ、中学生が。」
・・・・・・・・・。
父上よ・・・。孫でもいれば、そんなボケをかますこともなかっただろうに・・・。ホント申し訳ない。
しかし、母上、あなたは趣味だかボランティアだかでこども達の集まりやらなんやらにも行ってる人よね?なんで「ランドセルは小学生しかしょってない」と断言できないかね?(苦笑)
う~ん・・・。
年齢を考えたら、両親ともお蔭様で体は本当に元気でいてくれているけれど、この質問っぷりってさすがにやばい?(苦笑)
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休日ネタ。
殆どテレビを見なくなって久しいので、特に連続ドラマの類はいつから見ていないかわからないけれど、日曜の実家での家族団らんの際、これまではずっと「あるある」を見ていた我が家でも、見るものがなくなってしまい、そのまま「華麗なる一族」にチャンネルが合わされるようになった。
このドラマの原作者の山崎豊子氏といえば、まだ幼い頃に見た「白い巨塔」の原作者でもある。数年前に設定を現代に手直しして、新たなキャストでドラマ化されたが、またそれも見た。
今回は予想外の展開で、本来なら見ることのなかったはずのドラマを見ることになったわけだが、しみじみ敬服してしまった。
よくこれだけのものが書けるなぁと。政治の裏世界、企業の裏世界、実際にこんなことがあるんだろうなぁと思うことが次々と描かれつつ、何よりすごいなぁと思うのは「根っからの悪人」という人物がいないことだ。
北大路氏が演じる父親も、ある意味で被害者であり、それを思えば単純に彼が悪人とも言えないし、その他、どちらかといえば「悪役」側の面々も最終的にはみんな善人の一面、弱い一面を垣間見せた。
ま、最終回であんなすごいオチがあるとは思ってもみなかったけれど・・・。
小説家ってすごいなぁと思うけれど、山崎氏ってどんな方なんだろうなぁ。
こんな作品を書けるなんて、どんな頭の持ち主なのか、私には全く想像もつかない。
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年間予定で3月最終週は28日水曜を除いて、26日から31日は通常レッスンを全てお休みにしました。
ただ、風邪などでお休みされた方や、春休みで予定がおありで4月の初めにお休みされる方などの振替等をお受けしておりますため、現在、3月26日、27日、28日、30日、4月1日、2日は既にレッスンをすることが決まっております。
28日は既に埋まっているお時間がかなりありますが、他の日につきましてはまだ十分空きがございます。
もしも、追加のレッスンをご希望の方や、一度受けてみて、よさそうなら教材を買ってご家庭でやってみたいと思っておられる方などのレッスンをお受けできそうです。
もしもご希望がございましたら、お気軽にお申し越しください。
尚、3月25日、29日、31日は新年度に向けての準備等の時間として確保したいと思っておりますので、それらの日はレッスンをお受けできません。
何卒ご了承くださいませ。
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小さい子が圧倒的に多い教室にしては、普段、病欠などの振替がかなり限られているのだけれど、今週はお休みが多かった。
用事でお休みの子もいるにはいたけれど、風邪引きさんやインフルエンザにやられて・・・って子が結構いた。
3月も半ばになって急にこんなに冷え込んだら、そりゃあ体調も崩すだろうと思いながらも、お蔭様で私は相変わらず元気に乗り切っている。
もうホントにホントにどうでもいい余談だけれど、先日、ふと気になったので実家で家族に尋ねてみた。
「ねえ、インフルエンザってかかったことある?」
それに対し、
父「ない」
兄「多分ないなぁ」
母「私は予防接種したから」
(母だけ微妙に答えがずれている気がするが・・・。)
因みに、私もこれまでかかったことがない。
相変わらず健康家族だなぁと思っていたのだが、それにはまだ更なるエピソードが。
つい先日、母から郵便局の保険がどうのこうのという話があった。母の保険が満期になったとかって話だったのだが、我が家は父は働く人で、家計を管理していたのは全て母だったので、保険でも貯金でも父は何にも知らないし、私達も知らぬ間に全ては母が段取ってくれていた。
つい先日、母の保険が満期になったので郵便局さんが手続きなどで実家を訪ねたときのことを聞かせてくれたのだが、
「ず~~っとかけてたけど、家族みんな一度も使ったことないのよ。」
と・・・。
そうか、やはり「家族みんな」だったのか・・・。
おまけに満期が来ても掛け金の半分ぐらいしか返ってこないとかで、母は笑いながら
「ああ、死んだら全額もらえるんだったわ。」
と・・・・・・。
健康なのは本当に本当に本当に本当にありがたいことだけれど、両親揃ってそこまで健康だと、きっと自分も大丈夫と思ってしまって、わざわざ保険に入ろうって気になれない。それも困ったものだ。
まあ、それにしても家族揃って健康というのは、本当に本当に何にも代え難くありがたいことだなと思う。
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この春から、もともとお知り合いの方お二人にとりあえず当面は週に1回か2回ずつアシストに入って頂くことがほぼ決まった。
お二人ともとてもお忙しくされているので、3月はお時間の都合のつくときに実際のレッスンを見て頂いて、子ども達にも馴染んで頂こうと、研修ともいえないような感じで来て頂いている。
お一人はこれまでもずっとお子さん達を指導してこられた方で、もうお一人は以前私が勤めていた塾にお子さんを預けてくださっていたお母さんだ。
そこにいてくださるだけで、こんなにも気持ちの余裕ができるのだなとそれはちょっと驚いたのだけれど、極端な話、これまではレッスン中に荷物が届いても、電話が鳴っても、とにかく必要最低限で切り上げなくてはいけなかったし、立て続けにレッスンがあると、トイレに行くのさえ至難の業だったりもした。
子どものことを見てくれている人がいるだけで、私にも余裕が生まれるのだなと、初めての経験にちょっと驚いた。
まあ、そうは言っても、当面はひとりの日も少なからずあるし、来てくださることになっている曜日でも1コマ目や遅めの時間のレッスンはまた私ひとりに戻ったりもするのだけれど、信頼できる方が一緒に子どもを見ていてくれるだけで、気持ちがこんなに違うもんなんだなぁと。これならまだまだ頑張れそう。そんなことを感じつつある。
しかし、新たな発見もあった。発見というか、普段もう自分にとっては意識しなくなっていることだったので、改めて思い出したことというべきか。
アシストして頂く時間は主に幼児さんや低学年の子達のレッスンなので、大人が見ればいくらでも「教えられる」、「説明できる」内容だ。
3人一度にレッスンをしているときや、電話がかかってきてちょっと机を離れたときなどに、アシストしてくださる先生が子ども達にかけてくださっている言葉を聞いて、「あ!それはやめてもらわなきゃ!!」と思ったことがある。
多分、普通ならあり得ない、おかしなお願いだ。
お一人の先生にはまだお伝えできていないので週末にはお伝えせねばと思っているけれど、もうお一人には昨日レッスンのあとにお願いした。
「教えないでください」と。
小さい子に向かって、「これは○○よね?」と尋ねる。それがわからない場合やぴんとこない場合に、「わからない」とか「なんで?」とか言える子もいるだろうけど、誘導尋問のような感じで、なんとなくわかった気になって「うん」と答える子も決して少なくないはずだ。
「これは××になりますね。わかりますか?」と尋ねれば、「わかりません」と答えられない子だっている。
ここで私がずっと意識してきたことは、どんなことでも極力「子ども自身に気づかせる」ということだ。
例えば、お一人の先生が教具を並べてそれを指差し、「これで100よね?」と子どもに尋ねた。
まあ、その子はそれを見れば100だということはわかる子でもあったので、構わないといえば構わないのだけれど、私は教具を並べた後、子どもに言葉をかけるなら「これいくつ?」だ。
考えればわかる簡単なことを、わかっているだろうと思って説明してしまう、念押ししてしまう、そんなことを繰り返せば、そのうち子ども達は「考えなくても説明してくれる」と思うようになってしまう気がする。
もちろん、アシストの先生は、多少なりともお給料をもらうのだから、何かしなくては!と思ってくださるのだろうということもよくわかっていたので、そのお気持ちはわかった上で、「待てる限りじっと待っていてください」とお願いをした。
私の仕事は「教えること」ではなく、「見守ること」、「気づく手助けをすること」、「共に考えること」・・・そういうことなんだろうと思う。
手伝ってくださいと言っておきながら、「教えないでください」ってのもなんだかかなりおかしなお願いのような気もするが、そこは絶対譲れない、最大のお願いなのである。
