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2006年10月31日 (火)

10月もおしまい。

ホントに毎日が飛ぶように過ぎています。
大袈裟かもしれませんが、ついこの前年末の大掃除をしたような気さえするのですが、もう今日で10月もおしまい。
明日からは11月のスタートです。今年もあと2ヵ月でおしまいだなんて、ちょっと想像がつきませんが、つこうがつくまいが明日からは11月だし、2ヶ月経ったらまた新しい年が始まるんですよね。

最近の月日の過ぎ方はなんだか尋常じゃなく、私の中ではまだ今で3ヶ月ぐらいかなぁと思っている子が半年通ってくれていたり、今で半年ぐらいかなぁと思っているともう1年経っていたりと、しばしば驚くのですが、驚くたび、小さい子たちが嫌がることなくこうして通ってきてくれていることを本当に嬉しく思うのです。

歳なのかもしれませんが(笑)、最近しみじみ立ち上げの頃を思い出してしまうことがあります。
先日もチラッと書きました通り、教室をスタートしたときは子どもが全部で6人でした。2人ずつのペアでのレッスンだったため、レッスン数は3つ。ふた組は火曜、ひと組は土曜だったので、初めは週休5日で、おまけにレッスンがある日も1、2時間です。

「ああ、早く毎日レッスンができるようになりたいなぁ」と思っていたあの頃、今の状態は全く想像もできませんでした。
小さい子たちがメインの教室にしては、お引越しや卒業、教材が終了したなどの理由以外、教室に来るのがイヤという理由でお別れになった子達は多分極めて少ないと思います。(物忘れもひどいので、実は記憶には全くありません。(笑))

本当にありがたいことだなぁと思っています。

先月、今月は思いがけずパタパタと新入会の方や体験ご希望の方などがいらしてくださって、自分のペースを作るため、体験の受付を休止してしまいましたが、11月初旬にはまた再開しようと思います。

恐らく2週目ぐらいからの再開にさせて頂くことになると思いますが、また決まりましたら、「お知らせ」のブログでご案内させて頂きます。

年末でもないのですが、今月はひとつの目標も達成して、ある意味で節目の月になったことですし、改めて皆様に心より感謝致します。

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2006年10月30日 (月)

小数の割り算

昨日、イレギュラーで県外(といってもお隣ですが)の方の単発の個別レッスンのため出勤していました。

この子は既に中学年で、受験塾に通っており、たまたまネットでうちのことを見つけてくださったお母様からご連絡を頂いたのがきっかけで、月1回程度不定期に来てくださっています。

ただ、最初にお母様にも、受験塾との併用の上、学年もある程度上がっているし、おまけにこちらには月1回来て頂けるかどうかなので、正直来て頂くだけの価値があるかどうかと申し上げたのですが、それでもとおっしゃるので来てもらっています。

普段は算数パズルを中心に、お家で取り組んでみてもらってわかりにくかったところなどを一緒にやらせてもらうのですが、昨日はたまたま塾でやった小数同士の割り算があやしいというお話を伺ったので、それもちょっとおさらいしてみることにしました。

私自身、子どもの頃を振り返っても、どちらも同じだけ小数点の位置を移動させて解くということ以外教わった記憶がなく、ここで学習するより先に学校などで習っている子達の話を聞いても、親御さんの話を聞いても、結局は同じような答えが返ってきます。

もちろん、そうすれば解けるのですが、それをすると余りが出るときに小数点の位置を打ち間違えやすくなりますし、先日の話に戻れば、結局、テクニックとしては知っているので解けるけど、自分が一体どんな計算をしているのか、その式の意味するところはなんなのかについては今ひとつ(もしくは全く)わかっていないというのが現状なのではないかと思います。

正直なところ、糸山先生もおっしゃっていますが、中学になれば小数同士の割り算をすることなんてまずありませんし(小数というものを使うこと自体殆どなくなりますし)、極論すれば小数同士の割り算ができなかったとしても、そう困ることもないのだろうと思います。

ですから、何が何でも確実に計算できるようにせねば!とは思わないのですが、だからこそ、式の意味、なぜその答えになるのかはなるべく考えてもらいたいと思うのです。

で、昨日のレッスンで彼にどう説明しようかなと思って気づいたのですが、小数同士の割り算でさえ、実感させて計算の答えを導くことができるのだということに、今頃ですが気づきました。

とっくにご存知でそういう説明をされている先生方、保護者の方も多いかもしれませんが、あまり考えることなく、これまで自分達が受けた指導と同様に「小数点の位置を同じだけ動かす」方式で指導している方もおられるだろうと思いますので、参考までにちょっと書かせて頂こうかなと。

まず、例えば「1.5÷0.3」のような場合。

「1.5リットル入りのジュースがあります。ひとり0.3リットルずつ分けると、何人分になりますか?」

もしこのような問題があれば、上のような式を作ることになります。
であれば、実際に確かめることも可能ですね。
1.5リットルのペットボトルに水などを入れ、0.3リットルずつ量り取る。そうすれば、5人に配れるということがわかります。

リットルますなどがなくても大丈夫です。
1.5リットルは何デシリットルか考えてもらいます。すると15デシリットルとわかります。0.3リットルは3デシリットルです。
つまり、「1.5リットル÷0.3リットル」の答えは「15デシリットル÷3デシリットル」と同じになるのは間違いありません。(同じ量なのですから。)

15÷3の答えは割り算を習っている子であれば、難なく出すことができるでしょう。

同様に、例えば「1.8÷0.4」のように余りがある場合でも、同じく実感させると、0.4リットルずつ量り取ると、0.2リットル残ることがわかるはずです。余りは決して2リットルにはなりません。(点の位置を動かすとよくやってしまう間違い。)

更に、小数第2位までの問題になった場合は、メートルとセンチを使えば説明がつくはずです。

「1.25÷0.25」であれば、これをメートルと考えた場合、センチに直せば「125cm÷25cm」と考えることができるでしょう。

更に更に、小数第3位までの問題になった場合は、キロメートルとメートル、キログラムとグラム、リットルとミリリットルなどで考えさせることが可能なはずです。

もちろん、単位換算が苦手なお子さんもおられると思いますので、誰にでもわかりやすいかどうかはなんとも言えませんが、少なくとも機械的に点の位置を動かすのだという説明をするよりは、多少理解しやすくなるのではと思うのですが。

いかがでしょうか。

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2006年10月29日 (日)

とりあえず。

間もなく日づけが変わってしまうので、とりあえず更新。
一応自分の中で毎日何か書くと決めているので、それだけは守れる限り守ろうと思っているのですが、今日は何を書こうかなぁという感じで・・・。

今日は一応休日でありながら、他県からレッスンをご希望の方がおられ、現在平日が殆ど身動きが取れないため、2時間だけレッスンに出勤していました。

居残り仕事は早目に切り上げたので、夕方には体も空き、ちょこっと街に出てみたのですが、お気に入りのショップはもう完全に冬物に切り替わっていました。
可愛いなぁと思うものもあったのですが、まだ衣替えをしていないため、同じようなものを買ってしまう危険もあり、今日は何も買い物することなくショップをあとにしました。

最近は、皆さんのお蔭で沢山の子ども達とレッスンをさせてもらえているので、一応は普通ぐらいの生活(ってのも曖昧だけど)ができるようになっているようなのですが、相変わらず生活レベルは殆ど変わっていない上、仕事に関係ないものを買うのは無駄遣いな気持ちになってしまうという、かなり仕事中心思考になっているようです。(苦笑)

10月も残り僅か。
去年の秋、ひょんなことから参加させて頂いたあるワークショップが何かのきっかけになったようで(ワークショップの内容自体は私は全くの場違いで、バリバリご活躍の塾長さんばかりだったわけですが・・・)、この1年は本当に飛ぶように過ぎた感じがします。

これからもしっかり頑張っていかねばと、改めて思う秋の夜長。
しかし、明日も2時間レッスンです。今週は完全休養日なしです。あ、3日は祝日ですね、そういえば。ちょっと嬉しいかも。(笑)

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2006年10月28日 (土)

将来の夢

今日、1年生の子達とレッスンをしていたとき、ひとりの子が、プリントの問題の答えが119になったのを見て、

「119番や!」

と言ったので、

「ほんまやなぁ。この前の道、救急車も消防車もよぉ通るけどなぁ。」

と答えると、続いて「110番!」と言ったかと思えば、ニコニコしながら

「ぼく、将来警察(官になる)。」

と言った。
小さい子の将来の夢を聞いたのは久しぶりで、なんだか新鮮だった。

「そっか~、警察官になるん。かっこいいなぁ。私が○○くんぐらいのときにはおもちゃ屋さんになりたかったわ。」

そう答えると、「ふぅ~ん」と言って笑った。

今の子達は夢がない子が多いとしばしば耳にするけれど、こうしてニコニコと夢を語る子を見て、なんだか幸せな気持ちになった。

夢は人を動かす原動力だ。
夢や目標なしに頑張ることなんて、きっと苦痛でしかないように思う。

私はおもちゃ屋さんになりたいという夢のあと、お習字の先生やデザイナー、スタイリストにも憧れたけれど、最終的に高校生のときに「中学校教師」が私のひとつの目標になった。

その目標があったから、教育学部を目指したし、教員養成系以外の大学を受ける意味は私にはなかった。
まだ国公立は基本的に1校しか受けられなかった時代だから、どこかの私学を併願しようかと思ったのだが、当時、通える範囲に教員養成系の私学はなく、結局一か八かの受験になった。

もちろん、受験勉強は楽しくはなかったけれど、行きたい大学、学部が決まっていたから、そこに行くために必要な学力に達するための勉強と思えば、少なくとも「嫌なもの」でも「苦痛なもの」でもなかった。目標達成のために必要なものだったのだから。

以前、情熱大陸を見ていたとき、筑波大大学院の世界的にも有名なロボット博士が紹介されていた。
その回は本当に感動しながら見ていたのだが、この先生、ロボット博士になったきっかけは幼い頃に読んだ一冊の本だったそうだ。

博士は9歳にしてロボット博士を夢見、その後その夢の実現のため努力し、夢が叶った今は、まるで子どものような幸せな表情でロボットに向きっておられるシーンがとても印象的だった。

正直言って私は決して勉強が好きではなかったし、特に、テストの点は悪くても殆ど気にならない子どもだった。
さすがに高校では欠点を取ると留年の危機があったので、それだけは避けねばと思ったが、欠点さえ取らなければ、たとえどんなに凄まじい点でも別に気にすることもなかった。

そんな私が大学を目指したのは、ただ単に「教員免許」が取りたかったからだ。そして、いずれ中学校の先生になるという目標があったからだ。
その目標がなければ、私はきっと大学にも行っていなかっただろうと思う。(実際、専門学校に進学するということもちょっと迷っていた時期があるわけだし。)

勉強すること自体を楽しいと思える子はきっとそんなにいないだろう。少なくとも、試験で点を取るための勉強が好きだなんて子はまあそうそういないのではないかと思う。

それを思えば、やはり夢の力は計り知れない原動力になるのではないだろうか。
子ども達が勉強をしないと嘆く前に、その子たちに将来の夢があるか、それを考えてみることも必要なのかもしれない。

そして、最近の子どもは夢がないと嘆く大人は、自分達が子どもに夢を見られなくしているのではないのかということを、もう一度真剣に見つめ直すべきなんじゃないかと思う。

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2006年10月27日 (金)

「賢い」ってどういうことだ?

