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2006年11月30日 (木)

とうとう買ってしまうことにした。(けどど~でもいい話)

教室を始めたとき、子どもを集めるのに全くなんのあてもない状態でスタートしてしまったということもあり、とにかく必要最低限のものだけ揃えてのスタートになった。

塾や教室ではコピー機はある意味必需品なのだと思うのだが、教室が狭いことや、何よりもそうそう手が出る価格ではないことで、とりあえず最初はインクジェットの複合機を買った。

一応はカラーコピー、カラープリンタ、スキャナ、ファックスの4役で、新品だけど型落ちのものを定価の3割ぐらいで買った。
その後ずっと、ちゃんとしたコピー機がほしいとは思ってはいたが、決断には到らずに過ごした。

コピー機の営業に来られたこともあったが、リースでも月に1万とかって言われると、(コンビニで1000枚もコピーできる・・・)とか思ってしまう。
おまけに、リースってのは月々の負担は少ないし、固定資産にもならずに済むけど、トータルでかなりの金額を払うことになるってのも何となく知っていたので、もともとローンや分割払いが嫌いな私にはどうしても決断には到らなかった。

で、ずっとどうしようかなぁと迷い続け、決めかねて3年。
今年は予想を遥かに上回る(というか、もともと何人ぐらい来てくれるんじゃないかなって予想をしたことがないとも言うが・・・)子たちが来てくれて、もっともっと色んなプリントとかも使いたいと思ったら、やはり濡れたらにじむインクジェットではなく、ちゃんとしたコピー機がほしいなぁという思いは膨れていった。

もともと、入会の際に頂く入会金は子ども達のためになるものに使うと決めていて、ひとりふたりの入会であれば、子どもの本を買ったり、何かパズルを買ったりという風に使ってきた。
しかし、多分今年は入会の際に頂いたものを全ては使い切っていないだろうとも思っていたので、ここはちょっと真剣に考えようと、ひと月以上、ネットであちこち色々探してみていた。

初めは最低でもB4まではコピーできるようなものがほしいと思っていたのだが、そうなるとやはり金額的に大きくなるし、場所もとる。
実際、これまでB4やA3のコピーがどうしても必要だったことは殆どなく、そのときはコンビニで済ませていたのだから、なければないなりになんとかなるということなんだろう。

ローンもリースも選択肢にないとなれば、やはりB4までというのを諦めるしかないかなと思い始めた頃、A4までのカラーレーザー複合機を見つけた。予算的にも手が出ない範囲ではなかった。

それでもホント、悲しいぐらいの貧乏性で5万以上の買い物はそうそうしないし、するときも考えに考え続けた末の決断ということが殆どで、今回もかなり悩んだ。
けど、とうとう昨日注文し、今日入金も済ませた。あとは届くのを待つばかりだ。

3年経ってやっと、うちの教室にもトナーのコピー機がやってくる。
もう子ども達が濡れた手で触ってもにじまない。
さすがに全てを入会金ではまかなえなかっただろうとは思うけれど、今は到着が楽しみである。

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2006年11月29日 (水)

イメージできるということ

ゆっくり文章を考える時間がなかなか取れず、ややもどかしさを感じる毎日なのですが、そうは言いながらも家ではダラダラしちゃってて、どうしてもっと時間がうまく使えないんだろうとか思う今日この頃。(いえ、時間がうまく使えないのはもう長年かもしれませんが・・・)

そういえば、昨日ネットのニュースで、1日の睡眠時間が7時間台の人が最も鬱になりにくいっていうのを読みましたが、ってことは、私はその心配は大丈夫かなと。忙しくっても絶対寝ますから。

と、時間がないといいながら余談でした。
では、ちょこっとまともな話題を。

うちに幼児や1年生で入室してくれた子達はもれなく使うある教具がある。
その教具はなかなか素晴らしくって、大先生と初めてお目にかかった日に見せて頂き、ひたすら感動したものなのだが、これを使えば、10までの足す引く、20までの足す引くが楽しみながら遊び感覚で学習できる。

で、その教具を使って実際に目で見せて、20までの数をすぐ言えるようにするというのが、1年生の第2段階ぐらいになるのだが(まずは10までの数)、それが言えるようになった子は、次にそれをイメージしながら足したり引いたり(教具の個数を増やしたり減らしたり)の操作をして、計算の答えを出すことになる。

ここが機械的反復による学習との決定的な違いとも言えるだろう。
大量に反復して「覚える」子たちは、何かをイメージしているわけではない。反射に近い状態で答えが書けるようになるまで、何度も何度も問題を繰り返すという感じのようだ。

それに対して、教具を使って具体的な操作をし、その後、それを頭に思い浮かべながら答えを出す子達は、あくまでも「考えて」答えを出しているのだ。

今日、6回目のレッスンに来た1年生の男の子がいる。もともと、学校を何日か休んだら急に難しく感じてしまってということで、やや算数を苦手に感じた状態で来てくれた子だ。

しかし、彼は毎回、目をキラキラさせながら問題に取り組んでくれる。
今日は20までの足す引くの総合問題のような感じで、繰り上がり・繰り下がりがあるもの、ないもの入り混じった色々な問題が出てきていた。

計算式だけのプリントを見たとき、彼の表情がこわばったのがわかった。そして、こっそりと指を動かそうとしている。
指を使う癖がついてしまっている子には、それをやめろとは言わないのだが、10までぐらいならいいものの、10を超えてくると、数え間違ったり、必要以上に時間がかかったりするので、なるべくなら使わないでできる方へシフトできるよう働きかけはする。

で、目のキラキラがちょっと消えかけている彼の目の前に、教具を持っていき、中を見せずに尋ねてみる。

「ね、18ってどうなってる?(←教具の中を想像させる。)」

彼の表情から、それを想像していることが伺える。

「じゃ、ここから10取って3取ったらどうなる?」

教具の中は見せないまま、それを想像させる。
すると、ある瞬間、ぱあっと表情が明るくなるのだ。

「あ、わかった!」

そう言って正解を書く。

まだ今日で6時間一緒にレッスンしただけだから、彼の教具への親しみ具合もまだあとひと息というところもあり、計算式だけを見た段階で頭にすぐ教具が浮かぶところまでは来ていないようだ。
しかし、そうやって実際には見せなくても、もう彼の頭の中には20までの数がイメージできるようになっている。

ちょっと考え込んでいるときには、その教具をふたをしたまま目の前に出して尋ねてあげるだけで、ちゃんと考えられるようになっているのだ。

「考える」ということを重視しておられる先生方が皆さんおっしゃっているけれど、とにかく、まず具体物でイメージできるということが何よりも大事なのだ。
つい先日も、77×7の答えを49+49で98と答えても、全く違和感を感じない「やり方だけ覚えている子」と出会ったけれど、77が2回でも100を超えるのだから、数量感覚のある子であれば、その答えがいかにおかしいか気づくはずだ。

小さいうちに身につけさせるべきことがなんなのか、大事にすべきことがなんなのか、小さい子たちに関わる全ての大人に、ゆっくりじっくり考えてみて頂きたいと、子どもたちのキラキラした目を見ながら今日も思うのだ。

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取り急ぎお知らせです。

先日来ご案内しております、保護者向けのレッスンですが、定員は5名までとご案内しておりましたものの、いきなりそんなにお集まり頂くことはないだろうと思っておりました。
が、12月4日(月)につきましては、現時点で定員に達してしまいました。もちろん、予定変更などでキャンセルされる方もおられるかもしれませんが、4日の受付は終了させて頂きます。
ありがとうございます。
尚、10日(日)はまだ余裕がございますので、もしご興味のある方がおられましたら、ご参加ください。

因みに、初回は本当に概要説明のような感じになってしまうと思いますので、その点をご了承頂きたいことと、教室にある教材や教具は何でもお見せするつもりではございますが、ご説明させて頂くのは年長さん、小学校低学年のお子さんのものがメインになるかと思います。(その年齢が教室の指導のメインでもありますので。)
それらの点につきまして、ご了解くださいますようお願い申し上げます。

※幼児さん、小学校高学年のお子さんに関しましても、ご紹介できるものはございますが、メインは上述の通りとさせて頂きます。宜しくお願い致します。

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2006年11月28日 (火)

インタビュー結果

今日、「丸せんといて!」とよく口にする年長くんが登場したので、インタビューしてみた。

「ねえ、○○くん?ときどき『丸せんといて!』っていうのはなんで?」

しかし・・・いくらスーパー年長くんとはいえ、それを的確に説明するのはさすがに難しかったようで、恐らくという推測の域を出ないのだが、全部できたものを一気に大きなグルグルまる(もしくは花まる)にしてもらいたいのではないかと。

ひとつひとつに丸をすると、どうしても丸が小さいので、全部解けても「100点!」みたいな印象が薄いのではないかと・・・。

そういえば、別の女の子で「丸しちゃダメ!」っていう子は、全部済んで全部合ってたら「ぐるぐるして!花まるにして!」って言うもんなぁ。

機会があれば、また別の子にもインタビューしてみます。(笑)

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2006年11月27日 (月)

そんなこともあるんだな。

うちのスーパー1年生のお話。
いや、失礼を覚悟で言うけれど、正確にはうちの1年生の中にあっては純粋に「スーパー」なのかどうか微妙な存在だった友人の息子くん。

もともと、スーパー4年生の姉を1年のときから預けてくれて、その変貌ぶりや劇的な伸びを見てきた友人は、息子くんに関しては「もうお任せするから!」と、年長の秋に教室に来てくれるまでにはとりあえずひらがなと数字を何とか読んで書けるようにはしておくわっていうようなスタンスできていたようだ。

実際、彼は私の大好きな野生児タイプで、本当の話、ひらがなはかろうじて全部書けるけど、小さい「っ」や「ゃ」などが出てくると、どう書いたらいいか迷うとかそんな状態だし、問題文を読むのだって、まだかなりたどたどしい。そんな状態でのスタートだった。

レッスンを始めたときにはスーパー1年生の女の子(この子は周囲も認めるスーパーな子なのだ)と一緒にスタートしたものだから、さて、どうなることやらとちょっと心配もしていた。

彼が劣等感を持ったらどうしよう。何をしても彼女の方が速くて、レッスンがイヤになったらどうしよう。そんな心配をしていたのだが、そのあたりは彼の素敵な天真爛漫さでとりあえずどうにか問題なく過ごしてきた。

問題文を読むののたどたどしさとは対照的に、彼は4桁同士の足し算や引き算でもちゃ~んと暗算でやってのけるスーパーぶりを発揮し始めてくれていた。

そして、つい先日、時間と時刻のレッスンに進んだときのこと。
当然のごとくスーパーちゃんの方はもう「何時何分」を正確に読むことができており、それに対してスーパー君は正直ちょっとあやしい状態だった。
けど、時計を見せて針を回しながら、何度か「これが○時○分。こうなったら○時○分ね。」というようなことを言ってプリントに進むと、思ったより遥かにスムーズに問題をクリアしていってくれた。

(なんだ、何だかんだ言っても、時計はちゃんと読めてたのね。)

内心、そう思いながら彼のことを眺めていた。

翌週レッスンに来た彼は、自信たっぷりに

「時計カンペキにしてきた!」

そう言って、ニコニコしながらレッスンを始めた。
確かに、これまでにも何人もの子と時計をやってきたけれど、この反応は充分よくできる方に入るだろう。頑張ってるなぁと思いながらその日のレッスンを終えたとき、お迎えにきた友人が私に尋ねた。

「ねえ、○○って、1時間で時計読めるようになったの?」

へ?

