あの日から12回目の1月17日を迎えたことになるのかな。
変なことにこだわる私は過去、「あれから10年」みたいな表現をされると、満10年なのか、10年目なのか、いちいち考えてしまったりもしたが、多分、昨日で11年が終わり、今日から12年目が始まったということなんだろう。(実は未だにカレンダー計算とかそういうのは不得意だったりするのがバレてしまうけれど・・・)
私自身、震災は過去のことになってしまってはいるけれど、1年に1回この日ぐらいはあのときのことを思い出して、気持ちを新たにしようと思って過ごしてきた。
今年は思いがけず、自分の予想を遥かに上回る忙しさで過ごしているため、つい忘れてしまいそうにもなったが、やはりひとつの区切りとして何か書いておこうと思う。
震災で私は人の強さ、優しさを強く感じた。
もちろん、逆にそれまで気づかなかった弱さが見えた人もいたし、いい人だと思っていた人の裏側が見えたこともある。
本当に色々な経験をしたと思う。
ただ、私はあの経験に本当に感謝しているし、あの日があったから今の自分があるのだと、心からそう思っている。
特に大きな気づき・変化は2つだったかもしれない。
ひとつは、父親の愛情に気づいたこと。思い出したという方が正しいのかもしれないが、思春期頃から私は長い間父親のことが嫌いで、ずっと避けていた。外で頑張って働いてくれていた分、家ではダラダラごろごろして頼りがいがなく見える父がとてもイヤだった。
しかし、震災の日、お布団の上にありとあらゆるものが落ちてきて、幸い落ち方がよかったらしく怪我や痛みはなかったものの、揺れが収まっても自力ではお布団から出られないような状態だった。
みんなは無事なのか心配で、布団の中から隣りの部屋にいるであろう父や母を呼んだのだが、初めは返事がなかった。何度も呼んでいると、程なく父の声が聞こえた。
「ちょっと待っとけ!今出してやる!」
それまでには聞いたことのないような力強い声で父が叫んだかと思うと、バタンバタンとすごい音がし始めた。
そうして、私の上に落ちていたものたちが取り除かれ、私は布団から出ることができた。
その直後のことは記憶になく、父と言葉を交わしたのか、私を出すとすぐ父は下に降りていた母の方に向かったのか、とにかく私も続いて下に降りたことだけ覚えている。
実は、うちの父は腰や膝が悪く、普段でもあまり力仕事などをしない。その父が、正に「火事場の馬鹿力」でタンスや衣装缶その他、布団の上にのっていたものをそれこそ投げ飛ばすようにのけてくれたのだ。それは愛情以外のなにものでもなかっただろう。
実際、揺れが収まり、家族みんなが無事で、その後家の片づけやらなんやらをし始めた途端、父は膝が痛いだの腰が痛いだのといって、結局はなぜか私が塀に登って壁に応急処置のテープをはったりなんてこともしていたのだから、正にその場限りの、多分普通に暮らしていたら一生感じることができなかったかもしれない父の逞しさ、力強さだったのかもしれない。
あの出来事がなければ、私は今でも父の愛情に気づかぬままでいたのかもしれないと思うと、やはり震災に感謝せずにはいられないのだ。
そして、もう一つは会社を辞めて自分のやりたいことをやってみようという決心をさせてくれたのだ。
震災後ひと月ほど小学校の講堂で寝起きをし、ひと月半ほど片道10キロほどの距離、あちこちガタガタになっている道をママチャリで自転車通勤をした。
お風呂にはどれだけ入れなかったんだろう?多分やはりひと月近く入れなかったんじゃないかと思う。
お金があってもお店で物が買えず、電気のスイッチを押しても電気がつかず、水道をひねっても何も出ない。そんな生活が長く続いたが、そのときしみじみ思ったのだ。
人間、いざとなったらなんだってできるんだと。
それまで、何度も何度も会社を辞めることを考えたけれど、結局決断できずにいたが、「人生一度っきり、だったらやりたいことに挑戦してみよう」と思わせてくれたのが震災だった。あの出来事がなければ、今こうして可愛い子ども達と幸せに過ごしている私は存在しないだろう。
私たちが「戦争を知らない」と言われてきたように、既に「震災を知らない」子ども達が増えている。実際、うちに来てくれている子達の中で震災のときに生まれていた子は中学生と6年生の一部だけだし、記憶として残っている子はほぼいないに等しい。
「あのときはこんなことがあってね」とか「こんな経験をしてね」とか話したところで、結局は他人事だ。
仮に私が年配の方から戦争体験を聞かせて頂いたところで、その辛さや苦しさを僅かに感じ取ることはできたとしても、同様の経験をすることは不可能なのと同じだろう。
そう思うと、あのときにもう大人でよかったとも思う。
もちろん、子ども時代に経験したことによって価値観が変わった子もいるのだろうとは思うけれど、私はあのぐらいの年齢のときでよかったと、そう思う。
震災で大切な方を亡くされた多くの方々の悲しみや痛みは今も消えることはないだろう。それは本当にお気の毒だと思うし、亡くなられた方たちには心からご冥福を祈っている。
更に、未だに震災が過去になっていない方たちもおられることだろう。
震災後の復興住宅などでお一人で暮らされている方の孤独死のニュースも未だなくなることはない。
うまく言えないが、あの震災は本当に誰が亡くなっていたって不思議はない状態だった。
現に私も、ものの落ちどころが悪ければ、その可能性が0だったわけではない。
あのときからもう一度人生が始まったとすれば、今で6年生だ。
私は11年の時間をしっかり過ごしてきただろうか。
あのときのことを思ったら、きっともっともっと頑張れるはずだ。
生かされたことに感謝して、またしっかり1年頑張っていかなければと思う。
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