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この仕事をし始めてから初めてのことかもしれない。
「ああ、今日は入試だったんだなぁ」と、そんな風にこの日を迎えたのが。
会社員を辞めて、子ども達と勉強するようになってからずっと、受験生には縁があった。
自分で教室を始めてからも、ごくごく僅かではあっても、この時期に中3で公立を受験する子がいたので、卒業式だなぁとか、いよいよ入試だなとか、発表までドキドキだなとか、そういうことには縁があったのだが、今年初めてそれに縁がなくなった。
なんだかとても不思議な気分ではあるけれど、今後ますますそうなっていくんだろうなとも思う。
おまけに中学受験にも対応していないのだから、「受験生」に縁のない日々になっていくのだろう。
きっとそれは私がそう願っていたからなのだろうと思う。
別に積極的に中学生を受け入れないことにしたわけではなかったし、募集休止を決めたのはこの数ヶ月のことだ。
ただ、随分以前からずっと思っていた。
私自身が親共々「受験」に対して恐ろしく疎く、中学受験なんて微塵も考えたこともなかったし(そういうことがあること自体あまりはっきりとはわかっていなかったし)、高校受験に到っては、本当に何もわかっておらず、担任の言われるがままに受験をしたなんていう、非常に「てきと~」な進路を歩んできた人間だ。
さすがに大学受験というか、高校に入ったあとの進路については自分なりに真剣に考えはしたけど、私の選択肢は大学の教育学部かデザインの専門学校かという、世間一般にはかなり珍しい2択だったのだと思うので、ここも結局は担任の助言によって導いて頂いた感じだ。
そんな自分の人生を振り返りつつ、結局はそのときそのときを一所懸命生きていれば、自分にとって最もふさわしい場所が与えられるんじゃないかと思っているところがある。
例えば、私は就職活動で結構苦労したのだが、それまで落とされた会社に採用されなかったからこそ、私を採用してくれた会社に巡り合ったのだし、小さな会社ではあったけれど、自分にとっては少なくとも受けた中では最もよい選択だったのではないかと、負け惜しみでもなんでもなく、そう思えた。
つまり、仮にすごくすごく行きたいと思っていた学校に進めなかった子がいたとしても、実は不本意ながら通うことになった学校に、その子が経験すべき何かがあるということなのではと思ったりするのだ。
こんな考え方なものだから、受験生を見ていても、他の先生方が「胃が痛くなりそうだ」とか「発表前はゆっくり眠れない」とか言っておられるのを聞いて「すごいなぁ・・・」と思っていたぐらい、その子がしっかりと頑張っているのであれば、その子にとって一番いい結果が出るのだしと、半ば無責任に見えるであろうスタンスでしかいられなかった。
私は子ども達が大好きだし、もちろん志望校には合格してほしいとは思っていたけれど、もしも不本意な結果だったとしても、きっとそれが今のその子にとっての「よい結果」なのだと、本当にそう思ってしまっているので、そんな私は受験生を持つ親御さんから見ると、きっと無責任で薄情に見えるだろうなと。そんな私が受験生を見るのは、きっとやめておいたほうがいいんだろうなと、そう思うようになった。
そして、結果的にそれに近い状態になりつつある。
私は子ども達が「学ぶこと」に興味を失わずにいてほしいとは思うし、勉強ができなくて劣等感を持ってしまったりするのは可哀想な気がするから、そのためにできることは精一杯やりたいと思っているけれど、「受験」にはどうしても熱くなれないのだ。
苦手なことは私が無理しなくっても、きっと沢山やってくださる方がおられるだろうし、得意な方にお任せする方が子ども達のためでもあるだろう。
なんだかますます異端の道を進んでいく一方だけれど、それも私の運命かと思う。
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先日、この春にこちらに引っ越してこられるというお母さまからお問い合わせのお電話を頂いた。
ネットで見つけてくださったようで(まあ、近隣の方以外だと、それ以外に見つけて頂く方法はないはずだけれど)、ありがたいことにブログなども多少読んでくださっているご様子で、お話は和やかな感じでさせて頂けたのだが、お話の途中でお母さまが、少し驚きつつおっしゃった。
「先生、大変ですねぇ・・・。」
そう言われたのはなんだかとても意外だった。
というのも、お母さまがそうおっしゃったのは、ただ単にうちの教室が「異学年混在・完全個別対応」だということをお話したからなのだから。
お母さまはサイトなどをご覧くださって、1つの枠に異なる学年がいるのはお分かりくださっていたようなのだが、それぞれの枠での進度・指導内容は同じなのだと思っておられたのだそうだ。
確かに、同じ進度で進む子達を集めれば、指導は少しは楽になるのかもしれない。
もともとは人数も少なかったので、希望の時間帯をお伺いして組み入れる形でやってきてしまったこともあり、一般の塾のように曜日や時間帯で学年などを決めたら、もう少し人数を受け入れやすくなるのにと考えたことがないわけではない。
ただ、教室のキャパから考えても、同じ進度であっても、一度に見られるのは精一杯で5、6人だろう。その場合でも、低学年などはアシスタントの先生の手は必要になるだろうとも思う。
それに、いよいよ枠がいっぱい!となってきたのは昨年末頃からだったのではないかと思うので(最近、記憶がかなりアヤシイのだが・・・)そこまでして沢山の子どもを受け入れる準備を整える必要もなかったということもあり、結局最初のスタイルのまま続行することにしたということもある。
ただ、この形でのレッスンを進めていて、それまで塾での一斉指導や、完全個別指導とは違う、異学年、異進度であることのよさのようなものも感じるようになったのだ。
上の学年の子がやっていることに下の学年の子が興味を示す。そのときにさらっとだけ説明をしてあげれば、いずれその子がそこを学ぶことになったとき、「ああ、あのとき○○くんがやってたヤツ?」とかってことになり、「準備運動」が済んだ状態でその学習に取り組むことができる。
また、中学年や高学年で来てくれた子達が、低学年の子がやっているたし算や引き算を見て、「へぇ~、そんな風にやったら簡単やな」と新たな発見をすることもあるし、低学年の子が困っていたら、ヒントを出してあげたりということもある。
おまけに、同時に2人、3人の子がいても、同時入会で同じように進めてほしいというご希望がない限りは、みんな別々のことをしているので、隣りの子が終ったから早くやらなきゃとか、他の子より早く終わったから自分は偉いとか、そういう感覚を持つこともあまりない。
ときどき、仲良くなった子達がプリントの枚数を比べたりすることもあるのだが、仮に片方の子が枚数が少なくたって、やっていることが違うのだから「これは結構難しいからそれだけできたら十分だよ」などと言ってあげることもできる。
また、もし仮に同じ教材を同じタイミングでスタートさせた子が3人いたとして、その子たちの理解の速度や得手不得手の単元が全く同じであることはあり得ないだろう。
とすれば、たった3人であっても、同じ進度で進めようとすれば、誰かは待たされ、誰かは未消化のまま進まされるということが生じてくることにもなるのだ。
それでは少人数にこだわっている意味がない。
3年半あまりの日々を通じて、子ども達を一番伸ばせるのはこのスタイルなんじゃないかと思ったりもし始めている。(もちろん、あくまでも私にとっての話で、一斉指導や同学年での少人数制などの方が伸ばせるという先生方もおられるだろうけど。)
確かに同時に3人の子に別々のことをさせるのは「大変」かもしれない。
単に子どもにプリントなどを与えて放置していいのならともなく、色々な教具を使って、それを操作しながらレッスンするのが前提なので、同時に3人は恐らく私にとっての限界だろうと思っている。
学年が上がってくると、教具を見せることも減るし、まず自分で考えてみるという姿勢が身についているので、3人でもそう大変ではないが、低学年の異進度3人は多分本当に限界である。
それでも私がそのスタイルにこだわるのは、私にとって一番辛いことは、子どもの持てる力をよりよく発揮させられないことだからだ。
1時間中休む間もなくわたわたしている大変さより、子ども達を伸ばせないことの方が遥かに辛いのだ。
お母さまがお気遣いくださった言葉はとても嬉しかったけれど、実はこのスタイルが私の精神衛生上、よりよいものなのだと思う。
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先日のスーパー5年くんとの会話。
分数と小数の混じった計算を解く単元になり、きっと言わなくてもできるだろうと思いながらも、とりあえず「小数で表せないものはあるけど、分数で表せないものはとりあえずないから、小数は分数に直して考えてね」と言って、0.9を指差し、「これは10分の9やんね?」と確認したあと、「0.125」という数が出てきていたので、どうしようとちょびっと迷いながら・・・