友人は続けて言った。

「時計ぐらい読めるようにしとかなきゃいけないかと思ったんだけど、この子全然興味示さないし、もういいかと思って。○○(お姉ちゃん)のときには必死で教えたんだけどね。」

は?

友人の話では、どうやら彼は時計のレッスンをするまで、時計を読めなかったらしいのだ。
(いや、けど、きっと自然と身につけてたんじゃないんだろうか・・・。)と思いながらも、友人の

「楽してよかったわぁ。」

というなんとも平和な発言に、それがホントなら確かに何よりだなと思っていた。

そして、今日時刻と時間の3回目のレッスンがあったのだが、もうこれがすごい。「午前○時○分から午後○時○分までは何時間何分?」というような、それも教科書に出てくるより遥かに面倒なものまで含む問題を、大して悩む様子もなく解いていく。
相変らず問題を読むのはたどたどしいというギャップがすごい。(笑)

どうにも不思議で本人に尋ねてみた。

「ねえ、○○くん、ホントにこの前レッスンするまで時計読めなかったの?」

すると、何でそんなこと聞くの?と言わんばかりにあっさりと

「うん!」

という答えが返ってきた。
そんなこともあるんだなぁ。

もちろん、個人差もあるだろうし、友人の家庭は生活習慣はとてもきちんとしていて、躾もしっかり、食生活も気を遣って、素敵な子育てをしているので、そんなこともあいまっての結果なのだろうと思うが、それにしても、つい3回前のレッスンまでは時計がきちんと読めなかった子が、3回目には時間計算をやってのけている(当然筆算とかは教えていないし)姿を見ていると、間違いなくこの子もスーパーだなぁと思うのである。

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2006年11月26日 (日)

不思議な行動

子ども達とレッスンをしていると、ときどきこんなことをいう子がいる。

「見んといて!」

「丸せんといて!」

もちろん、それをいうときの子ども達は、何も私を避けているとか、嫌いだから見るなとか言っているわけではない。
大抵の場合、私は子ども達が解いたはたから丸付けをしていくのだが、ときどきそれをしないでという子がいるのだ。

といっても、そういうことをいう子が常にそうだというわけでもなく、普段は普通に丸をつけさせてくれるのに、ときどき「ダメ」というのだ。

で、それにはどうやら共通したところがあって、大抵が「自分で解く自信のあるとき」に出る発言なのだ。

それも特定の子だけが言うわけじゃなく、これまで何人もの子がそういう行動をとってきたところを見ると、もしかすると私も幼い頃にはそんなことをしていたのかもしれない。
しかし・・・残念ながらこれに関しては記憶がないのだ。

もちろん、中には解いているはたから丸を付けられると焦るからイヤだという子もいなくはない。そういう子にはある程度解き進んでから丸付けをしたりもするわけだが、そういう理由ではなくて「ダメ」という子はどういう心理なんだろう?

今度インタビューしてみよう。

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2006年11月25日 (土)

書けたら後で書きます。

鼻風邪は治る気配を見せず、今日も子どもに「なんか気持ち悪い」というあたたかい言葉(泣)をかけてもらったりしていましたが、明日もレッスンが入っているため、とりあえず帰ります。

帰宅後元気だったらまた書きます。
書きたいことがあるんですけど、時間が取れなくて、その間にどんどん忘れていっている気が・・・。(苦笑)

呆れずに今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

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仮決定のお知らせ

先日来ご案内しております、保護者向けのレッスンにつきまして、12月は何かとお忙しいかと存じますので、本日時点で意思表示をしてくださった方のご希望を考慮し、以下の日時で実施させて頂こうと思います。

保護者向け教材・教具に関するご紹介・説明会第1回

① 12月 4日(月) 11時から12時半
② 12月10日(日) 11時から12時半

日月続けて組んでしまうと、その週の休日が全くなくなってしまうため、体力的なものも考慮させて頂き、1週目の月曜と2週目の日曜にさせて頂こうと思います。

因みに、もし現在教室に通ってくださっているお子さんの保護者の方でもご参加になりたいという方がおられましたら、ご遠慮なくお申し越しください。
ただ、今回は本当に教材・教具全般をご覧頂き、主な使い方などをご説明することが中心になると思いますので、その点はご了承ください。

現時点ではまだ両日ともお二人かお三人いらしてくださるかどうかという感じですし、急にご都合が悪くなられてキャンセルということもおありかもしれませんが、上記の両日時に関しましては、おひとりでもご参加希望がございましたら実施致します。

因みに、これまでもずっとそうだったのですが、基本的に私は一切勧誘致しませんので(特に今は勧誘したくても通って頂ける枠が殆どない状態ですし)、もしブログを読んでくださっていて「ちょっと気になるんだけど、多分通わないと思うし・・・」という方のご参加もお受けいたします。

もともと保護者向けにということを考えたきっかけは、この学習法をひとりでも多くの方に知って頂いて、ひとりでも多くの子どもに楽しく学ぶことを経験してもらえたらと思ったからですので、躊躇っておられる方がおられましたら、どうぞご遠慮なくお申し越しください。

この記事は「お知らせ」にも同じものを転載いたします。

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とりあえずお知らせ

先日来予告しております、保護者向けレッスンですが、とりあえず初回はレッスンというよりは教材教具などをお見せしてご説明する会として12月初旬に開けたらと考えています。(既に小学生のお子さんなどであれば、ご家庭で始められるのは早いに越したことはないと思いますし。)

まだ具体的な日にちは決めかねているのですが、ご興味を持ってくださっている方にアンケートを取らせて頂きたいので、これをお読みくださった方でできれば参加してみたいと思ってくださっている方は、コメント欄かメールにてご回答頂けましたら幸いです。

参加を検討してくださっている方の中でご都合のいい方が多い日にまずは1回目を実施させて頂こうと思っておりますので、宜しくお願い致します。

以下の日程の中で参加可能か不可能かを○×などでお答えくださると大変ありがたいです。(お手数ですがコピー&ペーストなどして頂いてお答えくださいませ。)

日にちは全て12月です。ひとまず以下の日程でのご都合をお聞かせください。

(  )  4日(月) 11時から12時半
(  )  4日(月) 13時から14時半
(  )  7日(木) 13時から14時半
(  ) 10日(日) 11時から12時半
(  ) 10日(日) 13時から14時半
(  ) 11日(月) 11時から12時半
(  ) 11日(月) 13時から14時半

同じ記事を「お知らせ」のブログにも掲載します。
宜しくご検討ください。

尚、ご参加頂く費用に関しましては今回90分で3500円程度を考えております。(1回の定員は最大5名までで考えております。お二人以上ご参加くださるようでしたら実施する予定ですが、たくさんの方がご参加くださった場合、参加費用をもう少し下げさせて頂こうと考えております。)

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2006年11月24日 (金)

喜ぶべきか悲しむべきか・・・

今日起きたら、鼻風邪が悪化しているようでした。
けど、熱もなし、咳も出ないので、通常通り仕事へ。

自分ではよくわからないのですが、私の声はもともとやや鼻声らしく、子どもの頃から風邪を引いて鼻声になったときなどに「今日、声変やろ?」とか尋ねても、しばしば「ん?いつもとおんなじやで?」とあっさり返されがちだったので、今日もその程度のことだろうと、特に気にせずにいました。

最初のレッスンに付き添ってこられたお母さんが私の声を聞くなり

「先生、すごい鼻声ですね。」

とひと言。
思わず、

「え?わかります?」

と、ちょっと喜びながら聞き返してしまった私・・・。(苦笑)
その後も子ども達の中には「先生、声がなんか男の人みたいになってるで?」とかいう子もいたりして、みんなが鼻声に気づいてくれる喜びを満喫しました。(笑)

というわけで、今日お電話頂いたら一瞬戸惑われるかもしれませんが、間違いなく本人ですのでどうぞよろしく。

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すいません、すっごいくだらない話です。

私は見ていないのだけれど、何かの番組で「シモン茶」というのが取り上げられたらしい。
詳しくは知らないが、ダイエット効果があったり、血圧を安定させる効果があったりするとかしないとか。

で、先日、普段飲んでいるサプリメントがなくなりそうだったので、ネットで注文しようとしていたところ、そのお茶が目に留まった。それまでにもネットのDMやらなんやらでしきりにその文字を目にしていたことや、それを頼めば送料がかからなくなるとか、そんなこともあり、ま、天然のものでお茶なんだしとひとつ注文してみた。

で、それが届いたわけだが、粉末状になっていて全て飲めるということで、手間がなくていいなと早速その日の晩に1杯飲んでみたものの、溶け切らず浮いているものがかなりあり、どうもそれが気になって飲み干せなかった。

せっかくそのまま飲めるってことだったが、これは私には無理と判断し、茶漉しで漉して抽出されたところだけ飲むことにしようと、そうしたのは昨日。

し、しかし・・・・・・・・・。
私には無理。

飲んだ感想。

牛や馬の気持ちがよくわかった感じ。
もしくは、虫になった感じ。

仮にこれでダイエット効果があるって言われても、これを飲み続けるんだったら私は太ってもいい!(苦笑)いや、それもいやだけど、もっと別の方法を考えるからいい!!

というわけで、まだたった2杯しか飲んでいないシモン茶は二度と飲まれることはない模様。
どなたかご興味おありの方、お声かけて頂けたら差し上げますのでご遠慮なく。

因みに、多分ですけど・・・青臭いのとかが平気な方、青汁とかでも飲める方だったら全く問題なく飲めると思いますので。(苦笑)

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2006年11月23日 (木)

面白かったこと。

昨日、スーパー4歳ちゃんとレッスンをしていたときのこと。
幼児のレッスンには指先を上手に使うためのレッスンとしてはさみを使うものも出てくるのだが、今日は紙を半分に折って、描かれている線に沿って切ってから開くと左右対称の色々な形ができるよというレッスンがあった。

4つの形があったのだが、一つは紙が黄色でお星様、一つは紙がピンクでハート、もう一つは紙が赤でチューリップになるものだった。
まだ4歳になって日も浅い彼女には、切って開くまでどんな形になるかわからないかなぁと思っていたのだが、すごいことに、切る前から

「これ、おほしさま!」

「ハート!」

「チューリップ!」

と、見事に言い当てる。
そして、実際に切って開いて確かめて、満足そうにニコニコ笑う。

残る一つは、紙の色は薄茶色だった。しかし、可愛い彼女はそれを見て、超ニコニコしながら

「虹!」

と大きな声で言った。

さて、皆さんはお分かりになるだろうか。
茶色の紙で半分に折ると彼女には虹に見えたものが何か。

答えは「ドーナツ」

なんでドーナツだけは半分の絵を見て虹と思ってしまったのか、まだまだ子どもは不思議でたまらなく可愛いものだ。

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2006年11月22日 (水)

プロ仕様の体・・・。

書きたいこともあるのですが、今日はもう片付けて帰らねば・・・。
日曜に風邪を引いたものの、月曜からは悪化もせずいつも通り仕事をしていたのですが・・・、明日は出勤するつもりではあるもののレッスンはお休み。多分どこかで気が緩むんでしょうね・・・。順調に風邪が悪化中です。(苦笑)

夕方から鼻が完全に詰まり始め、口呼吸のため口が渇く渇く・・・。
どうにかレッスンは乗り切ったものの、金土はまたフルにお仕事せねばなりませんので、明日で復活せねば!