子ども達を見ていると、時折ふと無性に腹が立ってくることがある。
具体的に何に対してというのが特定できないのが厄介なのだけれど、目の前で一所懸命問題を解いている可愛い子を通して向こうに見える、私が恐れ、どこか憎んでさえいるかもしれない何かだ。

うちの教室には珍しいパターンだが、受験塾に通いながら並行してレッスンに来てくれている3年生がいる。
もともとは教室を立ち上げて間もない頃、まだ年長さんだったときに一度体験に来てくださったのだが、他にも色々習い事をしておられ、その時点でご家庭で教材を購入されて進められるという選択をなさったようだった。

基本的に私は体験に来てくださった方にその後一切勧誘をしないので、その後その子のことは時が経つにつれ忘れていたのだが、お母さんがお子さんの様子を見て、どうも何か実感がない気がするということで再び3年になってから尋ねてくださったのだ。

しかし、既に2年生から有名進学塾にも通い始めており、何をさせても大抵よくできる。その子を見ながら、私はしばしば冗談で「3年って言ってるけど、実は6年なんじゃないの?」とかいうぐらい、落ち着いているし「賢い」のだ。

計算の速さなどはもう私の及ぶところではなく、ちょっと複雑な計算でもさっさと答えを出してしまう。いつもホントにすごいなぁと感心して見ているのだが、そんな子に対しても、時折説明のつかない感情が湧いてくることがある。

昨日のレッスンでのこと。
複雑な四則が混じった計算や四則計算の一部が□になっていて、そこに当てはまる数を求めるものなど、うちの初期組のスーパー君、スーパーちゃんたちでさえ、やや嫌がりながら解いているのを感じたようなところでも、その子はあっという間に答えを出す。その速さは本当に見事だ。

しかし、ある問題でパタッと止まったかと思えば、訳のわからない数を書き込んだ。
何か勘違いしているのだろうと思い、少しずつヒントを出したのだが、なんだか反応が変だ。とりあえずその問題はどうにかクリアしたのだが、しばらくしてまた同じパターンの問題が出てきた。

その問題というのはこれだ。

(147+12)×58=□×58+12×58

その子はそれまでに分配法則や結合法則を使う、似たような問題を見た瞬間パッと機械的な速さで正解していった。
にも関らず、この問題の□に最初「1」と書いたのだ。

少し前に同じような問題をヒントを出しながらやったところだ。しかし、これはこの子が苦手なところなのかもしれないと思い、改めてこう言ってみた。

「147円のお菓子と12円の飴を58人の子に配るとしたら、いくらになるかってときにこんな計算(左側の式)するよね?」

すると、式を見ながら、

「あぁ~、うん。」

そう答えた。
さっきも同じようなヒントで解いたのだから、私は当然この段階で

「あぁ~~!な~んや、そういうことか。」

という反応が返ってくるものと思った。
しかし、予想は完全に外れ、

「12?」

「なんで?」

「ああ、50?」

「なんでその数が出たの?」

そんなとんちんかんな会話がしばらく続いた。

もう一度彼の目をしっかり見ながら、プリントに147円と書いたお菓子の袋の絵と12円と書いた飴の絵を描き、同じことを尋ねた。
更に、式の後ろの部分を指して、

「これは12円の飴が58人分ってことやんね?」

そう尋ねると、それには疑問はないらしく、素直にうんと頷く。
さすがにこれで「あぁ~~っ、そうか!」という言葉が聞けると思った。
しかし、更に予想は外れた。

更に何度かやり取りをして、最後にはどうにかこうにかやっと答えに辿り着いてくれたのだが、少なくともこの問題を解くとき、この子の頭の中には何のイメージもなく、ただテクニックとして身につけた(もしくは身につけさせられた)方法で答えを導き出しているに過ぎないのだろう。

ヒントとして私は、「147円」と「12円」と言っているのだし、58は「人」だと言っているのだ。このヒントで頭に思い浮かべなければならないものは、147円のお菓子と12円の飴、そして58人の子ども。
後は一人ひとりにそれらを配るというイメージだけだ。

少なくとも、それが思い浮かぶ子であれば、このヒントを聞いた瞬間に気づくし、□に「1」や「50」などという何なのかわからない数を入れることもないはずだ。

もちろん、算数が苦手な子、あらゆる文章題で苦戦する子であれば話は別だけれど、この子はいわゆる「植木算」や「鶴亀算」のように、そういう塾でテクニックを教えてくれる問題に関してはさっさと解いてしまう子だ。

また別の話だが、もうひとり、やはり有名受験塾に通いながら週に1回だけ来てくれている子がいるのだが、その子はおうちの方の方針がとてもしっかりしておられ、そういう塾に通いながらも頭の柔軟さを失っていない子だ。工夫したら簡単になるよというようなことをいうと、すんなり「ああ、そうか!」とそれを理解し、その後は何か工夫できないかなということを意識するような子なのだ。

見ていて、その子は本当にバランスよく賢いなぁと思っているのだが、そのお母さんのお話では、その塾の懇談などで繰り返し繰り返し「計算が遅い」と言われるのだという。挙句、下のお子さんに関しては年長ぐらいからプリント反復塾などに通わせておいた方がいいというご親切なアドバイスもされるのだそうだ。

先の子は記憶力や覚えたことを使う力という意味では確かにとても「頭がいい」のだろう。おまけに、小さい頃から色んなことをしてきている子なので、実際間違いなく「賢い」には違いない。話していても、この子ができが悪いと感じることなど一度もない。

ただ、そんなに「賢い」子が前述のヒントで何もイメージできないということは、本当に「賢い」と言っていいのだろうか。
そんな勉強が本当にこの子の将来のためになるのだろうか。。。

そういう塾に通っている子でなくても、例えば算数に苦手意識を持ってしまってから来てくれる子達を見ていると、とにかく急いで答えを出さなければいけないと思っているように感じる子たちが少なからずいる。

「速いことがいいこと」

幼児や低学年に対してまでそんな教育が広くなされているような気がして、私はまたやり場のない憤りを感じるのだ。

「賢い」ってどういうことなんだろう?
少なくとも3、4年生ぐらいまでの小さな子達に対して求められるべきは「機械を目指す」ことでないのは間違いないと思うのだが。

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2006年10月26日 (木)

今日のニュース

今日はこんなニュース。

<睡眠>7~9時間が適切 10万人規模の調査で判明 (毎日新聞)

子どもはよく寝るほうがいいっていうのは前から言われているし、睡眠不足の子は、きちんと寝ている子に比べて、精神不安定になったり、問題傾向が出やすくなるってことも本などを読んで知っていたけれど、寝すぎてもダメって言うのがちょっとびっくり。

ここです、ここ↓。

逆に、9時間以上は40.8%で、7~9時間よりも不健康の割合が増した。

あ、けど、10万人規模って書いてあるけど、対象が中高生なのですね。
じゃあ、確かに普通に学校生活を送りつつ、中高生で9時間以上寝るというのは、まあ正直なところ結構難しいですよね。(苦笑)

仮に学校が8時半に始まって、部活して帰って、塾とかに行かない子だとしても、起床時間は7時とか7時半だとして、9時間以上寝るには10時前後には寝なきゃいけないんですもんね。

って!?!?
いや、私は中学生の頃、夜10時を過ぎても起きていたら「早く寝なさい!」と叱られていた記憶が・・・。けど、朝は早起きが苦手で遅刻しないギリギリぐらいに学校に行っていたような気がするので(朝練とかがなければ)、9時間以上寝ていた気が・・・。(苦笑)

私は例外ってことでしょうか?(悩)
けど、受験期、高校生のときにはさすがにそれだけ寝ることはできませんでしたけどね。

個人的には、幼児・小学生にも同じような規模で調査をしてもらいたいものだなと思うわけです。そっちの方がより深刻な話のような気がするんですけど・・・。(既に調査されているんだろうか・・・。)

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嬉しかったひと言

今日のレッスンで、なんだかとっても嬉しくなってしまった出来事。
まあ、普段からしばしば、すごいなぁ、みんなえらいなぁ、幸せだなぁとは思うのだけれど、今日のあるひと言が、私にはすごくすごく嬉しかった。

けど、きっとその言葉は私だから嬉しいのであって、例えば有名受験塾とかの授業中に同じことを言ったら、「何寝ぼけたこと言ってるの?」なんて言われそうなことだ。

今日、6年生の子達とレッスンをしていたとき、ひとりの子がある速さに関する問題を考えていた。4.5キロの距離を時速5.4キロで進むと何分かかるかというような問題だったのだけれど、小数だし、時速しか与えられていないのに聞かれていることは「何分」だし、引っかかりそうなところ満載の問題だったのだけれど、何かあれこれ考えているようだったので尋ねてみた。

「なあ、距離と速さわかってたら、どうやったら時間出るん?」

「え?距離÷速さ。」

ん?即答だ。

「じゃあ、やったらいいやん?」

何気なくそう言うと、次に彼から返ってきた言葉がなんとも素敵だったのだ。

「だって、面白ないやん?」


去年の冬ここに来たとき、彼らは文章題に甚だしく苦戦した。ちょっと難しい問題になると、よく考えもせずに与えられた数字をあれこれいじくりまわしては、しつこいぐらい私に「考えろ」と言い続けられた子達だ。

もちろん、徐々に変化が見え始め、文章題でも絵や図を描いて考えられるようになったし、特にこの子は公式を覚えて当てはめようとするのではなく、どうやったら解けるかを考えるようにどんどん変わっていった気がする。

その子の口から出た言葉だ。

複雑な文章題を解くための公式はわかっているけれど、単に当てはめるんじゃなくて、何かもっと面白い解き方はないだろうか・・・そう思って考え込んでいたのだ。
大袈裟だと言われるかもしれないけれど、ちょっと涙が出そうなぐらい嬉しい言葉だったのだ。

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2006年10月25日 (水)

た、助けて・・・(苦笑)

昨日の晩、りんご先生のニュースサイトでこれを見つけてから、もうずっと頭の中でこれがぐるぐるぐるぐるエンドレスで回っています。。。

あまりに懐かしすぎて、サイトを見たあと「なつかし~~~~~!!」とりんご先生にメールをしたところ、ほぼ同年代であるはずのりんご先生からは「わたしは知りません」というお返事。
しゅん・・・。
けど、けど、確かりんご先生とはひとつぐらいしか歳かわらないんだから、私が歳のせいじゃないはずだ!!!(と自分を慰める。)

幼い頃、多分「みんなのうた」だったんじゃないかと思うのですが、昨日聞いた瞬間、このメロディーが頭に蘇りましたよ。恐るべし脳。

「ル~ト2プラス1分のチャチャルート2プラスルートの2~、算数チャチャチャで解きましょう、それほ~らもうできた。」
とか
「た~ったわずかのルートの2となるよ~」
とか
「サインを割ることコサインはタンゼント(たん「ぜんと」というのが年代を感じる)のことさ~」
とか、覚えてますもん、今でも。(いや、忘れてましたけど、思い出しました。)

ああ・・・懐かしすぎる。今日1日これが頭を回っていそうでそれは不安ですが・・・。

けど、そもそもこれ、「『算数』チャチャチャ」ってネーミング間違ってますよね?こんなこと算数じゃやりませんよね?
そいでもって「分母子を約せば~」なんて歌詞、えらく頭良さそうですよね?
というか、この歌を作った方々は一体何を狙っていたのでしょう?幼い子達がこれを口ずさんだとしても、その問題に実際に触れることはないわけで、おまけに、そんな問題に触れる頃には私自身きれいさっぱり忘れてしまっていたように、この歌自体が数学にお役立ちという記憶も全くありません。
覚えていたから役に立ったよ~~♪という方もおられるのでしょうか?

というか、やっぱり、どう考えても・・・・・・。
なぜにこれが「みんなのうた」だったんでしょう?(悩)

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2006年10月24日 (火)

プチ記念日

すいません、このところまともな記事を書いていなくて・・・。

頭も血も異常なしだったのですが、どうもイマイチ体調が「すっきり♪」というわけにいかず、パワー全開になり切れないのです・・・。ああ、悲しい・・・。原因もイマイチわからないから更に悲しい・・・。(苦笑)

ですが、実は今日はプチ記念日になりました。

私は教室を大きくしよう、どんどん拡大して、スタッフを使って・・・みたいなことは、教室を立ち上げた日から今日までただの一度も考えたことがありません。

自分がきちんと見られる範囲のお子さんを、納得の行くかたちで見させて頂きたい。
ずっとそう願って教室をしてきましたし、多分これからもそれは、この教室を辞めるときまで変わらないのではないかと思います。

ただ、「自分がきちんと見られる範囲」のお子さんであれば、一人でも多く、この学習法に出会ってほしいとはずっと願っていましたので、その第4目標に設定してあった人数がありました。

教室を始めたときには完全に0人でのスタートでしたから、初年度の目標は15人でした。
そして、その次の目標、第3の目標をどうにかこうにか達成し、そして本日、その次の目標と思っていた数の子ども達がこの教室に通ってくれることが決定しました。

当初の計画では、1人が週1回1時間であれば、全てのコマがバランスよく埋まれば50人ぐらいまでは無理なく見せて頂けると思っていたのですが、今の状態から考えると今年度は今の人数でほぼ限界に達しているかなという感じです。

3年前の7月初めに広告を出し、夏休みからレッスンを開始。
そのとき教室に来てくれた子達は全員で6人でした。

その後、微増・微減を繰り返しながら、今に到ったわけですが、こんな小さな教室にそれだけの方が大切なお子さんを通わせようと思ってくださったことを本当に本当にありがたく、嬉しく思っています。
皆さん、本当にありがとうございます。これからもどうぞ宜しくお願い致します。

体調が万全だったら、ひとりで記念の祝杯でもあげたいところですが(ひとりってのが妙に淋しいですが・・・)、今日は大人しく早目に帰って早目に寝ようと思います。
明日も可愛い子ども達を笑顔で迎えられるように。。。

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2006年10月23日 (月)

知能検査(?)結果

本日、「知能検査」の結果を聞きにお医者さまに行ってまいりました。

脳のCTで異常なしと言われておりましたが、「知能検査(正しくは血液検査)」の結果は・・・・・・

「優等生です」

と言われました。
確かに。。。何ひとつ異常な数値がありません。

どうやらまだまだ働けそうです。
喜んでいいのか?この場合。

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経過報告。

これを自宅で更新しているということなわけなので、一応仮復旧致しました。

今回もまた色々勉強になったこともありましたし、ずっとご無沙汰だった関東にお引越しされたお友だちとも久しぶりにお話もでき、悪いことばかりではありませんでしたが、何より我が兄に深く感謝となりました。

実は、可能性がひとつまたひとつと消えていき、これはもうパソコン本体が原因であろうというところまで追い詰められたのですが、だからって、買い換えてダメだったらシャレにならないしと思っていたところ、我が兄が、可能性としたらあとはIEだろうと。

実は我が兄、兄妹ながら私とはかなりタイプが異なり、血が繋がってなけりゃ付き合ってないタイプの人間かもって人なのですが、コンピュータの学校を出て、その後仕事もそんな関係のことをしていたりってこともあり、私にはまったくちんぷんかんぷんなことがある程度わかるわけです。

で、IEの代わりに一度別のブラウザを使ってみると言って、なんかキーボードをカタカタ打ちつつ、次々と何かを設定し、気づけば私の家のご老体パソコンに「Firefox」がインストールされました。
怪我の功名?