「これ、う~ん、わからんかったらいいねんけど、とりあえず1000分の125やん?」のあとに続けて「それって8分の1やねんけど・・・」というつもりだった私に、彼が超あっさりとひと言。
「へ?8分の1ちゃうん?」
・・・・・・恐れ入りました。(笑)
けど、ホント彼ら彼女らには恐れ入ることがいっぱいで、今日は4年生スーパーちゃんたちとのレッスンがあったんだけれど、「100分の25」を見つつ、ちょっと視線が上に上がったなと思ったら(頭の中でイメージしているのだと思われる)、なんでもないことのように「4分の1か」と・・・。
ええ、そうなんですよ。その通りなんです。
おまけに、異分母のたし算・引き算の問題を見て、ひとりの4年生スーパーちゃんが「こんなの6年で習うの?うっそ~~、めっちゃ簡単やん!」と言って、通分の仕方なんてほぼ説明してないに等しいのに、すごい勢いで嬉々として解いていました。
いっぱい訓練しての結果なら別に驚かないけれど、この子たちの場合、レッスンはずっと週1回1時間だけでここまで来ているんだからホントにすごい。
いいなぁ~、羨ましいなぁ~。
私もこんな風になりたかったな~~。(笑)
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単なる偶然か、それとも最近忘れかけていたので神様が思い出させようとしてくださったのか、ここ数日、なぜか続けて「他のお子さんと違ってご迷惑をお掛けしているかと思いますが」とか「うちの子のことでご迷惑をおかけしていて」とかいうメールを頂いた。
で、これはちゃんと宣言しておかなくては!と思ったのだけれど、私はこれまで勉強ができない子を邪魔だと思ったことはない。
というより、そもそも私のスタートは「勉強ができない子達と一緒に勉強したい」というところなのだ。
もともとは中学校の教員志望だったことは過去のブログにも書いたが、社会勉強のため一般企業に就職したことがひとつの転機となり、学校という場所で30人や40人もの子ども達を一度に指導し切れるだけの力は私にはないから、もっと限られた人数で構わないので、勉強ができないけどできるようになりたいと思っている子達と勉強したいと、そう強く思うようになった。
まあ、ただ単に「勉強ができない子」ということではなくて、「今はできないけど、できるようになりたいと思っている子」というのが正しいのだけれど。
というのも、私は「勉強」が何よりも大事だとは思っていないので(ここでいう「勉強」というのはあくまでも一般的な学校や塾などで行われているもので、テストなどにより成績や順位が付けられる類のものに限定させて頂くが)、「勉強」以外に真剣に打ち込めるものがある子はそれでいいと思うし、勉強なんてできなくっていいんだと本気で思っている子もそれはそれでいいのかもしれないとも思う。
けれど、例えば行きたい学校があったり、なりたいものがあったりして、そのためには勉強ができるようにならなきゃいけないんだけど、今はできないんだ・・・というような子たちと一緒に学びたいなと、会社員時代にそういう思いが固まって、その後勤めた個人塾では面接のときにオーナーに「できない子達と一緒に勉強がしたい」とはっきり言ったほどだ。
それも全て運命なのだろうけど、幸い私の希望は見事なまでに叶えられ、学校での成績がいい子達のクラスはベテランの先生が、そうでないクラスは私が・・・ということになった。
子ども達はみんな可愛かった。中学生だろうと本当にみんな可愛かった。
何度同じことを言ってもすぐに忘れる子もいたし、真面目に頑張っているのになかなか結果に現れない子もいた。それでも本当にみんな大好きだった。
個人塾に勤めての晩年(?)、ベテランの先生がお辞めになることになり、代わりの先生が見つかるまでということで初めて両方のクラスを担当することになったことがあるのだが、そのときは正直なところかなり驚いた。
今までのクラスでは10説明してもどうにか6か7わかってくれればいい方で、下手すれば次の授業では0になっていることだって珍しくなかった。私の力が足りないからだと、いつもいつもどうすればもっとわかってもらえるのか、もっと定着させられるのか、そればかりを考えていた。
それなのに、学校での成績のいい子達のクラスでは同じ私がまだ5ぐらいしか説明していなくても10わかってしまう子が沢山いた。それはある意味衝撃的な出来事で、このクラスはなんて楽なんだろうと思った。
一般に学校の先生方の多くが勉強ができる子を可愛がりたくなる心理が少しわかった気がした。
というのも、できない子達に必死であれやこれや手を尽くしても、なかなか結果が伴わないと自分の無能さを突きつけられた気になるからだ。大抵の人にとってそれは決して喜ばしいことではないし、できれば認めたくないことでもあろう。
だから、同じ説明、同じ指導をしても、それで理解できる子がいれば、理解できない方が悪いと思いたくなったり、できる子が可愛く思えたりすることも人として自然な感情なのだろうと思う。(もちろん、できない子のこともとことん親身になって指導してくださる素晴らしい先生方が沢山おられることは、私自身が身を持って知っていることだけれど。)
両方のクラスを担当させてもらったことで、単に私の指導力不足、能力不足ということではなかったのかもと少しだけ慰められはしたが、その前後で私にとってできない子達の可愛さが変わることは全くなかった。
相変わらず、次の授業では前回のことをキレイさっぱり忘れて、「そんなの初めて聞いた」と真顔でいう子達も、私は可愛くて仕方なかったし、むしろ、ちょっと言えばすぐわかる子達より、なかなか理解してくれない手のかかる子達の方が可愛いとさえ思っていた。
その後、図らずも全く想定外の「幼児・低学年」という領域に足を踏み入れ、今ではすっかりどっぷりとそこにつかっている私だが、もともとこの学習法に出会ったきっかけも、なかなか定着しない子ども達、機械的に公式に当てはめて解こうとする子ども達に、もっと実感させられる教材はないのかと探し求めた末のことだった。
彼ら、彼女らを見てきて、「これだ!」と思った。
ただ、その学習法のメインターゲットが幼児・低学年だったということが想定外だっただけで、もともとはできない子達をできるようにするのに効果的なものを探し続けて辿り着いたものなのであり、私にとって目指すところは「英才教育」とか呼ばれるものとはちょっと違うのだ。
もちろん、幼児・低学年の早い段階から来てくれた子達の中には、目を見張るほどの伸びを見せる子も少なくないし、まだ真っ白かそれに近い状態からスタートできるので、これまで取りこぼしてきたものがない、もしくはあってもごくごく僅かなため、すぐにリカバリーできる。
その結果、私のブログにはしばしば「スーパーちゃん」や「スーパーくん」が登場するのであって、もともとそこを目指しているというのとは少しニュアンスが違う。
だから、低学年であっても学校の算数が苦手になってから来てくれた子たちと勉強するのは大歓迎だし、理解に時間がかかる子であっても、もちろん全く問題ない。
私がお断りするとすれば、全くやる気がない子であるとか、勉強以前にルールが守れない子であるとか、人の迷惑になることばかりする子であるとか、そういう子であって、勉強ができないからとか、手がかかるからという理由でお断りすることは絶対にない。
そもそも、そんなのは私にとって断る理由になりはしない。
だって、できる子なんだったら、そもそも私のところに来なくたっていいんだから。
もちろん、お母さま方の中で気にしてくださる方も遠慮や謙遜でおっしゃってくださるということもあるかもしれない。
ただ、最近ではブログを読んでくださって問い合わせをくださる方の中に「うちの子は皆さんみたいに出来がよくないんですけど・・・」とかおっしゃる方もおられるのが気になる。
やらなくっても出来がいい子なら、幼児や低学年のうちからお勉強の教室に通わせなくたっていいんだし、そんなことで遠慮されること自体なんだか変だ。
少なくとも私はそう思っている。
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もう何ヶ月も日曜に実家で見る以外テレビをほぼ全く見ていない生活な上、恥ずかしながら新聞もチラッとしか見ない。
私の情報源はネットで配信されるニュースなので、忙しいと殆ど世の中のことを知らないままになってしまったりもして・・・。
で、今日知ったニュースなので、いつそれが問題になったのかわからないのだけれど、どうやら農水相が水道光熱費を2年連続400万だの500万だの計上していることが問題になっているそうですね。
その弁明(?)が「なんとか還元水・・・」とかってことで、おまけに「今どき水道水を飲む人もいないでしょう」みたいなことも言ったとか言わなかったとか。
でね、非常に素朴な疑問なんですけどね。。。
「飲料水」として、ミネラルウォーターやら浄水器やらを買うのの科目ってのは「水道光熱費」なんですかね?