しかし、ホント絶対休みにしか体調崩さない自分にしみじみ感心してしまうのでありました。(苦笑)
風邪が流行っているようですので、皆様もお気をつけくださいね。

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2006年11月21日 (火)

「お教材はお教材」

先日、ブログに保護者向けのレッスンについて書いたところ、何人かの方がメールなどをくださった。
その中に、どう考えても通って頂くには遠いところから、一度体験をさせて頂けたらというメールをくださったお母さんがいらっしゃる。

ご家庭で教材を買って指導しようとお考えの方でも、やはり実際に一度試してみなければよさがおわかりにならないというところもおありだと思うので、通って頂けないことが明らかな方でも基本的にお断りはしない。

ただ、この方のお住まいからだとうちよりもっと近いところで同じ教材を使った指導をしている教室があるはずだったため、そうご案内させて頂いたところ、そのお返事のメールにこの言葉があった。

「やはりお教材はお教材」

もちろん、この前後に色々書かれているのだが、この言葉がなんだか心に留まった。

実は、私がご案内するまでもなく、既にお近くの教室には見学にいらしたことがあるそうで、ただ、その教室では指導者がしきりに指示を出し、教えている印象を受けられたそうだ。

「お教材はお教材」

言われてみれば確かにおっしゃる通りなのだ。

実際、私が低学年の指導にメインで使っている教材は3、4年生ぐらいまでしか使えないため、それ以降続けて通ってくれている子たちにはもうその教材を使うことはできない。
ただ、3年なりの間、決まった教材を使ってやってきたことを、普通のワークブックやプリントなどを使って学習させる際に活かすことは無理ではない。

3年や4年までは「じっくり考えろ」と言ってきた子ども達に、その教材が終わって突然、「じゃあ、今日からはいっぱいやって覚えてね」なんて言えるはずもない。また、言うつもりもない。

ひと目惚れした学習法を知ったお蔭で、どんな教材でもその方法を活かすことはある程度可能になったというわけだ。
つまり、何が何でもその教材がなければその指導ができないということでもないし、またそれは逆に、その教材さえあればどんな指導でも効果があがるというものでもないのだということなのだろう。

そう言われてみれば、大先生から何度も聞いていたではないか。
教えたらダメというのに教える。そのやり方ではダメというのに守らない。そんな先生方が使ったら、せっかくの教材も活きてこないというお話を。

ブログを始めてから、保護者の方や同業者の方にこれまで何人もこの教材をご紹介してきた。
実際に大先生のところに問合せされて購入された方も少なくはない。
けれど、果たして皆さんがどんな風に指導し、子ども達にどんな変化が見られているのかは、ご連絡を頂かない限りわからない。

せっかくの教材も、子どもがやりたがらないのに押し付けたり、考えている途中なのに遮って説明してしまったり、必要以上に沢山の問題をやらせたりすれば、残念ながら大きな効果は望めないだろう。

そんなことに改めて気づき、尚更、保護者向けのレッスンを真剣に考えなくてはと思ったりもした。
もちろん、大先生から直々にご指導を受けるのとまだまだ大きな差があると思うが、やって頂くからにはせめて私ぐらいの効果は感じて頂きたいと思うからだ。

とは言っても、それが熟練が必要な難しいものであるとか、高等な学力がなければできないものであるとかいうことではない。
心がければ誰だって実践可能なことなのだ。
さて、ちょっと真剣に保護者向けレッスンを考えなくては。

既に教材に取り組んでくださっている方には、とにかく「楽しみながらじっくりと」を心がけて、穏やかな心で見守ってあげてほしいと再度お願いしておこうと思う。

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2006年11月20日 (月)

くすっと笑える話

お蔭様で風邪は悪化することなく小康状態です。
今日は早目に帰宅してゆっくりしようと思っているので、かなりど~でもいいお話。

先週のレッスン中、その日は珍しくネックレスをしていた私に高学年の男の子が尋ねました。

「なあ、それ本物?」

「本物ってどういう意味なん?」

「本物のダイヤ?」

その日のネックレスは確かに一応チェーンもホワイトゴールドで「本物のダイヤ」ではありました。
そうは言っても、メレダイヤ(小さいダイヤ)がいくつか並んで、見た目大きく見えるというようなもので、びんぼ~&貧乏性の私でも手が出るようなものでした。

「うん、そやで。けど、これちっちゃいからなぁ。」

そう言った私に

「けど、本物やったら高いやろ?」

「いや、そうでもないで?」

その次の彼の発言。

「えぇ~、けど、本物やったら1万円ぐらいはするやろ?」

子どもはやっぱり可愛いです。(笑)

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2006年11月19日 (日)

セミナー終了&ちょっとヤバいかも・・・。

今日は大阪ですごいネーミングの、私は間違いなく場違いなセミナーに参加すべく、決死の覚悟で早起きし(って言っても8時なんですけど…)、お天気の悪い中、眠い目をこすりながら行ってまいりました。

しかし、もともと「生・出口先生」を見るという目的での参加でしたので、しょっぱなの基調講演で出口先生のお話が終わってしまうと、もう睡魔との闘い・・・。いや、正確には出口先生の段階から睡魔とは闘ってましたけど・・・。

おまけに、基本的に「塾経営セミナー」って感じのセミナーだったものですから、講演のテーマが中小塾が大きくなるためには・・・みたいな感じなわけで、聞いていても私には全く参考にならないというか・・・。(ま、わかってたんですけどね、ある程度は。)
これは1年前のワークショップのときにも感じたことでしたが、今回は参加型ではなく、純粋に講演を聞くって形だったため、ホントのホントに座ってただけ状態になってしまいました。(苦笑)

しかし、1日に70分前後の講演を5つ聞くって、それこそ大学のとき以来だろうと思いますし、興味のもてない話の間、ただ黙って座っているのがこんなにつらいものなのか・・・と、そんなことをしみじみ感じたセミナーでした。(苦笑)
それでも、素晴らしい先生だなぁと感じる先生もおられましたし、行って後悔ということは全くありませんでした。

ただ、1年前のワークショップで自分の目指す方向性がよりはっきりしたように感じたのですが、今回もまたそれを感じました。
人事査定の話や、モチベーションをあげるための行動科学のお話、教育コーチングのお話など色々有益なお話だったのだと思うのですが、そういうお話を聞きながらも、自分のやりたいこと、やるべきことはそれじゃないと感じたり、素晴らしいのはわかるけど、どうにも違和感を感じるなぁと思うことがあったり。

例えば、テストの点が悪かった子どもに対して、責めたり否定したりするのではなく、問いかけて、子ども自身に考えさせ、機会を見つけて褒めてというようなコーチングが有効だといわれても、私はコーチングの勉強はしたことありませんが、もともと点数の悪い子を責めたことはありませんし、子どもを伸ばすのに有効だからという理由で子どもを意識的に褒めたということもないように思うわけです。

ただ単に、点数が悪くてもそのことを取り上げて責めようと思ったことがないし、予想以上に強烈な点を取ってきた子などには「なんで?なんで??どうしたん?」みたいに聞くことはあっても、それは責めたらいけないからそうしているわけではないわけです。
おまけに子どもを褒めるときは、基本的に本気ですごいなぁと思っているわけです。というか、いくら有効だからと言っても、心からの言葉でなければ、子どもには感じ取られてしまうような気がしてしまうわけです。

行動科学のお話では、誰でもできるように、どんなこともできる限り細かく分けて、ひとつひとつ小さなステップにするだとか、数値化、視覚化できるような表現に置き換えることが有効だというようなお話を聞きながら、確かにできない子、やり方がわからない人には有効なんだろうなと思うものの、うまくいえないのですが、何かストンと落ち切らないものがあるわけです。

大先生は物事は部分に分けてしまったらダメだと。その例で、人間は全部ひとまとめで捉えて初めて人間なのであって、腕だけ、脚だけ、頭だけと部分に分けてしまったら、それはもう死体だと・・・。
少なくとも頭の柔らかい時期の子ども達には、できるだけ部分ではなく全体を与えることが大切だというようなお話に感銘を受けた私には、行動分析が有効ですよと言われても、それを実践しようとは思えないというか・・・。

で、最後の先生の講演内容はとても素晴らしく、聞いていて楽しく、一番心に残ったのですが、それでも結局、「じゃあ帰って自分の教室でこれをやってみよう!」みたいなものはなかったのです。
まあ、簡単に言ってしまえば、私の教室の規模が、講演者の皆様が想定している規模、実際にセミナーに参加されている大勢の先生方の塾の規模と比べて圧倒的に小さいということと、おまけに「生徒獲得」、「教室拡大」みたいなことを考えていないということが、直接参考になることがなかった最大の理由なのでしょう。(苦笑)

ただ、ちょっとくすくす笑ってしまったのが、最後の先生が講演でこんなようなことをおっしゃったのです。

「皆さんの塾では生徒が5分ぐらい遅れてきたりしませんか?授業が終わる10分ぐらい前になると、時計を見てそわそわして、終わったら急いで帰っていきませんか?」

そう言われてみると、塾に勤めていた頃には遅刻してくる子は何人もいたし、終わりの時間をしきりに気にする子もいたなぁと。
けど、今はこんなに小さい教室だっていうのに、レッスン時間より随分前からやってくる子が殆どで、私はしょっちゅう「早いなぁ~」と、内心(ああ・・・またお茶も飲めない・・・)とか、(トイレに行けない・・・)とか思いつつ子ども達を迎えるわけです。(笑)
おまけに、レッスンが済んでも一目散に帰って行く子はやはり殆どいなくって、大抵残って落書きしたり、パズルや知育玩具なんかで遊んだりして、次のレッスンが始まるからと私に追い出されたりするわけで・・・。(苦笑)

そう思うと、今の私はやっぱりすごくすごく幸せなんだなぁと改めて思ったのでありました。

ちなみに、本日の最大の目的だった「生・出口先生」に関しましては……、私の感度が鈍いのか、「カリスマ」と呼ばれているオーラは今ひとつ感じることができませんでした。。。
お話の内容も先日読んだ著書とほぼ同じだったせいもあるのだと思いますが。

そして・・・何がヤバいって・・・どうやら風邪を引いたっぽい。
明日もレッスンが入っていて、23日までお休みはないのに、危険です。今日は早く寝ます。

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今帰りました。

今日は明日のセミナーに前日入りされたぷぅ先生がレッスンの後教室にいらしてくださり、食事をご一緒させて頂いて今帰ってまいりました。
18日付けでUPする記事を書きかけで食事に出てしまいましたので、後ほどUP致します。
宜しくお願い致します。

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2006年11月18日 (土)

発想の転換

と、ちょっと大仰なタイトルをつけてみたけれど、そんなすごい話ではない。
もしかしたら以前にも書いているかもしれないが、このブログも気づけば1年近くなってきて、自分の書いた記事も把握しきれなくなってきたため(単に記憶力が衰えているという話も無きにしも非ずだけれども…)ダブっていたらご容赦のほど。