というのも、実は以前から何度か、ブログを書いている途中でメールチェックなどをして、メールについているURLをクリックしたら書いてた記事が消えた~~~!!みたいな叫びを懲りずに繰り返していたのですが、その話を聞いたりんご先生が「Firefoxにしたらそんなことなくなりますよ」と随分以前に教えてくださったんです。

けど・・・何しろ機械オンチなもので、よくわからないのにわからないものをインストールしてトラブルが起きたら復旧できないしと、結局そのままになっていたのですが、本日兄のお蔭で無事インストールされました。

そしてそして!!兄の勘通り、Firefoxでブログにアクセスしたらログインできました!更に、使えなかったネットバンキングもMSNへのサインインも、とりあえず全部大丈夫みたいです。

で、兄がIEを一旦アンインストールして再インストールして、なんか他にも色々してくれたんですが、結局そっちは直らず・・・。
原因はわかったものの、根本的治療はできませんでしたって感じの結果に相成りました。


でも、とりあえず当面は困らないので、これでいいかなと。
お騒がせ致しました。
とりあえずご報告でした。

それにしても、24時間対応してくれるパソコントラブル復旧の会社って、すごく繁盛しているでしょうね。
2社に話を聞きましたが、大体同じぐらいの金額で、出張費と修理費込みで平均1~2万になってますって。けど、作業時間は大体30分から1時間ぐらいみたいだし、長くなったらその分作業代が上がる仕組みみたいだし。
けど、1社は早くて月曜、もう1社は早くて火曜って言われましたから、予約が取れるのが。

今回はちょっと前にハードに入っているものをほぼ全てバックアップ取ってあったので、そんなには焦りませんでしたが、トラブルは突然やってくるようですので、皆様もご注意ください。(笑)

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2006年10月22日 (日)

異常事態・・・。

とりあえずご報告を。

昨日の朝、実は自宅のパソコンでブログにログインができなくなっていました。
けど、時間がなかったのでそのまま出勤し、教室でブログを更新してから帰宅しましたところ、メールの送受信はOK、webの閲覧も基本的にOKなのですが、なぜか・・・・・・

某都市銀行のネットバンキングへのログイン
eBANKへのログイン
MSNへのサインイン
自分の仕事のブログとプライベートのブログ両方のログイン
なぜか楽天オークションへの入札(普通の買い物は大丈夫みたい)
某アンケートサイトのアンケート回答画面の表示
某大手プロバイダのwebメールへのログイン
某セキュリティーソフトのサポートへの問合せ画面へのアクセス

まだ何かあったような気がしますが、とにかくこれら、IDやパスワードが関係していそうなもの全てが、URLを入れると次の瞬間

「サーバーが見つかりません」のヘッダーと共に
「ページを表示できません」の画面へと切り替わるのです・・・(泣)

昨日の晩は兄に電話で聞いたりしたものの解決せず、気づけば寝入っており、今日は朝から、兄、友人、パソコントラブルに対応してくれる会社2社、セキュリティーソフト会社のサポート、プロバイダのサポートと電話をかけまくったのですが、原因は突き止められぬまま現在に到っています。

これはパソコン自体がおかしくなっているのか?というところまで追い詰め(?)られましたので、教室で隠居しているかなり年季もののノートを連れて帰るべく、ちょっと教室まで参りました。

というわけで、自宅からは更新できない可能性があります。
もし明日何も更新されていなければ、ひっそりこの記事のコメントに何か書いているかもしれませんので(コメントは多分付けられるはず・・・)覗いてみてください。

あ~んど、パソコンにとてもお詳しくて、それはきっとこういう原因だと思うよ~とか教えてくださる方がおられたら、もう大感激なのですが。。。

とりあえず今から持って帰ります。
では。

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2006年10月21日 (土)

子どもってホントに可愛いものだ。

今週は、一瞬、命の危険を感じたりもしましたが(大袈裟な・・・けど、普段が非常に丈夫なので、ちょっと弱ると急激に弱気になるのである・・・)、お蔭様で無事元気に乗り切ることができました。

時間はあるのですが、どうも何を書こうかなぁという感じで・・・。
なので、ちょっと軽~~い、けど、可愛いお話を。

子ども達は基本的に、高学年だろうが中学生だろうが、私にとっては可愛いのですが、おちびさんたちの可愛さはやはり格別なものがありますね。

というのも、高学年ぐらいになってくると、反応が予想できたりしてくるものですが、これが特に幼児の場合、私の予想もしない言動をしてくれることがしばしばあって、そのたび心の中で(あぁ~~っ、もうなんて可愛いんだろう!!)と思うわけです。

先日、ある年長さんがそれまでとひとつレベルの上がった(小学校で言えば学年が上がったというか)教材をやることになったときのこと。
その子はまだ小さいこともあって、普段は幼児用の机でレッスンをしてもらっているのですが、レベルの上がったプリントをやり始めた日、彼が突然言いました。

「○○、そっちの席(小学生以上の子が使っている机)でやりたいな~。」

教材のレベルが上がったので、机も大きな子達が使っている机でやりたいということのようです。(笑)

またまた、今日は先日4歳になった女の子がこんなことを。

「○○ちゃん(自分のこと)、もう4歳になったから宿題ちょうだい。」

この子はお姉ちゃんと一緒に通ってくれているので、お姉ちゃんはもらえる(と言っていいのか・・・、お姉ちゃん的にはほしくないだろうけど・・・)宿題を自分にももらいたくて仕方ないのです。

以前、「宿題ちょうだい」と言われたときに、多分私が「もうちょっと大きくなったらね」と返事をしたのではないかと思うのですが、彼女的には「3歳から4歳になった=大きくなった」ということだったのでしょう。

もうホント、なんで子どもってこんなに可愛いんでしょうね。
みんなのお蔭で、今日も私は幸せです。

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2006年10月20日 (金)

知能検査?

あ、すいません、くだらない話です。

実は昨日の晩、仕事が終わってから、人生最大級の頭痛に襲われ、なぜか吐き気もついてきて、歩こうとしたらフラフラ。
こりゃホントにやばいかもと思ったのですが、どうにかこうにかタクシーで帰り着き、お薬だけ飲んでそのまま就寝。

起きたらほぼ完全に治まっていたのですが、さすがに頭だし、吐き気までしたし、念のためお医者に行っとくべき?と、超お医者嫌いな私も覚悟して近くの脳神経外科へ。

初のCTスキャンデビューも果たしたのですが(この歳なのに、未だ人間ドックに行ったことがない・・・)、スキャンの台に横になったとき、お医者様が部屋に入ってきて私に尋ねました。

「あなた、これまでに知能検査とかしたことある?」

と。

ん?なぜに知能検査?聞き間違い??
返事に困っていると(既に機械の音が少しうるさかったし)、先生が再び

「知能検査。」

なんで?頭が正常かどうかってこと?知能検査に似たようなことは毎日のようにやってる気もするし、とりあえず今のところそういう面での異常はないはずなんだけど・・・。

「したことありません。(きっぱり)」

「あ、そう。じゃ、あとで検査して。」

看護婦さんに先生がそう告げました。
ふ~ん、脳神経外科クリニックって知能検査もするんだぁ。。。

無事CTの撮影も終わり、看護婦さんに「じゃあ」と検査に連れて行かれようというとき、看護婦さんの口から出た言葉は・・・。

「それじゃ、血の検査しますね。」

ひとりで噴き出しそうになったんですけど、さすがに初めての病院でアホをさらけ出す勇気もなく、大人しく検査して頂きました。

ま、確かに随分長らく献血もしてないし、血液検査もしてないからいいんだけど、さすがに「したことない」ってのは嘘だよなぁ。。。(ひとりツッコミ)

けど・・・、なぜに先生「血液検査」って言ってくださらないんでしょ。(苦笑)

あ、幸い、CTの結果は異常なしでした。もちろん、知能的な異常は不明ですけど。。。

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2006年10月19日 (木)

笑顔の力

昨日、とても小さな事件があった。本当に本当に小さな事件。

けれど、どうしてもちょっとすっきりしないところがあって、今日のレッスンの初め、いつものように心からの笑顔で笑えなかった。

その事件の主が最初のレッスンの子だったということもあるのだが、この子の今後のために私はどう接するのがいいのか、まだ考えあぐねていたこともあって、昨日のことなどキレイに忘れて満面の笑みで登場したその子に、私はうわべだけの笑顔しか返せなかった。

その瞬間、その子の表情が驚くぐらい変わった。
普段はちょっと羽目を外してしまうほど、楽しそうに色んなおしゃべりをし、簡単な問題はわざと間違えた答えに○をつけるふりをしてみたりするのだが、いつもと違う私の気配に、今日はふざけることもなく、ときどきちらちらと私の様子を伺いながら、問題に取り組んでいる。

結果的に、その方がずっと集中して考えてくれたし、きっと今日彼の頭はいつもの倍ぐらいくたびれたんじゃないかと思うから、もしかしたらその方がよかったのかなと、一層どうすることがいいのか考え込むことになってしまった。

ただ、この出来事で改めて気づいた。

鏡の法則とかともいうのかな?よく「自分がしたことが返ってくる」という言葉を耳にする。

これまで私はレッスンの前、「笑顔でいなきゃ」とか「今日も笑顔で迎えよう」とか意識したことが一度もない。
小さい子達はいつも満面の笑みで駆け込んできてくれるし、それを見て、私も自然と笑顔でいられるんだと思っていた。

けれど、もしかしたら意識するまでもなく、私自身が心からの笑顔でみんなのことを迎えていたのかもしれないなと、そんなことを思った。
(しかし、今日は夕方からずっと頭痛・・・)

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ちょっとご報告を。

先日、あまりに腹立たしくて書いてしまったのですが、その記事を読んで、ひどい言葉を投げつけられている彼のことを心配してくださった方に、一応のご報告です。

あの後、やはりどうしても気になって、人を辿ってどうにかその彼の親御さんと連絡を取ることができました。私が直接お役に立てるわけではなかったのですが、間接的にできることがあるかもと思っての連絡だったのですが、親御さんが彼にそれを伝えてくださった結果、彼は

「母さん、僕はあそこで頑張るって決めたって言ったやろ。」

そう答えたそうです。
私は小学生の頃の彼しか知りませんが、控えめだけれどとてもしっかりした子でした。
だから、悩んだ上での結論なのでしょうけれど、彼自身がそう決めたのだったら、それでいいのかなと思っています。

もちろん、塾長がしていることは許されることだとは思いません。
ですが、社会には残念ながら理不尽なことも沢山あります。
彼はこの経験を今後の人生に生かしてくれることを祈るばかりです。

ご心配頂いた皆さん、ありがとうございました。

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またまた今日の気になるニュース

今日のは教育とは関係ないのですが、どうも気になったので。。。

槇原敬之:「999」盗作騒動

もともと、顔はともかくとして(失礼・・・マッキーの歌は好きで、けど、数年前に事件でしばらく活動休止していたわけですが、戻ってきて、また聞けるようになったなぁと思っていたら、今度はなんだ?!と。

で、ニュースを読んでみたのですが・・・。
う~ん・・・。

芸術とか文学とかの「盗作」の基準が私にはよくわからないのですが、言葉自体は誰のものでもないわけですし、実際、マッキーの反論にある「銀河鉄道」だって、少なくとも宮沢賢治の方が松本氏より遥か昔に使った言葉なわけですよね。

それに、松本氏が盗作だって言っている表現は、確かに使っている単語は極めて似ているとは思うのですが、

「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」←マッキー

「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」←松本氏

マッキーの歌詞ではどっちもお互いに信頼しあっているって文ですよね?お互い裏切らないんだから。

けど、松本氏の方は時間は裏切らないけど、夢は「裏切ってはならない」って、なんか義務になってますよね??