私の中で、水道光熱費ってのはガス・電気・水道のいわゆる震災のときに「ライフライン」とか呼ばれた、あの類にかかるものであって、食べたり飲んだりするものは「食費」とかのジャンルなんじゃないの?と思うんですけど、不勉強ですかね?経費科目でいうなら、「消耗品費」とか「雑費」とか「会議費」とか「福利厚生費」とか、そっち方面じゃないのですかね??
つ~か、議員会館に事務所があって、そこに一体どれだけの人がいるのかわかりませんが、暖房、飲み水やらで年間何百万って異常ですよね?
というかね、そんなにガンガン暖房かけるような人は農水相になっちゃいかんと思うわけですよ、それが事実なんだったらばね。(事実だとは思ってないけど。)
よりによって「農水相」なわけですよね?その人が1本5,000円とかする水を公費で飲んでちゃダメだと思うんですよね。(どうもそれもかなりアヤシイ気がするけど。)
けどもね、そもそも「飲み水」だったら区分が違うんじゃないんですかね?そんなことないの??
なんというか、こういう人は一生かかっても「庶民」の感覚なんて理解できないんだろうなぁと思ったりしたわけです。
けど・・・ミネラルウォーターとかそういうのって「水道光熱費」なの?(気になる・・・)
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このところ、毎日が飛ぶように過ぎていて、自分の中ではまだ2、3ヶ月目かなと思っている子が既に半年通ってくれていたり、気づけばもう1年通ってくれているのね!?という驚きがしばしばあるのだけれど、そろそろ半年になる元気な男の子がいる。
その子はもともと、あまりじっと座っていることが得意ではなかったそうなのだけれど、ここに来てくれるようになってからは、かなり頑張って座っていてくれるようになった。
まあ、幼児や小学校低学年の男の子で1時間もじ~っと椅子にお行儀よく座っていられる子の方がちょっぴり心配なぐらいだから(まあ、もともと大人しい子や、成長が早く、しっかり言いつけを守れる子もいるだろうけれど。)、個人的にはちょっとぐらい落ち着きがなくても他の子に迷惑がかからない程度ならなるべく目をつぶるようにしている。
実際、うちに来てくれている子達を見ている限り、椅子にじっと座れることと賢さとはあまり関連がないように感じてもいる。特に男の子の場合は、どちらかと言えば元気が有り余っていて落ち着きがない子がぐんぐん伸びるということはしばしばあることだ。
あ、どんどん話がそれているので、本題に戻ろう。。。
その、どちらかと言えば座っているのが苦手な彼が、今日も椅子の上でごそごそしながら、片足を曲げて椅子の背にかけ、とても危なっかしい格好で問題を解いていた。
ちょっと気を抜くと、椅子ががたんと倒れて、顎を強打するかもしれないような姿勢だったので、穏やかに彼に言ってみた。
「ね、○○くん。そんな座り方してたら、椅子ががたんとなってお怪我するかもしれないよ。もしみんなが大怪我したら、私、もう教室をやめなきゃいけなくなるの。大事な子どもだから、大怪我させちゃったら、『ごめんなさい』って、もう教室できなくなっちゃうけど、それでもいい?」
すると、彼は真剣な顔でその話を聞いていたかと思うと、即座にぶんぶんと首を横に振ってくれた。
「そう。じゃ、その座り方危ないから、やめてね。」
そう言うと、慌てて足を下ろしてくれた。
すごく嬉しいなと思っていたのだけれど、その後しばらく経ってからの彼のしぐさに、もっともっと嬉しくなった。
まだ1年生の、幼さも残る彼である。
もともとじっと座っているのが苦手なのは結構なキャリアの持ち主でもあるらしい。
その彼が、しばらく経ったとき、また同じ姿勢に戻りかけた。足を曲げて椅子の背にかけようとした瞬間、私はそっちを見てもいなかったし、もちろん何も言っていないのに、慌ててその足を戻したのだ。
隣りの子の方を向いていて、視線の端にそれが見えたのだけれど、なんとも言えずすごくすごく嬉しかった。
一度言っただけなのに、彼は私が教室をやめなくちゃいけなくなったら大変だ!と、きっと心から思ってくれたのだろう。
本当に本当に嬉しかったのだけれど、彼は私に見られていないと思っているはずだから、その嬉しさは自分の中にしまって、何も言わずにおいた。
小さい子には言ってもわからないと思っている大人も世の中にはおられるかもしれないが、私は昔から「子どもでもちゃんと言えばわかる」と思っている。
今日の出来事は、何より、じっと座っていることが苦手な彼が、私のことを思って、叱ってもいないのに自ら気を遣ってくれたことで、言葉にできないほどの幸せな気持ちにしてもらえた。
私はやっぱりこの仕事が、そして子どもたちが大好きでたまらない。
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うちは小学校も中学校も受験指導に対応していないし、しようったって経験も能力もないので今後もやる予定はないのだけれど、ほんの何人かだけ、受験塾と掛け持ちでここに来てくれている子達がいる。
その子達のひとりの分厚い問題集を見せてもらう機会があるのだけれど、見ようによってはなかなか楽しそうで、「ああ、これ工夫したらパズルにできるなぁ」とか、「うまく考えてあるなぁ」とか感じるものも少なくない。
それこそ、教科書準拠のワークなどを見ているより遥かに、パズル作成意欲を掻き立ててくれるし、アイディアも沸く。
使い終わっていらなくなったら全部頂戴ねって言いたいぐらいだ。
しかし、問題はその解き方にある。
有名受験塾の宿命か、どんな問題もパターン分けして、この問題はこうやって解くということを徹底して指導するようだ。
解答の冊子を見ても、そんなのまで公式なの?というようなものに当てはめて、あとは計算するだけというようなものも多い。
こんな解き方を覚えこまされて、それに当てはめるだけの勉強なんて一体何が楽しいんだろう?そう思う。(まあ、楽しくはないんだろうけど。。。)
つい先日、こんな問題があった。
絵が描けないのでお分かり頂けるかどうかやや不安だけれど、確か・・・、縦10センチ、横20センチ、厚さ7センチのレンガを12個、横に4個並べ、3段重ねに積んで、それぞれの間に1センチの厚みでセメントが塗られる。
そのときのセメントの体積を求めるという問題。
その子は習ったことを踏まえ、まずはセメントで塗り固めた全体の体積を出し、その後レンガだけの体積を出して、その差を求めるという方法で解いた。
解答に書かれているのと同じ解き方だ。
しかし、その場合、塗り固めたレンガは横83センチ、縦10センチ、高さ23センチとなり、「10×83×23」をした後、もともとのレンガだけの体積である「10×80×21」をするということになっており、実際にその子もその通りの式、手順で解いていた。
けれど、ほんとにそうやって解くのかな?と思った。
仮にこれがどこかの中学入試問題の類題であったりするのであれば、問題作成者の意図はそうではないんじゃないかと思った。
まあ、計算を大量にやっている子なら式さえできれば後はやっつけ仕事的に解くのだろう。
また、少し応用の利く子なら、先ほどの2つの式を見つめ、それぞれを計算してから引くのではなく、「83×23×10-80×21×10」を睨んで、その違いの部分を見つけ出すのかもしれない。(因数分解的な発想ができる子、その方法を知っている子なら少しは簡単になるだろう。)
けれど、私は描かれた図を見ながら考えていた。
そもそも、仮に難関中学であれば、どう考えても「83×23」なんていう不細工な計算をさせるようには思えない。まあ、難関はこんな問題を出さないということであれば、そうなのかって話だが。
で、もともとのレンガが縦10センチ、横20センチと、なんだかすっきりした数なのも気になった。
なので、セメントが塗られている部分だけを考えたところ、1個レンガの真下に塗られているセメントは10×20×1で200立方センチ。真下に塗られている箇所は全部で8箇所。合わせて1600立方センチ。