今の学習法に出会うまで私は知らなかったのだが、繰り下がりのある引き算でつまずく子が多いのには子どもなりの理由があるようだ。

不勉強だった私は、先に大先生の「減々法」という呼び名を知ったのだが、ある先生に「それは水道方式ですね」といわれたので、ご存知の方もおられるにはおられるのだろう。

さて、これをお読みくださっている皆さまの中で、繰り下がりのある引き算をする際、「10借りてくる」以外の方法をご存知の方がどれだけおられるだろう。

大先生のお話を初めて伺ったときには、(ふぅ~ん、そういうものなのか。)ぐらいにしか思わなかったし、自分自身、繰り下がりの引き算で子ども時代に苦労した記憶も残っていないため、実感がなかったわけだが、大先生の「減々法」や「水道方式」と呼ばれる方法は、繰り下がりでつまずく子をうんと少なくしてくれるのだ。

まあ、教科書にも書かれているし、大抵の人は学校や塾その他の場所で「10借りてくる方式」での計算を習っているはずだ。
例えば、「13-6」であれば、13を10と3に分けて、10から6を取り、残った4と3を足して7という答えを出すことになる。

二数の組み合わせによってはその方法の方が簡単な場合もあるように思うが、大先生のお話では、引き算なのに足し算が出てくることで混乱する子がいるというとのことだったし、引き算なのだから、「取って取る」方が子どもにはわかりやすいのだと説明を受けた。

つまり、大先生方式(水道方式も同じなのですかね?)では、先ほどの問題であれば、13からまず3を取り、10。全部で6取るのだから、10からあと3を取って7という考え方をするのだ。

で、実際、教室でこれまで一緒に繰り下がりをやってきた子達は、繰り下がりでつまずいて混乱したということはほぼ記憶にない。
子ども達の中には稀に、こちらがその方法を提示しなくても、10から引いて残りを足す方法を自分で発見して使う子も僅かにはいたが、そっちがわかりやすい子にはもちろんそれでいいと思うし、一番いいのは両方の方法を使い分けられることなのではないかと思う。

今日この話題を取り上げたのは、ちょうど今1年生が繰り下がりのある引き算をやっている頃らしく、うちで「取って取る方法」ですんなりクリアしている子が、学校で10から取って残りを足す方法では混乱してわからなくなっているという話を聞いたからだ。

その子は教室に通ってくれるようになってまだ2ヶ月目の子で、初めのお話では算数に結構苦労し始めているようなことだったのだが、教室に来てくれてからただの一度も、その子が算数が苦手らしい印象を受けたことがない。
実際今日も、繰り下がりのある引き算を(まだそんなに時間をかけてやったわけでもないのに)、きちんと口で「○個とって、あと△個とるから□!」と説明しながら気持ちよく正解を並べていく。ああ、いい感じだ、これからが楽しみだなぁと思って、帰りにお迎えにこられたお母さんにどんどんよくできるようになっていますねというお話をしたところ、その話を聞かせて頂いたのだ。

学校の宿題のプリントに、10を超える数からの繰り下がりのある引き算をするものがあり、プリントの最初には何問かまず10と残りに分け、10から取って残りと合わせる方法で穴埋めだかなんだかをしなくてはいけないものがあったらしいのだが、彼はそれを見てもなんだかぴんとこなくて頭を悩ませていたそうだ。
しかし、プリントの下に計算すればいいだけの問題があって、それはスラスラと解いていたのだとか。

きちんと確実に、そして十分早く正解できるのであれば、方法は色々あっていいと思うし、その子にとってわかりやすい方法でいいのではないかと思う。

もし繰り下がりのある引き算で苦戦しておられるお子さんがおられたら、試しに「取って取る」方式で考えさせてみられてはどうだろう。
もしかすると、苦戦していたのが嘘のようにすんなりクリアできるかもしれない。

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2006年11月17日 (金)

いじわるババア

昨日のブログに関連しているが、私はときどき自分がホントにいじわるババアみたいだ・・・と思うことがある。

つい先日、ある先生とその日のレッスンでのやり取りについて話していたところ、その先生にも

「そこまでやりますか。」

と言われてしまった・・・。

そう言われたやり取りとはこんなことだ。

高学年の子がやった問題の答えに私は△をつけて返した。
その子との付き合いもそろそろ長くなってきたので、私の言わんとするところはわかってくれるだろうと思ったのだが、彼は意外にも

「せんせ~、なんでこれ△なん?だって、○○やから、これでええんちゃうん?」

そう尋ねてきた。

私が△をつけたのは、空欄に当てはまるものを答えよという指示の問題で、(  )の後ろには単位が書かれており、つまり、解答には数字のみを答えなければ正解ではないというものだったのだ。具体的に言えば、(   )℃となっており、そこに当てはまる数のみを解答欄に記入しなければならなかったわけだ。

すぐ気づくだろうと思って、「ちゃんと問題読んで」と一度促した。
しかし、今日の彼は気づかない。

その問題は小問がいくつかあったため、大問を読み直させようと、「最初に書いてあることをちゃんと読んで」と促したが、小問を繰り返し読もうとする。

「そこが最初じゃないでしょ?その問題の最初。なんて書いてあるの?」と言うと、何を思ったかプリントの表題を読む。
それはボケてるのか?と思いつつ、なんでたったこれだけのことに私はこだわっているのだろうとも思えてくる。

「じゃあ、そのプリントを最初っから全部読んでいって」と促すと、やっと大問に気づく。
聞かれていることには気づいたはずなのに、それでもまだ答えは合っていると繰り返すので、自分が書いた答えを(  )に当てはめてちゃんと読んでと言っても、なぜか器用に単位をひとつ読み飛ばし、ダブっていることに気づかない。

一緒にいたもうひとりはとっくに私が指摘していることがなんなのか気づいているし、たったこれだけのことにこんなに時間を費やすのも無駄なのではとも思える。おまけに、だんだん自分がホントにただのいじわるババアになってるんじゃないかとも思えてくるわけだ・・・。

けれど、「このときは単位つけたらダメでしょ」と言ったら、間違いなく彼は「あぁ~~、そうか」と言って答えを直すだろう。しかし、私が思うに、きっとまた同じことを繰り返すだろう。

だからこそ、まだ小学生のうちに、何か少しでも印象に残るやり取りをして、きちんと気づいてほしいと思ったのだ。
しかし、彼はなかなかの難敵・・・。予想外に気づかない。

悩んだ挙句、

「わかった。じゃあ、そこに書いていることをそのまんま(  )に書き写して。絶対そのまんまやで。」

そういうと、この人は一体何を言ってるんだ?といぶかしげな顔をしながら、彼は答えを書き写し始めた。そして、数秒後

「あぁ~~~~~~~~~~~っ!!!わかったぁ~~~~!!」

大きな声でそう叫び、脱力した。
一緒にいた子がそれを見て笑った。

「やっと気づいた?お疲れさん。」

そういって私も笑った。

これが正しいやり方なのかどうかわからない。
間違えるたびに何度も何度も指摘してやればいいのかもしれない。けれど、少なくとも今回彼が頭を悩ませた数分は、「単位書いたらあかんやろ?」の数秒より遥かに意味があるのではないかとも思うのだ。

教えないのはどこまで教えないのか。
気づかせるのはどこまで気づかせるのか。

これが正解というものがないだけに、毎日私も考え続けている。

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2006年11月16日 (木)

教えないことの難しさ

先日、ちょっとお耳に入れておかなくてはということがあり、久しぶりに大先生とお電話で少しお話をさせて頂いた。
大先生は今年、関西ではかなり有名な老舗中学受験塾の顧問になられ、一層お忙しくされているのだが、それによって大先生が有名になられ、その余波で私の教室を見つけてくださる方もこのところ少なからずいらっしゃる。

で、その受験塾での状況についてチラッとお話を聞かせてくださったのだが、ああ、そうかもしれないなぁとしみじみ感じたことがあった。

大先生の学習法の最大のポイントは指導者は「教えるのではない」ということだ。
正確には指導者といわないのかもしれない。子ども自身が気づくためのお手伝い、段取りをするための存在で、やり方を教えたり、覚えこませたりするのは絶対に避けるべきことである。

大先生のお話では、きちんと指導者が育ってからしか開講しないということで計画を進めているように伺っていたのだが、そのお話を伺ったときには(ふ~ん、そうか。大手なのにそこに関してはきちんと大先生の理念に基づいてやられるのね~。)ぐらいにしか考えていなかった。

しかし、大先生がおっしゃるには、指導経験のまだほとんどないような先生はすんなりと大先生の学習法を理解し、それを実践することができるのに対し、ある程度ベテランになってくると、いくら「教えてはいけない」と言っても、それができないらしいのだ。

で、ああ、そうかと。

私自身、この学習法に出会うまではずっと「子ども達にいかにわかりやすく説明するか」ということを意識して授業をしてきた。塾講師時代に心を砕いたことの全てがそれだと言っても過言ではないかもしれない。

しかし、わかりやすく説明することはできるようになって、実際子ども達からも「先生の説明はわかりやすい」と言ってもらえることが増えても、説明したことが子ども達に定着する率は悲しいほど低かった。

ずっとずっとジレンマを感じながら、何かないか、何かないのか?と探し続けた結果、大先生の学習法に出会い、ひと目惚れし、それまでは中学生との授業が一番好きで、自分が幼児を指導するなんてことは全くの想定外だったにもかかわらず、今の私がいる。

けれど、私の場合、何か違う・・・、もっと何かあるはずだ・・・と探し続けて辿り着いた結果だったわけで、それまでのスタイルを捨てることのハードルはさほど高くなかったのではないかと思う。

そんな私でさえ、初めの頃はずっと、本当に教えなくていいのか、ただ黙って見ていていいのか、目の前で子どもがうんうん悩んでいるのに放っておいていいのかと、さんざん悩み、迷いもした。
実際、今だって高学年で来てくれた子達などに対しては、最初のハードルを越えるまでの辛さで何度か泣かれているわけで、迷いが完全に消えたわけでもない。

それでも、過去のやり方より今のやり方の方が子どもの力が圧倒的に伸びているという確信があるから、どうにかそのスタイルを守っている。

しかし、老舗受験塾ともなれば、私などの比じゃないぐらい「教え込み、覚えさせる」ということを繰り返してこられた先生方がほとんどだろう。
「教えるな」というのは、それまでの自分を全て否定するのに等しいことになるだろうし、幼児や低学年に「教えない」というスタイルを実践できるようになってしまったら、きっと高学年に覚えこませる授業に疑問を感じ始めてしまうようにも思う。(感じてくださればそれはそれでいいような気もするが。)

私は老舗受験塾に何の恨みもないし、もちろん、勝負する気も微塵もない。対象としている子どもや親御さんもかなり違っているのだし、そもそも私は中学受験に興味がない。
中学受験をする子達にとってその塾はなくてはならないところなのは恐らく間違いないだろうから、塾自体にどうこういう気は微塵もない。

ただ、うちの教室の何倍ものお月謝を払って、「教えることが当たり前」の指導者からレッスンを受ける子がいるのだとしたら、なんだかちょっと気の毒な気はしなくもない。

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2006年11月15日 (水)

保護者向けレッスンに関するご案内(1)

先日、おうちの方向けのレッスンを考えようと思うとチラッと書かせて頂いたところ、既に5、6件のコメントやメールを頂きました。
書かせて頂いたのが週末で、私のブログは土日は大抵かなりアクセスが減るので、あまり反応はないかなと思っていたのですが、思いがけない反応に驚くやら、有難いやらです。

ただ、11月は既にお受けしている体験やレッスンの振替、私自身のセミナーへの参加、遠方から月に1回ぐらい来てくださっている方のレッスンなどがあり、普段のレッスン以外にもかなり慌しくしている状態です。