これが「同じ文」というか、盗作だ!と言われてしまうと、もしマッキーが純粋に自分の中で浮かんだアイディアとして書いたのならたまりません。

それに・・・私は子どもの頃「銀河鉄道999」が好きでアニメはずっと見ていましたが、松本氏のこの台詞は全く微塵も覚えていません。
もちろん、私は講演も聞いたことがありませんから、マッキーが松本零士ファンであるとか、とても記憶力がいいとか、講演会を聞きに行ったとか、そんなんじゃなければ、年齢的に考えても「盗作」という可能性は低いのではと思ったりもするのですが。。。

う~ん。。。表現するって色んな意味で難しいですね。

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2006年10月18日 (水)

今日の妙なニュース

ときどき妙に気になるニュースとか、これってど~よ?というニュースを取り上げさせてもらうのだけれど、今朝ネットで発見した、今日の妙なニュース。

大学PRで帰省代補助 四日市大 地方からの志願者増へ

う~ん・・・。これって、大学のお偉い方々が集まって知恵をしぼられたのでしょうか。。。
というか、これで

「あの大学は帰省のときに補助金を出してくれるんだって~♪じゃ、俺あの大学受けよ~♪」

という学生が増えるのでしょうか?(いや、そんなノリの学生だったら増える可能性はあるかもしれないのか??)

けど、書いてある通り、全額補助するわけじゃないし、おまけに高校に行って話をしたりしなきゃならず、それを大学に報告までしなきゃならないって、たかが(って言ったらダメですかね?)1万円前後で今時の若者がそんな面倒なことをしてまで、補助金を頂こうなんて思うのでしょうかね?(思うんだったらゴメンナサイ。。。)

それにそれに、大学が学生にお金を払うったって、そもそもは学生かその保護者が大学に納めたものとか、国からの補助金とかから払うことになるわけなのは間違いなく、だったら、地元の子たちの不公平感とかはないんですかね?

う~ん、どうにもこうにも、私には不思議すぎるニュース。。。

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誰に向かって書くか。

昨日は結局最終的にこのブログに971件ものアクセスを頂きました。本当にびっくりしつつ、皆さんに感謝しています。

まあ、有名な塾長さんたちのブログからしたら、1日に1000に届くかどうかというのは、そんなにすごい話ではないのだと思いますが、それにしても、他のサイトなどでリンクをはって頂いて、それを多くの方が辿ってきてくださったこと、本当にありがたいなと思っています。

そもそも私のブログは、教室のお母さんたちに読んで頂くということを想定して書いています。
その延長線上に、小さなお子さんを持つ親御さん方、子どもの教育に携わっておられる方、更にはもっと広く、子どもに関っている全ての方に読んで頂けたらと思いながら書いています。(その割に、ど~でもいいネタが多すぎるという話もあるかと思いますが。(苦笑))

今日、りんご先生がニュースサイトに少し書いてくださっていましたが、私のブログはこれまでに何度かいくつかのニュースサイトの方にリンクをして頂いたり、個人的にお気に入りやリンクリストに登録して頂いたりして、本当にありがたいなぁと思うのですが、確かに見事なまでに、ブログでメジャーな塾の先生方にはほぼ全く反応して頂いたことはありません。塾関係者でリンクしてくださっている方もごくごく限られていると思います。

まあ、私としては読んで頂きたいと思っている、イメージしている対象が塾関係者ではないので、当然といえば当然なのだろうと思っています。

ですが、今あるブログでのある先生の発言でちょっと波が立っているようです。まあ、塾業界という狭い世界のことなので、「炎上」とまでは行かないでしょうし、そもそも皆さん良識ある方々だと思いますので、そう心配はしていないのですが、要は、誰に向かって書いているかというとこらへんに感覚のズレがあるのかもしれないなぁと、ぼんやりそんなことを思ったりしました。

バリバリの塾経営者の皆さんは、きっと私のブログなんて読んでも意味がないでしょうし、同じくバリバリ活躍されている別の先生の記事を読んで、「おぉ、すごいなぁ。」とか「全く、その通り、同感だ!」とか思ったりされるのかもしれない。

けれど逆に、私のようなちっちゃな教室の、経営者とすら言っていいのかどうかわからないような人間からすれば、すご~~~く立派な経営論とか、戦略とかが書かれていても、すごいと思うことはあったとしても、参考になるなぁとか、共感できるなぁとかは思えない訳です。

とすれば、例えば、バリバリの塾長さんのブログをずらっと並べられても、もしかしたら私には面白いと思えないかもしれない。

それに、そもそも何よりも、その方が誰に向かって、どんなイメージで書いておられるのかということもあると思うわけです。

私は自分の書きたいことを書きたいように書いているだけなので、もしどなたかに「つまらない」と言われても、それは淋しいかもしれませんが、「そっか、この方にはつまらないんだなぁ」と思うだけのような気がします。

そもそも、万人が共感、賛成するなんてこと自体あり得ないのですし。

ある先生が書かれた記事の、先生が一番おっしゃりたいことの意味はわかる気がします。
一番言いたいところはここなんだろうなと思うのですが、どうも、その他の枝葉の部分で思わぬ方向へ話が広がっていってしまっているような気がするのは、私の思い違いでしょうか。。。

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2006年10月17日 (火)

ちょっと補足

あるサイトでまた「ものを大事にする心」を取り上げてくださったようで、先ほど覗かせていただいたのですが、それを読んで少しだけ補足させて頂こうかなと。

もちろん、ものの感じ方は人それぞれですし、自分の意見が絶対正しいだなんて思ってはいないのですが、取り上げてくださった方のコメントを見ると、私の文章力が足りなくて、きちんと伝わっていないのかもと思うところがあったもので・・・。

私がいう「ものを大事にする」というのは「ものをとにかく捨てない」ということとは違います。
「捨てないこと=大事にすること」ではなく、「粗末に扱わないこと=大事にすること」という感覚です。

まあ、もちろん、これ自体も抽象的なので、きちんと伝わるかどうかわかりませんし、仮に伝わらなくても、当たり前といえば当たり前なのかなとも思います。

けれど、風水や最近流行っている「そうじ力」の本などを見ても、不必要なものを溜め込むこと自体はあまりよいことではないようです。

ただ、私自身、結構ものを捨てられないたちで、先日思い切って部屋の使わないものの処分に着手したときにも、中学時代や高校時代からずっと持っている使っていないキャラクターつきのノートやら、それこそ小学生のときからそのまま持っているのでは?というさらの鉛筆などまで出てきたわけです。

使えるのにもったいない・・・とずっとずっと処分できずに来たのですが、人にあげられるものはあげ(私の場合は教室の子どもが使ってくれるなんてこともあるし)、どうにもならないけれど、もう10年以上一度も使っていないものなどは、心の中で(ゴメンナサイ・・・)と謝って処分しました。(それでも捨てられなかったものもありますが。)

処分しながら、今後はできるだけ本当に必要なものだけを買うようにしようと反省もしました。(まあ、幸い、今は何でもかんでもいらないものまで買えるような生活ではないので大丈夫ですが。(笑))

あくまでも私の感覚での「ものを大事にする」というのは、命のないものであっても感謝の気持ちを持つというか、どうしても処分することになったときには、ありがとうとかゴメンナサイとか、ものに対してでも思えるというか、そういう感覚のことなのです。

一応補足させて頂きました。

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皆さんはどう思われますか?

一昨日、「ものを大事にする心」という記事を書かせてもらった。
実は少し前から頭の中でぼんやり考えてはいたものの、なかなかじっくり考える時間が取れず、日曜にようやく文章にまとめることができたのだが、思いがけず多くの方に反応して頂いた。

コメントをくださった方、ニュースサイトでリンクしてくださった方、そのリンクから見にきてくださった方、今回はかなりすごくて、この記事に私がブログを始めて以来の最高記録になるのではというほどのアクセスを頂いた。

ここをご覧下さっている方のほぼ皆さんが「大人」の方だと思う。
それだけ多くの方がこの記事に興味を示してくださったことは、なんだかとても嬉しく思う。

実は、自分でふと思ったことで、何か具体的な裏づけがある訳じゃないし、もちろん統計なんて取ったこともないから、非常に弱気の書き方をしたのだが、書いた後、実は内心、(結構的を射てるんじゃないの?)と思ったりしたことがある。

それを今日、ボボコフさんがこの記事でこんな風に書いてくださっている。

TOHさんも「当てはまらないこともいっぱいあるのだとは思うが」と前置きされていて、確かにそれはそうだと思うんだけど。

なんとなく、かなり当てはまりそうな気がする。
いや、かなり当てはまる。

こんな風に書いてくださったことで、改めてイメージしてみた。

もちろん例外は多々あるのだろうけれど、身の回りのさまざまなものを大切に扱っている人が、他者に対してひどい態度を取ることをイメージするのは結構難しい。
また、逆に、ものをやたらと粗末に扱う人が他者を大事に扱っていることをイメージするのもなかなか難しいのだ。

これこそ本当に、「お前は一体何を言う!?」と言われかねない、かなり大胆すぎる仮説かもしれないが、子ども達に幼いうちからしっかりと、ものを大事にする心、「もったいない」の心を育んだとしても、突然キレたり、陰湿なイジメをしたり、信じられないような凶悪事件を起こしたりというような子に育つだろうか?

もちろん、それだけを育めばいいなどとは思わないが、少なくともそういう部分に関しては、私達大人もどんどんと意識が薄れていっているのはほぼ間違いないだろう。「もったいない」という言葉を頻繁に使う大人がどれだけいるだろう?

まずは私達自身が、もっとものを大切にすることを心がけ(思い出し)、それをしっかりと子ども達に伝えていけば、もしかするともっともっと住みよい素敵な社会になるのではないだろうか。

もちろん、あまりにも突拍子もない仮説なので、「それはないよ」というご意見もおありだろう。

さて、皆さんはどう思われるだろうか?

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2006年10月16日 (月)

みかみ先生のこの記事を読んで。

みかみ先生の今日のこの記事を読みながら、普段私が感じていることと通じる部分が多いなと感じた。

みかみ先生のとは実際にお目にかかったことはなく、生い立ちその他に関しては先生がブログで書かれていることを読んで推測しているに過ぎないので、誤解があるかもしれない。
けれど、恐らく今日のブログから見ても、子どもの頃、経済的に苦しい生活を送っておられたのだろうということは想像できる。

そういう意味で、みかみ先生の言葉と私の言葉では重みが全く違うだろうとは思うのだが(といっても、私が裕福だったわけではなく、ただ、お金がないから何かを我慢せねばならなかったという記憶がないだけなのだが)私自身、教室を始めるにあたり、お月謝を決めるとき非常に悩んだのだ。

先日、どうにも腹立たしい話を思わずブログに書いてしまい、何人かの方にコメントなども頂いたが、コメントの返事にチラッと書いたように、実は私は本当のところ、もしそんなことが可能なのであれば、皆さんの所得に応じ、同じ負担割合でお月謝を頂けたらと思ってさえいる。

どういうことかというと、仮に月収100万のご家庭であれば、お月謝が1万円ですと言われても負担は収入の1%に過ぎない。
しかし、月収がもしも10万のご家庭があれば、1万円は10%。それも生活に絶対必要な費用を考えると、その負担割合は更に大きなものだといえるだろう。

私が子ども達と過ごす時間は皆に等しい。そんなことをお尋ねしたことはないし、ちょっと極端な喩えだけれど、月収が100万のご家庭と月収が10万のご家庭のお子さんが来られたとして、レッスン内容に差をつけることは当然ながらあり得ない。

となると、どうもなんだかもやもやしてしまうのだ。

もちろん、所得の多いご家庭は、それまでに様々な努力をされ、その結果として高所得に結びついておられるということもあるだろう。
だが、所得の少ないご家庭は努力をしなかったからそうなったとは一概には言えないと思うのだ。
不慮の事故で家長を失うことだってあるだろうし、何らかの事情でお仕事ができないということだってあるだろう。また、今だと業界によっては本当に厳しい条件でのお仕事を強いられていたりする話も耳にする。

そんなこんなを考えていると、みかみ先生がおっしゃるように、
「お金がないから、平等に勉強できないなんて変だと思う。」
という言葉は、少なくとも視点を子どもに置いて見た場合、確かにそうだなと思うのだ。

まあ、もちろん、塾などに通わなければ勉強ができないかどうか、塾に通っている子の方が通っていない子より賢いと言っていいかどうかという別の問題はあると思うが、「平等に勉強できない」というか、私としては塾などに通いたいと思う子どもが2人いて、ひとりは問題なく通えるのに、もうひとりは経済的事情で通えないとなってしまうような、そういう状態はなんだかやり切れない気持ちになるという感じというのだろうか。

だからといって、お月謝をタダにしては私自身が暮らしてゆけないし、当然、所得に応じてお月謝を頂戴するなどということも実際には不可能だ。

実は、ご存知の方もおられるかと思うが、今年になって大先生が顧問になられた大手受験塾などで、私が教室でしているようなレッスンを受けると、うちの3倍、もしくはそれ以上の負担をしなければならない。しかし、1クラスの定員は私のところより多いのだ。

教室を始める前、大先生が私の生活を心配してくださって、もっと高いお月謝設定にしてはどうかと言ってくださったことがある。
実際、私は1枠の定員を3名までとしているし、殆どは2名までで見せてもらっている。そういう意味では大先生が心配してくださるのも無理はないという設定だとも言えるだろう。