次にレンガの横をつなぎ合わせてある部分に目を向けると、そこは厚みが1センチで高さは23センチ、縦は10センチだから230立方センチ。塗られている箇所は3箇所。合わせて690立方センチ。
合計2290立方センチである。
難しい計算はないし、引き算すら登場しない。
先ほどの式を計算してみよう。
「10×83×23=19090」
「10×80×21=16800」
「19090-16800=2290」
当然ながら同じ答えである。
少なくとも私は83×23を素早く暗算で解くことはできないし、こんな大きな数になると間違える確率も上がる。
しかし、図をきちんと見てちょっと考えれば、本当に暗算であっさり答えが出るじゃないかと。
最近、中学入試関連の問題を見ることが少しずつ増えて、見ている分には「ああ、楽しそう♪」とわくわくするものも結構あるのだ。
こう工夫したら簡単になりそうだとか、解き応えがありそうだとか。。。
うちのスーパーちゃんたちにやらせたら案外楽しんで解くんじゃないかなと思う素敵な問題も少なくないし、パターン暗記なんてしなくてもじっくり考えれば解けるよね?っていういい問題もある。
時間制限なしで存分に考えていいよってことなら、中学入試問題は解き応えのあるパズルのようなものだとも言えなくはない。(もちろん、単に面倒なだけの計算とか、工夫の余地のない難問などもあるだろうけど。)
せっかく楽しめる問題がいっぱいなのに、全て公式ともいえないような公式を覚えさせられ、当てはめさせられる。
そんな勉強って、本当に意味があるのかな?
せっかく楽しい問題なのに、なんかもったいない気がしてしまう。
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今日もまた嬉しい話を聞かせてもらえた。
算数が苦手で・・・と去年の6月から通ってくれるようになった2年生の女の子。
通ってくれるようになって間もなく、この子のどの辺が算数が苦手っていうんだろう?と思うぐらい目覚しい伸びを見せ、最近ではすっかり感心させられることが増えたのだが、今日、お母さんが嬉しい話を聞かせてくださった。
先日、算数のテストがあったそうだ。
でも、そのテストは単純な計算問題とかではなく、やや難しい文章題が沢山あるようなテストで、クラスで100点だったのはたった2人だったらしい。
そして、そのうちのひとりが彼女だったというのだ。
彼女自身もとても嬉しかったようだけれど、算数が苦手だと言っていた彼女が、文章題でも苦にせず解けるようになったことがとてもとても嬉しかった。
ちなみに、そのお話にはすごい続きがあって、彼女の弟くんは恐るべきスーパー年長くんなのだが、その問題をやらせてみたらできたのだそうだ。
2年生のクラスで100点が2人しかいなかったテストを年長の彼が解くとは・・・。
すごいすごいとは思っていたが、どうやら本当にスーパーらしい。(笑)
あ、因みに・・・。
念のため書かせて頂くけれど、超スーパーな彼は他に勉強の習い事をしているわけでもなく、お母さんが教え込んでおられるわけでもなく(お母さんまでもが「なんでできるんでしょうねぇ?」と言っておられるぐらいだし)、もうホント可愛らしすぎるぐらい子どもらしい子どもで、嬉しいと超ニコニコするし、ケンカしたらボロボロ泣くし、とにかく、世間一般に「お勉強のできる賢い子」というイメージとは多分随分違うんじゃないかと。(ああ・・・お母さんゴメンナサイ。(苦笑))
とにかく、一挙手一投足全てにおいてすんごく可愛いのだ。
けど、そんな彼だからこそ、超スーパーなのだと思う私である。
(あ、彼に関しては教室の指導の効果だという気はとりあえず全くない。ここに来てくれる前からスーパーだったようなので。(笑))
ホント、私の楽しみはどんどん増える一方である。
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普段、スーパーちゃん、スーパーくんたちのことは、仮に書かれたと知っても、本人もおうちの方も嫌な気持ちにはなられないだろうという思いもあり割と気軽に書けるが、全員が全員スーパーなわけではないし、また、得手不得手もそれぞれの子どもで異なるので、どこかの単元で急に苦戦する子とか、理解するまでに時間がかかる子というのは当然いる。
以前は教材の進度を気にして、1回のレッスンで最低でもこのぐらいはやらなきゃ・・・とか、まだ理解がややあやしい気もするけど、プリントを追加すると予定がずれ込んでいくからどうしよう・・・とか思って、まだ子どもが消化し切っていないかもしれなくても次に進んでしまうこともなかったとは言えないが、3年半を過ぎ、自分なりに何か見えてきつつあるものもあり、プリントが3枚しかできない日があったっていいじゃないと思えるようにもなったし、子どもがうんうん苦しんでいるときは「今度にしようね」とプリントを一旦引き取ることもできるようになった。
多分、そうできるようになったことで、子どもも私自身も気持ちが楽になったように思うし、その結果、理解に時間がかかる子でも、随分とその子のペースでやれるようにもなった。
きっとそれはよかったのだと思っている。
で、今日、またひとつ嬉しいことがあった。
とても真面目で一所懸命問題に取り組む、1年生のとても可愛い女の子がいる。
夏頃から来てくれるようになったのだが、数に対する感覚がまだ十分に身についていないのか、それとも理解するのに時間がかかるタイプなのか、うちの1年生の中ではこれまでで最も「2桁-2桁の繰り下がりの暗算」で苦戦した。
プリントで反復させるわけではないので、プリントに行く前にたっぷり教具を見せ、何度もやりとりをし、平均的な子の恐らくゆうに4、5倍は教具を見せて、少しずつ問題をやってというのを繰り返した。
本人はいつもとても真面目で一所懸命取り組んでくれるのに、なぜかいつまで経ってもなかなかすっきり正解にならない。
教具を見せているし、実際に動かしたりしていいよと言っているのに、それでもこれほどまでなかなか正解に辿り着かないというのは、これまでまだ経験がなかったので、さすがに少し何らかの学習障害なんだろうか?と気になり始めてもいた。
ただ、彼女はまだ1年生だし、2桁同士の繰り上がりの足し算や2桁-2桁の繰り下がりのない引き算まではある程度確実に暗算ができるようにもなっていたので、今後どう進めるかおうちの方にも相談させてもらった。
おうちの方はお任せしますと言ってくださったので、あともう少しだけここで足踏みをしてみて、場合によっては暗算は諦めて筆算に移ろうと考え始めていた。
実際、学校では2年になれば2桁と1桁でさえ筆算での指導が行われるようになるのだから、筆算で計算ができるのなら、彼女が学校で困ることはきっとないだろうと思ったし、20までの足す引くができるのなら、筆算はほぼきちんとできるだろうとも思えたからだ。
そして、とりあえず今日のレッスンでもう一度だけ2桁-2桁の繰り下がりをやって、もしダメなら一旦図形の勉強に行こうと考えて今日のレッスンを始めた。
最初にウォーミングアップを兼ねて能力開発系のプリントを少しやってもらった後、教具の絵のついたプリントをやってもらうことにした。
そのプリントではまだ合ったり合わなかったりで、何度か質問を繰り返した。内心、やっぱり難しいのかな・・・と思い始めていたとき、突然正解が続き始めた。
本当に突然のことだったので、偶然なのかもと少し様子を見ていると、何問かに1問ぐらい10の位の答えを間違えたりする。やっぱり偶然なのかな・・・と思いつつ、なぜその答えになったかを尋ねると、考え方は合っていたが、勘違いをしたのだとわかった。
その後、これまでのことが嘘のように、何問やってもほぼ確実に正解が出るようになった。
おまけにスピードまで速くなってきた。
更に、繰り下がりなしと繰り下がりありが混ざっているプリントでも、きちんと正解が続いた。
何かよくわからないけれど、「そのときが来た」ということなんだろう。
