不思議な気分。。。
私が尊敬する先生のお一人に「考える学習をすすめる会」のウロコ先生がおられる。
長らく続けてこられたメルマガのひとつがこのたび終了することになり、それに伴ってウロコ先生がメインでブログを始められたようだ。
それにしても、昨日の先生のこの記事を読みながら、なんとも不思議な気分になった。
普段私がブログに書いていることや、書いてはいないが教室の子ども達に言っていることなどが、あまりにシンクロしているのだ。
私は先生を尊敬してはいるが、あくまでもメルマガを介して先生の存在を知り、その後このブログがご縁をつないでくださってお知り合いになれたものの、相変わらず面識はないし、あちらは長野、こちらは神戸。おまけにウロコ先生は小学校高学年からを指導されていて、私のメインは幼児・低学年。
学習指導の面で直接ご指導頂いたことはないし、当然私がウロコ先生にご助言するとかそんなこともあるはずもない。
それにしてはこのあまりのシンクロは、いささか気持ち悪いぐらいだ。
ただ、なんだか嬉しくなってしまった。
尊敬する先生がおっしゃっていることと、私が日々考えていることが同じだということは、目指している方向は間違っていないよと言って頂いたような気分なのだ。
小さいうちは遊べということにしてもそうだし、遊ぶというのは「経験をさせる」ということだということ、それが大きくなってすごい力になるということなど、もちろん同感だ。(これまでにも言ってきた。)
しかし、更に驚いたのは、小数計算のこと。
実はつい先日、足し算・引き算の考え方についても、ウロコ先生の指導と私の教室での指導とが全く同じだということが判明したのだが、高学年の小数計算のとき、私は子ども達に点の付け方を機械的に指導することはしない。
仮に、2.4×3.2なら、2×3で6に近い答えになるはずでしょ?とか、そういうことは言うけれど、(どっちもが後ろからひとつ目に点があるので、あわせて2つ分後ろから戻ったところに点を打つのよというような、昔自分が受けた指導はしないようにしている。(どうせ私がしなくても学校ではいずれそう指導されるのだし。。。)
小数×整数や小数÷整数の計算ぐらいはきちんとできないと困るだろうけれど、小数同士の掛け算や割り算は、考え方さえわかっていれば、完璧を求めようとも思わないし、子どもにも「中学校に行ったら小数同士の掛け算や割り算はほとんど使わないし、答えも大抵小数じゃなくて分数を使うからね」と言っている。
仮分数を帯分数にするのだって、小学生の間だけ求められることで、中学生になれば帯分数なんてものを目にするほうが珍しくなる。
もちろん、帯分数と仮分数の関係は理解できていないといけないだろうし、直せといわれたら直せる方がいいだろうけれど、それがわかっている子には計算の答えは仮分数のままでOKにする。
小学校の間はうるさく言われることでも中学に行けば全く言われなくなることは少なくない。中学受験する子に関しては話はちょっと違ってくるのだろうけれど、公立に進学する予定の子たちには中学以降でほぼ必要ないことに関しては、必要最低限のことしか求めないようにしている。(子どもがやりたいといえば別だが。)
小数同士の掛け算や割り算なんて、私もやりたくない。見た目だけで面倒だし、ちっとも楽しそうじゃない。もし仮に0.49÷0.28なんて問題があったら、とりあえず100分の49÷100分の28に直してしまった方が見た目にも断然簡単な気がするし、約分できる場合は実際圧倒的に楽だ。
この問題だと、小数のままで暗算できる子は極めて限られていると思うけれど、分数に直してひっくり返せば、100同士は約分で1になるし、49と28も7で約分できるから、結局7÷4で4分の7。小数で答えなくてはいけないとしても、1と4分の3だから答えは1.75。
もちろん、約分できないものもあるけれど、その場合はあまりが出るような問題だったりするので中学に行けば、最初から分数の世界で考えるような問題だ。
とすれば、小数同士の計算はそんなに力を入れる必要を感じない。
以前、ある中学受験塾で、3.14×1~9の答えを暗記してテストがあるという話を聞いたことがある。それ自体私としてはどうもイマイチ納得できないところもあるが、少なくとも中学受験をしない子であれば、3.14の計算は中学に行ったらもうやらなくなると言ってもいいだろう。だったら、その計算をやっきになってやらせたり、覚えさせたりすることにもあまり必要性を感じない。
小学生と中学生をまたがって指導していると、なぜこんなにも小学校の算数が中学校の数学にリンクしていないのだろうと思うところが少なくない。
もちろん、四則計算や図形、割合、単位量など、必要なものは多いが、重視すべきところとこだわらなくてもいいところのバランスがどうにも悪いような気がしてしまう。
小学生中心の教室でありながら、実は私は小学校のあゆみ(成績表)を全く気にしていない。もちろん、目の前の子どもが学校で習う算数さえ全く理解できていないようであれば気にするが、実際にできているし、それ以上の能力があることを感じている子に関しては、どんな評価がされても気にしたことがない。
正直なところ、一体なんでそんな評価がつくの?と思うことも決して少なくないし、親御さんにしても納得がいかないという場合もおありのようだ。
たまに算数で理解できない評価をされる子がいるのだが、そんな子には「あゆみが悪くても気にしなくっていいよ。こんなにできてるんだから。」ということもある。
実際、小学校では途中の式がきちんと書けていなければバツがついたり、見た瞬間答えが出るような子であっても、先生の指導したとおりの解き方をしなければバツがついたりということは珍しくない。
以前書いたが、分数の掛け算を使わなくてはいけない計算を、まず割って、その答えを集めるという方法で解くとバツになるなんてことが実際にあるのだ。(つまり、例えば12×3/4という式で解かなければならない問題を、12÷4×3で解くとバツになるというようなことが実際にあったのだ。)
正直言って、そんな指導をされていては、算数の得意な子たちはかえって算数嫌いになるし、覚える必要のない(覚えなくてもきちんと解けている)公式まで覚えなくてはならないなんてことが起きてくるわけだ。
と・・・こういうことを書いていると、多分やっぱりウロコ先生のお考えと恐ろしく共通しているんだろうなと思う。
ま、考えてみれば、私としては至極当然のことを言っているつもりなのだから、同意見の方が数え切れないほどいるのが本来の姿なのかもしれないのだけど、なぜかまだ少数派なのだ・・・。(ですよね、ウロコ先生。。。)
けれど、ウロコ先生のブログに更に勇気付けられ、自分の信じる道を、視野が狭くならないようときどきはよそも見ながら、それでも真っ直ぐ歩いていこうと思ったというお話。
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コメント
いや~こそばゆいでっす(^^;)
私は現代版大和撫子TOH先生から、ヒントを
いっぱいいただいてます。
あの日記で、じつはTOH先生の過去ログを一部を
貼り付けちゃおうかとも思ったんですよ。
了解無しはまずいと考え、やめましたが。
それにしても、他の面でも確かに私とTOH先生の
考え方は似すぎていますね。
義兄妹(親娘?)のようです。
いつもありがとうございま~す(^o^)
投稿: ウロコ先生 | 2006年9月30日 (土) 14時46分
ウロコ先生こんばんは~。
いつになったらその間違ったイメージを変えてくださるのかが
目下の懸念事項ですが、親子でないのは間違いないでしょう。
ヤンママならぬ「ヤンパパ」だったら可能かもしれませんが。。。
けど、きっと何かご縁がある方なのだろうと勝手に思っています。
前世で生き別れた兄妹とか。(笑)
今後ともどうぞ宜しくお願い致しますです。
投稿: TOH | 2006年9月30日 (土) 20時04分