しかし、幼児や低学年の習い事でお月謝の負担を考えると、高いお月謝設定にしても無理なく通わせられるご家庭となると、自然と限られてくるではないかと。それはどうしても納得が行かなかったのだ。
低学年のお勉強の習い事の代表格であろう、K式やG教室などのお月謝と比べると少し高いかもしれないけれど、一般の(表現が難しいのだが・・・)方でも通って頂ける金額設定にどうしてもしたかったのだ。

そういうこともあって、うちの教室は本当に小さいし、備品なども必要最低限のものしかない。けれど、大きな教室に一流の備品を揃えて・・・とすれば当然皆さんにご負担頂かなくてはならなくなるものが増えてしまう。だから、この教室でいいと思ってくださる方だけ来てくださればいいと思っている。もっと立派なきれいな教室で、備品も充実した環境でと望まれる方は、そういうところに行って頂けばいいのだと思っている。

子どもにはできるだけ多くの選択肢をできる限り平等に与えてあげたい。
そのために自分ができることはなんなのか、きっとこれからもずっと考えていくことになるだろうと思う。

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2006年10月15日 (日)

ものを大事にする心

この頃時々考えるのだが、以前、ワンガリ・マータイ女史が世界に「もったいない」という言葉を広める運動をされているというニュースを読んだが、日本には昔から、こんな素晴らしい言葉があるにも関わらず、年々私たち自身がその言葉を忘れてしまいつつあるのではないかと思うのだ。

これは全くの私の勝手な考えなので、全く違うかもしれないが、今、子どもの親になっている世代の多くが若い頃かもしくは子どもの頃にバブルの時期を過ごした人達なのだろう。(私は学生時代にバブルだったらしいのだが、どうも全くその恩恵(?)を受けた記憶がない。)
バブルの頃は、ひとつのものを大事にするというよりは、ほしいものはすぐ手に入り、飽きればまた新しいものを・・・そんなことも当たり前だった時代だったのかもしれない。

その後、世の中が不況だと言われるようになり、その影響もあってか100円ショップが台頭するようになった。私もかなりお世話になっているのだが、あれもまた、ものを大事にしないことを助長しているようにも思えるのだ。

うちの教室に来てくれている子達はみんないい子だ。恐らく、同年代の子ども達と比較しても、きちんと躾をされていて、賢い子が多いと思う。
それでも、例えば鉛筆や消しゴムを忘れて帰っても、こちらが次のときに「これ忘れてなかった?」と尋ねなければ、子どもから「忘れてませんでしたか?」と尋ねてくることはない。

また、例えば、レッスン中に消しゴムが転んでどこかに行ってしまったとしても、筆箱の中には2つ以上消しゴムが入っていたりして、特に探そうともせず別の消しゴムを使う子や、仮に少し探して見つからなければ、その場は教室の消しゴムを借りて、それ以上探そうとしない子は決して珍しくない。

鉛筆だって筆箱だってなんだって、100円ショップに行けば売っている。消しゴムなんて、ものによっては5つで100円とかでも売っているのだから、1個20円だ。
最近は各家庭の子どもの数も昔よりずっと少なくなっているから、子ども達のお小遣いやお年玉なども結構な額だったりもする。
そうなれば、子どもにとって数十円や数百円は取るに足らない金額でもあるだろう。

おまけに、親にしても、それこそ幼児用の服だって100円ショップで売っているぐらいだから、「100円の服なら汚れたら捨てたらいいわ。」「100円のおもちゃなら壊れたらまた買えばいいわ。」「ほんの100円だもの、なくしたらまた買えばいいわ。」と、そんな気持ちになっても何の不思議もない。

いくら私がびんぼ~な時期を過ごし、質素な生活に慣れたからと言っても、確かに1個2、30円の消しゴムは安い。もし子どもがなくしてしまっても、本来必死で探す必要はない。
鉛筆を無駄に削ってちびさせる子を見ても、その鉛筆すらそう高いものではないのだし、わざわざ注意をする必要さえないのかもしれない。

それでも私はいささか古い人間なので、使えるものを無駄にするのは地球に対して(う~ん、うまく言えないが、限りある資源に対してというか、貧しい国の人に対してというか、なんかよくわからないけどそういう感じ。)申し訳ない気がしてしまうのだ。
だから、教室に来る子達にも機会があればものを大事にするよう話をするし、(といっても、わざわざ改まって話すわけではなく、例えば子どもが消しゴムをわざと二つに折って、「もうこれいらない」とか言ったりしたときに、「使ってもらえなかったら消しゴムさん可哀想ね。」とか「それは地球に優しくないなぁ。」とか、そんな風に話すだけだが)私自身もなるべくものは大事にするように心がけている。たとえそれが20円の消しゴムでも。

そして、またふと思ったのだ。
これはもう本当にあくまでも仮定の話で、全くの見当違いかもしれない。ただ、ちょっと思ったのだ。

ものを大事にしない人が人を大事にするだろうかと。
もちろん、程度の差はあるだろうし、不良と言われるようなやんちゃな子がものは壊すけど弱者には優しいなんてこともあるだろうから、当てはまらないこともいっぱいあるのだとは思うが、それでもやはり、自分の持ち物を大事にし、人のものを大事にする心は「人を大事にする心」とそう異なるものではないのではないだろうか。

以前読んだ本で、ある幼児教室ではおやつのときなどに使う食器にボーンチャイナだったかの「落とすと割れる上質のもの」を使っているという話が書かれていた。
まあ、もちろん強度はある程度あるのだろうけれど、少なくともプラスチックやアルミなどの食器とは違い、雑に扱えば欠けたり割れたりする。
そんなものを意識的に使っているのだと書いておられたその先生は、「落としたら割れる」ということをちゃんと経験させることに意味があるとも書いておられたように思うし、また、「落としたら割れるから丁寧に扱おう」という気持ちが芽生えるのだとも書いておられたはずだ。
大変納得のいく話だ。

100円のおもちゃを大事にしなさいと言っても、それはなかなか難しいかもしれない。
おもちゃが溢れかえっている中で、ひとつひとつのおもちゃを大事にしなさいと言っても、それもきっと難しいだろう。

小さいうちから上質なもの(それは単に高価だということではなく、例えば、仮に100円で買った手さげにでも、お母さんが刺繍やアップリケをしてあげたり、お父さんが何か絵を描いてあげたり、何か手をかけてあげて「世界でひとつだけのもの」にしてあげるのも「上質」なのではないかと私は思う)を厳選して与え、ひとつひとつを大事にするということを自然と身につけさせることは、もしかしたらとてもとても大切なことなのかもしれない。
そんなことを考えた。

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2006年10月14日 (土)

実は近頃、ちょっとコワイ・・・。

今週も無事何とか1週間が終了し、ホッとひと息。

しかし、実は近頃、内心恐れていることがある。
まあ、そんなことは現実にはあり得ないのだけれど、以前にもチラッと書いたことがあるように、自分に何か特殊能力が備わってしまったのではなかろうかと・・・。

というのも、このところずっと、体験レッスンが入ったり、お休みした子の振替があったり、何か予定が変わったりして、「ああ、明日はスケジュールがハードだなぁ、大丈夫かなぁ・・・」とか、「今日だけ誰かが別の曜日に変更になったら助かるのになぁ」とか、チラッと考えてしまうと、なぜか実際にそうなるということが続いているのだ。

別の例で言えば、誰かが振替になって、ぎりぎり予定を組んだのに、別の誰かがかなり遅刻をしてきて、(ああ、次のレッスンにかぶるなぁ、3人になるなぁ、どうしようかなぁ・・・)と考えていると、次のレッスンのひとりの方から「熱があって・・・」というような電話がかかってきたり、誰かがずれた分、別の人もずれて、結果的に何とかうまく納まったとか、そんなこともこのところ起きている。

今日も、ここ数日なんだかハードで、おまけに、ほぼ同時期に新しいお子さんが数人入ってくれることになったということで、精神的にもちょっといっぱいいっぱいになりかけていたのだが、1つ目のレッスンのお子さんの一人はご都合により別の曜日に振替。もうおひとりは近くまで来たのだけど、ちょっと事情により本日はお休みということに。で、いきなり1コマ目が空きに。
あと5つ連続だなぁと思っていると、今度は夕方のレッスンの子が体調不良でお休みで振替ということになった。

というわけで、本当なら今頃くたくたになっていそうなのに、まだ元気。その分、月曜にいくつか振替レッスンなどが入ったものの、1日休んでなので多分しっかり元気回復しているはず。

ああ・・・絶対そんなことはあり得ないし、単なる偶然が重なっているに違いないのだけれど、怖くって、よくないことは考えられなくなりそうだ。(苦笑)

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2006年10月13日 (金)

自信の力

子どもに自信を持たせることは大事だなんてことは、今更言わなくたって誰もがわかっておられることだと思うが、また改めてしみじみそれを感じる出来事があった。

ひと月ほど前から、レッスンにちょっと苦戦し始めた1年生さんがいた。プリントと教具を出しても、もう拒否反応が出始め、さてどうしたものやら・・・とちょっと私も悩んでしまった。

お母さんに、しばらくお休みされますか?とお尋ねしてみたのだけれど(苦戦しているといっても、既に3桁同士や4桁同士の足し算・引き算の暗算まで来ての話で、100までの足す・引くはもうスラスラできるようになっていたので、しばらく休んでも進度的には全く問題なかったので)、休ませるのはあまり・・・とのことで、ちょっとご相談して、しばらくちょっと違うことをやってみることにした。

といっても、最終的にはもとのレッスンに繋がっていくようにしなければならないので、躓いていなかった段階のものから本当に徐々に段階を経てレベルが上がっていくような問題のプリントと、学習パズルをやってみることにした。

パズルは試行錯誤しなくてはならないので、失敗するのがイヤという子には嫌がられるかもしれない。その子は少しそういう傾向があったので、何度も消して書き直すことに対して抵抗を示すだろうかと不安に思っていたが、幸いそんなことはなく、楽しそうにミニナンプレや不等号パズル、ミニサムクロス(縦横に足す)などに取り組んでくれた。

パズルは大好きなようで、それだと何枚でもやりたいとご機嫌だった。それに並行して、100-1桁、100-2桁、何百-1桁、何百-2桁、3桁、1000-1桁、1000-2桁・・・と徐々に段階を上げ、更に並行して、10が10個で100、20個で200、25個で250・・・というようなことや100が10個で1000、13個で1300・・・というようなことなども繰り返し、ある時期完全に拒否反応を示していたプリントへ戻れるかもしれないなという状態になってきた。

ただ、プリントの見た目で「このプリントは難しい」と思ってしまっている可能性があったため、ちょっとドキドキしつつ、今日のレッスンの終盤で1枚そのプリントを出してみた。

3桁-2桁の引き算のプリントを出すと、予想通り、見た瞬間に「うわぁ、むずかしそう・・・」と表情を曇らせた。
しかし、今日もそれまでは絶好調で問題をクリアしていたし、ここ数回ずっとその状態で来られていたのだから、思い切ってやらせてみようと、こう言ってみた。

「大丈夫。今の○○ちゃんならもう絶対できるよ!」

すると、ちょっと不安そうに

「ほんとう?」

と聞き返してくれた。

「うん、絶対できるよ。一緒にやってみよう?」

そういうと、ひと月ほど前にはもう見るのも嫌がっていたプリントに真剣な表情で取り組み始めた。
何問か一緒に考え、その後自分ひとりでもやってみてもらい、無事そのプリントを終えることができた。
今度はもう一枚と、3桁同士の足し算のプリントを取り出すと、最近引き算ばかりやっていたせいもあって、ちょっと逃げ腰。でも、これも一緒にやろうというと、すんなりと一緒にやってくれた。
そして、結局「もう見たくもない」プリントを3枚頑張ってやってくれた。

子どもの性格も本当にそれぞれだ。
失敗を恐れず何度もトライできる子はいいのだが、慎重で間違いをしたくないという子は難しそうに見える問題はやる前から「できない」と言ったりすることがある。
その壁を少しでも低くするには、やはり「自信」が何より強力なのだなと、また改めて思った。

多分もう通常のレッスンに戻ってもあの子は大丈夫だろう。
そんなことを思いながら、思わず顔がほころんでしまうのだ。

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シ、ショック・・・(苦笑)

昨日は確かに朝から歯医者に遅れそうになって年甲斐もなくダッシュしたり、午後からもしっかりレッスンだったりで、体力は使ったような気はするが・・・。

目覚めて早速体重を量ってみると・・・・・・体重は横ばいだったのだけれども・・・・・・1日にして1歳歳を取ってしまった!!
このペースで行けば、あと1週間で実年齢!!(苦笑)

朝っぱらからくだらない話ですみません・・・。

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2006年10月12日 (木)

-8歳

間もなく次のレッスンなのだけれど、ちょっとど~でもいい話。

私のうちの体重計は、貧乏性で物持ちのよい私を反映して、私が物心ついて以来ずっとあったものだ。(もしかしたら生まれる前からあったのかもしれない。)
震災で実家を離れるとき、とりあえず私が持たされたのだが、もう今じゃ絶対お目にかかれなそうな風貌だ。

だが、先日ネットで体組成も測れる体重計がかなりお手頃価格になっているのを見つけ、買ってしまった。
で、それが今日届いたのだが、ものめずらしいのもあり、早速セットして測定してみた。