そこについ(いえ、ついでもないんですけど・・・)このタイミングでご提案をしてしまったため、メールを頂き、それにご返信し・・・ということが重なっており、現状ちょっと手一杯(私のキャパが狭いのが問題なわけですが・・・)となっております。
メール等をお返しするのが遅くなるかもしれませんが、何卒ご容赦くださいませ。

尚、保護者向けレッスンに関してですが、初回はまずご希望の方にお集まり頂き、教室で使用している教材・教具全般をご紹介するという形にさせて頂こうかと考えています。

お子さんの学年や得意・不得意、習い事の状況などもそれぞれ皆さん異なると思いますので、まずはご自分のお子さんに合いそうなものがあるかどうか、あるとすればどれかというのを親御さんの目でご確認頂こうと思います。(もしも、残念ながらお子さんに合いそうなものがなかった場合は、その1回で終了ということになるかも知れませんが・・・。)

その後、同じような教材を使われる方ごとの少人数グループを作らせて頂いて、月1回程度、その月に学習することになるであろう内容についての指導のポイント、子どもが苦手とするポイントなどをご説明させて頂くというような感じで進められたらいいなと思っておりますが、その辺りはもう少し具体的に考えていこうと思っております。

基本的にはこちらの教室で使用している教材などをご家庭でご指導頂くためのレッスンという位置づけになると思いますので、もしも他に何かご希望がおありの方がおられましたら、またお知らせください。
まだ本当に漠然としていて、何も決定しておりませんが、基本的には平日の10時か11時頃開始、月1日程度は日曜日(または祝日)にもそういう日を設定することも検討中です。

追々、またご案内していこうと思っておりますので、ご興味のある方は宜しくお願い致します。
(因みに、教室で使用している主要教材は1ヶ月あたりのご負担で考えれば有名な通信教材などよりお手頃なぐらいかもしれません。)

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2006年11月14日 (火)

彼らを見ていて思うこと

これまでこのブログにも何度も登場している6年生くんたち。
普通にレッスンを進めてきたが、小6でやる内容は学校で習うよりも難しいものまである程度やり終えたし、春からは一斉指導の普通の塾に移ることになるはずなので、だったら中学の数学に入ろうかと、先日から中学の内容に移った。

もちろん最初は正負の数の単元だ。
これまで、小学生から見てきた子が中学になってもそのまま数学だけ続けてきてくれているという子も僅かにはいたが、6年のこんな時期から数学に入ったのは彼らが初めてだ。(まあ、このまま行くと、初期組スーパー君、スーパーちゃんはもっと早くに小学校内容は全て終わってしまうことが確実だが。)

まだまだ卒業まで時間があるということや、これまで極力説明をせず、必要最低限のヒントだけを出して考えさせるというスタイルに随分慣れてくれたこともあって、彼らには一切何の解説も載っていないワークブックを渡し、とにかくまず考えてもらうという形で進めてみることにした。

もちろん、最初にマイナスの数があるということを知っているかどうかの確認はしたが、大抵の子はそれこそ幼児だって「マイナス2」とかいう言葉は知っているし、それが0より小さい数ということもぼんやりわかっている子も少なくないので、彼らももちろん感覚的に知っていた。

だったら大丈夫だなということで、大小関係や絶対値を経て(絶対値もほぼ説明は必要なかったのには驚いたが)、正負の加減計算に移った。

プラスの数は「得点」でマイナスの数は「減点」だということを最初に確認し、計算符号のプラスは「増える」、マイナスは「減る」ということを表しているのだということだけを確認して、あとは問題を解いてもらった。

解説を見て同じようにやりたくっても、彼らの持っているワークブックには1問たりとも問題の解法が載っていない。もちろん解説も皆無だ。
だから、彼らが使えるものは「プラスは得点・マイナスは減点」「プラスの符号は増えるという意味・マイナスの符号は減るという意味」というたったそれだけの知識だ。

そもそも、それは知識というよりは、経験上わかっていることを確認したに過ぎない。わざわざ覚える必要もないようなことだ。

しかし、それさえわかっていれば、目の前で彼らは私が何も説明しなくても、しっかり考えて問題を解いていく。いきなりやらせているにしてはかなりの正答率だし、間違えたものも見直しをさせるとほぼ確実に正解になる。

ほんの2回ほどのレッスンで、結局3つの数や4つの数の加減計算まで、彼らは問題なく進んでくれた。

時折、「せんせ~、マイナスが減るってことはプラスってことですか?」と確認するように質問することはあったが、「どう思うの?」と尋ね返すと、それ以上は聞かない。頭の中で減点が減れば結果は増えるということを理解しているからだ。

この子達を見ながら、改めて思う。
過去の私は一体何をしていたのだろうと。
子ども達に必死で

「マイナスとマイナスが並ぶとプラスになるからね。棒が2本(-と-)だからプラス(+)になるって覚えてね~!」

なんて言っていたのが馬鹿みたいに思える。
覚える必要なんてないのだ。きちんと考えればわかるのだ。

正負の数の四則計算の中で、考えても今ひとつぴんと来づらいのは恐らく「マイナス×マイナスはプラス」というものぐらいだろう。
それについても、具体的に経過時間と位置の関係でうまく説明をしておられるものを見たことがあるので、最初にそれを使って一度は考えさせようかとも思うが、プラス×プラスやマイナス×プラス、プラス×マイナスはすんなり説明がつくのだから、残りのひとつは覚えるとしても簡単だろう。

学校の授業や定期テストに追われながらではなく、こうしてこんな時期からじっくり中学内容に取り組めることがとても素敵だと思うし、お蔭で新たな発見もできて、本当に嬉しい限りである。

彼らがここを卒業するまでに、無理なくどこまで進めるか、今はそれが楽しみでならない。

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2006年11月13日 (月)

友人からの質問

小学校以来の付き合いの友人から、昨日メールで質問を受けた。
仕事で同僚といじめに関する話題になったらしいのだが、彼女からの質問はこうだった。

「私はなんでいじめられなかったと思う?」

その友人は高学年になってからの転校生で、小さくって細くって、その頃の印象では体も強そうな印象ではなかったのだが、彼女が言うには「いじめられる要素」が盛りだくさんだったはずだというのだ。
それでも彼女はいじめられた経験がないのだけれど、それはなぜだと思う?と質問されたわけだ。

ま、簡単に言えば彼女が「いい子」だったのかもしれないが、今の時代、「いい子」だからいじめられないなんてこともないわけで、遠い遠い日の自分の記憶をあれこれ辿ってみたのだが、私はどうしてもその答えを思いつかなかった。

そもそも、彼女と一緒に過ごした高学年の頃、うちのクラスの女子の中で「いじめ」というものがあった記憶がないのだ。
まあ、小さなグループがくっついては離れ、あるグループが別のグループの子達の悪口を言うなんて程度のことは日常的にあったようにも思うし、私はそういうのが煩わしくて、大抵男の子達と運動場を走り回って遊んでいたのだが、それでもいくら思い出しても、誰か特定の個人を複数の人間がいじめるという今言われる「いじめ」のようなものはどうも思い出せない。

私の記憶にある限り、そのクラスで目立っていた女子は自分も含め何人かいたが、その誰もが弱いものをいじめるとか、卑怯なことを率先してするとかいうタイプとはかけ離れていたように思う。
リーダー格の子達がそういうことに無縁であったこともいじめが起きなかったことに関係があるんだろうか?と思ったりもするが、だとすれば、今、全国で起きているいじめだって、首謀者はある程度影響力のある子でなければ「いじめ」は成立しないのではないかと思える。

例えばイメージしてみよう。40人なりのクラスで、影響力の大きな子が「○○、なんか気に入らないよな。仲間はずれにしようぜ。」みたいなことを言えば、それに反対を唱える勇気のない子たちが巻き込まれてあっという間にいじめの構造が出来上がってしまうかもしれないが、ほとんど影響力のない子が同じことを言ったって、そう簡単にいじめに発展するようには思えない。

もちろん、どんなことにも例外はあるとは思うが、いじめの首謀者が先生や大人から見れば「優等生」である場合が少なからずあるのは、結局そういう子たちの影響が強いからとも言えるのかもしれない。

以前、寺子屋ありがとう先生と少しお話をしたことがあるが、結局いじめに走る子どもはその子なりに何らかのストレスを抱えていて、それを発散させるために自分より弱いものをいじめるという選択をすることがあるようだ。

では、その子のストレスとはなんだろう?
親からの愛情に飢えているのかもしれないし、周囲からの過度の期待が負担になっているのかもしれない。また、親の前ではいい子でいたいという思いが強すぎて、いい子を演じているストレスなんてものもあるのだろうか。

少なくとも、大人からの愛情をたっぷり受け、遊ぶべき時期にしっかり遊び、心を歪める危険のない方法で学んで大きくなった子達が弱いものいじめをしそうには思えない。

私がそうだとは言えないが、少なくとも私には「弱いものをいじめてストレスを発散する」という発想自体が全くないのだ。
あの頃の同級生たちに聞いても、そう答える子は少なくないように思う。

これだけいじめ問題が深刻化している現状は、それだけ子ども達の心が病んでいるということなのだろう。
しかし、「病んでいる」原因は何かとなったとき、糸山先生が先日のブログに書いておられたが、詰め込み学習を優先し、「心」を育てることを軽視した結果だといわれたら、否定できない気もする。

私が中学受験指導をしたくない理由のひとつに、仕事帰りの電車でときどき見かける受験塾帰りの小学生達の姿が好きになれないからということがあるのだが、もちろん、バランスよく軽やかに受験に臨んでいる子がいることも知ってはいるが、電車で見かけるその子たちは大抵、相手を見下してバカにしたような発言を繰り返している。

「アホや、お前。そんなんも知らんの?」
「ださぁ~、そんなんもできへんの?」
「うわ、こいつこんなんもわからへんねんて。」

そんな言葉が次から次へ耳に入ってくる。

もちろん、受験をしない子達でも、特に男の子はそういう発言をする子はいるようには思うが、そんな言葉を口にしているときの受験塾帰りの彼らの表情が私はとても嫌いなのだ。
やんちゃな男の子が冗談半分に相手をからかっているときの表情とは明らかに違う、背筋が寒くなるような表情をしている子が決して少なくないからだ。

彼らがストレスを抱えていないとは思い難い。小学生が夜10時過ぎの電車に乗っているのだ。本人の自覚があるかどうかは別として、心が歪んでしまったとしても、それは子どもの責任ではないだろう。

おまけに、一部の受験塾では堂々と、「勉強ができないヤツはダメなヤツ」なんて「教育」をしているという噂も耳にしたことがあるが、まだ心が柔らかい時代に、そんな刷り込みをされて、おかしくならない方が余程困難だろう。

昔にも、「いじめっ子」はいたし、「いじめられっ子」もいただろう。
しかし、いじめっ子からいじめられっ子を守る子も存在したし、ガキ大将はしばしば自分より弱いものには優しかったはずだ。

人間だから、人の好き嫌い、性格の合う合わないは当然あるだろう。しかし、それはいじめをする理由にはならない。
「気に食わないヤツ」がいれば、個人的にケンカするか、付き合わないという選択すればいいだけのはずだ。

健康な心が育たないまま、表面的な学力だけをつけ、テストで好成績を収めたって、そんなのは「幸せ」には繋がらないのだということを、子どもに関わる大人たちみんなが、もっともっと強く肝に銘じなくてはいけないように思う。

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2006年11月12日 (日)