すごく嬉しくって、「スラスラできるようになったね~~。すごい嬉しいね~。」というと、彼女もニコニコ笑った。
待ってよかった。
諦めないでよかった。
彼女の中のコップはいっぱいになるまでに普通より時間がかかるのだろう。だけど、焦らなければそのときは来るのだ。
嬉しくて泣いちゃいそうなぐらい、今日は素敵な日になった。
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いやぁ~~~!!もう日付が変わってしまう!!(汗)
今日はお昼前から出勤していたのですが、ほぼ全く休憩もないまま、気づけば日付が変わろうとしています・・・。
かなりピンチです。(苦笑)
とりあえず滑り込み更新。(更新っていうんだろうか・・・。)
帰宅後、元気だったら書きます。
無理ならお許しを・・・。
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書きたいことは色々あるはずなのだけど、実は昨日もいくつか書きかけの記事をいじってはまた保留にし、今日も結局そんな感じで、おまけになんだか眠くなってきてしまった・・・。
3月からは、今月こそは、早寝早起きするのだ!と決心し、昨日が休日だったこともあってようやく少し早寝、まずまず早起きできたのだけど、そのせいで眠いんだろうか・・・。(苦笑)
今後はブログも午前中更新に切り替えていけたらと思っているが、さてどうなるやら。
実は日曜からすごく書きたいテーマがあるのだけれど、それがどうもうまくまとまらず、おまけにそのテーマはずっと前から、時間がとれたらゆっくり書きたいと以前書いたことにも関わっていて、尚更どう書いたらいいものやら・・・。
ただ、すごくすごく抽象的な表現ではどれだけ感じて頂けるかわからないが、どうしてもひと言だけ書かせて頂こうと思う。
幼い子にとって、何でも早く始めさせるべきだとか、早く始めないと伸びないとか、そういう情報にあまり振り回され過ぎないほうがいいのではないかと思う。
遡れば、ソニーの故・井深大氏が「幼稚園では遅すぎる」なんていうショッキングなタイトルの著書を出されているし、それに類する著書なども多い。
更に、私が尊敬している先生方にも「○歳までに・・・」というような表現で早期教育を勧めておられる方もおられる。
もちろん、早く始めた方がいいことも、早く始めても害がないこともあるだろう。
ただ、子どもが小さければ小さいほど個人差も大きいし、得手不得手もあるだろう。
それをひとくくりに「○歳まで」とか「○年生まで」とかいう言葉に振り回されすぎるのはかえって危険なのではないかと思う。
このテーマに関しては、本当にちゃんと書きたいと思っているので、改めて書かせて頂くつもりだけれど、とにかく、最も重視すべきは「目の前の子ども」なのであり、世間に氾濫する情報でも、マニュアルでも、ほかの子ども達でもないはずだ。
以前読んだ小西先生の本に素敵なことが書かれていた。
「臨界期」という言葉はそこまで厳密に線引きできるものではないというような趣旨のこと。
例として、人間の能力は計り知れないもので、例えば事故などで脳の一部に何らかの障害を受け、その結果特定の部位が機能しなくなっても、別の部分がそれを補ったり、代わりにその役目を担ったりすることもあるのだというようなことが書かれていたのだが、要するに、人の成長、発達に「絶対」なんてないと考えていいのではないかと、私はそう思う。
「周りのお子さんはみんな早くから字が読めるから・・・」とか、「お友だちはみんな○○の教室に通っているから・・・」とか、そういうことが気になるのはわからないでもない。
ただ、不安になられたときには思い出してほしい。
常に最もしっかり見なくてはならないのは目の前の大切な我が子だということを。
言葉が足らず、うまくお伝えできていないと思うけれど、今日のところはこれにて・・・。
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勤めていた塾を辞めて、もうすぐ丸4年になる。
最後に送り出した受験生は浪人していなければもう大学生になっているし、あのとき小6だった子達はちょうど今頃は残る公立入試に向けて、それぞれ頑張っていることだろう。
以前からちらりと触れているので、なんとなく想像されている方もおられるかと思うけれど、とても残念なことに、私はその塾を円満に辞めさせては頂けなかった。
そのときのことで、ずっと記憶に残っているあるお母さんの言葉がある。
きっと私にも問題があったのだろうけれど、退職を申し出たとき、私の雇い主は子どもにも保護者にも辞めることを言わないようにと言った。
ギリギリのギリギリまで子ども達に黙っておくことは約束したが、その頃小学部の責任者をさせて頂いてもいたので、小学生の保護者の方には書面でもいいので挨拶をさせてほしいと頼んだが、全く聞き入れては頂けなかった。
そしてそのとき、三流ドラマも真っ青になりそうな、実際にこんな台詞を口にする方がおられるんだなぁとある意味感心してしまうような台詞を吐かれた。
偶然その場に居合わせた学生講師の女の子達が動揺するような言葉だった。
雇い主の言うことには逆らうことにはなったが、それでも吐かれた言葉には一切触れず、小学生の保護者の方にお詫びのお手紙をお送りした。
しかし、あまりにも予想外のことに驚いたのだが、私がそれをみんなにふれ回るとでも思ったのか、私のお手紙が届くか届かぬかのタイミングで雇い主自らが全ての保護者あてに自分が吐いたその台詞と、それを吐いた弁明を書き送っていたのだ。
自らの首を絞めているとしか思えないその行動は正直理解不能ではあったけれど、折角私は言わずにおいたのになと、少し気の毒にさえ思えた。
ただ、雇い主からの手紙が届き、ほぼ時を同じくして私からの手紙も受け取った保護者の方の何人かはこっそりお電話をくださったり、お迎えにこられたときに励ましの言葉をくださったりもして、自分の勝手で退職する私にとってとてもとてもありがたいことだった。
そのとき、あるお母さんがお電話で尋ねられた。
「先生、本当に○○先生はそんなことをおっしゃったんですか?」
どうお返事していいものやら躊躇っている私に、お母さんはこう続けられた。
「そんなことを言う方のところに子どもを預けておくのは心配です。」
自分の勝手で辞める私が言えることではないが、その言葉に改めて母の愛情を強く感じた。
私は子ども達が大好きだというのは偽りのない気持ちだが、塾というところは子どもの成績を上げるためにあるのだとも思っていた。特にそこは小学校高学年から中学生が主な対象の一斉指導の塾でもあったので、保護者の方たちは「テストでいい点を取れること」、「志望校に合格できること」を求めて塾に通わせておられるのだと、そう思っていた。
そして、それはある意味事実に違いない。性格をよくしてもらおうとか、躾をしてもらおうとか思って学習塾に通わせる方はまずおられないだろうから。
それでも、そのお母さんはお嬢さんと相談されて、私がその塾を去った後、ほどなく塾を辞められたそうだ。
講師の指導力以前に講師の人間性を見、我が子のことを案じて塾を辞めさせる方がおられるんだなぁと、不謹慎にもちょっと感動した。その頃の私にとって、それは新鮮な出来事だった。
今でもたまにそのときのお母さんの言葉を思い出す。
そして改めて思うのだ。
今、私の教室に大切なお子さん達を預けてくださっているお母さん、お父さん方の殆どがあのときのあのお母さんと同じ気持ちでおられるに違いないと。
変な話だが、私の教室を選んでくださった方の大多数の方が、私の指導力ではなく、私がバカみたいに子どもが好きで、子どものことばっかり考えているから、ここを選んでくださったんじゃないかと、そんなことを思うのだ。
私が直接お話しする機会があるのは殆どの場合お母さんなので、お母さんのことしかわからないところもあるけれど、大切な大切なお子さんをここに通わせようと思ってくださったことがどれほどすごいことなのか、もう一度しっかりと心に刻もうと思う。
