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2007年2月 6日 (火)

その言葉が意味するところ

昨年の秋にある勉強会に参加させて頂いたのがきっかけで、これまで何人かの先生方にうちの教室でメインの教材として使用しているものをご紹介させて頂く機会があった。

同じ頃からブログも始めたので、ブログ経由でお問い合わせを頂き、ご紹介させて頂いた先生も何人かおられる。

実際に教室にお運びくださり、教材や教具をご覧になった先生方がほぼ皆さんおっしゃった言葉がある。
つい先日もある先生が出張のついでに名古屋からいらしてくださったのだが、その先生も同じことをおっしゃった。

「まず自分の子どもにやらせたいです。」

これまでご紹介した先生方で、小さいお子さんをお持ちの方恐らく全員が同様のことをおっしゃった。

私がこの学習法に初めて出会ったとき、私には子どもがいないので(旦那もいないけど・・・)、「自分の子どもに」という発想にはならず、その代わり、「私がこれで勉強したかった!」と強く思ったことを覚えている。
自分も子どもの頃にこの学習法に出会っていれば、今頃もっと賢かったんじゃないだろうかと、そう思えたのだ。

そして、お子さんがおられる先生方はほぼ例外なく「自分の子どもにやらせたい」とおっしゃるし、これまでここに尋ねてくださった方で、既にお子さんが大きくなられている方の中には、ご自分のお子さんにはもう間に合わないけど、「孫ができたら・・・」というようなことをおっしゃってくださった方も何人かおられる。

一般の方はともかくとして、同業の塾長先生、塾講師の先生方がご覧になって「自分の子どもにやらせたい」という、その言葉の意味するところを感じてほしい。
少なくとも、同業の皆さんはこれまでにもずっと子ども達の指導に当たってきておられるのだ。少なからず、指導法、学習法などはご存知のはずだし、それぞれに成果や実績がおありのはずだ。

その先生方が「自分の子どもに」とおっしゃるのだ。
つまり、これまで見てきた学習法、指導法とは明らかに何か違うものを感じてくださっているに違いないし、それがとても魅力的なのだと思う。

そして思うのだ。
お子さんがおられる親御さん、子ども達の指導に関わっておられる大人の皆さんは、今その子ども達がやっている学習法、子ども達にしている指導法を、もし自分が子どもだったらやりたいと、受けたいと思われるだろうか?

少なくとも、私は子どもの頃計算ドリルとかが面倒で嫌いだったので、大量の反復学習なんて絶対にやりたいと思わない。
いくら賢くなる(それが事実かどうかは別として)と言われても、何時間も何日も大量にドリルやプリントをやって、暗記を繰り返したいとは微塵も思わない。
だから私はそれを子ども達にやらせようとは思わないのだ。

私自身は大量の機械的反復に反対しているが、もしかすると子どもの頃にそういうことをされて、今立派な大人になっておられる方もおられることだろう。そういう方はお子さんに自信を持ってその方法を勧められるのだろうとも思う。
それはそれで私がとやかく言うことではない。

ただ、もしももしも、ご自身がそういうことをやりたくないと思っておられたり、実際に子どもの頃にそういうことをやってつまらなかった、辛かったなどと感じておられるような方は、少なくともお子さんにそれをやらせないで頂きたいと思うのだ。

私が自分の教室で今やっていることは、基本的に全て、自分が子どもの頃にこんな指導が受けられたらよかったのにと思うものだ。
だからこそ、迷いなく自信を持って勧めることができる。

もちろん、万人に共感してもらおうなんて思っていない。
以前から書いているように、私は職人になりたいのだし、「個性的な靴」でありたいのだから。

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