どうしても不思議なこと

このところ改めてしみじみ思うことがある。

実はこの1、2ヶ月、パタパタと新規入会の子達が増えたのだが、その中に1年生の男の子が何人かいる。
この時期の入会なので、ほぼみんな何かしらお家の方が気になる面が見え始めて・・・という感じの子達だったため、苦手意識が消えるのにどのぐらいかかるかなぁと思ってレッスンを始めた。

ひとりの子は、事前にお家の方からもちょっと心配な点などを少し伺っていて、そうか、ちょっと意識しておかなきゃと思っていたのだけれど、いざレッスンになったら、初回からやる気満々の表情で登場してくれて、実際、レッスンでもすごく集中して終始頑張り続けてくれた。見ていても表情自体が「賢い顔」になっているのだ。

初回に色々やってみたけれど、一体どのあたりがご心配だったのだろう?と思うほど、何の問題もなく、その後ひと月余り経ったが、今ではもう学校より少し先のことまで進んだ上、明らかに計算が早く確実になったのが感じられる。
もともと、お家の方は勉強の教室なんて通いたくないって言うんじゃないかとドキドキで連れてこられたようだったが、彼は相変わらずやる気満々の表情で教室に駆け込んできてくれる。

別の子は、体験に来てくださったときのお話では、2学期になって数日体調を崩して学校を休んだところ、急に算数が難しくなってしまったらしいということで、確かに何か苦手意識のようなものを感じた。
まあ、まだ学校でやっていることは限られているから、そう心配しなくても大丈夫だろうとは思っていたが、この子の変化は本当に早かった。まだひと月も経っていないのだが、既にまだ学校ではやっていない問題にも到達し、その理解もあっという間だったのだ。

私もいい加減なもので、この教材を最初から順にやっていれば、すぐに学校を追い抜くことはわかっているのだが、どの内容までが1年生でどこからが2年生なのかを正確にチェックしていないため、十いくつ+ひと桁の数で答えが20までのものは1年生の教科書ではまだ出てきていないということに気づいておらず、それまですんなり進んできていたので、そういう問題が混ざっているプリントを何も気にせず、彼の前に置いたのだ。

すると、彼が一瞬「こんなんやったことない」と言ったので、「あれ?そう?絶対できるよ。」と言って、1問だけ十の位を隠して「ひと桁+ひと桁」の式にした状態で見せ、「これわかるよね?」と尋ねるとすんなり答えたため、「で、あとここに10あるから?」と指をのけながら尋ねると、あっさり正解。その後はスラスラと問題を解き始めたかと思えば、帰り際にはその問題の解き方をお母さんに説明までしていた。(笑)

他の子達を見ていても、低学年であれば本当にあっという間に変化が見られる子が殆どで、特に、これまで勉強の習い事などをしていないというお子さんであれば、その変化は驚く速さで現れることが多い。

そしてまた不思議になるのだ。

私の教室のレッスンは高学年の一部の子などを除いて、原則週1回1時間だ。
それに対して学校の算数の授業は少なくとも週3、4回はあるだろうし、お家でドリルなどの宿題も出るのだろう。

もちろん、学校はひとクラスの人数が多いということはわかる。しかし、4月から学校に通って10月、11月まで授業を受けた子達が苦手になってしまったことを、延べ3、4時間で取り戻し、それ以上の力を発揮させることは決して難しいことではないというこの現実を目の当たりにするにつけ、一体学校ではどんな授業がなされているのか、どうしても不思議でならないのだ。

教室を立ち上げたとき、友人の子どもが来てくれた。彼女は1学期のおしまいで1桁同士の引き算に挫折していたという。しかし、教室に来てくれた最初の日から、彼女が算数ができなかったことはただの一度もないのだ。

その後も、学校の算数が苦手になって来てくれた子達は少なからずいるが、低学年であれば殆どの場合、その苦手だった部分をクリアして、それ以上の力を発揮してくれるようになるのに大した時間はかからない。

当然私が魔法を使えるわけでもないし、もちろん、なかなかはかばかしい変化が見られない子もいるにはいるが、確率としては極めて低い。
とすれば、世の中の大半の子に短期間で効果があり、その方法は決して難しいものではないのに、なぜ世の中に小さいうちから算数が苦手になってしまう子が跡を絶たないのか・・・それがどうにも不思議でならないのだ。

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2006年11月11日 (土)

あるお母さんの言葉

先日、関東から飛行機を使ってまで教室を訪ねてくださった小学生のお母さんがおられる。
さすがに私の教室はわざわざ関東から飛行機まで使っていらして頂くほどの価値があるとはどうにも考え難かったので、お近くの先生をご紹介したりもしたのだけれど、私に連絡を下さるまでにウロコ先生に「間違った情報」をしっかりたっぷりインプットされておられたこともあり、結局お断りしきれずお運び頂くことになった。

それでもやはり、わざわざそんな時間と費用を費やしてまでいらして頂いた挙句、期待外れだったらなぁととても気にはなっていたのだが、ま、その辺りは私のこの適当な性格の成せるところで、(ま、私から是非いらしてくださいと言った訳じゃないし・・・)ととりあえず言い訳を作っておくことにした。(苦笑)

お約束の時間にお見えになったその方は、私を見るなり一瞬非常に面食らったような顔をされ、「お若いんですねぇ」とひと言。(笑)
ま、確かに年齢を無視した格好をしていることもあり、実年齢よりは若く見えるかもしれないが(何しろ、体年齢は順調(?)に若返っているし・・・)、「お若い」と言われるには相当抵抗のある歳だ。

実際の歳を申し上げても、どうもまだ違和感がおありのご様子だったが、後のお話では私のブログの真面目な話を読む限り、もっと歳を重ねているようにお感じだったそうだ。(う~ん、そうなのかしら?おバカなことしょっちゅう書いてるのに・・・(苦笑))

まあ、余談はさておき、遥々いらして頂いたので、私がお答えできることは精一杯お答えし、お見せできるものもできる限りお見せしたのだけれど、そのときその方が言ってくださった言葉に一層の勇気をもらった。

私がひと目惚れした学習法、それに使う教材・教具をご覧になって、しみじみとこうおっしゃったのだ。

「本当に素晴らしいですね。」

その方のお子さんは既に高学年になられているので、実際に使える部分はかなり限られているのだが、それでもその方は更にこうおっしゃった。

「孫ができたら絶対これをやらせます。」

お子さん達のために、これまで色んな教材を見てこられたようだし、何より、親の立場から見てのこれ以上ない褒め言葉だ。

実は私も同じことを思ったのだが、こうもおっしゃった。

「I先生(私もお世話になっている大先生)、もっと頑張ってこの教材を広めてほしいです!」

本当にそうなのだ。
その方は、私が3年半前に感じたのと同じような感覚を抱かれ、ご自身は一保護者というお立場でありながら、『一人でも多くの子に』と同じことを感じてくださったのが、私は本当に嬉しかった。

私が経営ベタなのも、お金儲けということにほぼ全く意識が行っていないのも、このブログで何度も書いているように思うし、そう感じてくださっている方もおられると思うが、それでもやはり私の言葉は、取りようによっては「教室経営者の宣伝」に取られてしまうかもしれない。
いくら私が「子どもたちのため」と力説したところで、いいことだけを並べて生徒を獲得しようとしているんじゃないの?と取られることだってあるだろうし、もうそれはどうしようもないことだ。

けれど、こうして利害関係のない、ある意味では私たち教室や塾の経営者の側からすれば「お客様」である側の方にそう言って頂けたことが本当に嬉しかった。

今はちょっと考える時間が取れず、まだ漠然としているのだが、来年度に向けてちょっと考えていることがある。
教室で子どもを直接指導させて頂くのは、現状もうかなり限界に近いところまで来ている。1枠の人数を増やすことができないわけではないが、それによって指導の質を落とすのはイヤだ。
どなたかお手伝いしてくださる信頼できる方が見つかればいいのだが、そうでなければ今後も当面私ひとりで見られる範囲のお子さんだけをお預かりすることになる。

また、この学習法に興味がおありでも、市外や県外などにおられ、お近くで同じ学習法を採用している教室がないなどという方もおられるのではないかとも思う。

なので、もしニーズがあればの話なのだが、月に1、2回程度、保護者の方を対象に、お子さんへの指導のポイントをお教えするレッスンを作ろうかと思っている。
お子さんを通わせるのは大変かもしれないが、その月に学習する内容に関して、保護者の方に私がポイントなどをご説明することはある程度可能だと思うし、それは週1回でなくても月に1回か2回、1、2時間もあれば大丈夫だと思う。

それであれば、午前中やお昼一番など、まだお子さんが学校にいらしている時間帯を利用して来て頂くこともできそうだ。
自分の中ではニーズがあるかどうかは別として、特に何か新たに準備が必要な訳でもないし、来年か来年度辺りには始められたらとは思っている。
(もしそんなレッスンが開講されれば受講を検討したいとお考えくださる方がおられたら、コメントやメールなど頂けるととても嬉しく思います。)

先日のお母さんの言葉に勇気をもらい、やはり私は自分のできる限り精一杯ひとりでも多くの子どもにこの学習法に出会ってもらいたいと改めて思ったのだ。

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とうとう壊れたか?(苦笑)

昨日、体年齢のことを書いたのですが・・・。

もしかすると、私、もしくは体重計が壊れたかもしれません・・・。(苦笑)
けど、体重計はまだ買ってひと月になるかならないかなんだけど・・・。

というのも、この2、3日体重も乱高下、おまけに体脂肪まで乱高下。。。
実は体重が大台を割ってびびったのですが、それは回復。それなのに、なぜか体脂肪が1日で4%ぐらい下がったんです・・・。あり得ない。
体重増えて体脂肪が減るのは筋肉が増えたぐらいしかないですよね?1日にしてどれだけの脂肪が筋肉に代わったって言うんだ・・・。
おまけに、今朝の体年齢はとうとう・・・「実年齢マイナス10歳」!!

全く・・・何が起きてるんだか不明です。(苦笑)
けど、元気です。(それもある意味恐ろしい。。。)

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2006年11月10日 (金)

関西人の血が・・・。

うぅっ、まともな記事を書こうと思いながらも、ちょっとレッスンが立て込んでいたり、体調もイマイチだったりで、ど~でもいいことばかり書いてしまっているわけですが、懲りずにもう一つ。。。

昨日はかなり控え目な表現に留めさせて頂いていたのですが、もうほぼ完全復活しましたので、実はわたくし、一昨日の晩、外で食事中にカウンタに座ったまま気を失ったようです。
同伴者の方が支えてくださって、どうにか大事にはなりませんでしたが、正直一瞬自分がどこにいて何をしているのか全くわかりませんでした。
なかなか貴重な(?)体験でした。(苦笑)

ですが、その辺はやはり気力・体力が取り得のわたくし。さすがに昨日はまだ本調子ではありませんでしたが、今日は完全復活。
で、何を書こうとしているかって・・・。

実は昨日の朝、かなり体重も落ちて、胃の調子もおかしくて、なんかもう雰囲気的にボロボロだったわけです。
けど、日課の朝の体重測定で体重計にのったところ、以前体年齢が実年齢マイナス8歳だったと書いたことがあるのですが、さて、昨日の朝の体年齢はというと・・・・・・。

実年齢マイナス9歳!