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この時期にこんなことを言うだなんてホントに我ながら信じられないのですが、中学生さんの新規募集休止に続き、しばらくの間(4月中旬前後まで)幼児さんの体験及び新規募集を休止させて頂きます。
新年度の時間割を組んでいるところではあるのですが、幼児さんのレッスンと小学生さんのレッスンでは、やはり幼児さんの方が見た感じ、遊び的要素が強いため、小学生さんの気が散ってしまうこともあり、小学生さんがお一人の枠がありましても、そこに幼児さんに入って頂くことができません。(ご兄弟などでしたらいいのですが。)
となりますと、アシスタントの先生が教室や子ども達にある程度慣れてくださるまではこれ以上幼児さんをお受けすることが難しくなっております。(既にご予約頂いている方は時間割に組み入れさせて頂く予定で考えておりますのでご安心ください。)
そのため、当面、幼児さんの体験及び新規募集を休止させて頂く方がよいと考えました。
多くの幼児教室では早く始めないとダメというお話が多いようですが、私の教室は「幼児教室」ではなく、多分かなり異色の「小学校低学年でのスタートがメインの教室」でありますため、年少さん、年中さんから始めなくても、年長さんで十分なのでは?と思っておりまして、募集も小学校低学年さんをメインに考えさせて頂いております。
更に、先日もご案内致しました通り、近くに今春からH学園の教室ができ、そちらでは年少前からピ○マリオンの指導が受けられるようですので、是非新年度から始めたいとお考えの方はそちらにお問い合わせを頂いてはとも思っております。
ご迷惑をお掛けする方もおられるかもしれませんが、何卒ご容赦くださいませ。
※既にお電話やメール等でお問い合わせ頂いている方は上述の件はお気になさらないでください。
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昨日、何でだったか、多分また唐突な展開だったと思うのだが、年長くんが地震の話を振ってきた。昨日は「地震で家潰れたん?」だった気がするが、それを聞いた6年くん(←延長居残りでひとりだけまだいた)、すかさず「地震のとき、先生何歳やった?」と。(笑)
「ん?15歳。」
笑いながらそう答えた私に、きつ~~~~~~いひと言。
「えぇ~~、やったら今先生27歳やん。そりゃ絶対ないわ。そんな老けた顔の27歳おらへんで!!」
(ぐさっ・・・)
ただの冗談だったのに、容赦ない切り返し・・・。
さすが関西人・・・。
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初めの頃は色々心配なこともあったり、わからなくって泣かれたりしていた6年くんたちも、今じゃすっかり「考える」ということに慣れ、少々長時間でも集中して考え続けてくれるようになった。
先日はパズル勝負で負けもしたし、とにかく安心して卒業してもらえるなぁという感じになっている。
小学校の算数はとっくに済んだので、公立に進学するのだし、そのまま中学の数学に進んでしばらくになる。
今は文字式の計算をやっているのだが、今日の彼らとの1場面。
文字式の定番、「項、係数、次数」の問題があった。
教室ではわざと殆ど説明がない、問題だけの教材をやらせているので、さすがにそれは説明しないと意味がわからないだろうと、本当に滅多にないことながら、ちょっと注目させて説明に入った。
でも、今の私は基本的に、説明をして覚えさせようという発想は殆どなくなってしまっているので、まずちょっと乱暴な発言から入る。問題として与えられている文字式を指して「その式を区切れそうなところで区切って。」と、何じゃ、その指示は?と言われんばかりの指示を出す。
それでも、既に計算するときに何度か私が符号の前で線を区切ったりしてきていたので、何も言わずに符号の前で線を引いて、6問あった式を全て完璧に区切った。
次に、「係数」という言葉を指差して「これってなんやと思う?」と尋ねる。
すると「係りの数。」、「関係ある数。」とそれぞれに答えた。まずまずいい感じ。けど、まだ意地悪は続く。「係りの数って何よ?美化係?掲示係?」
そのツッコミには違うと言ったものの、じゃあなんだ?と。
「その漢字って足す、引く、掛ける、割るのどれっぽい?」と質問し直すと、「かける!」と。
そこで次は「そう。かけるやから、係数ってのは『係ってる数』やねんけど、じゃ、このどれやと思う?ここには係数はある?」ひとつひとつ項を指差しつつ答えてもらう。
これはそこそこOKで、最初は符号に意識が行ってなかったりしたので、そのことだけ確認。
で、お次は「○次式」だ。
説明は簡単だけど、せっかくだからなぁと、白い紙を持ってきて、色んな文字式を書きながら「これは1次、これは2次、これも2次、これは5次・・・」と次々と書き続ける。
もちろん一切説明はなし。
10個ぐらい書いたところでひとりが「あ、わかった!」と言ったので、更に書き続けたが、それは勘違いだった。そのうちもうひとりが「あ~、わかったかも!」と。
その後、その子は何を書いても正解が出始めた。じゃあもう説明はなくて大丈夫。
ひとりがわかったものだから、もうひとりも必死になって「もっと書いて!」と。
更に書き続けていくと、連続で正解が出始めた。
2人ともが連続正解できるようになったところで、一応どう考えているかを確認。彼らが自ら発見したのであって、私の説明は全くなし。
これが正しい方法だというつもりもないし、絶対にいいかどうかもわからない。
ただ、仮にこの項目を、昔私が塾で講師をしていた頃のように、
「符号の前で線を引いて区切ったひとつひとつを項って言うねん。係数ってのは『係ってる数』のことやから、3xやったら3、-5yなら-5が係数。何次式っていうのは、文字が何個かかってるかで決まるんやけど、項の中で一番次数の高いところがその式の次数になるねん。」
というような説明をしたところで、一体何人の子が記憶に残してくれるだろう。
説明すればものの2、3分で終わるようなものを、クイズのように沢山の式を書いて余計な時間を使って発見させるのは、人によっては時間のムダだとおっしゃるかもしれない。そして、子どもの性格によっては確かにムダになるのかもしれない。
でも、楽しめるんなら何でも楽しんだもん勝ちって気もするし、少なくともあの子たちには今日のやり方の方が遥かに印象に残ったに違いない。
新年度以降、かなり早い時期に小学校範囲を終えてしまう子が出てくるので、公立進学予定の小学生達には、やろうと思えば早くから数学をやれる。(もちろん、どんなに早くても5年ぐらいからでいいと思っているけれど。)
定期テストに追われながら、慌しく範囲を詰め込んでいくのではなく、時間もたっぷりあって、無理に進まなくてもいいという環境の中で数学に取り組めるなんて、実はそれが結構楽しみでもある。
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教室を始めた当初、諸般の事情で(もちろん最大は経済的理由な訳だけれど・・・(苦笑))大々的にチラシを打つのを控えた。
けれど、全くの0からのスタートで、おまけに最初の教室は理由を話せば恐ろしく長くなるので話さないが、居住用物件のワンルームで表からは全く見えず、その上看板も出せなかったため、何もアピールしなければ永遠に子どもが来てくれないというすごい環境にあった。
そんなとき、まだ塾講師だった頃からときどきお世話になっていたある広告屋さんが、事情を汲んでくださって、すごくすごく勉強して広告を出してくださった。
新聞折込のミニコミ誌のようなものの一角にうちの教室の小さな小さな広告が載った。その広告を見て3人の子が来てくれた。友人の子どもとそのお友達などを合わせて6人のスタートだった。
その後もその広告屋さんは、しばらくの間、勉強できるときだけ声をかけてくださり、何度かそのありがたいお話に載せて頂いて広告を出した。