体重・体脂肪・基礎代謝・内臓脂肪・筋肉何とか(忘れた・・・)とかの他に「体年齢」という項目があり、実際の体脂肪やら基礎代謝の年齢・性別平均から算出した数値が出されることになっているらしい。

50歳とか出たらショックだよなぁとか思いつつチェックしてみると(ここに書くと年齢がバレてしまうので秘密にするが(笑))、実年齢マイナス8歳で表示された。(と、ここまで書いたら次の子たちが登場し、その後はエンドレスで今まで・・・書き始めたのは17時前だったのだけど・・・)

最近結構バタバタで、体力の衰えも感じていたのだけど、マイナス8歳の表示になんだか元気になってしまう、相変わらず単細胞な私であった。

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2006年10月11日 (水)

どうにも腹立たしい話

今日は午前中に来客があったので、珍しく早くから教室に出てきた。お昼を買いに出ようと表に出て歩いていると、突然「○○先生!」と呼ぶ声が聞こえた。

ん?と思って振り返ると、見覚えはあるのだが、お名前が出てこない。恐縮しつつお名前をお尋ねすると、私が教室を始める前に勤めていた塾に通ってくれていた子のお母さんだった。

恐らく3年以上ぶりなのに、似ているなと思ってお声をかけてくださったことはとても嬉しかったのだが、少し申し訳ない気持ちもあった。
詳しくは書いていないが、私がその塾を辞めたとき、残念ながら円満退職というわけにはいかなかった。ただ、私はそこの子達をただのひとりも引っ張ってきていないし、独立した後も一切勧誘していない。それは胸を張っていえるのだが、まあ、ちょっと筆舌に尽くしがたい色々なことがあったのは事実だ。

子ども達は本当に可愛かったし、それこそ断腸の思いでの退職だったのだが、当時小6だった子のお母さんで、彼はもう中3になっているという。
ああ、もうそんなに時間が過ぎたんだなぁと改めて思いながら、しばし立ち話をさせて頂いた。

私が辞めたことを残念がってくださった親御さんや、私が辞めたからと塾を辞めてしまった子ども達がいたことは知っている。だが、もう3年以上もの年月が流れ、たかが一塾講師の私のことなど、皆さんはお忘れだろうとぐらいに思っていた。

だが、お母さんは私が辞めてしまったことを「恨めしく思っている」と言ってくださった。こんなに時間が経ったのに、今でもお友達のお母さんたちとたまにお話をしてくださるともおっしゃって、仮に社交辞令だとしても、本当に本当にありがたいことだなと思った。

しかしその中で、どうにも腹立たしい、許しがたい話を聞かせてくださった。
昔、あるお子さんが、経済的理由で塾を辞めるというお話が出たことがある。ただ、よく頑張っているお子さんだったということなどもあり、塾長が特別に(それがいいのかどうかはわからないが)授業料を減額して辞めずに通ってもらえるようにしたのだ。

まあ、話すと長くなるので端折るが、その後塾長が代わり、しかし授業料はそのままに据え置かれたという背景はあるのだが、なんと、その子のことを、その新しい塾長自身がみんなの前で「ボンビー君」と呼ぶのだそうだ。
その子はもう中学生だ。その言葉の意味は痛いほどわかっているに違いない。もちろん周りの友達だってみんな同じ学年なのだから、その言葉の意味するところはわかっているだろう。

更にその話には続きがあり、うちはやらないのであまり関係ないが、一般に負担が大きくなる夏期講習のとき、その子が塾長に「ちょっとまけてもらえませんか?」と尋ねたそうだ。すると、塾長の口から即出た言葉は「だったら辞めて他所に行け。」だったというではないか。。。。。。
安いお月謝でこさせているのが不満なんだったらいっそ辞めさせればいいのだ。
それにも耐えて、皆の前で辱めを受けている彼のことを思うと本当に胸が痛む。もちろん本人と話した訳ではないが、もし辞めてしまったら同じ授業料で受け入れてくれるところはないだろうと思って我慢しているのかもしれない。もしそうだとしたら本当にたまらない。

批判とか愚痴とか、後ろむきなことは書かない方がいいよとアドバイスをくださる方もおられ、それは確かにそう思うのだけれど、今日のは書かずにいられない。

正直なところ、そんな人が子ども達を指導していることが耐えられない。噂では生徒が増えず苦戦しているようだが、そりゃ当然だろう。

単細胞なので、そんな話を聞いたら、うちで引き受けますと言いたいところだったが、残念ながらうちは中学生は個別指導しかしていない上、教科も限られている。更に空き時間も正直なところ殆どないのだ・・・。そんな状態で無理にこちらに引っ張っても、かえって彼のためにならないだろう。
直接何もしてあげられない自分がちょっと情けない。。。

心無い言葉でその子が深く傷ついていなければいいのだけど・・・。

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2006年10月10日 (火)

今日のスーパーくん

うちの小さい子たちはほぼ例外なくみんなスーパーなのだが、今日のスーパー年長くんもまたこれがすごかった。

彼とは最近、10以上の数+1桁の数の繰り上がりのないものを一緒にレッスンするようになった段階なのだが、この彼、もともとなんだかすごくって、おうちの方も結構びっくりされることも多いらしい。

今日、どんぐりさんの問題をやっていたとき、式で書くとしたら「13-4」になる問題が出てきた。彼自身、式はすぐにわかったらしいのだが、もちろん、まだそんなこと一緒にやったことがない。
私としては絵を描いて数を数えさせるか、教具を使って13個から4個を取らせるかしてみようと思いつつ、教具を準備しがてら彼に言ってみた。

「13-4ってわかる~?」

もちろん、その言葉のあとに教具を出して、彼に取ってみてもらうつもりだったのだ。
しかし・・・・・・。

「13ひく4?そんなんわかるで、9!」

と即答だ。
ひょぇ~~~~っ!!!

「すごいなぁ、天才やなぁ、なんでわかるん?」

そう尋ねると、これがまたすごかった。

「だって、13は10と3やろ?3とったら、あと10から1個とって9やん!」

と、何を驚いているんだ?といわんばかりにあっさりと説明。
す、すごすぎる・・・。

現在、年長くんは2人だが、この2人が2人ともすごい。
さて、この子達の数年後は一体どんな状態になるのだろう。楽しみで仕方ない。

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2006年10月 9日 (月)

くだらない話。

今日は既にひとつUPしましたが、ちょっとくだらない話。

常々言っているけれど、教室を始めてから(いや、その前から?)ずっとちょいびんぼ~だったし、おまけに貧乏性なので、100均のダ○ソーにはこれまで非常にお世話になっている。

今日は体験レッスンだけでお仕事が終了したので、必要なものもあったしのんびりダ○ソーに行ってみた。
まずは絶対必要なものをピックアップしたあと、大抵の子がレッスン時間より早くやってきて教室にあるパズルをしたりして遊んでいるので、そうだ!と思い立ち、知恵の輪やらジグソーパズルやら、それらを入れるケースやらを色々と物色。(それにしても、けっこうしっかりしたつくりの知恵の輪が100円ってのはすごい。。。)

ゆっくり時間もあったので、色んなところをうろうろ見て、ああ、これもあると便利!とかなんとか、気づけばカゴが結構いっぱいになっていた。

レジに行くと「2205円です。」と。

おぉぉ!!
ダ○ソーで2000円以上(全て100円商品で)買い物してしまった!という驚きと、こんなに買ったのに2000円ちょっとなのか!という驚きの両方で我ながらびっくり。(笑)

で、ふと思ったのだけれど、ちゃんとした(?)服屋さんなんぞに行けば、1万円あってもパンツ1本とかセーター1枚とかそんな買い物しかできないけど、100均で1万円使おうと思ったら間違いなく両手には持ちきれないほどになるのだなと。

期間限定でおまけがついたお菓子なんかをまとめて箱で買うような買い方を「大人買い」とかいうらしいけど、それこそ、コーナーによっては「このコーナー全部」とかって買い物だってできるはずだ。。。
恐るべし100均。

何年ぶり(何十年ぶり?)かわからない知恵の輪は、結構新鮮で面白かったのであった。
知恵の輪100個で1万円か・・・。けど、4、5種類しかなかったからダメだな。(笑)

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嘘みたいなホントの話。

今日は祝日だが、体験をお受けしていたので教室に出てきた。
時間通りにとても感じのいいご家族が、皆さんお揃いで登場された。

ちょっとシャイな感じの可愛い1年生くんと1時間レッスンをして、そのあとご両親とお話をしていたときのこと。
その彼は1年生になる少し前から「某プリント反復塾」に通っているそうなのだが、とにかく繰り返して覚えるという学習法に疑問を持たれ、その教室の先生に質問をされたそうだ。しかし、先生の答えは「暗記してください」だったというのだ。

その言葉の意味がわからない。

いや、もちろん、そこまで馬鹿じゃないから、その言葉の意味はわかる。
しかし、何が言いたいのかが全くわからないのだ。

何のイメージもできていない子にとにかく大量に問題を解かせ、1+1=2、1+2=3、1+3=4・・・とひたすら解き、それが10までの2数になり、引き算になり、10を超え・・・という感じで進んでいくのだろうけれど、1桁同士の足し算だけでも、1+2と2+1を別の式と捉えるのであれば、81個の式と答えを覚えなくてはならないことになる。0も入れれば100個だ。

一桁同士の引き算があり、次の段階の足し算・引き算があり、20まで、100まで、更にそれ以上となっていく計算の式と答えを全て覚えろというのだろうか?それは正気か?

まあ、詳しくはわからないが、教科書でも2桁+1桁とかから既に筆算を教えるぐらいなので、覚えなくてはならない式は1桁同士の足し算と引き算だけだというのかもしれない。しかし、それでも0を含めたら九九よりずっと多い式と答えを覚えるということか?

ただ、筆算でしか解けない子達は「205-18」のように、間に0が入ってくる計算になると途端に計算があやしくなるのだ。とすれば、間に0が入ってくる数の引き算の答えも暗記するんだろうか?

小さいうちにそんなことを必死になって覚えたって、子どもも何にも楽しくないし、そんなことするぐらいなら積み木やおはじきを数えて遊んでいる方が遥かに学習効果が高いはずだ。

プリントをただひたすらに大量にさせられるということは知っていたが、相談した親御さんに迷わず「暗記です」と答えるとは、さすがに参った。。。

それで小さい子がおかしくならない方が異常な気がする。。。

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2006年10月 8日 (日)

ふと思ったのですが。

今日は休日なので、パズルとかはちょっと考えたものの、基本的にはのんびり過ごしました。
幸い、歯の痛みもかなり治まり、腫れたのはバカみたいにパソコンで遊んだからなのでは?と反省もしているわけですが、ふと思ったことが。(あ、例によって休日なので、どうでもいい話です。すいません。)

先日、教室に来てくれているある子のお迎えに、初めてお父さんが来られたのですが、後日、お迎えのお母さんが

「イメージ通りの先生やったわって言ってました。」

と。
ふむ。

で、思ったわけです。
私のイメージって?

既に私のことをご存知の皆様には、私は一体どういうイメージなのだろうなと。
また、このブログを通じてお知り合いになったり、直接コンタクトを取ってくださったことはなくても、ここを読んでくださったりしてくださっている皆様には、私は一体どういうイメージなのだろうなと。

一応女ですし、もともと写真とかが苦手なので、プロフィールには写真も似顔絵も何も公開していませんが、ネットを介してでも、不思議と何らかのイメージを持ったりしますよね、結構。(私も面識のない先生方やお母さま方とメールなどでお話するとき、ぼんやりイメージを持つことはありますし。)

まあ・・・私の場合、なぜだかしばしば男に間違われることもあるぐらいなので、一体全体どんなイメージなんだろうなぁと、ふと気になったわけです。

もしもお暇な、いえ、お優しい?方がおられましたら、コメントなんか頂けたら楽しいかも。
さて、ちょっと実家に顔を出してまいります。

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2006年10月 7日 (土)

個性的な靴

私の仕事はなんだろう。
ときどきそんなことを考える。

何言ってるの?あなたの仕事は子どもを指導することでしょ?