ほんま、なんでやねん・・・。(苦笑)

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関係ないにもほどがある話題。

タイトル通り、もうホント、関係ないにもほどがあるだろ?ってお話。

実は私の教室はガスがない。教室を始めたときは、ガスはあったのだけれど、結局ガス会社に連絡することなく過ごし、教室を移転したところ、なぜか今度はガス自体がないと言われ、けど、もともと使っていなかったのでいいかと、そのまま契約。

普段、お茶とかが飲みたくなったら、電子レンジでお湯を沸かすという技で乗り切っていたのですが、先日たまたまCMなどでも見かけるT-○AL社の電気ケトルをネットで見かけ、注文してみたところ、これがすごい!

レビューとかにも「すぐ沸く」とか書いてあったものの、電気だし、電子レンジじゃカップ1杯のお湯を沸かすにも数分かかるからなぁと、大して期待していなかったのですが、ホントにすごい。

正確に計ったことはまだありませんが、カップ1杯ぐらいならものの数十秒で沸いている感じがします。それも本気で沸騰します。
恐るべし、文明の利器。(いや、私が原始人過ぎるのか?)
今年の冬はお尋ねくださった皆様にも温かいお茶が出せるかもしれません。(って、普段出したことなくってゴメンナサイ・・・。)

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2006年11月 9日 (木)

いじめ報道への危惧

昨日書こうと思っていたのですが、仕事の後用事で出かけ、それが済んで食事をしていたとき、ちょっと気を失っていたようです・・・。それも、気づいたら寝てたってのとは違って、リアルに。(苦笑)

おまけに、そのせいなのかなんなのか(けど、食事は多少はしたんだけど・・・)今朝起きて体重を量ったら、多分自分の記憶にある限り、中学生のとき以来見たことのないレベルにまで体重が落ちていました。ちょっと不安・・・。

ま、気を取り直して(?)本題へ。
といっても、気分が明るくなるようなお話じゃないのが恐縮ですが。

実はこのところぼんやりと危惧していたことが現実になったのかもしれないという出来事が起きた。
最近本当にテレビを見ないので、このニュースは昨日のネットのニュースを見て知ったのだけど、そして、この手紙の差出人が命を落とすことがないことを祈るばかりだけれど、私が危惧していたことがこの手紙の一文に書かれているのだ。

テレビを見てほかにも自殺したいと考えている人々がいることがわかりむりをしなくてもよいことがわかりました。

最近、テレビのニュースや新聞で連日のようにいじめの問題やいじめによる自殺の報道が繰り返されている。
もちろん、社会問題なのだろうし、何らかの対策をということは必要だろう。ただ、こう連日のようにその話題がニュースをにぎわすにつれ、今、正にいじめで苦しんでいる子達が「そうか、死んだらいいんだ」と思ってしまいそうなのが怖いのだ。

ひとりで死ぬ勇気がなくてなのか、単にひとりじゃ淋しくてなのかはわからないが、最近ときどきネットなどで仲間を集めて、集団自殺をはかったというようなニュースを耳にしたことは、多くの方がおありだろう。

それに近い感覚で、まだ幼い子ども達がひとりであれば出せない勇気(勇気といっていいのかどうかは微妙だが)を、(みんなもやってるんだ。そんなにすごいことじゃないんだ。)と感じてしまうことはとてもとても恐ろしいことに思えるのだ。

いじめは絶対に許されないことだと思う。
もちろん、私だって人の好き嫌いはあるし、子どもの頃多少のいじめにあったこともある。
それでも、嫌いな人とは付き合わないとか、個人的にケンカするとかならともかく、大勢がよってたかってひとり(もしくは少数)をいじめるというのは卑怯だし、許しがたい。

だからといって、毎日毎日「いじめによる自殺」の報道を繰り返すのはどうなんだろう。
私はそのことによる、子ども達への悪影響の方が気になって仕方がないのである。

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今日の小ネタ

ほんとのほんと~~にど~~~でもいいことですいません。。。
けど、これってすごくないですか?

もともと、何年前か覚えていませんが、動物占いが流行った頃、ネットで登録すれば毎日翌日の運勢が送られてくるとか言うサイトに登録したまま今に至るわけですが、正直なところ、この占い、結構誤植やら思いがけない間違いが見受けられます。

で、今日のはすごいですよ。
そのまま載せますので、是非ご堪能ください。

堅実な生き方をするので、危なげないところはなさそうです

これって どやねん?(苦笑)
明日の私は危なっかしくて仕方ないらしいです。

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2006年11月 8日 (水)

書きたいことはあるのですが。

今日は朝から書こうと思っていることがあるのですが、朝は調べ物やらなんやらをしていたら時間がなくなってしまい、午後からは子ども達とびっちりとレッスン。で、こんな時間なのですが、これから仕事に関する用事でちょっと行かねばならないところが。

帰宅後まだ元気が残っていれば更新したいと思っていますが、明日もお昼に遠方からいらしてくださる方がおられるので、早目に寝たいなとも。

今日更新できなかったらお許しを。

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2006年11月 7日 (火)

あれから1年。

正確には昨日だったようだけれど、私にしては本当に珍しく、サンボー先生が主催された塾関係のワークショップに参加させて頂いて1年が過ぎた。

もともと、サンボー先生のブログのファンで、そのサンボー先生が京都で勉強会を開くというお知らせはぼんやり眺めていたのだが、今思えば亡き恩師のお導きだったのではないかと思ってしまうような出来事があり、なぜかどう考えても場違いな私がそこに参加させて頂くことになってしまったのだ。

しかし、ディスカッションを中心とした会のため、少人数ではあったのだっが、参加者の中で女は私ただひとり。おまけに殆どの先生が塾生100名以上、少ない方でも100名近いような規模の方ばかり。
そんな中にあって、私と、サンボー先生の計らいでお隣の席にして頂いた寺子屋ありがとう先生だけが異色の存在だった。

予想はしていたが、やはり全然話は噛み合わないし、場違いだったと痛感したものの、そのときの出会いは貴重なものになった。
そして、何より、あの場に参加させて頂いたお蔭で、自分の目指す方向性がよりクリアになったということはあったように思う。

あれから1年。勉強会で何か学んでそれを活かしたということは、まあホントに見事なまでになく、その上、その後一度サンボー先生が教室に足を運んでくださってご助言も下さったというのに、それすら実行せず過ごしてきてしまった。
それでも、この1年は飛ぶように過ぎていった。

もうこういう類の「塾関係者の勉強会」には参加することはないだろうなと思っていたし、何しろ私は出不精である。
新たに同業の先生方と直接お目にかかることはこちらを尋ねていらしてくださるとかでない限り、まずその機会はないだろうとも思っていた。

しかし、11月というのは何かそういう場に参加したくなるようになっているのだろうか。。。
先日、りんご先生のメルマガを読んでいると、りんご先生がパズルを持って参加する予定のセミナーが大阪でも開催され、それも日曜で、そのセミナーに現国のカリスマと言われている出口先生が来られるというのだ。

私の教室ではごくごく一部の子だけだが、国語を取っている子には出口先生の教材をメインに使っている。
これまで色々見てきた国語教材の中では、今のところ一番優れているのではなかろうかとも思っている。

そのカリスマ出口先生だが、私は学生時代には全く知らなかったし、その後も大学受験指導には縁がなかったので、つい数年前までお名前も知らなかった。
だが、その先生が大阪で、しかも日曜に講演をされるということを知り、これは行くしかないと。

私は基本的に決断が遅い人間なのだが、何かここっていうときだけは即決する。ま、今回はたかがセミナーなので決心とかいう大層なものではないけれど、とりあえずりんご先生にお願いして申し込みをして頂いた。

というわけで、滅多に公の場に姿を現さない(?)わたくしが、まあ、セミナーのタイトルを見たらまた間違いなく非常に場違いな雰囲気満載なのだけれど、そんなことはこの際気にせず、「生・出口先生」を見るべく、19日大阪に参ります。

面識のある方はりんご先生以外に全くおられませんので、りんご先生の周囲をうろうろストーキングしているヤツがおりましたら、それが私である確率が非常に高いかと思われます。

もしブログなどで存じ上げている先生方でご参加のご予定の方、検討中の方がおられましたら、お声をかけて頂けると嬉しいです。
どうぞよろしくお願い致します。

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2006年11月 6日 (月)

電話の今昔(2)

昨日、電話について書いたところ、お名前は明かしていただけなかったが、コメントを頂いた。そのコメントの最後に書かれていた言葉を読んで、またあれこれ考えてしまった。

「昔、好きな子のうちに電話するとき、父親が出たらどうしようとビクビクしていたのも懐かしい思い出です。今の子はそんなドキドキ感、味わえないんですね...。」

そういえばそうだ。
親に聞かれたくないというのとは別に、そんなドキドキもあったんだなと。
電話をかけても必ずしも話したい本人が出るとは限らず、特に一般のご家庭では親御さんが出ることの方が多かったかもしれない。それがまた、特に男の子が好きな女の子の家に電話をするなんてことになると、お父さんが出たら電話を切られるとか、「うちの娘に何のご用ですか?」なんて言われるとか、昔はそんな話も珍しくはなかったように思う。

我が家のことを振り返ると、大学生のとき、もちろんまだ携帯なんて普及していなかったので、部活の連絡などは直接しゃべるのでなければ、家に電話するぐらいしか方法がなかった。
私はマネージャーだったので、主務をしていたひとつ上の先輩からしばしば自宅に電話がかかってきていたのだが、その先輩、部活では毒舌で有名で、私は慣れていたものの、他のマネージャー達からは非難轟々だったという方。
けれど、実際のところ、この先輩は確かに「いらんこと言い」でひんしゅくを買うことはあったけれど、基本的にはとても気配りのできるいい方だったのだ。
で、その方の電話での挨拶がとてもとても好印象だったらしく、うちの母は何年か経っても、会ったこともないその先輩のことを思い出しては「○○さんは元気にしてるかしらね?」なんてことを言ったりしていた。

また、社会人になってある時期仲がよかった男性は、まあ、正直言って常識がやや欠けている方で、お店などで店員さんに対する態度も極めて横柄。それがイヤで何度か注意したこともあるような人だったのだが、この人からの電話はうちの母にはすこぶる印象が悪かった。
電話を取り次ぐときにも嫌そうなのがありありと見えたし、それこそ、「もうかけてくるな!」みたいな勢いさえ感じられることもあった。
大人になって挨拶もまともにできないという時点でまあかなり問題ありのような気はするが、そんなこんなを思い出しながら、また考えてしまった。

子どもの頃、「電話に出る」、「電話をかける」ということは、もしかしたらひとつのいい勉強の機会だったのかもしれない。
幼い頃は敬語なんて使えなくても、相手が大人なら笑って許してもらえただろうけれど、歳を取るごとに、それなりの挨拶や取り次ぎ方を親などから教わって身につけ、「しばらくお待ちください」とか「○○と申しますが、△△さんおられますか?」とか、ちょっと大人な言葉遣いをするようになっていったのではないだろうか。

コメントをくださった方ではないが、特に好きな子のお家にかけるなんてことになれば、相手の親に悪い印象を持たれてはまずい!と、どんな風にしゃべったらいいか、あれこれシュミレーションをしてみたなんて人もきっと珍しくはないだろう。

また、子どもの時代のある時期は親の干渉を鬱陶しく感じる時期があるものだろうけれど、やはり親は子どもより長く生きていて、経験も積んでいる分、電話の応対ひとつ取ってみても、この子はきちんと躾けられているとかいないとか、そんな判断も可能だったはずだ。