そのうち今度は諸般の事情により、広告屋さんの方が独立され、その頃にはありがたいことに教室はある程度の子ども達が通ってきてくれるようになっていた。
正直言って、ここ半年ぐらいはもう新聞折込の広告を出す必要は感じていないところもあり、存在証明代わりに出すかなぁ、どうしようかなぁと思っているような状態だった。
そこにずっと応援してくださっていた広告屋さんから助けてとのお願い。
本当に辛かった時期に助けて頂いたのだから、できるときにお返しせねばと昨年12月に広告を出した。
私は今の教室の状況を素直に書いたつもりだったのだが、それを見た友人夫婦に笑われた。
「こんなん通われへんやん!(笑)」
確かに、何曜日のどの時間以外ほぼ埋まってしまっているという広告で、実質もう満員ですと言っているに等しい広告だった。
指摘を受けて初めて、(そうか、おかしな広告なんだな・・・)と気づいた。
にも関わらず、実は今日また広告が出たはずだ。
私が助けてもらった分はまだ全然お返しできていないから、いいですよと言ったものの、今回も、新年度募集と書きながらも「枠によっては空き待ちになるかもしれません」なんていう広告だ・・・。
ああ・・・またつっこまれる・・・。
ただ、ブログを見てくださっている方は教室の状況をよくわかってくださっているものの、お母さん方でネットを使われる方はまだ思ったほど多くはない。
であれば、ご近所の方に状況を知って頂くには広告を使うしかない。(何しろ小さくて目立たないところだから、絶対流行っているとは思われないだろうし。(苦笑))
てな訳で、またも本来の目的には反する、一体何のための?とつっこまれる可能性大の広告が出る。
目にされた方がどうか笑ってながしてくれますように。。。
そして、キビシイ状況だったときにずっと応援してくださった広告屋さんと、本来なら大多数の塾さんがこの時期にいかに生徒を集めるかということに頭を使っておられるはずなのに、殆どそれをせずに過ごさせて頂けていることを、改めて皆さまに、心から感謝致します。
本当にありがとうございます。
これからも頑張ります。
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3月最初の記事は真面目に・・・と思ったりもしたのですが、一応先に少しまともな記事はUPしたし、昨日の会話があまりに印象に残っているもので・・・。気分転換(?)にどうぞ。
教室の子達の中に、なぜかやたらと私の年齢を知りたがる子がいる。
その最たるのが卒業を控えた6年コンビ。この2人は何かの話題にかこつけて、なんとかして私の歳を特定しようと必死だ。(笑)
もちろん、別に必死になって隠す必要もないし、同級生の子どもが通ってくれていたりもするので、知っている子は知っているのだが、そこまで必死に知ろうとされると、こちらもかえって隠したくなる。というわけで、彼らとの付き合いも1年数ヶ月になるが、未だにどうにか特定されることなく過ごしている。
で、昨日。
幼児が使うハサミにおしゃれキャットのマリーちゃんの絵がついているのを見つけた片方の子が、「先生、先生が子どもの頃におしゃれキャットってあった?」と。「よく覚えてないわ。」というと「ちぇ、あったんやったらそれがいつか調べて歳がわかるのに。。。」と、そりゃちょっと無理では?と思うようなことを言った。
しかし、昨日はたまたまその場に同級生の姪っ子さん(その子のおじさんと私が同級生)がいたので、(あ、ヤバイ!)と思って、彼女に
「あ、言ったらあかんで?あなたは考えたらわかるやろけど。」と口止めをした。
すると、彼女は「ああ、多分年子やと思うから(お母さんとおじさんが)・・・。」なんていうもんだから、「あなたが私の歳わかってるんはいいけど、言ったらあかんで?」と言った。
ま、そんなむきにならなくていいのだけれど、その子たちが必死で知ろうとするもんだから、ついついこっちも必死で隠そうとしてしまう。
で、その後少し考えてから、彼女がひと言。
「けど、間違いなくおじさんやで?」
と・・・・・・。(苦笑)
いや、そりゃ間違いなくおじさんだわね。「お兄さん」と呼ぶには無理がありすぎるわね。(苦笑)
それを聞いた6年コンビが嬉しそうに
「おじさんなん?!じゃ、先生おばさんや!!」
とはやし立てたのだが、誰も自分のことをお姉さんと呼んでもらおうなんて思っちゃいないし、呼ばれても気持ち悪い。(苦笑)
なので、あっさり「そやで?おばさんやで?」と答えると、
「そうなん?おばさんなん?やったらもっとおばさんらしいカッコしな!」
ですと・・・。(苦笑)
「おばさんらしいカッコ?」そう聞き返した私に、
「そうそう。ヒョウ柄とか。で、髪も茶髪、あ、もっと茶髪にしな。」
ですと・・・・・・。(苦笑)
子どもにとっての「おばさん」観があまりに可笑しくって、そして、私は「おばさんらしくない」らしくて、やたらウケてしまった。
因みに、「茶髪」と言った後ご丁寧に「もっと茶髪」と言い直したのは、私が天然茶髪だからなのだろうけど。(笑)
なかなか信じてもらえないが、私は生まれてからこれまで髪を染めたことがない。
塾に勤めていた頃などは中学生の女の子達が全然信じないので、信じさせるため(?)にも1本だけあった白髪を抜かずに大事に育てていたりしたものだ。(今は残念ながら3本ぐらいになっているが・・・。)
それにしても・・・・・・。
「おばさんらしいカッコ=ヒョウ柄」とは・・・・・・。
さすが関西人。(苦笑)
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今日から3月。
新たな気持ちで!と思ったのですが、ネットでこんなニュースが目に留まってしまいました。
先日は児童養護施設で定員を超えた子どもを預かっているところが・・・というニュースをご紹介しましたが、そのニュースといい、今回のこのニュースといい、なんというか・・・本当に助けが必要なところに携わっている方たちへの負担があまりにも大きく、ただ、そういうお仕事に携わっておられる方の殆ど皆さんが、子供たちのために、患者さんたちのためにと身を粉にして、限界まで頑張ってくださっているのだろうなと思うと、なんとも言えない気持ちになります。
ICUの先生方がお辞めになることを決断されたのだって、(特にベテランと書かれているお二人は)きっとさんざん悩んで悩んでのご決断なのでしょうし、ご自分達がお辞めになることで患者さんたちにどんな影響が出るかを考えなかったはずはないだろうと思うのです。
それでもお辞めになることを決められたのは、本当に限界だったのでしょう。
全員が一度にということでニュースになったのだろうと思いますが、きっとそんな状態で限界まで頑張っておられるお医者様、看護士さん、その他の方はいっぱいおられるのでしょうね。
そして、疲労が重なり、何かミスをしてしまったら大々的にニュースに取り上げられ、さんざん叩かれる。そんなことを見ていたら、そうなる前に辞めなくては・・・と思われる先生方も出てこられるのでしょう。
仕事がないと言っている人がいたり、仕事もせず「ニート」なんていう呼び名を与えてもらっている若者達が大勢いたりする一方で、手が足りないところには慢性的に手が足りず・・・。
もちろん、お医者さまや看護士さんというお仕事は誰でもなれるようなものではないので、手が足りないからすぐ補充というわけにもいかないのでしょうし、優秀な方、よくできる方に仕事が集中するということはどんなお仕事でもありがちなことですから、みんな同じように・・・というのは不可能なことはわかります。
けれど、何かこう・・・、本当に優秀な方、熱意のある方、そういう方たちが自己を犠牲にしながら限界まで頑張るということによって支えられている状況というのは(このニュースに限らず)、もっとどうにかならないものなのだろうかと、そんなことを思ってしまいます。
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