そんな風に言われるのかもしれない。
もちろんそれはそうなのかもしれないのだけど、もっと本質的なところで、本当に私がすべきことは何なのか、そんなことをときどき考えるのだ。

私のしたいことはものすごくはっきりしていて、ひとことで言ってしまえば「子どもが幸せになるお手伝いがしたい」ということに尽きる。

多くの素晴らしい塾の先生方が、塾の仕事は成績を上げることだとか、志望校に合格させることだとか言っておられるし、もちろん塾なのだから圧倒的多数の方が望んでおられるのもそれなのだと思う。

確かにお月謝を頂いて、貴重な時間を割いて教室に来て頂き、「性格はいい子になりましたけど成績は伸びませんでした、すみません。」なんてことは恐らく許されないだろう。
それでも私のしたいこと、私がすべきことは「成績」や「合格率」という言葉とはどこかそぐわないもののような気がするのだ。

もちろん、ブログにもしばしば書いている通り、一目惚れしたこの学習法で学べば、殆どの子が目覚しい伸びを見せる。なかなか目立った伸びが見られない子もいなくはないが、それでもその子が来たときよりは明らかに伸びている。

それでも、私にとって最も優先すべきは「本来ある子どもの考える力を更に伸ばし、引き出す手助けをする」ということであって、成績の向上や合格はその結果としてついてくるものに過ぎない。

実は、教室を始めて間もない頃、私が子ども達とやっている学習法は殆どがご家庭でもやれるであろうことなのに、それでお月謝を頂いてもいいんだろうかと思ったりもしていた。
私自身、塾にも予備校にも通ったことがなく、子どもに最も力がつくのは結局は独学なのではと思っているところもあるので、そんな自分が教室をしているのはどこか矛盾しているのではないかと、そんなことを感じてもいた。

だけど、この頃思うのだ。

私自身の子どもの頃を振り返っても、親のいうことは素直に聞けなくても先生のいうことは素直に聞けたし、他人から言われるのと親から言われるのでは、同じことを言われても明らかに受け止め方が違っていたように思う。

特に勉強のことで親にあれこれ言われるのはすごく嫌だった。かなり抵抗もしたので、いつからか親は勉強に関して殆ど何も言わなくなった。(そのことはとても感謝している。)

更に、教室に来てくださっているお母さん方のお話を伺っていても、頭でわかっていても、我が子にはどうしても我慢ができず叱ってしまうというお母さんが驚くほど多いのだ。
どう考えてもこのお母さんは怒らないだろうと思うような穏やかな方でさえ、我が子のこととなるとダメらしい。

そして気づいたのだ。
確かに学習内容だけを見れば、特に幼児や低学年であれば保護者の方でも十分指導ができるものが殆どだ。だから、ご家庭で指導したいという方には今後も当然教材等をご紹介するつもりだ。
けれど、親子ではなく他人からの方がよりよく学べるのではと思われる方のために私がいるんじゃないかなと。

実際、しばしば伺うお話の中に、教室ではスラスラできていたものがおうちではなかなかできないということもある。じゃあ理解できてなかったのかな?と次のレッスンで何も言わず、まずやってみてといってやってもらうと、大抵の子が何のヒントも出していないのにスラスラ解くのだ。それはやはり「親子」と「他人」という違いなのかもしれないと、そんなことを思う。

以前、「勉強」ってなんだろう。を書いたとき、ボボコフさんが引用してくださったのだが、そこに書いておられた記事を読みながら、(そうか、私の書いていることは自らの仕事と矛盾しているのかも?)と思ったりもした。

まあ、基本的に私自身、幼児・小学生のうちの詰め込み学習、反復による先取り学習にはもともと否定的だし、そんな勉強をするぐらいなら他にすることが沢山あるだろうとも思っているのは事実なので、記事に書いたことは本当の気持ちだし、「本気で遊ばせますから教室を辞めさせます」って言われたら、多分引き止められないとも思う。

じゃあなんで教室をしているんだ?といわれる方もおられるだろう。
けれど、仮に塾や教室が数え切れないほどあったとしても、それぞれの場所でなされていることがほとんど同じであれば、選択できるものは「場所」と「講師」、「費用」ぐらいしかないのではないだろうか。

青い靴がほしい人に赤い靴をどれだけ数多く並べたって満足してはもらえないし、青のスニーカーがほしい人に青のサンダルを出しても、「そんなのいらない」と言われるだろう。

多くの人が求めるものが、仮に「白いスニーカー」なのだとしたら、多くの塾や教室は、白いスニーカーでありながら「赤いラインが入っていますよ」とか、「マジックテープで脱ぎ履きできますよ」とか、「底が滑りにくくなっていますよ」とか、そんな違いを示しているように感じたりもするのだ。

白いスニーカーがほしい人はその中から選ぶことができるだろうけど、そうじゃない靴がほしい人は、選ぶ靴の選択肢さえない状態なのかもしれない。

だから私は「個性的な靴」でありたい。
そんな靴をほしがる人はすごく限られているかもしれないし、器用な方は自分で作ってしまうかもしれない。
それはそれでいいんだろうと思う。もともと「大量生産」はできないのだから。

その靴がいいと言ってくださる方、自分では作れない(作らない)方に大事にしてもらえるよう、これからも一歩一歩しっかりと頑張っていかなくてはと思う。

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2006年10月 6日 (金)

小さなお子さんをお持ちの方へ。

と、ちょっと大層なタイトルをつけたわけですが、非常にささやかなお話。
学校では多分全国的に小学2年生が九九の学習をしている、もしくは間もなく開始するという時期になったのだと思います。

九九といえば、私が子どもの頃も「九九カード」を何度も何度も繰りながらとにかく暗誦できるようになるまで繰り返すというものが主流で、よく考えもせず「ににんがし、にさんがろく・・・」とお題目のように唱えていたわけです。

それは恐らく今でも変わっていないはずで、おまけに昔より授業時間が削られているのですから、尚更「機械的に覚える」ということが主になっているとしても不思議はありません。

学校で学習が始まってしまえばもうそれに従って覚えていかざるを得なくなると思うのですが、ご兄弟などがおられて、上のお子さんが九九を唱え始めたり、おうちに九九表があって、それにまだ九九を知らないお子さんが興味を示したりということは多分珍しいことではないと思うのです。

もしお子さんに「掛け算ってなあに?」と尋ねられたら、世の大人はどう答えるのでしょう?
答えに詰まってしまうかもしれませんね。
これがもし「九九ってなあに?」という質問であれば、それこそ「ににんがし、にさんがろく・・・って順番になってて、最後がくくはちじゅういちっていうのよ。だから九九っていうの。」なんていうのとそう遠からずな答えをされる方もおられるのではないでしょうか。(実際、自分自身も「掛け算とはなんぞや」ということを子どもの頃に習った記憶がない(もう忘れてしまっている。考えたことがない。)という方が多いのではないかと思いますので。)

けれど、そのときにひと言、例えばこんな風に言って頂けたら、その子にとってのその後が変わってくるのではないかと思ったりするのです。

「掛け算っていうのはね、同じ数が何回あるかっていうことなの。2かける3は2が3回ってこと。だから、2+2+2と同じことなのよ。3×5だったら3が5回あるってことね。」

もちろん、これはあくまでも一例ですが、そんな風に、掛け算というものの性質、もともと何のために掛け算があるのかというようなところをきちんと説明してあげられれば、そのあとその子がどこかで5×4という式を目にしたとき、これは5が4回ってことだから、5+5+5+5のことだと気づけるかもしれない。気づけば5×4は20だとわかるかもしれない。そう思うのです。

質問されたときにどう答えていいかわからず「2年生になったら習うのよ」なんて返事をしてしまったら、すごくもったいないと思うのです。
「ににんがし、にさんがろく、って覚えるのよ。今度九九表を一緒に見てみようか」と、せっかく工夫して答えを返してあげても、九九表を見て掛け算の性質や考え方に気づくことはかなり難しいとも思うのです。

例に挙げたような説明は、もちろん足し算や引き算もまだ知らない段階では答えを出すことはできないでしょう。それでも、足し算は数を合わせること、引き算は数を取ること・・・そんな感覚がわかっているのであれば、掛け算は同じ数が何回あるかということという意味はなんとなく理解できると思うのです。
そういう知識があるかないかで、その後のその子の興味や関心に影響が出るかもしれないと思うのです。

とても簡単にできることだと思うので、ちょっと書かせて頂きました。
何かご参考になれば嬉しいです。

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2006年10月 5日 (木)

学校の算数。

6月から一緒にレッスンするようになった2年生の女の子がいる。
ママの話では、弟くんは算数のセンスがかなりいいように思うけど、お姉ちゃんは算数が苦手みたいだというお話だった。

確かに初めの頃はそうかもなと思いつつレッスンをしていたのだが、これがまあ、見る見る、激しくできるようになっていくではないか。

2年生の途中入会なので、学校がもうじき掛け算になるということもあり、通常とは若干順序を入れ替えてレッスンを進めているのだが、6月からこれまでに彼女は、4桁同士までの足し算・引き算の暗算、10桁ぐらいまでの足し算・引き算の筆算を終え(これは多分もう何桁でも解けるのだけど、問題が10桁ぐらいまでしかない。)、掛け算に関しても九九はもちろん、2桁・3桁×1桁までも終了した。

今日なんて、これまでの足し算・引き算のまとめという感じで、数の半分や2倍を考える問題や、結構難しめの文章題が結構いっぱいあった。
予定ではこれが全部終わればすごい!と思っていたのだが、なんのなんの、時には私がついていけないほどのスピードで正解を出していく。

たまごが90個あって、10個ずつパックに入れたらなんパックできるかとか、1000円が11枚、100円が35枚、10円が・・・、1円が・・・合わせていくら?みたいな問題でもちょっと考えて、気持ちよく正解を並べていくのだ。

冗談半分に

「ねぇ、算数苦手って言ってたの嘘でしょ~?」

と笑いながら尋ねると、なぜか彼女の口からは

「ん?算数苦手。」

と。
・・・・・・・・・。(こ、こんなにできるのに・・・。)

「なんで?こんなにできてるやん?」

「ああ、こういうのはいいねんけど、学校の算数は苦手やねん。」

は??いや、圧倒的に学校でやってることのほうが簡単なのでは??

「それ、苦手っていうんじゃなくて、できるけど好きじゃないっていうんじゃないの?」

「ああ、そうそう。学校の算数はキライ。」

(納得・・・。)

しかし、またか・・・って感じ。
ここに来てくれている子達の多くは、教科書より明らかに難しい問題でも結構楽しそうに考えてくれるのに、学校の算数はキライっていう子は多いのだ・・・。

まあそうか・・・。高学年に小1の最初の頃の授業を受けさせたら、余程のことがない限り、退屈でつまらないと感じるだろう。自分の頭を使う必要が殆どないことは「楽しくない」のだ。
恐らくそれに似たようなことが起きているということなんだろう。

けれど・・・週に何時間もその「楽しくない算数」の時間があるのかと思うと、ちょっと気の毒な気持ちになる。
もちろん、学校ではカリキュラムがあり、その教科が苦手な子にも配慮をして進めなくてはならないのだから、みんなが満足ということは難しいのだろうけど、私から見てもホントによくできる子の多くが「学校の算数はできるけどキライ」というこの現実は、もうちょっとどうにかならないもんなんだろうか・・・。

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2006年10月 4日 (水)

ちょっと泣きそう・・・。

ど~でもいいというか、教室にいらしてくださっている方には一部いずれご迷惑をおかけするかもしれないというか、そんな話。

実は数日前から歯が痛いなぁと思っていた。
けれど、休日にバカみたいにゲームをしたりとかして、肩が凝り凝りに凝ったりしたので、そのせいで歯茎が浮いているのかなと、そのうち治まるだろうと高をくくっていたのだが、どうもこれは違う気がする。

そのうち、歯磨きをすれば口から血が出るようになり、痛みはじわじわと増して・・・。とてもイヤな予感が。
明日痛みが引いていたら・・・という願いも虚しく、結局何日も同じ症状なので、覚悟を決めて歯医者さんに電話をしてみた。

もともと、4年ほど前に唯一表に出てきていた親知らずが虫歯になってしまい、決死の覚悟で抜いた。
そのとき、歯医者さんにレントゲンを見せられて言われていたのだ。

「もし他の親知らずが痛み出したら、それはここではどうにもできないから、紹介状を書いてあげるから六○アイランド病院に行って手術で取ってもらわなきゃいけないと思っててください。」

と。。。
その日が来ないことを願い続けていたのだが、これはどうにもとうとうその日が来たっぽく、その引導を渡されるべく、その歯医者さんへ。ざっとひと通り見てくださるとすぐ、

「おっしゃる通り、親知らずですね。紹介状書くから、今すぐいっといで。なかなか時間も取れないでしょ?」

そう言ってくださって、大急ぎで見送ってくださった。
初診の受付時間に間に合うかどうかのギリギリだったので、タクシーで乗りつけ、しかし、大病院の宿命、かなり待たされて(因みに起きてからまだ何も食べていなかった・・・。)診察してもらえたのは0時半も過ぎた頃。

美人で頭のよさそうな、しかも感じのいい女医さんで、口調も気さくで優しかったのだが、私の歯のレントゲンを見てひと言。。。

「うわぁ、これはすごいわ。」

と。(泣)

実は私は非常に歯並びが悪い。小さい頃、硬いものを噛むのを嫌がり、歯医者に行くたび「硬いものを噛みなさい。あごが小さいから。」と何度も言われたにも関らず言うことを聞かなかったため、実際見事に歯が並ばなかった。しかし、医者嫌いなので矯正もせず、これまで来てしまったのだけれど(大人になってから一度聞いてみたことはあるのだが、前歯が引っ込んでしまうと顔の雰囲気が淋しくなると思うよと言われたりもして・・・)、多分その影響なのだろう。
一番奥の親知らずが生えるべきスペースがなく、親知らずはやむなく歯茎の端の斜面になった部分に生えようとしたらしい。
レントゲンを見ると、もう本当に見事なまでに真横に向かって生えているのがわかる。
要するに、絶対に表には出てこず、延びようとすればするほど隣りの歯を押すことになるわけだ・・・。