その結果、この子はちょっと問題だと思うような子からの電話は取り次がなかったり(それがいいかどうかは別として)、取り次いでもその後で、子どもからその子について話を聞いたり、付き合い方を考えるよう助言したりなんてこともできたのではないだろうか。

家にしか電話がなかった時代は、それによって子どもが社会性を身につけられたり、礼儀を覚えたり、親がある程度子どもの交友関係をチェックしたりもできたのだろう。
もちろん、「ああ・・・お父さんが出たらどうしよう・・・」なんていうドキドキ感も、懐かしい思い出として残るなんていうオマケもあったのかもしれない。

そんなことを思うと、やはり今のように子どもにまで広く携帯が普及したことを、私はあまり歓迎したいとは思わないのである。

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2006年11月 5日 (日)

電話の今昔

実は私は女にしては珍しく電話が苦手だ。
もちろん、しゃべるのが苦手なわけではないことは、私のことを直接ご存知の方は皆さんよくお分かりだと思うが、電話というものは相手の状況がわからないせいか、子どもの頃からかけるのが苦手だ。
自分でも笑ってしまうけれど、小学生の頃、仲のいい友人に電話するだけでも、ダイヤルを回しながら心臓がバクバクしたものだ。

社会人になった初めも、今度は電話を取るのも緊張して、極力取らずにやり過ごそうとしていたところ、あるとき上司にバレ、先輩方に「お前ら電話取るな!あいつに取らせろ」というお達しまで出される始末・・・。
その後電話を取らざるを得ない状況に追い込んでもらったお蔭で、幸い電話を受ける方には全く抵抗はなくなったのだが、かけるのは今でもやはり苦手なままである。

電話にまつわる思い出といえばもうひとつ。
私が子どもの頃はまだ携帯どころか家庭用電話機に子機と言うものさえなく、当然ながらコードレスなんてものも一般家庭にはなかった。
おまけに、今思ってもあの電話は一体いつから使っていたんだろう?と思うのだが、留守番電話というものがある程度普及するまで、我が家の黒電話はなんと、コードがストレートで(ぐるぐる巻いておらず、真っ直ぐ!!)、当然動ける範囲もそれに伴って恐ろしく狭かった。

小さい頃ならともかく、小学校高学年ぐらいになると、友人と、親には聞かれたくない話なんかもするわけだが、それはもう至難の業で、電話が置かれている場所から動けるのは半径1メートル程度。電話機自体を持ち歩くとしてもせいぜい2メートルがいいところだった。

おまけに私は基本的に声が大きい。大抵の場合、親が聞き耳さえ立てれば、余裕で話の内容を全て把握できる、プライバシーなんてあったもんじゃない生活を長らく送っていた。
中学生や高校生になり、親に聞かれたくない電話をするときには(悪いことをしようとかそういうことではなかったが、聞かれると恥ずかしいとかそういう話)、公衆電話でかけるか、親が出かけているときにかけるなど、子どもながらに苦労したものだ。

うちの母は、兄曰く、今で言えば「差別用語」を炸裂させているような人だったのだが、言葉遣いにはうるさく、関西弁であれば女の子でも当然のように「○○やんなぁ~」というその語尾でさえ、「女の子なのに『なぁなぁ』言うんじゃありません!」なんてお叱りを受けたりしたものだ。
そんなこともあり、とにかく電話は聞かれたくなかったのだが、その影響もあってか尚更電話嫌いに育ってしまった。

しかし、その後携帯電話が普及し(それを持ったのも私はかなり遅かったが)、今では小さい子どもでさえ器用に携帯を操って、メールだのゲームだのやってのける姿は珍しくなくなっている。
もちろん、何かと物騒な事件も多いということも考えると、子どもの身を守るために携帯を持たせるという親御さんも多いのだろう。

また、携帯を持たせていないご家庭であっても、今時電話はコードレスや子機つきが当たり前で、きっと今の子どもたちは聞かれたくない電話は携帯や子機を部屋に持ち込んで親に隠れて何でも話すことができるのだろうと思う。

もちろん、携帯などでかけられる先を何件か限定するようなサービスを利用している方などもおられるだろうけれど、昔の私の「最大半径2メートル」を思えば、電話に関して親の管理は全くできないに等しいのかもしれない。

子どもの人権とかプライバシーとかいう言葉を耳にするようになって結構になるし、私だって親には聞かれたくない話も色々あった。けれど、家で電話する分には聞かれたくないと思ってもそれはほぼ不可能だったし、今思えばそれはそれでよかったのかなと思っている。

子どもは良くも悪くも好奇心旺盛だ。昨今よく問題になっている「出会い系サイト」などでも、携帯で気軽にアクセスできたりするわけだろうし、もともとは興味本位でという子だって多いだろう。世の中には悪い大人もいるんだということをよく理解せぬままに、そういうサイトで被害に遭う子も跡を絶たない。

子どもの人権、プライバシーより、まず優先されるべきは子どもの身の安全だと思うのだが、そういう意味ではまだ世間を知らない、偏った知識しかない未成年の子どもを、親が許される範囲で管理するのは正しいように思うのだが、皆さんはいかがお考えになるだろう。

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2006年11月 4日 (土)

今日も感動。

土曜は1週間で一番ハードなのですが、昨日お休みさせて頂いたせいか、今日はまだ元気です。

今日のレッスンでは久々にひとりに泣かれてしまいましたが(もちろん怒って泣かせた訳ではなく・・・)、その他はみんな順調によく頑張ってくれていました。

そして、今日もいっぱい感動しましたが、締めの年長くんが今日もすごかった。
お迎えに来られたお母さんが、最近彼の頭の中には20個の玉が動いているようで、色んな人が色んな問題を出すんですけど、考えて答えるんですよと教えてくださいました。

そこに一緒にいたお姉ちゃんが、「○○(彼の呼称)、3つの数でもできるねんで」と言って、彼に向かって問題を出しました。

「○○、5+7+3は?」

そういわれた彼、ちょっと考えた後、元気な声で

「15!」

その場にいた3人で「おぉ、すご~い!」と言ったのですが、そのすごさはそれだけに留まりませんでした。
彼が続けて言った言葉に一同二度びっくり。

「5+7+3やろ?だって、7と3で10やろ?だから15やん!」

当然何にも教えていないのに、彼は自分で7と3を先に計算していたのです!恐るべし、スーパー年長くん。
今後も目が離せません。(笑)

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2006年11月 3日 (金)

後悔・・・。

10月はなんだかやたらバタバタした上、ちょっと体調も思わしくなかったりもしたので、年度始めには今日はレッスンをするつもりだったのだけれど、とりあえずお休みさせてもらうことを先日ご案内して、本日はお休み。

1日フリーだから、あれもしてこれもして・・・と思っていたのに、結局完全にダラダラしてしまっただけの休日。
こういう過ごし方をすると自己嫌悪に陥る。。。おまけに明日はハードな土曜だから、こんなにダラダラしていると明日が不安にもなる。

過ぎてしまったことは仕方ないので、今日は諦めて休養したと思うことにしよう。。。

時間はあるのだけれど、何か書くことがまとまらず、最近ずっとまともな文章を書いていないなぁと思うのだけれど、やっぱり今日もイマイチまとまらず・・・。

けど、最近子ども達のことで嬉しくなることがホントに沢山ある。
先日、あるお母さんがメールで教えてくださったことなのだけれど、これがあまりにインパクトが強く、思い出すと自然と顔がほころんでしまう。

何かというと、年長のある男の子は、ここのレッスンが大好きらしい。
もともとこれまでにもお母さんが色々聞かせてくださっていたので、それを聞くたび、嬉しいなぁ、有難いなぁと思っていたのだけど、例えば、他の習い事を休んでもうちは絶対休むとは言わないとか、何か行事があって疲れていても時間を変更してでも絶対休まないとか、そういうことはこれまで何度となく聞かせてくださっていたのだ。

しかし、先日とうとう、予想を遥かに超える発言をしてくれたらしい。
メールにはこう書かれていた。

「この前は園もやめてもいいけど、算数はいくと言い切ってました。」

とうとう園にまで勝ってしまった・・・。恐るべし。

で、つい一昨日にはまた思いがけないことを別のお母さんが聞かせてくださった。
その子は受験塾と掛け持ちで通ってくれていて、来年には更に授業が増えるため、もともと今年いっぱいかなと思っていた子だ。
しかし、お母さんがその子に来年のことを尋ねると、「やめへんよ。絶対行く。」と言ってくれたらしい。実際塾の新学年の授業が始まったら、物理的に厳しいのでは?と思わなくもないけれど、そう思ってくれていることがとてもとても嬉しい。

そんな話を聞かせてもらうたび、私はなんて幸せ者なんだろうと、改めて思うのだ。
ホントしっかり頑張らなきゃ、バチがあたるな。

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2006年11月 2日 (木)

肉体労働終了。。。

すいません。。。まともに何か書こうという気持ちがないわけではないのですが、明日レッスンがお休みで、先日注文していた組立式のフリーラックがタイミングよく今日届き、レッスン終了後、黙々と組み立て、使い勝手の悪いドライバーしかなかったため、手の皮が剥け・・・。(泣)

とりあえず何とかどうにか組み立てを完了し、ものを移動。お掃除して整理したらこの時間でした・・・。
まだちょっとしなきゃいけないこともあるので、本日中のまともな更新は無理っぽいかと。(今日中には帰りたいし。)

というわけで、日課としてのとりあえずのUPですみません。
今日も無事1日が終了しました。原因不明のにきびは相変わらず治まる気配を見せず、ちょっとブルーです。。。(泣)

皆様よい休日をお過ごしください。

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2006年11月 1日 (水)

今日の些細な会話

ホントに取るに足らないような些細な会話なのだけど、言いながら自分でも(ああ、そうよね、そりゃないわね)と改めて思ったこと。

今日、6年の子が6年のまとめ問題のようなものをやっていたとき、人口密度を求める問題が出てきた。

人口密度を求めるなんて、まあ滅多にやる機会もないので、習ったその場ではできても、時が経てば何をするんだったか忘れてしまうのはよくあること。

この子も例に漏れず、初めは面積を人口で割ってみたらしい。

「なあ、面積割ったら答えは面積なんちゃうのん?」

そう尋ねると、「あ、そうか」と言って、人口を面積で割ることにしたようなのだけれど、そのときに彼がこう尋ねた。

「面積のキロメートル(正確には平方キロメートル)ってメートル(正確には平方メートル)に直すん?」

で、そのとき私が彼に返した言葉。

「なあ、メートルにするって言うたら、このカーペット4枚分の広さに人が何人おるんかって計算するってことやで?いややん、こんな狭いところに。ひとりでも無理やわ。それに、そもそも人口密度って、日本の国とかの広さを考えるんちゃうん?」

ちなみに、カーペット4枚分というのはタイルカーペットのことで、うちの教室に敷いてあるものは1枚が50センチ四方で、ところどころ色を変えて並べているので、4枚分というのも割と見てすぐわかるのだ。

そんな広さに人が何人いるかを計算するなんてこと、そりゃあり得ないわなぁと、言った後改めて自分でも思ったわけだが、その子の次の言葉がまたなんとも可愛かった。

「そりゃ無理やな。アリやったらええかもしれんけど。」

で、まあ、ここは関西人としてつっこんでおかねばならんだろうということで、

「そやなぁ、けど、それやったら『アリ口密度』やで。」

と、かなりベタなつっこみを。
お粗末さまでした。

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