美人の女医さんの口からは更に恐ろしい言葉が・・・。

「これを取るのは大変だわ。麻酔をして歯茎を切って、周りの骨をかなり削って、歯を3つぐらいに砕いて取り除くことになるんですけど、この部分は神経や血管のすぐ近くなので、麻酔があまり効かないかもしれないんです。となると、通院手術ではお互いしんどいと思うので、入院してもらって全身麻酔での手術になるんですけど、そのほうがいいと思います。」

しかし・・・更に恐怖をあおる言葉が・・・。

「神経に触ると唇がしびれたりということがあるんですけど、この手術だと普通の方には1000人にひとりぐらいってご説明するんですけど、○○さんの場合は・・・何%とは言えないけど、確率はかなり高くなります。」

(心の中で号泣)。

入院手術となると最低でも2泊3日とのことで、退院しても腫れは数日続くのと、痛みは1週間ほど続くのと・・・って説明。
というか・・・なんで歯を1本抜くだけでそんなすごい話になってるんだろう・・・。(泣)

ああ・・・こんなことなら、小さい頃にきちんと歯医者さんの言うことを聞いておくんだった・・・と今更ながら思うわけだが、そんなのは後の祭り。
とりあえず、急ぐことではないけど、何度も腫れたりするのを繰り返すようなら、近いうちに取ってしまう方がいいでしょうと。。。

はぁ~~~~~。。。。

皆さん!小さいお子さんにはどんなに嫌がっても、しっかり硬いものを噛ませる方がいいです!!ちょっと力説しておきます。(苦笑)

というわけで、決まりましたらまた改めてきちんとお知らせ致しますが、冬休みか春休みかに教室が3、4日お休みになるかもしれません。入院手術は火曜日だそうで、月曜に入院、早くて水曜に退院とのこと。火・水・木あたりに通ってくださっている皆様にはご迷惑をおかけすることになるかもしれませんが、何卒ご容赦のほど。

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お別れ。

いきなりですけど、ど~でもいい話です。

どうもこのところ、秋になったせいか、親知らずが痛むせいか、思考が切なくなりがちなわけですが、そこに来て今日、一体何年一緒にいたかわからない「コタツ」とお別れすることになりました。

今日が粗大ゴミの日で、今日出せなかったら次出せるのはひと月後。
先日、部屋の片付けやら配置換えなんかをしたときに、思い切って買い換えることを決め、今日の粗大ゴミに出すのだと決めていました。

新たに注文したコタツは奇しくも今日の午前中配達ということになり、本当に入れ替わりに我が家にやってくることになる予定です。

実は今回お別れするコタツは、震災で実家を解体することになったとき、家族それぞれあるもの、使えるものを分けて持って出た中のひとつで、さっきから考えているのですが、一体何年の付き合いなのかがわかりません。
家電には「○年製」とか書いてあるものもあるので、それも探してみたのですが見当たらず、メーカー名、商品名、型番をネット検索してみたものの全くひっかからず・・・。

けど、名前が「ナ○ョナル カラーコタツ」って時点で間違いなくかなりの年代を感じます。私が高校生や大学生のときに実家でコタツを買い換えた記憶がないので(まあ、何でも忘れる方なので自信はありませんが・・・)、もう20年以上の付き合いなのは多分間違いないと思うわけです。

そんなことを考えていると妙に愛着が湧いてきて、段々捨てるに忍びなくなってくるわけです。
けど、朝までにお別れしなくては新しいコタツを迎え入れることができません。それに、そもそも買い換えようと思ったのは、ネジを締めても脚がカタカタして、なんだか落ち着かず、動かすつもりがないのに微妙にズレたりってことが日常茶飯事で、そんなことにイライラするのはもうやめようと思ったのが一番の理由なのですから、この子をこのまま置いておくのはどう考えてもおかしいわけです。

で、ここが私の中途半端なところ・・・。
悩んだ結果、本体部分とお別れし、コタツの板だけもう少しいてもらうことにしました。(苦笑)
けど、これがまた不思議なもので、パソコンを移動したことにより、いつも座る位置に座ると、棚に並んでいる雑多な本や小物類が常に目に入る、なんだか落ち着かない視界になってしまっていたのですが、コタツの板をその場所に立てかけると、まるで測ったかのようにほぼジャストサイズで目隠しをしてくれるではありませんか!

というわけで、台とはお別れするものの、板とはまだしばらくお付き合いすることになりそうです。

しみじみ貧乏性だなぁと思う今日この頃。。。
けど、使えるものを捨てるって、すごく罪悪感を感じるんですよね。。。

コタツさん、かれこれ10年はコタツとして働くことなく過ごさせてしまってゴメンナサイ。
そして、壊れていないのにお別れすることにしてしまってホントにゴメンナサイ。
長い間本当にありがとう。

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2006年10月 3日 (火)

やっぱすごいよなぁ。

火曜は偶然にも、うちの教室が始まったときに来てくれた、本当の初期組6人のうち、今も続けてくれている4人が全員登場する曜日。
ひとりはもう中学生になってしまったけれど、あとの3人のスーパーぶりは相変わらずすごいものがある。

今日の4年生たちは和差算、分配算、倍数算とか呼ばれるらしい(私自身が中学受験に縁がなく生きてきたので、そういう呼び名をあまりきちんと知らない。)文章題を、私が何の説明もしなくても、それぞれに考えて解いている。

次に出てきた平行四辺形の面積に関する問題も、最初に2分ほど確認だけしたら、後は勝手に面積を底辺で割ったら高さが出るとか、そういうことは自分達で判断して解いてしまう。

それはもう見事だ。

そしてそのあとには5年生。この彼のすごさもしばしば書かせてもらっているが、今日は割合のちょっと面倒な問題なんかをやっていた。百分率や何割何分何厘などについては一度ざっと一緒にやった以外は改めて覚えさせたこともないのだが、40%増しなら140%で、それが1.4だということや20%引きなら80%になるなんてことはいとも容易くわかるようだし、すごいなぁと思うのは、例えば「125%」を見たら100%を出すには5で割って4倍すればいいとか、そういう感覚がどうやら自然と身についているのだ。

塾に勤めていた頃見ていた子達にであれば、とにかく100%は1で10%は0.1、1%が0.01ということを何度も繰り返して覚えさせなければすぐ忘れてしまうのが普通だったし、125%を5つに分けてその4つ分が100%なんてことは発想として私もなかった。おまけに、仮にそういう発想で子どもに問いかけていたとしても、「はぁ?何言ってるの?」という反応が返ってくる方が普通だろう。125で割って100倍するというのが一般的な発想なのだから。。。

そんなことを思い出すたびに、とにかく、ああ、すごいなぁと思うのだ。
この子達が一番初期の子達で、私もこの子達と共に育ってきたという感覚があるため(最初の頃は教具の使い方だってままならなかったし、どうしてあげたらより効果があるかとかもわかっていなかったし・・・)特にそう感じるのだけれど、その後の子達は更にすごいことになっていくのかもしれない。

この分だとホントに、近い将来私の代わりに子ども達が「先生」になってくれる日が来る気がするなぁ。(笑)

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2006年10月 2日 (月)

もう10月か~~。

そういえば、昨日から10月だった。(今日もど~でもいい話。)

昨日はお休みで1日強烈に怠惰な生活をしてしまったため、あまり実感もなく、おまけに今日は月曜で振替のレッスンがひとつあっただけなので、更にあまり実感なし。

けど、郵便局も銀行もすっごく混んでいたので、ああ、そうか月初めなんだ・・・と気づいた感じ。

実は私は筋金入りのペーパードライバーで、免許を取ってからかれこれ十数年が過ぎたのに、公道を走ったことはほぼないに等しい。
当然今じゃもう運転なんて到底できるはずもなく・・・。

一人暮らしにも慣れ、力仕事でも大抵はやってのけるものの、唯一困るのは「足」がないこと。
実は先月半ばぐらいから教室に新たにカラーボックスやらなんやらを増やす予定なのだが、いかに私が力持ちであろうとも、さすがにそれらをひとりで抱えて帰るのは無理。
けど、配達してもらうと数日待たなくてはいけなかったりもするし、残念なことに気安く「足」になってくれる人もいない。

幸い今ではネット購入できるものが増えたので、大きなものや重たいものは配達日指定とかで配達してもらうことも多くなったが、今日はコー○ンに行って、5段のカラーボックスを買おうと思ったものの断念。どうしても今日やりたかったタイルカーペットだけを、それも枚数を予定より減らして持ち帰ることに。

しかし、タイルカーペットめ、侮れん・・・。たった10枚でなぜこんなに重いのだ・・・。まあ、50センチ角で裏には滑らないようしっかりとゴムがくっついているから、確かに重いんだよね。。。
でも、とにかく今日やりたかったので、すごい姿で肩には鞄を、両手にタイルカーペットを持ち、公道にまで出たものの、袋がびよ~んと伸びるわ、穴が開くわ、これはどうにも「持って歩く」のは無理らしい。

ということで、超贅沢にもタクシーを使ってしまった・・・。
まあ、お蔭で今日絶対にしたかったことだけはできたので、すっきりはしたんだが。

けど、実は遠い昔、免許を取った直後に思ったことがあって、私のこの性格で車を買ったら、ホントに嫁に行けないかもしれぬと。。。
そう思ったことと、震災に遭ったことやらで車を買うことなく今に至ったものの、買わなくっても・・・・・・。(以下省略)

さて、明日からまた1週間、気合を入れて頑張ります。

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2006年10月 1日 (日)

恐ろしく怠惰な休日

今日はお休み。とりあえず何の予定も入ってない。
本当はホームセンターに行って色々物色するつもりだったのだが、起きたら雨。原始人な私はお天気が悪いとどうもすっきり起きられない。おまけになぜだか起きたときからずっとかすかな頭痛が・・・。

そんなこんなで結局恐ろしく怠惰な休日を過ごしてしまった・・・。
今日したことと言えば、お洗濯と日用品・食料などの買い物以外は、ず~~~~~っとパソコンで遊んでただけ。。。。。。

まあ、週に1日、仕事を離れてぼけ~っとするのはそれもいいかなと思ってはいるものの、ぼけ~~~~っじゃなく、延々とど~でもいいパソコンのゲームをし続けてしまった。
肩ががちがちになって目がしばしばするまで・・・。
はぁ~~っ、こんなことでいいんだろうか、この歳で、この仕事で。(苦笑)

この仕事でといえば、話は変わるが、私は芸能リポーターと呼ばれる職業やゴシップ系の写真週刊誌の記者、カメラマンってのがキライだ。もちろん、直接の知り合いはいないので、中には素晴らしい人もいるのかもしれないけど、人のプライベートを世間に公表して、得意気にしゃべったりしているのって、見ていてやな気分になる。

で、今回、某女子アナと某政党の代議士さんとのことが某写真週刊誌に出たらしいのだが、その代議士の方、結構有望な若手だそうな。
もちろん、既婚者であるのに人目につくところでそういうことってのは軽率すぎるとは思うし、ご家族に対しても許されないことをしたってことになるのだろうけど、今日のネットのニュースでその方が「お詫び行脚」をしているとか。

で、支持者からはお詫びを断られたり、厳しいことを言われたりしているっていうようなニュース記事だったけど、なんだかなぁって感じがするのだ。

そもそも、もちろん彼が取った行動は社会的に許されないことなのかもしれないけど、世の中そういうことをしている人はいくらでもいるだろうし、仕事とプライベートってやっぱりそんなに一貫していないとダメなんだろうか?
というか、プライベートでそういうことがわかると、途端にその人の仕事の評価まで変わってしまうもんなんだろうか?その辺がどうもイマイチよくわからない。

ときどき、「教師は聖職だ」なんていう言葉を耳にすることがあるけれど、まだ教員を目指していた学生時代から、その言葉には違和感を感じていた。
もちろん、大切な大切な子ども達と関わっていく仕事なのだから、法に触れるような悪いことをしたり、極端に常識外れなことをするのはダメだとは思うけれど、「聖人君子」みたいな教師は、きっと子どもにとって魅力的じゃないと思うのだ。

私が尊敬する恩師もみな素晴らしい方だが、いい意味で「人間臭い」方達だったし、今はもうお空に帰ってしまった恩師などは、どちらかと言えば「聖人君子」という言葉の対極にいそうなイメージだった。常にハイライトをスパスパすって、今じゃセクハラだって言われてもおかしくないようなことも平気で言ってしまうような人だった。それでも私は恩師のことを心から素晴らしいと思っているし、そう思っている教え子は決して少なくないことも知っている。

某政党の代議士さんの肩を持つわけじゃないし、その方の仕事振りも私は全く知らないけど、純粋に「仕事」で評価するってわけにはいかないんだろうか。やっぱ、政治家となると、そうはいかないのかな。

と、休日なのでど~でもいいことをつらつら考えてしまった。

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